2012/04/14 - 2012/04/18
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旅人のくまさんさん
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興化の街並み光景と、地元の祭りの紹介です。日本の『長崎おくんち』に伝わる『龍踊(じゃおどり)』のルーツは中国とされます。中国では各地で見ることが出来るお祭り光景のようです。因みに、『長崎おくんち』は、国の重要無形文化財です。(ウィキペディア、JTB・中国)
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イチオシ
興化市の『龍踊(じゃおどり)』の紹介です。長い胴体の先頭に見えていたのが、大きくて賑やかな飾りのある龍頭でした。日本では法被(はっぴ)と呼ばれる、紫の衣装を着けた人の背中には、『龍騰湾』らしい文字が見えました。龍頭の前には、玉もありました。(同上)
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興化市の『龍踊(じゃおどり)』の紹介が続きます。中国の龍は、伝統的には、特に水、降雨、台風、洪水を制御する、強力で縁起の良い力を象徴しています。さらに、貴人の力、強さ、そして幸運の象徴でもあります。中国の皇帝にとって、龍は皇帝の権力と強さの象徴でした。(同上)
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お祭り用の大きな横断幕の光景です。一番上に『東太陽能』の文字、その下に『感恩節・興化』の文字がありました。『東』の文字は、地名の一部だったようです。中国語の『感恩節』は『感謝祭』、『太陽能』は『太陽エネルギー』の意味とされます。(同上)
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地面に広げられた、色とりどりの小袋の光景です。地元野菜の種子の販売でした。ざっと数えて、20種類以上でした。上段には、スイカやメロン、中段に唐辛子など、花壇には、ニンジンや豆類、葉物野菜などがありました。(同上)
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龍、特にそれぞれの足に五つの爪がある龍は、中国の多くの王朝において皇帝の象とされました。清では皇帝の龍は黄色または金で、明代では赤色でした。帝位は龍の玉座と呼ばれていました。後期の清では、国旗に竜が採用されています。龍は、北京の紫禁城などの皇宮や王墓の段差で彫刻に使われています。(同上)
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紀元前221年、秦王嬴政は、他の6国を攻め滅ぼし中国統一しました。そして、それまでの『王』という君主の称号より上位の称号を王綰・李斯ら重臣達に諮問しました。重臣達は、古代の五帝を超越したとして三皇のうち最上位である『泰皇』の称号を使うよう推挙しましたが、嬴政は自分がこの三皇五帝より尊い新たな存在であるという考えから、皇と帝を合わせた『皇帝』と言う新しい称号を造語し、自身はその初代であるため『始皇帝』と称しました(『史記』など)。以降、中国の支配者は皇帝を名乗ることになりました。(同上)
*写真は、『龍踊』のメンバーの即興のパフォーマンスです。 -
長崎県と中国との交流史についての紹介です。(同上)
〇もともと地理的に東アジアに近い長崎県は、紀元前の昔から中国大陸や朝鮮半島と深い関わりをもってきました。
〇17世紀から19世紀にわたる日本の鎖国時代に海外との唯一の貿易の窓口であった長崎は、中国やオランダとの交易で栄えました。(長崎県日中親善協議会:以下同じ) -
〇当時、中国人の居留地であった唐人屋敷は、幕府の規制はあったものの比較的自由に出入りが許され、長崎に多くの影響を与えました。
〇長崎市の繁華街に近い中島川にかかる石橋群は、ほとんどが最初は中国人によって造られたものです。中でも、眼鏡橋は、わが国最初のアーチ型石橋として国の重要文化財に指定されています。(同上) -
〇市内の唐寺は、江戸初期に長崎に来航した中国人によって建てられたもので、そのうちの崇福寺で毎年行われている中国盆では、現在でも全国から集まった華僑や多くの見物客で賑わいます。
〇中国文化の影響は、ペーロン競漕、精霊流し、長崎くんちの奉納踊りの顔ともいえる龍踊りなど、長崎伝統の年中行事にも大きく影響を及ぼしています。(同上) -
〇さらに、最近では、旧正月の春節の時期に、中華街を中心に15,000個のランタンが街を彩り、中国の皇帝パレードなどが市中を練り歩くランタンフェスティバルが新たな祭りとして長崎に根付きました。期間中90万人を超える人出で賑わい、冬の風物詩として人気を博しています。(同上)
