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nanochipさんのクチコミ(147ページ)全3,878件

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  • 平安時代からの京都の「京の三名水」のひとつ

    投稿日 2022年01月04日

    左女牛井之跡 京都駅周辺

    総合評価:4.0

    左女牛井之跡は、地下鉄「五条」から西へ徒歩8分くらいの場所にあります。左女牛井は平安時代からの京都の「京の三名水」のひとつです。ちなみにあとふたつは梨木神社の「染井」と京都御苑の「懸井」です。このあたりにはかつて源義朝、義経らが住まいとした源氏の六条邸がありました。左女牛井はその邸内にあったのです。茶人の村田珠光、武野紹鴎、千利休,織田有楽斎が好んだといわれています。現在井戸は撤去され、その跡を示す石碑が建っています。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 源高明に始まり,高明の娘で道長妻となった明子が伝領した高松殿

    投稿日 2022年01月04日

    高松殿址 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    高松殿址は,地下鉄「烏丸御池」から徒歩5分くらいの高松神明社 鳥居傍に石碑がありました。高松殿は、平安京左京三条三坊三町にあった邸宅です。源高明(914~82)に始まり,高明の娘で道長妻となった明子が伝領し、高松殿と称されました。その後嘉保2(1095)年白河上皇(1053~1129)の院御所となったが,その所有者は院近臣の藤原顕季でした。康和5(1103)年宗仁親王(鳥羽天皇)の誕生に際し,一連の祝儀が当殿で挙行され,長じて鳥羽上皇(1103~56)の院御所となりました。久寿2(1155)年後白河法皇(1127~92)はこの地で位につき,以降里内裏となりました。保元の乱(1156)では,天皇方の拠点となり、源義朝(1123~60)や平清盛(1118~81)が参集しました。平治元(1159)年に焼失しています。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 現在の日本の箏の基礎を作り上げた八橋検校

    投稿日 2022年01月04日

    八橋検校道場跡 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    八橋検校道場跡は、地下鉄「四条」から西へ徒歩2分くらいの場所にあります。盲人の箏曲家で、現在の日本の箏の基礎を作り上げた八橋検校の道場があった場所です。八橋検校は筝曲八橋流の祖で、目の見えなかった彼は盲人がつく役職の最高位である検校となりました。彼の死後、葬られた黒谷では墓参に訪れる人が絶えず、そこで筝をかたどった焼き菓子を参道で売り始めたことが、京都の代表的な菓子「八ツ橋」の始まりとされています。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 丹波国出身の画家 圓山応挙

    投稿日 2022年01月04日

    圓山応挙宅跡 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    圓山応挙宅跡は、阪急電車「烏丸」から東へ徒歩3分くらいの場所にあります。圓山応挙は、丹波国出身の画家です。京都の石田幽汀に入門して,狩野派の画法を学びました。また宋元画の技術および西洋画の遠近法を加え,写実を重視した画風を興しました。応挙とその後継者は円山派と呼ばれました。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 尊氏はこの邸で政務を執り、没した

    投稿日 2022年01月04日

    足利尊氏邸・等持寺跡 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    足利尊氏邸・等持寺跡は、地下鉄「烏丸御池」から北東の方向へ徒歩8分くらいの場所にあります。この地には足利尊氏(1305~58)の三条坊門第がありました。尊氏はこの邸で政務を執り、没しました。のちに等持寺という寺院に改められ,足利氏の菩提寺として崇敬を集めました。応仁・文明の乱(1467~77)以降は衰退し,別院であった等持院(北区)へ合併されました。この石標は足利尊氏邸・等持寺の跡を示すものです。

    旅行時期
    2021年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 平安初期の代表的歌人で六歌仙の一人

    投稿日 2022年01月04日

    在原業平邸址 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    在原業平邸址は、地下鉄「烏丸御池」から東へ徒歩2分くらいの場所にあります。在原業平は,平安初期の代表的歌人で六歌仙の一人です。父は平城天皇の皇子阿保親王,母は桓武天皇の皇女伊都内親王でしたが,2歳の時,在原を名乗り臣籍に降りました。『伊勢物語』の主人公に目され,その邸は左京四坊三町にあったと伝えられています。この石標は在原業平邸の跡を示すものです。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 田中佐起三が、株式会社さきぞうを創業

    投稿日 2022年01月04日

    ちりめん洋服発祥の地 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    三条木屋町を下ったビルの前に「武市瑞山先生寓居跡」の石碑とともに「ちりめん洋服発祥の地」の石碑が並んで建っていました。昭和47年木屋町生まれの田中佐起三が、株式会社さきぞうを創業し、ちりめん素材を使った婦人ワンピース・スカート等の洋服を製造した記念碑と書いてありました。

