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ローマ遺跡が残る町プーラを観光し、次は初期ビザンチン美術の黄金のモザイクが残る世界遺産エウフラシウス聖堂の町ポレチュを観光しました。<br />ポレチュは2000年の歴史を誇る古い町で、現在はリゾート地として賑わっています。<br />街中にはローマ時代の古い通りや、ロマネスク洋式、ベネチアゴシック様式の歴史的価値ある建物が点在しています。<br />ではイストラ半島ポレチュの旅を始めましょう。<br /><br /> 3日目<br /><br /> オパティア 〜 プーラ 〜 ポレチュ 〜 ロヴィニ 〜 オパティア

クロアチア・スロベニ他10日間 リベンジの旅 5 ( ビザンチンの黄金のモザイクを訪ねて ポレチュ1 )

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2016/06/15 - 2016/06/24

23位(同エリア68件中)

ポポポ

ポポポさん

ローマ遺跡が残る町プーラを観光し、次は初期ビザンチン美術の黄金のモザイクが残る世界遺産エウフラシウス聖堂の町ポレチュを観光しました。
ポレチュは2000年の歴史を誇る古い町で、現在はリゾート地として賑わっています。
街中にはローマ時代の古い通りや、ロマネスク洋式、ベネチアゴシック様式の歴史的価値ある建物が点在しています。
ではイストラ半島ポレチュの旅を始めましょう。

 3日目

 オパティア 〜 プーラ 〜 ポレチュ 〜 ロヴィニ 〜 オパティア

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
グルメ
4.5
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
阪急交通社
  • ポレチュはアドリア海に面した港町でローマ時代からイストラ半島の政治的中心として栄えてきました。<br />ローマ時代以降はビザンチン帝国、ベネチア共和国、オーストリア・ハンガリー帝国の支配を受けましたが、特にベネチア共和国の支配が長かったため、この影響を多く受けた港町です。<br />アドリア海沿いの海岸線は本当に美しい。クロアチアの青い海と青い空、最高。

    イチオシ

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    ポレチュはアドリア海に面した港町でローマ時代からイストラ半島の政治的中心として栄えてきました。
    ローマ時代以降はビザンチン帝国、ベネチア共和国、オーストリア・ハンガリー帝国の支配を受けましたが、特にベネチア共和国の支配が長かったため、この影響を多く受けた港町です。
    アドリア海沿いの海岸線は本当に美しい。クロアチアの青い海と青い空、最高。

    ポレチュ港 海岸・海

  • 港には何隻ものクルーザーが停泊しています。ベネチア行きの船も停泊中でした。<br />アドリア海の向こう側はもうイタリアです。

    港には何隻ものクルーザーが停泊しています。ベネチア行きの船も停泊中でした。
    アドリア海の向こう側はもうイタリアです。

    ポレチュ港 海岸・海

  • 海岸沿いはカラフルな建物が並びリゾート感があります。

    海岸沿いはカラフルな建物が並びリゾート感があります。

    ポレチュ旧市街 旧市街・古い町並み

  • この建物はホテルだったかな?ガイドさんが説明して下さったので写真を撮ったのですが、どんな建物だったか記憶にありません。

    この建物はホテルだったかな?ガイドさんが説明して下さったので写真を撮ったのですが、どんな建物だったか記憶にありません。

  • ベネチア・ゴシック風の市庁舎。

    ベネチア・ゴシック風の市庁舎。

  • 円塔です。ポレチュの防衛拠点で、オスマントルコの侵入を防ぐためにヴェネチアが建てたそうです。現在はカフェになっていて、塔の上に看板がありました。

    円塔です。ポレチュの防衛拠点で、オスマントルコの侵入を防ぐためにヴェネチアが建てたそうです。現在はカフェになっていて、塔の上に看板がありました。

    ラウンド タワー 史跡・遺跡

  • ポルチェ旧市街を東西に走る港に面した通りです。<br />海沿いは遊歩道になっていてベンチが置いてあり、港にはイタリア行きの船が係留されていました。<br />通りに面して建っている建物はヴェネチア風のカラフルな色彩で、リゾート地にはぴったりでした。

    ポルチェ旧市街を東西に走る港に面した通りです。
    海沿いは遊歩道になっていてベンチが置いてあり、港にはイタリア行きの船が係留されていました。
    通りに面して建っている建物はヴェネチア風のカラフルな色彩で、リゾート地にはぴったりでした。

