2016/06/15 - 2016/06/24
112位(同エリア409件中)
ポポポさん
旅行7日目、今日はボスニア・ヘルツェゴビナの古都モスタルの観光です。
ドブロヴニクからモスタルまでは約135km、バスで3時間30分の行程です。
ボスニアの入国審査には約1時間かかりました。2時間程度かかることがざらだそうですから、これでも早い方です。
モスタルはオスマン・トルコの支配下にあったためイスラム文化を色濃く残した町で、ボスニア紛争時に民族の対立で内戦が勃発した町です。
当時モスタルには人口の35%を占めるムスリム人(ボスニア人)と34%を占めるクロアチア人、20%を占めるセルビア人が共存していました。
内戦が勃発すると、クロアチア人とボスニア人が手を結び「民族浄化」の名のもとにモスタルに居住していたセルビア人のほとんどを虐殺するか追放し、セルビア正教会の聖堂や修道院はもちろん、住宅や墓地に至るまで全ての物を破壊しつくしました。
こうしてモスタルにセルビア人が居住していたという痕跡は歴史上から消し去られ、「民族浄化」によってセルビア人を駆逐したクロアチア人は今度はモスタルを完全に勢力圏に置くためボスニア人勢力に攻撃を仕掛け、民族の架け橋と呼ばれた石橋「スターリモスト」を破壊しました。
またボスニア人勢力下にあった多くのモスクがクロアチア人(キリスト教徒)の手によって破壊されてしまいました。
ここモスタルではクロアチア人が「加害者」、ボスニア人が「被害者」です。
市内のいたる所に内戦を物語る痕跡が残っていて胸が痛みます。
現在は一本の道路によってクロアチア人(キリスト教徒)とボスニア人(イスラム教徒)の居住地区は完全に分離されています。二つの民族は今も交流は無く、行政組織も別々になっているそうです。
旅行7日目
ドブロヴニク ー モスタル ー プリトヴィツェ
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
PR
-
モスタルの弾痕。
観光客用の大型バスの駐車場の隣のアパートです。現在入居者がいる普通のアパートですが壁には内戦の跡がそのまま残っています。モスタルの弾痕 史跡・遺跡
-
こちらのアパートにも弾痕が。
-
同じアパートですが上の方のベランダ周辺には激しい銃撃戦の跡(弾痕)が残っていました。
ここはクロアチア人の居住区です。モスタルの弾痕 史跡・遺跡
-
アパートの隣の駐車場にバスを止め、モスタルの観光の開始です。これは聖ペーター教会。キリスト教徒の居住区ですからカトリックの教会です。
この日のガイドさんはボスニア人のガイドさんでした。彼女曰く「新しい教会ですから見るべきものは何もありません。」と。
この教会の側を南北に通っている道路の西側(教会側)がクロアチア人居住区、東側がボスニア人(イスラム教徒)居住区です。
従って観光客が押し寄せる旧市街はボスニア人居住区にあるんです。聖ペーター教会 寺院・教会
-
廃墟になった建物。壁には弾痕の跡があります。
スターリ・モスト(石橋)に行く道路沿いにこの廃墟はありました。
添乗員の情報では、先程2つの民族の居住地を分ける道路からスターリ・モストまでの道には3人の女性スリが出没するのでカバンには十分注意するようにとこ警告がありました。いつも交差点の所に立っていて、標的を見つけたらその後ろを追って行くそうです。
交差点にはいなかったので「今日は商売は中止かな」と添乗員が話していたところ、廃墟の向かい側に足に怪我をした物乞いの少女(16〜17歳くらい)とさらに小さい少女(12,3歳くらい)が下を向いて座っていました。
この子たちがスリなんだそうです。「皆さん騙されてはダメですよ。ケガを装っているけどピンピンに元気ですよ。隙を見せて狙われたら取られますからね。通りなどの人前で財布は出さないように。支払いは必ず店の中で支払ってくださいよ。」と念入りに注意が入ります。
この少女、添乗員同士で要注意の連絡が入っているそうです。たぶん日本人のどなたかが被害に会っているんでしょう。モスタルの弾痕 史跡・遺跡
-
