
2016/06/10 - 2016/06/11
1位(同エリア31件中)
sanaboさん
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この旅行記のスケジュール
2016/06/10
この旅行記スケジュールを元に
ポルトガル旅行の際に、是非とも泊まってみたかったホテルです。
もともとはポルトガル国王の離宮として建設されましたが
完成後まもなく共和政権が樹立し、王制は廃止に。
のちに個人の所有となり、ホテルとして改装され現在に至っています。
大航海時代のポルトガルの栄華を彷彿させるネオ・マヌエル様式の建物は
見事なアズレージョで飾られた壮麗な佇まいです。
ホテルはブサコ国立公園の中に建ち、周囲は深い森に囲まれています。
かつてはカルメル派の修道士たちが暮らす女人禁制の地だったとか。
また、ナポレオン軍の侵攻を防いだ「ブサコの戦い」の地として
歴史上重要な意味を持つ場所でもあります。
そのような出来事に思いを馳せ、宮殿の世界にしばし浸りました…。
~・~・~・~・~・~ 旅 程 ~・~・~・~・~・~
6/02(木) 成田発11:40(JL415)⇒パリCDG着17:10(乗り継ぎ)
CDG発20:50(AF1124)⇒リスボン着22:20 《リスボン泊》
6/03(金) リスボン・ベレン地区観光 《リスボン泊》
6/04(土) リスボン市内観光 《リスボン泊》
6/05(日) シントラ&ロカ岬観光 《リスボン泊》
6/06(月) ※リスボン市内でレンタカー・チェックアウト
リスボン→オビドス 《オビドス泊》
6/07(火) オビドス→アルコバサ→ナザレ 《ナザレ泊》
6/08(水) ナザレ→バターリャ→ファティマ 《ファティマ泊》
6/09(木) ファティマ→コインブラ 《コインブラ泊》
★6/10(金) コインブラ→ブサコ 《ブサコ泊》
★6/11(土) ブサコ→アヴェイロ→ポルト空港(※レンタカー返却)
→ポルト市内へ移動 《ポルト泊》
6/12(日) ポルト市内観光 《ポルト泊》
6/13(月) ポルト市内観光 《ポルト泊》
6/14(火) ポルト発12:35(LH1177)⇒フランクフルト着16:10(乗り継ぎ)
フランクフルト発19:20(JL408)⇒(機中泊)⇒
6/15(水) 成田着13:40
(旅行時 1ユーロ≒119円)
- 旅行の満足度
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- エールフランス JAL ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「ブサコ パレス ホテル」はコインブラから北に約30km、
車で1時間弱の距離です。 -
《ホテル東側》
幹線をはずれ、なだらかな上り坂を車で進んでいくと
ブサコ国立公園の入口に辿り着きました。
通常は入園料がかかりますが、ホテル宿泊者は無料です。
森の中の道を進むとやがて目の前が開けて
宮殿ホテルが姿を現しました。
(到着時は逆光だったため、翌朝の写真です)パレス ホテル ド ブサコ ホテル
-
"Palace Hotel do Bussaco" の歴史
17世紀前半にカルメル派の修道会が森を切り開き
ブサコ・サンタクルス修道院 "Convento de Santa Cruz do Bussaco" を
この地に建設しました。
1834年には全ての修道会がポルトガルから追放され
カルメル修道会も退去しましたが、建物は今も残されています。
のちに国王ドン・ルイス1世がこの地に離宮の建設を計画し
(息子の)ドン・カルロス1世に引き継がれて
1888年にネオ・マヌエル様式の宮殿建設が始められ
1907年に完成しました。
そのドン・カルロス1世が1908年に長男と共に暗殺され
次男がマヌエル2世として即位しましたが
1910年に共和政権が樹立し、王制は廃止されました。
国有財産となった宮殿は実業家の手に渡り
1913年にホテルとして開業。
1917年より現在のオーナー一族の所有となった5つ星ホテルです。
※ですので、古城や王宮などの歴史的建造物をホテルに改装した
国営のポサーダではありません。 -
南側の庭園に面した正面ファサード(翌朝撮影)
右側が宮殿部分で、左側は修道院の建物です。 -
宮殿の設計者はシントラのレガレイラ宮殿も手掛けた
イタリア人建築家ルイジ・マニーニ。
宮殿の内外を飾るアズレージョは、ポルトのサン・ベント駅の
アズレージョの作者としても知られるジョルジュ・コラソの制作です。 -
《北側の列柱廊》
前方左手にホテルエントランスがあります。
列柱ごとに異なるマヌエル様式のレリーフ彫刻がとても見事です!
