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独逸の最高峰「ツークシュピッツエ」2964M。ここへは墺太利側の Ehrwald:エアバルトからも2001年に登ったが、この時山頂は濃霧で全く視界がきかず 寒さもあってそうそうに下山した。<br /><br />独逸には3000Mを越える山は無いが、緯度が日本よりかなり高いので高山の雰囲気はたっぷり。因みに「剣岳」2998M とほぼ同じ高さ。何でもオーストリアの皇妃・エリザベート(本来の発音はエリーザベット)は山好きで、かなりバイエルンの山々に登っており、この山にも登りたかったらしいがこの望みは叶えられなかったらしい。<br /><br />

Zugspitze

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2000/06/02 - 2000/06/14

152位(同エリア80件中)

旅行記グループ ドイツ紀行 Nr.5

6

17

Berg Heil

Berg Heilさん

独逸の最高峰「ツークシュピッツエ」2964M。ここへは墺太利側の Ehrwald:エアバルトからも2001年に登ったが、この時山頂は濃霧で全く視界がきかず 寒さもあってそうそうに下山した。

独逸には3000Mを越える山は無いが、緯度が日本よりかなり高いので高山の雰囲気はたっぷり。因みに「剣岳」2998M とほぼ同じ高さ。何でもオーストリアの皇妃・エリザベート(本来の発音はエリーザベット)は山好きで、かなりバイエルンの山々に登っており、この山にも登りたかったらしいがこの望みは叶えられなかったらしい。

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  • バイエルン・ツークシュピッツエ登山鉄道駅<br />ここからスタート

    バイエルン・ツークシュピッツエ登山鉄道駅
    ここからスタート

  • この電車もバイエルン・カラーのスカイブルーとホワイト。

    この電車もバイエルン・カラーのスカイブルーとホワイト。

  • 背後の建物は冬期オリンピックが行われたスケートリンク。

    背後の建物は冬期オリンピックが行われたスケートリンク。

  • グライナウ駅:ここでアプト式登山電車に乗り換え。<br />ここ彼処に日本語の標識があったのには驚いた。おそらく大勢の日本の観光客が訪れるのであろう。<br />

    グライナウ駅:ここでアプト式登山電車に乗り換え。
    ここ彼処に日本語の標識があったのには驚いた。おそらく大勢の日本の観光客が訪れるのであろう。

  • これがアプト式登山電車。実はこの電車に2000年6月6日に乗ったのだが、6月10日にトンネル内で衝突事故を起こしたのを旅行中の独逸の新聞で知った。何人かの負傷者が出たらしい。その中に日本人観光客が含まれていたらしいが、こちらの新聞は有名人で無い限り、個人的氏名や情報は載せない。<br /><br />帰途この駅で、電車を待っていたら ニッカーボッカでバッチリ決めた老登山家が声をかけてきた。なんでも伯林の人で、のんびり山登りに来たらしい。<br />こっちもかっての大学山岳部で、講義に出たよりも夏冬問わず山の中に入っていた日々の方が多かったで、山の話しに話が弾んだ(と云ったら聞こえは良いが、正直なところ こちらの語学力では半分もわかったかどうか?)<br /><br />でも外国の同じ趣味の人と話が出きるのも旅の楽しみ。

    これがアプト式登山電車。実はこの電車に2000年6月6日に乗ったのだが、6月10日にトンネル内で衝突事故を起こしたのを旅行中の独逸の新聞で知った。何人かの負傷者が出たらしい。その中に日本人観光客が含まれていたらしいが、こちらの新聞は有名人で無い限り、個人的氏名や情報は載せない。

    帰途この駅で、電車を待っていたら ニッカーボッカでバッチリ決めた老登山家が声をかけてきた。なんでも伯林の人で、のんびり山登りに来たらしい。
    こっちもかっての大学山岳部で、講義に出たよりも夏冬問わず山の中に入っていた日々の方が多かったで、山の話しに話が弾んだ(と云ったら聞こえは良いが、正直なところ こちらの語学力では半分もわかったかどうか?)

    でも外国の同じ趣味の人と話が出きるのも旅の楽しみ。

  • ここ「アイプ湖駅」で Seilbahn:ザイルバーン(ロープウエイ)に乗り換え。<br />

    ここ「アイプ湖駅」で Seilbahn:ザイルバーン(ロープウエイ)に乗り換え。

  • アイプ湖駅にもロープウエイ駅への日本語の案内が

    アイプ湖駅にもロープウエイ駅への日本語の案内が

  • のどかなアイプ湖駅付近

    のどかなアイプ湖駅付近

  • ツークシュピッツエ山頂 残念ながら鞍部に雪多く、アイスバーンになっている為 登山禁止。十字架迄登るのは諦め。<br /><br />山の天候は曇り、霧のつかの間の切れ間を待ってシャッターを切った。 気温はかなり低く、おそらく10度以下。

