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石灰棚で有名なパムッカレと隣接する、ヒエラポリス遺跡の紹介です。ローマ帝国の温泉保養地として栄えましたが、ローマ帝国時代にも地震で破壊され、その後復興しました。しかし1354年の大地震で完全に廃墟となりました。(ウィキペディア、旅行ガイド・トルコ)

2008秋、トルコ旅行記2(17/47):10月17日(2):パムッカレ・ヒエラポリス、ヒエラポリス遺跡、城壁、石柱

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2008/10/14 - 2008/10/21

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旅行記グループ 2008秋、トルコ旅行記2(上巻)

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旅人のくまさん

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石灰棚で有名なパムッカレと隣接する、ヒエラポリス遺跡の紹介です。ローマ帝国の温泉保養地として栄えましたが、ローマ帝国時代にも地震で破壊され、その後復興しました。しかし1354年の大地震で完全に廃墟となりました。(ウィキペディア、旅行ガイド・トルコ)

同行者
一人旅
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
その他

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  • ヒエラポリス遺跡は、全体が2メートルほどの地下に埋もれています、したがって、発掘調査がされていない遺跡を目視できるのは、大劇場や、残存した円柱、城壁などに限られます。この後纏めて紹介する『遺跡のタイトル』は、ヒエラポリス遺跡の主要なものですが、『文章による説明』です。また、それぞれの写真と文章とは一致していません。(同上)

    ヒエラポリス遺跡は、全体が2メートルほどの地下に埋もれています、したがって、発掘調査がされていない遺跡を目視できるのは、大劇場や、残存した円柱、城壁などに限られます。この後纏めて紹介する『遺跡のタイトル』は、ヒエラポリス遺跡の主要なものですが、『文章による説明』です。また、それぞれの写真と文章とは一致していません。(同上)

  • 〇『アポロ神殿』:アポロンは、ギリシャ神話の主神ゼウスをはじめとするオリュンポス十二神のうちの一柱です。十二神を中心としたオリュンポス神族は、原初の世界を支配していた大地母神ガイアの子どもたちであるティタン神族を滅ぼし、ギリシャ神話の「神々の物語」として語り継がれました。温水プールの裏側に位置します。写真は、ヒエラポリス遺跡全体の光景です。(以下同じ)

    〇『アポロ神殿』:アポロンは、ギリシャ神話の主神ゼウスをはじめとするオリュンポス十二神のうちの一柱です。十二神を中心としたオリュンポス神族は、原初の世界を支配していた大地母神ガイアの子どもたちであるティタン神族を滅ぼし、ギリシャ神話の「神々の物語」として語り継がれました。温水プールの裏側に位置します。写真は、ヒエラポリス遺跡全体の光景です。(以下同じ)

  • 〇『劇場』:ローマ劇場は紀元前2世紀頃にハドリアヌス帝により造られた円形劇場です。丘陵の斜面を上手に利用していて、観客の入退場がスムースに運ぶように設計されています。収容人員は15,000~20,000人とされ、最上段に座ると、かなりの高さと傾斜を持っています。保存状態もよく、ヒエラポリス遺跡では最大の見所となっています。(同上)

    〇『劇場』:ローマ劇場は紀元前2世紀頃にハドリアヌス帝により造られた円形劇場です。丘陵の斜面を上手に利用していて、観客の入退場がスムースに運ぶように設計されています。収容人員は15,000~20,000人とされ、最上段に座ると、かなりの高さと傾斜を持っています。保存状態もよく、ヒエラポリス遺跡では最大の見所となっています。(同上)

  • 〇『大浴場』:ヒエラポリスには2箇所の大浴場がありました。どちらも設備が大きく立派なものです。ローマ帝国の影響を受けた当時の浴場は、市民の社交場なので、大きく立派なものとなりました。ドミティアン門の外にある『北大浴場』は、崩壊の危険性があり、入場はできません。『南大浴場』はヒエロポリス博物館の敷地の内にあります。(同上)

