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上海の観光スポットの『豫園』は、明代に四川省の役人だった潘允瑞によって造られた庭園です。完成までには、18年間もの歳月をかけました。潘家の没落後、庭園は一時荒廃しましたが、清代になってから上海の有力者たちが再建に乗り出しました。(ウィキペディア、JTB・中国)

2012春、中国旅行記22(41/50):4月18日(4):上海市、豫園、龍壁、太湖石、小刀会・郭沫若詩碑

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2012/04/14 - 2012/04/18

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旅行記グループ 2012春、中国旅行記22(下巻)

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旅人のくまさん

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上海の観光スポットの『豫園』は、明代に四川省の役人だった潘允瑞によって造られた庭園です。完成までには、18年間もの歳月をかけました。潘家の没落後、庭園は一時荒廃しましたが、清代になってから上海の有力者たちが再建に乗り出しました。(ウィキペディア、JTB・中国)

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  • ○豫園の建物の見所(その1):三稲堂<br />最初の門をくぐってまず正面にあるのが三稲堂です。三稲堂とは五穀豊穣祈念して付けられた名で、扉には、稲、麦、黍、瓜類の浮き彫りが彫られています。当初は楽寿堂の名で呼ばれましたが、1760年に再建された際に名前も現在のものに変えられたようです。写真は、説明文とは異なり、吹き抜け構造の東屋の光景です。(同上)

    ○豫園の建物の見所(その1):三稲堂
    最初の門をくぐってまず正面にあるのが三稲堂です。三稲堂とは五穀豊穣祈念して付けられた名で、扉には、稲、麦、黍、瓜類の浮き彫りが彫られています。当初は楽寿堂の名で呼ばれましたが、1760年に再建された際に名前も現在のものに変えられたようです。写真は、説明文とは異なり、吹き抜け構造の東屋の光景です。(同上)

  • ○豫園の建物の見所(その1):三稲堂(続き)<br />豫園の中でも最も古い時代に建てられた建物のうちの一つとされ、釘を1本も使わない建築物としても知られています。屋根の上には、右側には張飛、左側には関羽の像があります。三稲堂の内部正面には三つの額がかけられていますが、これは豫園の所有者が何度か代わったためです。(上海ガイドブック手帳・豫園の見どころ) (同上)

    ○豫園の建物の見所(その1):三稲堂(続き)
    豫園の中でも最も古い時代に建てられた建物のうちの一つとされ、釘を1本も使わない建築物としても知られています。屋根の上には、右側には張飛、左側には関羽の像があります。三稲堂の内部正面には三つの額がかけられていますが、これは豫園の所有者が何度か代わったためです。(上海ガイドブック手帳・豫園の見どころ) (同上)

  • ○豫園の建物の見所(その1):三稲堂(続き)<br />一番上には「城市山林」と書かれ、城市とは都市のことであり、すなわち「豫園は都市のなかの山林(自然)」の意味です。中央の「霊台経始」の文字は「祖先の霊に対し、崇拝を始める」の意味です。正面には豫園の最初にこの庭園を建てた潘允瑞が残した豫園記があり、豫園創建時の経緯が詳しく書かれています。(同上)

    ○豫園の建物の見所(その1):三稲堂(続き)
    一番上には「城市山林」と書かれ、城市とは都市のことであり、すなわち「豫園は都市のなかの山林(自然)」の意味です。中央の「霊台経始」の文字は「祖先の霊に対し、崇拝を始める」の意味です。正面には豫園の最初にこの庭園を建てた潘允瑞が残した豫園記があり、豫園創建時の経緯が詳しく書かれています。(同上)

  • ○豫園の建物の見所(その2):仰山堂<br />三稲堂の奥にあるのは1866年に建てられた仰山堂です。その名の通り池を隔てて筑山が望めるお堂になっています。ここの築山は張南陽という当時の造山の大家の作で、高さ12米を越える巨大なものです。上海から遠く200キロも離れた浙江省武康県から運びだした武康石を2000トン分も積み重ねられ作られています。各時代で園内の建物が何度も再建を繰り返す中で、この築山だけは一部が削られただけで創建当時の姿をほぼ完全に今も留めています。(同上)

