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旅行4日目、トロギールの続きです。<br />トロギールの主要な建物を見学した後は中世の街並みが残る町中の路地を歩き、ヴェネチア時代の建物を見学しました。<br />一通りの観光を終えて次はローマ時代の宮殿の遺跡が残るスプリットにむかいました。<br />スプリットはローマ皇帝ディオクレティアヌス帝が隠居後の余生を送るために宮殿の跡地に建てられた町で、遺跡の中に町があるという珍しい形態の町です。<br />自由行動では是非大聖堂の鐘楼に上って素晴らしい景色を眺めてみたいと思いました。<br /><br /> 4日目<br /><br />オパティア 〜 トロギール 〜 スプリット(泊)<br />

クロアチア・スロベニア他10日間 紺碧のアドリア海を満喫する旅 8(世界遺産トロギール2、スプリット1 )

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2016/06/15 - 2016/06/24

46位(同エリア266件中)

ポポポ

ポポポさん

旅行4日目、トロギールの続きです。
トロギールの主要な建物を見学した後は中世の街並みが残る町中の路地を歩き、ヴェネチア時代の建物を見学しました。
一通りの観光を終えて次はローマ時代の宮殿の遺跡が残るスプリットにむかいました。
スプリットはローマ皇帝ディオクレティアヌス帝が隠居後の余生を送るために宮殿の跡地に建てられた町で、遺跡の中に町があるという珍しい形態の町です。
自由行動では是非大聖堂の鐘楼に上って素晴らしい景色を眺めてみたいと思いました。

 4日目

オパティア 〜 トロギール 〜 スプリット(泊)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
阪急交通社

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  • ロッジアを観光しているとユネスコの無形文化遺産であるクラパの演奏が始まりました。クラパとは無伴奏の男声合唱のことです。<br />今回はカルテットでした。音響がいいし、演奏が素晴らしい。感動しました。

    ロッジアを観光しているとユネスコの無形文化遺産であるクラパの演奏が始まりました。クラパとは無伴奏の男声合唱のことです。
    今回はカルテットでした。音響がいいし、演奏が素晴らしい。感動しました。

  • メインストリートに面したレストランです。

    メインストリートに面したレストランです。

  • 聖ニコラ修道院、南門に近いところにあるベネディクト派の女子修道院です。<br />この建物の側の通りを進むと南門に出ます。

    聖ニコラ修道院、南門に近いところにあるベネディクト派の女子修道院です。
    この建物の側の通りを進むと南門に出ます。

    聖ニコラ修道院 寺院・教会

  • ここが町の南側の出入口、南門です。門の周囲は城壁に囲まれていました。

    ここが町の南側の出入口、南門です。門の周囲は城壁に囲まれていました。

  • 南門のすぐ傍にロッジアがありました。<br />城壁の門は、夜定められた時間になると城門を閉められました。それ以降は町に入ることができないため、遅れて門にたどり着いた人は、このロッジアで夜を明かしたそうです。

    南門のすぐ傍にロッジアがありました。
    城壁の門は、夜定められた時間になると城門を閉められました。それ以降は町に入ることができないため、遅れて門にたどり着いた人は、このロッジアで夜を明かしたそうです。

  • 南門と南側の城壁です。左に進むとプロムナードがあります。

    南門と南側の城壁です。左に進むとプロムナードがあります。

  • 町の南側にあるプロムナードです。海岸沿いにヤシの木が植えられていて南国ムード一杯。<br />この海岸には多くの船が停泊していました。プロムナードの先にはカメルレンゴの砦が見えます。

    町の南側にあるプロムナードです。海岸沿いにヤシの木が植えられていて南国ムード一杯。
    この海岸には多くの船が停泊していました。プロムナードの先にはカメルレンゴの砦が見えます。

