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写真は7月26日(巡礼26日目)の早朝の巡礼路(カミーノ)です。<br /><br />(2023年10月20日早朝に追記)<br />2023年10月8日に歌手の谷村新司さんが逝去しました。<br />私は青春時代からいつも彼の歌声を耳にしていたように思います。<br />私の青春の思い出がまた一つ消え去ったような気持がしています。<br />今朝、早朝に彼の「昴」を聞いていてLos Arcosのまだ夜の静寂が残る<br />カミーノを歩いた時を思い出しました。<br />「昴」の歌の中に<br />「ああ、砕け散る宿命(さだめ)の星たちよ<br />せめて密やかにこの身を照らせよ。<br />我は行く 蒼白き頬のままで<br />我は行く さらば昴よ」<br />という歌詞がありますが<br />夜空に残っていたカミーノの星々が夜明けの煌めく<br />天空の中で一つ一つ消えていくのを見上げながら歩いていた<br />至福の時間を今でも覚えています。<br />谷村さんの歌は私の心に旅を続ける勇気をくれていたように<br />思います。<br />谷村新司さん素晴らしい歌をありがとうございます。<br /><br />Los Arcosを6:00に出発した。<br />まだ夜の静寂が残る早朝の路は夏なのに肌寒いほどだ。<br /><br />&quot;Piedra y Camino&quot;(”小石と小路”)という景色が続く。<br /><br />しばらく巡礼路を歩いて振り返った東の空の様子である。<br />刻々と変化する早朝の自然のドラマは壮観であった。<br />私の写真では感動の十分の一も現わせないのが残念だ。<br /><br />私の好きな歌で<br />「幾山川越えさり行かば寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく」 <br />             「若山牧水」第一歌集「海の聲」<br />がある。<br />遠く旅をする漂泊の寂しさをしみじみと感じさせる巡礼最終日<br />の朝であった。<br /><br />昨夜はLos Arcosのサンチャゴ祭りで大いに楽しみぐっすり寝た。<br /><br />朝は4時に起床し出発の準備を始めた。<br /><br />ジャニーヌさんと洗面所でバッタリ会った。<br /><br />英語で「おはよう!」と声をかけると<br />少しご立腹声で「サバ!(フランス語で「大丈夫!」という意味)」<br />という返事だ。。<br /><br />「えぇ?」と思って、<br /><br />「僕のいびきがひどかったの?」と聞くと、<br /><br />「あなたのはそんなにひどくなかった。<br /> ほかの男の人のはもう窒息しそうないびきで<br /> とても寝れなかったわ。」<br />と言っている。<br /><br />「何だかよくわからないなあ。」<br />と思いながら<br /><br />「今日、僕は6:30頃出発するけどジャニーヌさんは<br /> いつごろ出発するの?」と聞くと<br /><br />「6時にするわ。」とのことであった。<br /><br />食堂のテーブルで私の準備が終わった後<br />ジャニーヌさんに千代紙でやっこさんを二つ作ってあげた。<br /><br />「一つはジャニーヌさんに、もう一つは僕だからお守りで<br />連れて行って。<br />これで君も一人で歩かなくて良いね。」<br /><br />と言って彼女の顔を見ると涙があふれてきている。<br /><br />「わかった。わかった。僕も6時に一緒に出発するよ。」<br />と言い<br />彼女と一緒にまだ暗い巡礼路を歩くことになった。<br /><br />ヘッドランプを装着し巡礼標識を確認しながら歩いた。<br /><br />暫くするとあたりの闇が白々として明るくなってきた。<br /><br />巡礼路を振り向くと東の空は早朝のドラマが始まっていた。<br /><br />以下では<br />・最終日の巡礼路<br />・ログローニョのサンタ・アナ祭りとピンチョス・ハンティング<br />・翌日の別れの朝食<br />について報告する。<br />

還暦一人旅スペイン巡礼(巡礼26日目~27日目早朝)最終日ー幾山川越えさり行かば

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2015/07/23 - 2015/07/27

1位(同エリア22件中)

2013tomo

2013tomoさん

写真は7月26日(巡礼26日目)の早朝の巡礼路(カミーノ)です。

(2023年10月20日早朝に追記)
2023年10月8日に歌手の谷村新司さんが逝去しました。
私は青春時代からいつも彼の歌声を耳にしていたように思います。
私の青春の思い出がまた一つ消え去ったような気持がしています。
今朝、早朝に彼の「昴」を聞いていてLos Arcosのまだ夜の静寂が残る
カミーノを歩いた時を思い出しました。
「昴」の歌の中に
「ああ、砕け散る宿命(さだめ)の星たちよ
せめて密やかにこの身を照らせよ。
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ」
という歌詞がありますが
夜空に残っていたカミーノの星々が夜明けの煌めく
天空の中で一つ一つ消えていくのを見上げながら歩いていた
至福の時間を今でも覚えています。
谷村さんの歌は私の心に旅を続ける勇気をくれていたように
思います。
谷村新司さん素晴らしい歌をありがとうございます。

Los Arcosを6:00に出発した。
まだ夜の静寂が残る早朝の路は夏なのに肌寒いほどだ。

"Piedra y Camino"(”小石と小路”)という景色が続く。

しばらく巡礼路を歩いて振り返った東の空の様子である。
刻々と変化する早朝の自然のドラマは壮観であった。
私の写真では感動の十分の一も現わせないのが残念だ。

私の好きな歌で
「幾山川越えさり行かば寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく」 
             「若山牧水」第一歌集「海の聲」
がある。
遠く旅をする漂泊の寂しさをしみじみと感じさせる巡礼最終日
の朝であった。

