wiz さんのクチコミ(4ページ)全448件
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彫刻の寺 柴又帝釈天 大客殿前に広がる回遊式庭園・・ 邃渓園(すいけいえん)
投稿日 2016年05月17日
総合評価:4.0
寅さんで有名なまち、柴又。 映画の中でも出てくる 柴又帝釈天(経栄山 題経寺) は 彫刻の寺 ともいわれているそうで、無料で拝観できる帝釈堂の内外に施されている彫刻を見ているだけでもなかなかおもしろいですが、境内内の「彫刻ギャラリー」「大客殿」「庭園 (邃渓園)」のエリアは拝観料が必要で、これらの見学は共通で大人400円。
関東の高名な造園師 永井楽山により完成されたという庭園 「邃渓園(すいけいえん)」の名は、庭園の滝の風情が幽邃でもの静かであることによるのだとか。 この庭園は回廊でぐるりと1周まわることができるので、色々な角度から写真を撮れるのは良いですね。 大客殿には給茶器が置いてあるのでお庭を眺めながらお茶を頂くこともできます。
http://www.taishakuten.or.jp/- 旅行時期
- 2016年05月
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投稿日 2016年05月16日
総合評価:4.0
5月の晴天日に、建長寺(半僧坊)から瑞泉寺への天園ハイキングコースを歩き新緑を楽しみました。 アスファルトの道を歩けばかなり暑いなぁというような1日でしたが、新緑の木々の木漏れ日の中歩くことでいくらか(いや、だいぶ)暑さが軽減された気分でした。
建長寺(半僧坊)から歩き、小休憩を入れて1時間40分くらいで瑞泉寺に到着。
私たちは日頃の運動不足を思い知らされましたが・・ 皆さん元気に歩かれていました!
鎌倉ハイキングコースMAP (鎌倉紀行)
http://homepage3.nifty.com/kamakurakikou/bmap.html- 旅行時期
- 2016年05月
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投稿日 2016年05月16日
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投稿日 2016年05月16日
総合評価:4.0
ちょうど庭園のバラが咲く時期に訪問、洋館とバラのコラボ写真をたくさん撮ることができました。
バラの剪定は京成バラ園の方がされているそうで、その剪定された方によると、(5月13日現在)今年のバラは全体的に1週間ほど早く、花は大柄でいい花付きをしているとの評価、6月には2番咲き、3番咲きも楽しめるのだそうです。
文京区の音羽の丘にある音羽御殿(鳩山家の洋館)は、鳩山一郎により関東大震災の翌年大正13年に完成。 イギリスの伝統に古代ローマのスタイルを融合させたというアダムスタイルを取り入れた洋館で、設計を手掛けたのは大正・昭和初期を代表する建築家岡田信一郎氏。
洋館内の一部で撮影不可部分がありますが、ほとんどの場所は撮影可となっています。 アクセスは音羽通りに面した正門から坂の上の高台へ。 入館料は大人600円。
http://www.hatoyamakaikan.com/- 旅行時期
- 2016年05月
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ヴェルサイユ ⇔ サン・ジェルマン・アン・レー間、バスあり!
投稿日 2009年08月11日
総合評価:4.0
ヴェルサイユ、サン・ジェルマン・アン・レーは
ともにイル・ド・フランス圏ZONE4に位置しますが、
この南北の軸をバスが走っているので、
一旦パリに戻らなくても、バスを利用して
1日で2ケ所廻ることも可能かと思います。
ZONE4のモビリス等購入時に
2ケ所廻ってしまうのも1つのアイデアかも!
