
2016/06/09 - 2016/06/10
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ポルトガル第3の都市コインブラは、かつてポルトガル王朝の首都が置かれていた街。
1255年のリスボン遷都後も、学術・文化の中心として大学と共に発展してきました。
コインブラ大学はポルトガルのみならず、ポルトガル海上帝国時代に
植民地の大学群に与えた影響の大きさなども評価され、2013年に
「コインブラ大学-アルタとソフィア」として世界遺産登録されました。
コインブラは『ペドロ王子とイネスの悲恋物語』の舞台となった街でもあります。
「キンタ・ダス・ラグリマス(涙の館)」と呼ばれるホテルの敷地内には
二人が愛を語り合った「愛の泉」や、イネスが殺害された「涙の泉」があります。
アルコバサ修道院で共に眠る姿を見届けてきましたが
二人のロマンを追い求め、コインブラへとやって来ました。
宿泊したのは、もちろん「涙の館」です。
~・~・~・~・~・~ 旅 程 ~・~・~・~・~・~
6/02(木) 成田発11:40(JL415)⇒パリCDG着17:10(乗り継ぎ)
CDG発20:50(AF1124)⇒リスボン着22:20 《リスボン泊》
6/03(金) リスボン・ベレン地区観光 《リスボン泊》
6/04(土) リスボン市内観光 《リスボン泊》
6/05(日) シントラ&ロカ岬観光 《リスボン泊》
6/06(月) ※リスボン市内でレンタカー・チェックアウト
リスボン→オビドス 《オビドス泊》
6/07(火) オビドス→アルコバサ→ナザレ 《ナザレ泊》
6/08(水) ナザレ→バターリャ→ファティマ 《ファティマ泊》
★6/09(木) ファティマ→コインブラ 《コインブラ泊》
★6/10(金) コインブラ→ブサコ 《ブサコ泊》
6/11(土) ブサコ→アヴェイロ→ポルト空港(※レンタカー返却)
→ポルト市内へ移動 《ポルト泊》
6/12(日) ポルト市内観光 《ポルト泊》
6/13(月) ポルト市内観光 《ポルト泊》
6/14(火) ポルト発12:35(LH1177)⇒フランクフルト着16:10(乗り継ぎ)
フランクフルト発19:20(JL408)⇒(機中泊)⇒
6/15(水) 成田着13:40
(旅行時 1ユーロ≒119円)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 航空会社
- エールフランス JAL ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
お昼前にファティマを発ち、1時間ほどで
コインブラのホテルに到着しました。 -
ホテルの名は 「キンタ・ダス・ラグリマス」"Quinta das Lágrimas"
(日本語訳は「涙の館」)
コインブラ大学のある旧市街とは、モンデゴ川を挟んで
反対側にあります。
「涙の館」は『ペドロ王子とイネス・デ・カストロの悲恋物語』の
舞台となった場所として知られています。
ガイド本にはかつてイネスが住んでいた館がホテルに改装されたと
書かれているのですが、正しくはそうではないようです。
(ホテルは18世紀の貴族の館を改装したものだそうです)
そして広大なホテルの庭園内に、かつて二人が愛を育んだ
「愛の泉」"Fonte dos Amores" と
イネスが殺害された(1355年)場所として伝えられている
「涙の泉」"Fonte das Lágrimas" があります。キンタ ダス ラグリマス ホテル
-
「キンタ・ダス・ラグリマス」"Quinta das Lágrimas"
手入れの行き届いたお庭も素敵です。 -
ホテルのレセプション脇の壁には
ペドロ1世とイネス・デ・カストロの肖像画が飾られていました。
(後世に描かれたものだとは思いますが)
チェックインには時間が早いので、荷物を預けて
旧市街の観光に出かけましょう。 -
若かりし頃のイネス・デ・カストロ(画像はネットから拝借)
《ペドロ1世とイネスの悲恋物語》
1339年、ペドロ王子は父王アルフォンソ4世の命により、カスティーリャの王女コンスタンサと政略結婚しました。ところが侍女として一緒にやって来たイネス・デ・カストロと恋に落ちてしまったのです。(ペドロ王子は20歳、イネスは15歳でした)
1345年にコンスタンサは病で亡くなり、ペドロ王子とイネスの間には3人の子供が生まれましたが、愛妾イネスの存在を疎ましく思う家臣と王により、ペドロの留守中にイネスは殺害されてしまいました。
その2年後の1357年にアルフォンソ4世が亡くなり、ペドロ王子が(ペドロ1世として)王位に就くと、イネスを殺害した3人の家臣への復讐を果たしました。
そして「イネスとは正式に結婚していた」と言い、サンタ・クララ修道院に埋葬されていたイネスの墓を掘り起こし、王妃としての戴冠の儀式を執り行ったのでした。その後、棺はアルコバサ修道院に移されました。
イネスの死から12年後、ペドロ1世も天に召され、今は共にアルコバサ修道院で永遠の眠りについています。
※アルコバサ旅行記 → https://4travel.jp/travelogue/11223080 -
早速「愛の泉」と「涙の泉」へ行ってみましょう。
ホテルの中庭から奥へ進むと、標識があり
更に森の中の山道のようなところを進んで行きます。 -
すると館の残骸か塀の名残のようなものがあり
"FONTE DOS AMORES 1326" と書かれていました。
そのアーチの向こう側には・・・ -
小さな祠のようなものがあり
中を覗くと水が流れていました。
これが「愛の泉」"Fonte dos Amores" なのかしら…?