    オバラ マルサラ ティタ通り 散歩・街歩き

  • 旧市街を南北に走る通りの一つで、エウフラシス聖堂の入口に直接行ける通りです。通りの左右の建物の1階はいずれも店舗になっていました。

    旧市街を南北に走る通りの一つで、エウフラシス聖堂の入口に直接行ける通りです。通りの左右の建物の1階はいずれも店舗になっていました。

    Eleuterija通り 散歩・街歩き

  • アドリア海対岸のヴェネチアに向かう船や個人のクルーザーが係留されていました。<br />港の沖には島があるため、波が静かな良港のようです。<br />

    アドリア海対岸のヴェネチアに向かう船や個人のクルーザーが係留されていました。
    港の沖には島があるため、波が静かな良港のようです。

    ポレチュ港 海岸・海

  • 沖の島にはホテルがありました。このホテルは5つ星だとか。

    沖の島にはホテルがありました。このホテルは5つ星だとか。

  • 今日の昼食は海沿いのこのレストランです。2階の窓際の席からは紺碧のアドリア海が眺められるでしょう。

    今日の昼食は海沿いのこのレストランです。2階の窓際の席からは紺碧のアドリア海が眺められるでしょう。

    Sveti Nikola 地元の料理

  • レストランの入口左に立っている白い帽子の男性がガイドさんです。<br />レストランの2階席も利用していいとのことで、2階は早い者勝ちでした。私は後の方でしたので当然1階席でした。<br />風景は見れませんが、海風が吹き1階でも涼しかったです。

    レストランの入口左に立っている白い帽子の男性がガイドさんです。
    レストランの2階席も利用していいとのことで、2階は早い者勝ちでした。私は後の方でしたので当然1階席でした。
    風景は見れませんが、海風が吹き1階でも涼しかったです。

    Sveti Nikola 地元の料理

  • 前菜は魚のパテ。柔らかくて美味しい。

    前菜は魚のパテ。柔らかくて美味しい。

    Sveti Nikola 地元の料理

  • 添乗員さんの事前の説明ではメインは魚のシチューとのことでしたが、どう見ても魚のシチューではなさそうです。クロアチア風のブイヤベーかな?<br />皿にはムール貝と小さなイカ、白身魚の身のミンチを揚げたもの?写真では黄色く写っている物ですが、これが何か皆さん分からない。<br />味は淡白でまあまあと言ったところでした。

    添乗員さんの事前の説明ではメインは魚のシチューとのことでしたが、どう見ても魚のシチューではなさそうです。クロアチア風のブイヤベーかな?
    皿にはムール貝と小さなイカ、白身魚の身のミンチを揚げたもの?写真では黄色く写っている物ですが、これが何か皆さん分からない。
    味は淡白でまあまあと言ったところでした。

    Sveti Nikola 地元の料理

  • デザートはバニラアイスクリームでした。

    デザートはバニラアイスクリームでした。

  • 食事を終えてポレチュ旧市街の観光開始です。先程歩いてきた海岸通を引き返して旧市街に向かいます。<br />青い空で日射しは強いのですが、湿気が少ないので日本のように暑くはありません。<br />海岸沿いは海風が吹き、爽やかです。

    食事を終えてポレチュ旧市街の観光開始です。先程歩いてきた海岸通を引き返して旧市街に向かいます。
    青い空で日射しは強いのですが、湿気が少ないので日本のように暑くはありません。
    海岸沿いは海風が吹き、爽やかです。

    オバラ マルサラ ティタ通り 散歩・街歩き

  • カルド・マキシムス通りです。<br />旧市街の観光はこの通りから始まりました。この通りは南北を結ぶ古い通りです。<br />写真左の空地は、第二次世界大戦の時建物が連合軍の空爆で破壊されましたが、その後建て直されなかったので、そのまま空地になってしまったそうです。

    カルド・マキシムス通りです。
    旧市街の観光はこの通りから始まりました。この通りは南北を結ぶ古い通りです。
    写真左の空地は、第二次世界大戦の時建物が連合軍の空爆で破壊されましたが、その後建て直されなかったので、そのまま空地になってしまったそうです。

