2015/08/20 - 2015/08/20
2745位(同エリア10322件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1759冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,459,803アクセス
- フォロワー169人
「ナショナル・ギャラリー」の見学が終わった後はセシル・コート通りに戻って地図を探しましたが、目的の17世紀のものはほとんど無く18世紀以降のものばかりだったので残念ながら新たなコレクションは増えませんでした。そうするとお腹が空いて来たので、ニールズ・ストリートまで戻ってフィッシュ&チップスで有名な「ロック&ソール・プレイス」へ行くことにしました。ここでコッドのレギュラーとレモン・ソールのレギュラーを注文してビールを飲みながら料理が来るのを待ちます。さすがに有名店だけあってお客さんは引切り無しにやってきます。食後はCOSやMANGOで買い物してしまったので一度ホテルへ戻ります。こんな時にホテルが近くにあると便利だと思いました。部屋で一休みしてからトラファルガー広場を抜けてリージェント・ストリートからオックスフォード・ストリートと散歩しますがどこも凄い人で混雑していました。そのままセルフリッジを曲がって「ウォレス・コレクション」の見学に行きました。ここは規模は大きくありませんが素晴らしい作品が多く、何よりお客が少ないのが良かったです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- エティハド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「ナショナル・ギャラリー」の見学を終えてトラファルガー広場に出るとこちらも凄い人出でした。誰もいない中で国旗を描いていた人もだいぶ進んだようです。観光客は自分の国の旗を見つけるとそこにお金を置いていくようで、中国の国旗にはだいぶ小銭がありました。さすがチャイナマネーは世界を席巻しそうです。
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毎日毎日同じことを繰り返しているのでしょうか?いろいろな方の旅行記にも登場しています。いくらくらいの稼ぎになるのでしょうか…。「マドンナーロ」は「聖母を描く人」「聖母を描く仕事」を意味するイタリア語です。中世のイタリアで祭りの日に地面に聖母やその町の守護聖人の絵を描いたりしたのがその始まりと言われています。
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「ナショナル・ギャラリー」の建物はこれくらいの角度で見上げるくらいが一番綺麗に思えました。
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広場で営業している人たちは許可を取っているのかと思いましたが、後日警察官が来て捕まっている人がいました。すると他の人たちも商売道具を置いてどこかへいってしまいました。
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捕まっていたのはヨーダでした。もうフォースが衰えてしまったのですね。この手の空中浮遊の起源はインドで、想像通り金属のベース板から棒が伸びて、手の長さに横棒があってそこから下に伸びた棒の上に足を乗せるプレートがある訳です。余裕のある服装をしているのは支柱を隠すためですね。
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セシル・コート通りに戻ると古地図や古本の店が開いていました。2人で手分けして地図を探しました。欲しかったのはマルタ島やキプロス島やコルフ島といったイギリスに関係した地中海の島のものです。いくつかありましたがどれも18世紀後半から19世紀と比較的新しいものばかりで買いたいという思いにはなりませんでした。
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昔マルタ島のヴァレッタのアンティーク屋でオークションの情報を貰って、ゼッブージという観光に全く縁の無い街の小学校に行ったことがありました。ここでそれは美しいマルタ島とゴゾ島の地図を見たことがありました。買いたかったのですが、チャリティーという事もありクレジットカードが使えずに諦めた思いが蘇えってきました。
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すぐに気持ちを切り替えてニールズ・ストリートの先の「ロック&ソール・プレイス」で遅いお昼にします。途中でCOSやMANGOで買い物したので2時過ぎているのですが店内は満員で、テラス席も相席で何とか座れるほどの混みようです。いろいろ調べてみて一番人気の高いフィッシュ&チップスの店だったので期待が高まります。
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隣のおじさんが食べていたCOD(タラ)が美味しそうだったので1つはそれにします。普通であればHADDOCK(コダラ)といくところでしょうが、店の名前のSOLEに引っ掛かります。下の方にLEMONSOLEを見つけたのでこちらも注文しました。サイズはどちらもレギュラーサイズです。
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ビールのメニューにブドヴァルとあったので注文してみたらバドワイザーでした。そういえばチェコでもそう呼んで注文していたことを思い出しました。久し振りに懐かしいイタリアのビール、PERONI(ペローニ)も飲みました。ビールもグラスもキンキンに冷えていました。
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ビールで喉を潤していると料理が届きました。こちらはタラで、カリカリの衣に肉厚の白身はプリプリで熱々です。ポテトもホクホクで熱々です。