鉄格子にはこの場所を訪れたカップルが永遠の愛を誓ったのか
リボンが結ばれています。
(ビッシリと南京錠がぶら下がっていなくて良かった~)
700年近くの時を経て、ペドロ王子とイネスが愛を語り合った
場所に今佇んでいると思うと感慨深いものがあります。 -
さらに奥へ進んで行くと
岩の下(写真左上)から滾々と水が湧き出ていて
前方の池(写真右上)へと流れ込んでいました。
この場所がイネスが喉を切られて殺害されたという
「涙の泉」"Fonte das Lágrimas" です。
底にある石の赤い色(写真下)は、イネスの血で
染まったと言い伝えられているとか。
「そんなことありえな~い」とは思うものの、
イネスが流したであろう無念の涙、無数の涙が
今も泉となって流れ続けているのかもしれませんね…。 -
「涙の泉」脇にある石碑には
カモンイスの『ウズ・ルジアダス』の一節が刻まれています。
モンデゴの妖精たちは涙を流し続け
彼女の悲しい死を記憶に刻み込んだ
そして永遠の記憶を求めて
流された涙は美しい泉となった
あの処刑の場所にできた泉に
妖精たちはイネスの愛という名を付けた
泉は今でも湧き続けている
見よ、なんと清らかな泉が
花々に水を与えていることか
愛という名の泉から流れる涙の水を
※カモンイスはポルトガル史上最大の詩人で
『ウズ・ルジアダス』はその代表作 -
「キンタ・ダス・ラグリマス(涙の館)」の宿泊者は
庭園内の「愛の泉」や「涙の泉」へのフリーアクセスチケットを
いただけ、私たちのようにホテルの中庭から入って行けます。
宿泊していない場合は、ホテルとは別の入口(写真上)を入ると
チケット売り場(写真下)があります。(入場料は2ユーロ)涙の館 愛の泉/涙の泉 建造物
-
それでは、モンデゴ川対岸にある旧市街へ行ってみましょう。
ホテルのスタッフにはタクシーで丘の上にある旧大学まで行き
街を下りながら観光するのがお勧めと言われたのですが、
私たちは明るいうちにサンタ・クララ橋から
街並みの写真を撮りたかったので、歩いて行くことに。
途中、ガードのような場所に壁画が描かれており・・・ -
よく見ると黒い瞳の中には "ART IS DEAD." と書かれ
ISのSがドルマーク$になっていました!