    〇『大浴場』:ヒエラポリスには2箇所の大浴場がありました。どちらも設備が大きく立派なものです。ローマ帝国の影響を受けた当時の浴場は、市民の社交場なので、大きく立派なものとなりました。ドミティアン門の外にある『北大浴場』は、崩壊の危険性があり、入場はできません。『南大浴場』はヒエロポリス博物館の敷地の内にあります。(同上)

  • 〇『ドミティアン門』:三連アーチを持つ門です。北ビザンツ門から石畳で舗装された道で結ばれていて、門の横や道路に面した大きな建物がありました。この門は西暦84~85年にローマ帝国の第11代皇帝の『ドミティアヌス帝(在位:81~96年)』を讃えて造られたローマ様式の門です。『ローマ門』とも呼ばれています。(同上)<br />*写真は、城壁の遺跡光景です。

    〇『ドミティアン門』:三連アーチを持つ門です。北ビザンツ門から石畳で舗装された道で結ばれていて、門の横や道路に面した大きな建物がありました。この門は西暦84~85年にローマ帝国の第11代皇帝の『ドミティアヌス帝(在位:81~96年)』を讃えて造られたローマ様式の門です。『ローマ門』とも呼ばれています。(同上)
    *写真は、城壁の遺跡光景です。

  • 〇『北ビザンティン門』: ヒエラポリスの町は城壁に囲まれた町ですが、北ビザンツ門と南ビザンツ門を直線で結ぶ道が、この町のメーンストリートでした。メーンストリートにはバシリカや市場などがあり、この町唯一の繁華街でした。この南北の二つの門が正門で、他にも小さな門が幾つかありました。しかしアゴラも北大浴場もこの城壁の外にあり、城壁の外へ町が広がっていったようです。(同上)

    〇『北ビザンティン門』: ヒエラポリスの町は城壁に囲まれた町ですが、北ビザンツ門と南ビザンツ門を直線で結ぶ道が、この町のメーンストリートでした。メーンストリートにはバシリカや市場などがあり、この町唯一の繁華街でした。この南北の二つの門が正門で、他にも小さな門が幾つかありました。しかしアゴラも北大浴場もこの城壁の外にあり、城壁の外へ町が広がっていったようです。(同上)

  • 〇『ニンファエウム』:ニンファエウム(ニンファイオン等)は、古代ローマや古代ギリシャで泉の神・ニンフ(ニュンペー)を祀る場所または神殿のことです。古くは自然の洞穴などをニンフ信仰に結びつけていましたが、後に瀟洒な装飾を施した建物などが建てられるようになりました。ギリシャ・ローマの影響を受けた、世界各地にあります。(同上)

    〇『ニンファエウム』:ニンファエウム(ニンファイオン等)は、古代ローマや古代ギリシャで泉の神・ニンフ(ニュンペー)を祀る場所または神殿のことです。古くは自然の洞穴などをニンフ信仰に結びつけていましたが、後に瀟洒な装飾を施した建物などが建てられるようになりました。ギリシャ・ローマの影響を受けた、世界各地にあります。(同上)

  • 〇『プルトニウム』:冥府神プルートに因んで『プルトニウム』と呼ばれる洞穴です。かつて地獄へのゲートとして恐れられていました。司祭達以外のすべての動物が死ぬことから、司祭達は不滅と崇められ、奇跡が起こる場所と信じられていました。ヒエラポリスが聖なる都市と言われる所以の一つです。(同上)<br />*(追記):2018年に二酸化炭素が噴出していることが特定されました。

    〇『プルトニウム』:冥府神プルートに因んで『プルトニウム』と呼ばれる洞穴です。かつて地獄へのゲートとして恐れられていました。司祭達以外のすべての動物が死ぬことから、司祭達は不滅と崇められ、奇跡が起こる場所と信じられていました。ヒエラポリスが聖なる都市と言われる所以の一つです。(同上)
    *(追記):2018年に二酸化炭素が噴出していることが特定されました。

  • 〇『ネクロポリス』:後年に拡大された城壁の外側にネクロポリスはあります。残された墓の数は1000前後と言われ、広範囲に分散しています。古代の共同墓地としてはトルコで最大の規模です。この墓地は長期間使用されていて、ヘレニズム様式からビザンツ様式まで様々です。石室や石棺の大きさや作りも様々です。(同上)<br />*写真は、『ネクロポリス』の墓の一部の光景です。