昨夜はLos Arcosのサンチャゴ祭りで大いに楽しみぐっすり寝た。

朝は4時に起床し出発の準備を始めた。

ジャニーヌさんと洗面所でバッタリ会った。

英語で「おはよう!」と声をかけると
少しご立腹声で「サバ!(フランス語で「大丈夫!」という意味)」
という返事だ。。

「えぇ?」と思って、

「僕のいびきがひどかったの?」と聞くと、

「あなたのはそんなにひどくなかった。
 ほかの男の人のはもう窒息しそうないびきで
 とても寝れなかったわ。」
と言っている。

「何だかよくわからないなあ。」
と思いながら

「今日、僕は6:30頃出発するけどジャニーヌさんは
 いつごろ出発するの?」と聞くと

「6時にするわ。」とのことであった。

食堂のテーブルで私の準備が終わった後
ジャニーヌさんに千代紙でやっこさんを二つ作ってあげた。

「一つはジャニーヌさんに、もう一つは僕だからお守りで
連れて行って。
これで君も一人で歩かなくて良いね。」

と言って彼女の顔を見ると涙があふれてきている。

「わかった。わかった。僕も6時に一緒に出発するよ。」
と言い
彼女と一緒にまだ暗い巡礼路を歩くことになった。

ヘッドランプを装着し巡礼標識を確認しながら歩いた。

暫くするとあたりの闇が白々として明るくなってきた。

巡礼路を振り向くと東の空は早朝のドラマが始まっていた。

以下では
・最終日の巡礼路
・ログローニョのサンタ・アナ祭りとピンチョス・ハンティング
・翌日の別れの朝食
について報告する。

旅行の満足度
4.5
ホテル
4.0
グルメ
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 早朝6:00にLos Arcosのアルベルゲを出発した。<br /><br />東の空は朝の気配を感じさせるが巡礼路はまだ暗い。<br /><br />写真は元気になった笑顔のジャニーヌさん。

    早朝6:00にLos Arcosのアルベルゲを出発した。

    東の空は朝の気配を感じさせるが巡礼路はまだ暗い。

    写真は元気になった笑顔のジャニーヌさん。

  • しばらく歩いていると空が白々と明るくなってきた。<br /><br />しかし巡礼路にはまだ夜の闇が残る。<br />まだ暗い夜空には星々が名残惜しそうに瞬いている。

    しばらく歩いていると空が白々と明るくなってきた。

    しかし巡礼路にはまだ夜の闇が残る。
    まだ暗い夜空には星々が名残惜しそうに瞬いている。

  • 更に歩いて振り返ると東の空はかなり明るくなっていた。<br /><br />歩いてきた巡礼路が後方に仄(ほの)かに浮かび上がって見える。<br /><br />聖都サンチャゴ・デ・コンポステーラは西にあるので<br />私たち巡礼者は朝日を背中に受け、<br />自分たちの青い影を踏みながら歩くことになる。

    更に歩いて振り返ると東の空はかなり明るくなっていた。

    歩いてきた巡礼路が後方に仄(ほの)かに浮かび上がって見える。

    聖都サンチャゴ・デ・コンポステーラは西にあるので
    私たち巡礼者は朝日を背中に受け、
    自分たちの青い影を踏みながら歩くことになる。

  • 東雲(しののめ)がうつくしい。<br /><br />見たことはないが天女が舞を踊っているようだ。<br /><br />ふとアルゼンチンのフォルクローレの女性歌手Mercedes Sosa<br />の歌、&quot;Piedra y Camino&quot;(”小石と小路”という訳ですかね、<br />それとも「路傍の石」かな?)<br />を思い出します。<br /><br />&quot;Es mi destino,<br />Piedra y camino,<br />De un sueño  lejano y bello,vida.<br />Soy peregrino.<br />Me voy andando, me voy llorando.&quot;<br />これが僕の運命、<br />小石と小路、<br />遠くて美しい夢、愛しい君、<br />僕は巡礼者、<br />歩き続けるんだ、涙を流して。<br />(Tomo拙訳)<br /><br />毎日、早朝から夕方まで<br />このサンチャゴ巡礼路(カミーノ)<br />を歩いていると<br />この時間が永遠に続くように<br />錯覚してしまいます。<br /><br />でも明日で私の巡礼の旅は終わります。<br /><Tomo作のスペイン語><br />Soy  peregrino,<br />Camino,luego yo soy,<br />Dejo caminar ,yo no existo,<br />Soy peregrino. <br />(私は巡礼、<br /> 歩く、故に、われあり<br /> 歩くのをやめれば、存在しない、<br />   私は巡礼です。)<br /><br />”夢の総量は空気であった”<br />(「ふるさとに寄する賛歌」坂口安吾)

    東雲(しののめ)がうつくしい。

    見たことはないが天女が舞を踊っているようだ。

    ふとアルゼンチンのフォルクローレの女性歌手Mercedes Sosa
    の歌、"Piedra y Camino"(”小石と小路”という訳ですかね、
    それとも「路傍の石」かな?)
    を思い出します。

    "Es mi destino,
    Piedra y camino,
    De un sueño lejano y bello,vida.
    Soy peregrino.
    Me voy andando, me voy llorando."
    これが僕の運命、
    小石と小路、
    遠くて美しい夢、愛しい君、
    僕は巡礼者、
    歩き続けるんだ、涙を流して。
    (Tomo拙訳)