BUS
Mobilien Ligne 01 [St Germain en Laye−Versailles]
http://www.transdev-idf.com/horaire-ligne-1-express_1_saint_germain_versailles_012?j=25-04-2016
pdf版
http://www.transdev-idf.com/timetablefile/107831373?vid=download
2区間は所要約30〜40分。
このバスが通る道路をルノワールが描いています。
(ルーヴシエンヌに看板あり)
Pierre Auguste Renoir 1895
”Route de Versailles a Louveciennes”
Musee des Beaux-Arts, Lille, France- 旅行時期
- 2008年12月
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≪サン・ドニ参り・その3≫ 聖ドニが力尽き 歴代フランス王が埋葬され シュジェールが新しい美を生みだした地・・ Saint-Denis, France
投稿日 2015年03月06日
総合評価:4.0
パリ市内からメトロ13号線で気軽に行けるサン・ドニ大聖堂 Basilique de Saint-Denis。 メトロで行くとカルネ1枚でOKなのですが、RERだとZONE1-3扱いになるので要注意。 RATPで検索するとZONEが分かります。 http://www.ratp.fr/itineraires/fr/ratp/recherche-avancee
それと、訪問予定日に(王家の墓所=有料エリアへ)入れるかどうか確かめておくのも良いと思います。 通常開いているだろう日に特別閉められる日がたまにあるようで、今回の私の当初の訪問予定日もこの特別閉めらめる日にあたっていたので1日ずらしました。 下記サイトに情報が載っています(英語版もあるが仏語版が詳しい)。 http://saint-denis.monuments-nationaux.fr/fr/
また、2014年10月訪問時は、西正面ファサードの改修工事がされていましたが(中央と右に足場が組まれている状態)、この西正面ファサードの改修工事の完了予定時期は2015年?!となっているようです。
中世美術ファンとしては、シュジェール Suger de Saint-Denis がかかわるこの西正面ファサードの改修後が気になるところです(彫刻部分の補修はもちろん、真っ黒だったタンパンは汚れを落とされるようです。) 聖堂内の放射状祭室のシュジェールのステンドグラス(有料エリア)は問題なく鑑賞できました。
※注 添付写真04
左上 シャルル5世とジャンヌ・ド・ブルボン
左下 ルイ12世とアンヌ・ド・ブルターニュ
右上,右下 アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシス
以上、
≪サン・ドニ参り・その3≫
Basilique de Saint-Denis(サン・ドニ)
≪サン・ドニ参り・その1≫
Crypte du Martyrium de Saint-Denis(パリ、モンマルトル)
http://4travel.jp/overseas/area/europe/france-ile_de_france/paris/kankospot/10310729/tips/11427042/
≪サン・ドニ参り・その2≫
Square Suzanne Buisson(パリ、モンマルトル)
http://4travel.jp/overseas/area/europe/france-ile_de_france/paris/kankospot/10491257/tips/11409288/- 旅行時期
- 2014年10月
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東洋のロダン 朝倉文夫自らが設計した自宅兼アトリエ・・ 朝倉彫塑館 (台東区谷中7)
投稿日 2015年12月27日
総合評価:4.0
台東区立 朝倉彫塑館 は、明治から昭和にかけて活躍した彫刻家、朝倉文夫(1883年、大分県大野郡池田村・現豊後大野市生まれ)のアトリエと住居だった建物。
朝倉は、東京美術学校を卒業した1907(明治40)年、24歳の時にこの台東区谷中にアトリエと住居を構えたそうです。 建物は朝倉自身が設計。 彼は「朝倉彫塑塾」と命名し、ここで門下生を育成し学校と制作の場になりました。
2001年に建物が国有形文化財に登録され、2008年には敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国名勝に指定されたそうです。 名勝指定を受け、2009年から2013年にかけて修復、耐震補強を施すなど保存修復工事が行われました。
建物の中での写真撮影が不可なのは残念!
