2026/10/22 - 2026/10/22
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Bachさん
今月の月一京町散歩は、「鞍馬街道と鞍馬の火祭」の後半、「由岐神社と鞍馬の火祭」本番です。
これまでの鞍馬のイメージは、牛若丸が天狗と修行したという山奥を抜けて、貴船の納涼川床(かわどこ)で流しそうめんを食べるという程度でしたが、今回念願の「鞍馬の火祭」を見るにあたり、「鞍馬寺」をじっくり歩くと、牛若丸よりはるか昔の奈良時代の創建で、平安時代には平安京の北方鎮護として「由岐神社」を遷座し、以降鎌倉、室町、江戸時代まで武士たちの篤い信仰を集めた歴史深いお寺で、実は大人気の「鞍馬の火祭」は「由岐神社」の例祭だというのも初めて知り、祭り前にじっくり見てからの本番だったので、大変有意義なお祭り見物になりました。
また、今までなかなか見れなかったのは、夕方から夜中まで続くので全部見るのには泊まるしかないということもありましたが、これまで閉鎖されていた「くらま温泉」が有志の努力で一昨年から復活して、お陰で温泉まで入れるというラッキーなめぐり合わせもあり、感謝感激しかありません。
夕方6時から夜中12時過ぎまで混雑の中を歩きまわる長丁場で、体力もいる一大イベントですが、「見ると聞くとでは大違い!」な大迫力のお祭りですので、まだ見てない方には、絶対お勧めの「鞍馬の火祭」です。
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(前半)(10月3日)10:00 出雲路橋鞍馬口~深泥池~12:50二軒茶屋駅~13:10 鞍馬駅~大天狗~鞍馬寺~(後半)13:30鞍馬寺入山~(山内周遊2.0km)仁王門~由岐神社~本殿金堂~与謝野晶子歌碑~多宝塔~ケーブル~仁王門~15:00鞍馬街道~1.0km15:30 鞍馬駅~16:00出町柳駅~(10月22日)「鞍馬の火祭」本番
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13:30 「鞍馬寺」入山
(駒札)奈良、唐招提寺の開山鑑真和上の高弟、鑑禎(がんちょう)上人が、宝亀元年(770)、鞍を負った白馬の導きで当山に至り、毘沙門天を感得して草庵を結んだのが始まりである。延暦15年(796)には、藤原伊勢人(いせんど)が王城鎮護の道場として伽藍を造営し、爾来、衆庶の信仰を集めてきた。現在は鞍馬弘教(くらまこうきょう)の総本山であり、宇宙の大霊・尊天を本尊とする信仰の浄域である。山の精霊である天狗が住む山としても有名で、貴船へと続く参道には、豊かな大自然の中に、牛若丸(源義経)ゆかりの「息次ぎの水」や「背比べ石」、枕草子に記された「九十九折」(つづらおり)などの名勝古跡が散在し、多くの文学作品にも登場する。「初寅大祭」(はつとらたいさい)や「竹伐会式」(たけきりえしき)など由緒ある年中行事も多く、春の花に始まり、夏は全山緑に包まれ、秋は紅葉の彩り、冬は雪景色と四季折々の風情ある佇(たたず)まいは、訪れる人々の心に安らぎを与えている。 -
「観音 ・還浄水」(げんじょうすい)
観音さまが持つ蓮の葉(蓮華)から流れ落ちる水で、手や口を清めてから山内へ進む -
「童形六体地蔵尊」(どうぎょうろくたいじぞうそん)
「六道」(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)」を巡って人々を救済する地蔵菩薩を、幼児の可愛らしい表情や仕草で表し、参拝者を温かく迎える -
青もみじも美しいが、紅葉ももうすぐ
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「普明殿」(ふみょうでん)
鞍馬寺の本尊の一つ「毘沙門天像」が祀られ、参拝者を迎える道場であるが、本堂へ上がるケーブルの駅にもなっている *鞍馬寺の本尊は、宇宙生命・宇宙エネルギーを象徴する毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊が三身一体となった「尊天」(そんてん) -
「放生池」(ほうじょういけ)
毎年秋に、魚や亀などの生き物の生命を慈しむ「放生会」(ほうじょうえ)が営まれる -
「吉鞍稲荷社」(よしくらいなりしゃ)
五穀豊穣、産業守護の吉鞍稲荷大明神が祀られている -
「魔王の滝」と「鬼一法眼社」
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「魔王の滝」(まほうのたき)
滝上には、鞍馬寺の本尊の一つ「護法魔王尊」が祀られている -
