2016/06/15 - 2016/06/24
559位(同エリア2054件中)
ポポポさん
旅行5日目です。スプリットを出発し236㎞離れたドブロヴニクに向かいました。
朝から降りだした雨は激しく降り続けましたが、城壁の町ストンに着くころには小雨になり、ドブロヴニクでは薄日が差すほどに回復してくれました。
ドブロヴニクはジブリの「紅の豚」や「魔女の宅急便」のモデルになり、「アドリア海の真珠」とたたえられる町です。
オレンジ色の屋根はアドリア海の青い海に映えとても美しかったです。
今日は半日ドブロヴニクの観光を楽しみました。
5日目
スプリット ~ ストン ~ ドブロヴニク(泊)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
レストランの朝食です。今日も朝から食欲は旺盛です。あ、ジュースが無かった。ジュースを取ってこよう。
と、こんな調子で5日目がはじまりました。
この日は前日と打って変わって朝から天気が悪いんです。天気予報だと午前中は雨。6月になると気候が安定して毎日晴天のはずですが、やはり今年は春先から異常気象のようです。
ともあれ今日はドブロヴニクまで236キロメートルをバスで南下します。バスの右側の車窓には美しいアドリア海の風景がひっきりなしに飛び込んで来るんですが、今日はその風景は拝めそうもありません。
私たち一人参加組みはバスの左側の席ですから、はなから美しい景色は望むべくもないんですが、それでも時々見えることがあるんで雨となれば残念でなりません。
ともかく今にも雨が降り出しそうななか、スプリットを出発しました。MONDO ホテル
-
海賊の隠れ家があった町オミシュです。
中世の時代にはアドリア海で暴れまわった海賊の根拠地でヴェネチアの船を恐れさせていました。12世紀から15世紀まではヴェネチアの支配に反対する勢力の巣窟にもなっていたそうです。
町の中を流れるツェティナ川はアドリア海に注いでいます。船を襲った海賊はツェティナ渓谷を遡り上流の渓谷に逃れて姿をくらましていたそうです。
写真はツェティナ川とV字形の渓谷の風景ですが、カメラを構えるのが遅れてしまい渓谷の入り口を撮り逃がしてしまいました。
またオミシュの沖にはブラチュ島をはじめいくつもの島があって外洋から直接見えないため、海賊の根拠地にするには格好の場所だったようです。 -
雨が激しく降ってきました。天気予報どおりです。午前中はバスの移動時間なので雨が降ってもいいのですが、午後はドブロヴニクの観光なので雨は上がってほしいと思います。
さて、ここはネレトヴァ川の下流域でクロアチア屈指のオレンジやレモンの栽培地です。ネレトヴァ川はボスニア・ヘルツェゴヴィナから流れてくる川で、アドリア海に注ぎ込む河口は広大なデルタ地帯を形成しています。
本流から何本も水路を引き込んでいるので、高台からながめるとパッチワークのように見えます。 -
この柑橘類の栽培地を通る道路沿いには柑橘類の直売店の露店がいくつも道端に並んでいます。
この日は雨が激しく降っていたので店を開けている露店は少なかったのですが、石灰岩が多い大地のなかでここは一面緑に覆われていて、心が和みました。 -
ボスニア・ヘルツェゴビナとの国境です。ボスニア・ヘルツェゴビナは一部の土地がアドリア海に面しているので、ドブロヴニクに陸路で行くには一度クロアチアからボスニアに入国し、再度クロアチアに入国し直してドブロヴニクに行くことになるのです。
つまりドブロヴニクはクロアチアの飛び地になっているんです。 -
途中昼食を取るためストンの町に寄りました。
ストンはドブロヴニクの手前にある町で、城壁と塩田と牡蠣で有名な町です。町を囲むように約1キロメートルの城壁が張り巡らされているんです。さらにこの城壁は隣町のマリストンという町まで続き、総延長は5キロメートルに達します。欧州では第2位の長さあと言うことです。
ストンでは製塩が盛んで、中世においては金と同等量として取り扱われるほど貴重な品でした。ドブロヴニク共和国に属していたストンは、塩田をオスマン・トルコやヴネチア共和国の攻撃から守るために1333年から1506年にかけて城壁を築きました。
また牡蠣の養殖でも有名な町です。
この町は観光する予定の町ではないため、添乗員さんから何の説明もありませんでした。
従って、この町の城壁が塩田を守るために築かれた事を知ったのは後日になってからでした。ストンの街 旧市街・古い町並み
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城壁の全景です。城壁は山を越えてさらに奥にあるマリ・ストンの町まで伸びています。
ストン城壁 史跡・遺跡
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町中にあるレストランに向かいましょう。
ストンの街 旧市街・古い町並み
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レストランに到着しました。テラス席は中国人のツアー客で満杯でした。このレストランは東洋人受けしているのでしょうか?