お金のために制作活動をしたり
芸術の世界がお金に支配されていることへの
抗議なのでしょうか? -
ほどなく、モンデゴ川に出ました。
サンタ・クララ橋のひとつ手前の橋の上にいます。
(車両通行禁止の綺麗な橋です)
時計塔のある旧大学の建物が、丘の上に見えています(写真下)
可愛らしいモデルさんも一緒にパチリ☆
※大学は新しい部分と古い部分に分かれており
見どころは旧大学のほう。 -
モンデゴ川と平行に走る運河沿いの道を進んでいると
運河に架かる橋には、今やどこでも見かける愛の南京錠が! -
サンタ・クララ橋に到着☆
ここから街並みが良く見渡せます。
ポルトガルの旗(上)やコインブラの旗(右下)が
はためいていましたが、風が強くてこの写真を撮るのに
何度もシャッターを押してしまいました! -
丘の上には旧大学の建物とシンボルの時計塔が見えます。
コインブラ大学 建造物
-
サンタ・クララ橋を渡ったところにある「ポルタジェン広場」
広場の像はコインブラ出身の元首相、
ジョアキム・アントニオ・デ・アギアル
(Joaquim Antonio de Aguiar)だそう。 -
信号待ちをしている時に、編み込みヘアーが素敵な女性が
いらしたので、お写真を撮らせていただきました。
ブラジルからコインブラ大学に留学中の方でした。
今回の旅行では、(母国語がポルトガル語だからなのか)
留学や仕事のためにポルトガルで暮らすブラジル人に
たくさんお会いしました。 -
ポルタジェン広場脇から伸びるのは、メインストリートの
フェレイラ・ボルジェス通り(Rua Ferreira Borges) -
フェレイラ・ボルジェス通り
この通りを進むとヴィスコンデ・ラ・ルース通りと名前が変わり
街の中心「5月8日広場」 へと続いています。 -
フェレイラ・ボルジェス通り
ポルトガルは世界のコルク生産の55%以上を占め
コルク製品の75%がポルトガル製だそうです。
コルク製のバッグや帽子などを土産店でよく目にしました。 -
【サンタ・クルス修道院】"Mosteiro de Santa Cruz"
「5月8日広場」(Pr. 8 de Maio) に面して建ち、
マヌエル様式とルネサンス様式が調和したファサードが美しいです。
アフォンソ・エンリケス(※)がポルトゥカーレ伯時代の1131年に
ロマネスク様式で建設されました。
※アフォンソ・エンリケスは後の初代ポルトガル王
(在位:1139年~1185年)
ポルトガル王国成立後、修道院付属の学校や写字室が設置され
修道院は政治と文化の両面で重要な役割を果たしました。
16世紀にマヌエル1世によりマヌエル様式の修道院に改築され
18世紀末までルネサンス様式やバロック様式の改築が加えられました。
ところで、私たちが真っ先に目指していたのは修道院ではなく
修道院の建物を利用した併設のカフェ(写真右手)なのでした(^^ゞサンタ クルス修道院 寺院・教会
-
【カフェ・サンタ・クルス】
テラス席もありますが、やはり店内の様子が気になります。カフェ サンタ クルス カフェ
-
【カフェ・サンタ・クルス】(店内から外を見て)
ステンドグラスが印象的です。 -
【カフェ・サンタ・クルス】
高いリブ・ボールト天井がいかにも修道院っぽくて
雰囲気があって素敵~☆
夜にはファドの生演奏もあるようです。 -
【カフェ・サンタ・クルス】
午後3時近くの遅めのランチですが、ポルトガルで食べてみたかった
もののひとつ、ビファーナ "Bifana" (写真上)をいただきました。
薄切りにした豚もも肉を白ワインやニンニクベースのマリネ液に漬けこみ
煮込んだものをパンに挟んだポルトガル版ポークサンドです。
豚肉がしっとりとしていて、とても美味しかったです。
(牛肉を挟んだものは "Prego" というのだそう)
下の写真の左上はケイジャーダ(チーズを使った焼き菓子)、
左下は "Pasteis de Tentugal" という、修道院で作られていた
伝統菓子です。
パリパリのパイ生地の中に卵黄のクリームが入っています。
右側は "Cruzios" というアーモンドを使用した焼き菓子で
2ヶ月前にポルトガルのお菓子コンテストで1位になったのだとか。 -
【サンタ・クルス修道院】付属教会
オナカも満たされたので、見学を開始しましょう。 -
【サンタ・クルス修道院】付属教会 主祭壇
-
【サンタ・クルス修道院】付属教会
主祭壇の両脇にはアフォンソ1世とその息子サンショ1世の
お墓があります。
(写真はアフォンソ1世のお墓だったと思いますが)
ニコラ・シャントレーヌによるレリーフ装飾が
大変見事で素晴らしいです。
※ニコラ・シャントレーヌはルネサンスを代表する彫刻家 -
【サンタ・クルス修道院】付属教会
壁面には18世紀のアズレージョと説教壇が。 -
【サンタ・クルス修道院】付属教会
説教壇もニコラ・シャントレーヌによる制作で
ポルトガルにおけるルネサンス彫刻の傑作だそうです。 -
【サンタ・クルス修道院】付属教会
でも一番惹かれたのはこのパイプオルガンでした。
ミニチュア版をクリスマス・ツリーに飾りたいな~ -
【サンタ・クルス修道院】付属教会
パイプオルガン底面の金色のレリーフ装飾が奇妙で面白~い!