    ○豫園の建物の見所(その2):仰山堂
    三稲堂の奥にあるのは1866年に建てられた仰山堂です。その名の通り池を隔てて筑山が望めるお堂になっています。ここの築山は張南陽という当時の造山の大家の作で、高さ12米を越える巨大なものです。上海から遠く200キロも離れた浙江省武康県から運びだした武康石を2000トン分も積み重ねられ作られています。各時代で園内の建物が何度も再建を繰り返す中で、この築山だけは一部が削られただけで創建当時の姿をほぼ完全に今も留めています。(同上)

  • ○豫園の建物の見所(その2):仰山堂(続き)<br />この築山の山上の望江亭という東屋がありますが、豫園が作られた400年前は、ここが上海で一番高い場所であり、黄浦江が望めたと言われます。(同上)<br />*写真は、庭園の中の池と、その池に架かる橋の光景です。<br />

    ○豫園の建物の見所(その2):仰山堂(続き)
    この築山の山上の望江亭という東屋がありますが、豫園が作られた400年前は、ここが上海で一番高い場所であり、黄浦江が望めたと言われます。(同上)
    *写真は、庭園の中の池と、その池に架かる橋の光景です。

  • ○豫園の建物の見所(その3):獅子像<br />仰山堂の脇に鉄製の雌雄一対の獅子像がありますが、これは元代に河北省安陽県で作られたものとされます。子供をあやしているのが雌で毬で遊んでいるのが雄です。この獅子像から三稲堂と仰山堂の間を見ると、瓶の形をした門が二重に見え、更に奥には木が見え、空間が面白く演出されています。(同上)

    ○豫園の建物の見所(その3):獅子像
    仰山堂の脇に鉄製の雌雄一対の獅子像がありますが、これは元代に河北省安陽県で作られたものとされます。子供をあやしているのが雌で毬で遊んでいるのが雄です。この獅子像から三稲堂と仰山堂の間を見ると、瓶の形をした門が二重に見え、更に奥には木が見え、空間が面白く演出されています。(同上)

  • ○豫園の建物の見所(その4):遊廊<br />獅子像の先には遊廊と呼ばれる回廊があり、この遊廊からは右手に山水画のような筑山が見え、左手には風俗画のように東屋、池などの景色が広がります。回廊の中ほどに、大きな太湖石が置かれ、美人腰と名づけられています。更に奥に進むと藤棚があります。(同上)

    ○豫園の建物の見所(その4):遊廊
    獅子像の先には遊廊と呼ばれる回廊があり、この遊廊からは右手に山水画のような筑山が見え、左手には風俗画のように東屋、池などの景色が広がります。回廊の中ほどに、大きな太湖石が置かれ、美人腰と名づけられています。更に奥に進むと藤棚があります。(同上)

  • ○豫園の建物の見所(その4):遊廊(続き)<br />左手の壁に200年前に作られた彫刻が掛けられ、背が低く髭を生やし、杖をつく老人は人間の寿命を司るといわれる寿老人で、その上が観音菩薩、右が中国仏教の開祖と言われる達麿大師です。中国の庭園においては建物と建物を結ぶ廊下は単なる通り道として存在するだけではありません。(同上)

    ○豫園の建物の見所(その4):遊廊(続き)
    左手の壁に200年前に作られた彫刻が掛けられ、背が低く髭を生やし、杖をつく老人は人間の寿命を司るといわれる寿老人で、その上が観音菩薩、右が中国仏教の開祖と言われる達麿大師です。中国の庭園においては建物と建物を結ぶ廊下は単なる通り道として存在するだけではありません。(同上)

  • ○豫園の建物の見所(その4):遊廊(続き)<br />廻廊は、庭全体が回廊から見ても美しいように構成されていて、景色を楽しむポイントです。藤棚の先を右に曲がると右手に魚楽榭という東屋があり、ここから東に流れる渓流が洞窟にでも注ぎ込むように見え景観に変化をもたらしています。昔はここで男女のお見合いが行われたとされます。(同上)

    イチオシ

    ○豫園の建物の見所(その4):遊廊(続き)
    廻廊は、庭全体が回廊から見ても美しいように構成されていて、景色を楽しむポイントです。藤棚の先を右に曲がると右手に魚楽榭という東屋があり、ここから東に流れる渓流が洞窟にでも注ぎ込むように見え景観に変化をもたらしています。昔はここで男女のお見合いが行われたとされます。(同上)