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こちらはレモンソールでタラに比べると少し小さめですが味は濃厚です。タルタル風のソースによく合います。テーブルに置いてあるビネガーをかけるとさらに美味しいです。
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8月下旬の気持ち良い季節だったので表で美味しくいただきました。
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店の中は相変わらず満席です。かなり狭いので表で食べるのがおすすめです。まぁ季節や天気もに寄りますが。
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昔スペインを1か月くらいかけて旅した時にジブラルタルにも寄りました。入国手続きをして滑走路を歩いて渡って街に入るとほとんどの店が休みでした。日曜日の遅い午後でしたから開いている店もパブが1軒くらいでした。お昼を食べていなかったのでその店でフィッシュ&チップスを注文しましたが、その料理の不味かったこと…。イベリア半島でなんでこんな不味いものを食べなければならないのかと思いました。それ以来のフィッシュ&チップスでしたが、良い思い出に塗り替えられたので良かったです。
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買い物をたくさんしたので一度ホテルへ戻ることにしました。そう決まると更に買い物に拍車がかかり4歳の姪にジャンパーを買いました。フードが付いているので一瞬迷いましたが…。やっぱり保育園の中ではフード付きはダメでした。送り迎えは大丈夫ですと弟の奥さんに喜んでもらえました。姪もこのジャンパーがお気に入りで、小学校に入ってからも着てくれています。
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イチオシ
15番のバスには何度も乗ったのですが1時間に1本走っているはずの古いダブルッデッカーには一度も乗れませんでした。そういえば古いバスが好きで2回も行ったマルタ島ですが、数年前に新しいバスに変わったと聞きました。古いレイランドやベッドフォードのボンネットのバスたちはどうなったのか心配です。
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イチオシ
オスカー・ワイルド原作の「真面目が肝心」(The Importance of Being Earnest)はビクトリア朝時代の上流階級をテーマにした風刺喜劇で、ブラックネル卿夫人役を見てビックリ!
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額から上を手で隠して分かりました。デビッド・スーシェでした。何と「名探偵ポワロ」が女装しています。これは観てみたいと思いましたが時間が合わないことが分かり断念しました。
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トラファルガー通りを抜けると国旗がさらに増えていました。自分の国の国旗を見つけるとお金を置いていく人がいるようで、なるほどナショナリズムを逆手に取った面白い商売だと思います。
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ピカデリー・サーカスへ向かうと背中側がテムズ河になるのでゆっくりとした上り坂になります。坂の途中に「ハー・マジェスティ・シアター」がありました。現在は女王の時代なのでハー・マジェスティですが国王の場合はヒー・マジェスティーに名前が変わるそうです。「オペラ座の怪人」が上演されています。
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しばらく歩いて「ピカデリー・サーカス」に差し掛かりました。待ち合わせ場所で良く使われる場所だそうです。
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シャフツベリー記念噴水です。第7代シャフツベリー伯の活動を記念して建造されたもので、設計者はアルフレッド・ギルバートです。噴水の頂点には翼を広げた「キリスト教的慈愛を表す天使」の像が備え付けられています。
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「エロスの像」とガイドブックにも載っているのですがいろいろ調べてみると違うようです。ギルバートはエロスの双子の弟であるアンテロスを意識してこの像を設計しているそうです。名前には愛に対するものという意味があり、相互愛や同士愛の象徴とされたそうです。
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エロスとアンテロスの違いはエロスは鳥の羽で、アンテロスは蝶の羽だそうです。先端部がとがっているのが鳥で丸いのが蝶だそうです。でも見分け付かないですよね。また、これは世界で最初に造られたアルミニュウムで造られた像でもあるそうです。
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イチオシ
広角16ミリのレンズで撮ったらこんな曲線になりました。
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振り返ってもこんな感じ。本当にここのカーブはすごいですね。ロンドンに来たら絶対見たい場所ではありました。
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バーバリーのリージェント・ストリート店で世界最大級の店だそうです。そのまま通過したら後で妻に叱られました。この旅の前に三陽商会はバーバリーとのライセンス契約を失い、後には大変なことになりました。
