2015/07/18 - 2015/07/22
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binchanさん
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旅行二日目、7月19日日曜日。
この日は台北から高鐵で嘉義に移動し、布袋商港で明日の高速船切符を予約し、宿に荷物を預けて布袋市街地を散策、そのあと朴子市街地を観光するという盛りだくさんスケジュール。
ようやく後半戦の朴子市へやってきました。
朴子市は台湾で二番目に人口が少ない市です。ちなみに一番少ないのはお隣の太保市。なぜ嘉義県に人口が少ない市が集中しているのかなどの話は縣政府を訪問する回の旅行記で書きます。
嘉義縣政府所在地である太保市に見どころがほとんどないのに比べ、お隣の朴子市はなかなか良いものをお持ちです。まずはその街歩きから。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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11:35布袋遊客中心発の嘉義客運7209に、布袋港バス停から乗車(11:45頃)。嘉義客運朴子站に12:14到着。
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嘉義客運朴子站。待合所のある立派なバス停です。
山通路と市西路交差点付近の非常にゴミゴミした場所にあります。ここに大型バスが頻繁にやってくるには少々無理があるような…。 -
裏が操車場になっていてバスの出発が近づくとランプと放送で知らせてくれます。(係員さんが手動でスイッチを押している)
切符売り場は閉鎖されていて、両替のみ取り扱っています。コインロッカーもなく、荷物を預かってもらえそうな感じもないです。トイレはあります。 -
時刻表。
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バス停の隣のJSPというハンバーガー屋さんにあったイラスト。ハンバーガーマンらしいですけど、なぜかバンズにあんこが入っているように思えてしまう…
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山通路を西へ行くと高明寺というお寺がありました。
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そのお隣は第二市場。
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市場の中を通って南通路へと抜けます。
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南通路三段と八徳路の交差点に鐵支路公園があります。ここから西へ1.3キロ続く細長い公園です。
かつて朴子にも鉄道が通っていました。はやり製糖鉄道で、蒜頭糖廠から東石港へ荷を運ぶための鉄道です。1911年に全線開通し、1999年まで製糖鉄道として活躍し、1980年までは旅客運送も行っていたとのこと。朴子の人には懐かしい鉄道にちがいありません。その廃線跡を公園として整備したのです。
線路は嘉義市中心部から港[土乾]まで伸びていて、その先の東石港ヘは馬車などで荷を運んでいたようです。布袋は新營とつながりの深い港でしたが、嘉義の港といえば東石港なのです。 -
市民の憩いの場であり、夜にはライトアップできれいだそうですが、廃線跡を偲ぶ何かがあるわけでもない普通の公園です。
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鐵支路公園東端から少し北上し、海通路を東へ400Mほど歩いて光復路との交差点付近に来ると、これまた別の鉄道公園があります。
「樸仔」は朴子の昔の書き方です。
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先ほど述べた製糖鉄道の駅で、旅客輸送も行っていました。
説明書きに「日本軍の台湾人兵を戦場へ、入隊する青年を、また学校へ通う生徒を嘉義市へと送り出した場所」とあるのが印象的です。
それにしても、台湾ではこういった説明書きにこれを整備した政治家の名前がよく出てきますよね。 -
サイクリングロードの看板発見。
http://www.tbocc.gov.tw/fun1-01-detail.asp?SysID=200611813181766173732
この行程を全部巡れば嘉義県西部の観光が網羅できるかも。 -
火車頭公園にはかつての駅舎が再現されています。
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夜はライトアップされてるそうです。
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朴子車站の文字の隣には、建設に寄与した市長と県知事の名前。
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駅には蒸気機関車が展示されています。
蒸気機関車を火車頭といいます。黒頭仔の愛称を持つこの火車頭は1973年に運行を終了し、日本人蒸気機関車マニア伊藤氏の収蔵となって宮城県で展示されていたとのこと。2003年に伊藤氏の寄贈により故郷への帰還が叶い、2008年、この公園が落成してからはここで展示されているのです。 -
塗装もきれいで保存状態がよさそう。長く愛されてほしいです。
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戦後は台糖の路線でしたが、戦前は明治製糖の路線でした。
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裏側から撮影。
ここで同じく写真を撮っている女性を見ました。見るからに旅行者。ほかにも朴子観光に来てる人がいた!
