2012/04/14 - 2012/04/18
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旅人のくまさんさん
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興化市の街並み光景と、地元の祭りの紹介です。地元の祭りでは『龍踊(蛇踊:じゃおどり)』と呼ばれる、長い龍が主役で、その練り歩きがメインの出し物でした。日本にも伝わり、『長崎おくんち』の定番の踊りとなっています。(ウィキペディア、JTB・中国)
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イチオシ
道路を横断して設けられたお祭りのアーチです。地元のお祭りの飾りと同時に、車の通航制限を兼ねているようでした。車の通行禁止のため、パトカーが道を遮るように停められていました。(同上)
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『禄』と『寿』の文字が記された赤い飾りです。大きな線香のような燃えカスが上部に残っていました。周りに赤い端切れが飛び散っていますので、爆竹も鳴らされていたようです。中国の上海では2005年から3年間、春節のお祭りを見学しましたが、爆竹と花火で、徐行運転でなければ高速道路も走れない状況でした。(同上)
〇2005早春、中国旅行記6(1)『新年好!上海、朱家角の旅』
https://4travel.jp/travelogue/10148679
〇2006新年、中国旅行記8(1)『新年好!in上海・2006』
https://4travel.jp/travelogue/10171009
〇2007冬、中国旅行記12(1):はじめに、上海
https://4travel.jp/travelogue/10148357 -
中国の『龍踊』は、日本にも伝わり、中でも長崎の『長崎くんち』の中心的な出し物として、今も演じられています。『長崎くんち』は、長崎の氏神「諏訪神社」の秋季大祭です。寛永11年(1634年)、二人の遊女が諏訪神社神前に謡曲「小舞」を奉納したことが長崎くんちの始まりと言われています。以来、長崎奉行の援助もあって年々盛んになり、さらに奉納踊には異国趣味のものが多く取り入れられ、江戸時代より豪華絢爛な祭礼として評判だったそうです。この奉納踊は、国指定重要無形民俗文化財に指定されています。(長崎伝統芸能振興会) (同上)
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電線にとまって羽根を休めていたツバメさんです。4月ですから、南方からやって来たばかりのところでしょうか。地元のお祭りに合わせて、はるばる渡って来たのかも知れません。(同上)
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『長崎くんち』の出し物は、『龍踊(じゃおどり)』『鯨の潮吹き』『太鼓山(コッコデショ)』『阿蘭陀万才』『御朱印船』など、ポルトガルやオランダ、中国・ベトナムなど南蛮、紅毛文化を色濃く残した、独特でダイナミックな演し物(奉納踊)を特色としています。傘鉾、曳物(山車・壇尻)、太鼓山など、京都や堺の影響も窺えるようです。(同上)
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『龍踊(じゃおどり)』は、数千年前、中国での雨乞いの儀式として行われたのが始まりのようです。龍は玉を追い求めて乱舞します。玉は太陽、月を表し、龍が玉を飲むことによって、空は暗転し、雨雲を呼び、雨を降らせると信じられています。日照りに苦しむ、農民の祈りから始まった龍踊は、その後、お祝いや.祭りの時に行われるようになりました。(長崎ケーブルメディア) (同上)
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日本では、長崎の唐人屋敷(1689~)の中で、毎年正月十五日(上元の日)に行われていました。享保年間(1716~1736年)、隣接する本篭町(もとかごまち)の町民が習って『おくんち』の奉納踊となりました。明治になり、諏訪町(すわのまち)に伝わり、最近では筑後町や五島町も参加しています。『おくんち』の花形として全国的に有名です。(同上)
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『龍踊(じゃおどり)』は、江戸時代から昭和20年代までは、蛇踊と書きました。しかし、長崎県外の人には、『へびおどり』と言われて困ったことが何度もあり、学者や郷土史家など関係者が協議した結果、昭和32年から、くんちのプログラムが龍踊に変わり、昭和39年の無形文化財指定の時に、漢字は『龍踊』を用いて、ふりがな『じゃおどり』を付けるとすることになり、現在に至ります。(同上)