唯一、写真撮影が可能なのが屋上庭園で、ここからは東京スカイツリーがよく見えました。
休館日: 月・木曜日(祝日と重なる場合は翌日)、年末年始、臨時休館あり
開館時間: 午前9時30分~午後4時30分 (入館は午後4時まで)
入場料: 一般 500円- 旅行時期
- 2015年12月
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江戸東京今昔散歩! 広重の 絵本江戸土産 にも描かれた 紅葉の名所・・ 名主の滝公園
投稿日 2015年12月27日
総合評価:4.5
” 名主の滝公園(なぬしのたきこうえん) ” は、嘉永年間(1848~54)、王子村の名主である畑野孫六が茶を栽培し、屋敷内に滝を設け、一般の人が避暑に利用できる施設として開いたのがはじまり。
王子村は、石神井川の下流である滝野川(音無川)が紅葉の名所として有名であった頃から、散策地として広く知られていたんだそうです。
また、名主の滝公園は、江戸時代末期の浮世絵師、歌川広重の「絵本江戸土産(女滝男滝 1850)」にも描かれていたようです。
公園内の地形は、けっこうな高低差があり、高低差好きな方にもおすすめ。 また公園内に、女滝(めだき)、男滝(おだき)、湧玉の滝(わくだまのたき)、独鈷の滝(どっこのたき)・・の四つの滝があります。
今回の訪問は、紅葉も終わりかけかという12月半ばも過ぎた頃でしたが、男滝の前あたりのモミジが紅葉していて、滝を背景に見る紅葉がなかなか素敵でした!
王子駅から歩いてくると見えてくる薬医門(やくいもん)あたりにも紅葉が残っており、今年最後の紅葉を楽しむことができました!- 旅行時期
- 2015年12月
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江戸東京今昔散歩! 小堀遠州作の回遊式庭園を復元・・ 二の丸庭園
投稿日 2015年12月27日
総合評価:4.5
二の丸庭園は、徳川三代将軍家光の命により、小堀遠州(こぼりえんしゅう)が作庭にあたったと伝えられる庭園。
明治以降、荒廃に任せていた苑地を、昭和43年に、復元改修し、現在の二の丸庭園が完成したそうです。
今回は冬の青空の日の散策でしたが、池に映る木々の影がとても美しく、何度もカメラのシャッターを押してしまいました!- 旅行時期
- 2015年12月
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関東大震災と大戦の被災を免れた大正建築・・ 旧安田楠雄邸 (文京区千駄木5)
投稿日 2015年12月27日
総合評価:4.0
水曜・土曜のみ公開しているという ” 旧安田楠雄邸(文京区千駄木5) ” を訪問しました。
旧安田楠雄邸は、平成19年から一般公開を開始。
旧安田楠雄邸は、大正8年に豊島園の創始者である実業家・藤田好三郎氏によってつくられ、大正12年に旧安田財閥の創始者・安田善次郎氏の女婿・善四郎氏が買い取り居住。 平成7年に当主の楠雄氏が亡くなられたあと、幸子夫人が市民団体の助言を得て、平成8年に庭園と建物を公益財団法人日本ナショナルトラストに寄贈したもの。
位置的には、本郷台地上の北側にあり、邸宅部分は、大正8年に建てられ、関東大震災と第二次世界大戦の被災を免れた近代和風建築となっていて、ほぼ改造されることなく創建当時の姿を残しているそうです。 また、かつてはいくつかの銀行の頭取などが居を構えたことから「銀行通り」とも呼ばれた通りに面した場所に建っているそうです。
去年は紅葉の時期に、代官山にある(旧安田楠雄邸と同じ大正8年に建てらた)旧朝倉家住宅を訪問したのですが・・ 紅葉している庭園内を自由に散策できるのは旧朝倉家住宅の方で(紅葉も見事でその点では旧朝倉家住宅の方が)満足度が高かったです。
リーフレットやポストカードでは、お庭から邸宅を写している写真があるのですが、他の季節だとお庭の方にも入れるのかしら・・?