「鬼一法眼社」 (きいちほうげんしゃ)
鎌倉初期の陰陽師で、兵法の大家「鬼一法眼」が祀られており、源義経は、鬼一法眼に兵法書を伝授され、平家打倒の兵法を練ったといわれる、しかし、秘伝の「虎の巻」は断られたため、その兵法書を盗み写ししたといわれる -
今回の目的「由岐神社」(ゆきじんじゃ)に到着
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「由岐神社」(駒札)
大己貴命(おおなむちのみこと)と少名彦命(すくなひこのみこと)を祀る。 天変地異が続く都を鎮めるため、天慶3年(940)、御所内に祀られていた祭神をこの地に勧請したのが当社の始めとされ、天皇の御病気や世上騒擾(そうじょう)のとき、社前に靭(ゆき:矢を入れる器具)を奉納して平安を祈ったため靭社の名がつき、後に現在の社名となったとも伝えられている。重要文化財の拝殿は、慶長12年(1607)、豊臣秀頼によって再建されたもので、中央に通路(石階段)をとって二室に分けた割拝殿(わりはいでん)という珍しい桃山建築で、前方は鞍馬山の斜面に沿って建てられた舞台造(懸造)となっている。このほか、本殿脇の石造の狛犬一対も重要文化財に指定されている。京都三大奇祭の一つとして有名な「鞍馬の火祭」は当社の例祭で、毎年10月22日夜に行われる。祭神勧請の際、篝火(かがりび)を焚いてお迎えしたという故事にちなんで、氏子らが大小様々の松明(たいまつ)をかついで鞍馬街道から参詣するため、一面火の海となって壮観を極める。 -
由岐神社「手水舎」と「鳥居」
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由岐神社「鳥居」と「拝殿」
「由岐神社」は、平安時代の940年、朱雀天皇の勅命により、御所に祀られていた「由岐大明神」を現在地に遷し、鎌倉時代には衰微したが、後に豊臣秀吉が篤く信仰し、江戸時の1607年、豊臣秀頼(1593-1615)により本殿と拝殿が再建された、その後、旧本殿は失われている -
由岐神社「拝殿」
「拝殿」は、中央に通路があり、左右2つに分かれた「割拝殿」(わりはいでん)という数少ないもので、もともとは中門や回廊が変形したものと考えられ、建物をくぐって本殿へ向かうため、社殿と参道が一体となった独特の開放感があり、山門のような役割も果たす -
「懸造(かけづくり)の割拝殿」
清水寺の舞台と同じ「懸造り」(舞台造り)で、その舞台の中央を階段通路がふたつに分けている「割拝殿」という、珍しい「拝殿」で、しかも一般的な割拝殿は左右対称になっているが、ここは左右の大きさが異なる中に階段があり、まず他にはない貴重なもの -
「割拝殿」は、全国的にも珍しく、京都では、伏見の御香宮神社(1625年)と藤森神社(1712年)、大山崎町の小倉神社(718年)に見られる
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「拝殿」は、桃山時代の代表的な建築物として国の重要文化財に指定されている
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「拝殿」の先の石段の上に、杉の大木に囲まれた「本殿」がある
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境内の石段の参道を進むと、両脇に末社が建ち並び、それぞれの御利益があるので、全てお参りすれば大概の願いでも叶いそう
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末社「岩上社」(いわがみしゃ)
御祭神は、「事代主命」(ことしろぬしのみこと:父神・大国主命に代わって国譲りの誓約をした神)と、「大山祇命」(おおやまつみのみこと:伊邪那岐と伊邪那美の子で、山の総元締といえる自然神)で、山岳登山安全のご利益がある -
末社「冠者社」(かんじゃしゃ)
御祭神は、「素戔嗚尊」(すさのおのみこと:伊邪那岐と伊邪那美の子で、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した英雄神)で、誓文(せいもん)払いの神として、商売上の嘘や駆け引きの罪を免れ、商売繁盛・家運隆昌のご利益がある -
末社「白長弁財天社」(しらながべんざいてんしゃ)
御祭神は、「弁財天」(音楽・財福・知恵を司る女神)で、商売繁盛・健康長寿のご利益がある -
末社「大杉社」(願掛け杉)
大杉の根元に鎮座し、御神木「大杉」を祀り、夢・願い成就、金運・財運、勝負運の御利益がある -
