
2016/06/08 - 2016/06/08
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sanaboさん
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この旅行記のスケジュール
2016/06/08
この旅行記スケジュールを元に
バターリャはリスボンから北西に約120キロの小さな町で
『バターリャ』とはポルトガル語で『戦い』を意味します。
1385年にポルトガルの王位継承を巡る隣国カスティーリャとの戦いに
奇跡的に勝利しポルトガルの独立を死守したジョアン1世により
聖母マリアに感謝を捧げるため、修道院建設が開始されました。
正式名称は「勝利の聖母マリア修道院 "Mosteirode Santa Maria da Vitoria"」で
ポルトガルの勝利と独立の象徴です。
7人の王と15人の建築家に引き継がれた修道院建設は16世紀半ばに中断され
天井が未完成のままで終わった『未完の礼拝堂』からは、空を仰ぐことができます。
壮大で華麗な建物はポルトガルにおける後期ゴシック建築の傑作で
マヌエル様式やフランボワイアン様式、ルネサンス様式などの融合が見られます。
1983年に世界遺産登録されています。
~・~・~・~・~・~ 旅 程 ~・~・~・~・~・~
6/02(木) 成田発11:40(JL415)⇒パリCDG着17:10(乗り継ぎ)
CDG発20:50(AF1124)⇒リスボン着22:20 《リスボン泊》
6/03(金) リスボン・ベレン地区観光 《リスボン泊》
6/04(土) リスボン市内観光 《リスボン泊》
6/05(日) シントラ&ロカ岬観光 《リスボン泊》
6/06(月) ※リスボン市内でレンタカー・チェックアウト
リスボン→オビドス 《オビドス泊》
6/07(火) オビドス→アルコバサ→ナザレ 《ナザレ泊》
★6/08(水) ナザレ→バターリャ→ファティマ 《ファティマ泊》
6/09(木) ファティマ→コインブラ 《コインブラ泊》
6/10(金) コインブラ→ブサコ 《ブサコ泊》
6/11(土) ブサコ→アヴェイロ→ポルト空港(※レンタカー返却)
→ポルト市内へ移動 《ポルト泊》
6/12(日) ポルト市内観光 《ポルト泊》
6/13(月) ポルト市内観光 《ポルト泊》
6/14(火) ポルト発12:35(LH1177)⇒フランクフルト着16:10(乗り継ぎ)
フランクフルト発19:20(JL408)⇒(機中泊)⇒
6/15(水) 成田着13:40
(旅行時 1ユーロ≒119円)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- エールフランス JAL ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今日はナザレを発ち、バターリャ修道院を見学後
ファティマで1泊します。
(この旅行記はナザレからバターリャまで) -
修道院に隣接する教会を南側の広場から見ています。
全景写真だと大きさが分かりづらいのですが・・・↓バターリャの修道院 寺院・教会
-
人の姿と比べると、壮大な建築物であることが
お分かりいただけるかと思います。
(左側の突き出た部分は『創設者の礼拝堂』) -
『創設者の礼拝堂』
創設者(=ジョアン1世)の家族の墓所です。 -
修道院南側の広場に立つ『アルヴァレスの騎馬像』
14世紀末、国王フェルナンド1世が王位継承者を残さずに
亡くなりました。
一人娘のベアトリス王女はカスティーリャ王に嫁いでおり
ポルトガルの王位継承をもくろんだカスティーリャ王が
ポルトガルへ攻め込んできました。
これをわずかな兵で迎え撃ち、奇跡的な勝利を遂げたのが
ジョアン1世(※)でした。
この戦いは「アルジュバロータの戦い」として知られています。
(アルジュバロータはバターリャ近郊の地)
その時のポルトガル軍の武将が騎馬像の
ヌーノ・アルヴァレス・ペレイラで、地元の英雄です。
※ジョアン1世はフェルナンド1世の異母弟で、エンリケ航海王子の父王です。ポルトガル王国アヴィス王朝の始祖で、ポルトガルの全盛期の基礎を築き上げました。 -
修道院付属教会ファサード(右側は『創設者の礼拝堂』部分)
-
修道院付属教会ファサード
-
ファサードのポータル(入口)
扉口の両側には12使徒の像が並んでいます。
その上のアーチ部分は、旧約聖書に登場する王や天使、
預言者や聖人などの78体の像で飾られています。 -
(ズームで)
-
(ズームで)
-
扉口上部にはキリストが聖母マリアに冠を授ける
『聖母戴冠』が描かれています。 -
(教会内部)
身廊の高さは約32m、奥行き約80mと
ポルトガルでも1、2の規模を誇ります。 -
入口方向を振り返って
-
入口上部のステンドグラスの窓
-
身廊の両側に側廊を備えた三廊式です。
-
教会内部はシンプルですが
リブ・ヴォールト天井へと伸びる支柱の装飾と
ステンドグラスが際立っています。 -
ポルトガルでステンドグラスを初めて採用したのが
バターリャ修道院だそうです。 -