    毎日、早朝から夕方まで
    このサンチャゴ巡礼路(カミーノ)
    を歩いていると
    この時間が永遠に続くように
    錯覚してしまいます。

    でも明日で私の巡礼の旅は終わります。
    <Tomo作のスペイン語>
    Soy peregrino,
    Camino,luego yo soy,
    Dejo caminar ,yo no existo,
    Soy peregrino.
    (私は巡礼、
     歩く、故に、われあり
     歩くのをやめれば、存在しない、
    私は巡礼です。)

    ”夢の総量は空気であった”
    (「ふるさとに寄する賛歌」坂口安吾)

  • 天空では大風が吹いているのだろうか<br /><br />東雲が空一杯に広がり始めた。<br /><br />「天上大風」だ。

    天空では大風が吹いているのだろうか

    東雲が空一杯に広がり始めた。

    「天上大風」だ。

  • もうすぐ太陽が山の頂から顔を出す。<br />早朝の空に青色が鮮やかさを増してきた。<br /><br />何故か三好達治さんの詩が浮かんでくる。<br /><br />「かへる日もなきいにしえを<br /> こはつゆ艸(くさ)の花のいろ<br /> はるかなるものみな青し<br /> 海の青はた空の青」<br />(三好達治詩集『花筐(はながたみ)』)<br /><br />山際の雲が灼熱の白金色に輝いている。<br /><br />この荘厳とした景色は今回の旅の贈り物かもしれない。

    もうすぐ太陽が山の頂から顔を出す。
    早朝の空に青色が鮮やかさを増してきた。

    何故か三好達治さんの詩が浮かんでくる。

    「かへる日もなきいにしえを
     こはつゆ艸(くさ)の花のいろ
     はるかなるものみな青し
     海の青はた空の青」
    (三好達治詩集『花筐(はながたみ)』)

    山際の雲が灼熱の白金色に輝いている。

    この荘厳とした景色は今回の旅の贈り物かもしれない。

  • 明るくなると巡礼路が長く続いているのが<br />はっきりと見える。<br /><br />遠くの山の下までまっすぐ歩いて行くのだ。

    明るくなると巡礼路が長く続いているのが
    はっきりと見える。

    遠くの山の下までまっすぐ歩いて行くのだ。

  • 太陽が昇ってきた。<br /><br />私とジャニーヌさんの二人の影が<br />巡礼路に長く伸びている。<br /><br />この影が伸びる方向へ歩いて行く。

    太陽が昇ってきた。

    私とジャニーヌさんの二人の影が
    巡礼路に長く伸びている。

    この影が伸びる方向へ歩いて行く。

  • Los arcosから8キロ程歩いて<br />Torres del Rioの町に到着した。<br /><br />橋の上で他の巡礼者にお願いして<br />ジャニーヌさんと私のツーショットを撮ってもらった。<br /><br />私はいつものTomoスタイルだ。<br /><br />腰にぶら下げたタオルは実践的で便利である。<br /><br />あと約10キロ歩いてViananiまで行き、<br />そこからログローニョまで<br />バスで行くことにした。<br />

    Los arcosから8キロ程歩いて
    Torres del Rioの町に到着した。

    橋の上で他の巡礼者にお願いして
    ジャニーヌさんと私のツーショットを撮ってもらった。

    私はいつものTomoスタイルだ。

    腰にぶら下げたタオルは実践的で便利である。

    あと約10キロ歩いてViananiまで行き、
    そこからログローニョまで
    バスで行くことにした。

  • 途中の丘越えの時、峠に石を積み上げた<br />卒塔婆のような道しるべを沢山見た。<br /><br />巡礼者の祈りが込められているのだろうか。

    途中の丘越えの時、峠に石を積み上げた
    卒塔婆のような道しるべを沢山見た。

    巡礼者の祈りが込められているのだろうか。

  • Vianaの町が遠くに見えてきた。<br /><br />あと少しで私の歩き巡礼も終わりだ。<br /><br />寂しいような気持がする。

    Vianaの町が遠くに見えてきた。

    あと少しで私の歩き巡礼も終わりだ。

    寂しいような気持がする。

  • Vianaの町で通りを歩いていたお母さんと娘さんの<br />二人連れにバス停を聞いた。<br /><br />丁度二人がバス停に行くと言うので二人に<br />ついて行った。<br /><br />運が良い。

    Vianaの町で通りを歩いていたお母さんと娘さんの
    二人連れにバス停を聞いた。

    丁度二人がバス停に行くと言うので二人に
    ついて行った。

    運が良い。

  • Vianaの町からLogronoの町までは10キロ弱でありバスで<br />15分くらいで到着した。<br /><br />私の足で歩くと3時間はかかる。<br /><br />車窓から「虹色のオーラ」をまとった<br />米国人巡礼者カップルが<br />歩いているのが見えた。<br /><br />観光情報センターに紹介してもらって<br />旧市街の中にあるアルベルゲに宿泊した。<br /><br />カテドラルや中央広場が近くて便利である。<br /><br /><br />面白いことがまた起きた。<br /><br />アルベルゲの共用リビングに座っていると<br />玄関ブザーが何度もなるので<br />私がドアを開けた(その時アルベルゲの女性スタッフは不在だった)。<br /><br />するとあの二人のイタリア人がドアの前に立っているではないか。<br /><br />シシリーの”アルパティーノ”は上半身裸でバックパックを担ぎ<br />汗びっしょりで胸毛を出して目をぎょろつかせ<br />男くささを発散させている。<br /><br />私が驚いていると、彼らもびっくりして<br /><br />「Tomo,また会うなんて奇跡だなあ!」とか言っている。<br /><br />ご縁がある人とは何度でも会うというのは本当だと思った。