「大杉」は、樹齢800年、樹高53mで、京都天然記念物
「大杉さん」と親しまれ、古くより一心に願えば、願いが叶うとされる -
由岐神社「本殿」
かっては鞍馬寺の鎮守社で北方鎮護とされていたが、明治の神仏分離令で独立し、2023年に改修されたばかりなので、まだ目新しい、御祭神は、御所から遷された「大己貴命」(おおなむちのみこと:大国主命)、「少彦名命(すくなひこなのみこと)と、1814年に相殿に合祀された地主神の「八所明神」(はっしょみょうじん)で、安産や子授かり、火難除けなどにご利益があるとされる、また本殿の中には、全国でも珍しい「子どもを抱いた狛犬」(重文)がいることからも、子授け安産の神様として信仰されており、以前は社殿の外にいたが、現在は中に移動している -
「鞍馬の火祭」は由岐神社の例祭
平安時代の940年に「由岐大明神」を御所から現在地に勧請された時に、村人が無数の松明を持って出迎えたということに由来し、毎年10月22日の「由岐神社の例祭」となっており、1983年京都市の無形民俗文化財に登録された -
末社「三宝荒神社」(さんぼうこうじんしゃ)
御祭神の「三宝荒神」は、不浄や災難を焼き払うとされる日本独自の神仏習合の神様で、主に「火の神」「かまど(台所)の神」として信仰される、火難除け、災難除けの神様 -
「由岐神社」本殿の横から、鞍馬寺の参道に出る
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「川上地蔵堂」
牛若丸(源義経公)の守り本尊である地蔵尊が祀られており、牛若丸はこの地蔵堂に参拝してから修行に出かけたといわれる -
「義経公供養塔」
牛若丸が預けられた東光坊阿闍梨(とうこうぼうあじゃり)の僧坊跡で、牛若丸はここで、昼は学問、夜は武芸に励んでいた、義経公を偲んで昭和15年に供養塔が建てられた -
「愛と光と力の像・いのち」
鞍馬山の本尊の尊天(千手観音、毘沙門天、護法魔王尊)の3つの働き「愛と光と力」を視覚化したもので、尊天のお働きに触れ、内なる「いのち」の輝きに気づくように、という願いが込められているという -
「双福苑」(そうふくえん)
左側小堂の「玉杉大黒天」(たますぎだいこくてん)と、右側小堂の「玉杉恵比寿尊」(たますぎえひすそん)を朱色の橋の「双福橋」(そうふくばし)が結び、背後にご神木の巨大な玉杉がある -
「信樂香雲(しがらきこううん)歌碑」
「つづらをり まがれるごとに水をおく やまのきよさを 汲みてしるべく」 「信樂香雲」は、大正8年(1919)鞍馬寺に就任し荒廃していた寺の再建に努め、昭和22年(1947)天台宗から独立して、鞍馬寺を総本山とする鞍馬弘教(くらまこうきょう)を興し、初代管長を務めた、歌人「与謝野晶子」の直弟子でもある -
「中門」
元々、仁王門の横にあった勅使門(四脚門)が、この場所に移築されたもの、仁王門から600m(標高250m)、由岐神社から330m(標高300m) -
ここからは、奇麗に整備された石段が続く
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「貞明皇后(ていめいこうごう)行啓御休息所蹟」
大正13年(1924)、鞍馬寺に行啓(ぎょうけい)された「貞明皇后」(大正天皇の皇后)さまが、九十九参道を徒歩でお登りになる途中、しばらくお安みになった所(皇后さま当時40歳)、仁王門から600m(標高250m)で、これから金堂まではまだ400m(標高410m) -
上りの石段が続く
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「福寿星神」(ふくじゅせいじん)
(七福神)福禄寿・寿老人 -
「閃緑岩(せんりょくがん)と石英閃緑岩」
ここから本殿までの石段は、主として石英閃緑岩(鞍馬石・黄褐色)と、閃緑岩(青黒色)で出来ている *「鞍馬石」は、石英閃緑岩を主体とした深成岩で、多量に含まれる磁硫鉄鉱(じりゅうてっこう)が空気に触れ酸化して特徴的な深みのある黄褐色や暗赤褐色の錆色(さびいろ)になる、「閃緑岩」は、火山岩の安山岩に対し、地下深くでゆっくり固まった火山岩で、輝石、角閃石などの有色鉱物を多く含み、ほとんどの閃緑岩は石英を含む -
ケーブル駅からの参道との合流地点から本殿への石階段
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鞍馬石の石垣
高さ6mのこの石垣は、花背峠近辺や百井の別れ(ももいのわかれ:大原と鞍馬の間の急勾配、急カーブの酷道として有名)に近い山中から産出する、約1億年前に地下の深所で丹波帯の堆積岩中にマグマが貫入してできた -