  • 写真は、新緑に包まれた豫庭内光景光景です。その新緑の中で、一際目立っていたのが楓の赤い葉でした。日本では、『ノムラカエデ(野村楓)』、もしくは『ノムラモミジ(野村紅葉)』と呼ばれている樹木でした。イロハモミジの園芸品種もしくは、オオモミジの変種とされます。(同上)

    写真は、新緑に包まれた豫庭内光景光景です。その新緑の中で、一際目立っていたのが楓の赤い葉でした。日本では、『ノムラカエデ(野村楓)』、もしくは『ノムラモミジ(野村紅葉)』と呼ばれている樹木でした。イロハモミジの園芸品種もしくは、オオモミジの変種とされます。(同上)

  • ○豫園の建物の見所(その5):複廊<br />次に複廊と呼ばれる平行する廊下があり、向かって右側が男廊下で天井が高く作りも良く、太湖石の庭と渓流を望めます。左側の女廊下は位置が低く板張りの天井であり庭もよくみえません。両廊下を隔てる壁には様々の形の穴が開けられ、各々の窓から違う景色を楽しむという工夫となっています。(同上)

    ○豫園の建物の見所(その5):複廊
    次に複廊と呼ばれる平行する廊下があり、向かって右側が男廊下で天井が高く作りも良く、太湖石の庭と渓流を望めます。左側の女廊下は位置が低く板張りの天井であり庭もよくみえません。両廊下を隔てる壁には様々の形の穴が開けられ、各々の窓から違う景色を楽しむという工夫となっています。(同上)

  • ○豫園の建物の見所(その6):万花楼<br />廊下を抜けた先の左手の建物は、万花楼で1843年に再建されました。この建物の扉や窓には、竹、蘭、菊などの彫刻が施され、「花でいっぱいである」という意味の万花楼となったようです。万花楼内部に置かれた家具は200年以上の歴史を持ち、庭の銀杏の木は樹齢は400年を超え、豫園設立当初からの樹木とされます。(同上)

    ○豫園の建物の見所(その6):万花楼
    廊下を抜けた先の左手の建物は、万花楼で1843年に再建されました。この建物の扉や窓には、竹、蘭、菊などの彫刻が施され、「花でいっぱいである」という意味の万花楼となったようです。万花楼内部に置かれた家具は200年以上の歴史を持ち、庭の銀杏の木は樹齢は400年を超え、豫園設立当初からの樹木とされます。(同上)

  • ○豫園の建物の見所(その7):点春堂<br />花糖飴業の公所として1820年に建てられたのが点春堂で、1853年に発生した太平天国の乱に呼応して武装蜂起した小刀会が本部を置いたのがここでした。小刀会の武装蜂起失敗の後に点春堂は破壊されましたが、1868年に再建されました。点春堂正面の小さな舞台では、劇が上演されたなど当時は宴会会場や観劇用に使われ、現在は小刀会関係の資料が展示されています。(同上)

    ○豫園の建物の見所(その7):点春堂
    花糖飴業の公所として1820年に建てられたのが点春堂で、1853年に発生した太平天国の乱に呼応して武装蜂起した小刀会が本部を置いたのがここでした。小刀会の武装蜂起失敗の後に点春堂は破壊されましたが、1868年に再建されました。点春堂正面の小さな舞台では、劇が上演されたなど当時は宴会会場や観劇用に使われ、現在は小刀会関係の資料が展示されています。(同上)

  • ○豫園の建物の見所(その7):点春堂(続き)<br />点春堂と万花楼の間の壁上部は龍で装飾されています。龍はもちろん想像上の動物ですが、よく見れば、頭は牛、角は鹿、口は馬、爪は鷹、身体は蛇、鱗は魚に似ています。口には玉をくわえています。龍は玉が大好きで、玉をくわえた龍はよだれを垂らしてしまいます。<br />*写真は、『広口壺』のような断面を持った出入り口の光景です。通り道の敷石が擦り減っているようでしたから、人通りの多い出入口のようでした。中国庭園の出入り口門は、『洞門(どうもん)』とも呼ばれているようです。(同上)<br /><br />

