2012/04/14 - 2012/04/18
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旅人のくまさんさん
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上海の黄浦区安仁街にある中国風の庭園の『豫園』は、1559年から1577年までの18年という長い歳月を費やし造られました。当時の敷地面積は、今の2倍もの広さがあったようですが、1956年に庭園が整備され、現在の姿となりました。(ウィキペディア、JTB・中国)
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豫園の入口前にある『緑波池』と、九曲橋の側面光景です。直角に曲がった橋の造りで、追いかけてくる悪霊を振り払う効果があると信じられているようです。池の中には、睡蓮を植え付けるためでしょうか、大きな鉢のような姿がありました。(同上)
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『九曲橋(きゅうきょくばし)』の袂の光景です。達筆の三文字が刻まれていました。英文表記は直訳の『Nine-turn bridge』、またはジグザグに曲がる『Zigzag bridge』です。九曲橋は豫園と澄清湖にあるものが有名ですが、世界中の主な中国庭園にはほぼ全てで使われています。『宋代( 960~1279年)』の庭園から広く使われたようです。(同上)
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『緑波池』に建つ大理石らしい像の光景です。あるいはコンクリート製かも知れません。色々調べてみましたが、この女性像の呼び名は分かりませんでした。蓮座の上に建ちますから、仏像のようです。文化大革命期の前か、あるいは無事に乗り越えた像かも知れません。仏像ですと、観音菩薩か薬師如来当たりかも知れません。(同上)
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『豫園』のタイトルがあった説明版の光景です。右側には英文表記もありました。豫園は『ユィユアン・ガーデン』の英訳でした。『豫園是著名的江南古典営林、全国重点文物単位』の説明で始まり、1559年に創建された、私人花園であることなどが説明されていました。(同上)
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『緑波池』で泳ぐ魚に群れです。巨大な魚は見当たらないようですが、日本で例えれば、緋鯉や錦鯉が多いようです。赤色や白色の魚が大部分のようでした。豫園の歴史から言えば、もう少し大きな鯉が泳いでいてもおかしくはありません。(同上)
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少しズームアップした、『九曲橋』の上の光景です。この橋を渡りきったところに、『豫園』の入口があります。記念撮影の絶好のポイントになっていますから、いつ来ても大勢の人の姿があります。豫園の入園料が要らない場所であることも影響しているようです。(同上)
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『海上名園』の文字が刻まれた石碑の光景です。揮毫は『江沢民(チャン・ツェーミン:1926~)』とされます。江沢民は、江蘇省揚州生まれで、中国共産党中央委員会総書記、中華人民共和国主席などを歴任しました。『鄧小平(トン・シァオピン:1904~1997年)』の時代に党内での地位を固めました。上海市長、上海書記も務めました。この碑は1999年、豫園創立440周年を記念したものです。(同上)
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イチオシ
『九曲橋』は無料で渡ることが出来ますが、この門から先は『豫園』の有料エリアになります。精緻な彫刻が施された入口門の光景です。『豫園』の文字も刻まれていました。上海の黄浦区安仁街にある中国風の庭園の『豫園』は、1559年から1577年までの18年という長い歳月を費やし造られました。当時の敷地面積は、今の2倍もの広さがあったようですが、1956年に庭園が整備され、現在の姿となりました。(同上)
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約2万平方メートルの敷地には、建築物や緑の木々、池や素晴らしい名石、橋などが中国風の景観として、見事に調和しています。園内には約40箇所もの見応えのある建物や風景を観ることができます。豫園園内の光景は、この後引き続いて紹介します。「豫園」は、「豫悦老親(老いた両親をよろこばせる)」という言葉にその名を由来します。(同上)