    イチオシ

    〇『ネクロポリス』:後年に拡大された城壁の外側にネクロポリスはあります。残された墓の数は1000前後と言われ、広範囲に分散しています。古代の共同墓地としてはトルコで最大の規模です。この墓地は長期間使用されていて、ヘレニズム様式からビザンツ様式まで様々です。石室や石棺の大きさや作りも様々です。(同上)
    *写真は、『ネクロポリス』の墓の一部の光景です。

  • 〇『アゴラ』:ヒエラポリスのアゴラは、北ビザンツ門から少し離れた丘の斜面の前にあります。このアゴラは、この町の政治の中心地で、かなり大きな施設です。長方形の大きな広場と石柱の並ぶ外廊下を持った建物から成り立っていました。現在復元の途中のようです。建物への階段など、オリジナルな部分が幾らか残っていますが、柱の部材などは、何処かへ流用されたらしく、ほとんど残っていません。(同上)

    〇『アゴラ』:ヒエラポリスのアゴラは、北ビザンツ門から少し離れた丘の斜面の前にあります。このアゴラは、この町の政治の中心地で、かなり大きな施設です。長方形の大きな広場と石柱の並ぶ外廊下を持った建物から成り立っていました。現在復元の途中のようです。建物への階段など、オリジナルな部分が幾らか残っていますが、柱の部材などは、何処かへ流用されたらしく、ほとんど残っていません。(同上)

  • ヒエラポリスは、ペルガモン王国時代はヘレニズム文化の元に栄え、以後ローマ文化、ビザンティン文化に触れてきました。その時代の主な文化についての紹介です。最初は、年表でも紹介した『アッタロス朝ペルガモン(紀元前282年~紀元前133年)』時代の紹介です。(同上)<br />*写真は、城壁跡のようです。門があった場所かも知れません。

    ヒエラポリスは、ペルガモン王国時代はヘレニズム文化の元に栄え、以後ローマ文化、ビザンティン文化に触れてきました。その時代の主な文化についての紹介です。最初は、年表でも紹介した『アッタロス朝ペルガモン(紀元前282年~紀元前133年)』時代の紹介です。(同上)
    *写真は、城壁跡のようです。門があった場所かも知れません。

  • 『ヘレニズム文化(その1)』:『ヘレニズム時代(紀元前336年(323年)~紀元前30年)』の約300年の文化であり、東方の古代ギリシャとオリエントの伝統文化が融合して培われました。アレクサンドロス大王の東西融和政策によって、東方に多くのギリシャ人が移住しました。彼らは、ギリシャ語や芸術、都市的な生活文化を広めましたが、オリエント伝統文化が融合して新しいヘレニズム文化が生まれました。(同上)

    『ヘレニズム文化(その1)』:『ヘレニズム時代(紀元前336年(323年)~紀元前30年)』の約300年の文化であり、東方の古代ギリシャとオリエントの伝統文化が融合して培われました。アレクサンドロス大王の東西融和政策によって、東方に多くのギリシャ人が移住しました。彼らは、ギリシャ語や芸術、都市的な生活文化を広めましたが、オリエント伝統文化が融合して新しいヘレニズム文化が生まれました。(同上)

  • 『ヘレニズム文化(その2)』:『ヘレニズム(ギリシャ主義)』文化の時代区分は、『アレクサンドロス3世(大王)(在位前336年~前323年)』の治世から『プトレマイオス朝エジプト王国(紀元前305年~紀元前30年)』の滅亡までの時代です。プトレマイオス朝エジプトは、アレクサンドロス大王の部将『プトレマイオス1世(在位:紀元前305年~紀元前282年)』が建国した、古代エジプト最後の王朝でした。(同上)