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写真は、街頭で販売されていた竹籠の紹介です。側面は、造られたばかりのような緑色をしていました。アジアの小数民族には、家も竹で拵える人たちもいます。竹籠を編んだりするのはお安い御用かも知れません。これまでの中国旅行で、小数民族の方達の生活を垣間見たり、民族料理をたべたこともありました。(同上)
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長崎県と中国との交流史についての紹介に戻ります。(同上)
〇食習慣においても、チャンポンや皿うどん、豚の角煮などの卓袱料理など、長崎の食は、中国文化の影響を強く受けています。
〇現在私たち長崎県が持っている異国情緒豊かな文化は、実は、古い昔から中国の皆様に作っていただき、育てていただいた宝物が大きく花開いたものと言えます。 -
イチオシ
〇長崎県では、日中国交正常化の前年である1971年5月に、当時の久保知事が、卓越した判断に立ち、「中国はひとつ」と県議会で発言しました。
〇同年7 月には、長崎県議会が、政府に対し、『日中国交回復と貿易促進に関する要望決議』を行いました。
〇1972年9月の国交正常化から1ヶ月もたたない うちに、日本の地方自治体としては初めて、久保知事自らが団長となり、友好訪中団を派遣するなど、全国に先駆けて中国との交流を進めてきました。(同上) -
『南湖路』の繁体文字が記された、道案内標識の紹介です。『南湖路』は、蘇州市武中区と工業団地に位置し、南湖路道路は西に東環南延山と陸路を接し、興郭路に沿って東にスジアハン高速を横断した後、湖を渡り、依湖路と東大通りを東に東に結び、全長約10.7キロです。 このうち、山湖、依湖路、星池街交差点はトンネル形式で、残りの区間は主に高架形式です(バイドウ百科)』、と紹介されていました。(同上)
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〇1979年の長崎・上海定期航空路の運航開始、1982年の福建省との友好県省締結、1985年の中国総領事館の開設、1991年の長崎県上海事 務所開設、1996年には上海市と友好交流関係を樹立するなど、本県は中国との友好交流促進のために積極的に取り組み、友好関係を着実に進展させています。引き続いて、年表で紹介します。(同上)
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〇1971年(昭和46年)5月:久保長崎県知事が中国は一つであると県議会で表明
〇1971年(昭和46年)7月:日中国交回復と貿易促進に関する要望決議(県議会)
〇1972年(昭和47年)9月:日中国交正常化
〇1972年(昭和47年)10月:長崎県友好訪中使節団派遣(総領事館設置要望)
〇1973年(昭和48年)5月:長崎県日中親善協議会設立 (同上) -
〇1979年(昭和54年)9月:長崎・上海定期航空路開設
〇1982年(昭和57年)10月:長崎・福建友好県省締結
〇1983年(昭和58年)11月:胡耀邦中国総書記来県・総領事館長崎開設表明
〇1985年(昭和60年)5月:中国駐長崎総領事館開設
〇1991年(平成3年)7月:長崎県貿易協会上海事務所開設 (同上) -
〇1991年(平成3年)11月:中国駐長崎総領事館新築移転
〇1994年(平成6年)6月:長崎・上海定期航路開設
〇1996年(平成8年10月:長崎県・上海市友好交流関係樹立
〇1997年(平成9年)6月:日中国交正常化25周年(長崎県日中親善協議会:以上)
*写真は、仏具の販売展示のようです。(同上) -
体中に風船飾りを付けた男の子の光景です。日本の学制で例えれば、小学校に上がる前か、上がったとしても1年生くらいの年頃に見えました。想像ですが、1年経った後では、風船飾りで満足出来る年頃ではなくなっているでしょう。(同上)
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ずらりと並んだ、『サトウキビ(砂糖黍)』の光景です。この時期が、取入れの時期になるのでしょうか、各地で目にしました。テンサイと並んで砂糖(蔗糖)の原料となる農作物です。(同上)
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まだ江蘇省の見学は終わっていませんが、ここで、明の時代(紀元14~17世紀)に源を発し、現存する中国最古の演劇の一つとされる『昆劇』の紹介です。伝統文化の結晶であり、演劇の模範とされ、その独特な文化的価値のため、2001年にユネスコの無形文化遺産に選ばれました。昆劇は南劇から昆山一帯に発展し、地元の音楽、歌舞、言語と結合し、他の戯曲の長所を取り入れています。(江蘇省公式サイト) (同上)