「巽の弁財天社」(たつみのべんざいてんしゃ)
学芸・財宝を司る福神、弁財天を祀る -
途中の見晴し休憩所から比叡山方面
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金堂まで、あと少しの最後の石段
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「転法輪堂」(てんぽうりんどう)手水鉢
風雨にさらされて角が取れて丸みを帯びた独特の黄褐色の「石英閃緑岩」(せきえいせんりょくがん)で、「龍」の吐水口が目を惹く -
「転法輪堂・洗心亭」(せんしんてい)1969年建立
「転法輪堂」は、平安時代に重怡(じゅうい)上人が六万遍の弥陀宝号を書いて法輪に納めたことに由来し、先祖に感謝を捧げる道場で、1階の洗心亭は無料休憩所になっている -
「寝殿」1924年建立
大正天皇皇后「貞明皇后」行啓の際、休息所として建造された、通常は非公開で8月の如法写経会の道場となる -
標高580mの鞍馬山中腹の、標高410mに建つ「本堂」に到着
左に下部だけ見える本堂前の燈籠は、高さ2.3mの「青銅毘沙門天飾燈籠」(重文)で、円筒形の火袋は、鎌倉中期の1258年に、毘沙門天、吉祥天、善賦師童子などを陽刻しており、台座には12支の彫刻がある -
「翔雲臺」(しょううんだい)
平安京の擁護・授福のために本尊(または毘沙門天)が降臨したと伝わる地で、中央に置かれている板石は、本殿金堂の後方より出土した、平安時代から伝わる経典などが入った経塚(きょうづか)の蓋石とされる -
ここからの比叡山の眺望は素晴らしい
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ここから、平安京を擁護し、その安穏をお祈りした
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「本殿金堂」1945年に焼失し、1971年に再建
宇宙の大霊の「三本尊」(尊天)、千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊を祀り、御本尊は60年毎の丙寅の年に御開帳される -
「金剛床」(こんごうしょう)
本殿金堂前の金剛床は、宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模し、宇宙の力を内奥におさめた人間が、宇宙そのものである尊天と一体化する、パワースポットとして人気が高い -
「阿吽の虎」(あうんのとら)
「仁王門」前にも鎮座していた「阿吽の虎」は、本尊「毘沙門天」のお使いの神獣とされ、毘沙門天の出現が、寅の月、寅の日、寅の刻とされていることによる -
「阿吽の虎」は、向かって右が口を開けた「阿形」(あぎょう)、左が口を閉じた「吽形」(うんぎょう)で、五十音が「あ」から始まり、「ん」で終わることから「阿吽」は、万物の始まりから終わりを表し、宇宙の全てを包含すると言われる
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鞍馬寺「虎石」(とらいし)
(説明板)この虎石は近くの山で山王様が発見され、ご寄贈頂きました。台石は、地元の石材店様が虎石のために誂えてくださった鞍馬石です。「虎は千里を行って千里を帰る」というように、活力にあふれていることを表します、また、母親の子どもを想う慈愛を表すとも言われています。毘沙門天の神獣である虎の姿に似た虎石から毘沙門天の智慧の光、千手観世音菩薩様の慈愛、護法魔王尊の活力を授かって、明るく・優しく・強く 毎日をお過ごしください。 -
「光明心殿」(こうみょうしんでん)
護法魔王尊が祀られ、この前で初寅大祭等の護摩供養が行われる *護法魔王尊は、人類救済の使命を帯びて金星から鞍馬山に天降り、護法魔王尊が発しつづける波動を感じて鑑禎上人や修行僧たちが鞍馬山を目指したとされる -
「本坊・金剛寿命院」
「奥の院参道」入り口にあり、寺務所や鞍馬弘教宗務本庁が置かれている -
この燈籠は、本堂前の「銅燈籠」とは違い、新しいが、牛若丸らしき姿と、12支の彫刻が見える
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本坊の前庭「瑞風庭」は、奥の院に護法魔王尊が降臨する様子を表現し、参道入口前の白砂盛は魔王尊の乗る天車を表し、こちらの組井筒と大刈込は鞍馬山、石組みは魔王尊を表すという *灰色の石は「石灰岩」で、鞍馬山の大部分は、2億数千万年前の海底にサンゴや紡錘虫など生物の遺体が堆積して出来た「石灰岩」と「緑色岩」で成り立っている
