Berg Heilさんへのコメント一覧(17ページ)全232件
-
毎度
お世話になっております、粗忽者のpianoです〜。
3月はダイビングのライセンスを取得すべくセブへ旅立ちます。
今は密かに自宅にてキャンプをはり自主トレ中…筋肉痛が〜、歳にはかないません、ほどほどにしときます。
ん〜、しかし行くからには必ずライセンスをもぎ取ってまいります。貰えないならひっくり返って泣き落としをしてでも…おいおい、小学生か、お前は。
では、皆様に旅の神様のご加護がありますように。
追伸、私にも。2007年03月01日17時01分返信する -
こんにちは
ガルミッシュバルテンキルヒェンの湖とホテルのお写真があまりに素晴らしくお写真を大きくしてホテルの名前えをかろうじて見たのですが、このホテルでよろしいのでしょうか?
Eibsee Hotel
http://www.eibsee-hotel.de/
行きたいところが増えて嬉しいですがユーロ高を見ると悲しくなります。
RE: こんにちは
ホテルの名前の件は以下通りです。
Renaissance Riessersee Hotel
Am Riess 5 Garmisch-Partenkirchen
Tel 8821-7580
小生が早朝散歩した湖は「Riesser See」と云うのかも知れません。ホテルのすぐ裏側ですので人影も全くなく森の静寂を味わう事が出来ました。2007年02月26日08時03分 返信する -
Zugspitzeのことなど
Berg Heil さん 今日は
いつも訪問くださって有難うございます。お名前からもしやと思ってたのですが
大学の山岳部にいらしたのですね。実は私もかっては・・。
ツークシュピツェに上がろうとガルミッシュパルテンキルヘンに行ったのは1991年のMaibaumがまだ立って居る5月のはじめでした。ご同様にガスがひどくて上は全く視界ゼロだと言われ断念しました。その日はリンダーホッフそばのグラスヴァングに泊りましたが夜に15cm程降雪のあるほどの天候でしたので諦めを納得したのですが。
最近はスイス一辺倒ですがかってはドイツを歩き回ったものですからBergHeilさんの詳細な旅報告を思い出を重ねて楽しませて頂いており、これからも続編を楽しみにしたおります。
4nobuRE: Zugspitzeのことなど
書き込み深謝します。小生、元大学山岳部員ではありましたが、ずーっと半世紀も前の事、黒部第4ダムが出来る前、やっと測量の人や大工さんが黒部の谷に入って居た頃、阿曽原から十字峡を通り平の渡しに抜けた時代です。先輩から ここにトンネルをあけて工事をするのだと聞かされ驚いたものです。ただ当時は大学山岳部が全盛時代、特にその中でも小生達の山岳部は全国でもトップクラスの黄金時代(その時は全く自覚がなかったのですが、時代が過ぎ 年輩になってOB会でそう評価されました)でした。
卒業後は仕事柄全く 山も語学も縁遠い世界で過ごしましたので、1994年、チッポケナ会社をたたんで浪人、カミサンと勝手気ままな生活に入った次第です。独逸にはまりこみ、瑞西やネパールには行っていません。
今秋 懐が許せば 11回目の独墺の一人旅に出ようと思っています。3月末で独逸旅日記のネタが切れ、墺太利に移る予定です。
皆様の紀行文、それぞれ個性があり 面白く覗いて居ます。
今後ともよろしく!!2007年02月23日15時19分 返信するRE: RE: Zugspitzeのことなど
私の経歴とよく似ている・・・。もしやOUMCのYさん?
私のニックネーム4nobuは名をもじったものです。お心当りは?2007年02月24日11時08分 返信するRE: RE: RE: Zugspitzeのことなど
私の事 推理していただきましたが残念ながら違う様です。1936年生まれ、大学山岳部は DAC とだけしておきましょう。既に古希を過ぎたジジイです。
幸いにして平地を歩くのは全く抵抗がありません。未だ健脚衰えず!!
独逸の一人旅の時は朝から晩まで歩きまわっています。カミサン連れの時はそうは行きません、随分気を使ってエスコート、いささかストレスがたまりますが是も40年以上 逃げ出しもせず我が家に居座っているカミサンですので仕方が無いと思っています。
1994年 会社を閉めてから、北アルプスで登り残した 水晶 赤牛 西穂高
黒部五郎 を登ろうとしたのですが西穂は登ったものの カミサンが97年の初めての二人での独逸旅行から帰った途端 胃癌と云われ胃を全摘、幸い今日まで元気に生き延びましたが 「山だけは辞めて!!」といわれ諦めました。その後 夫婦で2回 長女と私の妹2人と4人で北伊太利へ気儘な個人旅行。てな具合で夫婦とも自由に 勝手気ままに生きています。 今後は東欧の田舎町を訪ねたいと思っていますがいつになりますやら??