    プロムナード 散歩・街歩き

  • プロムナードの側にあるドミニコ会修道院です。<br />海沿いにはレストランのテラス席が並んでいます。

    プロムナードの側にあるドミニコ会修道院です。
    海沿いにはレストランのテラス席が並んでいます。

    プロムナード 散歩・街歩き

  • ドミニコ修道院と手前にあるのがルクルッチ邸。

    ドミニコ修道院と手前にあるのがルクルッチ邸。

  • 海岸通り沿いにあるルクルッチ邸。白亜の建物とヴェネチア様式の窓が美しかった。

    海岸通り沿いにあるルクルッチ邸。白亜の建物とヴェネチア様式の窓が美しかった。

  • トロギールの向かい側の島、チオヴォ島のヨットハーバーです。チオヴォ島へはトロギールから橋が架けられています。

    トロギールの向かい側の島、チオヴォ島のヨットハーバーです。チオヴォ島へはトロギールから橋が架けられています。

  • カメルレンゴの砦。トロギールの南西の端にあるヴェネチア人が造った砦です。<br />15世紀に造られましたが、当時は支配していたヴェネチア人に対してしばしばトロギール市民の反乱が起こっていたため、市民から身を守るためにも使用されたといわれています。<br />

    カメルレンゴの砦。トロギールの南西の端にあるヴェネチア人が造った砦です。
    15世紀に造られましたが、当時は支配していたヴェネチア人に対してしばしばトロギール市民の反乱が起こっていたため、市民から身を守るためにも使用されたといわれています。

    カメルレンゴの砦 史跡・遺跡

  • 対岸のチオヴォ島の風景です。赤瓦の景色が海の青に映えて美しい。

    対岸のチオヴォ島の風景です。赤瓦の景色が海の青に映えて美しい。

  • 同じくチオヴォ島の風景。

    同じくチオヴォ島の風景。

  • 今から添乗員さんお勧めの旧市街散策の開始です。<br />まず路地の散策から。

    今から添乗員さんお勧めの旧市街散策の開始です。
    まず路地の散策から。

  • 石灰岩の石で造られた古い家並みが続きます。

    石灰岩の石で造られた古い家並みが続きます。

    古都トロギール 旧市街・古い町並み

  • 路地裏にもこんな立派なレストランがあるんですよ。レストランの店名は不明。

    路地裏にもこんな立派なレストランがあるんですよ。レストランの店名は不明。

  • 細い路地の先にはこんな教会がありました。

    細い路地の先にはこんな教会がありました。

  • ここは古き時代のパティオ。この小さな広場の両側の建物は当時の邸宅なんです。右の家には古い門と扉が残っていました。<br />ここは道幅が狭く建物の正面から撮るとカメラに収まりませんでした。

    ここは古き時代のパティオ。この小さな広場の両側の建物は当時の邸宅なんです。右の家には古い門と扉が残っていました。
    ここは道幅が狭く建物の正面から撮るとカメラに収まりませんでした。

  • 左の建物の上には立派な紋章があります。

    左の建物の上には立派な紋章があります。

  • さらに狭い道を右にいったり、左にいったり、迷路を歩いているような錯覚に陥ります。

    さらに狭い道を右にいったり、左にいったり、迷路を歩いているような錯覚に陥ります。

  • この建物はヴェネチア統治時代の典型的なヴェネチアゴシック様式の屋敷だそうです。窓はヴェネチア様式のアーチ窓。<br />入口は2階です。建物は3階建てのため2階の軒は大理石の柱で支えられています。また軒が木造で造られているのが特徴です。

    この建物はヴェネチア統治時代の典型的なヴェネチアゴシック様式の屋敷だそうです。窓はヴェネチア様式のアーチ窓。
    入口は2階です。建物は3階建てのため2階の軒は大理石の柱で支えられています。また軒が木造で造られているのが特徴です。