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「奥の院参道」に入る、霊宝殿まで100m、奥の院まで500m、貴船までは800m
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「奥の院遥拝所」(おくのいんようはいじょ)
「奥の院」は、護法魔王尊が降臨したとされるパワースポットだが、一度行ったことがあるので、今回はここから遥拝し、途中の入り口まで進む -
途中にある「鐘楼」は、寛文十年(1670)の銘があり、四代将軍徳川家綱の時代の鐘
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「與謝野晶子・寛歌碑」
「何となく君にまたるるここちして いでし花野の夕月夜かな」晶子(みだれ髪に収録)、「遮那王(牛若丸)が背比べ 石を山に見て わがこころなほ明日を待つかな」鉄幹 *与謝野晶子(1878-1942)は、大阪堺生れ、1900年与謝野鉄幹(1873-1935京都生れ、本名寛)と出会い、山川登美子とともに永観堂を訪れ、鉄幹が創立した「明星」に短歌を発表、1901年東京に移り、「みだれ髪」を刊行し、離婚した鉄幹と結婚し六男六女を出産、1912年鉄幹を追いパリへ、1935年鉄幹が亡くなり、1940年鞍馬山で鉄幹の法要に出席した後、脳出血で1942年荻窪の自宅で死去(満63歳没)、鞍馬寺初代管長「信楽香雲」は晶子の短歌の弟子だったことからこの地を度々訪れた -
「冬柏亭」(とうはくてい)
「冬柏」は、1930年に復刊された機関誌「冬柏」に因み、1930年に晶子50歳の祝いに弟子たちにより建てられ、晶子の死後、1976年に同門である先代管長信楽香雲とのご縁で鞍馬山に移築された -
ここからは、牛若丸が天狗に剣術を習ったという僧正ガ谷を経て魔王殿に至る「奥の院参道」が始まる、奥の院まで400m、貴船まで700m
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「霊宝殿」(鞍馬山博物館)1972年開館
1階は自然科学博物苑展示室、2階は寺宝展観室と與謝野寛・晶子の記念室、3階は仏像奉安室 -
鞍馬山は、大自然の宝庫で、植物、鳥獣、昆虫、貝類、キノコ類、岩石などが、大切に守られており、鞍馬山からは、虫一匹、石ころ一つ、持ち帰ってはならない
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「奥の院参道」には入らず引き返して、帰りはケーブルで下山することにし、ケーブル参道を進むと、途中に「弥勒堂」(みろくどう)があり、右足を左ももに乗せ、右手指を頬に当てて物思いにふける「半跏思惟像」(はんかしいぞう)の姿をした「弥勒菩薩」に、来世の成仏を祈る
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九十九折(つづらおり)参道との分岐点から300mほど歩くと、「多宝塔」が見えてくる
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鞍馬寺「多宝塔」(たほうとう)
舎利宝塔と尊天三尊像を泰安し、もともと本殿の東隣にあったが、江戸時代の1814年に焼失し、昭和35年(1960)、鞍馬山開創1200年記念事業の一環として、この地に再建された -
「鞍馬山ケーブル」山上駅(多宝塔駅)
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「鞍馬山ケーブル」(鞍馬山鋼索鉄道)は、1957年に開業し、日本で唯一の宗教法人が運営する鉄道
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乗客定員は、31人で、距離207m、高低差90mを、約2分で運行し、日本で最も短いケーブルカー
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乗務員や出札係員は「作務衣」を着用し、200円の乗車券は「御寄進票」という
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ケーブル普明殿(山門駅)に到着し、鞍馬寺山門を退出
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(10/3)15:00 火祭前の鞍馬街道(鞍馬寺の門前町)