    Vianaの町からLogronoの町までは10キロ弱でありバスで
    15分くらいで到着した。

    私の足で歩くと3時間はかかる。

    車窓から「虹色のオーラ」をまとった
    米国人巡礼者カップルが
    歩いているのが見えた。

    観光情報センターに紹介してもらって
    旧市街の中にあるアルベルゲに宿泊した。

    カテドラルや中央広場が近くて便利である。


    面白いことがまた起きた。

    アルベルゲの共用リビングに座っていると
    玄関ブザーが何度もなるので
    私がドアを開けた(その時アルベルゲの女性スタッフは不在だった)。

    するとあの二人のイタリア人がドアの前に立っているではないか。

    シシリーの”アルパティーノ”は上半身裸でバックパックを担ぎ
    汗びっしょりで胸毛を出して目をぎょろつかせ
    男くささを発散させている。

    私が驚いていると、彼らもびっくりして

    「Tomo,また会うなんて奇跡だなあ!」とか言っている。

    ご縁がある人とは何度でも会うというのは本当だと思った。

  • アルベルゲにチェックイン後、<br />私とジャニーヌさんはカテドラルと中央広場に<br />出かけてみた。<br /><br />すると米国人巡礼カップルが向こうから歩いてくるではないか。<br /><br />これだけ偶然が重なると何か運命的なものを感じる。<br /><br />二人と夕方5時に広場で待ち合わせ食事をする約束をした。<br /><br />ご主人は旧市街のピンチョスバーの観光パンフレットを持っていた。<br /><br />これを参考にして今夜はピンチョスハンティングをしようということ<br />になった。<br /><br />今晩の我々はログローニョのピンチョスハンターだ。<br /><br />彼らと別れた後は<br />明日の朝食を準備のため近くのスーパーを探して買い物をすることに<br />なった。<br /><br />ジャニーヌさんが町の人に道をフランス語で聞くがまったく<br />通じない。<br />私がスペイン語で通訳をすることになった。<br /><br />スーパーではジャニーヌさんが買い物をする役割、<br />私が買い物かごを持つ役割であった。<br /><br />日本での家内と私の役割分担(家庭内分業)と同じだと思った。<br /><br /><br />

    アルベルゲにチェックイン後、
    私とジャニーヌさんはカテドラルと中央広場に
    出かけてみた。

    すると米国人巡礼カップルが向こうから歩いてくるではないか。

    これだけ偶然が重なると何か運命的なものを感じる。

    二人と夕方5時に広場で待ち合わせ食事をする約束をした。

    ご主人は旧市街のピンチョスバーの観光パンフレットを持っていた。

    これを参考にして今夜はピンチョスハンティングをしようということ
    になった。

    今晩の我々はログローニョのピンチョスハンターだ。

    彼らと別れた後は
    明日の朝食を準備のため近くのスーパーを探して買い物をすることに
    なった。

    ジャニーヌさんが町の人に道をフランス語で聞くがまったく
    通じない。
    私がスペイン語で通訳をすることになった。

    スーパーではジャニーヌさんが買い物をする役割、
    私が買い物かごを持つ役割であった。

    日本での家内と私の役割分担(家庭内分業)と同じだと思った。


  • 5時に広場に行くと既に大勢の人が広場に座っていて<br />サンタ・アナ祭りの雰囲気が盛り上がっていた。<br /><br />広場の中央ではフラメンコの歌、「カンテ・ホンド」を歌っている。<br />女性歌手と思ったら、子供が歌っていた。<br />「こぶし」が効いたよい歌い手であった。<br /><br />昨日のLos Arcosのサンチャゴ祭りで食卓が一緒になった<br />フランス人夫婦が広場のテーブルに座って我々を<br />大声で呼んでいる。<br /><br />その向こうのテーブルに<br />米国人カップルが座っているのが<br />見えたので私が声をかけて合流することになった。<br /><br />これでフランス人、アメリカ人、日本人の混成グループが<br />できた。<br /><br />私は<br />「今日は私の巡礼最終日ですから皆さんに美味しいワインを<br />御馳走させてください。」と言ってリオハワインを注文した。<br /><br />巡礼仲間とお酒を飲むのは本当に楽しい。<br /><br />するとフランス人のマダムが<br />「Tomoはお酒を飲みすぎだ。<br /> 昨夜の祭りでもビールやワインを<br /> たくさん飲んでスッカリ酔っ払っていた。<br /> アルベルゲに帰るときも後姿がフラフラしていた。」<br />と笑いながら注意する。<br /><br />私が<br />「あれは楽しい気分になったのでスキップを踏みながら<br />帰ったのだ」<br />説明した。<br /><br />するとジャニーヌさんから<br />「あれはスキップではなかった。<br /> 酔っぱらいの歩き方だった。」と追加のお小言を頂いた。<br /><br />今朝お怒りモードで「サバ!(大丈夫!)」と挨拶してきたのは<br />そのような背景があったのかと納得した。<br /><br />私がひざまづいてフランス人のマダムに<br /><br />「マダム・テレジア、告白します。<br /> 私が酔っぱらったのは昨夜だけではありません。<br /> <br /> 一昨日の夜も酔っぱらっていました。<br /> <br /> 今晩も酔っぱらいます。」<br />と言うと<br /><br />彼女は<br /><br />「私はサンタ・テレジアです。<br /> マダム・テレジアとは<br /> 男好きの女のことよ。<br /> マダム・テレジアと呼ばないで。」<br />と言った。<br /> <br /> 「ではサンタ・テレジアはTomoの告白を受け付けましたので<br />  今晩だけは許してあげましょう。」<br /> と言って私の頭の上に手を置いた。<br /><br />みんなは私たちの寸劇を見て笑い転げていた。