    イチオシ

    ○豫園の建物の見所(その7):点春堂(続き)
    点春堂と万花楼の間の壁上部は龍で装飾されています。龍はもちろん想像上の動物ですが、よく見れば、頭は牛、角は鹿、口は馬、爪は鷹、身体は蛇、鱗は魚に似ています。口には玉をくわえています。龍は玉が大好きで、玉をくわえた龍はよだれを垂らしてしまいます。
    *写真は、『広口壺』のような断面を持った出入り口の光景です。通り道の敷石が擦り減っているようでしたから、人通りの多い出入口のようでした。中国庭園の出入り口門は、『洞門(どうもん)』とも呼ばれているようです。(同上)

  • ○豫園の建物の見所(その7):点春堂(続き)<br />そのよだれを喉元の蛙が待ち受けています。龍は皇帝の象徴であり、臣下は龍の装飾を用いることが禁じられていました。しかし、本来龍の爪は5本であるのに対しここの龍は4本爪となっていいます。豫園の持ち主は、咎められたときは『これは4本爪であり龍ではありません』と答えるつもりだったようです。(同上)

    ○豫園の建物の見所(その7):点春堂(続き)
    そのよだれを喉元の蛙が待ち受けています。龍は皇帝の象徴であり、臣下は龍の装飾を用いることが禁じられていました。しかし、本来龍の爪は5本であるのに対しここの龍は4本爪となっていいます。豫園の持ち主は、咎められたときは『これは4本爪であり龍ではありません』と答えるつもりだったようです。(同上)

  • ○豫園の建物の見所(その8):和煦堂<br />点春堂の南側にあるの和煦堂には、いずれも200年前に作られた榕樹の家具が置かれています。左右の置物は、左が麒麟、右が鳳凰です。和煦堂西脇の門の上部には、二匹の龍が大きな真珠の玉を嬉しそうに争っています。門を通ったすぐ右手の壁には、松、鹿、粟鼠、鶴が描かれた彫刻があります。いずれの動物も健康と長生きを象徴するものです。さらに南に進みますと、広々としたそれまでとは違った雰囲気の場所に出ます。『内園』です。(同上)

    ○豫園の建物の見所(その8):和煦堂
    点春堂の南側にあるの和煦堂には、いずれも200年前に作られた榕樹の家具が置かれています。左右の置物は、左が麒麟、右が鳳凰です。和煦堂西脇の門の上部には、二匹の龍が大きな真珠の玉を嬉しそうに争っています。門を通ったすぐ右手の壁には、松、鹿、粟鼠、鶴が描かれた彫刻があります。いずれの動物も健康と長生きを象徴するものです。さらに南に進みますと、広々としたそれまでとは違った雰囲気の場所に出ます。『内園』です。(同上)

  • ○豫園の建物の見所(その9):内園と静観庁<br />1780年に豫園に隣接する城隍廟(県の鎮守神を祭る官廟)の後庭として建設されたのが内園ですが、1956年に豫園と併合されました。豫園が明代の庭園の雰囲気を持つのに対し、内園は清代の雰囲気を持っています。(同上)<br />*写真は、秘密結社の『小刀会』が結成された場所とされる『点春堂』です。

    ○豫園の建物の見所(その9):内園と静観庁
    1780年に豫園に隣接する城隍廟(県の鎮守神を祭る官廟)の後庭として建設されたのが内園ですが、1956年に豫園と併合されました。豫園が明代の庭園の雰囲気を持つのに対し、内園は清代の雰囲気を持っています。(同上)
    *写真は、秘密結社の『小刀会』が結成された場所とされる『点春堂』です。

  • ○豫園の建物の見所(その9):内園と静観庁(続き)<br />静観庁は「静かに築山を見る場所」という意味です。正面の太湖石の築山の石は、獅子、猿、象などいろいろな動物に似ているとされています。静観庁の屋根には宋の名将岳飛と悪徳役人の金兀術が戦っている像が置かれています。(同上)<br />*写真は、『点春堂』の軒下の彫刻の光景です。

    ○豫園の建物の見所(その9):内園と静観庁(続き)
    静観庁は「静かに築山を見る場所」という意味です。正面の太湖石の築山の石は、獅子、猿、象などいろいろな動物に似ているとされています。静観庁の屋根には宋の名将岳飛と悪徳役人の金兀術が戦っている像が置かれています。(同上)
    *写真は、『点春堂』の軒下の彫刻の光景です。