  • 丁度レストランのテラス席とその手前の空地一帯に建物が建っていたそうです。

    イチオシ

    丁度レストランのテラス席とその手前の空地一帯に建物が建っていたそうです。

  • カルドマキシムス通りに面して建っているズカートパレスです。<br />1階が石造りの壁で2階がレンガ造りの壁で、ツインカラーになっている珍しい建物です。<br />ヴェネチアン・ゴシック建築の特徴である2連アーチ窓が素敵な建物でした。

    カルドマキシムス通りに面して建っているズカートパレスです。
    1階が石造りの壁で2階がレンガ造りの壁で、ツインカラーになっている珍しい建物です。
    ヴェネチアン・ゴシック建築の特徴である2連アーチ窓が素敵な建物でした。

    ズカート パレス 城・宮殿

  • ズカートパレスが面しているカルド・マキシムス通りとデクマヌス通りはローマ時代の通りで、一部当時の道路が残っているそうです。<br />石畳が古さを強調しているようです。

    ズカートパレスが面しているカルド・マキシムス通りとデクマヌス通りはローマ時代の通りで、一部当時の道路が残っているそうです。
    石畳が古さを強調しているようです。

    ポレチュ旧市街 旧市街・古い町並み

  • ズカートパレスの隣の建物もヴェネチア建築様式の建物です。<br />ポレチュは500年以上もヴェネチアの支配を受けましたので、至るところでヴェネチアの影響を目にすることができます。

    ズカートパレスの隣の建物もヴェネチア建築様式の建物です。
    ポレチュは500年以上もヴェネチアの支配を受けましたので、至るところでヴェネチアの影響を目にすることができます。

  • ズカートパレスの2連アーチの窓。上下に取り付けてあり、趣があります。<br />

    ズカートパレスの2連アーチの窓。上下に取り付けてあり、趣があります。

    ズカート パレス 城・宮殿

  • デクマヌス通りの建物。デクマヌス通りはポレチュのメインストリートで素敵な建物が多いんです。<br />これは通り沿いで眼に付いた建物。ベネチアン・ゴシックの建物です。<br />

    デクマヌス通りの建物。デクマヌス通りはポレチュのメインストリートで素敵な建物が多いんです。
    これは通り沿いで眼に付いた建物。ベネチアン・ゴシックの建物です。

    Decumanus通り 散歩・街歩き

  • 1階は店舗でした。2・3階はベネチアン・ゴシックの2連窓や、ベネチア風窓。3階にはバルコニーが付いています。<br />きっと裕福な商人か貴族の館だったんでしょうね。<br />保存状態が良くて綺麗な建物でした。

    1階は店舗でした。2・3階はベネチアン・ゴシックの2連窓や、ベネチア風窓。3階にはバルコニーが付いています。
    きっと裕福な商人か貴族の館だったんでしょうね。
    保存状態が良くて綺麗な建物でした。

  • デクマヌス通り。石畳の道が歴史を感じさせます。

    デクマヌス通り。石畳の道が歴史を感じさせます。

    Decumanus通り 散歩・街歩き

  • エウフラシウス聖堂の入口にやってきました。この聖堂は黄金のモザイクが有名で世界遺産に登録されています。<br />門の上部には金のモザイクがありますが、これは聖堂のモザイクよりずっと後の時代に作られた物だそうです。<br />入口から真っ直ぐに入って行くとアトリウム(回廊)があります。

    エウフラシウス聖堂の入口にやってきました。この聖堂は黄金のモザイクが有名で世界遺産に登録されています。
    門の上部には金のモザイクがありますが、これは聖堂のモザイクよりずっと後の時代に作られた物だそうです。
    入口から真っ直ぐに入って行くとアトリウム(回廊)があります。

    エウフラシウス聖堂 寺院・教会

  • 聖堂内の案内図です。

    聖堂内の案内図です。

  • エウフラシウス聖堂の前の通りです。この通りを真っ直ぐに進むと海に出ます。

    エウフラシウス聖堂の前の通りです。この通りを真っ直ぐに進むと海に出ます。

    Eleuterija通り 散歩・街歩き

  • エウフラシウス聖堂の前を東西に延びている通りです。<br />この通りを進んで行くとスロボダ広場に出ます。道の両側には店が軒を連ねていて、繁華な通りです。

    エウフラシウス聖堂の前を東西に延びている通りです。
    この通りを進んで行くとスロボダ広場に出ます。道の両側には店が軒を連ねていて、繁華な通りです。

    Eufrazijeva通り 散歩・街歩き

  • 教会に入ると中の建物はアトリウム(回廊)で繋がっていて、建物で囲まれた空間はパティオ(中庭)を構成しています。<br />このアトリウムの教会は初期のバジリカで見られる建築様式ですが、現存する教会でこの様式が残っているのはまれで、そう言う意味からも大変貴重な教会なのだそうです。