それとも現地のツアーの催行業者が一緒なんでしょうか? -
レストラン「バクス」です。予約されている席は店内でした。
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前菜は事前に予約していた生ガキです。
この生ガキは抜群に美味しかったですね。養殖の牡蠣ですが、日本で食べる牡蠣とは種類が違い平牡蠣と言われる種類です。ちなみに日本産は真牡蠣です。
レモンを搾って食べてみると日本で食べる牡蠣よりはるかに美味しかったです。これはお勧め。 -
メインはイカ焼きに野菜添えです。海沿いの町なので魚介類の料理が多いのでしょうが余り代わり映えがしません。美味しくない訳ではないんですが、それなりでした。
というより、生牡蠣が美味しすぎました。 -
レストランを出ると雨が降ってきました。ツアーの皆さんと三々五々駐車場に向かいました。
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駐車場に向かう途中にあった聖ヴラホ教会です。聖ヴラホはドブロヴニクの守護聖人です。ドブロヴニク共和国に属していた時代に建てられた教会で、その時代にはドブロヴニク共和国府をはじめ学校や慈善施設や孤児院等が造られました。
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この道を真っ直ぐ進んだ所に城壁の入口があります。
ストン城壁 史跡・遺跡
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城壁のストヴシ要塞です。
ストン城壁 史跡・遺跡
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イチオシ
再び城壁の全景が見えるところに来ましたが、まだ時間が時間があるので周囲を散策することにしました。
ストンの街 旧市街・古い町並み
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町の南側で塩田を守るために造られた大要塞です。この要塞は修復工事中でした。
道路側の要塞はかなり古いものでした。ストンの街 旧市街・古い町並み
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大要塞の壁に飾られている聖ヴラホの石像です。
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大要塞の南側の城壁は修復中でした。なお、この大要塞の道路沿いをもう少し進めば塩田があったのですが、この時はそんなことは全く知りませんでした。
事前の勉強不足でした。 -
ツアーの皆さんを視界に入れながら散策していましたが、動き始めたので駐車場に集合。
ストンを後にしました。ストン城壁 史跡・遺跡
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ドブロヴニクに到着するまで、バスの右側の車窓には美しいアドリア海と透き通った入江の港町、赤瓦と白色の壁に青い空と青い海、緑の木々と白浜などたとえようもないくらいに美しい景色が次々に現れては過ぎ去って行くはずでした。
今も脳裏にその美しさとその時の感動が刻み込まれているんですが、今回の旅行では雨に祟られてしまい、残念ながらその素晴らしさを経験することができませんでした。
7日目、モスタルに行く途中で同じ道をバスは走るはずですから、晴れてくれることを祈るばかりです。特にバスの左側からアドリア海を望むことになるので、是非とも晴れてほしいとおもいました。
今日は座席が左なので景色は山や林ばかりです。ドブロヴニクの手前にある橋さえ左からは見えませんでした。
写真は橋を渡る時の左側の風景です。(ドブロヴニクの町ではありません。) -
橋を渡ると右側にはドブロヴニクの港があり港の向かいの半島には新市街の街並みが見えてきました。
写真は右側の車窓越しの新市街の様子です。
なお、バスは新市街の山手の道を旧市街に向けて走っていきました。 -
ドブロヴニクの城壁に到着しました。
城壁の側でバスを下車しピレ門に向けって歩いて行きました。ドブロブニク城壁 史跡・遺跡