側廊にステンドグラスの色合いが映りこんでいます☆彡
-
内陣の天井を見上げて
-
内陣に豪華な祭壇などはなく
中央にキリストの磔刑像が象徴的に置かれています。 -
キリスト像の両側には
聖フランシスコと聖ドミンゴスの像が。 -
ステンドグラスを通した光がキリスト像に当たり
青や緑、紫やオレンジ色に染まっています。
光の加減や時間帯により色合いが変化し
命が吹き込まれているかのように感じられます。 -
崇高で神秘的な磔刑像です。
十字架には「I.N.R.I.」の銘板が架けられています。
「I.N.R.I .」はラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の
頭字語で、日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳され、
「イエスが自らを神の子でありユダヤ人の王であると称し、神を冒涜した」という罪状を意味しています。
古代の磔刑では、処刑場に引かれていく罪人の首には罪状を書いた銘板が
ぶら下げられ、その銘板は磔刑時に十字架上に架けられたのだそうです。 -
流血が痛々しく、信者の方々の目には
より一層衝撃的に映ることでしょう。 -
内陣奥のステンドグラスには
聖母マリアとキリストの生涯が描かれています。 -
内陣奥のステンドグラス
-
『創設者の礼拝堂』(Capela do Fundador)
教会に入ってすぐ右手にある、ジョアン1世と家族の墓所。
(1426年~1434年にかけて建造されました)
創設者のジョアン1世がポルトガルの王位継承を巡るカスティーリャとの戦いに敗れていたら、ポルトガルはカスティーリャ(後のスペイン王国)に併合され、このバターリャ修道院も存在していなかったことでしょう。
ポルトガルの独立を守ったジョアン1世は英雄であり、バターリャ修道院はポルトガルの独立の象徴として大きな意味を持っています。 -
『創設者の礼拝堂』"Capela do Fundador"
部屋の中央にはジョアン1世と王妃フィリパ・デ・ランカスターの
棺が置かれています。(王妃は英国ランカスター家の出身です) -
『創設者の礼拝堂』"Capela do Fundador"
棺の上にはジョアン1世と王妃の横たわる像が。
(手前がジョアン1世) -
『創設者の礼拝堂』"Capela do Fundador"
手前はローブに身を包んだ王妃フィリパ・デ・ランカスターの像 -
『創設者の礼拝堂』"Capela do Fundador"
お二人の像を頭側から見ると、手を繋いでいるのが分かります。
ジョアン1世で思い出すのが「善意のキス」のエピソード。
シントラ編でご紹介しましたが、女官にキスしているところを
王妃に目撃され、「(浮気ではなく)善意によるキスだった」と
言い訳したジョアン1世でした。
お二人仲良く眠る姿に、ちょっと安心したりして(´艸`*) -
『創設者の礼拝堂』"Capela do Fundador"
フランボワイアン様式とイングランドの垂直様式の
調和が見られる八角形の空間です。 -
『創設者の礼拝堂』"Capela do Fundador"
ステンドグラスには王家の紋章も。 -
『創設者の礼拝堂』"Capela do Fundador"
星型のリブ・ヴォールト天井部分は、1755年の
リスボン大地震で天井が崩壊したため、のちに再建。 -
『創設者の礼拝堂』"Capela do Fundador"
周囲の壁面にはジョアン1世の息子たちや
歴代のアヴィス家の王たちのお墓が。 -
『創設者の礼拝堂』"Capela do Fundador"
ジョアン1世の息子の一人、エンリケ航海王子のお墓です。 -
父ジョアン1世と共にアフリカのセウタを攻略し
ポルトガルの世界進出の第一歩を築いたエンリケ航海王子は
パトロンとして海洋探検家らを援助・指導したことでも知られています。
リスボンの『発見のモニュメント』の先頭に立つエンリケ航海王子は
今この場所で永遠の眠りに就いているのですね。 -
『創設者の礼拝堂』"Capela do Fundador"
賑やかな一団がやって来たと思ったら
どうやら課外授業の生徒さんたちのよう。
中世の聖職者(修道士)の衣装を身に纏った方たちの解説に
子供たちが熱心に耳を傾けていました。 -
『創設者の礼拝堂』"Capela do Fundador"
落ち着いた色合いのステンドグラスが素敵☆ -
『王(ジョアン1世)の回廊』"Claustro Real"
教会の北側に隣接する修道院内へ入って来ました。
※教会に入ってすぐ左手のところに
修道院のチケット売り場とその入口があります。
教会は入場無料ですが、修道院は有料(6ユーロ)です。 -
『王(ジョアン1世)の回廊』"Claustro Real"
『王の回廊』は当初は簡素なゴシック様式でしたが
約100年後にジェロニモス修道院を手掛けたボイタックにより
アーチ部分にマヌエル様式の狭間飾りが施されました。
***マヌエル様式***
マヌエル1世(在位1495年~1521年)の時代に発達した
後期ゴシック建築と合体したポルトガル独自の装飾様式です。
マヌエル1世の統治下でインド航路が開拓され、東方交易による