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通りの反対側には「ハムリーズ」と言う世界最大のおもちゃ屋さんがありました。時間があったら絶対に立ち寄るところですが「、ウォリス・コレクション」の開館時間が気になるので先を急ぎます。
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オックスフォード・サーカスを曲がってセルフリッジを通過します。入口にはシルバーとブルーのロールス・ロイスが停まっています。ナンバープレートにはアラビアの文字が見えます。ウインドウが綺麗だったので写真に撮っておきます。
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1ブロック北に進むといきなり住宅街に変わります。これはハロッズの裏でもそうでしたが、ロンドンって凄いなと思いました。
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午後4時近くになって「ウォレス・コレクション」に到着しました。この邸宅はすごかったです。25の部屋にあらゆるものがコレクションされています。特に古典絵画には驚かされました。ムリーリョはスペインのセビリア以外でこれだけのコレクションがあるとは思わなかったですし、ヤン・ステーンの作品も多かったです。
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この美術館はハートフォード侯爵リチャード・シーモア=コンウェイのプライベートコレクションから成り立ち、コレクションと邸宅は息子リチャード・ウォレスが相続しています。ウォレスの未亡人がコレクションの全てをイギリス政府に追贈し、1900年から美術館として公開されたそうです。コレクションを持ち出すことは許されておらず、外部の展示会に貸し出されることも無いというのが気に入りました。
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ギリシャのコルフ島のオーストリアの皇后エリザベートの別荘のアヒリオンパレスの階段を思い出しました。あそこは登れませんでしたが、ここはちゃんと登れます。
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好きな物だけ見て興味の無い物を飛ばしても2時間近くかかりました。ベルナール・パリシーの装飾陶器はやっぱりいいですね。お皿なのに物が飾れない潔さがいいです。
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このタイプの陶器を見るとどうしてもポルトガルのカルダス・ライーニャのボルダロ社を思い出してしまいます。キャベツの形をしたボウルとかで有名ですが、こういった陶器も制作しています。
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この顔の付いた脚付きのお皿も欲し
かったです。 -
「オットー・ヘンリーの甲冑」
オットー・ヘンリーは強力なドイツの戦争の指揮官であり、芸術の援護者であるとともにプロテスタント改革の擁護者でもありました。馬の甲冑の顔の部分にはバイエルンの紋章が取り付けられています。黒く塗られた部分と金メッキの組み合わせがとても優雅です。 -
こちらも19世紀に修復されていますが15世紀の希少な馬用の甲冑です。16世紀以前に作られた3つの完全な騎馬装甲が完全に保存された唯一のものだそうです。騎馬用だけでなくおびただしい数の甲冑や武器が延々と飾られています。
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展示されている物だけでなく邸宅自体が素晴らしい美術品です。
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世界でも最も重要なフランス家具コレクションの1つでもあるそうです。全部で500点以上からなる家具コレクションは18世紀フランス家具を広く収集し、19世紀フランス家具、イタリア家具とイギリス家具、ドイツ家具まで収集されています。
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真鍮や鼈甲象嵌(アンドレ・シャルル・ブールの象嵌)、寄せ木象嵌で化粧張りされたキャビネットをはじめ椅子や時計や晴雨計、金鍍金ブロンズ彫刻を組み込んだ陶磁器、貴石工芸、マントルピース、鏡、化粧箱、台座にまで及ぶそうです。
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フランス家具コレクションの1つはキャビネット製作者として最も著名とされるアンドレ・シャルル・ブールの家具です。
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部屋ごとに壁のシルクの布張りの織柄や色が違い、贅の限りを尽くしていることが伺われます。
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尋常なこだわり様ではありません。多分収集品の家具に合わせた生地を注文して部屋ごとに仕分けたのでしょう。ですから屋敷から持ち出し禁止なのでしょう。
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17世紀のフランドル絵画やオランダ黄金時代の絵画、18世紀から19世紀にかけてのフランス絵画に強く、イギリス、イタリア、スペインの突出した作品も納められています。レンブラント、ルーベンス、ファン・ダイク、カナレット、ムリーリョ、ティツィアーノ、ベラスケスなどの作品も素晴らしいです。
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「画家の息子ティトゥス」
レンブラント・ファン・レイン