(旧朝倉家住宅の方は、邸宅もお庭も自由散策ですが) 旧安田楠雄邸では、ボランティアガイドさんの丁寧な説明を聞きながらひととおり邸宅を見せてもらいました(入場料500円)。 ボランティアさんは皆感じのよい方々でした。
一般公開日: 毎週水・土曜日
開館時間: 10:30〜16:00(入館は15:00まで)
入館料: 一般 500円- 旅行時期
- 2015年12月
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江戸東京今昔散歩! 本郷台地の一角・・ 須藤公園 (加賀大聖寺藩 松平備後守 下屋敷跡)
投稿日 2015年12月27日
総合評価:4.0
” 須藤公園(すどうこうえん) ” は、江戸期には、加賀前田藩支藩の大聖寺藩 松平備後守、松平下総守 等の下屋敷があり、明治には、長州出身の品川弥二郎の邸宅となり、明治28年(1889)に実業家須藤吉右衛門の所有となり、その後、昭和25年に文京区へ移管された公園。
『尾張屋板 江戸切絵図』を見てみたら、松平備後守、と書かれていました。
須藤公園は、文京区千駄木3丁目の住宅街の中にあり、本郷台地の一角になっていて、敷地の中の高低差は10m以上もあるそうです。
また、このあたりは江戸の郊外地で閑静で敷地も広く、台地と低地の二段の地形を活かした立体的な構成の庭がつくられたそうです。
公園内の池泉には中島があり、古くから祀られた弁財天の祠堂、朱塗りの橋が架けられ、北側には高さ約10mの滝がありました。
今回は、西日暮里駅から知人が30年以上前に住んでいたという家を探しながら千駄木駅の方に歩き → 須藤公園の低所=東側の出入り口 から 須藤公園(文京区千駄木3丁目)の中へ → その後、須藤公園の高所=北西側の出入口 から出て → 水曜・土曜のみ公開している安田楠雄邸(文京区千駄木5丁目)へ向かいました。
須藤公園の高所には、東に東京スカイツリーを望むポイントありました。
高低差のある地形がおもしろい場所でした!
公園内には藤棚があるので、藤の咲く季節も良いかも。- 旅行時期
- 2015年12月
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江戸東京今昔散歩! 大名庭園の面影残す・・ 戸越公園 (肥後熊本新田藩 細川家 下屋敷跡)
投稿日 2015年12月27日
総合評価:3.5
” 戸越公園(とごしこうえん) ” は、寛文2年(1662)、熊本藩細川家が約74250?を拝領して下屋敷として構えたのがはじまり。 水は仙川用水から引き、池泉をつくり、9年の歳月をかけて、数寄屋造りの屋敷を庭園を完成。
寛文11年(1671)の屋敷図によれば、中央に馬場があり、東庭園と西庭園とに分かれていたそうで、御殿は屋敷の北東部にあり、ここから眺望できるように築山や池があったそうで、現在の 戸越庭園 はこの一部分を整備したもの(かつての東庭園部分)。 ちなみに、今はなき西庭園は東側の2倍以上の敷地があったそうです。
御殿、東庭園、西庭園、があった当時は相当な広さだったわけですね〜。
行きは、都営地下鉄浅草線の戸越駅、帰りは、東急大井町線の戸越公園駅を利用しましたが、やはり戸越公園駅の方が断然近いです。- 旅行時期
- 2015年12月
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オーシャンビューのお部屋から 花火と朝焼けを 楽しみました!
投稿日 2015年12月24日
総合評価:4.0
オーシャンビューのお部屋から 花火と朝焼けを 楽しんできました!
12月は毎週土曜日にお台場レインボー花火が開催されるので、土曜の夜の「花火」と「(スペシャルライトアップでレインボーカラーの)レインボーブリッジ」、翌朝はお天気が良かったので「日の出」や「朝焼け」を堪能してきました。
水面に反射する太陽の陽というのは、ほんとうにあったかく(暑く)なるものですね~。 陽がある時とない時で、お部屋の温度がだいぶ変わるものだなと感じました。
逆に言えば、カーテンを開けて、花火を見ている時、部屋の温度設定をかなりあげておかないと(窓際は)寒い、という感じがしました。
とにかく、お天気がよくて良かった!- 旅行時期
- 2015年12月
- 利用目的
- 観光
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いやぁ~とっても白くなりました! 西正面ファサード改修工事完了! Basilique de Saint-Denis
投稿日 2015年08月14日
総合評価:4.0
去年(2014年10月)にサン・ドニ大聖堂を訪問した際に、
『 西正面ファサードは2015年改修工事完了か ? 』
というクチコミを書いていたのですが・・ ※
・・西正面ファサードの改修工事は、
最 近 (2015年夏) よ う や く 完 了 したようです !
