山本覚馬が明治時代に住んでいた
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- 旅行時期:2021/11(約4年前)
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by nanochip21さん(男性)
二条・烏丸・河原町 クチコミ:615件
山本覚馬 八重邸跡は、地下鉄「京都市役所」から徒歩1分くらいの場所にあります。会津藩士であった山本覚馬は,京都守護職となった藩主松平容保にしたがって上洛し,京都に住んでいました。鳥羽・伏見の戦いによって入牢しましたが,小松帯刀に見いだされ,京都府勧業掛として,京都府権大参事 槇村正直による近代化策を推進しました。覚馬は,明治8年(1875年)にはこの地に住んでいました。この地には,覚馬の妹である八重も同居しており,八重は新島襄の妻となりました。この石碑は,この地が山本覚馬・八重の住まいだったことを示しています。
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- 利用した際の同行者:
- 一人旅
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- 人混みの少なさ:
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- 見ごたえ:
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クチコミ投稿日:2022/01/04
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