  • 末尾に『郭沫若』の落款があった七言絶句の句碑のようです。『小刀会』の題目がありました。『小刀会』は清代末期の秘密結社です。『反清復明』を唱える三合会の分派で、会員は腰に小刀を差していました。主に江蘇省・安徽省・福建省・台湾で活動を行ったとされ、上海では1853年9月に蜂起しました。(同上)

    末尾に『郭沫若』の落款があった七言絶句の句碑のようです。『小刀会』の題目がありました。『小刀会』は清代末期の秘密結社です。『反清復明』を唱える三合会の分派で、会員は腰に小刀を差していました。主に江蘇省・安徽省・福建省・台湾で活動を行ったとされ、上海では1853年9月に蜂起しました。(同上)

  • ○豫園の建物の見所(その9):内園と静観庁(続き)<br />静観庁の西にある東屋前にある彫刻は「郭子儀上寿」と呼ばれます。郭子儀は唐代の玄宗皇帝の時代の名将で、福、禄、寿の象徴とされています。(同上)<br />*写真は、龍壁の龍の頭部です。

    イチオシ

    ○豫園の建物の見所(その9):内園と静観庁(続き)
    静観庁の西にある東屋前にある彫刻は「郭子儀上寿」と呼ばれます。郭子儀は唐代の玄宗皇帝の時代の名将で、福、禄、寿の象徴とされています。(同上)
    *写真は、龍壁の龍の頭部です。

  • ○豫園の建物の見所(その9):内園と静観庁(続き)<br />ここから築山に登りますと、園内5匹目の龍に会うことができます。この龍は他が瓦でできているのに対し、煉瓦で彫刻されています。内園の最も奥には古戯台と呼ばれる舞台があります。(同上)<br />*写真は、壁龍の胴体部分です。

    ○豫園の建物の見所(その9):内園と静観庁(続き)
    ここから築山に登りますと、園内5匹目の龍に会うことができます。この龍は他が瓦でできているのに対し、煉瓦で彫刻されています。内園の最も奥には古戯台と呼ばれる舞台があります。(同上)
    *写真は、壁龍の胴体部分です。

  • 豫園内にある、「龍壁」と、その周りの庭木の光景です。。粘土で作られた迫力のある龍の頭から伸びる長い胴体の鱗には、瓦が使われています。壁の上をうねる姿は、「龍が泳いでいる」と表現されるほどのリアリティがあり、今にも動き出し、上海の空に飛び立ちそうな躍動感に溢れます。豫園見学の必見スポットです。(トラベルJP)<br />次は太湖石の紹介です。(同上)

    豫園内にある、「龍壁」と、その周りの庭木の光景です。。粘土で作られた迫力のある龍の頭から伸びる長い胴体の鱗には、瓦が使われています。壁の上をうねる姿は、「龍が泳いでいる」と表現されるほどのリアリティがあり、今にも動き出し、上海の空に飛び立ちそうな躍動感に溢れます。豫園見学の必見スポットです。(トラベルJP)
    次は太湖石の紹介です。(同上)

  • 中国三大名石は、霊壁石、英石、太湖石とされますが、何れも石灰岩に属します。その太湖石紹介の皮切りは、銘石の紹介です。留園の『冠雲峰』、豫園の『玉玲瓏(宋徽宗花石綱)』などが有名です。<br />○『冠雲峰』(留園):冠雲峰(かんうんほう)と呼ばれる太湖石は、高さ6メートルで蘇州庭園で最大といわれます。冠雲峰は、四周どこからでも見せたくなる太湖石とも言われます。江南地方の太湖石の三大名石の一つに数えられています。(同上)

    中国三大名石は、霊壁石、英石、太湖石とされますが、何れも石灰岩に属します。その太湖石紹介の皮切りは、銘石の紹介です。留園の『冠雲峰』、豫園の『玉玲瓏(宋徽宗花石綱)』などが有名です。
    ○『冠雲峰』(留園):冠雲峰(かんうんほう)と呼ばれる太湖石は、高さ6メートルで蘇州庭園で最大といわれます。冠雲峰は、四周どこからでも見せたくなる太湖石とも言われます。江南地方の太湖石の三大名石の一つに数えられています。(同上)