廃墟の弾痕部分をアップ。
モスタルの弾痕 史跡・遺跡
-
ここの石畳の道は丸石でできていて、つるつるに光っています。綺麗ですが雨の日は滑りそう。
-
道の両側には土産物店がひしめいています。いずれもトルコ風の店。金物、刺繍入りの小物やストールや壁掛け、ランプ。彩色の美しい陶器など、どれを見てもトルコに来ているとしか思えないような品揃えです。
見るだけでも楽しい異国情緒たっぷりの店が並んでいました。 -
この通りにはモスクとミナレットもありました。
-
クリヴァチャプリアです。木が邪魔で全景が分かりにくいですが、スターリ・モストのミニチュア版の橋です。スターリ・モストを建てるにあたって試作として建てられた橋だそうです。
この橋は幸い内戦の被害に会うことはありませんでしたので、完璧なオリジナルです。クリヴァ チュプリヤ 建造物
-
ハマム博物館です。ハマムとはトルコ式のお風呂のことです。
-
先程見えたモスクとミナレットはハマム博物館の隣にありました。
-
再び通りに戻りスターリ・モストに向かって歩きます。
ツルツルするので滑らないよう気をつけながら歩きました。 -
スターリ・モストです、
1566年、オスマン・トルコの統治下の時代に建てられました。
橋脚を用いずに両岸からアーチ状に石を組みあげて造られた橋は、当時の最も素晴らしい建築物の一つでした。
橋の両側には橋を守る監視塔があります。現在向かって右の塔は博物館になっています。
そして内戦のさなか1993年11月9日クロアチア軍(クロアチア民兵)の砲撃によって破壊されました。併せて周辺の歴史的建造物も内戦で破壊され、多数のモスクやミナレットが失われました。
紛争終結後はユネスコの支援を受け当時の技法に従って再建されました。その際ネレトヴァ川に落ちた破壊された橋の石材も資材として利用されたそうです。スターリモスト橋 建造物
-
ネレトヴァ川河畔の石に腰かけ談笑する女性たち。
この女性たちが腰かけている大きな石こそ破壊されたスターリ・モストの石材なのです。
再建にあたって川底から引き上げられた旧橋の石材は、新たなスターリ・モストの石材として使用されましたが、使用されないものはこのように河原にそのまま残されました。 -
この石の他にも、背後には石材と思われる石が置いてありました。
-
再びスターリ・モストです。橋の頂上にいる若い男性はあそこから飛び込みを行います。道行く観光客に飛び込みするからと寄付を募っていますが、金が集まらないと飛び込みません。昨年も今回も飛び込みするところは一度も見たことがありません。(笑)
画面右上に見える監視塔が博物館です。モスタル旧市街の古橋地区 旧市街・古い町並み
-
橋のアーチのなかにはコスキ・メフメット・パシナ・ジャーミアのモスクが遠望できます。
モスタル旧市街の古橋地区 旧市街・古い町並み
-
橋の上に腰を下ろしていますがスタンバイでしょうか。人も増えてきましたしそろそろかな思いましたが見せかけだけで飛び降りませんでした。
スターリモスト橋 建造物
-
ここは橋の入り口の監視塔。
スターリモスト橋 建造物
-
監視塔の下には「1993年を忘れるな」と石に書き込んでありました。
この上には破壊される前のスターリ・モストの写真や破壊された後の写真が掲げてありました。
この中で一番衝撃的だったのが破壊された橋の両岸から綱をかけ渡し、その上に木の板を敷き詰めた仮設の橋を造り、その仮設の橋の綱をつかみながらそろりそろりと渡る男の子の姿の写真。カメラを見上げるその目は恐怖に満ちて慄いていました。
この写真を見た時背中に電気が走りました。この写真は私たちに生活の一部であった橋をもぎ取られた男の子の悲しみややりきれなさを圧倒的に訴えてきます。
その印象は強烈でした。
添乗員から写真は撮らないようにと言われたので、心に刻み込みました。 -
ネレトヴァ川の川沿いにモスクのコスキ・メフィット・パシナ・ザミーヤが見えます。
その右後ろがモスク、カラジョズ・ベゴヴァ・ジャミーアです。
内戦で多数破壊されたのでこの区域ではモスクは僅かしか残っていません。