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この後は、『豫園』の歴史紹介です。『明王朝のプライベート・ガーデンは、明朝に建てられ、これまで400年以上の歴史があります。園主の四川布政使の「パン・ユンエンド(潘允端:1526~1601年)」は、1559年(明華の無年)から、パンジアの住居、世春堂の西側にある数軒の野菜畑に庭園を建設しました』 (バイドウ百科) (同上)
*写真は、屋根飾りの龍頭の光景です。 -
『豫園』の歴史紹介が続きます。『20年以上のハードワークの後、「yuyuan(ユユアン)」が建設されました。 「ユ」は「平和」と「安泰」という意味で、「ユユアン」と名付けられ、「ユ・ユエの古い親戚」という意味とされます。当時、ユユアンは、70エーカー以上をカバーし、明王朝の有名な建築家、張南陽によって設計され、建設にも関与しました 』(同上)
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『当時の人は、ユユアンを「南東の奇秀甲」と「南東の名園の王冠」と賞賛しました。』(同上)の人は、ユユアンを「南東の奇秀甲」と「南東の名園の王冠」と賞賛しました。1601年(明万暦29年)にパン・ユンテが亡くなり、パンの家族は衰退し、庭園の修復と管理の費用を負担する余裕がありませんでした。 明朝末期、ユユアンはチャン・ツァオリンが関わったようです』(同上)
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『1760年(清乾隆25年)頃、地元の裕福な商人がユユアンを購入し、20年以上かけてタワーを再建し、山石を増築しました。 当時、城宮寺の東には東園があり、現在は内園があり、ユユアンは西に少し偏っていましたので、西園と改名されました。1842年(清道光22年)に最初のアヘン戦争が勃発し、外国勢力が上海に侵攻し、イギリス軍がユユアンを占領し、荒廃しました』(同上)
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『清清豊3年(1853年)、上海小刀会は太平天国革命に呼応し、上海で蜂起を開始しました。 上海小刀会の蜂起が失敗した後、町は焼失し、略奪され、ユユアンも破壊され、点春堂、香雪堂、ギフアホール、月楼などの建物が燃やされました』(同上)
*写真は、右から読んで『溪山清堂』らしい文字が記された、扁額の光景です。 -
『1860年(清清豊10年)、太平軍は上海に進軍し、満清政府は英仏侵略軍と共謀し、城の寺院とユユアンを駐留部隊の敷地とし、公園で石を掘って池を埋め、西洋式の兵舎を建設し、庭園の景観を全てアフリカ風にしました。清光緒の初年(1875年)後、庭園全体は上海豆米産業、砂糖産業、布産業など20以上の産業・商業産業によって分割され、公共施設として建設されました。 解放の前夜までに、ユユアン・パビリオンは荒廃し、偽の山が崩壊し、池が乾燥し、木が枯れ、古い風景が消え去りました』(同上)
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その後の状況です。箇条書きで紹介します。(同上)
○1956年から5年間に亘り、1961年9月のオープンに向けて、ユユアンは大規模な修復を行いました。
○1959年、ユユアンは市レベルの文化的遺物保護単位に指定されました。
*写真は、池が見える豫園の園内光景です。 -
○1961年、修復を終えたユユアンは一般公開されました。
○1982年2月、国務院によって国家重要文化財保護単位として発表されました。
*写真は、右から読んで、『豫園古玩店』の看板があった建物の入口光景です。古玩店は、骨董品店あたりの意味のようです。(同上) -
園内の随所に設けられた門です。人の通行を規制するものではなく、庭園の景色の一区切りとして設けられたアクセントのようなものです。室内から眺める時の『漏窓(ろうそう)』と同じ狙いがあるようです。この門は特徴らしいものはなく、扁額も懸かっていませんでした。(同上)
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ここにも意匠を凝らした出入り口門がありました。塀の一部ではなく、建物の一部になったような造りでした。その出入り口の先には、別の出入り口門が見えていました。回廊の建物だったかも知れません。庭園の出入り口門は、『洞門(どうもん)』とも呼ばれているようです。(同上)