マヌエル様式とはマヌエル1世(在位1495年~1521年)の時代に発達したポルトガル独自の装飾様式です。船のロープや地球儀、胡椒の実など海洋や新大陸をテーマにしたモチーフの壮麗な装飾が特徴で、大航海時代のポルトガルの栄華を象徴しています。 -
《北側の列柱廊》
外壁を飾るアズレージョはポルトガル最大の詩人カモンイスの
代表作『ウズ・ルジアダス』から題材を得ており
歴史的場面などが描かれています。
※『ウズ・ルジアダス』(1572年初版)は大航海時代の息吹を伝える一大叙事詩で、ポルトガル民族の輝かしい功績や英雄たちの活躍が格調高く謳いあげられているのだそう。 -
特に気に入ったのはこちらのアズレージョ☆
-
下部のフレーム部分には
おそらく『ウズ・ルジアダス』の詩の一節が
書かれているのだと思います。 -
恋人たちの向こうには、森の中で踊る乙女たちなのか
はたまた妖精なのか…
そしてこの恋人たちはもしかして
あの悲恋物語のペドロ王子とイネスなのだろうかと
想像の世界へと引き込まれてしまいます。 -
こちらのお二人はシントラの山頂にペーナ宮殿を建設した
女王マリア2世と国王フェルナンド2世(カルロス1世の祖父母)に
思えるのですが、どうなのでしょう。 -
ホテルエントランスです。
外壁のアズレージョやマヌエル様式の装飾を目の当たりにし
このドアを開けたら、どのような光景が待ち受けているのか
胸が高鳴ります♪ -
《エントランスホール》
目に飛び込んで来たのは、この壮麗な空間でした!
まさにマヌエル様式の装飾美の極致☆彡
今までにマヌエル様式を代表する「ジェロニモス修道院」や「ベレンの塔」「バターリャ修道院」を見てきましたが、この宮殿はのちの時代(19世紀後半から20世紀初頭)に国王の離宮として建設されたため、はるかに壮麗でゴージャス感に溢れています。 -
(一枚上の写真とは逆のアングルから見ています)
この左手に大階段があります。 -
大階段(1階から踊り場を見上げて)
壁面の下部にはアズレージョ、上部にはフレスコ画が描かれています。 -
踊り場のステンドグラス
-
1階から踊り場にかけて、アズレージョには
「セウタ攻略」の様子が描かれています。 -
「セウタ攻略」が描かれたアズレージョ
ポルトガルはジョアン1世の治世下であった1415年に
エンリケ王子らとともに北アフリカの港町セウタを攻略し
海外進出の第一歩を踏み出し、やがて大航海時代を迎えました。
そのため「セウタ攻略」はポルトガル史上
非常に大きな意味を持つ出来事なのです。 -
「セウタ攻略」が描かれたアズレージョ
一番上でポルトガル王国の紋章を身に着けて
剣を振りかざしている人物がエンリケ王子でしょうか? -
「セウタ攻略」が描かれたアズレージョ
アフリカライオンが象徴的に描かれ、ポルトガルが
アフリカを制したことを示唆しています。 -
「セウタ攻略」のアズレージョの上部には、フレスコ画で
ポルトガル史上大きな功績を残した人物が3名描かれています。
*中央はエンリケ航海王子
*右はインド航路を開拓したバスコ・ダ・ガマ
(香辛料貿易のルートを開拓)
*左はペドロ・アルヴァレス・カブラル
(1500年にブラジルを発見した探検航海者で
ブラジルから砂糖や金がポルトガルにもたらされました) -
エンリケ王子は自らが航海することはありませんでしたが
パトロンとして海洋探検家らを援助・指導したため
エンリケ航海王子と呼ばれています。
リスボンの「発見のモニュメント」では、功績を残した
32人の航海士や天文学者、地理学者、宣教師などの先頭で
自らが開発を援助したと言われる航海用のカラベル船を
手にしています。 -
大階段踊り場にて
-
踊り場から2階にかけて
アズレージョに描かれているのは「インド攻略」 -