どこに行くんですか?と聞かれ「朴子市です」というたびに、「何をしに?」と言われ続けた今回の旅行。朴子は見どころ豊富な、観光を楽しめる街なんですよ。 -
公園のガジュマル。
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火車頭公園の近くで、古民家らしきものを再建(修復?)していました。
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観光関連の何かかなあ〜
鐵支路公園と火車頭公園はかつては線路でつながっていたはずです。その間の400Mは現在繁華街なので、公園をつなげることは不可能だとしても、通じる道を「鉄道の小路」みたいに整備したら、ノスタルジックないい雰囲気になると思うんだけど。どうでしょう?(って誰に言っているのやら) -
火車頭公園の前には嘉義縣公車の朴子バス停があります。
朴子市に路線バスを乗り入れている3社(嘉義、嘉義縣公車、新營)はそれぞれ別々の朴子站があり場所も違うので注意が必要です。 -
市内には案内看板もあります。
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これは新營客運の朴子バス停。
火車頭公園から光復路を少し北上したところにあります。 -
この近くに呉百福氏の生家があります。新營客運朴子站の近くにあるという情報までは探し出せたのですが、どのお宅なのかはわかりませんでした。普通の方の家なんですから、探し出して写真撮影したりするのも失礼ですもんね。
呉百福とは安藤百福の旧姓で、即席麺の父と呼ばれるあの方です。実は台湾ご出身で朴子の生まれ。朴子出身の有名人筆頭に挙げられてます。 -
光復路と平和路の交差点にあったセブンイレブン。
古い建物を利用しているっぽいです。看板が樹木に隠れてしまうというコンビニにあるまじき作り。隠れ家的コンビニ。 -
歴史的建造物っぽい門。
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庭にはマンゴーの木と謎の石像。
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そこから交差点を北に渡ると、光復路沿いに「旧郡役所」があります。
戦前、朴子は東石郡の一部でした。その郡役所建物が現在警察署として使われています。史蹟指定こそされていませんが、朴子市の歴史的建造物です。 -
いかにもお役所という佇まい。
これのお向かいに朴子市公所があります。それがタイトル写真です。
余談ですが、縣轄市の市役所は「公所」といいますが、直轄市、省轄市の市役所は「市政府」といいます。文化財保護が進められつつある歴史ある町です by binchanさん嘉義県朴子市公所 史跡・遺跡
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現役の警察署なので中に入るのははばかられます。でも、公の機関なのでちゃんと申し出れば中も見学できるのかも。ちゃんと申し出ることができる語学レベルになれるよう頑張ろう。
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光復路を北上し山通路を左折、さらに市東路に左折しレトロな街並みを見物します。
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市東路は戦前からの中心街でレトロな建物が残っています。
ここも現役の病院ではなく、外観が保存されているのだと思います。市東路沿いにあります。
市東路にはもっとたくさんレトロな建物があるのですが、写真が全部ブレブレで大失敗です。 -
山通路から市東路を南下し、平和路を右折、一本西にある市西路を北上します。
こちらにもレトロな建物が残されていました。古い木造住宅にポップな美容院。現役で頑張ってますね。 -
市西路で立ち往生している嘉義客運のバスを発見。なぜこんな路地を?と思ったら…
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市西路沿いにバス操車場への入り口がありました。この左手に朴子站があるのです。
大型バスが一日に何度もあの路地を通るのは、さすがに無理があるような気がします。火車頭公園あたりに朴子站を移転して縣公車と合同のバスターミナルにするってのはどうかな?これこそ政治の力でなんとかしていただきたい。(って誰に言っているんでしょうね、市民でもないのに) -
市西路を北上し中正路までやってきました。ここは老街です。
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石原薬局の扁額は古そうに見えますが民国84年(1995年)と割と新しいです。でもお店は古そう。
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朴子市は歴史がある街で、明鄭時代から栄えていたようです。
1900年には樸仔脚事件という大きな抗日事件もありました。(写真と事件は関係ありません) -
中正路の老街は光復路から市西路まで続いています。
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別の日撮影の夜の天公壇(廟)です。老街沿いにあります。
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これも別の日にとった夜の中正路と市東路の交差点です。
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夜の中正路老街。
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中正路をさらに西へ。
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レトロな旅社(旅館)です。
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朴子の歴史建築を保存しようという動きがあるようで、この東亜旅社も調査、保存が行われました。
民国47年(1958年)完成の旅館です。 -
戦後の建物でありながら、なんとなく日本時代っぽい。
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ここは嘉義縣観光旅游網で「合法旅館」を検索しても出てこないので、宿泊できるのかどうかは不明。
後から調べたところ、朴子の古い建築物や文化を保存する活動の拠点の一つで、内部の見学ができるそうです。ちゃんと調べておけばよかったなあ。 -
旅社はレトロ建築が多いようです。
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病院も歴史的建築が多いのかな。
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中正路と南通路の交差点。南通路沿いに萬龍商務旅館の看板が見えます。
明日の宿は予約していないので、「合法旅館」リストに載っていたこの旅館で空室があるか確認します。 -
ここもレトロな感じ。
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1960年代の建物で、レトロ建築です。
老板(オーナー)に明日の空室を訪ねると、「明日は空室があるよ、あんた日本人か?なんだか日本人が多いな、今日も日本人が一人泊まってるよ」と、内緒話でもするように神妙に応対してくれました。一泊900元というのでまずは部屋を見せてもらいました。
