2011/04/27 - 2011/04/28
50位(同エリア241件中)
Halonさん
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4/27 中国からラオスに入国。
ルアンナムターを経由し、その日のうちにムアンシンへ着いた。
4/28 ムアンシンを自転車で周る1日目
この日はカオソイ作りの村、ラオラーオ造りの村、郊外のストゥーパ(仏塔)を目指す。
途中の村で結婚式に遭遇した。
15日目 モンラー09:00⇒モーハン10:05(ワゴン52km,17元)
Borten10:00⇒LuangNamtha11:15(ワゴン61km,30元)
LuangNamtha12:30⇒Muansing15:14(ワゴン60km,K25,000 )
16日目 自転車→【カオソイ作りの村、ラオラーオ造りの村、タイヌア族の結婚式、頂上のパゴダ、機織の村】
K100=約1.03円
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 2.0
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-
4/27のルート
ボーテン→ルアンナムター(昼食)→ムアンシン(泊) -
中国国境から、見覚えのあるラオスの検問所まで歩く。
10:39 入国審査の窓口では10人ほどが待っていた。相変わらず効率が悪い。順番が回ってきてから、やっと入国カードを手に入れる。窓口の狭いカウンターで素早く記入し提出。10:54 15分もかかって入国スタンプを貰う。 -
検問所を通り過ぎると、数台のワゴンが停まっていた。
フェーサイ行きが並ぶ向こう側に、ルアンナムター行きを見つけて乗り込む。
手持ちのラオスキープはないので、中国元で30元払う。
ワゴン Boten 10:00 ⇒ Luang namtha 11:15 (1時間15分)
61km (49km/h) 30元 (6.3円/km)
キープで払う場合はK40,000だと聞いて「同じレートで元をキープに交換してくれ」とドライバーに頼んだが、全く相手にされなかった。
じり高傾向の中国元だが、それはあくまで対米ドルでの話。
キープに対しては元安が進んでいた。
一方バスの料金などは以前のままなので、元で払った方が3元ほどお得になる。
車内で中国出身のミャオ族、熊さんと知り合う。
彼はムアンシンで仲間と立ち上げたバナナ栽培農園へ帰るところだった。 -
12:15 ルアンナムターの近距離バスターミナルで降りる。
-
ムアンシン行きは12:30なので、熊さんにお願いして21元をK25,000に交換してもらい、ムアンシン行きチケットを購入。
チケットを見ても、金額と日付以外は何を書いてあるか分からない。 -
時間になってもムアンシン行きのワゴンが現れないので変だと思ったら、ラオス時間に時計を1時間遅らせるのを忘れていた。
発車は1時間後だと分かり、それならと近くの銀行へ両替しに行く。 -
2年前に手書きだったレート表が電光盤に変わっていた。
当時に比べて米ドルと元だけが値下がりしている。
100ドルをK801,500に両替。 -
帰り道に露店で牛肉のラープを売っていた。
-
ラープ(K5,000)、カオニャオ(もち米,K3000)を買って食べたが、ご飯の方はとても一度には食べ切れない量だった。
-
ワゴンは定刻に発車したが、すぐにムアンシンには向わなかった。
まず病院で荷物の積み込み。
その後、何軒か店を回ってドライバーが草刈機を購入。
ワゴン Luang namtha 12:30 ⇒ muansing 15:14
(2時間44分) 60km (22km/h) K25,000 (4.3円/km) -
事情を知っている2,3人の客は、途中で市場に降りて買い物をしていたが、言葉の分からない僕や熊さんは車内で延々待たされた。
結局、ムアンシンに向けて出発したのは50分後。 -
ムアンシンへの山道の途中、ある部落の前で停車。
すかさず地元民が竹の子やらワラビのような山の幸を持って車に群がる。 -
15:14 ムアンシンにやっと到着。
街の中心まで15分ほど歩く。 -
ビエンシン・ゲストハウス(旧ムアンシンGH)でK30,000=約300円の部屋を確保。
-
トイレ、シャワーは室内にあるが、ホットシャワーは使えなかった。
太陽熱温水器があるのに稼動させてないらしい。 -
夕方、宿の裏手の住宅地を散歩。
味のあるおばあさんがいたので撮らせてもらう。 -
よく似た親子。
-
民家の軒先に集まって筍を焼いて食べていた。
一本貰って食べたら苦い。 -
言葉が分からないので苦そうな顔をすると、ジャムのようなものをくれた。
今度来るときまでにはラオス語を勉強しようと思っていたが、相変わらず数字の言い方しか覚えていない。
旧市場でやきそばを買って、宿の一階で食べる。
この夜は、1時間の時差もあり、いつにも増して早く寝てしまう。 -
4月28日(木)
6:55 宿の前のレストランでレンタサイクルを借りた
(1日K10,000=約100円)。 -
その足で、市場へ買い出しにいく。
少数民族を効率よくみたいなら、市場へ行くのが一番だ。
村の中では普段着ですごす人たちも、市場へは民族衣装で来ることが多いようだ。
ヤオ族は真っ赤なふわふわの襟付の服を着ている。 -
右の人がタイダム族だと思われる。
言葉が分からないので、本人に聞けないのが不便だ。
「タイダム?」と連呼すれば分かるだろうが、できれば「あなたは何族ですか?」ぐらいのラオス語は覚えておいた方がよかった。 -
このおばさんは毎朝この格好で市場に来ていた。
一回見たら忘れない。 -
-
鶏の腿肉とカオニャオ(K5,000+K2,000)を朝飯に食べる。
-
茶色の蒸しパン(K1,000)、バナナ5本(K2,000)を移動中の食料に買い込む。
-
市場の前でラオラーオ(ラオスの蒸留酒 40〜50度)を売っていた。
皆しゃがみこんで朝から試飲している。 -
勧められるまま一杯試飲。
ハラワタに沁みる。 -
漢字表記のペットボトルが利用されていた。
-
今日は自転車で街の南西方面へ行ってみる。
8:00 まずはカオソイ作りの村、Siliheuang村を目指した。 -