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中央に見えるのは、長い角を持った『鹿』らしい造り物のようです。建物の頂頭に飾られていました。上海万博の年に見学した時、ズームアップアップで撮影していましたので、鹿の子模様も見えました。(同上)
○『2010春、上海万博旅行記(21)5月7日(6)上海・豫園』
https://4travel.jp/travelogue/10458647 -
イチオシ
豫園の植物についての紹介です。『豫園の中にある植物や樹木は、樹齢が古く大変に貴重な存在とされます。樹齢が100年、中国の一級の保護樹木に指定されているイチョウの木とモクレンの木は、特に有名です』(トラベル・ブック) (同上)
*写真は、密度の濃い石組と、築山の光景です。緑の木がうまく配された光景でした。日本で言う築山は、中国では假山と呼ばれています。 -
豫園の植物についての紹介の続きです。『春にはツツジや、モクレン、ボタンなどが賑やかに咲きほこります。初夏には見事に成長した藤を堪能でします。また、秋から冬にかけても、菊やツバキ、ウメ、などが鑑賞できますので、その時に合った植物と樹木が鑑賞できるでしょう』(同上)
*写真は、竜壁に囲まれた内庭の光景です。 -
『2万ヘクタールの庭園です。中国の文化がたっぷりと詰まった美しい庭園には、様々な景観が造り出されています。奇石という石で作られた庭園は、あちらこちらで見る事ができ、最も有名なのが『玉玲瓏』と呼ばれる太湖石です』(同上)
*『玉玲瓏』については、この後詳しく紹介します。 -
イチオシ
豫園内の楼閣の紹介です。『豫園見学のメインは、園内に多数点在する建造物です。ほとんどが清代に建てられたもので、中を覗くと当時の家具や書画などが置かれています。それぞれの装飾にも注目してみて下さい。たとえば、入り口を入ってすぐの「三穂堂」は、「豊作」を意味する言葉が名前になっていますが、内部の装飾をよく見ると穀物が彫刻されていたりします。また、釘を一本も使わずに建てられた楼閣としても有名です。一つずつ特徴を発見しながら鑑賞してみてください』(上海ナビ) (同上)
*写真は、高々と奇石を積み上げた『大假山』の光景です。この築山には、通り抜けが出来るトンネルも造られていたようです。 -
豫園の『瓦・屋根・塀』の紹介です。『庭の風景や池、建物だけでなく、屋根や塀なども注目です。いちばん有名なのが「龍?」と呼ばれる塀の上の瓦の装飾です。中国では、龍は皇帝のシンボルとされ、その指は5本です。しかし、寺院や地方豪族等の造る龍像の指は、皇帝に遠慮して、4本か3本です』(同上)
*写真は、『内庭』にある池の光景です。 -
豫園の『瓦・屋根・塀』の紹介の続きです。『豫園の龍の指は、3本です。ですから、厳密に言うと龍ではありません。当時は皇帝しか龍の装飾は使えませんでした。この決まり事を破れば、一族の存続に関わる重大時になったようです。この考えは、隷属した国々にも徹底されていたようです』(同上)
*写真は、『内庭』にある池と廻廊の光景です。 -
豫園の『奇石』に関する簡単な説明です。『「豫園」内には穴の空いた奇石・太湖石が多数配置されています。有名なのは先ほどご紹介した「玉華堂」前の池「玉玲瓏」です。穴が多く、上に高くのびる最高級の太湖石が真ん中に配置されています。ここは園内きっての写真撮影スポットです。今回の再集合の場所でした』(同上)
*写真は、太湖石の中でも名品と言われる奇石が三つ並んだ光景です。 -
豫園の『狛犬』についての紹介です。『豫園には、元代に造られたという鉄獅子や、両方口をあけて笑っているおおらかなデザインの獅子、可愛らしい子獅子の置物もあります』、鉄獅子は、日本に持ち去られていた時代があったようですが、今は、元の場所に戻ってきました。(同上)
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右端に見えるのは、太湖石と呼ばれる、の石灰石の奇石と、石筍(せきじゅん)です。左が太湖石で、右が石筍です。石筍とは、鍾乳洞の洞窟の天井から滴り落ちる水滴の石灰分が、積み重なってタケノコのように伸びたものです。(同上)
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壁に記された3文字ですが、一番右側の文字が読み取れませんでした。中央の文字が『中』、左側の文字が、『人』を上下に二つ重ねた文字です。人が上下に重なった『こおり』の文字は、『氷』の原字である『冫』の古字(篆文)とされます。音読みは『ヒョウ』、訓読みは『こおり』です。三文字を想像を含めて読み解けば、右から読んで『寒中氷』になります。(同上)
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