  • 住居は2〜3階で、1階は物置や倉庫として使われています。

    住居は2〜3階で、1階は物置や倉庫として使われています。

  • この路地にある建物も入口は階段を上がった2階です。

    この路地にある建物も入口は階段を上がった2階です。

  • 路地にはこの様なアーチ型のトンネル通路も。

    路地にはこの様なアーチ型のトンネル通路も。

  • この家も3階建で入り口は2階です、トロギールはこのような様式の家屋が多いようです。<br />石灰岩の壁は古めかしく、いかにも歴史を感じさせる建物でした。

    この家も3階建で入り口は2階です、トロギールはこのような様式の家屋が多いようです。
    石灰岩の壁は古めかしく、いかにも歴史を感じさせる建物でした。

  • 同じ建物の1・2階。

    同じ建物の1・2階。

  • さらに路地を進むと石灰岩の古い家が続き、まるで中世の世界に迷い込んだかのよう。

    さらに路地を進むと石灰岩の古い家が続き、まるで中世の世界に迷い込んだかのよう。

  • この通りはまさに中世そのもの。左の建物の石壁は古そう。右の建物はアパルトマン。

    この通りはまさに中世そのもの。左の建物の石壁は古そう。右の建物はアパルトマン。

  • 入り口の上には紋章がありました。

    入り口の上には紋章がありました。

  • 曲がりくねった古い道を進んで行きます。この道はどこに出るんでしょうか。

    曲がりくねった古い道を進んで行きます。この道はどこに出るんでしょうか。

  • ここの路地は狭かったんですが、通りの両側はヴェネチア時代の建物の宝庫でした。<br />添乗員さんお勧めの通りだということが頷けました。

    ここの路地は狭かったんですが、通りの両側はヴェネチア時代の建物の宝庫でした。
    添乗員さんお勧めの通りだということが頷けました。

    古都トロギール 旧市街・古い町並み

  • ヴェネチア統治時代の邸宅です。建物の入口の階段、1階には小さなパティオと紋章を掲げた古い石壁。当時の建築様式を今にそのまま伝えている建物だそうです。

    ヴェネチア統治時代の邸宅です。建物の入口の階段、1階には小さなパティオと紋章を掲げた古い石壁。当時の建築様式を今にそのまま伝えている建物だそうです。

  • 建物は3階建て、階段を上がった所が建物の入口です。<br />見事なまでに当時の姿を留めている建物です。

    建物は3階建て、階段を上がった所が建物の入口です。
    見事なまでに当時の姿を留めている建物です。

  • 通り沿いにあるヴェネチア様式の建物。この建物はトロギールの有名な人が住んでいた建物だそうです。どんな有名人だったのか、メモって無いし、記憶にも無くて分かりません。メモらなくてもいいような一般的な有名人、たぶん大富豪とか、町長のような人だったような気がします。

    通り沿いにあるヴェネチア様式の建物。この建物はトロギールの有名な人が住んでいた建物だそうです。どんな有名人だったのか、メモって無いし、記憶にも無くて分かりません。メモらなくてもいいような一般的な有名人、たぶん大富豪とか、町長のような人だったような気がします。

  • 建物の2階から上の部分。

    建物の2階から上の部分。

  • 路地にはこの様なアーチを潜る道もありました。<br />アーチの下ではガイドさんが待っていました。

    路地にはこの様なアーチを潜る道もありました。
    アーチの下ではガイドさんが待っていました。

    古都トロギール 旧市街・古い町並み

  • ここにもアーチがありました。こちらのアーチの方が高さがありました。

    ここにもアーチがありました。こちらのアーチの方が高さがありました。

    古都トロギール 旧市街・古い町並み

  • パティオがあるこんな素敵な空間もありました。

    パティオがあるこんな素敵な空間もありました。

  • ここは添乗員さんお勧めの建物です。この建物の特徴は入口にアーチ門があること。門を潜った先にパティオがあり、そこから階段を上がって2階から家に入る様式のようですが、家の部分は後生に作られた建物のようでした。<br />以上で旧市街の建物の観光は終了しました。

    ここは添乗員さんお勧めの建物です。この建物の特徴は入口にアーチ門があること。門を潜った先にパティオがあり、そこから階段を上がって2階から家に入る様式のようですが、家の部分は後生に作られた建物のようでした。
    以上で旧市街の建物の観光は終了しました。