    旅行時期
    2021年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 芹沢 鴨が暗殺された八木邸

    投稿日 2022年01月04日

    新選組屯所跡・壬生郷士八木邸 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    新選組屯所跡・壬生郷士八木邸は、阪急電車「大宮駅」から徒歩10分の場所にあります。幕末、14代将軍家茂上洛にあたり、その警護の為に上洛した浪士達。その後に江戸に呼び戻される事になりましたが、近藤勇をはじめとする13名は「八木邸」を宿舎として、京の地に残ることになります。そこで「新撰組」が誕生しました。ガイドさんから、新撰組が出来た経緯、新撰組の活動内容やその後どうなったのかといった歴史の流れ、「八木邸」でどのように隊士が過ごしていたのかなど細かく教えて頂けます。最後に芹沢 鴨暗殺の部屋や梁にできた刀傷を見せてもらえました。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 明治維新期における化学技術の研究・教育

    投稿日 2022年01月04日

    舎密局跡 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    舎密局は、明治維新期における化学技術の研究・教育、および勧業のために京都府が1870年(明治3)に作った官営・公営機関です。現在の銅駝美術工芸高校の敷地に案内板が立っていました。舎密局とは、オランダ語の「シエミストリ」(化学)のあて字だったようです。ビール・ガラス・石けんなどの製造研究、多くの技術者を養成し、1881年(明治14)勧業政策転換で廃止されました。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 勝海舟・吉田松陰等に砲学を教えた佐久間象山

    投稿日 2022年01月04日

    佐久間象山寓居跡 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    佐久間象山寓居跡は、地下鉄「京都市役所」から徒歩2分くらいの木屋町通沿いにあります。佐久間象山(1811~64)は信濃国松代藩出身で、兵学蘭学を学び,江戸で勝海舟・吉田松陰等に砲学を教えました。開国論を唱え,嘉永7(1854)年吉田松陰の米艦乗込事件に連座して,その後8年間松代で蟄居しました。元治元(1864)年3月幕命で上京し,開国論を披瀝しました。同年5月象山最後の住居であるこの地に移りました。同年7月11日騎馬で山階宮家よりの帰途に暗殺されました。

    旅行時期
    2021年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 山本覚馬が明治時代に住んでいた

    投稿日 2022年01月04日

    山本覚馬 八重邸跡 (吉田稔麿終焉の地) 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    山本覚馬 八重邸跡は、地下鉄「京都市役所」から徒歩1分くらいの場所にあります。会津藩士であった山本覚馬は,京都守護職となった藩主松平容保にしたがって上洛し,京都に住んでいました。鳥羽・伏見の戦いによって入牢しましたが,小松帯刀に見いだされ,京都府勧業掛として,京都府権大参事 槇村正直による近代化策を推進しました。覚馬は,明治8年(1875年)にはこの地に住んでいました。この地には,覚馬の妹である八重も同居しており,八重は新島襄の妻となりました。この石碑は,この地が山本覚馬・八重の住まいだったことを示しています。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 幾松ゆかりの部屋も残る料理旅館

    投稿日 2022年01月03日

    桂小五郎・幾松寓居跡 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    木戸孝允は、桂小五郎といった長州藩士時代,花街三本木の芸妓幾松と恋仲となり、時に新選組に追われながら、苦難の時代を過ごしました。両人は鴨川西岸に住み、蛤御門の変の後には新撰組に追われて、幾松の機転で助かったこともあると伝えています。幾松は維新後に木戸公夫人松子となり、明治10(1877)年夫を亡くした松子は剃髪して翠香院と号し、京都に住まいし、明治19(1886)年44歳で没しました。現在、幾松は料理旅館として営業しており、幾松ゆかりの部屋も残されています。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 尊王攘夷の急進派

    投稿日 2022年01月03日

    本間精一郎遭難の地 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    「本間精一郎遭難の地」の駒札が木屋町通にありました。 本間精一郎(1834~62)は,越後国出身で文武に長じ,尊王攘夷の急進派として行動しましたが,酒色に身を持ち崩して志士仲間の反感を買い,文久2(1862)年閏8月20日,先斗町からの帰途に土佐の岡田以蔵、薩摩の田中新兵衛ら6名の刺客に襲われて暗殺されました。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 京都所司代を歴任して老中となった人