    5時に広場に行くと既に大勢の人が広場に座っていて
    サンタ・アナ祭りの雰囲気が盛り上がっていた。

    広場の中央ではフラメンコの歌、「カンテ・ホンド」を歌っている。
    女性歌手と思ったら、子供が歌っていた。
    「こぶし」が効いたよい歌い手であった。

    昨日のLos Arcosのサンチャゴ祭りで食卓が一緒になった
    フランス人夫婦が広場のテーブルに座って我々を
    大声で呼んでいる。

    その向こうのテーブルに
    米国人カップルが座っているのが
    見えたので私が声をかけて合流することになった。

    これでフランス人、アメリカ人、日本人の混成グループが
    できた。

    私は
    「今日は私の巡礼最終日ですから皆さんに美味しいワインを
    御馳走させてください。」と言ってリオハワインを注文した。

    巡礼仲間とお酒を飲むのは本当に楽しい。

    するとフランス人のマダムが
    「Tomoはお酒を飲みすぎだ。
     昨夜の祭りでもビールやワインを
     たくさん飲んでスッカリ酔っ払っていた。
     アルベルゲに帰るときも後姿がフラフラしていた。」
    と笑いながら注意する。

    私が
    「あれは楽しい気分になったのでスキップを踏みながら
    帰ったのだ」
    説明した。

    するとジャニーヌさんから
    「あれはスキップではなかった。
     酔っぱらいの歩き方だった。」と追加のお小言を頂いた。

    今朝お怒りモードで「サバ!(大丈夫!)」と挨拶してきたのは
    そのような背景があったのかと納得した。

    私がひざまづいてフランス人のマダムに

    「マダム・テレジア、告白します。
     私が酔っぱらったのは昨夜だけではありません。
     
     一昨日の夜も酔っぱらっていました。
     
     今晩も酔っぱらいます。」
    と言うと

    彼女は

    「私はサンタ・テレジアです。
     マダム・テレジアとは
     男好きの女のことよ。
     マダム・テレジアと呼ばないで。」
    と言った。
     
     「ではサンタ・テレジアはTomoの告白を受け付けましたので
      今晩だけは許してあげましょう。」
     と言って私の頭の上に手を置いた。

    みんなは私たちの寸劇を見て笑い転げていた。

  • 我々の話しは弾んだが、<br />途中でお国自慢の話からこのグループにいない国を<br />中傷する話題に移る気配が出てきた。<br /><br />私は<br />「私は日本人ではないのだ。」<br />と唐突に叫んだ。<br /><br />するとマダムのご主人が<br />「Tomo、君はさっき日本人だと言ったじゃないか。」<br />と言う。<br /><br />私は続けて<br />「カミーノ(巡礼路)では私は日本人ではない。<br /> 私は一人の巡礼です。<br /> カミーノ(巡礼路)では国籍に関係なくみんな平等です。」<br />と説明した。<br /><br />米国人の奥さんから即座に<br />「私はTomoの意見に賛成だわ。」<br />という意見があった。<br /><br />他のみんなも同意したので話題が良い方向に流れた。<br /><br />夕食の時間が来たのでみんなで<br />町のピンチョスハンティングに<br />出かけることになった。<br /> <br />町には様々なピンチョスバーがあった。

    我々の話しは弾んだが、
    途中でお国自慢の話からこのグループにいない国を
    中傷する話題に移る気配が出てきた。

    私は
    「私は日本人ではないのだ。」
    と唐突に叫んだ。

    するとマダムのご主人が
    「Tomo、君はさっき日本人だと言ったじゃないか。」
    と言う。

    私は続けて
    「カミーノ(巡礼路)では私は日本人ではない。
     私は一人の巡礼です。
     カミーノ(巡礼路)では国籍に関係なくみんな平等です。」
    と説明した。

    米国人の奥さんから即座に
    「私はTomoの意見に賛成だわ。」
    という意見があった。

    他のみんなも同意したので話題が良い方向に流れた。

    夕食の時間が来たのでみんなで
    町のピンチョスハンティングに
    出かけることになった。
     
    町には様々なピンチョスバーがあった。

  • 我々は美味しそうなピンチョスを陳列している<br />バーを見つけてはお店に入りビール、ワインを<br />飲みながら様々なピンチョスを楽しんだ。

    我々は美味しそうなピンチョスを陳列している
    バーを見つけてはお店に入りビール、ワインを
    飲みながら様々なピンチョスを楽しんだ。

  • 米国人カップルは最初は上品にナイフとフォークで<br />ピンチョスを食べていた。<br /><br />しかし我々が<br />「手で直接食べた方が美味しいぞ!」といって隣でモリモリ<br />食べていたら彼らも手づかみでピンチョスをつまみ始めた。<br /><br />我々の年齢の話に話題が写って行った。<br /><br />米国人ご夫婦は7歳の時からの幼友達で知り合って、<br />42年が経過したそうだ。<br /><br />ご主人が「私はもう49歳だ。」と言ってからすぐ奥さまに<br />「君はまだ48歳だったよね。」と優しく言った。<br />(この配慮はスゴイ!)<br /><br />わたしの年齢に話題が移った。<br /><br />私が<br />「実年齢は64歳だが、こころの年齢は18歳だ。<br /> でも問題がある。<br /> 毎年若くなっていくことだ。<br /> 来年は15歳になる予定だ。」<br />というとみんなは大笑いしていた。<br /><br />みんなと一緒だとピンチョスもビールもワインも<br />とても美味しく食べることが出来た。