    教会に入ると中の建物はアトリウム(回廊)で繋がっていて、建物で囲まれた空間はパティオ(中庭)を構成しています。
    このアトリウムの教会は初期のバジリカで見られる建築様式ですが、現存する教会でこの様式が残っているのはまれで、そう言う意味からも大変貴重な教会なのだそうです。

    ポレチュ歴史地区のエウフラシウス聖堂建築群 史跡・遺跡

  • この字形にアトリウム(回廊)が繋がっています。柱は大理石。こちら側は聖堂で反対側は洗礼堂と鐘楼があります。<br />聖堂、アトリウム、洗礼堂は6世紀の建物で、同時代の3点セットが当時のまま残り、一列に配置されています。<br />すなわち、1500年前の初期キリスト教時代の面影をとどめる建築物だということです。

    この字形にアトリウム(回廊)が繋がっています。柱は大理石。こちら側は聖堂で反対側は洗礼堂と鐘楼があります。
    聖堂、アトリウム、洗礼堂は6世紀の建物で、同時代の3点セットが当時のまま残り、一列に配置されています。
    すなわち、1500年前の初期キリスト教時代の面影をとどめる建築物だということです。

    エウフラシウス聖堂 寺院・教会

  • 聖堂上部の外壁にはモザイクがありますが、半分から上の方は未作成で未完の状態です。何故未完の状態にしたのかは分かっていないそうです。

    聖堂上部の外壁にはモザイクがありますが、半分から上の方は未作成で未完の状態です。何故未完の状態にしたのかは分かっていないそうです。

  • 聖堂の反対側には6世紀に建てられた洗礼堂と、16世紀に建てられた鐘楼がありました。<br />こちらの建物も入口にはアトリウム(回廊)がありました。

    聖堂の反対側には6世紀に建てられた洗礼堂と、16世紀に建てられた鐘楼がありました。
    こちらの建物も入口にはアトリウム(回廊)がありました。

    ポレチュ歴史地区のエウフラシウス聖堂建築群 史跡・遺跡

  • 洗礼堂の天井です。洗礼堂は八角形の建物で、天井も八角形になっていました。<br />

    洗礼堂の天井です。洗礼堂は八角形の建物で、天井も八角形になっていました。

  • 洗礼槽です。洗礼を受ける時この中に入って身を清めるそうです。<br />そういえば、私の大学時代の先輩でクリスチャンの人は、洗礼を受ける時にドボンと水に浸けられたと話されていたことを、この洗礼槽を見て思い出しました。

    洗礼槽です。洗礼を受ける時この中に入って身を清めるそうです。
    そういえば、私の大学時代の先輩でクリスチャンの人は、洗礼を受ける時にドボンと水に浸けられたと話されていたことを、この洗礼槽を見て思い出しました。

  • 洗礼堂の奥には洗礼盤と思われる物がありました。その横から次の部屋に入ると鐘楼に昇る階段があったので登りたかったのですが、ツアーのため無理でした。

    洗礼堂の奥には洗礼盤と思われる物がありました。その横から次の部屋に入ると鐘楼に昇る階段があったので登りたかったのですが、ツアーのため無理でした。

  • 洗礼堂を出て回廊を左に進んで石造りの建物に入りました。<br />そこには初期バジリカ時代のモザイクが展示されていたんです。初期のモザイクは床に施されていました。<br />そのように施されたモザイクがこの建物の中で展示されていました。

    洗礼堂を出て回廊を左に進んで石造りの建物に入りました。
    そこには初期バジリカ時代のモザイクが展示されていたんです。初期のモザイクは床に施されていました。
    そのように施されたモザイクがこの建物の中で展示されていました。