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『龍』についての説明です。外観は大きな蛇に似ていますが、思想的には雄雌一体の霊獣麒麟とされます。そして、狼の眼、獅子のたてがみ、馬の耳、鹿の角、鷲の足などが合体した想像上の動物です。また、祭りの道具立ては、竜巻を表すお腹の紅白の模様と、黒雲を表す龍衆(じゃしゅう)の黒の衣装によって、天に昇ろうとする様子を表わしています。(同上)
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龍踊の内容についての説明です。龍踊の演技には次のような種類があります。
①玉追い:体を上下左右に振り、くねらせながら玉を追いかけ、胴くぐりを行う。
②ずぐら(玉探し):ぐろを巻き、胴体の陰に隠れた玉を頭が上下左右を探す。玉を見つけたら、胴くぐりを行い、玉追いに戻る。
以上の基本動作の他に、ねむり、竜巻、波、などがあります。(同上) -
龍踊の楽器は次の6種類があります。
①長喇叭(ながらっぱ):龍の鳴き声
②大太鼓(おおだいこ):雷の音
③皺鼓・半鼓(かっこ・はんこ:通称パラ):雨の音
④大銅鑼(おおどら):風の音 (同上) -
⑤大中小の蓮葉鉦(ばっつお):風の音を強調する役目
⑥小鐘・小鉦(こがね・こしょう:通称キャン):中国情緒を表す音
などで構成されています。上記の楽器を使って、①道行き(スロー)、②打ち込み(アップ)、③乱打を龍の動きにあわせて演奏します。龍囃子の掛け声は、チャーパです。この語源は中国語の招宝(チャウバウ)が変化したものです。(同上) -
『長崎くんち』は、敬称を付けて『長崎おくんち』とも呼ばれます。その由来は、長崎市の諏訪神社の祭礼である、10月7日から9日までの3日間催される『9日』の方言読みに因みます。『長崎くんちの奉納踊』の名称で、昭和54年(1979年)に国の重要無形民俗文化財に指定されました。(同上)
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『くんち』は、『前日(まえび:10月7日)』、『中日(なかび:8日)』、『後日(あとび:9日)』の3日に分けて行われます。諏訪神社に祀られている三体の神体が、前日に諏訪神社の本宮から大波止に設けられた御旅所(おたびしょ)に下り(お下り)、後日には再び本宮に上る(お上り)という神事が行われます。(同上)
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『長崎くんち』は、諏訪神社の氏子にあたる長崎市内の各町が、演し物と呼ばれるさまざまな演目(奉納踊)を奉納します。長崎市にある59の町(以前は77町)が5~7町ごと7組に分かれて年ごとに奉納します。その年の当番に当たった町を『踊り町(おどりちょう)』と呼びます。7年に一度、踊り町が回ってくることになります。(同上)
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日本では、『長崎おくんち(長崎県長崎市・諏訪神社)』、『博多おくんち(福岡県福岡市・櫛田神社)』、『唐津おくんち(佐賀県唐津市・唐津神社)』の例祭を、『日本三大おくんちと』呼んでいます。『くんち』の呼び名は、旧暦の『重陽の節句』にあたる9月9日が語源とも言われます。(同上)
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大きなざる籠の中にいたひよこさん達です。僅かな高さですが、ざる籠の縁を飛び上がる気配はありませんでした。先程の『重陽の節句』の説明の補足です。五節句の一つ、『重陽の節句』は、平安時代の初めに中国から伝わりました。古来中国では、奇数の日は縁起のよい『陽の日』とされ、3月3日や7月7日など、奇数が重なる日を祝い節句とし、一番大きい数の9月9日を『重陽』と呼びました。(同上)
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店先で茹でられていた玉蜀黍です、薄い黄色をした、スイートコーンのように見えましたが、食べてはいませんので、味は分かりません。山西省旅行の時には、眼下は取入れが済んだ玉蜀黍畑が続いていましたが、『この地方では4千年に亘って、トウモロコシが主食です』とお聞きした記憶があります。(同上)
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今日の昼食のお店の玄関光景です。右に見えている張り紙は、恭賀の二文字が頭にありましたから、新年を寿(ことほ)ぐ言葉のようでした。全部は読み取れませんでしたが、電光表示も新年の祝いの言葉のようでした。(同上)