    『ヘレニズム文化(その2)』:『ヘレニズム(ギリシャ主義)』文化の時代区分は、『アレクサンドロス3世(大王)(在位前336年~前323年)』の治世から『プトレマイオス朝エジプト王国(紀元前305年~紀元前30年)』の滅亡までの時代です。プトレマイオス朝エジプトは、アレクサンドロス大王の部将『プトレマイオス1世(在位:紀元前305年~紀元前282年)』が建国した、古代エジプト最後の王朝でした。(同上)

  • 『ヘレニズム文化(その3)』:ヘレニズムの語を用いたのは、19世紀ドイツの歴史学者ヨハン・グスタフ・ドロイゼンです。彼の功績は、それまでマケドニアによるポリス征服までが古代ギリシア史の重要範囲とされていたため、ほとんど省みることがなかった征服以降の時期に脚光を当てたことです。これにより、多くの研究者の関心がこの時代に向かい、研究が前進することになりました)。(同上)

    『ヘレニズム文化(その3)』:ヘレニズムの語を用いたのは、19世紀ドイツの歴史学者ヨハン・グスタフ・ドロイゼンです。彼の功績は、それまでマケドニアによるポリス征服までが古代ギリシア史の重要範囲とされていたため、ほとんど省みることがなかった征服以降の時期に脚光を当てたことです。これにより、多くの研究者の関心がこの時代に向かい、研究が前進することになりました)。(同上)

  • 『ヘレニズム文化(その4)』:広大な帝国を築き上げたのちアレクサンドロス大王が亡くなりますと、その版図はアレクサンドロスの部下達によって争奪・分割されました。これらの国や、派生した諸国をヘレニズム諸国と呼びます。これらの国は、東地中海からオリエント地域を支配し、ギリシャ風の『ヘレニズム文化』を維持・発展させましたが、次第に共和政ローマにより圧迫を受けました。(同上)

    『ヘレニズム文化(その4)』:広大な帝国を築き上げたのちアレクサンドロス大王が亡くなりますと、その版図はアレクサンドロスの部下達によって争奪・分割されました。これらの国や、派生した諸国をヘレニズム諸国と呼びます。これらの国は、東地中海からオリエント地域を支配し、ギリシャ風の『ヘレニズム文化』を維持・発展させましたが、次第に共和政ローマにより圧迫を受けました。(同上)

  • 『ヘレニズム文化(その5)』:共和政ローマが東へ進出することでヘレニズム諸国は滅ぼされ、ついに紀元前30年、最後のヘレニズム王朝であったプトレマイオス朝エジプトがローマに併合されました。これにより、ヘレニズム時代は終わったとされます。<br />しかし、その後も文化的にはギリシャはローマを圧倒し続けました。(同上)

    『ヘレニズム文化(その5)』:共和政ローマが東へ進出することでヘレニズム諸国は滅ぼされ、ついに紀元前30年、最後のヘレニズム王朝であったプトレマイオス朝エジプトがローマに併合されました。これにより、ヘレニズム時代は終わったとされます。
    しかし、その後も文化的にはギリシャはローマを圧倒し続けました。(同上)

  • 『ヘレニズム文化(その6)』:ギリシャ語は東地中海地域の共通語として使われ、ヘレニズム文化が栄えました。また、ローマ帝国分裂後も7世紀以降の東ローマ帝国では支配地域・住民がギリシャ語圏となったためにヘレニズムの伝統が重視され、キリスト教と融合した『ビザンティン文化』を生むことになりました。(同上)

    『ヘレニズム文化(その6)』:ギリシャ語は東地中海地域の共通語として使われ、ヘレニズム文化が栄えました。また、ローマ帝国分裂後も7世紀以降の東ローマ帝国では支配地域・住民がギリシャ語圏となったためにヘレニズムの伝統が重視され、キリスト教と融合した『ビザンティン文化』を生むことになりました。(同上)

  • 『ヘレニズム文化(その7)』:ヨーロッパ文明の源流についての説明です。ヨーロッパ文明の基調を、『ヘブライズム(ユダヤ教・キリスト教)』と、『ヘレニズム』に求める見解は、19世紀にイギリスの詩人で批評家の『マシュー・アーノルド(1822~1888年)』によって示されました。以降、この見解はヨーロッパ文明を説明する上で一般的に用いられているようです。(同上)