いやぁ〜とっても白くなりました !!!
Saint-Denis : la facade de la Basilique a retrouve sa blancheur
: 04 Aout 2015
http://www.leparisien.fr/saint-denis-93200/saint-denis-la-facade-de-la-basilique-a-retrouve-sa-blancheur-04-08-2015-4990051.php
https://youtu.be/SMs6kBK-cAg
http://www.afpbb.com/articles/-/3064938
(2014年10月)
西正面ファサード改修工事完了は2015年予定?! ※
http://4travel.jp/overseas/area/europe/france-ile_de_france/saint_denis_j/kankospot/10412359/tips/11621569/- 旅行時期
- 2015年08月
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ペリグー,アングレーム,カオールなどドーム式ロマネスク教会の修復をしたアバディー建築 Basilique du Sacre Coeur
投稿日 2015年09月20日
総合評価:4.5
ロマネスクの教会の中で、天井にドーム(円蓋)をもつ特徴的な教会・・ ペリグーのサン・フロン大聖堂 (Cathedrale Saint-Front de Perigueux) 、アングレームのサン・ピエール大聖堂 (Cathedrale Saint-Pierre d'Angouleme) 、カオールのサン・テティエンヌ大聖堂 (Cathedrale Saint-Etienne de Cahors) ・・ などが有名ですが、これらのドーム式ロマネスク教会の修復をしたのは、ポール・アバディー Paul Abadie という建築家。
モンマルトルの丘にたつ白亜のドーム式教会、サクレ・クールも、建築家ポール・アバディーの考案による建築物なんですって ! (ポール・アバディは、1845- パリのノートルダム大聖堂の修復をしたヴィオレ・ル・デュクの協力者としても知られるらしい。)
アバディーはペリグーのサン・フロン大聖堂の形式にヒントを得て、(サクレ・クールの)量感溢れる大建築の構想をたてたとされますが、結局、サクレ・クールの完成は、彼の死後となったそうです。
ロマネスクの教会を少し知っている方なら、 「そう言われてみれば、なるほどね~!」 、と、この繋がりに頷けるのではないでしょうか !
モンマルトルは、長い間、パリから独立した村でしたが、1860年、オスマンの命により、徴税請負人の壁とティエールの城壁の間にあった近郊の村がパリ市に組み込まれて(それまではパリ市域は12区から成っていたのが)20区となりました。 モンマルトルの丘もこれによりパリ市の一部となりました。
1870年、普仏戦争の敗北後、カトリック教徒たちは、教会ならびにフランスの未来に対する信頼のしるしとして、 『 サクレ・クール(キリストの聖心) 』 に捧げる教会堂をモンマルトルの丘の上に建てることを発願。 1873年、国民議会は 「公益に役に立つ建物」 「公共建造物」 として建立することを議決。 1876年に工事がはじまり、1919年に完成。 ロマネスク・ビザンチン様式。
しかし、モンマルトルの古くからの住民は、サクレ・クールを自分たちの村への異質の分子の侵入のように感じ、当初、芸術家たちは、美的な見地から、パリの空にそびえたつ白亜の壮大な建築物(サクレ・クール)の出現については批判的だったそうです。