スターリ・モストの上から見ている風景です。モスタル旧市街の古橋地区 旧市街・古い町並み
-
モスク、コスキ・メフメット・パシナ・ジャミーヤです。
今日自由時間があればあのミナレットに上りたいと思っています。
昨年はこのモスクの入り口まで来たけれど、時間がなくて上れなかったんです。昨年上がれなかったので今までずっと後悔してきました。
今日は、時間があれば後で後悔しないようにとにかく挑戦します。コスキ メフメド パシャ モスク 寺院・教会
-
ネレトヴァ川です。本来はエメラルドグリーンの美しい川ですが、この日は曇りのため残念ながら美しい色を見ることができませんでした。
こちら側が下流側です。アドリア海に注ぎ込みクロアチアの台地を豊かに潤します。ネレトヴァ川 滝・河川・湖
-
スターリ・モストを渡るとそこはバザールで、いろいろな店が軒を連ねていました。現地通貨のほかにユーロも使えるので、買い物に不便はありません。
ここはトルコ風ランプの専門店です。オールドバザール クユンジュルク 市場
-
ネックレスや腕輪などの貴金属や衣料品、袋物など何でもありの店なんかもあってみるだけでも楽しいです、
オールドバザール クユンジュルク 市場
-
道の両側にこのような店が軒を連ねています。
オールドバザール クユンジュルク 市場
-
ここは銅製品の店です。店の中では職人さんが実演していました。
オールドバザール クユンジュルク 市場
-
バザールを抜けると道は上りの坂道になっていて、その途中からはスターリ・モストの全景を見ることができます。
ここで自由行動になりました。時間は30分です。
「モスクのミナレットに上りたい人はいますか?」添乗員が声をかけるとドブロヴニクで集合に遅れたと汚名を着せられた一人参加の3人組(私とNさんとTさん)と活動的な一人参加のKさんの4人が手をあげました。スターリモスト橋 建造物
-
我々4人のために、現地のガイドさんがモスクまで案内してくれました。
これは清めの泉、モスク内で礼拝する前に手足を清める場所です。コスキ メフメド パシャ モスク 寺院・教会
-
モスク、コスキ・メフメット・パシナ・ジャーミナです。
今からあのミナレットに上ります。コスキ メフメド パシャ モスク 寺院・教会
-
ミナレットとモスクの拝観料は6ユーロでした。現地通貨のマルカでは12マルカです。この他に庭園からスターリ・モストを正面に見ることもでき、この場合の入場料は2ユーロだったと思います。
-
モスクの内部です。
ストロボを発行させずに撮ったので、画面が暗くなりました。コスキ メフメド パシャ モスク 寺院・教会
-
天井の装飾はシンプルです。
コスキ メフメド パシャ モスク 寺院・教会
-
入り口の正面にはミフラーブがありました。礼拝する場所で、この方向に聖地メッカがあります。
ミフラーブの右横はキリスト教の教会にもある説教壇です。コスキ メフメド パシャ モスク 寺院・教会
-
ノーフラッシュのためステンドガラスは綺麗に写っていますが、やはり暗いですね。
コスキ メフメド パシャ モスク 寺院・教会
-
シンプルな壁の装飾。壁はアラベスク文様で装飾されているだろうと想像していましたが、創造とは全く違っていました。
-
床には絨毯が敷き詰められていました。
この写真を撮った後、ミナレットの階段を上がりました。
ミナレットの階段はとにかく狭く人一人しか通れません。さらに階段と次の階段との高さがかなりあり、壁に手を添えて上がらないと後ろにのけぞりそうになります・
私は片手に一眼レフのカメラを持っていたので、とにかく上がるのに苦労しました。
階段を上りきると展望所に出ました。そこは狭く写真を撮るにも場所を空けてもらわないといけませんでした。コスキ メフメド パシャ モスク 寺院・教会
-
スターリ・モストの正面です。
ネレトヴァ川が流れ、景色としては申し分ないのですが、天気が悪いので川の色もエメラルドグリーンには見えず今一つでした。モスタル旧市街の古橋地区 旧市街・古い町並み
-