「鞍馬寺」の集落は、平安時代から門前町として栄え、江戸時代には若狭や丹波と京を結ぶ交通・物流の要衝で、鯖街道の一部でもあったが、鞍馬駅から鞍馬寺山門前の土産物店などで賑わう「中在地」と、南側に鞍馬石を扱う店が今も残る長閑な雰囲気の「下在地」、北側に伝統的な町並みが続く「上在地」「岩中町」に分かれ、北端に「くらま温泉」がある -
鞍馬街道沿いの門前町は、鞍馬川からの水を集落に引いて、各家の前には、洗い場が設けられ、野菜の下洗いなどに利用されたり、鞍馬の火祭では、みそぎの水にも用いられる
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折しも、「鞍馬の火祭」の松明の準備に取り掛かっているところに遭遇
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山門前の店頭には松明のミニチュアが飾られ、祭りを待っている
(この後、15:30 鞍馬駅~16:00出町柳駅に到着し帰宅、ここで10/3の鞍馬街道が終了) -
(ここから、10/22「鞍馬の火祭」本番のスタート)
「鞍馬駅」から鞍馬街道北端の「くらま温泉」を目指す -
(10/22)17:30 「くらま温泉」到着
「鞍馬の火祭」は、平安時代に御所から「由岐神社」に神様を迎えた際の松明行列を再現した伝統行事で、時代祭と同じ10月22日に行われるが、「時代祭」は、桓武天皇が794年10月22日に長岡京から平安京へ入ったことを記念して、平安遷都1100年記念の1895年に始まり、一方「鞍馬の火祭」は、当初、由岐明神の遷座が行われた940年9月9日を記念して行われ、(時代祭が始まるよりも22年前の)1873年から、旧暦を新暦に変えて10月22日に行われるようになったもので、全くの偶然らしい -
「鞍馬の火祭」は、おおむね今の形となった江戸時代から、鞍馬の里人たちによって守り伝えられてきて、戦後は一時中断されたが1963年に復活し、コロナ期の中止はあったが今も継続して開催されている
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「くらま温泉」は、明治末期頃に発見されてから、温泉旅館や保養所などとして利用され、鉄分を多く含む単純硫黄泉の秘湯として親しまれたが、近年のコロナ禍や集中豪雨などで一時閉鎖され、最近2023年に「くらま温泉」を愛する有志が立ち上がり、クラウドファンディング等で資金を募り大規模改修の末、2024年11月に営業再開を果たした、という非常に有難い温泉
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17:40 まずは食事
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名物「くらま鍋」(山椒鍋)
花山椒たっぷりの和出汁に佐賀牛の御鍋、イノシシ肉を期待したが何故か牛肉 -
18:20 食後、露天風呂へ(露天風呂は21:00まで、内風呂は24:00まで)
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山里に囲まれた露天風呂は最高!
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露天風呂から上がると、広場には「大かがり火」が点火されている
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18:40 ほどなく、祭の開始を告げる「神事触れ」(じんじぶれ)の若者がやってきた
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鞍馬の火祭は、18時に鞍馬寺の山門前で行う「神事触れ」で始まり、1名は北端の「くらま温泉」まで、もう1名は南端へ、「神事にまいらっしゃーれ」と大声をあげながら触れ歩く
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「神事触れ」の若者は、持っていた松明の火を、「大かがり火」に転火
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かがり火はさらに大きく燃え上がり、若者の「神事触れ」という大役が終わる
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「月夜にかがり火」の幕開けは素晴らしい!