    米国人カップルは最初は上品にナイフとフォークで
    ピンチョスを食べていた。

    しかし我々が
    「手で直接食べた方が美味しいぞ!」といって隣でモリモリ
    食べていたら彼らも手づかみでピンチョスをつまみ始めた。

    我々の年齢の話に話題が写って行った。

    米国人ご夫婦は7歳の時からの幼友達で知り合って、
    42年が経過したそうだ。

    ご主人が「私はもう49歳だ。」と言ってからすぐ奥さまに
    「君はまだ48歳だったよね。」と優しく言った。
    (この配慮はスゴイ!)

    わたしの年齢に話題が移った。

    私が
    「実年齢は64歳だが、こころの年齢は18歳だ。
     でも問題がある。
     毎年若くなっていくことだ。
     来年は15歳になる予定だ。」
    というとみんなは大笑いしていた。

    みんなと一緒だとピンチョスもビールもワインも
    とても美味しく食べることが出来た。

  • 最後は店の外のテーブルで食事を楽しんだ。<br /><br />私は既に酔っぱらいになってしまっている。<br /><br />途中でシャンソンの話になり<br />フランス人のご夫妻はボエームやバラ色の人生を歌ってくれた。<br /><br />二人が目を見つめ合って歌うバラ色の人生は素敵だった。<br /><br />暫くして米国人の奥さんが私に<br />「Tomo、悪いけど私の言うことを二人に通訳してくれる。」<br />と言う。<br /><br />私は一瞬ためらったが<br />「喜んで!」と言って引き受けた。<br /><br />彼女は<br />「カミーノ(巡礼路)で多くの出逢い(encounter)があったけど、<br /> 今晩の出逢いは運命的(destination)なものを感じるわ。」<br />と言う。<br /><br />私は「encounter(出逢い)」と「destination(運命)」という言葉を<br />できるだけフランス語っぽく鼻にかけて発音しながら通訳しようとした。<br /><br />しかし、私が通訳する前に彼らは奥さんの言っていることを理解していた。<br /><br />二人ともその通りだとうなずいている。<br /><br />英語もフランス語もラテン語を母体にした言葉が多いのでそのまま使っても<br />通ずるのだと納得した。<br /><br />うらやましい!<br />

    最後は店の外のテーブルで食事を楽しんだ。

    私は既に酔っぱらいになってしまっている。

    途中でシャンソンの話になり
    フランス人のご夫妻はボエームやバラ色の人生を歌ってくれた。

    二人が目を見つめ合って歌うバラ色の人生は素敵だった。

    暫くして米国人の奥さんが私に
    「Tomo、悪いけど私の言うことを二人に通訳してくれる。」
    と言う。

    私は一瞬ためらったが
    「喜んで!」と言って引き受けた。

    彼女は
    「カミーノ(巡礼路)で多くの出逢い(encounter)があったけど、
     今晩の出逢いは運命的(destination)なものを感じるわ。」
    と言う。

    私は「encounter(出逢い)」と「destination(運命)」という言葉を
    できるだけフランス語っぽく鼻にかけて発音しながら通訳しようとした。

    しかし、私が通訳する前に彼らは奥さんの言っていることを理解していた。

    二人ともその通りだとうなずいている。

    英語もフランス語もラテン語を母体にした言葉が多いのでそのまま使っても
    通ずるのだと納得した。

    うらやましい!