  • ○『岫雲峰』(留園):岫雲峰の岫雲とは、洞穴のような穴の開いた雲のことを言います。冠雲峰の東南に座しています。高さ4.5メートルの太湖石で、こちらは穴の数が大変多い太湖石です。<br />○『瑞雲峰』(留園):瑞雲峰は、高さ3.8メートルで、大きな二つの穴があるのが特徴です。瑞雲峰の形は良い形との評価もあります。この太湖石は細身で穴が大きいところに特徴がありますが、高さが低いので、中国での受けが悪いようです。左右のバランス感もありますが、中国江南地方で太湖石を評価する基準、「透、痩、漏、皺」で考えると、左右バランスの基準はありません。(同上)

    ○『岫雲峰』(留園):岫雲峰の岫雲とは、洞穴のような穴の開いた雲のことを言います。冠雲峰の東南に座しています。高さ4.5メートルの太湖石で、こちらは穴の数が大変多い太湖石です。
    ○『瑞雲峰』(留園):瑞雲峰は、高さ3.8メートルで、大きな二つの穴があるのが特徴です。瑞雲峰の形は良い形との評価もあります。この太湖石は細身で穴が大きいところに特徴がありますが、高さが低いので、中国での受けが悪いようです。左右のバランス感もありますが、中国江南地方で太湖石を評価する基準、「透、痩、漏、皺」で考えると、左右バランスの基準はありません。(同上)

  • ○『玉玲瓏』(豫園):説明文によれば、千数百年前、宋朝の徽宗皇帝が所有していたものが今に伝わっているようです。江南地方の太湖石の三大名石の一つに数えられています。<br />○『九獅峰』(獅子林):九獅峰は、この太湖石の中には9頭の獅子がいるといわれていて、その名が付けられました。<br />○『江南名石園(旧湖山春社)』:『蘇州リウユアンクラウン雲峰、上海ユユアンと並んで、江南の三つの有名な石と呼ばれています。(バイドウ百科)』と紹介されていますが、写真もなく、詳細は不明です。(同上)

    ○『玉玲瓏』(豫園):説明文によれば、千数百年前、宋朝の徽宗皇帝が所有していたものが今に伝わっているようです。江南地方の太湖石の三大名石の一つに数えられています。
    ○『九獅峰』(獅子林):九獅峰は、この太湖石の中には9頭の獅子がいるといわれていて、その名が付けられました。
    ○『江南名石園(旧湖山春社)』:『蘇州リウユアンクラウン雲峰、上海ユユアンと並んで、江南の三つの有名な石と呼ばれています。(バイドウ百科)』と紹介されていますが、写真もなく、詳細は不明です。(同上)

  • ○『霊壁石』:安徽省宿州市霊壁県の磬石山の赤泥の中深くに埋もれています。輪郭が穏やかで自然に形を成し、切削や彫刻を必要としません。歴代の開採で現在では精品が非常に少なく、今日得られるのは白線が多数みられるものや、白い部分が多くを占めるもので、山形のものが多く、これら新霊壁石と古霊壁石はあたかも別の種類の様に見えます。大きさは中か小、色は黒色が主です。(補13.怪石) (同上)

    ○『霊壁石』:安徽省宿州市霊壁県の磬石山の赤泥の中深くに埋もれています。輪郭が穏やかで自然に形を成し、切削や彫刻を必要としません。歴代の開採で現在では精品が非常に少なく、今日得られるのは白線が多数みられるものや、白い部分が多くを占めるもので、山形のものが多く、これら新霊壁石と古霊壁石はあたかも別の種類の様に見えます。大きさは中か小、色は黒色が主です。(補13.怪石) (同上)

  • ○『英石』:広東省北江中流に位置する英徳山間に産します。山石は浸食風化を受けやすく嶙峋・褶皺の態を形成します。加えて日照・雨水が豊富で、暑さ寒さが激しい地域なので、山石は山谷に崩落し易く、時を経て酸性土壌腐蝕の後、うつろや玲瓏の態を呈します。英石の輪郭は変化が大きく、褶皺が深密で山石中“皺”の表現に突出しています。(同上)