  • この様にレンガ造りの柱や壁に立て掛けて展示されていました。

    この様にレンガ造りの柱や壁に立て掛けて展示されていました。

  • ここでは小部屋に一枚だけ展示されていました。

    ここでは小部屋に一枚だけ展示されていました。

  • キリスト教のシンボル、魚のモザイクです。魚は初期のキリスト教徒が隠れシンボルとして用いていました。<br />ミラノの勅令以前、キリスト教徒は迫害を逃れるため信仰を公にできませんでした。そのため魚を隠れシンボルとして使用していました。<br />また、初期のキリスト教は偶像崇拝を禁止していたので、3〜5世紀の初期キリスト教ではイエス様や信仰を魚に置き換えて表現していたのです。<br />このモザイクは特に重要な物なんでしょう、他のモザイクとは分けられ格子の扉の部屋に保管してありました。

    キリスト教のシンボル、魚のモザイクです。魚は初期のキリスト教徒が隠れシンボルとして用いていました。
    ミラノの勅令以前、キリスト教徒は迫害を逃れるため信仰を公にできませんでした。そのため魚を隠れシンボルとして使用していました。
    また、初期のキリスト教は偶像崇拝を禁止していたので、3〜5世紀の初期キリスト教ではイエス様や信仰を魚に置き換えて表現していたのです。
    このモザイクは特に重要な物なんでしょう、他のモザイクとは分けられ格子の扉の部屋に保管してありました。

  • 建物の奥に行くほどモザイクが増えてきました。ビザンチン風の幾何学模様はこの時期まだありません。単純ですがそれはそれで素敵でした。

    建物の奥に行くほどモザイクが増えてきました。ビザンチン風の幾何学模様はこの時期まだありません。単純ですがそれはそれで素敵でした。

  • 色々なモザイクがあります。花模様もありました。数が多いので一部のみ写真に残しました。<br />後で分かったんですが、この建物は初期礼拝堂の一部で現在は博物館の別館になっているようです。

    色々なモザイクがあります。花模様もありました。数が多いので一部のみ写真に残しました。
    後で分かったんですが、この建物は初期礼拝堂の一部で現在は博物館の別館になっているようです。

  • 花模様の素敵なモザイクでした。

    花模様の素敵なモザイクでした。

  • 博物館を出ると、そこは広場のような場所でした。<br />ここは4世紀に建てられた教会の跡地です。周囲の壁と屋根が取り払われて現在はこのような空地になっています。

    博物館を出ると、そこは広場のような場所でした。
    ここは4世紀に建てられた教会の跡地です。周囲の壁と屋根が取り払われて現在はこのような空地になっています。

  • 壁があった場所にはこの教会の柱などの部分が置いてありました。

    壁があった場所にはこの教会の柱などの部分が置いてありました。

  • 床はモザイクで飾られていました。

    床はモザイクで飾られていました。

  • 床には数種類のモザイクが描かれていましたが、高い所に上がらないと全体の図柄を見ることができません。そこで海沿いの堤防(?)の上から眺められるようになっていました。<br />次はそこからモザイクを見ましょう。

    床には数種類のモザイクが描かれていましたが、高い所に上がらないと全体の図柄を見ることができません。そこで海沿いの堤防(?)の上から眺められるようになっていました。
    次はそこからモザイクを見ましょう。

  • 6世紀に建てられて聖堂、16世紀の鐘楼、6世紀の洗礼堂、4世紀に建てられた礼拝堂の一部が見渡せます。

    6世紀に建てられて聖堂、16世紀の鐘楼、6世紀の洗礼堂、4世紀に建てられた礼拝堂の一部が見渡せます。

  • 海岸沿いの堤防の上から対岸に町が見えました。<br />赤い瓦のクロアチアらしい光景です。

    海岸沿いの堤防の上から対岸に町が見えました。
    赤い瓦のクロアチアらしい光景です。

  • 人馴れしているカモメ。近付いてカメラを向けても逃げません。

    人馴れしているカモメ。近付いてカメラを向けても逃げません。

  • 2種類のモザイクが見えます。それぞれアップにしてみましょう。

    2種類のモザイクが見えます。それぞれアップにしてみましょう。

  • アップにしました。四角い模様の中にさらに別の模様が描かれていました。

    アップにしました。四角い模様の中にさらに別の模様が描かれていました。

  • モザイク模様の中にさらに別のモザイクが描かれていました。

    モザイク模様の中にさらに別のモザイクが描かれていました。

  • アップにしてみると、そこに描かれていたのは花模様でした。

    アップにしてみると、そこに描かれていたのは花模様でした。

  • 入口付近のモザイク。

    入口付近のモザイク。

  • 4世紀に建てられた礼拝堂の側には塀が築かれました。(黒っぽい低い塀です)<br />この塀は教会の礼拝堂が壊されたときに、半分ほど取り壊されました。そしてその奥の建物が6世紀に建てられた聖堂です。