鎖を食いちぎりそうなこの方たちは、魔除けなのかしら… -
【サンタ・クルス修道院】付属教会
一瞬、ケースに入ったミイラのように見えてギョッとしましたが
近くで見ると、自らが磔(はりつけ)になる十字架を背負い
ゴルゴダの丘へと向かうキリスト像でした。 -
【サンタ・クルス修道院】回廊
『静寂の回廊』と呼ばれる回廊はマヌエル様式の傑作とのことですが
「ジェロニモス修道院」や「バターリャ修道院」を先に見てしまったので
とても簡素な印象を受けました。 -
【サンタ・クルス修道院】回廊
でも壁面のアズレージョが美しくて素敵でした☆ -
【サンタ・クルス修道院】回廊のアズレージョ
-
【サンタ・クルス修道院】中庭の『泉盤』
-
それでは修道院を後にし、丘の上の旧大学を目指しましょう。
-
かつて街は城壁で囲まれており、このアルメディーナ門は
城壁の名残だそうです。 -
"RUA DE QUEBRA COSTAS" は
「旧カテドラル」前の広場へと続く石段の道
壁面下部の花模様のアズレージョが素敵です☆彡 -
「ポルトガルの洗濯女」の像
石段(RUA DE QUEBRA COSTAS)の途中にあります。
かつてはモンデゴ川で洗濯をする女性たちの姿が
見られたそうです。
シャンソンで歌われ、「ポルトガルの洗濯女」は
一躍有名になりました。 -
"コインブラ・ファド" を象徴するかのような
ポルトガルギターをかたどった女性像がありました。
※ポルトガルギターはポルトガルの民族楽器で
ファドの演奏などに使用されます。
リスボンの下町で生まれたファドは、人生の歓びや悲しみ、哀愁など主に女性の心情を歌うのに対し、"コインブラ・ファド" はもともとは男子学生が愛する女性に捧げたセレナーデで、歌い手は男性のみで演奏者も含めほとんどはコインブラ大学の出身者だそうです。 -
【旧カテドラル】
アフォンソ・エンリケスにより、1140年に建設が始められました。
ポルトガルにおける重要なロマネスク建築のひとつです。
レコンキスタの時代には要塞としての役割も担っていた
堅固な造りで、胸壁には銃眼も備えています。
(写真左) 西ファサード
※こちらが出入口
(写真右) 北ファサード
※入口は1530年頃に造られたもので、ルネサンスの影響が
見られる初期のものだそう。旧カテドラル (コインブラの旧大聖堂) 寺院・教会
-
【旧カテドラル】
身廊を支える太い柱がいかにもロマネスクらしい印象で
天井は半円筒のトンネルヴォールト。 -
【旧カテドラル】
主祭壇の背後にある16世紀の祭壇壁が大変見事です☆彡
木製のレリーフ彫刻に彩色が施され
聖母マリアとキリストの生涯が描かれています。 -
【旧カテドラル】
祭壇壁の中央に描かれているのは聖母マリア☆
精緻なレリーフ彫刻が本当に素晴らしいです! -
【旧カテドラル】聖堂に隣接する回廊と中庭
-
【旧カテドラル】
外に出て東側に回ると、回廊から見えたドーム屋根がありました。 -
コインブラ大学の学生たちが、私たちに話しかけてきました。
学資のために自主制作したポストカードを販売していたのでした。
この黒いマント姿はコインブラ大学の制服で
卒業式やイベントの際に着用が義務づけられているそうです。
マントはカパと呼ばれ、実はカッパ(合羽)の語源なのです。
パン、金平糖、たばこ、ボタンなど、ポルトガル語由来の
外来語がたくさんありますね。
ところで、コインブラ大学には女子学生が好きな男子の
マントの裾を引き裂くという風習があり、マントがボロボロなほど
モテ男だというバロメーターなのだとか(´艸`*) -
旧大学を目指して坂道を上がっていくと
「新カテドラル」の前に出ました。
1598年にイエスズ会のコレジオ付属教会として建設が