  • 運河に架かる橋を渡って駐車場に戻りました。<br />向かい側にはチオヴォ島の風景が....。

    運河に架かる橋を渡って駐車場に戻りました。
    向かい側にはチオヴォ島の風景が....。

  • 青い海に赤瓦の街並みが美しかったです。<br />トロギールの観光はこれで終了し、次ぎは同じく世界遺産の町スプリットに向かいました。

    青い海に赤瓦の街並みが美しかったです。
    トロギールの観光はこれで終了し、次ぎは同じく世界遺産の町スプリットに向かいました。

  • スプリットの手前にあるローマ時代の遺跡サロナ遺跡です。車窓からこの遺跡に気付きカメラを向けたのですが、カメラを向けた時には遺跡の大部分が車窓から通り過ぎていてごく一部になってしまいました。<br />ここサロナはスプリットに隠居所の宮殿を築いたディオクレティアヌス皇帝の故郷です。皇帝は自身の隠居所を選定するにあたって、故郷に近い所を選んだと言われています。

    スプリットの手前にあるローマ時代の遺跡サロナ遺跡です。車窓からこの遺跡に気付きカメラを向けたのですが、カメラを向けた時には遺跡の大部分が車窓から通り過ぎていてごく一部になってしまいました。
    ここサロナはスプリットに隠居所の宮殿を築いたディオクレティアヌス皇帝の故郷です。皇帝は自身の隠居所を選定するにあたって、故郷に近い所を選んだと言われています。

    サロナ遺跡 史跡・遺跡

  • 水道橋です。これはスプリットのディオクレティアヌス宮殿とサロナを結んでいた水道橋です。

    水道橋です。これはスプリットのディオクレティアヌス宮殿とサロナを結んでいた水道橋です。

  • スプリットに到着しました。<br />スプリットはローマ皇帝ディオクレティアヌス帝が退位した後、老後のための宮殿があった場所で、この宮殿の遺跡の中に誕生した町です。<br />ここはプロムナード、写真の左側は海岸です。創建当時はヤシの木が立っている所から車が駐車している場所にかけては海でした。<br />(写真は27年6月に撮ったもの)

    スプリットに到着しました。
    スプリットはローマ皇帝ディオクレティアヌス帝が退位した後、老後のための宮殿があった場所で、この宮殿の遺跡の中に誕生した町です。
    ここはプロムナード、写真の左側は海岸です。創建当時はヤシの木が立っている所から車が駐車している場所にかけては海でした。
    (写真は27年6月に撮ったもの)

    プロムナード 城・宮殿

  • 海側の(南側の)城壁です。城壁の1〜2階は現在人が居住しており、3〜4階は空室になっています。そのため3〜4階の窓からは青空が覗けています。<br />どの家も2階の古い石壁が遺跡の窓と繋がっていて、その先に中世の塔が見えるんです。<br />何とも不思議な風景がこの町の特徴なんです。<br />(写真は27年6月のもの)

    海側の(南側の)城壁です。城壁の1〜2階は現在人が居住しており、3〜4階は空室になっています。そのため3〜4階の窓からは青空が覗けています。
    どの家も2階の古い石壁が遺跡の窓と繋がっていて、その先に中世の塔が見えるんです。
    何とも不思議な風景がこの町の特徴なんです。
    (写真は27年6月のもの)

  • 宮殿の城壁とプロムナード、カフェやレストランのテラス席。ヤシの木が並んで立っている様子は南国ムードで一杯。<br />(写真は27年6月のもの)

    宮殿の城壁とプロムナード、カフェやレストランのテラス席。ヤシの木が並んで立っている様子は南国ムードで一杯。
    (写真は27年6月のもの)

    プロムナード 城・宮殿

  • 宮殿城壁の南東の端です。

    宮殿城壁の南東の端です。

  • 建設当時の見取図です。宮殿は海沿いに建てられ、船による荷物の搬入や人々の出入りは海に面した南門(銅の門)でおこなわれました。ここは海の玄関口で当時の帆船が直接横付けできました。

    建設当時の見取図です。宮殿は海沿いに建てられ、船による荷物の搬入や人々の出入りは海に面した南門(銅の門)でおこなわれました。ここは海の玄関口で当時の帆船が直接横付けできました。