このバーチャルな世界でよろしく!!2007年02月24日15時41分 返信するRE: RE: RE: RE: Zugspitzeのことなど
BergHeilさん今晩は
変な憶測でお騒がせして申し訳ありません。
どうやら同じ関西系(京都と大坂の違い)のようですね。
私は1932年生まれで、学生時代は(実力がないもので・・)偵察とかサポートで積雪期の後立を歩いておりました。たとえば新越乗越(大町トンネルの上)、針ノ木、冷池、鹿島槍、唐松、白馬などなど。丁度、会が積雪期の黒部横断と後立縦走を計画してた時ですから。
それで前回のような早とちりをしてしまったのです。お許しを。
卒業後ドイツに縁のある会社に就職したのでドイツには度々通いました。時には数ヶ月滞在とか。その頃は時間がなくてドイツの旅を楽しむことができなかったので退職後に何回か出かけましたが2000年が最後でこのところご無沙汰です。とくに旧東独は殆ど縁がなくてBergHeilさんのレポートで知識の欠けた所を補わせて頂いております。
これからもディープな紹介をお願いします。
4nobu
追記:昨日お礼のメールを出すべき所、このブログの機器の調子が悪かったのか受付けませんで今朝になりました。2007年02月25日09時36分 返信するRE: Zugspitzeのことなど
ご想像の通り、1955〜1959年まで 烏丸今出川へ通いました。仕送り月1万円、授業料 年26500円の時代でした。
しかし小生は関西系ではありません、生まれも育ちも富士山が毎日見える街で生活している由緒正しき貧乏人です!!
2007年02月26日08時22分 返信する -
お気に入りにいれてくださって有難うございます。
ここのところ忙しく、あと少しで終わる2006年の12月のドイツがなかなかアップできないでいます。
4月のヴァルプルギスの魔女祭りで現地参加してくれた
日本人の若い女性が帰国が決まり、なんと就職先が目黒なので
彼女のアパートが決まるまで我が家に住んでいたり、
オフ会を成城学園でしたり、恵比寿でドイツ文化セミナーを受けたりしていました。
先週末からは孫がおたふく風邪になり働くママの我が娘の代わりに母親役です。
あと最低10日は家に軟禁状態でいなければなりません。
バイエルン地方の白鳥城やホーエンシュバンガウなどの写真を見させていただいて、やはり前の城たちのほうが風情があって良かったとつくづく
思いました。
一昨年に行った時は本当に観光地化されすぎてムードがなくなっていてがっかりしたものです。
時代の流れで仕方ないのでしょうけど・・
今後とも、どうぞ宜しくお願いします。
2007年02月12日22時07分返信する -
Berg Heilさんへ♪新年明けましておめでとうございます♪
Berg Heilさんへ♪
本年もどうそ宜しくお願い致します。
Berg Heilさんにとって今年も素敵な年でありますように!!
そして素敵な旅が出来ますように!!健康でありますように!!
2007年01月01日04時57分返信するRE: Berg Heilさんへ♪新年明けましておめでとうございます♪
謹賀新年
今年も色々な皆様の「独逸漫遊記」や「独逸珍道中」の投稿を期待します。皆様がそれぞれの独逸への思い入れを拝読し、更に次の旅への思いへの参考にさせて頂きたいと思っています。
2007年が良いとしでありますよう祈念いたします。2007年01月01日19時36分 返信する -
((^∇^ Prosit Neujahr !^∇^))
☺♡☻♡☻♡☻♡☺♡☺♡☻♡☻♡☻♡☺
・:*:・✿ Berg Heilさん ✿・:*:・✿・:*:・
新年明けましてオメデトウございます。
今年も ㋵㋺㋛㋗ ㋔㋧㋕゛㋑㋛㋮㋜
.。o○【祝】.。o○2007年元旦 shinesuni
☺♡☻♡☻♡☻♡☺♡☺♡☻♡☻♡☻♡☺
早くBerg Heilさんの旅行記を
ガイドブックにしてドイツ旅行に
行ってみたいです^^RE: ((^∇^ Prosit Neujahr !^∇^))
謹賀新年
波蘭土を中心とした旅日記、一度はは訪ねて見たい国です。
益々の貴重な投稿期待致します。
2007年も良い年でありますように祈念致します。
ご指導、アドヴァイスをよろしく。2007年01月01日19時40分 返信する -
フラウエンキルヒェ
上まで上れるとは知りませんでした。惜しいことをしました。
同行の友人が少々足が悪いものですから上る、下る、長距離を歩くというのは極力避けたのです。
ところがヴェーゼンシュタイン城へ行ったときは私が降りる駅を見逃したため2つも先で降りてしまい、それに気づかず、帰りもそこまで歩かせてしまいました。
おばさんのマシンガンお喋りは初めての場所では要注意だと身にしみました。
お写真を拝見しながら同じ場所にBerg Heilさんも立っていたのだと思うと懐かしいような、同胞的感覚にとらわれます。
今回もアルテマイスターで例の小さいハイリゲ・ナハトの絵のことを聞きましたがやはり「なくなった。どこにあるのかわからない」という答えでした。
どうしちゃったんでしょうね?