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城壁沿いに道路が通っていて車が通行できるようになってます。その横の歩道を通ってピレ門に向かいました。
雨が上がりましたが、曇り空に薄日が射す程度なので、暑さは感じませんでした。丁度歩くにはいい天気でした。 -
ピレ門が見えるところまで来ると、城壁の下の堀は埋め立てられていて、その跡地は子供用の遊具が設置された小さな公園になっていました。
昨年も同じ道を歩いたはずなんですが、こんな光景は今回初めて気が付きました。ドブロブニク城壁 史跡・遺跡
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ピレ門に架けられている橋です。橋脚は工事中のようですね。元々この橋は堀にかけ渡されていて、外敵が攻めてきた時は引き上げるようになっていました。
現在は門の中に跳ね橋と引揚機、橋に取りつけてある鎖があるだけですが、門に架けられた橋はコンクリート製で固定されているようですね。Pedestrian Bridge 建造物
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ピレ門です。この門が旧市街に入る表門です。
ではガイドさんと添乗員さんの後について城塞の中に入りましょう。ピレ門 史跡・遺跡
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ピレ門の内部の壁には写真のようなクロアチア独立戦争の傷跡を示す地図がありました。
1991年、クロアチアがユーゴスラビア連邦共和国からの独立を宣言すると、クロアチア国内に居住し独立に反対するセルビア人勢力及びユーゴスラビア連邦共和国とクロアチアトの間で内戦が勃発しました。
そして1991年12月6日、突然スルジ山から多数の砲弾が浴びせられました。ユーゴスラビア連邦軍はスルジ山に大砲の陣地を構築し、ここに多数の砲列を敷いて眼下のドブロヴニクに対し砲撃を開始したのです。
その日一日にドブロヴニクに落とされた砲弾は2000発におよび、多数の人が犠牲になり、旧市街の美しい建物が破壊されました。
この地図はこの時に砲撃を受けた場所を示す地図なんです。
地図には砲弾が直撃した場所、焼失した家、屋根が落ちた場所、飛び散った破片で破壊された場所が詳しく示してあります。
砲撃後のドブロヴニクはユネスコの世界危機遺産にあげられました。
紛争終結後、修復の専門家や技師、ワルシャワの復興に関わったポーランドの専門家の援助、多くの市民のボランティアなどの手によって町の再建と修復作業が進められました。 -
ピレ門から入ると真っ先に目に飛び込んで来るのがオノフリオの噴水です。
修復中との情報がありましたが工事は完成していました。16個のレリーフが側面を飾り、レリーフの口から水が流れるようになっていました。この泉の水はスルジ山の北にある水源から上水道が引かれてきているそうです。オノフリオの大噴水 広場・公園
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旧市街のメインストリート、プラッツァ通りに面してフランシスコ会修道院があります。ここはその修道院の入口です。
この修道院には欧州で3番目に古い薬局があり現在も営業しているんです。明日自由行動の時に、寄ってみたいと思います。フランシスコ会修道院 寺院・教会
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フランシスコ修道院の入口のドアの上にはピエタ像のレリーフがありました。
フランシスコ会修道院 寺院・教会
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プラッツァ通りの脇からは小さな路地が山手に向かって伸びています。多くはこのようにレストランのテラス席として通路の一部が利用されていました。
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旧市街の街並み。