開始され、完成までに100年余りが費やされました。
(※コレジオとはイエスズ会の高等教育施設のこと)
1772年に司教座が「旧カテドラル」から
この「新カテドラル」に移されています。新カテドラル (コインブラ) 寺院・教会
-
【新カテドラル】
バロック様式の大聖堂です。 -
【新カテドラル】
主祭壇背後の飾り壁にはターリャ・ドゥラーダ(金泥細工)と
呼ばれる、金箔で装飾された木彫り彫刻が施されています。
17世紀末に活躍した彫刻家ジェロニモ=ルイスの代表作だそう。 -
【新カテドラル】
左右には新古典様式のパイプオルガンが。
オルガン上部にはラッパを吹いている天使たちが
たくさんいます(*´▽`*) -
【新カテドラル】
壁面の装飾も凝っています。 -
【新カテドラル】
その中心部分に描かれているのは、聖母マリアと
聖ヨセフに手を引かれたイエス様のようです。
親子3人の像やレリーフを見るのは珍しいですね。 -
【新カテドラル】
新カテドラルには日本人として忘れてはならない人が
眠っています。
鹿児島でザビエルの洗礼を受け、その後日本人初の留学生として
1553年にリスボンに到着したベルナルドです。
(日本名は分かっていないとか)
1555年にはローマで教皇パウロ4世に謁見したそうですが
1557年初頭に病気のためコインブラで亡くなりました。
そのベルナルドが主祭壇に最も近い左手の礼拝堂(写真左)の
床の下(写真右)で永久の眠りに就いているのです。
教会のスタッフにお聞きしたところ、名前の刻まれた
墓碑のようなものは特にないそうです。
おそらく他の信者の方たちと共に眠っているのでしょう。
初めてヨーロッパへ渡った日本人ベルナルドへの敬意を表し
心の中で手を合わせました。 -
「旧大学」に到着しました。
黄色い矢印のところが『鉄の門』と呼ばれる出入口ですが
まず左手の建物(総合図書館)で入場券を購入します。
入場料は9ユーロで、『ジョアニア図書館』の入館時刻が
記されています。
※見所の『ジョアニア図書館』や『礼拝堂』『帽子の間』などは
全てこちらの旧大学の方にあります。旧大学 建造物
-
【旧大学】『鉄の門』
1630年代にルネサンス様式、マヌエル様式で建造され
当時の医学や法学などの各学部を象徴する像で飾られています。
別名『無情の門』とも呼ばれ、この門をくぐったら
学問以外のことは考えてはならないという厳しい教えから
きているのだとか。
この門を潜ると中庭に通じています。 -
門を潜る時にふと見上げると、門扉の上部や頭上の格子部分に
黒や白の布きれのようなものが結び付けられています。
どうやら、女子学生が好きな男子のマントを引き裂くという
風習から生じた悪ふざけのようです。 -
よく見ると、広場にある他の像にも
黒い布切れがくくり付けられていました。
全て、学生たちのいたずらのようです(笑) -
【旧大学】『鉄の門』から中庭に入って
コインブラ大学はポルトガルで最古、
ヨーロッパでも屈指の伝統ある名門大学です。
「コインブラ大学 アルタとソフィア」として
世界遺産登録されています。
(アルタ地区とソフィア地区に大学の歴史的建物があります) -
【旧大学】中庭のジョアン3世の像
1290年にディニス王によりリスボンで創設された大学は
コインブラとリスボンへの移転を繰り返しました。
1537年にジョアン3世によりコインブラに移転されて以来
現在に至っています。
銅像の背後には、モンデゴ川を望む眺望が開けています。 -
【旧大学】
中庭を囲むように三方に建物が建っており
18世紀建造の『時計塔』(写真下)は旧大学のシンボルです。 -
【旧大学】《サン・ミゲル礼拝堂》
『時計塔』隣接する『サン・ミゲル礼拝堂』は16世紀初頭の建設で