ネレトヴァ川を大きく入れました。本来ならネレトヴァ川が美しいのでこの構図なら美しい写真になるのですが、今日の天気では無理ですね。
午前中に比べると天候は悪化してきています。スターリモスト橋 建造物
-
スターリ・モストの周辺を取り込むとこんな感じになりました。
ネレトヴァ川 滝・河川・湖
-
スターリ・モスクに向かって左側の景色。
-
同じく右側の景色。こちらにはモスクが2個所残っています。うち一か所はハマム博物館の隣にありました。
-
ネレトヴァ川の上流方向。聖ペーター教会が左に見えます。
ネレトヴァ川 滝・河川・湖
-
コスキ・メフメット・パシナ・ジャミーナの中庭です。
右の高い建物がモスクの入り口です。コスキ メフメド パシャ モスク 寺院・教会
-
モスクの屋根。
コスキ メフメド パシャ モスク 寺院・教会
-
モスクの北東側の景色。
-
ネレトヴァ川の上流方向、モスクの北側です。
-
バザールを抜けると近代的な建物が並ぶ新市街(?)や住宅が広がっています。
-
ミナレットの階段。今階段を下りている所ですが、手摺はありません。階段の幅は狭く人一人がやっと通れる程度です。階段の段差も大きいのでミナレットの上り下りには十分注意してください。
私達4人はお互いに声を掛け合って上りました。そして降りる時も声を掛け合って。コスキ メフメド パシャ モスク 寺院・教会
-
モスクまでやっと降りてきました。
ミフラーブと説教壇、そして絨毯。モスクの中を見たのは初めてでした。綺麗な内部だったのでフラッシュを発行させて写真をとればよかったと、今思っています。 -
再び清めの泉です。
日本の神社やお寺にある身を清めるための手水舎と同じですね。
宗教は違っても神や仏にたいする畏敬の念はどこも同じなんだと感じました。 -
ここからスターリ・モストが見える庭に行くことができます。もちろんチケットがある方のみです。
-
ここはモスクの中庭にあった物ですがなんでしょうか?
モスクの中だから墓でしょうか。気になったので写真に撮っておきました。 -
時間があまり無いので集合場へ急ぎましょう。
通ってきたバザールの通りを引き返します。建物の2階にはトルコの国旗が掲げてありました。オールドバザール クユンジュルク 市場
-
カラフルなトルコ風土産の店。
オールドバザール クユンジュルク 市場
-
通り沿いのレストラン。可憐な花が色を添えていました。
-
スターリ・モスクの全景が見える場所に戻ってきました。モスクに行く前、ここからみんな写真を撮っていたんです。
-
バザールの入り口付近。
-
さっき上ってミナレットを振り返りながら駐車場に戻りました。
これから市内のレストラン「デル・リオ」で昼食です。このレストランもボスニア人居住区にあるレストランでした。オールドバザール クユンジュルク 市場
-
レストラン「デル・リオ」に行く途中の廃墟となったボスニア人(ムスリム人)居住区の建物。
弾痕が残っていました。モスタルの弾痕 史跡・遺跡
-
弾痕がハチの巣だらけの建物。現在も使用中の建物です。バスの移動中にシャッターを切ったので、この建物がアパートだったかビルだったか覚えていません。
見た感じではビルのようです。モスタルの弾痕 史跡・遺跡
-
こちらも弾痕がハチの巣のようになっている家。個人の住宅です。
モスタルの弾痕 史跡・遺跡
-
レストラン「デル・リオ」です。この建物の周囲は弾痕でハチの巣のようになった建物が多数ありましたが、レストランは綺麗に修復されていました。
デル リオ モスタル イタリアン
-
店内の様子。木調で統一された店でした。壁は木の板、天井は木の根っこで飾られていました。
デル リオ モスタル イタリアン
-
このレストランは料理が選択でした。チェバプチチかピーマンの肉包みの選択でしたが昨年食べたピーマンの肉包みが抜群に美味しかったので今回も同じものを選びました。
メインは同席したMさんと半分交換し2種類の味を楽しみました。2つの料理を比較するチェバプチチの方が若干美味しいように感じました。
前菜はパイ、デザートはケーキでした。(チェバプチチとケーキは写真がありません。)デル リオ モスタル イタリアン