  • 写真は教会や宿泊したアルベルゲでスタンプを<br />押してもらった巡礼クレデンシャル。<br /><br />翌日の早朝に面白い会話があったので<br />以下でその一部を紹介する。<br /><br />昨夜別れるときジャニーヌさんは私に<br />「Tomo、私は明日早く出発しなければいけないので<br /> 食堂に5:30集合よ。<br /> いいわね。」と言っていた。<br /><br />彼女は私の最終日に朝食を作ってくれると言うのだ。<br /><br />翌日、私は5:20に食堂に降りて行った。<br /><br />しかし5:30になってもジャニーヌさんは降りてこない。<br /><br />5:45になってようやく降りてきた。<br /><br />彼女は<br />「昨日は祭りで窓の外がうるさかったり、<br />隣の部屋のテレビが大きくて良く寝れなかったわ。」<br />とブツブツ言っている。<br /><br />コーヒーを沸かし、昨日買ったパンと果物をお皿に盛って<br />朝食を始めた。<br /><br />その時、リビングの扉があいてシシリーの”アルパティーノ”が<br />リビングに入ってきた。<br /><br />起き抜けの顔はアルパティーノと言うよりもロバート・デニーロ<br />のような顔をしている。<br /><br />食事中の我々のテーブルの横に座るとコーヒーが入った瓶を<br />撫でだした。<br /><br />「俺は家でコーヒーとかを作ったことはないんだ。<br /> 椅子に座っているだけでいいんだ。<br /> 全部女房がやってくれるんだよ。」と言ってからジャニーヌさん<br /> の方をゆっくり見ながら、<br /><br />「セニョーラ、俺にコーヒー入れてくれないか。」と言う。<br /><br />ジャニーヌさんは<br /><br />「なんでわたしがあんたにコーヒーを入れなくちゃいけないのよ!」<br /><br />という感じでブツブツ言いながら、結局彼にコーヒーを作ってやった。<br /><br />シシリーの”アルパティーノ”は<br /><br />「セニョーラ、あんた別嬪さんだな?。」と<br />イタリアなまりの強い英語でお愛想を言っている。<br /><br />彼がジャニーヌさんに<br />「セニョーラ。あんたフランス人かい?」<br />と尋ねると、<br /><br />彼女は<br />「ウィ。」と答える。<br /><br />「おぉ!パリジェンヌか?」<br />と彼が重ねて尋ねた。<br /><br />「違うわ。○○町出身よ。」<br />と彼女が答えると<br /><br />「その町は工場が多いのでイタリア人にも有名だぞ。」<br />と言う。<br /><br />ジャニーヌさんが意味が取れないような顔をしたので私が<br />「『カンパーニャ』が多いという意味だよ。」<br />と付け加えた。<br /><br />すると彼が<br />「おれは『カンパーニャ』と言っていないぞ。<br /> 『ファーム』と言ったんだ。」と反論してきた。<br /><br />※これは私がフランス語の<br /> Compagnie(会社)をCampagne(田舎)と勘違いして<br /> 使用したためである。<br /> かれは私が「その町には『田舎』が多い。」と説明<br /> したと思ったのだ。<br /><br />私がどのように説明したらよいか<br />分からなくて困っていたら<br />ジャニーヌさんがイタリア語で<br />説明を始めるではないか。<br /><br />「セニョーラ、あんたイタリア語が話せるのか!」<br />と彼は驚いていた。<br /><br />その後でジャニーヌさんとフランチェスコ<br />(”アルパティーノ”の本当の名前)はイタリア語で話し始めた。<br /><br />ジャニーヌさんの祖父母は<br />イタリア出身だったので片言のイタリア語は<br />話せると言うことだった。<br /><br />フランチェスコもてっきりパリジェンヌと<br />思っていたジャニーヌさんが<br />イタリア語を話すのでうれしそうに話している。<br /><br />良い雰囲気になってきた。<br /><br />ここで私は一緒にカミーノ(巡礼路)を<br />歩いてくれた巡礼杖を彼に<br />プレゼントすることを思いついた。<br /><br />私は<br />「アミーゴ、俺はこの杖を君にプレゼントすることにしたよ。<br /> これは巡礼杖だけどサムライの武器でもあるんだ。」<br />と言いながら杖を槍のようにしごいて見せた。<br /><br />彼は<br />「これを俺にくれるって言うのかよ。」と言いながら杖を受け取り<br />これを逆手に握って、<br /><br />「こうやってグッサとやるんだな。」と残忍そうな笑みを浮かべる。<br /><br />「うーんやっぱりシシリーのマフィアだ。」と思った。<br /><br />彼は食堂を出て廊下を歩きながら<br />「お―ぃ!これをTomoにもらったぞ!」と仲間に吠えている。<br /><br />どこまでも男臭いやつだ。<br /><br />6:30頃になりジャニーヌさんは巡礼路に向け出発する。<br /><br />私は巡礼路とは反対方向のバス停に行き、そこからバスク地方と<br />フランスとの国境の町、サンセバスチャンを目指す。<br /><br />別れの時が来たのである。<br /><br />次回では「別れ、最後の出逢い、そして帰還の道へ」<br />について報告します。<br /><br />

    写真は教会や宿泊したアルベルゲでスタンプを
    押してもらった巡礼クレデンシャル。

    翌日の早朝に面白い会話があったので
    以下でその一部を紹介する。

    昨夜別れるときジャニーヌさんは私に
    「Tomo、私は明日早く出発しなければいけないので
     食堂に5:30集合よ。
     いいわね。」と言っていた。

    彼女は私の最終日に朝食を作ってくれると言うのだ。

    翌日、私は5:20に食堂に降りて行った。

    しかし5:30になってもジャニーヌさんは降りてこない。

    5:45になってようやく降りてきた。

    彼女は
    「昨日は祭りで窓の外がうるさかったり、
    隣の部屋のテレビが大きくて良く寝れなかったわ。」
    とブツブツ言っている。

    コーヒーを沸かし、昨日買ったパンと果物をお皿に盛って
    朝食を始めた。

    その時、リビングの扉があいてシシリーの”アルパティーノ”が
    リビングに入ってきた。

    起き抜けの顔はアルパティーノと言うよりもロバート・デニーロ
    のような顔をしている。

    食事中の我々のテーブルの横に座るとコーヒーが入った瓶を
    撫でだした。

    「俺は家でコーヒーとかを作ったことはないんだ。
     椅子に座っているだけでいいんだ。
     全部女房がやってくれるんだよ。」と言ってからジャニーヌさん
     の方をゆっくり見ながら、

    「セニョーラ、俺にコーヒー入れてくれないか。」と言う。

    ジャニーヌさんは

    「なんでわたしがあんたにコーヒーを入れなくちゃいけないのよ!」

    という感じでブツブツ言いながら、結局彼にコーヒーを作ってやった。

    シシリーの”アルパティーノ”は

    「セニョーラ、あんた別嬪さんだな?。」と
    イタリアなまりの強い英語でお愛想を言っている。

    彼がジャニーヌさんに
    「セニョーラ。あんたフランス人かい?」
    と尋ねると、

    彼女は
    「ウィ。」と答える。

    「おぉ!パリジェンヌか?」
    と彼が重ねて尋ねた。

    「違うわ。○○町出身よ。」
    と彼女が答えると

    「その町は工場が多いのでイタリア人にも有名だぞ。」
    と言う。

    ジャニーヌさんが意味が取れないような顔をしたので私が
    「『カンパーニャ』が多いという意味だよ。」
    と付け加えた。

    すると彼が
    「おれは『カンパーニャ』と言っていないぞ。
     『ファーム』と言ったんだ。」と反論してきた。

    ※これは私がフランス語の
     Compagnie(会社)をCampagne(田舎)と勘違いして
     使用したためである。
     かれは私が「その町には『田舎』が多い。」と説明
     したと思ったのだ。