サクレ・クールを含むモンマルトルの風景を描いた画家として、モーリス・ユトリロは有名ですが、彼は、1883年生まれ(-1955)。 サクレ・クールは、ユトリロの人生とともに建設がすすみ、(ユトリロ時代には)まだパリの新しい建築物でした。 ユトリロの描いたサクレ・クールを見る時、そんなことも考えながら見るのもおもしろいですね。
建物正面の 中央 には、サクレ・クール(キリストの心臓=聖なる心)像、左に 聖王ルイ騎馬像、右に 聖ジャンヌ・ダルク騎馬像が建っています。 ジャンヌ・ダルクは、サクレ・クール建築中に列聖されました(1909年)。
建築家・修復家 ポール・アバディー(1812-84)
https://fr.wikipedia.org/wiki/Paul_Abadie
La Basilique du Sacre Coeur de Montmartre
35 Rue du Chevalier de la Barre, 75018 Paris
http://www.sacre-coeur-montmartre.com/- 旅行時期
- 2014年10月
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画家ユトリロが描いた通りの中でも有名な通りのひとつ、かつてはサン・ドニ大修道院までつづいていた Rue du Mont-Cenis (18区)
投稿日 2015年09月17日
総合評価:4.0
「モン・スニ通り Rue du Mont-Cenis」 は、現在は、モンマルトルの丘の上の、 サン・ピエール教会のあたりから北へ ~ ジュール・ジョフラン駅前の18区役所やノートルダム・ド・クリニャンクール教会の脇を通り ~ さらに北へ、パリの環状線ペリフェリック、 までつづく通りです。
「モン・スニ通り Rue du Mont-Cenis」 は、かつては、モンマルトルの修道院からサン・ドニの大修道院までつづいていた通りだったそうで、 「プティット・リュ・サン・ドニ Petite rue Saint-Denis (サンドニ小道) 」 とも呼ばれていたそうです。
ここで、すぐに思いつくのが、モンマルトルの丘で斬首され殉教し、自らの首を持ったまま立ちあがり、そのままサン・ドニの地まで歩きそこで力尽きた・・ という有名な聖人、サン・ドニ(聖ドニ)ですよね。
調べてみると、やはり、聖ドニは、3世紀、(現在のマルチリウム・ドゥ・サン・ドニ礼拝堂があるイヴォンヌ・ル・タク通り11番地あたりで殉教し、現在のシュザンヌ・ビュイッソン公園にあった泉で自分の首を洗い、) (現)モン・スニ通り Rue du Mont-Cenis を北へ歩きサン・ドニの町で力尽きたそうです。
サン・ドニ大修道院の修道士たちは、7年おきの5月初旬に、聖ドニの頭部像を掲げ、 宗教行列 Procession を仕立てて、モンマルトル修道院を訪れたそうで、こうした行列は18世紀末までみられたのだそうです。
1750年頃、サン・ドニ大修道院
~モンマルトル修道院の宗教行列 Procession
http://bit.ly/1OIPKE8
また、モン・スニ通りは、モンマルトルにゆかりの画家ユトリロが描いた通りの中でも有名な通りのひとつです。
モン・スニ通りの22番地には、作曲家の エクトル・ベルリオーズ Hector Berlioz が住んでいたのですが(1834-36)、このベルリオーズの家もユトリロが描いています。
ところで、モン・スニ(スニ山)はアルプス北部の山で、モン・スニ峠は1871年にトンネルができるまでリヨンとトリノとの交通の難所だったそうですが、モンマルトルのモン・スニ通りも急峻だったことから、この通り名がつけられたようです。
画家ユトリロゆかりの、作曲家ベルリオーズゆかりの、聖ドニゆかりの、モン・スニ通り Rue du Mont-Cenis。
モンマルトル散歩の時に、こんな歴史を考えながら歩くのもおもしろいと思います。