    『ヘレニズム文化(その7)』:ヨーロッパ文明の源流についての説明です。ヨーロッパ文明の基調を、『ヘブライズム(ユダヤ教・キリスト教)』と、『ヘレニズム』に求める見解は、19世紀にイギリスの詩人で批評家の『マシュー・アーノルド(1822~1888年)』によって示されました。以降、この見解はヨーロッパ文明を説明する上で一般的に用いられているようです。(同上)

  • 『ヘレニズム文化(その8)』ヘレニズム文化の特徴の紹介です。この時代には多くの文化や知識の融合が起こり、それは哲学の面でも同じでした。ギリシャ的な西欧的哲学に対して、中東の哲学風のアップデートが行われました。当初はヘレニズム哲学界は混沌として、『過激な学派』が生まれましたが、やがては穏健な『プラトン学派』、『エピクロス派』、『ストア派』の三学派が支配しました。(同上)

    『ヘレニズム文化(その8)』ヘレニズム文化の特徴の紹介です。この時代には多くの文化や知識の融合が起こり、それは哲学の面でも同じでした。ギリシャ的な西欧的哲学に対して、中東の哲学風のアップデートが行われました。当初はヘレニズム哲学界は混沌として、『過激な学派』が生まれましたが、やがては穏健な『プラトン学派』、『エピクロス派』、『ストア派』の三学派が支配しました。(同上)

  • 『ヘレニズム文化(その9)』:ヘレニズム文化での自然学の代表的な成果です。<br />〇ユークリッド(エウクレイデス:紀元前330年頃~紀元前275年頃)の幾何学。<br />〇アリスタルコス(紀元前310年頃~紀元前230年頃):太陽中心説。<br />〇アルキメデス(紀元前287年~紀元前212年)の原理:浮力の法則、てこの原理。<br />〇エラトステネス(紀元前275年~紀元前194年):地球の周りの長さを測定。(同上)

    『ヘレニズム文化(その9)』:ヘレニズム文化での自然学の代表的な成果です。
    〇ユークリッド(エウクレイデス:紀元前330年頃~紀元前275年頃)の幾何学。
    〇アリスタルコス(紀元前310年頃~紀元前230年頃):太陽中心説。
    〇アルキメデス(紀元前287年~紀元前212年)の原理:浮力の法則、てこの原理。
    〇エラトステネス(紀元前275年~紀元前194年):地球の周りの長さを測定。(同上)

  • 『ヘレニズム文化(その10)』:ヘレニズム文化の代表的な芸術作品です。<br />〇ミロのヴィーナス像:古代ギリシアで制作され、1820年にミロス島で発見。<br />〇サモトラケのニケ像:翼のはえた勝利を告げるギリシャ神話の女神ニケ像。<br />〇ラオコーン像:大蛇に巻かれたギリシャ神話のトロイア戦争の人物像。<br />〇瀕死のガリア人像:ペルガモンで出土。(同上)

    『ヘレニズム文化(その10)』:ヘレニズム文化の代表的な芸術作品です。
    〇ミロのヴィーナス像:古代ギリシアで制作され、1820年にミロス島で発見。
    〇サモトラケのニケ像:翼のはえた勝利を告げるギリシャ神話の女神ニケ像。
    〇ラオコーン像:大蛇に巻かれたギリシャ神話のトロイア戦争の人物像。
    〇瀕死のガリア人像:ペルガモンで出土。(同上)

  • 『ビザンティン文化(その1)』:東ローマ帝国(凡そ4世紀から15世紀:ビザンティン帝国)で栄えた文化です。古代ギリシャ・ヘレニズム・古代ローマの文化に、キリスト教・ペルシャやイスラムなどの影響を加えた独自の文化であり、正教会を信仰する諸国および西欧のルネサンスに多大な影響を与えました。また一部の建築技術などはイスラム文化と相互に影響し合いました。(同上)