-
レストランの隣のアパート。このアパートも弾痕だらけです。
特に上の窓枠の隣には機関砲で開いたような大きな弾痕がありました。モスタルの弾痕 史跡・遺跡
-
さらに上の方はハチの巣だらけです。
モスタルの弾痕 史跡・遺跡
-
廃墟になった建物。
モスタルの弾痕 史跡・遺跡
-
この建物には無数の弾痕があり集中的に銃撃を受けたことが分かります。ボスニア側の重要拠点の建物だったと推測できます。
モスタルにはあちこちにこのような銃撃を受けた廃墟や弾痕の建物がありますが、ボスニア側の建物の被害が多かったです。
これはクロアチア側の火力がボスニア側に比べて圧倒的に優勢だったからです。クロアチア民兵組織は本国クロアチアから送られてくる武器で急速に軍事力を強化してきました。ボスニア紛争勃発後はさらに本国からの兵器輸送が強化され、圧倒的な火力でボスニア人居住区を制圧、スターリ・モストを始め歴史的建造物を破壊しました。
ボスニアは元々武器を思うように調達できなかったので戦力は不利でした。そのため首都サラエヴォはユーゴスラビア政府軍(実質はセルビア共和国軍)に包囲され圧倒的に不利な戦いを強いられていました。
ここモスタルでは本国から豊富に武器が送られてくるクロアチア民兵組織と手を組むことで戦力の強化を図るとともに、セルビア人の民族浄化に手を染めました。
その後はすでに記述のとおりクロアチア人勢力がセルビア人勢力に攻撃を仕掛け、いくつもの悲惨な歴史が刻まれたのです。モスタルの弾痕 史跡・遺跡
-
ここも銃撃を受け廃墟になったボスニア人居住地区にある家屋です。
内戦が終結し表面上は平静を装った偽りの平和が続いているのがモスタルです。この証拠に、スターリ・モストには「1993年をわすれるな」と表示されているし、ボスニア人居住区内の廃墟や弾痕の建物はそのまま残してあります。
また、一本の道路を境に両民族の居住区は分かれ分かれになっており、2つの民族が交わることはもうないそうです。行政機関も民族ごとに分かれています。
モスタルでは束の間の平和を享受していても、いまだに火種が燻ぶり続けている危険な地域だということを認識すべきでしょう。
さらに悲劇はクロアチア人とボスニア人によって大量虐殺され、「民族浄化」の名のもとに歴史上からその民族の痕跡を消し去られたセルビア人です。
モスタルに古くから暮らしてきた2万人のセルビア人は、もうモスタルにはいません。故郷に帰った人たちはわずかにいますが、彼らには家も職も先祖の墓さえも残されてはいないのです。一人一人の人生の記録だけではなく、コミュニティの歴史さえ何もかも消し去られてしまったのです。
第2次世界大戦中、ナチス・ドイツの傀儡国家であったクロアチア独立国は「民族の浄化」を示唆しています。
ユーゴ紛争では「民族の浄化」はモスタルに限らず、他地域でも実施されました。
なかでもモスタルにおいては2万人のセルビア人を抹殺し、他地域のセルビア人を震えあがらせました。現在クロアチアでは定期的に国民に対して民族調査が行われています。調査の結果ではクロアチア国内にはセルビア人もユーゴスラビア人も居住していないそうです。
しかし、実態は民族名を明かすと殺されてしまうので、怖くて明かせないセルビア人がいくらかはいるだろうと言われています。
彼ら隠れセルビア人、ユーゴ人は何代か前の父方か母方の民族名を名乗って息を殺すように生活しているのではないかと推測されています。
こと「民族浄化」については調べれば調べるほどクロアチアが「悪」です。むろんセルビアでもこの「民族浄化」に対し報復しています。しかし、クロアチアの方がすさまじいのです。すでに第2次世界大戦中に「民族浄化」を政府が示唆し、セルビア人、ユダヤ人、ロマ人に対して「浄化」を行っています。
そのような歴史を知っているセルビア人は「もう何もしないから」と言われてもにわかには信じられないというのが本心でしょう。
ユーゴ紛争は複雑で全て理解できた訳ではありませんが、私が調べて感じた限りでは、今の平和は偽りの平和に思えて仕方がありません。水面下では恐怖や不平不満や恨みが渦巻いています。いつそれがどこで爆発するのか、心配でなりません。