モンマルトルに寄られたら、ここでも是非写真撮ってくださいね♪- 旅行時期
- 2014年10月
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秋は黄葉が素敵です、左岸散歩の合間に是非! Jardin du Luxembourg (6区)
投稿日 2015年09月13日
総合評価:5.0
知人が絵を描いているのですが、リュクサンブール公園(庭園) Jardin du Luxembourg の絵を何枚も描いていて、絵を見せてもらうとあちらこちらに素敵な構図がある公園なんだなぁということがよく分かるんです。
そんなこともあって、ここ数年パリを訪問する時には散歩する公園、になっています。
時間帯や天候によって、賑わいも違ってきますが、いつ行っても、思い思いに時間を過ごすパリジャンとともに時を過ごすことができる公園。
秋(10月)に訪問すると、公園の中のあちらこちらで ”黄葉” が美しいです。 ”黄葉” の具合は、リュクサンブール公園の中の場所によって ”黄葉” の早い場所、遅い場所があるようです。
公園(庭園)内には、様々な彫像があり(じっくり見ると)歴史のお勉強にもなりますし、エッフェル塔やパンテオンが望めるスポットもあります。
ところで、ガリア・ローマ時代には、この辺りには野営地と荘園があったそうで、度重なる異民族侵入の後には荒れ地になってしまったそうです。 やがて、廃墟の一つに悪魔が住みついて、この地を恐怖に陥れるようになりました(aller au diable vert)。 13世紀、カルトジオ会修道士たちが、聖王ルイに申出て悪魔払いをしました。 アンリ4世(1553-1610)亡き後、メディチ家出身のマリー・ド・メディシスは、ルーヴル宮がお気に召さず、トスカーナの旧居を偲ばせる新たな宮殿を建てます(公園内にあるリュクサンブール宮殿)。 18世紀、恐怖政治のもとでは、公安刑務所となった監獄(リュクサンブール宮殿)には、ダントン、カミーユ・デムーラン、エベールなど、ロベスピエールによって追放された左右両派の革命政治家たちが収容され、ここから断頭台へと送られました。 また第2次大戦中にはリュクサンブール宮殿はドイツ軍に占領されていました。 こういった歴史に思いを馳せながら歩くのもおもしろいですね。
とにかく、滞在中、青空の1日があれば是非とも訪れてほしい公園(庭園)です、おすすめ♪- 旅行時期
- 2014年10月
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ウール川沿いの散策はおすすめ ! La vieille ville de Chartres
投稿日 2015年09月13日
総合評価:4.5
今回は、「 芸術新潮2006年03月号 」 に載っていたシャルトル旧市街の写真を探そう ! とウール川沿いの散策を楽しみました。
あちこち写真を撮りましたが、雑誌に載っている構図の場所は、やはり撮影ポイントだわぁ~と納得しました^^
ボース台地 la Beauce とウール川 L'eure の谷との接点にあるシャルトル旧市街。 ボースの首都の何百年も続いた生活、交易と職人の町として栄えたシャルトル。
蛮族の侵入後、シャルトルの人びとは、町の城壁の外に住みはじめ、ウール川の川辺まで発展。 その川辺には、 「川の職業」 「河川関係の仕事」 が生まれていったそうです。 特に、粉ひき、染物屋、革仕上げ工、靴屋、縮絨職人、ラシャ屋、サージ屋、皮なめし工、明礬なめし工・・ などが忙しく仕事にはげんでいたそうです。
例えば、ウール川沿いに今も残る 「タヌリ通り Rue de la Tannerie」 の 「タヌリ Tannerie」は、 「なめし革工場」 の意で、かつては職人で賑わっていたのだそうです !