    イチオシ

    『ビザンティン文化(その1)』:東ローマ帝国(凡そ4世紀から15世紀:ビザンティン帝国)で栄えた文化です。古代ギリシャ・ヘレニズム・古代ローマの文化に、キリスト教・ペルシャやイスラムなどの影響を加えた独自の文化であり、正教会を信仰する諸国および西欧のルネサンスに多大な影響を与えました。また一部の建築技術などはイスラム文化と相互に影響し合いました。(同上)

  • 『ビザンティン文化(その2)』:ギリシャ人が国民の多くを占め、キリスト教を国教とした東ローマ帝国で、ヨーロッパの文化の二大基盤といわれる「ヘレニズムとヘブライズム」が時には対立をしながらも融合して形成された文化です。ヨーロッパの文化形成に与えた影響は大きいとされます。東ローマ帝国では、ギリシャ語が日常語・公用語として用いられました。(同上)

    『ビザンティン文化(その2)』:ギリシャ人が国民の多くを占め、キリスト教を国教とした東ローマ帝国で、ヨーロッパの文化の二大基盤といわれる「ヘレニズムとヘブライズム」が時には対立をしながらも融合して形成された文化です。ヨーロッパの文化形成に与えた影響は大きいとされます。東ローマ帝国では、ギリシャ語が日常語・公用語として用いられました。(同上)

  • 『ビザンティン文化(その3)』:東ローマ帝国では、古代ギリシャの古典作品が尊重されていて、中等教育では古典ギリシャ語の文法が教えられ、官僚・知識人の間ではホメロスの詩を暗誦できるのが常識とされていました。古代ギリシャ・ローマの古典作品の大半は、ギリシャ人が多数を占めていた東ローマ帝国の下で伝えられてきたものです。(同上)

    『ビザンティン文化(その3)』:東ローマ帝国では、古代ギリシャの古典作品が尊重されていて、中等教育では古典ギリシャ語の文法が教えられ、官僚・知識人の間ではホメロスの詩を暗誦できるのが常識とされていました。古代ギリシャ・ローマの古典作品の大半は、ギリシャ人が多数を占めていた東ローマ帝国の下で伝えられてきたものです。(同上)

  • 『ビザンティン文化(その4)』:ビザンティン』:ビザンティン美術には、東ローマ帝国の内部で制作された美術作品のみならず、その勢力圏にあって強い影響を受けたルーシ(ロシア)、ブルガリア、ヴェネツィア、南イタリア(マグナ・グラエキア)、シチリアなどの美術も含まれます。 顕著な特徴は、同時代の西ローマ、西ヨーロッパの美術に比べて、東方的な要素を多く含んでいる点です<br />〇代表的建築:聖ソフィア大聖堂、サン・マルコ大聖堂。<br />〇代表的絵画:イコン、モザイク壁画。<br />〇代表的彫刻:偶像崇拝を禁じるキリスト教が国教化し、8~9世紀の聖像破壊運動が終結した後も、キリストなどの像は作られていません。(同上)

    『ビザンティン文化(その4)』:ビザンティン』:ビザンティン美術には、東ローマ帝国の内部で制作された美術作品のみならず、その勢力圏にあって強い影響を受けたルーシ(ロシア)、ブルガリア、ヴェネツィア、南イタリア(マグナ・グラエキア)、シチリアなどの美術も含まれます。 顕著な特徴は、同時代の西ローマ、西ヨーロッパの美術に比べて、東方的な要素を多く含んでいる点です
    〇代表的建築:聖ソフィア大聖堂、サン・マルコ大聖堂。
    〇代表的絵画:イコン、モザイク壁画。
    〇代表的彫刻:偶像崇拝を禁じるキリスト教が国教化し、8~9世紀の聖像破壊運動が終結した後も、キリストなどの像は作られていません。(同上)

  • 『ビザンティン文化(その5)』:ビザンティン美術は、非常に優れたモザイク画を生みました。宗教画は、偶像崇拝の批判を避けるため、写実的な表現を採らなかったとされます。しかし、末期の『パレオロゴス朝ルネサンス』の時期には、古代ギリシャ文化の復興を受けて写実的なフレスコ画なども多く描かれました。ドームを特徴とする建築様式は、いまでも正教圏各国に受け継がれています。(同上)