最初に見せてくれたのは浴室にも窓がある一番快適そうな部屋。老板は浴室窓を開け放って煙草を吸うしぐさをしました。内緒だがここなら吸えるぞ、という意味なのか、だからって吸うなよっていう意味なのかは不明。いずれにせよ私は煙草を吸わないので関係ないです。ここは明るくて快適そうでしたが、開け放った浴室の窓には網戸もなく、虫が侵入し放題なのでは?と恐れを抱き、浴室に窓のない部屋を見せてもらうことに。
設備は大変古いですが、どの部屋も丁寧にメンテナンスされており清潔でした。ただ、木造サッシの隙間が若干気になる…。しかし朴子に宿は少なく、コスパもいいのでここに決めました。
予約金200元を払い、明日の到着は夜の10時を過ぎそうだと言っておきました。老板は「今日まで東石で音楽イベントやってるからね、この辺の宿は軒並み満室なんだ。手付の200じゃあ老板は損しちゃうから、あんたが10時過ぎても来なかったらあの部屋はほかの人に売っちゃうよ。それであんたの200元も戻らない、それでいいか?」と言うのです。後から考えるとその場で満額払っとけばよかったんだと思いますが、その時は必死で「遅れそうなら電話しますからお願いします」と頼んだりして。老板は「じゃあ10時半まで待ってもいい」とか微妙な譲歩をしてきます。まあなんとかなるだろうと、それで手を打ちました。 -
明日の宿が決まって一安心です。南通路三段から開元路を東へ。
こちらは光復路沿いにある嘉洲大飯店。萬龍旅館がダメだったらここに来てみる予定でした。ここは一泊2,000元からと結構高い…。 -
のぞいてみると、電気はついてましたが暗かった。
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嘉洲大飯店近くにある嘉義縣公車の農會バス停。嘉義縣公車の場合ここがもっとも中心部に近いバス停かな。
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光復路から配天宮(詳細は次の旅行記で)を参拝し、開元路をさらに東へ。北通路を左折して北上します。
北通路沿いにあった「国術館」。「国術」って何だろうと思ったら「国家武術」のことで、いわゆる中国武術のことらしいです。ここは武術道場ってことかな。 -
北通路から向榮路を左折。向榮路もレトロな建物が残る通りです。
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向榮路と内厝路の交差点にある榮昌戯院(映画館)。
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もうずいぶんボロボロになっちゃってます。
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保存されているとはいいがたい放置具合ですが、劇場の雰囲気は十分残っています。
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正式には新世界大戯院だったのでしょうか。
http://library.taiwanschoolnet.org/cyberfair2005/ttps/main2/index21.htm
情報は少ないですが、戦前は劇場で戦後は映画館だったようですね。 -
次の上映は梁山泊と祝英台。
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これは主演の俳優さん?それともその次の放映予定タイトル?
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切符売り場も妙にリアル。
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中をのぞくと書類が積まれたまま。
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榮昌戯院の近くには日新醫院の跡地があります。
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暫定古蹟とのことですが…
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門は閉ざされ、
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隙間からのぞいてもジャングル状態でした。
在りし日の姿はこちらで
http://library.taiwanschoolnet.org/cyberfair2005/ttps/main2/index22.htm -
戯院の近くには朴子旅社。営業してないみたいですが…。
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向榮路を北西へ。文明路で右折ししばらく歩くと左手に水道頭(旧給水塔)が見えてきます。
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「水道頭」と呼ばれるこの給水塔は朴子市の徽章にもデザインされているこの地のランドマークです。
1900年から数年、朴子ではペストが流行し多くの方がなくなったそうです。公衆衛生の観点から上水道の整備が進められました。1935年にこの塔が完成し、1974まで実際に使用されていました。当初は朴子渓から取水し、その後地下水を利用、現在上水道(自來水)は烏山頭ダムから浄水場を経由して朴子に届けられています。
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水道頭の近くで修復中の日本建築を発見。
旧朴子分局警察宿舎で、一度は撤去が決まっていたそうです。ここまで朴子の街を見てきて、ここ数年文化遺産を守ろうという機運が高まっているんだなと感じていましたが、この「朴子田野学校」はその拠点となる場所らしいです。
通称「和小屋」と呼ばれるこの建物の一部は数年前に修復され、そこを利用してセミナーを行ったりしていたそうで、そこから今回大規模な修復までこぎつけたらしい。(以下のサイトを読んで書いてますが、意訳しすぎかも…)
http://www3.cyhg.gov.tw/ct.asp?xItem=148387&ctNode=30147&mp=1 -
台湾では旅行を楽しむ人が増え、それぞれの地域が地域の特性、文化資産に敏感になっていると思います。
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朴子では歴史建築の保全と環境整備が現在進められています。お隣の太保市では故宮博物院南院の建設が進んでいますが、完成すれば朴子ももっと観光化するでしょう。これからが楽しみです。
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田野学校が面する中正路東端から西へ歩き、北通路で左折。山通路と北通路の交差点付近にあるのが「安福宮」。
この時は全く気付いてませんでしたがここには「龍井」と呼ばれる古井戸があるのだそうです。
1973年、宮を改築しようとしたところ中庭に数百年忘れられていた古井戸があることがわかり、蓋を開けてみると中に一匹のヒキガエルが生きていたとのこと。蓋をされた井戸ですから、ヒキガエルは井戸の水が良質であったことの証拠ってことらしいです。
その後その井戸は300年古井として、毎年端午節当日の正午、その水で身を清めると厄災を払えるんだとか。
今回は長い旅行記でした。次はこの途中で寄った配天宮についてです。
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