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観賞ルートは、会場も道も狭いので、集落の北から南へ時計回りに一方通行になる(一方通行区間は一周で2kmほど)
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18:50 火祭りを追って、くらま温泉をスタート
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「鞍馬の火祭」は、江戸時代から続く「仲間」と呼ばれる七つの住民組織があり、世襲制で決められた役割が代々受け継がれて運営され、それぞれの家では、軒下に幕を張り、剣鉾を立て、飾り幕や御供の箱などを飾り、一般の家でも屏風や生け花など飾る
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「神事触れ」の合図とともに、街道沿いの各家で準備された篝(えじ)と呼ばれるかがり火に一斉に点火され、いよいよ本格的な火祭りが始まる
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既に午後6時過ぎから点火された松明の炎が盛んになり、「サイレヤ、サイリョウ」と唱えながら、松明を担ぎ上げて練り歩いている
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祭で終始叫ばれている「サイレイヤ、サイリョウ」の意味は、「祭礼や、最良」とか「さあ入れや、さあ入れよ」という掛け声らしい
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「松明」は最初、子どもたちが小さな松明を担ぎ、段々と大きな松明になり、次第にお祭りの主役となる若者たちも加わっていく、一番小さな松明は「とっくり松明」と呼ばれ、約10kg、小学生になると「小松明」30kgになり、「中松明」は60kg、最も大きな「大松明」は120kgで、男の甲斐性で担ぐので「甲斐性松明」と呼ばれ、昔はこれを一人で担いでいたが、今は3人がかりで担ぐので「根性松明」と呼ばれる
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19時を過ぎると、集落の南側の宿(会所)から中、上の宿へ、松明を持った使いが送られ「本日はジンジ(神事)、まことにおめでとうございます」と行列出発の合図を伝える「遣いの松」(つかいのまつ)が行われる
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鞍馬の里の「仲間」と呼ばれる七つの各町内では、それぞれ「精進竹立て」(しょうじんだけたて)や火改め(ひあらため)を行い、小松明から大松明に点火して、篝火、大松明の行列で街道を練りながら鞍馬寺山門に向かう
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七つの「仲間」では、それぞれその年の「宿(当番の家)」が選ばれ、魔除けの幕やしめ縄、家宝の鎧兜や屏風、神具、仲間の象徴「剣鉾」などが飾られ、男たちや大松明はまずこの「宿」に集まり、ここから出発する
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宿を出た行列どうしが街道で出会うと、組頭が向き合い、「サイレイヤ、サイリョウ」と声をかけ合いながら挨拶を交わし、このたびに行列は合流し、やがて山門前に七仲間がそろう
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祭の拠点となる「仲間」の宿では、祇園祭の「屏風祭」と同じような「宿飾り」(やどかざり)が行われ、その家や仲間に伝わる伝統的な屏風や鎧兜、祭壇、家宝などが飾られ、仲間をもてなすご馳走を用意し接待する
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外国人観光客も興味津々
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若者の衣装にも注目で、力士のような締め込みと下がりに向こう鉢巻、武者草鞋という「しめこみ姿」で、背中には厄除けの南天の枝を挿し(難を転ずるに通じる)、年配の男性は着物の裾をからげた「尻からげ姿」、行列を率いる組頭は裃姿(かみしもすがた)で松明を持つ
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鞍馬の火祭りで燃やされる松明は、大小合わせて300本にのぼり、近隣の山林から調達されたツツジなどの柴を乾燥させてから、各家々に分配され、藤のつるや根で束ねられ、松明が作られる
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中松明から大松明に点火するところに遭遇
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「鞍馬の火祭」の主役は、松明だけではなく、一番は「神輿」で、二番は「剣鉾」(けんほこ)で、これが発展したのが祇園祭の山鉾だと言われ、祇園祭と同様、神輿に先立って道を清める役割を担い、それぞれの「仲間」の軒先に飾られてから巡行する
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19:40 途中から山門の方に真っ直ぐには行けず、一方通行になった鞍馬川沿いの迂回路を進む
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8時過ぎに始まる「御旅所の注連縄切り」を目指すが、「御旅所」への出口をストップされて、全く動かず大渋滞、周りは外国人ばかりに囲まれて、まるで海外旅行している気分
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20:10 やっと迂回路を抜けて、御旅所近くの街道に辿り着く
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20:15 「御旅所」では、既に大きな松明が次々に並べられ、「サイレイヤ、サイリョウ」の掛け声に、太鼓や鐘の音、舞い上がる火の粉と観客の歓声も混じって、凄い熱気で盛り上がっている
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ここでも大混雑で、「御旅所での注連縄切り」の様子は見えないが、予定では20:10から御旅所鳥居と、神輿が置かれる舞台の注連縄が切られ、神輿を迎える儀式が行われる
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「御旅所での注連縄切り」は、神輿が集落中を練り歩いて最後に御旅所に安置するために、神域との結界である注連縄を切る神事で、重さ100kgもある大きな松明が集結し、高く掲げられる光景は壮観!