    『ビザンティン文化(その5)』:ビザンティン美術は、非常に優れたモザイク画を生みました。宗教画は、偶像崇拝の批判を避けるため、写実的な表現を採らなかったとされます。しかし、末期の『パレオロゴス朝ルネサンス』の時期には、古代ギリシャ文化の復興を受けて写実的なフレスコ画なども多く描かれました。ドームを特徴とする建築様式は、いまでも正教圏各国に受け継がれています。(同上)

  • 『ルネサンス文化(その1)』:『ルネサンス: Renaissance )』は、「再生」、「復活」などを意味するフランス語です。一義的には古典古代(ギリシャ、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動を指します。14世紀にイタリアで始まり、西欧各国に広まりました。また、これらの時代(14世紀~16世紀)を指すこともあります。日本では長らく文芸復興と訳されましたが、使われなくなりました。(同上)

    『ルネサンス文化(その1)』:『ルネサンス: Renaissance )』は、「再生」、「復活」などを意味するフランス語です。一義的には古典古代(ギリシャ、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動を指します。14世紀にイタリアで始まり、西欧各国に広まりました。また、これらの時代(14世紀~16世紀)を指すこともあります。日本では長らく文芸復興と訳されましたが、使われなくなりました。(同上)

  • 『ルネサンス文化(その2)』:現在では、古典的な古代文化の復興はイタリア・ルネサンス以前にも見られる現象であることが明らかにされています。9世紀のフランク王国の「カロリング朝ルネサンス」や、10世紀東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の「マケドニア朝ルネサンス」および帝国末期の「パレオロゴス朝ルネサンス」、西ヨーロッパにおける「12世紀ルネサンス」などです。(同上)

    イチオシ

    『ルネサンス文化(その2)』:現在では、古典的な古代文化の復興はイタリア・ルネサンス以前にも見られる現象であることが明らかにされています。9世紀のフランク王国の「カロリング朝ルネサンス」や、10世紀東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の「マケドニア朝ルネサンス」および帝国末期の「パレオロゴス朝ルネサンス」、西ヨーロッパにおける「12世紀ルネサンス」などです。(同上)

  • 『ルネサンス文化(その3)』:ルネサンスの時代は、明るい時代ではなく、ペストの流行や政争、戦乱の続く波乱の時代でした。文化を享受していたのも宮廷や教皇庁など一部の人々に過ぎず、魔術や迷信もまだ強く信じられていました。また、イタリアでルネサンス文化が開花したのは、フィレンツェ、ミラノ、ローマ、ヴェネツィア、ナポリ、フェッラーラなどの都市であり、すべての都市ではありません。(同上)

    『ルネサンス文化(その3)』:ルネサンスの時代は、明るい時代ではなく、ペストの流行や政争、戦乱の続く波乱の時代でした。文化を享受していたのも宮廷や教皇庁など一部の人々に過ぎず、魔術や迷信もまだ強く信じられていました。また、イタリアでルネサンス文化が開花したのは、フィレンツェ、ミラノ、ローマ、ヴェネツィア、ナポリ、フェッラーラなどの都市であり、すべての都市ではありません。(同上)

  • 『ルネサンス文化(その4)』:ルネサンスで活躍した人達の紹介です。<br />〇思想・文芸:マキアベリ、ダンテ、ボッカチオ <br />〇美術:レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ<br />〇音楽:ギヨーム、ジョスカン・デ・プレ、パレストリーナ、モンテヴェルディ<br />〇建築:ブルネレスキ、アルベルティ、ラマンテ、ミケランジェロ (以上)

    『ルネサンス文化(その4)』:ルネサンスで活躍した人達の紹介です。
    〇思想・文芸:マキアベリ、ダンテ、ボッカチオ
    〇美術:レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ
    〇音楽:ギヨーム、ジョスカン・デ・プレ、パレストリーナ、モンテヴェルディ
    〇建築:ブルネレスキ、アルベルティ、ラマンテ、ミケランジェロ (以上)

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