聖ミカエル(=サン・ミゲル)が祀られており
今でも毎日礼拝が行なわれているそうです。
中に入ってまもなく
「礼拝堂を使用するので、早く見学を終えるように」と
言われました。
なぜかと思ったら、上の写真の車の中には御遺体が
スタンバイしていて葬儀が執り行われるためでした。 -
【旧大学】《サン・ミゲル礼拝堂》
というわけで、大急ぎで写真を撮りました。
壁面を覆う17世紀のアズレージョや天井画が大変美しく
まるで天国に直結している場所のように思えました。 -
【旧大学】《サン・ミゲル礼拝堂》
祭壇の天井部分は可憐な美しさ☆彡 -
【旧大学】《サン・ミゲル礼拝堂》
18世紀のバロック様式のパイプオルガンも素晴らしいです! -
【旧大学】《サン・ミゲル礼拝堂》
天井の模様も色鮮やかで素敵~ -
【旧大学】《サン・ミゲル礼拝堂》
天井の中心部にはポルトガル王国の紋章を掲げる
天使たちが描かれています。 -
【旧大学】
礼拝堂の並びの一番端の建物が『ジョアニア図書館』です。
チケットに記載された時間に列に並び、中へ入ります。 -
【旧大学】《ジョアニア図書館》
(内部は撮影禁止なので、拝借画像です)
ジョアン5世統治下の1724年に建造され
蔵書は30万冊にも及ぶとか。
「世界で最も美しくて豪華な図書館」と言われるとおり
ターリャ・ドゥラーダ(金泥細工)による内部装飾や
調度品が大変見事で素晴らしいです☆彡
なんとこの図書館では、本につく虫を退治するため
コウモリが飼われているのだとか! -
【旧大学】
中庭の北側には『ラテン回廊』と呼ばれるギャラリー(歩廊)を
持つ建物があります。
かつてこの場所ではラテン語のみを話すことが義務付けられて
いたことが、回廊の名の由来だとか。 -
【旧大学】《帽子の間》
『ラテン回廊』のある建物内にあります。
もともとは宮廷の広間として使われていた部屋で
壁には歴代国王の肖像画が掲げられています。
現在は学長の就任式や博士号の学位授与式などに使用され、
私たちが訪れた時は博士号のための口頭試験が行なわれていました。
(分かりづらいのですが)写真中央の机に座っている方が試験官で
学生の姿はシャンデリアの陰になってしまいました。
試験官の向こう側の(階段を5、6段上った)高い壇上の席にも
監督官なのか学部長なのか、偉そうな方が座っていらっしゃいます。
わぁ、緊張しそう~~ -
【旧大学】『ラテン回廊』2階から望んで
(写真上)『鉄の門』のある東側建物
(写真下)『サン・ミゲル礼拝堂』と『図書館』のある西側建物
その前方にはモンデゴ川の景色が開けています。 -
【旧大学】
『帽子の間』以外にもいくつか部屋があり
この部屋には歴代の学長かコインブラ大学出身の著名人らしき
肖像画が並んでいました。
天井が美しかったのでパチリ! -
【旧大学】
廊下の窓から『旧カテドラル』が見えました。
ここからだと全形がよく分かります。 -
【旧大学】
旧大学の校舎は現在も講義などに使われていますが
どうやらそのセクションに紛れ込んでしまったみたい^^; -
【旧大学】
それぞれのお部屋(教室)には名前が付けられていました。
腰壁のアズレージョが素敵です。 -
旧大学を後にし、街歩きを続けます。
急な坂道にあるショップでは、片脚の台の上に
商品が並べられていました(*´▽`*) -
椅子や自転車や人の形をした人形やら
たくさんのオブジェ(?)が外壁に張り付いてる
面白い建物がありました。 -
確かここは、旅番組でも見たことがありますが
学生たちが共同生活をしている学生寮(アパート?)だったかと… -
少し離れた場所では
頭上から靴がぶら下がっていま~す(´艸`*) -
反対側からもパチリ!