  • 城壁の中央にあるのが銅の門で、ここから地下宮殿に入る事ができます。

    城壁の中央にあるのが銅の門で、ここから地下宮殿に入る事ができます。

    青銅の門 城・宮殿

  • ここが銅の門。ここから地下宮殿に入ります。

    ここが銅の門。ここから地下宮殿に入ります。

    青銅の門 城・宮殿

  • 地下宮殿の入り口です。宮殿の地下室は上部の建物を支えるために造られているため、地下室と上部の部屋は同じ造りになっています。<br />そのため地下室を見る事で上部の建物を知ることができるそうです。

    地下宮殿の入り口です。宮殿の地下室は上部の建物を支えるために造られているため、地下室と上部の部屋は同じ造りになっています。
    そのため地下室を見る事で上部の建物を知ることができるそうです。

  • 入り口前に掲示してあるスプリット近郊の地図。<br />青い線はスプリットに伸びている水道橋です。スプリットの形が5角形で描かれていますが、これはヴェネチア支配の時代にスプリットの宮殿が星型の城塞に造り返えられた事を示しているんです。

    入り口前に掲示してあるスプリット近郊の地図。
    青い線はスプリットに伸びている水道橋です。スプリットの形が5角形で描かれていますが、これはヴェネチア支配の時代にスプリットの宮殿が星型の城塞に造り返えられた事を示しているんです。

  • ローマ時代の宮殿で使用された水道管が並べられていました。

    ローマ時代の宮殿で使用された水道管が並べられていました。

  • 地下宮殿の一室です。宮殿の天井には多数の穴が開いています。この宮殿は皇帝が亡くなって以降廃墟になりました。7世紀になると北方からスラブ系の民族が侵入し、皇帝の故郷サロナを攻撃しました。そのためサロナの住人はスプリットに逃げ込み、宮殿の敷地内に家を建てて住み着きました。<br />住み着いたキリスト教教徒達は、ゴミを地上階に空いている穴から地下に投げ棄てたので、地下宮殿はゴミで一杯になり自然にローマ時代の宮殿の地下遺構が保存されることになりました。<br />後生にこのゴミを取り出したところ1700年前のローマ時代の宮殿の遺跡が地下に現出したと言う訳です。

    地下宮殿の一室です。宮殿の天井には多数の穴が開いています。この宮殿は皇帝が亡くなって以降廃墟になりました。7世紀になると北方からスラブ系の民族が侵入し、皇帝の故郷サロナを攻撃しました。そのためサロナの住人はスプリットに逃げ込み、宮殿の敷地内に家を建てて住み着きました。
    住み着いたキリスト教教徒達は、ゴミを地上階に空いている穴から地下に投げ棄てたので、地下宮殿はゴミで一杯になり自然にローマ時代の宮殿の地下遺構が保存されることになりました。
    後生にこのゴミを取り出したところ1700年前のローマ時代の宮殿の遺跡が地下に現出したと言う訳です。

    ディオクレティアヌス宮殿 城・宮殿

  • 地下の石組は石が動かないように切り口に工夫が為されています。

    地下の石組は石が動かないように切り口に工夫が為されています。

  • 地下宮殿で発見された木の柱です。

    地下宮殿で発見された木の柱です。

  • 壁の上部にはこのような穴が開けられています。壁の両端の穴に木の端を差し入れて木を架け渡したと想像されています。これは地下構造の補強のためと考えられています。

    壁の上部にはこのような穴が開けられています。壁の両端の穴に木の端を差し入れて木を架け渡したと想像されています。これは地下構造の補強のためと考えられています。

  • 木を架け渡した状態です。

    木を架け渡した状態です。

  • ディオクレティアヌス帝の胸像。<br />ディオクレティアヌス帝はローマ帝国の皇帝の中でも特記すべき皇帝です。<br />①肥大化し弱体化した帝国を統治するためにローマ帝国を四分割し、分割統治を行いローマ帝国の立て直しを図りました。②皇帝在任中に自らの意思で退位した初めての皇帝です。③キリスト教を弾圧した最後の皇帝です。この皇帝の時代には激しい弾圧がおこなわれ、聖人に列せられているキリスト教徒は多くはこの時代に殉教しています。<br />このような皇帝は隠居してこの宮殿で老後を過ごし、宮殿の外でキャベツを栽培していたそうです。<br />