「インド攻略」が描かれたアズレージョ
1498年にバスコ・ダ・ガマがインド航路の開拓に成功しましたが
当時インドの香辛料貿易はイスラム商人たちに握られていました。
そのイスラム勢力を武力により一掃したポルトガルは
香辛料(特に胡椒)貿易の独占に成功し、首都リスボンは
世界経済の中心として大いに繁栄しました。 -
「インド攻略」が描かれたアズレージョ
-
「インド攻略」が描かれたアズレージョ
(写真上)
アズレージョの上部にはインド象が描かれており
インドを支配下に置いたことを示唆しています。
(写真下)
同様にインドの王族が描かれています。
左側の柱には、レリーフで胡椒の花(実)が描かれています。 -
踊り場から2階を見上げて
-
2階から踊り場を見下ろして
-
踊り場の隅に鎧を着た像(人形?)が置かれているのですが
この人、夜になると目が光るんです!(写真右)
ちょっと不気味だけど笑えます(´艸`*) -
《2階の階段上のホール》
壁やドアの縁取り、そして天井も
マヌエル様式の装飾で飾られています。 -
《2階の階段上のホール》
ランプも素敵☆ -
こちらがお部屋ですが、客室が一番シンプルかもしれません。
もともとホテルとして設計されたわけではないので
お部屋により大きさやレイアウトも様々なようです。
ツアーの方たちは不公平のないように
くじ引きで部屋割りを決めるそうですが、くじに外れると
女中部屋と呼ばれる超狭いお部屋になるのだとか!
その女中部屋を恐れて「スーペリアダブル」を予約したのですが
それほど広くもないし庭園にも面していなかったので
一応確認してみましたが、間違いではありませんでした。
充電用のコンセントを探し回ったりして、あまりお部屋の
使い勝手は良くありませんでした。
お部屋に関しては、4つ星ホテル並みといったところです。 -
それでは早速、ホテルの探検に出かけましょう。
エントランスから入った右手にレセプションがあります。
レセプションのオラシオさんは、レセプション業務以外に
荷物をお部屋に運んで下さったり、ドアマンの役目をしたりと
大活躍でした。
そして私たちがホテルの歴史やアズレージョのことなど
いろいろ質問するたび、ご親切に優しく教えて下さいました。
心温まる思い出に大変感謝しています♪ -
1階のエントランスホール右奥のアズレージョには
「ブラジル発見」の様子が描かれています。
1500年にインドを目指していたカブラルは西に流され
偶然ブラジルを発見。(ブラジルはポルトガルの植民地に)
ポルトガル植民地時代のブラジルからは
16世紀半ばから17世紀半ばにはアフリカ系黒人奴隷の労働による
砂糖がもたらされ、17世紀末から18世紀末には金やダイヤモンドが
産出され、多くの金がポルトガルに運ばれました。 -
《1階エントランスホール》
(確認を忘れましたが)描かれているのは「ブサコの戦い」で
ナポレオン軍を撃破した英国のウェリントン将軍だと思います。
※「ブサコの戦い」
1810年、イベリア半島征服をもくろむナポレオン軍の3度目の侵攻に対し、ウェリントン将軍率いるイギリス・ポルトガル連合軍の攻防戦がこのブサコの地で繰り広げられ、ナポレオンの侵略は失敗に終わりました。
※ナポレオン VS ウェリントン
皇帝ナポレオンが生涯に四度戦い、一度も勝つことの出来なかった唯一の相手がウェリントン将軍だったとか。
ともに1769年生まれの二人は永遠のライバルで、武勇を誇ったナポレオンに対し、知将として知られたウェリントン(後の初代ウェリントン公爵)は晩年にイギリスの首相を2度務めました。 -
《1階エントランスホール》(奥の階段下の部屋)
背後のアズレージョにも「ブサコの戦い」が描かれています。
次の2組の写真(その1、その2)です↓ -
「ブサコの戦い」が描かれたアズレージョ(その1)