    ツークシュピッツエ山頂 残念ながら鞍部に雪多く、アイスバーンになっている為 登山禁止。十字架迄登るのは諦め。

    山の天候は曇り、霧のつかの間の切れ間を待ってシャッターを切った。 気温はかなり低く、おそらく10度以下。

  • 眼下の墺太利側のゲレンデ、小さくスキーリフトが見える。

    眼下の墺太利側のゲレンデ、小さくスキーリフトが見える。

  • 谷は急峻でかなり深い。

    谷は急峻でかなり深い。

  • 右端の一寸見える建物が独逸側ロープウエイ駅。

    右端の一寸見える建物が独逸側ロープウエイ駅。

  • 測候所とゲストハウス。広々したこのテラスから晴天なれば素晴らしい景観が堪能出来るであろう。

    測候所とゲストハウス。広々したこのテラスから晴天なれば素晴らしい景観が堪能出来るであろう。

  • 帰国後 切り抜いた新聞記事 日本人も負傷したらしい。

    帰国後 切り抜いた新聞記事 日本人も負傷したらしい。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • 4nobuさん 2007/02/23 10:45:41
    Zugspitzeのことなど
    Berg Heil さん 今日は
    いつも訪問くださって有難うございます。お名前からもしやと思ってたのですが
    大学の山岳部にいらしたのですね。実は私もかっては・・。
    ツークシュピツェに上がろうとガルミッシュパルテンキルヘンに行ったのは1991年のMaibaumがまだ立って居る5月のはじめでした。ご同様にガスがひどくて上は全く視界ゼロだと言われ断念しました。その日はリンダーホッフそばのグラスヴァングに泊りましたが夜に15cm程降雪のあるほどの天候でしたので諦めを納得したのですが。

    最近はスイス一辺倒ですがかってはドイツを歩き回ったものですからBergHeilさんの詳細な旅報告を思い出を重ねて楽しませて頂いており、これからも続編を楽しみにしたおります。

    4nobu

    Berg Heil

    Berg Heilさん からの返信 2007/02/23 15:19:50
    RE: Zugspitzeのことなど
    書き込み深謝します。小生、元大学山岳部員ではありましたが、ずーっと半世紀も前の事、黒部第4ダムが出来る前、やっと測量の人や大工さんが黒部の谷に入って居た頃、阿曽原から十字峡を通り平の渡しに抜けた時代です。先輩から ここにトンネルをあけて工事をするのだと聞かされ驚いたものです。ただ当時は大学山岳部が全盛時代、特にその中でも小生達の山岳部は全国でもトップクラスの黄金時代(その時は全く自覚がなかったのですが、時代が過ぎ 年輩になってOB会でそう評価されました)でした。

    卒業後は仕事柄全く 山も語学も縁遠い世界で過ごしましたので、1994年、チッポケナ会社をたたんで浪人、カミサンと勝手気ままな生活に入った次第です。独逸にはまりこみ、瑞西やネパールには行っていません。

    今秋 懐が許せば 11回目の独墺の一人旅に出ようと思っています。3月末で独逸旅日記のネタが切れ、墺太利に移る予定です。
    皆様の紀行文、それぞれ個性があり 面白く覗いて居ます。

    今後ともよろしく!!

    4nobu

    4nobuさん からの返信 2007/02/24 11:08:04
    RE: RE: Zugspitzeのことなど
    私の経歴とよく似ている・・・。もしやOUMCのYさん?
    私のニックネーム4nobuは名をもじったものです。お心当りは?

    Berg Heil

    Berg Heilさん からの返信 2007/02/24 15:41:07
    RE: RE: RE: Zugspitzeのことなど
    私の事 推理していただきましたが残念ながら違う様です。1936年生まれ、大学山岳部は DAC とだけしておきましょう。既に古希を過ぎたジジイです。
    幸いにして平地を歩くのは全く抵抗がありません。未だ健脚衰えず!!
    独逸の一人旅の時は朝から晩まで歩きまわっています。カミサン連れの時はそうは行きません、随分気を使ってエスコート、いささかストレスがたまりますが是も40年以上 逃げ出しもせず我が家に居座っているカミサンですので仕方が無いと思っています。

    1994年 会社を閉めてから、北アルプスで登り残した 水晶 赤牛 西穂高 
    黒部五郎 を登ろうとしたのですが西穂は登ったものの カミサンが97年の初めての二人での独逸旅行から帰った途端 胃癌と云われ胃を全摘、幸い今日まで元気に生き延びましたが 「山だけは辞めて!!」といわれ諦めました。その後 夫婦で2回 長女と私の妹2人と4人で北伊太利へ気儘な個人旅行。てな具合で夫婦とも自由に 勝手気ままに生きています。 今後は東欧の田舎町を訪ねたいと思っていますがいつになりますやら?? 

    このバーチャルな世界でよろしく!!

    4nobu

    4nobuさん からの返信 2007/02/25 09:36:59
    RE: RE: RE: RE: Zugspitzeのことなど
    BergHeilさん今晩は

    変な憶測でお騒がせして申し訳ありません。
    どうやら同じ関西系(京都と大坂の違い)のようですね。

    私は1932年生まれで、学生時代は(実力がないもので・・)偵察とかサポートで積雪期の後立を歩いておりました。たとえば新越乗越(大町トンネルの上)、針ノ木、冷池、鹿島槍、唐松、白馬などなど。丁度、会が積雪期の黒部横断と後立縦走を計画してた時ですから。
    それで前回のような早とちりをしてしまったのです。お許しを。

    卒業後ドイツに縁のある会社に就職したのでドイツには度々通いました。時には数ヶ月滞在とか。その頃は時間がなくてドイツの旅を楽しむことができなかったので退職後に何回か出かけましたが2000年が最後でこのところご無沙汰です。とくに旧東独は殆ど縁がなくてBergHeilさんのレポートで知識の欠けた所を補わせて頂いております。
    これからもディープな紹介をお願いします。

    4nobu

    追記:昨日お礼のメールを出すべき所、このブログの機器の調子が悪かったのか受付けませんで今朝になりました。

    Berg Heil

    Berg Heilさん からの返信 2007/02/26 08:22:54
    RE: Zugspitzeのことなど
    ご想像の通り、1955〜1959年まで 烏丸今出川へ通いました。仕送り月1万円、授業料 年26500円の時代でした。

    しかし小生は関西系ではありません、生まれも育ちも富士山が毎日見える街で生活している由緒正しき貧乏人です!!

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