そして、たとえ偽りでもいいからこの平和がいつまでも続いてほしいと切に願う次第です。モスタルの弾痕 史跡・遺跡
-
昨年は添乗員さんの後ろをついて行くだけの観光でした。モスタルの弾痕と「1993年を忘れるな」という標語、2つの民族が分離して生活していること、そして帰国後にセルビア人2万人が2つの民族の手によって抹殺されたことを知り、モスタルの平和は偽りの平和だと思うようになりました。
そして今度の旅行に先駆けていくつかの資料に目を通して旅行に臨みました。
自分に課題を課して臨んだ旅行でしたから、自分なりに理解が進み収穫のあった旅行でした。
また同行した添乗員も、ユーゴ紛争は複雑なため随分勉強してこの旅行の添乗に付いたそうです。
そういう意味においては私が調べ得なかった情報もあって、大変勉強になり、助かりました。
こうして色々な思いを載せてバスはモスタルを後にしました。
ネレトヴァ川を渡ってモスタルに別れを告げます。 -
バスは一般道から高速に上がって一路プリトヴィツェを目指しました。
-
左側車窓には川が見えてきました。
-
前方には石灰岩の荒々しい山。クロアチアでこのような険しい山は珍しいです。
-
今度は川や橋です。景色が単調なクロアチアではこのような景色は見ていて気持ちがいいものです。
今日は左側車窓がいいようですね。 -
さらに大きな川が見えました。ここはどの辺でしょうか。
-
ドライブインでトイレ休憩です。
-
このあたりの山も険しそうです。山は石灰岩で出来ています。
この後トラブル発生。高速を下りて一般道を少し走ると道路が通行止めになっていました。
バスは幅が狭い迂回路の田舎道に入り、大回りして行くことになりました。夕食はプリトヴィツェ国立公園内のホテルで食べる予定でしたが時間には間に合いません。車の混み具合でどの程度遅れるか分からないので、添乗員はたびたび連絡を入れていました。
結局夕方に着く予定が夜になり、ホテルの周囲はすっかり暗くなっていました。 -
食事の場所は泊まるホテルではなく、経営者が経営している別のホテルのレストランでした。
ホテルプリトヴィツェです。ここはそのホテルのレストランです。Hotel Plitvice ホテル
-
広いレストランです。
-
前菜は野菜スープ。
Hotel Plitvice ホテル
-
プリトヴィツェ名物マス料理です。
養殖ものですが川魚特有の匂いはありません。味は淡泊でした。
まずまずのお味。Hotel Plitvice ホテル
-
マス料理の他には野菜サラダとデザートはフルーツでした。
Hotel Plitvice ホテル
-
ホテルプリトヴィツェです。我々が今晩宿泊するホテルベルビューとはオーナーが同じです。そのため夕食はこちらのホテルで取ったようです。
Hotel Plitvice ホテル
-
ロビーの様子。
Hotel Plitvice ホテル
-
フロントです。ここでは両替ができます。
プリトヴィツェ国立公園内には3つのホテルがありますが、ランクではホテルプリトヴィツェは真ん中です。
私たちが宿泊するベルビューが一番下のランクです。Hotel Plitvice ホテル
-
ホテルプリトヴィツェの入り口。入り口は質素ですが、内部は充実しています。
Hotel Plitvice ホテル
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
紺碧のアドリア海を満喫する10日間の旅
-
前の旅行記
クロアチア、スロベニア他10日間 紺碧のアドリア海を満喫する旅 14 (クロアチア③、 中世の町コトル)
2016/06/15~
コトル
-
次の旅行記
クロアチア、スロベニア他10日間 紺碧のアドリア海を満喫する旅 21 ( 建築の宝石箱 グラーツ )
2016/06/15~
グラーツ
-
クロアチア・スロベニア他10日間リベンジの旅 17 (リベンジ 絶景のプリトヴィッツェ 、プリトヴィツェの...