レンブラントにはたくさんの子供がありましたが、いずれも生後数か月で亡くなっています。唯一成人したのはこのティトゥスだけです。そのティトゥスも27歳で亡くなってしまいます。 -
イチオシ
名声は残したレンブラントですが、借金も多くアムステルダムの家や妻の墓まで手放しています。家族には先立たれ決して幸せだったとは思えない生涯です。2か月前にアムステルダムのレンブラントの家に行ったばかりなので、彼ら家族への思い入れが強いです。
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「仕事する主婦」
ニコラース・マース
理想的な17世紀のオランダの主婦の美徳を目立たない清潔なインテリアでシャツを縫う姿で現しています。彼女の脇に開いた聖書は彼女が敬虔なキリスト教徒であることを意味します。マースはは平凡な情景を道徳的なものに変える力があります。女性のジェスチャーと窓の外の小さな男の子は古いことわざを暗示しています。 -
ニコラース・マースはオランダのドルドレヒトで生まれ、1648年頃アムステルダムへ出てレンブラントの工房へ入ります。絵の額に1656年と書かれてあるのでドルドレヒトに戻ってからの作品のようです。
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「エキゾチックな衣装を着た少年」
レンブラント・ファン・レイン
この小さなパネル絵画はオランダ語で「トロニー」と呼ばれ、頭部または上半身だけを単一の人物の絵画として描いています。このタイプの絵画はライデンの工房でレンブラントとヤン・リーヴェンスによって開発されました。おそらく肖像画の練習として彼らの訓練の高度な段階で生徒たちによってしばしば描かれました。スタジオモデルは家族や親戚に想像された衣装でポーズをとっていました。画面の少年は真珠のイヤリング、赤いベルベットの帽子、青い灰色のチュニックの上に金の刺繍のマルーンマントを身に着けています。 -
リーフェンスは1626年から1631年までレンブラントと共同でライデンに工房を構えています。2人が競作した絵画は素描やエッチングを含めると作品は24ほどになります。トロニクスはレンブラントのクライアントに人気を博しました。偽のレンブラントの署名と1633の年号が描かれたこの絵は、レンブラントの弟子ゴヴァールト・フリンクによって、1636年頃にアムステルダムで描かれたものかもしれません。
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「善きサマリア人のたとえ」
レンブラント・ファン・レイン
ある人がエルサレムからエリコに向かう道中で強盗に襲われて身ぐるみはがれ、半死半生となって道端に倒れていました。祭司やレビ人といった神殿にかかわる人々はこの人を助けずに通り過ぎて行きます。 -
しかしユダヤ人から嫌われていたサマリア人はこの半死半生の人を助けます。傷口の治療をし家畜に乗せて宿屋まで運び、宿屋に怪我人の世話を頼んで費用まで出したという新約聖書ルカの福音書が題材になっています。
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「自画像」
レンブラント・ファン・レイン
レンブラントは彼のキャリアを通じて自画像を数多く描きました。黒いベレーと毛皮のマントを身に着けているこの作品は1634年に描かれたベルリンのゲメルデガレリーの自画像と同じ木製のパネルに描かれました。現在の自画像の下には未完成の半長の女性の肖像画があります。肖像画が描かれた後のおそらく1837年頃に半円形のトップを持つフレームに収められていたとき、パネルは大きくカットされました。元々は長方形で10センチ高く6センチの幅が現在よりも広かったかもしれません。 -
イチオシ
アムステルダム国立美術館やマウリッツハイス美術館で数か月前にも数点の自画像を見ていますがここでまた出会えるとは思いませんでした。かなり若い頃の肖像だと分かります。着ている衣服からも羽振りの良かった時代のようですが、想像上の衣装かもしれません。
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「眠る猟師」
ガブリエル・メツー
アムステルダム国立美術館で観た「病める子」が印象にまだ残っています。画題の猟師は17世紀のオランダの絵画のジャンルでは男性の女性の追求として比喩的に解釈されます。鳥を意味する「フォーゲレン」が性交のための表現であり、鳥猟師の「フォーゲラール」が愛人を示しています。 -
メツーの自画像でもある眠る男性は股間のパイプの位置で性的インポテンスを示唆し、空のグラスを持って出入口に立っている女性は、窓から身を乗り出して猟師の「鳥」を盗もうとしている男性は愛人を盗むことを暗示しています。尻尾を振る犬は故意的にこちらを見つめています。
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「アムステルダムの西教会の眺望」
ヤン・ファン・デア・ヘイデン
ヤン・ファン・デア・ヘイデンは17世紀オランダを代表する都市風景画家の1人です。彼は消火活動に興味をもっていたようで、消火ホースの発明者としても知られているそうです -
。画家としてのヤン・ファン・デア・ヘイデンは細部まで描きこんだ穏やかな風景画が特徴だったようです。アムステルダムではこの教会近くのホテルに泊まっていたので何度も近くを通りました。アンネ・フランクの家もこの近くです。
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「レースを編む女」
カスパル・ネッチェル
17世紀に女性はしばしば危険な生き物として描かれ、悪徳の意味となりがちでした。当時の道徳家は女性のための唯一の職業として結婚を推薦しました。家の中では主婦の主な義務の一つは左側の壁に突き出たほうきによって秩序と清潔を暗示されます。女性の控えめなウールのドレスは彼女の虚栄心の欠如を意味し、レース作りの繊細で困難な仕事は彼女の道徳的な正統性を強調しています。 -
ボビンレースを見るとマルタ共和国のゴゾ島だったり、サンチアゴ・デ・コンポステーラのおばあさんだったり、いろいろな旅のことを思い出します。