    ○『英石』:広東省北江中流に位置する英徳山間に産します。山石は浸食風化を受けやすく嶙峋・褶皺の態を形成します。加えて日照・雨水が豊富で、暑さ寒さが激しい地域なので、山石は山谷に崩落し易く、時を経て酸性土壌腐蝕の後、うつろや玲瓏の態を呈します。英石の輪郭は変化が大きく、褶皺が深密で山石中“皺”の表現に突出しています。(同上)

  • ○『太湖石』:蘇州府太湖に産し、湖水の浸食によって多くの穴が開き、複雑な形を形成しました。大きさは大、色は白が主です。前述の基準に合うものが多いが、殆どの石が大きく造園に用いられ、机上や室内に用いられる小型のものは稀です。また、小型のものは人の手が加えられているものが殆どです。上海豫園の太湖石『玉玲瓏』は、漏と透を具えた代表的な石です。<br />(補足):『前述の基準』とは、「透、痩、漏、皺」の四つです。(同上)

    ○『太湖石』:蘇州府太湖に産し、湖水の浸食によって多くの穴が開き、複雑な形を形成しました。大きさは大、色は白が主です。前述の基準に合うものが多いが、殆どの石が大きく造園に用いられ、机上や室内に用いられる小型のものは稀です。また、小型のものは人の手が加えられているものが殆どです。上海豫園の太湖石『玉玲瓏』は、漏と透を具えた代表的な石です。
    (補足):『前述の基準』とは、「透、痩、漏、皺」の四つです。(同上)

  • 『玉玲瓏』と比較するのは酷ですが、この奇石もなかなかの名石のようでした。先ほど紹介した、「透、痩、漏、皺」の四つの基準も満たしているようです。時代・人によって異なる判断ですが、概ね次のようなことです。<br />○痩:細を意味し、高雅ですらりとした単独直立が最高。<br />○皺:しわを意味し、小さい石が山脈の地形を体現するのが最高。<br />○漏:起伏する曲線にめりはりがあり、洞窟のように見えるのが最高。<br />○透:穴と開放部を意味し、風と月光が開放部を通り抜けるのが最高。(同上)

    『玉玲瓏』と比較するのは酷ですが、この奇石もなかなかの名石のようでした。先ほど紹介した、「透、痩、漏、皺」の四つの基準も満たしているようです。時代・人によって異なる判断ですが、概ね次のようなことです。
    ○痩:細を意味し、高雅ですらりとした単独直立が最高。
    ○皺:しわを意味し、小さい石が山脈の地形を体現するのが最高。
    ○漏:起伏する曲線にめりはりがあり、洞窟のように見えるのが最高。
    ○透:穴と開放部を意味し、風と月光が開放部を通り抜けるのが最高。(同上)

  • 『太湖石』のことを中心に紹介しましたが、採掘されるのは、太湖ではなく、その周辺の丘陵地のようです。『太湖』についても簡単に紹介しておきます。『古代の太湖は東シナ海の一部でしたが、長江と銭塘江が運ぶ土砂で沖積平野が形成された結果、海から切り離された潟湖(ラグーン)となり、やがて雨量の多さや流入する無数の河川の淡水によって次第に淡水湖となりました。かつて太湖は震澤、具区、笠澤、五湖などと呼ばれ、周辺は「魚米の郷」と呼ばれる中国有数の豊かさを誇る穀倉地帯・淡水漁業地帯として、多くの古代国家や豊かな食文化を支えてきました。また、茶の栽培や陶磁器の生産でも知られてきました。』(同上)

    『太湖石』のことを中心に紹介しましたが、採掘されるのは、太湖ではなく、その周辺の丘陵地のようです。『太湖』についても簡単に紹介しておきます。『古代の太湖は東シナ海の一部でしたが、長江と銭塘江が運ぶ土砂で沖積平野が形成された結果、海から切り離された潟湖(ラグーン)となり、やがて雨量の多さや流入する無数の河川の淡水によって次第に淡水湖となりました。かつて太湖は震澤、具区、笠澤、五湖などと呼ばれ、周辺は「魚米の郷」と呼ばれる中国有数の豊かさを誇る穀倉地帯・淡水漁業地帯として、多くの古代国家や豊かな食文化を支えてきました。また、茶の栽培や陶磁器の生産でも知られてきました。』(同上)

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