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「剣鉾」は、棹の先に剣と装飾をつけ、光る剣で邪気を払う伝統的な祭具で、由岐神社の剣鉾として代々七仲間に世襲され、松明や神輿とともに巡行する
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「剣鉾」は、ほとんど1人で持つのが多いが、鞍馬では「四本剣鉾」という特別の剣鉾があり、中心の竿に補助となる竿が3本あるので、4人で息を合わせて持たないと倒れてしまう
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「注連縄切り」が終わると、松明は御旅所を出て山門下へと向かう
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「御旅所」では、祭の最後に神輿が還ってくるのを待つ
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松明や剣鉾は山門前へ移動するが、観客は一方通行ルートで、叡電の鞍馬駅横を経由する
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現在8時半だが、すでに帰路につく人たちで大行列ができていて、なかなか進まないが、鞍馬の火祭のクライマックスはこれから
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20:45 やっと、山門前に到着
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松明は続々と山門前に集まる
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既に、山門前石段には、重さ100kgを超える甲斐性松(かいしょまつ)も含め、大小250本の松明が集結し石段に立てられ、辺りは炎に包まれて、まるで映画の1シーンの様
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21:00 観客で溢れかえり、見るのは大変だが、ギリギリ山門前の石段が見える所までたどり着くが、既に始まっていると思われる儀式までは見えない
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(様子が分からないので、過去の映像から拝借)
山門前「しめ縄伐りの儀」:石段に立てられた大松明がすべて燃やされ、太鼓の合図に合わせて、神様が通る道を切り開くため、大注連縄が断ち切られる -
神輿を担ぐ青年たちと七仲間の組頭、氏子たちが石段を上り、「八所大明神」と「由岐大明神」の2基の神輿が下りてくる *「神輿」は、祭りの開始前に、由岐神社本殿から神様を移す「奉遷の儀」が行われ、山門前へ車で降ろされ安置されている
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「チョッペンの儀」:山門の石段を神輿が下りる時に、2人の青年が神輿の担い房につかまり、大の字に広げた脚が高く持ち上げられる、これは鞍馬での成人儀礼の名残とされる
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21:30 続いて、由岐神社の主祭神「由岐大明神」の神輿が下りてきて、同じように「チョッペンの儀」が行われる
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22:10 二基の神輿が石段下へと下り、いったん安置されて再び動き出す、背後にあるのは「神楽松明」という、茶筅(ちゃせん)のような美しく整った形をした特別な大松明で、神輿が御旅所に還るときに御旅所の鳥居前に並べられ、神事の後、神楽が奏され境内を巡行し、神楽松明が燃え尽きた頃、火祭りが締めくくられる
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いよいよ山門から氏子町内を練り歩く「神輿渡御」(みこしとぎょ)がスタート、神輿の後方に鎧武者が乗っているのは珍しい
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「神輿渡御」は、神々を迎えるための「火の祭」から、神様が町へ繰り出す「神輿の祭」へ切り替える儀式で、鞍馬の里を北から南まで巡行する(祇園祭の山鉾巡行のようなもの)
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22:20 山門から、ずっと後をついて行って、「くらま温泉」に到着
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「くらま温泉」の駐車場に入った神輿は、休むことなくしばらく場内を周る
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屋根の上の飾りが、「由岐明神」は「鳳凰」、「八所明神」は円い葱華(ネギ坊主)
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水分補給などのためにしばし休憩タイム
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鎧武者は、休むことなく、ずっとポーズをとって観客サービス?
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20分間の休憩で、神輿は再び南下し、山門と御旅所を通過して鞍馬の里の南端へ向かい、折り返して「御旅所」に入り、神事が行われて終了となる *御旅所に安置された神輿は、翌日由岐神社に戻る、これを「還幸祭」と呼び、神輿が由岐神社から出て氏子地域を巡り御旅所へ入るまでを「神幸祭」と呼ぶ
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22:40 鞍馬温泉を退出
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祭りは24時過ぎまで続くので、交通規制が解かれる25:00まで待ってからでないと帰れない
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22:50 火祭りを追って、18:50 に「くらま温泉」をスタートしてから4時間、歩きっ放しで、お疲れさんの夜食が美味い!
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25:00 たっぷり時間があるので、ゆっくり温泉に入って疲れを癒し、それでも時間を持て余したが、やっと待っていたタクシーに乗り、帰宅、到着は27:00、夜中の3時
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