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「花瓶と花のある静物画」
ヤン・ファン・ホイスム -
リンゴの花の枝にヨウラクユリ にポピーとチューリップとバラなどが写実的に描かれています。この絵が描かれた頃にはチューリップバブルが弾けた後ですが、贅沢なイメージで描かれています。水滴まで描き写実性を高め、蝶やハエやテントウムシでリアリティを高めています。
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「花と果物のある静物画」
ヤン・ファン・ホイスム -
ホイスムはアムステルダムに生まれ、父のユストゥス・ホイスムも静物画の画家でした。描かれているのはブドウ、メロン、桃、ザクロ、立葵、矢車菊と三色昼顔とポピーです。この絵はリチャード・ウォレスのコレクションだそうです。
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「ハープシコードの練習」
ヤン・ステーン
ドイツ語ではチェンバロです。ブリュッセルの楽器博物館で聞いた音色を思い出します。アムステルダムの国立美術館にヤン・ステーンの自画像がありましたが、こんな怖い顔をした人がどうしたらこんな繊細な絵が描けるのだろうと思いました。 -
ハープシコードを教えるのは時代遅れの衣装を着た老人で、実際は教師ではありません。部屋に掛けられた絵にはキューピットの絵が描かれ、2人の間にある鍵は老人の欲望を表します。
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「村の錬金術師」
ヤン・ステーン
錬金術師は当時人気の題材だったようです。天文学者や哲学者も同じように人気の職業でもあったそうです。錬金術師はまるで狂ったように中空を見つめています。彼は周囲の貧困に気づかず、強迫観念によって早熟に老化している。 -
イチオシ
対照的に背景に見られる彼の若い妻と子供は絶望しています。女性は2つのシンボルに私たちの注意を引きます。肥大化した膀胱と一緒に天井から吊り下げられた空のお金の袋は妄想と貧困を象徴しています。
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「リュート奏者」
ヤン・ステーン
官能的な耽溺の教訓を題材に描いています。リュート奏者は音楽を通して彼女自身の美しさを視覚的に示しています。彼女は青と黄色のシルクのきらめく衣装に身を包み、それ自体が画家の芸術の官能的な喜びを表します。 -
左側でワイングラスを持つ男はまさしくヤン・ステーン自身です。抱き合うカップルはミスマッチな恋人で、その時代遅れのラフと帽子を持つ男の黒い衣装は他の絵画で描かれた性欲的な医者が着用したものに似ています。リュート奏者の腰からぶら下がっている大きな財布の存在は、彼女の「愛」が金銭で買われる可能性があることを意味します。
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「居酒屋のお祭り騒ぎ」
ヤン・ステーン
居酒屋でのお祭り騒ぎはオランダの陽気な居酒屋の日常とフランダースの伝統を兼ね備えています。母親と子供、踊り子と酒飲み、見物人の家庭的な泥沼の活発な描写は、自然な情景を生き生きと描いています。 -
この絵には教訓的な深い意味は無いようです。右の踊る若い夫婦と左の年老いた喧嘩をする夫婦の間に吊り下げられた鍵。人間の生活の多様性はテーブルで若い男の子の隣で祈る老婦人、愛らしい座っているカップル、バグパイププレーヤー、右側で酒を飲む男性のグループと前景に母親、赤ちゃんとうずくまる男の子で描かれています。これらの異なる年齢での人間の行動の例として機能します。人々の人生の縮図が描かれているということでしょうか。
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時代や描かれたエリアごとに体系的に絵画が展示されていることに驚かされます。ヤン・ステーンをこれだけまとめて観ることが出来るとは思いませんでした、
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「ペルセウスとアンドロメダ」
フランシス・レ・モイネ
アンドロメダはエチオピアのケフェウス王とカシオペア王妃の娘でした。カシオペアは口を滑らせて女神の気を損ね、ポセイドンは海の怪物ティアマトを放ちます。アンドロメダは海獣ティアマトの生贄になるべく海岸の岩に繋がれます。そこへメドゥーサの首を持ったペルセウスが現われ海獣を退治します。 -
「ペルセウスとアンドロメダ」
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
スペイン国王フェリペ2世を顧客としたポエジア(詩想画)と呼ばれる一連の神話画の1部として1554年から1556年に描かれました。この作品はローマの詩人オウィディウスの「変身物語」に主題を取っており、連作の全ての作品が裸婦を取り上げている。絵画は海岸の崖に鎖でつながれたアンドロメダを食らうために現れた海の怪物を退治しようと空を飛んで戦うギリシア神話の英雄ペルセウスを描いています。この絵画は頻繁に所有者を変え、ヴェネツィアで描かれたのちベルギーに発送され、その後スペイン、イタリア、イギリス、フランスを渡り歩き最終的にウォレス・コレクションとなっています。 -
「エウロペの誘拐」
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
ゼウスは天界から人間界を覗き見ていてフェニキア王アゲノルの娘エウロペに一目惚れします。ゼウスは白い牡牛に姿を変えエウロペに近づきます。白い牡牛は珍しいのでエウロペは近づき、大人しいので牡牛の背中に乗ります。 -
途端に牡牛は海に入りクレタ島まで泳いで行きます。そして生まれたのがミノス、ラダマンテュス、サルペドンという息子です。ミノスはクレタの王となります。エウロペはヨーロッパの語源でもあります。この作品も同じ「ポエジア」のシリーズの1点です。