2016/06/15~
その他の都市
-
クロアチア・スロベニア他10日間 リベンジの旅 18 ( 絶景を求めて、 プリトヴィツェ下湖群 ② )
2016/06/15~
その他の都市
-
クロアチア・スロベニア他10日間、リベンジの旅。19 ( 感動、 プリトヴィツェ上湖群は下湖群以上に素晴らし...
2016/06/15~
その他の都市
-
クロアチア・スロベニア他10日間、リベンジの旅。 20 ( 感動 プリトヴィツェ上湖群はすばらしかった ② ...
2016/06/15~
その他の都市
-
クロアチア、スロベニア他10日間、リベンジの旅 1 ( 雨上がりのブレッド湖は美しかった ① )
2016/06/15~
ブレッド湖周辺
-
クロアチア、スロベニア他10日間リベンジの旅 2 ( 雨上りのブレッド湖は美しかった ② )
2016/06/15~
ブレッド湖周辺
-
クロアチア・スロベニア他10日間 リベンジの旅 4 (イストラ半島を観光する プーラ編 )
2016/06/15~
プーラ
-
クロアチア・スロベニ他10日間 リベンジの旅 5 ( ビザンチンの黄金のモザイクを訪ねて ポレチュ1 )
2016/06/15~
ポレチュ
-
クロアチア・スロベニア他10日間 リベンジの旅 6 ( イストラ半島ポレチュ②、 憧れのロヴィニ )
2016/06/15~
ロヴィニ
-
クロアチア・スロベニア他10日間 紺碧のアドリア海を満喫する旅 7 (世界遺産の町トロギール)
2016/06/15~
トロギール
-
クロアチア・スロベニア他10日間 紺碧のアドリア海を満喫する旅 8(世界遺産トロギール2、スプリット1 )
2016/06/15~
トロギール
-
クロアチア、スロベニア他10日間 アドリア海を満喫する旅 10 ( ストン、ドブロヴニク① )
2016/06/15~
ドブロブニク
-
クロアチア、スロベニア他10日間 紺碧のアドリア海を満喫する旅 9 ( スプリット ② )
2016/06/15~
スプリット
-
クロアチア、スロベニア他10日間 紺碧のアドリア海を満喫する旅 11 (ドブロヴニク ② )
2016/06/15~
ドブロブニク
-
クロアチア、スロベニア他10日間 紺碧のアドリア海を満喫する旅 12 ( ドブロヴニク③ )
2016/06/15~
ドブロブニク
-
クロアチア、スロベニア他10日間 紺碧のアドリア海を満喫する旅 13 ( ドブロブニク③ロブリイェナツ要塞 ...
2016/06/15~
ドブロブニク
-
クロアチア、スロベニア他10日間 紺碧のアドリア海を満喫する旅 14 (クロアチア③、 中世の町コトル)
2016/06/15~
コトル
-
クロアチア、スロベニア他10日間の旅 16 ボスニア紛争と負の世界遺産の町モスタル
2016/06/15~
モスタル
-
クロアチア、スロベニア他10日間 紺碧のアドリア海を満喫する旅 21 ( 建築の宝石箱 グラーツ )
2016/06/15~
グラーツ
-
クロアチア、スロベニア他10日間 紺碧のアドリア海を満喫する旅 22 ( 建築の宝石箱 グラーツ後編 )
2016/06/15~
グラーツ
-
クロアチア・スロベニア他10日間リベンジの旅 3 (スロベニア ポストイナ鍾乳洞)
2016/06/16~
ポストイナ
-
クロアチア、スロベニア他10日間 紺碧のアドリア海を満喫する旅 15 ( コルト②、ドブロヴニク④ )
2016/06/17~
コトル
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
-
Hotel Plitvice
3.94
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ) の人気ホテル
ボスニア・ヘルツェゴビナで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ボスニア・ヘルツェゴビナ最安
625円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
旅行記グループ 紺碧のアドリア海を満喫する10日間の旅
0
88