今日はあいにくの雨模様。
-
途中の民家に寄り道。
突然の変な外人の襲来に、子供は驚いて泣き出してしまった。 -
8:26 橋を渡って突き進む。
-
橋から2キロほどでタイヌア族の住むSiliheuang村に到着。
カオソイ(米の麺)作りをしている民家にお邪魔する。 -
水で溶いた米粉を薄く延ばして蒸している。
奥さんはこちらには目もくれず作業を続けている。
きっと観光客慣れしているのだろう。 -
集落の家の中を見せてもらう。
-
手前の居間にはビニールシートを敷いてあり、
奥には囲炉裏がある。 -
村では男衆が竹篭を編んでいたが、民族衣装を着た人は見かけなかった。
-
Uターンしてムアンシン市街へ戻る。
9:28 次にルアンナムター方面(南東)への道を進む。 -
ラオスではだいの大人が鉄球を投げて遊んでいる姿をよく目にする。
ビー玉みたいなルールかと思ったら、カーリングに似ているらしく、フランス発祥の“ペタンク”という歴としたスポーツだった。
暇そうな大人ばかりか、警察や軍人がやっているのもよく見る。
公務員のたしなみのようだ。 -
ジャックフルーツの木の向こうから、子供がこちらを眺めている。
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おばあちゃんと子供。
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ここでも子供に泣かれてしまった。
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ルアンナムターへ続くこの辺りの道まだ平坦だ。
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闘鶏の練習試合。
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11:37 ラオラーオ造りの村、Koumに着いた。
下から火であぶって蒸発したアルコールを水で冷却して、フィルター付の漏斗で濾してポリ容器に集めている。 -
この村の蛇口からは、赤土混じりの水が出ていた。
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屋根の葺き替え作業中。
これから本格的な雨季が始まる。 -
黄緑色の実をくれた。
青臭く酸っぱい実に、辛い粉をまぶして食べる。 -
子供たちのいい笑顔にやっと会えた。
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味噌のようなものを作っていた。
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煮た大豆の上から真っ赤な辛子粉をたっぷり加える。
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昔懐かしい竹鉄砲がラオスにもあった。
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Patoy村で結婚式に遭遇したので潜入。
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花嫁さんの髪型は前回見たのと同じ。
ご祝儀のお札を腕にたくさん巻いている。 -
ご馳走も準備万端。
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カメラマンに導かれ、家の入り口で記念撮影するところに便乗。
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高床式住居の下がパーティー会場になっていた。
これなら雨が降っても大丈夫。
定番のBeerLaoの他に、LAOHAという缶ビールもあったがBeerLaoの方が美味しい。 -
乾杯にはラオラーオが使われる方が多い。
-
高床の上には親族と来賓が招かれていた。
牛肉の料理が多い。
右下のは酸っぱい牛肉。
右上のはタクアンに似ている。
左上の筍はやや苦い。
この後、レバーも出てきた。 -
新郎新婦が各テーブルをまわった後は、バンドの生演奏で輪になってダンスが始まる。
-
PSR-S900お買い上げありがとうございました。
-
幹線道路に戻り、更にルアンナムター方面に走る。
Tinthad村付近で男たちがお供え物を作っていた。 -
床下には見覚えのある竹の印。
-
ムアンシンから5キロの標識を過ぎると、バナナ畑が広がっていた。
道がなだらかな上り坂に変わった。
丘の麓に自転車を置いて、本日の最終目的地Xieng Tungストゥーパまで登ってみる。 -
チェンソーみたいな泣き声のセミがいる。
最初は誰か山奥で作業しているのかと思った。 -
20分ほど登ってようやく頂上のパゴダに到着。
残念ながら頂上の見晴らしは悪い。
麓からストゥーパが見えなかったのだから、当たり前か。 -
16:00 帰り道でNonbua村に立ち寄った。
ここにはタイダム族、ロロ族、プノイ族が暮らしている。
高床の柱を利用して機織の糸を張っていた。 -
ここも観光客の立ち寄りポイントらしく、織物を持った子供たちが駆け寄ってきた。
-
近くの民家で機織をしていた。
-
高床の下で遊んでいた子供たち。
床下は全天候型の遊び場にもなって便利だ。 -
通りすがりのヤオ族のおばさんに中国語が通じた。
いい表情だ。 -
17:00 市場に行って黄色マンゴー2個(K3,500)を買う。
店員に任せたら、よく熟したものを上手に選んでくれた。 -
アカ族の兜をかぶって下はTシャツの人がいた。服よりも兜の方が、より外せないアイテムなのだろう。
宿に戻り情報ノートを眺めていたら、自転車で村めぐりをした人のレポートを発見。
今日訪れた南東部と、明日訪れる予定の東部を一日で周っていた。
実はこの二ヶ所が畑の中のあぜ道で繋がっていたことに初めて気が付く。
夜は結構涼しく、厚めの掛け布団でちょうどよいくらいだ。
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