-
「ブサコの戦い」が描かれたアズレージョ(その2)
-
1階の階段脇に描かれているのも「ブサコの戦い」だと思います。
-
《エントランスホールに隣接するバーラウンジ》
ここでお茶やスイーツなどをいただけます。 -
《東側の列柱廊》
ホテル到着時に正面に見えた列柱廊で、
バーラウンジからアクセスできるテラス席になっています。 -
《東側の列柱廊》
北側の列柱廊と同様に、見事なアズレージョの数々で
飾られています。 -
《東側の列柱廊》のアズレージョ
恋人を待っているのかしら…
こちらもお気に入りの1枚です。 -
《東側の回廊》のアズレージョ
インド象が隅に描かれており「インド攻略」が題材のようです。
(テラス席の椅子がちょっとお邪魔でした) -
《東側の回廊》のアズレージョ
こちらは「セウタ攻略」でしょうか… -
《東側の回廊》のアズレージョ
ポルトガル船団を指揮する戦いの神でしょうか… -
今度はホテルの外に出て、ぐるっと西側に回ってきました。
(背後にホテルの建物が見えています)
ブサコ・サンタクルス修道院です。 -
《ブサコ・サンタクルス修道院》
白とこげ茶色の丸い石で描かれたカルメル派特有の
モザイク模様が見られます。 -
「ブサコの戦い」の際にはウェリントン将軍率いる連合軍が
修道院を基地として滞在したそうです。 -
ホテルの庭園側にやって来ました。
-
半六角形に張り出したテラスは
ホテルのダイニングに隣接しています。 -
ちょうど薔薇の美しい季節でした。
-
宮殿には優雅な白鳥がふさわしいと思ったのに
翌朝見た時には草むらに座り込んでいて
ちょっとイメージが崩れたかも!?(笑) -
ホテルはブサコ国立公園の105ヘクタールもの
広大な森に囲まれています。
大航海時代に世界の7つの海から航海士たちが持ち帰った
各大陸の木々が植えられているのだとか。
一番の高台にあるというクルス・アルタ "Crus Alta" の
展望台を目指して行ってみることにしました。
でも写真のような山道が延々と続き、迷いそうなので
途中で断念しました。ブサコ国立公園 国立公園
-
ホテルまで戻ってくると、たくさんのバイカーたちと
コスプレの男性たちがいて驚きました!
何事かとお聞きすると、年に一度の
ポルトガル縦断のバイクレースの日だそうで
今日の最終目的地がここブサコとのことでした。
コスプレのお二人は運営側の、ライダーたちを
出迎えるお役目のようでした。 -
両脇のお二人は将軍、中央は修道士の衣装でしょうか。
(時刻は午後6時半過ぎ) -
午後8時半頃、お夕食にホテルのダイニングに
やって来ました。
窓や出入口の周囲はマヌエル様式の装飾で縁どられ
天井はムデハルチックな寄木造り。
壁面には歴史的場面などが描かれています。
当時の宮殿生活を彷彿させる壮麗な空間です☆彡 -
(ダイニング)
「ブサコ パレス ホテル」には2004年5月に
(日本の)皇太子殿下が2泊され、こちらのダイニングで
お食事をされたそうです。
5月14日のデンマーク皇太子殿下の結婚式ご参列と
5月22日のスペイン皇太子殿下の結婚式ご参列の合間を縫って
ポルトガルを訪問され、滞在されたとのことです。 -
(ダイニングの寄木造りの天井)
エリザベス女王とエディンバラ公(フィリップ王配)の
昼食会が催されたこともあったそうです。
王制が廃止になった後は、国王付きだったシェフが
こちらのレストランで腕を振るったとも伝えられています。
エピソードに尽きることのない歴史あるレストランですね。 -
(左上)前菜のフィッシュスープ、
コリアンダーとガーリッククルトン添え
(右上)前菜の海老のソテー、
パッションフルーツのビネグレットソース添え
(左下)メインのブラックオリーブをまぶした干しダラのグリル、