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1991年12月の砲撃で焼失した建物です。内戦終結後に修復されました。旧市内にはこのような建物が多数ありました。
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旧市街の通り。この通りにはセルビア正教会があります。
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セルビア正教会です。
セルビア正教会 寺院・教会
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聖母被昇天大聖堂です。この聖堂は元々ここにあったビザンチン時代のバジリカ教会を1192年にイギリス王リチャード1世(獅子心王)の資金援助の下にロマネスク様式で建て替えたものです。
しかし、1667年の大震災で崩壊してしまい、今は残っていません。現在の教会は1713年にバロック様式で再建されたものです。聖母被昇天大聖堂 寺院・教会
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大聖堂内のパイプオルガンです。
大聖堂の内部の壁は全て白色で統一されていて、身が引き締まるほどに神々しい印象でした。聖母被昇天大聖堂 寺院・教会
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側廊の祭壇です。
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主祭壇はヴェネチア派の巨匠ティツィアーノの「聖母被昇天」です。
残念ながら訪れた時は全面修復工事中でした。「聖母被昇天」がプリントされた白い布が天井から下ろされ、主祭壇は全く見る事はできませんでした。
そのため昨年6月に写した主祭壇の写真を載せておきます。
なお、主祭壇の左には宝物館があります。入り口から垣間見た中の様子は、金銀が光り輝いていました。お宝が詰まっているようです。聖母被昇天大聖堂 寺院・教会
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ティツィアーノの「聖母被昇天」です。
(27年6月の写真より)聖母被昇天大聖堂 寺院・教会
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ルジャ広場に面して建つ総督邸です。6つのアーチが美しい柱廊があります。アーチを支える7本の列柱の柱頭にはそれぞれ異なった見事なレリーフが施されたいます。
このレリーフを製作したのはミラノの彫刻家ピエトロ・マルティーニです。後にアルフォンソ王の宮廷やフランスの宮廷に招かれて名声を博した彫刻家です。
総督邸は執務室、住居部分のほかに裁判所、大蔵局、牢獄までもが置かれていました。
総督は貴族から選ばれましたが任期はわずか1カ月でした。その1カ月の間は公務で出かける以外は外出することは許されませんでした。この間は家族と離れて住み込みで執務しなければなりませんでした。
さらに、総督は名誉職のため無給で連続再選は禁止されました。
現在内部は博物館になっていて、入場料は共通券で100クーナです。総督邸 史跡・遺跡
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アーチを支える柱の柱頭にはそれぞれ異なったレリーフが施されていました。図柄が素敵なのでおもわす写真に撮ってしまいました。
総督邸 史跡・遺跡
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花がモチーフのレリーフ。
総督邸 史跡・遺跡
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これは人物。
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妖精(?)と植物。
バックの天井のアーチもいいですね。 -
角度を変えるとこんな図柄が現れました。
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天使となんだろう?