    投稿日 2022年01月03日

    間部詮勝寓居跡 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    間部詮勝寓居跡は、地下鉄「京都市役所」から北へ徒歩2分くらいの場所にあります。間部詮勝(1802~84)は越前鯖江藩主で,寺社奉行・大坂城代・京都所司代を歴任して老中となった人です。水野忠邦(1794~1851)と織が合わず引退しますが,井伊直弼(1815~60)により再度老中に登用され,将軍後継問題・安政五カ国条約締結などにあたる一方尊王攘夷派を弾圧しました。安政5(1858)年9月,幕府が調印した日米修好通商条約に激怒した孝明天皇(1831~66)を説得するため上京し,寺町通二条下るにあった妙満寺に滞在しました。この石標は間部詮勝が滞在した妙満寺の跡を示すものだそうです。妙満寺は昭和42年に岩倉に移転しました。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 長州藩出身の明治維新の政治家

    投稿日 2022年01月03日

    木戸孝允邸宅跡 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    木戸孝允邸宅跡は、京阪電車「神宮丸太町」から南西の方向へ徒歩4分くらいの場所にあります。木戸孝允は長州藩出身の明治維新の政治家。天保4年(1833年)生まれ、桂小五郎とも称し、のち木戸姓に改めました。吉田松陰の門下生で、西郷隆盛、大久保利通らとともに尊王攘夷、討幕運動に指導的役割を果たしました。文久年間から慶応年間の京都政局は主導権をめぐり激しく動いていた。その中心は朝廷であり、御所を核に公卿屋敷が政治の拠点でもありました。この木戸旧邸は、その拠点の一隅に位置し、近衛家の下屋敷を譲り受けて別邸となしたもので、木造二階建でした。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 斯波氏と足利義輝の邸宅跡

    投稿日 2022年01月03日

    斯波氏武衛陣・足利義輝邸遺址 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    斯波氏武衛陣・足利義輝邸遺址の石碑は、平安女学院の前にあります。武衛陣とは,この地に居を構えた室町幕府管領斯波義将(1350~1410)の邸宅です。武衛陣は、応仁の乱で戦火に遭い焼失しました。同じ地に,天文16(1547)年,室町幕府将軍足利義輝(1536~65)の館が築かれましたが,永禄8(1565)年,三好義継らに襲撃されて義輝は切腹し,邸宅も兵火により焼失しました。この石標は斯波氏と足利義輝の邸宅跡を示すものです。この地を武衛陣町というのは,斯波氏の邸宅に因むものだそうです。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 江戸時代に水戸藩邸があった場所

    投稿日 2022年01月03日

    水戸藩邸跡 今出川・北大路・北野

    総合評価:4.0

    水戸藩邸跡は、京都御苑の西側、護王神社の北にあります。江戸時代に水戸藩邸があった場所です。藩邸がおかれたのは古く、貞享3年(1686)の地図「旧藩々上邸箇所」に記されています。明治初めに藩邸が廃止された時は、敷地1,302坪の広さでした。水戸藩は、徳川家康の子頼房を初代藩主とする御三家の一つで、石高は33万石。2代藩主徳川光圀は「大日本史」編集の事業をはじめ、幕末まで継続されました。編集の資料を集めるため、京都にも多数の係員が派遣され、この藩邸はその拠点となりました。幕末には水戸藩は尊王攘夷と佐幕とに藩論が分れましたが、ともに諸国志士の運動に大きな影響を与えました。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 大蔵省は、平安宮 令制八省の1つ

    投稿日 2022年01月03日

    平安宮大蔵省跡 今出川・北大路・北野

    総合評価:4.0

    平安宮大蔵省跡は、地下鉄「今出川」から南西の方向へ徒歩15分くらいの場所にあります。大蔵省は令制八省の1つでした。平安宮北辺中央にあり、大蔵には多くの倉庫があり、合わせて平安宮の北8町を占め、南北250m、東西280mの敷地があったそうです。金銭や物品の出納・収納などを職務とする官庁でした。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 料亭 吉田屋があった場所

    投稿日 2022年01月03日

    吉田屋跡 今出川・北大路・北野

    総合評価:4.0

    吉田屋跡は、京阪電車「神宮丸太町」から北西の方向へ徒歩3分くらいの場所にあります。このあたりは幕末維新の史跡ともいえる料亭 吉田屋があった場所です。江戸時代から明治時代初期にかけて、花街として知られた「三本木」の中にあって、幕末には桂小五郎をはじめとする討幕派の志士たちが密会した場所として知られています。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 俵屋宗達に師事した尾形光琳

    投稿日 2022年01月03日

    緒方光琳宅跡 今出川・北大路・北野

    総合評価:3.5

    尾形光琳宅跡は、地下鉄「鞍馬口」から東へ徒歩2分くらいの場所にあります。尾形(緒方)光琳(1658~1716)は狩野派を学び,のち俵屋宗達に師事して装飾画を得意とした。この石標は,晩年新町二条へ移り住むまで居を構えた跡を示すものですが,最近の資料によれば烏丸鞍馬口附近と推定されているそうです。

    旅行時期
    2021年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    4.0

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