    4世紀に建てられた礼拝堂の側には塀が築かれました。(黒っぽい低い塀です)
    この塀は教会の礼拝堂が壊されたときに、半分ほど取り壊されました。そしてその奥の建物が6世紀に建てられた聖堂です。

  • エウフラシウス聖堂で最も古い部分が取り壊された教会の跡地の床部分に残っているモザイクです。<br />ガイドさんの説明を聞きながら、気が付けば何枚も同じ所の写真を撮っていました。

    エウフラシウス聖堂で最も古い部分が取り壊された教会の跡地の床部分に残っているモザイクです。
    ガイドさんの説明を聞きながら、気が付けば何枚も同じ所の写真を撮っていました。

  • 4世紀に造られた教会が取り壊された後建てられたのがこの建物で、5世紀に建てられました。では、中に入りましょう。

    4世紀に造られた教会が取り壊された後建てられたのがこの建物で、5世紀に建てられました。では、中に入りましょう。

  • 内部の壁にはフレスコ画描かれていますが、かなり傷んでました。

    内部の壁にはフレスコ画描かれていますが、かなり傷んでました。

  • こちらのフレスコ画も傷んでいました。

    こちらのフレスコ画も傷んでいました。

  • この台の上まで進むことができました。この台は何種類もの大理石でできています。

    この台の上まで進むことができました。この台は何種類もの大理石でできています。

  • 床のモザイクです。

    床のモザイクです。

  • 同じく床のモザイク。

    同じく床のモザイク。

  • この聖堂を建てたエウフラシス司祭の石棺です。

    この聖堂を建てたエウフラシス司祭の石棺です。

  • 5世紀に建てられた教会の次が6世紀に建てられた聖堂です。<br />そして有名なビザンチン芸術の粋といわれる黄金のモザイクがこの聖堂にありました。また初期ビザンチン美術を今に伝える数少ない教会で一つです。<br />添乗員から座席に座ってガイドさんの説明を聞くよう指示があったので、座席にすわって写真を撮る外はありませんでした。そのため聖母子などのモザイクが右寄りになってしまったのが残念でした。<br />このことは後で気付いたので、修正の仕様がありませんでした。

    5世紀に建てられた教会の次が6世紀に建てられた聖堂です。
    そして有名なビザンチン芸術の粋といわれる黄金のモザイクがこの聖堂にありました。また初期ビザンチン美術を今に伝える数少ない教会で一つです。
    添乗員から座席に座ってガイドさんの説明を聞くよう指示があったので、座席にすわって写真を撮る外はありませんでした。そのため聖母子などのモザイクが右寄りになってしまったのが残念でした。
    このことは後で気付いたので、修正の仕様がありませんでした。

    エウフラシウス聖堂 寺院・教会

  • 黄金のモザイクを拡大して見て行きましょう。<br />まず最上段は真ん中にイエス・キリスト、その左右に12使途が描かれています。

    黄金のモザイクを拡大して見て行きましょう。
    まず最上段は真ん中にイエス・キリスト、その左右に12使途が描かれています。

  • その下のアーチ部分。真ん中はイエス・キリストを象徴する神の子羊、そして左右には12人の殉教した聖女が描かれています。通常は12使途が描かれているんですが、このように描かれたモザイクは初めて目にしました。<br />この教会は聖母マリア様に捧げられた教会ですので、中心には聖母子が描かれています。両脇を大天使が固め、半円球の天井の上には「神の手」が現れて今まさに聖母に冠を授けようとしている「聖母戴冠」の場面が描かれています。<br />詳しくはさらに画面をアップし、部分部分の画像で説明していきましょう。

    その下のアーチ部分。真ん中はイエス・キリストを象徴する神の子羊、そして左右には12人の殉教した聖女が描かれています。通常は12使途が描かれているんですが、このように描かれたモザイクは初めて目にしました。
    この教会は聖母マリア様に捧げられた教会ですので、中心には聖母子が描かれています。両脇を大天使が固め、半円球の天井の上には「神の手」が現れて今まさに聖母に冠を授けようとしている「聖母戴冠」の場面が描かれています。
    詳しくはさらに画面をアップし、部分部分の画像で説明していきましょう。