セロリのピューレ、ガーリック風味のキャベツソテー、
トマトのコンフィ添え
(右下)イワシのエンパナーダとリゾット、
タイムとガーリック風味のグリル野菜添え -
(左)アイスクリーム盛り合わせ
(右)パンナコッタのサワーチェリーソース添え
お食事はとても美味しかったですし
サービスも丁寧で素敵なディナーを堪能しました。 -
レセプション付近に並んでいた「ブサコワイン」
1917年に Alexandre de Almeida 氏がホテルを購入すると
ワイン造りにも着手し、宿泊者だけが口にできる門外不出の
ワインは「幻のワイン」と呼ばれたとか。
(現在はわずかな本数がブラジルやドイツにもワイン業者を通じて
売られており、先日日本のサイトでも数本の単位で売られているのを
見つけました)
とはいえ、かなりの限定販売ですのでワイン好きの方は
是非ともレストランでブサコワインをお試しください。
ホテルのレセプションでも購入可です。
かつては足踏み方式でこの地で造られていたワインは
支配人によると現在はここで造っているわけではなく
ドウロやダンなどの近隣のワイン生産地で醸造しているそうです。
(ブサコワインはワイナリーからブランドとして変換を遂げたようです)
赤白それぞれ年間1万本のみの製造だそうですので
ホテル宿泊の際には是非! -
(写真上)2階の階段上のホール
(写真下)お部屋に向かう途中の廊下 -
(翌朝)
ダイニングに隣接したテラスでは
良い季節にはお食事もできます。 -
開放感がありながらも優雅な空間です。
-
テラスのアーチ越しに
庭園とブサコの森を眺めて。 -
そのテラスを外側から見ると、こんな感じになっています。
ガーゴイルや彫像まで付いてて盛りだくさん! -
朝食も昨晩と同じダイニングでいただきます。
-
朝食ビュッフェは5つ星ホテルとしては
それほど豪華とは言えませんが
料金設定も手頃(スーペリアダブルで197ユーロ)なので
コスパは悪くないと思います。
それに何と言っても、この優雅な空間でいただく朝食は
最高に素敵です☆彡 -
オムレツを作っていただきました。
ホテルの朝食が大好きなのですが
ブサコ・パレスの朝食も思い出に残るものとなりました♪ -
再び、お庭に行ってみましょう。
マヌエル様式の列柱とアーチの連続は
全くもって見事です! -
列柱廊のアズレージョも本当に素晴らしいです!
-
幾何学模様に刈り込まれたトピアリーを
庭園側(写真上)と2階(写真下)から眺めて -
薔薇とマリーゴールド(かしら?)が
お庭に彩りを添えていました。 -
気がつくと、観光バスが数台到着し
あっという間にお庭は観光客だらけに!
(ホテル館内は宿泊者しか入れませんが
お庭は自由に出入りできます) -
左側部分の3階の窓の周囲を
15の王家の紋章が馬蹄形に取り囲んでいます。 -
池の水面にゆらゆらと儚げに映る宮殿は
終焉を迎えた王家の運命と重なるかのよう。。。 -
昨日、山道を途中まで登り断念した
クルス・アルタ展望台(写真上)に車でやって来ました。
パーキングから歩いてくる途中、(断念した道が)この道に
続いていたのかなと思える山道(写真下)がありました。 -
標高541mの展望台からは、ブサコの森のはるか彼方の
地平線まで見渡すことができました。 -
ポルトガル王家の栄枯盛衰を物語る宮殿ですが
その壮麗な佇まいは今でも宮殿としての風格を漂わせています。
ホテルに転用されて間もない第二次世界大戦中には
中立の立場を守ったポルトガルへの亡命者や
情報を求めて暗躍したスパイも滞在していた、などという
まことしやかなお話も…。
歴史という重みを携えたブサコ宮殿ホテルでした。
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