ペリグー,アングレーム,カオールなどドーム式ロマネスク教会の修復をしたアバディー建築 Basilique du Sacre Coeur
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- 旅行時期:2014/10(約11年前)
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by wiz さん(非公開)
パリ クチコミ:82件
ロマネスクの教会の中で、天井にドーム(円蓋)をもつ特徴的な教会・・ ペリグーのサン・フロン大聖堂 (Cathedrale Saint-Front de Perigueux) 、アングレームのサン・ピエール大聖堂 (Cathedrale Saint-Pierre d'Angouleme) 、カオールのサン・テティエンヌ大聖堂 (Cathedrale Saint-Etienne de Cahors) ・・ などが有名ですが、これらのドーム式ロマネスク教会の修復をしたのは、ポール・アバディー Paul Abadie という建築家。
モンマルトルの丘にたつ白亜のドーム式教会、サクレ・クールも、建築家ポール・アバディーの考案による建築物なんですって ! (ポール・アバディは、1845- パリのノートルダム大聖堂の修復をしたヴィオレ・ル・デュクの協力者としても知られるらしい。)
アバディーはペリグーのサン・フロン大聖堂の形式にヒントを得て、(サクレ・クールの)量感溢れる大建築の構想をたてたとされますが、結局、サクレ・クールの完成は、彼の死後となったそうです。
ロマネスクの教会を少し知っている方なら、 「そう言われてみれば、なるほどね~!」 、と、この繋がりに頷けるのではないでしょうか !
モンマルトルは、長い間、パリから独立した村でしたが、1860年、オスマンの命により、徴税請負人の壁とティエールの城壁の間にあった近郊の村がパリ市に組み込まれて(それまではパリ市域は12区から成っていたのが)20区となりました。 モンマルトルの丘もこれによりパリ市の一部となりました。
1870年、普仏戦争の敗北後、カトリック教徒たちは、教会ならびにフランスの未来に対する信頼のしるしとして、 『 サクレ・クール(キリストの聖心) 』 に捧げる教会堂をモンマルトルの丘の上に建てることを発願。 1873年、国民議会は 「公益に役に立つ建物」 「公共建造物」 として建立することを議決。 1876年に工事がはじまり、1919年に完成。 ロマネスク・ビザンチン様式。
しかし、モンマルトルの古くからの住民は、サクレ・クールを自分たちの村への異質の分子の侵入のように感じ、当初、芸術家たちは、美的な見地から、パリの空にそびえたつ白亜の壮大な建築物(サクレ・クール)の出現については批判的だったそうです。
サクレ・クールを含むモンマルトルの風景を描いた画家として、モーリス・ユトリロは有名ですが、彼は、1883年生まれ(-1955)。 サクレ・クールは、ユトリロの人生とともに建設がすすみ、(ユトリロ時代には)まだパリの新しい建築物でした。 ユトリロの描いたサクレ・クールを見る時、そんなことも考えながら見るのもおもしろいですね。
建物正面の 中央 には、サクレ・クール(キリストの心臓=聖なる心)像、左に 聖王ルイ騎馬像、右に 聖ジャンヌ・ダルク騎馬像が建っています。 ジャンヌ・ダルクは、サクレ・クール建築中に列聖されました(1909年)。
建築家・修復家 ポール・アバディー(1812-84)
https://fr.wikipedia.org/wiki/Paul_Abadie
La Basilique du Sacre Coeur de Montmartre
35 Rue du Chevalier de la Barre, 75018 Paris
http://www.sacre-coeur-montmartre.com/
- 施設の満足度
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4.5
クチコミ投稿日:2015/09/20
いいね!:4票
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