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地元料理の数々が揃った、今日の昼食のメニューです。各自で、それぞれの取り皿に取り分けて戴きました。油分を抑えた、食べやすい料理の数々でした。各種の地元の野菜が使われているようでした。美味しく頂戴しました。(同上)
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昼食のお店に置いてあった籠の鳥の紹介です。目の周りがメジロさんによく似た小鳥さんですが、日本で見かけるメジロさんとは違っているようでした。よく似た鳥を10種ほど比べてみましたが、そっくりの鳥はいませんでした。その中でも、ウグイスが一番似ているようでした。(同上)
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黄色い『ブンチョウ(文鳥)』か、『セキセイインコ』のような姿でしたが、別種かも知れません。人慣れしたような、落ち着いた仕草でカメラの方を向いてくれました。いわゆる、カメラ目線です。(同上)
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白い羽と、スマートな体つきが印象に残った、籠の鶏さんです。残念ながら、名前は分かりません。私にとっては、初顔合わせの鳥さんでした。飛翔姿が綺麗な鳥さんを想像しました。(同上)
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生まれて間もない兎さんのように見えました。逃げ出してしまう心配がないのか、金網ケースの中ではなく、上に群れていました。兎の毛色は、品種改良もあって色も長さも多彩とされます。多くの種の体毛の色彩は、背面は褐色・灰色・黒・白・茶色・赤茶色・ぶち模様などで、腹面は淡褐色や白とされます。(同上)
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同じく、金網ケースの中ではなく、上に群れていた兎さん達です。全身が白色の兎さんでした。音や風のするほうへ耳の正面が向くよう、耳介を動かすことができます。また、毛細血管が透けて見えるこの大きな耳介を風に当てることで、体温調節に役立てるともいわれます。(同上)
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日本の長崎などで行われる『龍踊』の関係で、旧暦の『重陽の節句』の9月9日の説明になりましたが、今紹介している興化市の龍踊は、春節のお祭りとして行われているようでした。旧暦の正月が『春節(しゅんせつ)』と呼ばれ、新暦では1月から2月にかけての行事となります。冒頭で紹介した2005~2007年の中国旅行も、この春節に合わせたものでした。(同上)
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春節は、中華圏で最も重要とされる祝祭日であり、新暦の正月に比べ盛大に祝賀され、中国やシンガポールなど9か国・地域では数日間の祝日が設定されているようです。シンガポールは、中国との時差が生じないように、表人事を合わせてあることも、以前のシンガポール旅行の時にお聞きしました。(同上)
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後ろ姿の紹介になりますが、白い帽子に赤い上下の服の皆さん方です。龍踊に関連する皆さん方のようでした。赤い服には、黄色の線でアクセントが付けてありました。『先に紹介した『長崎おくんち』は、長崎市にある59の町が5~7町ごと7組に分かれて年ごとに踊りを奉納しますが、その原型が中国各地に残っているのかも知れません。(同上)
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『長崎おくんち』では、紹介を省略しましたが、それぞれの踊り町は、その町のシンボルでもある、巨大な『傘鉾(かさぼこ)』を先頭にして奉納する神社境内に進み、さまざまな演し物を神前に奉納します。この御輿のような飾り物も『傘鉾』の原型になるのかも知れません。(同上)
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イチオシ
実は、亡くなった父からは『長崎おくんち』や『龍踊』のことは、小さい頃に何度も聞かされていました。父の先祖が平戸藩の末裔であり、父は佐世保で薬局を開いていたことも聞かされていました。祖父と祖母は熊本に縁があり、その所縁の遺跡が隈部氏館跡や城村城跡です。私がお城巡りを趣味にしていることに繋がります。(同上)
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