カードはちゃんと売られているのに。
今回はドレスデンカードを購入して美術館は只でしたが、アルテマイスターで撮影するには5ユーロ払わねばならないシステムになっていてびっくりです。2006年12月28日15時45分返信するRE: フラウエンキルヒェ
電車の乗り越し
小生、特にローカル線の時は神経を使います。必ず一つ前の駅を記憶しておきます。車内放送は「次の停車はXX」と一言あれば良い方、電光掲示板も無いときがあり、日本の駅の様に 次の駅名が書いてないのは不親切、DBよ少しは乗客の為サービスせよ!! と苦情の一つも云いたくなります。おまけにプラットホームはしょっちゅう変わるは、電車の10〜20分の遅れは正確の部だとか。だいたい秒単位のJRを見習えと云いたくなります。ものの本に依りますれば伊太利で鉄道が時間通り動いたのはムッソリーニの時代だけだとか? 日本人がセッカチなのか?、外国人が無頓着なのか?郷に入れば郷に従えかも。ここで息巻いても始まりませんが。
「ハイリゲナハト」の絵 小生も02年に見た場所に行ったのですが壁には残念ながら何も掛かっていませんでした。おそらく修復か或いは他の美術展に貸し出しているのかも。
聖母教会 大変な賑わいでした。聖堂の静かで荘厳な雰囲気などはどこえやら、万博のパビリオン並、これも今は仕方が無いのかも。
妙齢の御婦人二人の弥次喜多道中漫遊記 おおいに期待しています!!
2006年12月29日08時28分 返信する -
宮廷教会からの眺め
Berg Heilさんお早うございます^^
宮廷教会からの眺めスバラシイですねww
ドレスデンに行く時は早速登ってみます^^
>1999 2002 2006年とドレースデンは3回訪問。何時訪れても素晴らしい街で、訪れるたびに美しくなっていく様がわかった。
★私は1991年と1996年ですのでもっと美しくなっているのが顕著にわかるかもしれませんねww
こんど行く時はラーテボイルに宮殿ホテルを見つけたのでココに
宿泊したいです。トラムで簡単に行けるみたいですので。
【STEIGENBERGER PARKHOTEL】
SLで有名なラーテボイル駅から北西へ1km以内、
4番トラム Schildenstrasse 停留所から200m
住所 Nizzastrasse 55 Dresden Radebeul 〒01445
http://www.parkhotel-dresden.steigenberger.de/aw/Hotels/Steigenberger_Parkhotel_Dresden-Radebeul/~bzso/Deutsch/RE: 宮廷教会からの眺め
書き込み深謝します。ドレースデンの遠望は宮廷教会ではなく聖母教会です。なかなかの人気で頂上のテラスは満員、愚妻を下に待たせて大急ぎで登ってきました。登りと下りは別の階段、一方通行です。ラーデボイルはザクセンワインの産地の中心、なにか良い発見があるかもしれません。今年はあとライプチッヒを投稿し、今回の旅日記は終了。来年からは南独逸 アルペン街道方面を投稿します。その一部は2000年の旅、この時は15人のツアーに参加しました。個人では交通が不便そうですのでツアー参加となりました。ただノインシュヴァンシュタインとハイデルベルク(哲学の道と更にその上のビスマルク塔には行きましたが)は皆様が沢山投稿していますのでパスする予定です。誰でもが同じカットになりますので。ただホーエンシュヴァンガウ城は見学していますのでそれは載せる予定、ここには日本の勲一等の勲章が飾ってありました。良いお年をお迎え下さい。2006年12月27日12時09分 返信する -
ローレライの像
Berg Heilさん、はじめまして!
ライン川下りを楽しまれたようで、綺麗な景色を堪能されたことでしょう。
私も10数年前、フランクフルトからケルンへ向かう列車の窓からローレライを見ましたが、天気が悪く良く見えませんでした。
今日、Berg Heilさんのライン川下りの記事拝見し、「ローレライの像」を発見し感動しました。お礼に1票投じます。ありがとうございました。
これからもお邪魔しますので、どうぞよろしくお願いします。
シベックRE: ローレライの像
書き込み深謝します。95年チッポケナ会社を畳み、浪人。97年初めて愚妻との独逸訪問。(1953年・高校時代からのペンパルに会う目的で)ご多分に漏れずライン下り/ハイデルベルク/ローテンブルク/ノインシュヴァンシュタイン城/ミュンヘン・ホーフブロイハウスのおきまりの独逸入門コース。(日航のアイルでいささか高かったけど、それなりのツアー)
あとのラインの船は一人旅で一度、列車で一度。次回機会が有ればローレライの岩の上に行きたいものです。なんでも「ローレライ・センター」なるものが有るらしいので。まだまだ独逸で行きたい街や城はイッパイです。体力が有るうちに乏しい懐と相談しながら時には愚妻と、時には単独で旅したいと思っています。でも本当は旅は一人旅が最高です。今後ともよろしく!!2006年12月16日10時45分 返信する