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次に紹介するのは『京劇』です。中国で最も影響力のある戯曲の劇種で、分布地は北京を中心に中国各地に及んでおり、「中国の国劇」と称され、2010年に無形文化遺産に登録されました。京劇は中華民族の伝統文化の重要な表現形式であり、そのうち多くの芸術の要素は中国伝統文化のシンボルとして使用されています。京劇の発生と発展は江蘇省と切っても切れない縁があります。(同上)
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3番目は『中国の古琴芸術』の紹介です。中国の古琴は世界最古の撥弦楽器の一つであり、主に弦と木の共鳴器で発音し、今まですでに3000年余りの歴史があり、20世紀の初めにやっと『古琴』と呼ばれるようになりました。中国古代の精神文化が音楽における代表的な部分でもあります。中国の古琴芸術は2003年にユネスコの第2回『人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言』に登録されました。(同上)
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4番目は、『中国剪紙(切り絵)』の紹介です。はさみやデザインナイフで紙の上に模様を切り、生活を装飾したり、その他の民俗行事に協力したりする民間芸術です。その伝承されたビジュアルイメージと造形様式は、豊富な歴史文化情報を含みます。江蘇省の代表的な剪紙は揚州剪紙、南京剪紙、徐州剪紙と金壇刻紙です。2009年に無形文化遺産に登録されました。(同上)
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5番目は、『中国彫版印刷技法』の紹介です。この技法は、刃物を使って木の板に文字や模様を彫刻し、墨、紙、絹などの材料で刷印して製本する特殊技法であり、隋の時代に始まり、活版印刷より400年以上も早い時代でした。人類の複製技術の先駆けとなった彫版印刷は、歴史的文化的情報を搭載し、世界文化の伝播史に比類のない重要な役割を果たし、2009年に無形文化遺産登録されました。(同上)
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6番目は、『中国の伝統木造建築技術』の紹介です。中国の伝統木造建築技術は木材を主要な建築材料とし、ほぞ継ぎを木材部品の主要な接合方法とし、モジュール制を基準として設計と生産手段の建築技術体系であり、代表作は蘇州園林などがあります。このような建築技術体系は7000年以上にわたって中国全土に広がり、日本、韓国などの東アジア諸国にも伝わり、東洋古代建築技術の代表となっており、2009年に人類の無形文化遺産の代表的な一覧表に登録されました。(同上)
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7番目は、『南京雲錦織技法』の紹介です。中国の絹織技法の精華を濃縮し、中国古代三大名錦の一つであり、2009年に人類の無形文化遺産の代表的な一覧表に登録されました。(同上)
*写真は、『泰州動物園』のタイトルがあった、案内看板の光景です。上向きの矢印で、喬園と駐車場が表示され、その下に『動物園全景図』がありました。動物園は、中州のような場所に設けられているようでした。 -
8番目は『端午節』の紹介です。端午節は中国民間の伝統的な祝日で、旧暦の五月五日にあたります。端午節の起源は古代の星象文化、人文哲学などの内容を包含しており、文化的内包が深くて豊かです。伝承と発展の中で様々な民俗を一つにさせ、節句の内容が豊富になりました。2009年に人類の無形文化遺産の一覧表に登録されました。(同上)
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最後は、『江南糸竹』の紹介です。江南糸竹は江南の水郷文化のすぐれた代表の一つであり、江蘇南部、浙江西部、上海地区で流行している糸竹音楽の総称であります。年月を経て、「小、細、軽、雅」の風格を形成しました。他にも紹介したい項目がありますが、これでお終いにします。(同上)
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興化市の『菜の花畑』の紹介の締め括りです。ローカルな評価かも知れませんが、『世界の4大「花の海」』を、『興化の菜の花畑』、『プロバンスのラベンダー畑』、『オランダのチューリップ畑』、『京都の桜』とする人もあるようです。『京都の桜』は、『奈良の桜(吉野山)』のことかも知れません。(レコード・チャイナ)(同上)
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