巨万の富がつぎ込まれ、装飾性豊かで壮麗な建造物が造られました。
船のロープや天球儀、胡椒の実など海洋や新大陸をテーマにした
モチーフの過剰なまでの装飾が特徴です。
マヌエル様式の代表的建造物は、この『バターリャ修道院』のほかに
『ジェロニモス修道院』『ベレンの塔』などがあります。 -
『王(ジョアン1世)の回廊』"Claustro Real"
マヌエル様式の繊細な装飾が
壮麗な雰囲気を醸し出しています。 -
『王(ジョアン1世)の回廊』の狭間飾り
中央の十字架はエンリケ航海王子の紋章です。 -
『王(ジョアン1世)の回廊』の狭間飾り
(中央の)天球儀はマヌエル様式の典型的なモチーフのひとつで
ポルトガルが大航海時代に世界を席巻したことを示唆しています。 -
『参事会堂』"Sala do Capítulo"
『王の回廊』の東側に隣接しています。
交差リブ・ボールトにより支えられた部屋には柱が1本もなく
建設当時は天井が落ちるのではないかと騒がれたのだとか。 -
『参事会室』"Sala do Capítulo"
現在は第一次世界大戦とアフリカの植民地争いで命を落とした
無名戦士の墓があり、衛兵により守られています。 -
『参事会室』"Sala do Capítulo"
第一次世界大戦の記念碑 -
任務中の衛兵お二人(写真上)は凛々しいお顔つきですが
スタンバイしてらした衛兵の方たち(写真下)は
人懐っこい笑顔を見せて下さいました。 -
『参事会室』"Sala do Capítulo"
キリストの受難が描かれたステンドグラスは必見です。
(1508年制作) -
『参事会室』"Sala do Capítulo"
キリストの「磔刑」や「十字架降下」の場面が
色鮮やかなステンドグラスに描かれています。 -
『王の回廊』から望む教会の尖塔
昨日訪れた「アルコバサ修道院」はシト―修道会でしたが
「バターリャ修道院」はドミニコ修道会。
ドミニコ修道会の教会は鐘楼を持たないのが特徴だそうで
この教会にも鐘楼はありません。 -
『王の回廊』の北西の角にある『洗盤』
かつての食堂(修道士たちが一同に会して食事をした部屋)付近にあり
手を清める際に使用されたと思われます。 -
『洗盤』
彫刻の細部がユニークで面白かったです。
泉水に浮かぶ白い大理石(?)の彫刻には
なぜか全裸の女性たちがくつろぐ姿が!? -
『博物館』(Museu)
かつての食堂だった場所に、現在は博物館として
無名戦士に捧げられた品々や武器などが展示されています。バターリャ修道院博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
『アフォンソ5世の回廊』(Claustro de D. Afonso Ⅴ)
『王の回廊』の北側に隣接する、15世紀のゴシック様式の回廊です。
『王の回廊』に比べ、より簡素な印象です。 -
『アフォンソ5世の回廊』(Claustro de D. Afonso Ⅴ)
衛兵の交代に向かう兵士たちが行進してやって来ました。
(真ん中は先ほど笑顔でお写真を撮らせて下さった方)
シャッターを押すタイミングが悪くて
皆さん、左手が招き猫状態になってしまいました~(^^ゞ -
(左側は教会とその南翼廊で、右側は『未完の礼拝堂』部分)
最後に教会の東側に隣接する『未完の礼拝堂』を見学しますが
『アフォンソ5世の回廊』から一旦外に出て
『未完の礼拝堂』北側にある入口から入ります。 -
『未完の礼拝堂』"Capelas Imperfeitas"
ジョアン1世の息子ドゥアルテ1世により、1437年に
(『創設者の礼拝堂』に次ぐ)第二の霊廟として建設が開始されました。
その後100年ほど建設が続けられましたが、16世紀半ばに
ジョアン3世により礼拝堂の建設中断が決定され、現在に至っています。
中断の理由は、1502年にマヌエル1世により建設が始められた
リスボンのジェロニモス修道院建設が優先されたためのようです。 -
『未完の礼拝堂』"Capelas Imperfeitas"
礼拝堂にはドゥアルテ1世と王妃レオノール・デ・レオンの
二人が埋葬されています。(写真下部にその棺が) -
『未完の礼拝堂』"Capelas Imperfeitas"
空を仰ぐと、八角形に切り取られた青空が見えま~す♪
建設が中断された修道院でドミニコ修道会の活動は続けられましたが
1834年の政府による修道会解体命令により修道会は解散し
修道院としての役目を終えました。
一時は廃墟と化したバターリャ修道院ですが、のちに修復が進められ
1983年に世界遺産登録されました。
建設期間が長期に渡ったため様々な建築様式が融合しており
ポルトガルのかつての栄華や歴史的変遷に想いを巡らせながら
興味深く見学することができました。 -
(写真上)土産店で売られていたマグネット
ポルトガルではイワシのモチーフをよく見かけました。
(写真下)購入したオリーブ用の小皿
左側の窪みにオリーブを入れ、右側は種入れなのだそう^^
それではバターリャを後にし、ファティマへ向かいましょう。
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