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人面と植物のデザインは面白い。
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これも植物でしょうか。黒く煤けていました。
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マリン・ドゥルジッチの像です。触れて鼻も手も膝も光ってピカピカになってました。この銅像を触ると何かいいことがあるんでしょうか。
マリン・ドゥルジッチはドブロヴニク出身の劇作家です。彼が手掛けた喜劇作品はルネッサンス期の最高傑作と評されているそうです。 -
総督邸の隣に建っている市庁舎です。
ここはかつてドブロヴニク共和国の議員達が集まった大評議会が置かれていました。大評議会は今の国会議事堂のような政治の中心機関で、この建物は共和国議会が置かれた旧評議場です。ドゥブロヴニク市庁舎 城・宮殿
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市庁舎の隣に並んでいるオノフリオの小噴水です。
オノフリオの小噴水 モニュメント・記念碑
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その隣にある博物館のような建物。中に入っていないので実際何の建物かは分かりません。
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ルジャ広場に面したスポンザ宮殿。
16世紀に税関や製品検査所として建てられました。その後は造幣局、財務省、国庫として使用されました。
その後文化人のサロンとなり、現在は古文書館となっています。1667年の大地震で被害を受けなかった数少ない建物の一つです。3階にはこの町の守護聖人聖ブラホ像が取り付けられています。スポンザ宮殿 城・宮殿
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ルジャ広場に立つローラント像です。
騎士ローラントはカール大帝の甥でイスラム教徒サラセン人のイベリア半島侵略に対抗して戦った騎士で、後世色々な伝説が生まれ都市の自由と独立の象徴とされ中世ヨーロッパでは町の真ん中に建てられることが多かったそうです。
この像の右手の肘から手までの長さ51.2センチが、当時の商取引に使う長さの単位の基準になっていました。
取引が公正になるように、公共の広場にある像の肘をあえて長さの単位に使ったのです。オーランドの像 モニュメント・記念碑
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ローラント像の土台部分にもこの肘の長さが物差しのように刻み込まれています。
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ルジャ広場。
ここで目につくのが1444年に造られた時計台です。この時計、かなり古いのですが今も時を刻んでいます。
太陽の形をした長針が1時間ごとの時間を示し、何分かを5分置きに数字が表示しています。ルジャ広場 広場・公園
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聖ヴラホ教会。
町の守護聖人聖ヴラホを祀った教会です。1667年の大震災で崩壊した教会の後に、1715年バロック様式で建てられました。主祭壇には銀製の聖ヴラホ像が置かれているそうで、左手には銀で造られて大震災以前のドブロヴニクの町を抱えているそうです。
聖ヴラホがこのような姿で表されるのはこの町が聖ヴラホによって守られていると考えられているからです。聖ヴラホ教会 寺院・教会
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屋根の上の聖ヴラホ像。
聖ヴラホ教会 寺院・教会
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時計塔の下のアーチを潜ればプロチェ門方面か旧港に出られます。
Bell Tower 文化・芸術・歴史
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旧市街プロチェ門を出た所にある検疫所です。
当初検疫所は町の沖にあるロクルム島に置かれましたが、17世紀には旧市街の外にも置かれました。ロクルム島だけでは処理しきれなくなったのでしょう。
ドブロヴニクほ長い船旅をしてきた商人が頻繁に出入りしたため、ペストが蔓延しやすい場所でもありました。
中世に欧州で大流行したペストはこの町でも猛威をふるったのです。そこでドブルヴニクでは島に隔離施設を設けました。ペストの潜伏期間である40日間は上陸を禁止されました。陸上の検疫所でも同様で同期間は町には入れませんでした。 -
旧港です。旧港には写真のようなミニクルーズ船の受付があり、呼び込み合戦が華やかに行われていました。
旧港 旧市街・古い町並み
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プロチェ門の外からながめた旧港と聖イヴァン要塞(現在は海洋博物館)の風景です。
晴れたら抜群に美しい場所なんですが天候が今一で残念です。旧港 旧市街・古い町並み
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旧港の風景。ここは写真の定番の場所なんですが、晴れてなくて残念です。
旧港 旧市街・古い町並み
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町の東の出入り口プロチェ門です。門の右にある高い石の構造物がレヴェリン要塞です。
プロチェ門 史跡・遺跡
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プロチェ門はピレ門ほど重厚な印象はありませんでした。しかしそれを補うように右にはレヴェリン要塞が大きく構えていました。
プロチェ門 史跡・遺跡
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レヴェリン要塞です。海と陸との守りとして造られているので要塞の先は鋭い刃物のように鋭角に造られています。勾配は急峻で何者も取り付くことができないようにしてあります。
要塞の壁には多くの大砲の狭間が設けられていました。レヴェリン要塞 建造物
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他の要塞に比べて極めて火砲を集中しており、プロチェ門と港の防備をいかに重視していたかが伺い知れます。
レヴェリン要塞 建造物
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