はちのすけさんのクチコミ(80ページ)全3,564件
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- 基本情報
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投稿日 2020年08月27日
総合評価:3.0
自然豊かで広場や遊具が整備されているものの観光地とは言い難い公園だが、織田信長を祭神とする建勲神社に参拝した帰りに寄ってみた。同神社は船岡山(標高112メートル)の頂上にある。北側の北大路側は大徳寺に隣接しており、南側の鞍馬口通りはちょうど古民家を使ったおしゃれな店々が並ぶ辺りだ。見通しはよく、南側は京都タワーまで一望。夜景のビューポイントとしても有名という。
- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年08月27日
総合評価:3.0
新撰組のファンにとっては聖地のような場所だろう。島原で宴会を終えた芹沢鴨は八木家で<二次会>を開き、泥酔。油断が生じたところを暗殺されたのが、この八木家だ。下手人は諸説あるが、これを機に壬生浪士が新撰組へと再スタートしたのだから、一つの転換点の場所だ。
- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年08月26日
総合評価:3.0
三条大橋の西詰めにある像だ。西詰めから河原町通りまでの商店でつくる三条小橋商店街振興組合が平成6年に建てた。ここの商店街は江戸から来る旅人にとっては京の入り口にあたるエリアであり、そのことにちなんで「東海道膝栗毛」の弥次喜多を選んだ。像と言ってもシリアスな芸術作品ではなく、漫画チックな表情が印象的だ。
- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年08月26日
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投稿日 2020年08月25日
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投稿日 2020年08月25日
総合評価:3.5
三条大橋の西側から二つの目の擬宝珠で二筋の傷を見つけた。橋のたもとの説明版によると「池田屋騒動の時についた」とされるという。今までに多くの人が確認したのだろう、指でこすったような感じで、目立つ跡になっていた。
- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年08月25日
総合評価:3.0
三条通りのレトロビル群の一角をなす建物だ。もともとは大正時代に建築された銀行の京都支店。地上3階地下1階で、1階がレンガ造り、2、3階が主要な柱や梁を木材で組んで外面をレンガ積みにした木骨レンガ造りだ。外観の意匠が目を引くが、内部もやはりレトロ。ファッション関係のテナントビルだけに、おしゃれだ。
- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年08月24日
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投稿日 2020年08月24日
総合評価:3.0
明治から昭和にかけて活躍した染料薬品商の稲畑勝太郎が1897(明治30)年、フランスから持ち帰ったシネマトグラフ(映画)の試射実験を行った場所だ。稲畑はフランスで見つけた映画の技術にほれ込み、巨費を投じて機器を持ち帰ったが、電灯がやっと着いたばかりのご時世で、実験が成功するまで一週間も続いた。それが当時の京都電燈株式会社の庭で、今でいう河原町蛸薬師東入ルだ。その後、稲畑は大阪の劇場で映画を有料公開したが、このタイミングを日本映画発祥とする説もある。
- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年08月24日
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投稿日 2020年08月24日
総合評価:3.0
通りの名として親しまれている寺院だ。山号は称念山平等寺。浄土宗のお寺さんで、鎌倉時代の創建という歴史を持つ。何度か焼失しており、現本堂は幕末の再建。現代的なデザインの門扉は閉ざされており、檀信徒、墓参、関係者以外は無断立ち入りを禁じるとの看板が。観光する雰囲気はなかった。
- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年08月23日
総合評価:3.0
30年以上前の学生時代、「堀川」はなく、通りの名にその存在をとどめているだけだった。が、久し振りに訪れると、幅は広くないが、流れが復活しているではないか。堀川今出川の交差点近くに説明版がある。堀川は平安京の開設と同時に運河として開削されたが、昭和時代に暗渠に。その後、2000年代に入って清流復活に取り組んだという。歩いて初めて分かる観光資源だ。
- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2020年08月23日
総合評価:3.0
西陣織のPR拠点だ。西陣織の歴史、製造方法、販売のほか、きもの体験などさまざまな角度から西陣織に触れることができる施設だ。手織り実演のほか、この日は見ることはできなかったが、着物ショーが定期的に開催されている。堀川今出川、晴明神社のすぐそばだ。
- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.5
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投稿日 2020年08月22日
総合評価:3.0
「南天床柱」という文字を印象深く覚えている。ここの床柱に掲げられている札だ。あのか細い南天の木が床柱になるなんて! という驚きがある。これほどの珍品を集めるのは時の政権でしかなしえない業だ。「夕佳亭」という名は夕日をめでる庵という意味だろうか。
- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年08月22日
総合評価:3.0
金閣寺の総門をくぐって真正面にあるのが唐門だ。普段は閉門しているため、前を通り過ぎて境内に足を運ぶ。このため、意識していないとうっかりと見逃してしまう門だ。唐門は金閣寺方丈(客殿)の専用門で、正式な賓客のときに使用された。
- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年08月22日
総合評価:3.0
金閣の見学ルート最終にあるお堂だ。空海が手ずから彫った秘宝の石造不動明王がご本尊とされ、鎌倉時代に建立されたものの、応仁の乱で焼失した。その後、室町時代末期に宇喜多秀家が再建したとされるが、金閣寺そのものが1950年に放火で焼失しているため、金閣寺で最も古い建物だ。意外だが、金閣寺の参拝は観光のニュアンスが強く、お寺として合掌するのは不動堂ぐらいかもしれない。
- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年08月22日
総合評価:3.5
金閣寺を建立した室町幕府三代将軍の足利義満が自らの盆栽を地植えにして帆立船の形に仕立て上げた松だという。義満は1408年没なので、少なくとも600年程度の樹齢があると思われるが、若々しく松の帆が青青としている。京都三松の一つに数えられている名木だ。
- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年08月21日
総合評価:3.0
京都市営出町駐車場のそばにある小さなお堂だ。入り口では金魚を売っていた。相国寺塔頭の飛び地境内だそうで、そういえば相国寺の特別公開のチラシが置かれていた。社務所の扉が開け放たれていたので声をかけたが誰も出てこなかった。お堂には紙で「毛虫発生中」と書いてあったので、早々に退散した。
- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年08月18日
総合評価:3.0
京都御苑の東側、地下鉄丸太町駅に近い烏丸通り沿いにこの建物はある。あるといっても非公開なので中を見たことがないが。百貨店の大丸の店主だった下村家の自宅として1934年に建築された。各地で名建築を残しているヴォーリズ建築事務所の設計だ。急勾配の瓦屋根に煉瓦の煙突、構造材をデザイン的にむき出しにするイギリスのチューダー様式でまとめられているところから中道軒と名づけられたという。京都市登録有形文化財。
- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年08月18日
総合評価:3.0
京都御所の東方、寺町通りに面した門。門の名の由来となった清和院は清和天皇が譲位後に移り住んだ場所で、江戸時代に焼失。別な場所に移転し、今は門の名前のみが残る。この日は梨木神社に参拝する途中に立ち寄った。同神社の正門に隣接するような場所にある。ちなみに、この門の正反対の西側には幕末の戦乱の舞台となった蛤御門がある。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0



