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「敬慕する聖者と一緒の栄光の聖母子」
バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ
スティロ・バポローソ(薄もやの様式)と称される、画面全体が薄もやに覆われたような夢幻的な作風は晩年の作品に見られます。聖母マリアの純潔性をあらわした「無原罪の御宿り」を題材とした絵を何枚か残しています。 -
イチオシ
ここでムリーリョの作品と再会した時にセビリアの美術館で観た暑い夏を思い出し、妻を伴ってスペイン旅行を考えるようになりました。その思いは約1か月の旅として3年後に叶いました。聖母子の足元の若い女性たちは聖徒ジュスタとルフィーナで、セビリアの女性守護聖人です。彼女たちは素晴らしい陶器を作った姉妹で、異教の儀式のためにそれらを売ることを拒否しました。そして304年に殉教しました。
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「マリアの結婚」
バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ
この絵の主題は聖書では無くむしろ黄金伝説に由来します。マリヤの結婚にあたって求婚者が神殿に召され、ヨセフは神からの啓示によってマリアの夫に選ばれました。ムリーリョはエルサレム神殿ザカリヤの大祭司によって結婚が祝福されるように、聖母がヨセフの手を取る瞬間を描いています。ヨセフの杖が象徴的に花を咲かせ、聖霊は2人の上に舞い降りようとしています。ムリーリョは右に選ばれなかった求婚者の集団を描い、そのうちの1人は怒ってヨセフの杖を折っています。 -
この絵はムリーリョの傑作とされスペインのロイヤル・コレクションの中に登録されていました。ハートフォード侯爵は1848年にパリでこの絵を25,000フランで購入しました。
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「ヨセフと兄弟」
バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ
ジェノヴァの商人ジョヴァンニ・ビエラトは、後にウォレス・コレクションとなる「羊飼いの崇拝」や「ビジャヌエバの聖トーマス」など、ムリーリョの多くの作品と共にこの絵画を1670年に彼の故郷の故郷に持ち帰りました。彼の死後作品は市内のカプチン教会に寄贈され、そこから19世紀にイギリスのディーラーによって取られます。 -
ヨセフは父ヤコブと母ラケルとの間に長男として生まれますが、ラケルは後妻だったので実際は11男になります。ヤコブはヨセフが年取ってからの子であるため誰よりも可愛がり、きらびやかな服をヨセフに送ったりします。そのため10人の異母兄たちはヨセフを憎むようになります。ある日ヨセフは夢を見てそれを語ったので兄弟たちのねたみを買い穴に落とされてしまいます。そして彼らによってミデヤン人の隊商に売られてしまいます。そしてヨセフの服に羊の血を付けて父ヤコブにヨセフは獣に襲われて死んだと報告します。
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「ドン・バルタサール・カルロスの肖像」
ディエゴ・ベラスケス
バルタサール・カルロスはスペインのフィリップ4世の息子で、母親は女王イザベル・ド・ブルボンです。バルタサール・カルロスは16歳の熱病で亡くなりました。この肖像画は3歳ころの姿を現しています。 -
この絵は18世紀以降フランスのルイ・フィリップ王に属していました。この絵のためにハートフォード公爵は絵のために1,600ギニーという「驚異的な価格」を支払いましたがが、1855年にこの絵を見たときに購入に満足しているようで、代理人サミュエル・モーソンに「ベラスケスは美しい」と書いたそうです。
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「羊飼いの礼拝」
バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ
この作品も「ヨセフと兄弟」と同じ経緯でウォレスコレクションに納まっています。 -
ジェノバの貿易商人ジョヴァンニ・ビエラートはこの絵を始めムリーリョの作品を何点か持っていました。彼の死後19世紀にイギリス人のディーラーの手に渡り1846年にはハートフォード公爵の手に渡ります。
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「乗馬学校の王子バルタサール・カルロス」
ディエゴ・ベラスケス
王子の騎馬像は彼の支配能力を予告しています。場面はマドリード郊外のブエンレティーロ宮殿にある王子のアパートの前で行われています。王子はおそらく右の傾きで傾く練習をしています。同じような騎馬像はマドリッドのプラド美術館の「ラス・メニーナス」の隣に飾られています。 -
「受胎告知」
バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ
大天使ガブリエルがマリアに神の子イエスをことを伝える聖ルカの福音書に記述されている瞬間を描いています。ムリーリョは通常半透明な色彩と絵画的な効果によって天の栄光の一つに変えます。神の黄金の光の柱はひざまずくマリアを照らします。雲に乗った天使たちが彼女とガブリエルの上を渦巻き、片側に浮かぶ天使は聖霊の下降の鳩を見守っています。 -
この絵は1688年にセビリアのカプチン修道会士教会のために描かれたもう1つの 「受胎告知」似ています。
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「聖家族と洗礼者ヨハネ」
バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ
この聖家族の絵の主題はイエスの生涯に関するフランシスコ会の教義に由来しています。中央では幼児イエスは母親に「神の子羊」と呼ばれる巻物を見せています。子羊は無邪気さと謙虚さの象徴であり、伝統的にイエス自身とバプテスマの聖ヨハネに関連する属性であり、犠牲の動物であったのでこの絵の中の存在は2人の殉教を予感させます。 -
1670年に描かれたこの絵はセビリア大聖堂のアンティグア礼拝堂の聖具室に掛けられていました。絵画を隠す努力にもかかわらず、1810年にセビリアを占領したフランス軍のスール将軍により接収されました。
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「キリストと聖ペテロ」
ピーテル・パウル・ルーベンス
1800年に売りに出されるまでブリュッセルの聖グドゥール教会のニコラス・ダナントの墓に飾られていました。1850年にオランダのハーグでウィレム2世によって売りに出されハートフォード公爵が手に入れています。 -
「聖家族と聖エリザベスと洗礼者ヨハネ」
ピーテル・パウル・ルーベンス
この絵画では幼子の姿のバプテスマの聖ヨハネは、彼が後に砂漠で説教しながら身に着けていた動物の毛皮によって描き分けられています。18世紀の間に絵画はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ2世が所蔵していました。 -
最終的には1846年に2,660ギニーという巨額の金額で取引されて、ウォレス・コレクションに納められています。
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「微笑む騎士」
フランス・ハルス
ハルスは、オランダ絵画の黄金時代を代表する画家の1人で、レンブラントよりはやや年長ながら、ほぼ同時代に活躍しています。オランダのハーレムで活躍し、作品にはハーレムの住人の肖像画を多く描いています。 -
イチオシ
人々の生き生きとした表情を捉える描写力は卓越していて、笑っている人物画を多く描いたことから「笑いの画家」と呼ばれています。
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「フランチェスカ・ダ・リミニ」
ラヴェンナ領主グイド・ダ・ポレンタの娘で、ダンテ・アリギエーリの「神曲地獄篇」に登場する人物です。父親のグイドは敵対するマラテスタ家との争いを終わらせるため、娘フランチェスカをリミニ領主ジョヴァンニ・マラテスタへ嫁がせることにします。ジョヴァンニは勇猛だが足が不自由で容姿は醜かったそうです。グイドはフランチェスカがジョヴァンニを嫌ったことを知り、ジョヴァンニのハンサムな弟パオロ・マラテスタを代理人として結婚式を執り行います。しかしフランチェスカとパオロは恋に落ち、フランチェスカは結婚式翌日の朝まで自分が騙されたことに気づきません。フランチェスカとパオロは2人でランスロットとグイネヴィア王妃の物語を読んでいるうちに惹かれ合い、不意にパオロはフランチェスカを抱き寄せますその直後2人の密会を物陰から盗み見ていたジョヴァンニにより殺されてしまいます。 -
その絵の前に置かれているのはダンテの彫像です。思わずにやりと笑ってしまいました。妻にも教えてあげようと思いましたがどっかに行ってしまいました。「フランチェスカ・ダ・リミニ」はダンテの新曲に登場する人物だからです。
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「プルチネッラ」
J.I.E.メイソニエール
メイソニエールのパンチの作品はアポロニー・サバティエのパリのアパートのドアパネルに描かれまていました。この人物が身に着けている下駄はフランス語でサボットで、間違いなくサバティエの名前に語呂合せしています。この絵画は扉から切り取られ、1861年にサバティエのコレクションを販売するために補修されています。 -
プルチネッラはナポリの伝統的な風刺劇コメディア・デラルテに登場する道化師です。高い鼻と太鼓腹や白い服と対照的な黒いマスクを被っています。プルチネッラはイギリスに伝わりパンチという名の毒舌の道化師として知られることになります。黒いマスクを被っていないのでイギリスに渡ってからの姿なのでしょう。
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「塔の中のエドワード5世とヨーク公リチャード」(エドワードの息子たち)
ポール・ドラロッシュ
この絵はルーブル美術館で観た記憶があります。でもロンドンにあったほうがリアルな絵です。怯えた2人の子供が薄暗い室内でこちらの方を向き、天蓋付きの寝台の上で抱き合いながら座っています。この2人は亡くなったイングランド王エドワード4世の子供たちで、幼きイングランド王エドワード5世と9歳の弟リチャードです。左手の扉の下から光が漏れ、誰かが立っているようです。そして犬が吠えます。 -
シェークスピアの歴史劇「リチャード2世」の中にこんなセリフがあります。自分の姿の醜さを「そばを通った犬も吠える。」そうエドワード4世は亡くなる前に弟のリチャード3世に自分の息子を王にするよう頼みます。ところが弟は甥達をロンドン塔に幽閉します。兄の手は祈りの組み方に弟の手には聖書があります。史実として子供たちは行方不明になりますが200年ほど後にロンドン塔で遺骨が見つかります。そしてウエストミンスター寺院に安置されます。
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「ファウストとメフィストフェレス」
フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ
黒いガウンと赤いホースを着たファウストは、旅行学者を装った悪魔メフィストフェレスに初めて直面します。この絵画はドラクロワが1825年に始めた「ファウスト」への一連の絵画の一部として制作された同じ主題のリトグラフよりも遅いと思われます。ファウストの姿はドラクロワが1825年にロンドンにいた時に賞賛していたデビッド・ウィルキーの絵画「メアリー・スチュアートの前に説教するノックス」のジョン・ノックスの姿に基づいているようです。 -