タヌリ通り Rue de la Tannerie (Google Maps)
http://bit.ly/1imPwbM
今回、私がシャルトル旧市街を散策したのは、残念ながら、雨の日だったのですが、雨に濡れた石畳、グレーがかった空気とコロンバージュ(木組み)の家の町並みもきれいでした。 ただ雨の日は足元が滑りやすいので少し注意が必要でした。
シャルトルはツアーに組み込まれて行かれる方も多いようですが、個人で行かれる方なら、是非ウール川沿いの散策を組み込むことをおすすめします♪- 旅行時期
- 2014年10月
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モンマルトルゆかりの画家ユトリロが描いた通りの中でも有名な通りのひとつ Rue Norvins (18区)
投稿日 2015年09月12日
総合評価:4.0
ノルヴァン通り Rue Norvins は、モンマルトルゆかりの画家ユトリロが描いた通りの中でも有名な通りのひとつです。
ノルヴァン通りは、絵描きさんが多いテルトル広場から壁抜け男の像があるマルセル・エイメ広場まで続く通りですが、ユトリロは、 (1)テルトル広場から前方にノルヴァン通りを望む構図、 (2)ノルヴァン通りのレストラン「ル・コンシュラ Le Consulat」とサクレ・クール寺院のドームを望む構図、 (3)ノルヴァン通りのマルセル・エイメ広場あたりから望む構図、 などから絵を描いています。
ユトリロが描いたノルヴァン通りの中で一番有名なのは、おそらく(2)の構図で、このあたりはノルヴァン通りの中でも賑やかなところ♪
印象としては(日中)、(1)~(2)間は賑やかで、(2)~(3)間に行くと少し落ち着いている感じです。
(1)2008年12月撮影 (中央奥の建物の屋根に注目)
(2)2014年10月撮影 (全体的にユトリロ時代と同景)
(3)2014年10月撮影 (右側の建物の形と坂道に注目)
モンマルトル散歩の時に、是非ユトリロと同じ構図で眺めてみてください !- 旅行時期
- 2014年10月
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フィリップ・オーギュストの城壁のライン上にあたる石畳の小路 Cour du Commerce-Saint-Andre (6区)
投稿日 2015年09月11日
総合評価:4.5
クール・デュ・コメルス・サンタンドレ Cour du Commerce-Saint-Andre は、6区サン・ジェルマン地区にある趣ある石畳の小路です。
(1)コメルス・サンタンドレ小路(クール・デュ・コメルス・サンタンドレ)のすぐ西側には、並行して、 アンシエンヌ・コメディ通り Rue de l'Ancienne Comedie という通りがありますが、この 「アンシエンヌ・コメディ通り Rue de l'Ancienne Comedie」 は、昔、 「サン・ジェルマン堀割通り Rue des Fosses-Saint-Germain-des-Pres」 と言いました。
(2)さらに、アンシエンヌ・コメディ通り Rue de l'Ancienne Comedie の北に 「マザリーヌ通り Rue Mazarine」 があり、昔は 「ネール堀割通り Rue des Fosses-de-Nesle」、という通り名でした。
(3)さらに、アンシエンヌ・コメディ通り Rue de l'Ancienne Comedie の南には 「ムッシュー・ル・プランス通り Rue Monsieur le Prince」 があり、昔は 「お堀の上の道 Chemin de Dessus les Fosses」、という通り名でした。
長くなりましたが・・・・・ (1)(2)(3)をまとめますと、すなわち、セーヌ川から現在の「マザリーヌ通り」~「アンシエンヌ・コメディ通り」~「ムッシュー・ル・プランス通り」 と続く道は、フィリップ・オーギュストの城壁の外につくられたお掘の跡の通りで、昔の通り名にはちゃんと ”堀割 フォッセ Fosses” という単語が入っていたわけです !
この堀割通りの内側に位置する石畳の趣ある小路が、 「コメルス・サンタンドレ小路(クール・デュ・コメルス・サンタンドレ)Cour du Commerce-Saint-Andre」 で、ここがちょうどフィリップ・オーギュストの城壁のライン上にあたる場所なのです。
そんなことを考えながら歩くのもなかなか楽しいものです♪
また、クール・デュ・コメルス・サンタンドレには、革命期にはマラ、ダントン、ロベスピエールなどの革命家たちが集まった「カフェ・プロコープ」の裏口があったり、ジョセフ・イニャス・ギヨタン博士が1789年12月の国民議会で熱弁し提案したギロチンをピアノ造り職人トビーア・シュミットが雄羊を使って実験した屋根裏部屋や、革命家マラの「人民の友」誌の印刷所があった・・という歴史ある小路でもあります。
「カフェ・プロコープ」 の他にも飲食店が並ぶ小路、コメルス・サンタンドレ小路(クール・デュ・コメルス・サンタンドレ)や、ここからつづく ロアン小路(クール・ド・ロアン)もなかなか美しく趣ある小路で、撮影散歩にもおすすめの場所です。- 旅行時期
- 2014年10月