    ディオクレティアヌス帝の胸像。
    ディオクレティアヌス帝はローマ帝国の皇帝の中でも特記すべき皇帝です。
    ①肥大化し弱体化した帝国を統治するためにローマ帝国を四分割し、分割統治を行いローマ帝国の立て直しを図りました。②皇帝在任中に自らの意思で退位した初めての皇帝です。③キリスト教を弾圧した最後の皇帝です。この皇帝の時代には激しい弾圧がおこなわれ、聖人に列せられているキリスト教徒は多くはこの時代に殉教しています。
    このような皇帝は隠居してこの宮殿で老後を過ごし、宮殿の外でキャベツを栽培していたそうです。

  • 地下室の通路口にはこのように狭い場所もありました。地下宮殿のの地下室は倉庫やワイン製造所としても利用されていました。<br />ワイン製造所の部屋は昨年は入場できましたが、今年は鉄柵で入り口が塞がれ入れなくなっていました。

    地下室の通路口にはこのように狭い場所もありました。地下宮殿のの地下室は倉庫やワイン製造所としても利用されていました。
    ワイン製造所の部屋は昨年は入場できましたが、今年は鉄柵で入り口が塞がれ入れなくなっていました。

  • 地下宮殿入り口のチケット売り場です。

    地下宮殿入り口のチケット売り場です。

  • 地下宮殿の両側には土産物店が軒を連ねていました。

    地下宮殿の両側には土産物店が軒を連ねていました。

  • 地下宮殿の空間は巨大な石の柱で支えられています。

    地下宮殿の空間は巨大な石の柱で支えられています。

  • 柱と柱の間には土産物の店がありました。

    柱と柱の間には土産物の店がありました。

  • ここは地下通路の出口です。階段を上がった先はどこに出るのでしょうか?

    ここは地下通路の出口です。階段を上がった先はどこに出るのでしょうか?

  • ペリスティルと呼ばれる広場に出てきました。広場の両側には12本のコリント式の列柱が立ち並び、その列柱をアーチが繋いでいます。西側(写真右側)にある列柱のアーチは建物の一部として取り込まれていました。<br />正面の建物の奥が皇帝の私邸です。

    ペリスティルと呼ばれる広場に出てきました。広場の両側には12本のコリント式の列柱が立ち並び、その列柱をアーチが繋いでいます。西側(写真右側)にある列柱のアーチは建物の一部として取り込まれていました。
    正面の建物の奥が皇帝の私邸です。

    ペリスティル 広場・公園

  • ペリスティルから入る洗礼堂(旧ジュピター神殿)の入り口です。<br />狭くて何も表示がないので入り口が分かりにくいのです。自由行動時間に洗礼堂に行きましたが、カメラのバッテリーが切れてしまったので洗礼堂の写真はありません。

    ペリスティルから入る洗礼堂(旧ジュピター神殿)の入り口です。
    狭くて何も表示がないので入り口が分かりにくいのです。自由行動時間に洗礼堂に行きましたが、カメラのバッテリーが切れてしまったので洗礼堂の写真はありません。

  • ペリスティルに飾られたスフィンクス。<br />ディオクレティアヌス帝がエジプト遠征の際に持ち帰った11体のスフィンクスのうちの1体。

    ペリスティルに飾られたスフィンクス。
    ディオクレティアヌス帝がエジプト遠征の際に持ち帰った11体のスフィンクスのうちの1体。

  • ペリスティルの列柱アーチと大聖堂の鐘楼。

    ペリスティルの列柱アーチと大聖堂の鐘楼。

  • 前庭です。ペリスティルから階段を上がって門を潜るとこの前庭に出ます。ここは宮殿玄関の広間、私邸の入り口です。<br />円形の空間で丸天井には明り取り用の穴が開いています。

    前庭です。ペリスティルから階段を上がって門を潜るとこの前庭に出ます。ここは宮殿玄関の広間、私邸の入り口です。
    円形の空間で丸天井には明り取り用の穴が開いています。

    前庭 城・宮殿

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