ゲーテがほぼその一生をかけて完成した大作です。ファウスト博士は錬金術や占星術を使う黒魔術師であるという噂に包まれ、悪魔と契約して最後には魂を奪われ体を四散されたという奇怪な伝説の持ち主です。
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「牢獄のジャンヌダルク」
ポール・ドラロッシュ
ドラロッシュはウィンチェスター枢機卿ヘンリー・ボーフォートが永遠の苦しみでジャンヌを脅かしていることを示していますが、彼女は実際にボーヴェ司教のピエール・カウチョンによって尋問され、ボーフォートとの出会いがこれまでに起こったという証拠はありません。 -
1824年のパリのサロンで展示された、ルーアンのボザール美術館に収蔵された作品のレプリカです。ジャンヌ・ダルクの主題は1815年にブルボン君主制が回復した後、フランスで強い王室主義者と民族主義団体の支持がありました。ルーアンの絵画の下絵はウォレス・コレクションにあります。
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「総督マリオ・ファリエロの処刑」
フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ
主題はバイロンの「マリノ・ファリエロ、ヴェネツィアのドージェ」からいくつかのバリエーションで描かれています。バイロンはウォルター・スコットと共にドラクロワの作品に最も豊かな刺激を与えた作家でした。ファリエロは1354年にドージェ(総督)に選出されましたが、ヴェネツィア国家に対して造反を共謀したとして翌年に処刑されました。ドラクロワの絵画の設定はドージェ宮殿の巨人の階段を思い出させます。 -
初めて行った海外旅行の最後がパリでした。ルーブル美術館へ行って「民衆を導く自由の女神」と「キオス島の虐殺」に感動して、何故か左岸のドラクロア美術館へわざわざ行った事を思い出しました。
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「アンリ4世とスペイン皇太子」
リチャード・P・ボニントン
この主題は1589年からフランス君主の中で最も人気があり、最も人気のあるアンリ4世を描いたもので、1604年のフォンテーヌブローでは王はドーフィンと遊んでいて、大使が到着したとき彼を背中に乗せていたそうです。 -
ボニントンが現れるまでイギリスの絵画はヨーロッパにおいては地方的な扱いを受けていました。ターナーのような画家でも一流の画家には入れてもらえなかったもそうです。ボニントンはイギリス絵画の伝統を踏まえながらパリで活躍したこともあり、イギリスの絵画の魅力をヨーロッパの美術愛好家に納得させる働きを果たしました。
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「ヴェネツィア」
(サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会からサン・マルコ広場の眺望)
カナレット -
カナレットはヴェネツィアをパノラマ風に描き、光や大気の効果を巧みに表現しました。写真のような絵を数多く残しましたが、ほとんどの絵にカメラ・オブスクーラを使って下描きをしていたそうです。
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イチオシ
カメラ・オブスクラの原理はちょうどピンホールカメラと同じようなものです。初期のタイプのカメラ・オブスクーラは部屋と同じくらいのサイズの大きな箱を用意して、片方に小さな針穴を開けると外の光景の一部分からの光が穴を通り、穴と反対側の黒い内壁に像を結ぶというものです。画家がこの箱の中に入り壁に映った像を紙の上に描き移すことで、実際の光景とそっくりの下絵を作ることが出来ました。
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「ヴェネツィア」
(ジュデッカ運河からサン・マルコ広場の眺望)
カナレット -
行き交う船以外は現在とほとんど変わらないのではないでしょうか。9月の第1日曜日のレガッタ・ストリーカのお祭りの日は行き交う船までこんな感じで見られるでしょう。初めて到着した日にレガッタ・ストリーカを見て感動した思いは30年経っても消えることはありません。
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右にサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会が見えます。この鐘楼には現在はエレベーターで昇れますが、僧衣を着たエレベーター係のおじいさんはもういないのだろうなと全く関係ないことを思い出しました。塔の上から眺めるサンマルコ広場は美しいです。
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イチオシ
サンタ・マリア・デル・サルーテ教会はヴェネツィア発着のクルーズ船に乗って帰港する際にこの教会を見ると感慨深いものがあります。左に進むとグッゲンハイム美術館ですね。
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「キューピッドとプシュケ」
フィリップ・デル・ヴァッレ
ビーナスは息子キューピッドにその愛の弓矢を使ってプシュケに卑しい男と恋をさせるよう命じます。悪戯好きの愛の神は喜んで母の命令に従いますが、誤って自分をも傷つけてプシュケへの愛の虜となってしまいます。ここでは2人とも子供の姿です。 -
ロンドンの他の美術館に比べると規模は大きくありませんが、収められている作品の質の高さはナショナル・ギャラリーにも引けをとらないでしょう。空いていてじっくり鑑賞できることを考えればここは穴場の美術館と言えるでしょう。ロンドンの奥深さを感じました。
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