    私がどのように説明したらよいか
    分からなくて困っていたら
    ジャニーヌさんがイタリア語で
    説明を始めるではないか。

    「セニョーラ、あんたイタリア語が話せるのか!」
    と彼は驚いていた。

    その後でジャニーヌさんとフランチェスコ
    (”アルパティーノ”の本当の名前)はイタリア語で話し始めた。

    ジャニーヌさんの祖父母は
    イタリア出身だったので片言のイタリア語は
    話せると言うことだった。

    フランチェスコもてっきりパリジェンヌと
    思っていたジャニーヌさんが
    イタリア語を話すのでうれしそうに話している。

    良い雰囲気になってきた。

    ここで私は一緒にカミーノ(巡礼路)を
    歩いてくれた巡礼杖を彼に
    プレゼントすることを思いついた。

    私は
    「アミーゴ、俺はこの杖を君にプレゼントすることにしたよ。
     これは巡礼杖だけどサムライの武器でもあるんだ。」
    と言いながら杖を槍のようにしごいて見せた。

    彼は
    「これを俺にくれるって言うのかよ。」と言いながら杖を受け取り
    これを逆手に握って、

    「こうやってグッサとやるんだな。」と残忍そうな笑みを浮かべる。

    「うーんやっぱりシシリーのマフィアだ。」と思った。

    彼は食堂を出て廊下を歩きながら
    「お―ぃ!これをTomoにもらったぞ!」と仲間に吠えている。

    どこまでも男臭いやつだ。

    6:30頃になりジャニーヌさんは巡礼路に向け出発する。

    私は巡礼路とは反対方向のバス停に行き、そこからバスク地方と
    フランスとの国境の町、サンセバスチャンを目指す。

    別れの時が来たのである。

    次回では「別れ、最後の出逢い、そして帰還の道へ」
    について報告します。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • masshyさん 2017/03/21 20:57:42
    行きたいな~
    でも、私もイビキすごいし!

    シャワー浴びてる時とかは貴重品はどうされているのですか?

    2013tomo

    2013tomoさん からの返信 2017/03/22 04:33:00
    RE: 行きたいな?
    > でも、私もイビキすごいし!
    >
    > シャワー浴びてる時とかは貴重品はどうされているのですか?

    masshy様

    2013tomoです。

    カミーノ巡礼では巡礼宿(アルベルゲ)に宿泊することが多くなります。

    男女別々の部屋もあれば男女同室の場合もあります。

    歩き始めた最初の頃は男女同室の時はすごく緊張していたのですが(私が緊張
    する必要はないですよね)暫くすると慣れてきました。

    いびきは人間の生理現象ですし、毎日30キロ近く巡礼路を歩いた後はクタクタに
    疲れていびきをかくのは致し方ありません。
    相当ひどいいびきでも私の場合はしばらくすると疲れていたので寝てしまいました。

    早く寝たもの勝ちというところもあります。

    いびき現象はお互いさまですよね。

    シャワーを浴びる時の貴重品の取り扱いは

    ・パスポート
    ・現金、カード等の金銭類
    ・時計
    ・その他貴重品と思われるもの
     (私は持っていませんでしたがスマホも貴重品ですね)
    は買い物で使うビニール袋にいれてシャワー室内のお湯のかからない
    所にフックにかけておくか、棚に置いていました。

    カミーノ巡礼をしている人たちに悪質な人は少ないのですが後で嫌な気持ちに
    ならないように基本的防犯対策には注意するようにしていました。

    ところで、ご覧いただいた巡礼最後の日の朝焼けの美しさは素晴らしかったです。

    私の拙い写真と言葉ではとても表現できていません(あきらめています)。

    それでも私の心象風景では早朝の冷たい空気の皮膚感覚と共に時々思い出す
    ことがあります。

    カミーノ巡礼の神様が一生懸命歩いたご褒美として私にプレゼントしてくれた
    のかもしれません。

    今、ポーランドのアウシュビッツを訪問するために読み返しているV.フランクルの
    「夜と霧(英語版の原題は”Man's Search For Meaning")」のなかで収容所の
    水溜りに夕焼けの燃え上がる空が写っているのを見て
    囚人の一人が仲間に向かって
    「世界ってどうしてこう綺麗なんだろう(霜山氏の旧訳版)」
    と尋ねるいう場面があります。
    (英語版では”How beautiful the world could be !"とされています)

    私も一緒に歩いていた巡礼仲間に同様の言葉を繰り返し尋ねながら早朝の巡礼路を
    歩いていた至福の時間を思い出しました。

    カミーノ巡礼に関する何かの本で読んだのですが
    「カミーノはこちらから行こうと思っても時が熟さない限り歩けないものだ、
    その「とき」がくればカミーノからあなたが招待される」という内容だったと記憶
    しています。

    masshyさんもカミーノに招待される時が早く来てくれることをお祈りいたします。

    「若い日の夢は老いてのち豊かに実る」(ゲーテ)という言葉のがありますが
    夢を持ち続けている限り「いつかは」その日がやって来ると思っています。

    それでは良い旅を!ブエン・カミーノ!!

2013tomoさんのトラベラーページ

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