  • 主祭壇を囲むこの石板も6世紀のものだそうで、モザイクと同じように貴重な物なんだそうです。

    主祭壇を囲むこの石板も6世紀のものだそうで、モザイクと同じように貴重な物なんだそうです。

  • 側廊には18本の大理石の列柱があり、柱頭の間は化粧漆喰でアーチが作られています。

    側廊には18本の大理石の列柱があり、柱頭の間は化粧漆喰でアーチが作られています。

  • 写真を黄金のモザイクに戻しましょう。<br />各部分のモザイクがはっきり分かるように、ズームにして説明を加えていきますね。

    写真を黄金のモザイクに戻しましょう。
    各部分のモザイクがはっきり分かるように、ズームにして説明を加えていきますね。

  • モザイクの中心を構成しているのは「聖母戴冠」の場面です。この聖堂は聖母マリア様に捧げられたので、このモチーフをモザイクの中心に据えているものと思われます。また「聖母戴冠」は聖母マリア様に捧げられた教会ではよく取り上げられている主題です。<br />聖母は昇天した後天上の王座に座って、「父なる神」の象徴である「神の手」により冠を授けられるという場面です。<br />聖母の左右は大天使です。

    モザイクの中心を構成しているのは「聖母戴冠」の場面です。この聖堂は聖母マリア様に捧げられたので、このモチーフをモザイクの中心に据えているものと思われます。また「聖母戴冠」は聖母マリア様に捧げられた教会ではよく取り上げられている主題です。
    聖母は昇天した後天上の王座に座って、「父なる神」の象徴である「神の手」により冠を授けられるという場面です。
    聖母の左右は大天使です。

  • 左側は天使の次には聖人が描かれていて、黒い衣装の男性が現在の聖堂を建てたエウフラシウス司祭です。聖母マリア様に捧げるため聖堂を手に持っています。

    左側は天使の次には聖人が描かれていて、黒い衣装の男性が現在の聖堂を建てたエウフラシウス司祭です。聖母マリア様に捧げるため聖堂を手に持っています。

  • 右側には初代ポレチュの司祭聖マウルスが描かれているそうですが、誰がマウルスなのか分かりません。

    右側には初代ポレチュの司祭聖マウルスが描かれているそうですが、誰がマウルスなのか分かりません。

  • 最上段に描かれているイエス様と12使徒です。<br />イエス様に向かって左が天国の鍵を持つ聖ぺテロ、右が聖パウロです。<br />その下には神の子羊と12人の殉職した聖女が描かれています。神の子羊とはもちろんイエス様のことです。

    最上段に描かれているイエス様と12使徒です。
    イエス様に向かって左が天国の鍵を持つ聖ぺテロ、右が聖パウロです。
    その下には神の子羊と12人の殉職した聖女が描かれています。神の子羊とはもちろんイエス様のことです。

    エウフラシウス聖堂 寺院・教会

  • 天蓋は1277年ポレチュ司教オットーの命で造られました。天蓋は4本の大理石の柱で支えられ、正面には受胎告知が描かれています。

    天蓋は1277年ポレチュ司教オットーの命で造られました。天蓋は4本の大理石の柱で支えられ、正面には受胎告知が描かれています。

  • 後陣の窓の左側(天蓋の左側)には受胎告知の場面が描かれていました。<br />受胎を告げる大天使ガブリエルと聞き入るマリア様。

    後陣の窓の左側(天蓋の左側)には受胎告知の場面が描かれていました。
    受胎を告げる大天使ガブリエルと聞き入るマリア様。

  • 後塵の窓の右側には聖母エリザベタ(洗礼者ユハネの母)を訪れるマリア様が描かれています。

    後塵の窓の右側には聖母エリザベタ(洗礼者ユハネの母)を訪れるマリア様が描かれています。

  • 黄金のモザイクと言われる部分をもう一度写真に残しおきましょう。

    黄金のモザイクと言われる部分をもう一度写真に残しおきましょう。

    エウフラシウス聖堂 寺院・教会

  • 後塵の窓の下は大理石や青貝などがはめ込まれた化粧板で装飾されていました。

    後塵の窓の下は大理石や青貝などがはめ込まれた化粧板で装飾されていました。

  • こちらは右側の化粧板です。

    こちらは右側の化粧板です。

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