靴も壁画も学生さんのアート作品なのかしら? -
素敵な建物を発見~☆
-
この建物の外壁のアズレージョが
凹凸のあるデザインでとても素敵でした☆彡 -
正面には古くて味わいのある建物が。
車が何台も駐車されていますが、住人の方たちは
クネクネの狭い坂道にも慣れていらっしゃるのでしょうね。 -
お夕食に「ドン・ペドロ」というレストランへ
やって来ましたが、なんと私たちが一番乗りでした。Dom Pedro 地元の料理
-
テーブルにセットされていたプレート(左上)と
テーブルクロスが素敵だったのでパチリ☆
前菜は生ハムメロンとフィッシュスープを。
スープは大量のクルトンが浮かんでいましたが
お味は美味しかったです。 -
メインはお店のスペシャリテの仔豚のローストと
タコのリゾットを。
仔豚のローストはシンプルな味付けで
タコのリゾットは安心の美味しさでした。 -
デザートはトンガリキャベツ…なわけはなく、
カウンターの上にあったこのキャベツの写真を撮っていたら
ウェイターさんがお皿に載せてテーブルに運んできて
下さったのでした(*´▽`*)
ヨーロッパの市場では時々このトンガリ君を見かけます。
食後はさすがにホテルまで歩いて帰る気力がなく
駅付近で見つけたタクシーで戻りました。 -
お部屋まで荷物を運んで下さったスタッフによると
ホテルの客室は順次リノベーション中だそうで、
リノベーション後のこの部屋に泊まるのは
私たちが初めてとのことでちょっと嬉しい~
コンプリメンタリーのシャンペンが用意されていました。 -
(翌朝)
優雅な雰囲気の中でいただくホテルの朝食が大好きです!
お庭のテラス席も素敵☆ -
日中はいつも忙しく駆けずり回るので
ゆったりとした朝食タイムは至福の時☆彡 -
ホテル内には客室以外に当時(18世紀)のまま保存されている
お部屋がいくつもありました。
気に入ったお部屋で読書したり、お手紙を書いてる方も
いらっしゃいました。
プールやスパ設備もあるので、ゆっくりと滞在を楽しみたいホテルです。 -
チェックアウト前に「旧サンタ・クララ修道院」に
行ってみようと思います。(ホテルから徒歩で5分ほど)
(写真は)途中にあった民家の外壁のアズレージョ。
右手の女性はイザベル王妃ではないかと思われます。
※ディニス王の妃であったイザベルは慈悲深い王妃として民衆に愛され
現在はコインブラの守護聖人として「新サンタ・クララ修道院」に
眠っています。 -
「旧サンタ・クララ修道院」
1286年に建立されましたが、度重なるモンデゴ川の洪水により
17世紀に閉鎖されました。
(代わりに「サンタ・クララ修道院」が高台に建立されました)
閉鎖後すっかり荒れ果てた「旧サンタ・クララ修道院」の修復が
2009年に完了し、一般に公開されています。
新設された建物内(写真左上)でチケットを購入後
上映室(写真右上)で修道院やコインブラの歴史などを
伝えるビデオを鑑賞しました。
その中で『ペドロ王子とイネスの悲恋物語』についても触れられており
イネスとその子供が殺害されるシーン(写真下)も出てきました。
イネスの向かいに立つのはペドロの父王アルフォンソ4世で
国王が立ち去った後に3人の家臣により殺害されたのでした。 -
上映終了後、「旧サンタ・クララ修道院」の見学です。
(正面に見えるのは修復された修道院付属の教会)
とはいえ、修道院自体は付属教会の手前に遺構が残るのみ。
中央の四角い部分が中庭で、その周囲を回廊そして各部屋が
取り囲んでいたと思われます。
殺害されたイネスの遺体は初め「旧サンタ・クララ修道院」に
安置されましたが、アルフォンソ4世が亡くなり
ペドロが(ペドロ1世として)即位するとイネスの棺は
アルコバサの修道院に移されました。
現在、アルコバサ修道院に安置された二人のそれぞれの石棺の上には
ペドロ1世とイネスの像が互いに足を向ける形で置かれています。
これは(最後の審判で全ての死者が蘇り)二人が目覚めて
起き上がった時に、お互いの顔を最初に見ることができるように、
とのペドロの遺言なのだとか。旧サンタ クララ修道院 寺院・教会
-
「旧サンタ・クララ修道院」付属教会
モンテゴ川対岸のコインブラ旧市街が見えます。
(写真下)右手が付属教会
ぐるっと後ろ側へ回り込むように進み、正面の石段もしくは
左手のエレベーターで付属教会の建つ敷地へ下りていきます。 -
「旧サンタ・クララ修道院」付属教会
700年以上前に建設された歴史を感じる造りです。
(写真左)開口部は修道院へと続いています。
上部には薔薇窓が。
(写真右)側廊
(写真下)部分的に古いアズレージョが残されていました。
かつてイネスが目にしたこともあったのだろうかと
思ってみたりして…。 -
修道院の外に出ると、過去からタイムスリップしてきたような
車が停まっていました。
交錯する様々な時代や織り成された人間模様に思いを馳せ
コインブラを後にしました。
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