2025/02/21 - 2025/02/21
1428位(同エリア4353件中)
Bachさん
今月は平安京以後、秀吉の1590年洛中改造「天正の地割」で出来た「衣棚通」を歩きます。この面白い名前は、三条辺りに袈裟法衣を商う店が多く集まって棚売りをしていたことに由来すると言われますが、現在は住宅や商店、駐車場、呉服店などが混在し、隣の「室町通」に比べると寂しいものの、その名残は十分に残っています。
全体的に特に注目するような史蹟はありませんが、京都の整然とした碁盤の目とはまた違う、長い歴史の間に変化のあっただろうと思われる狭いジグザグした道を歩いていると、古い建物や町名や通り名に全て歴史が詰まっていて、歩いた時点では分からないものでも後で調べてみると、意外な発見があったりして、これも散歩ならではの楽しみです。
その中でも面白いのは、最後に現れる六角通から三条通への近道になるために自分の敷地を解放したという「了頓図子」や、最近の話で、明治の琵琶湖疎水を常識に逆らって北上させ、そこから引き込んだ水を、紫明通から堀川までつなぎ、その通りに憩いとやすらぎの「せせらぎ公園」を作り、同時に防火用水や生活用水にも活用する「疎水分線」を造ったという事例を見ると、昔も今も京都人は捨てたもんじゃないなと感心します。
今回は「衣棚通」の約10kmの内、紫明通からの7kmを歩きましたが、今回も歴史ある建物や施設を上手に活用したり、リノベーションしている事例を見る一方で、空き家や空き地になっているのも散見すると、なんとか「ちおん舎」(温故知新の知と温)のように「古きをたずねて、新しきを生む」ようになって欲しいという思いで、築100年の町家で坪庭を眺めながら、京都らしい斬新な「檸檬ラーメン」を食べて、帰路につきました。
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「衣棚通」は、秀吉の1590年洛中改造・天正の地割で室町通と新町通の間に出来た小路で、当初「下長者町通」から「三条通」までだったが、次第に北上、南下を続けて、現在は「加茂街道・大門北通」から「六角通」までの通りで、途中「紫明通」から「鞍馬口通」と「一条通」から「下長者町通」の間は中断しており、鞍馬口通から一条通まではジグザグに屈曲して、全体的に道幅も狭く、碁盤目の京都の通りらしくない、そしてこの通りの注目は、「了頓図子」と呼ばれる、三条通から六角通へ抜ける狭い小路があることで、これは天正の地割で出来た「図子」ではなく、秀吉と親交のあった茶人「広野了頓」の広い邸宅内の通り抜けを町民に許可した通りが、そのまま「衣棚通」に組み込まれたもの
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加茂街道・大門北通~北山通~今宮通~大路通~紫明会館(1.7km)は今回パス、11:00(地下鉄鞍馬口駅)~0.4km紫明会館~せせらぎ公園~(室町通)~0.3km(鞍馬口通)~玄武公園~(上御霊前通)~宝慈院~0.3km(寺之内通)~新生さくら広場~木下突抜町~裏風呂町(左折クランク)~0.7km(上立売通)(左折クランク)~大塚和洋紙店~(右折クランク)中御霊図子~東風苑~(株)トーア(隣の室町通足利将軍室町第跡~0.2km(今出川通)~0.5km(武者小路通)(右折クランク)~愛寿会同仁病院(隣が本田味噌本店・室町小路北限)~0.2km(一条通)(2.6km)(中断・左折)本田味噌本店・室町小路北限(室町通)富岡鉄斎邸跡(裏はアルティ)~(中立売通)~(上長者町通)~KBSホール~(右折クランク)0.6km(下長者町通)~エリッツ御所ビル~(出水通)~赤十字看護学校、京都府警~(下立売通)~真如苑京都支部~ホテル京の温所~(椹木町通)~12:00カレー製作所~0.6km(丸太町通)~(竹屋町通)~(夷川通)~顔の家~(二条通)亀屋伊織~(押小路通)~0.9km(御池通)~0.2km(三条通)~了頓図子・広野了頓邸跡~0.2km(4.4km/7.0km)14:00(六角通)~0.6km(柳馬場通)麺処むらじ
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11:00 地下鉄鞍馬口駅からスタートして紫明通へ
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「紫明会館」(しめいかいかん)
建物手前の通りが「衣棚通」で、右手北側の北大路通から南下してくる、「紫明会館」は、京都師範学校(京都教育大学)の同窓会が、50周年を記念して昭和7年(1932)に設立した鉄筋コンクリート3階建の建物で、外壁はスタッコ塗(化粧漆喰)でスペイン瓦や丸窓、ステンドグラスなど、内外の細部をアール・デコ風意匠で飾り、ほぼ建設当時のままで戦前の雰囲気をそのまま残し、国の登録有形文化財に指定された、レトロな雰囲気の中で、結婚式や撮影会、会議、パーティー、イベント、コンサート、サークル活動などに活用 -
「紫明せせらぎ公園」
「紫明通」の中央分離帯の中にあり、京都市が「琵琶湖疎水分線」の延長上に、「憩いとやすらぎの水辺空間」として平成年間に整備した公園 -
「堀川水辺環境整備事業」
京都市は「紫明通から堀川通」の4.4kmを「憩いとやすらぎの水辺空間の創出」を目的に平成9年~平成20年に18億円をかけて整備してきた、これは「琵琶湖疎水」の蹴上からの「疎水分線」の水を賀茂川の川底を「賀茂川サイフォン」で通し、紫明通から堀川通を経由して「堀川」の水を復活させ、「せせらぎ公園」を作るとともに、災害時の消火用水や生活用水としても活用する、ここから先は今出川通から御池通の既存の「堀川」を流れ、二条城付近からトンネルになって上鳥羽口付近で地上へ現れ鴨川に注ぐ *「賀茂川サイフォン」は、水路が河川や道路などで分断されるときに、その下に導水管を設け迂回させて水を送るもの -
「紫明せせらぎ第5公園」
紫明通沿いに、賀茂川から堀川通まで第1から第7まで7つの公園があり、紫明通の中央分離帯はかつて街路樹を苗から育てる場所であったことから樹木がたくさんあったので、桜や紅葉、イチョウなど四季折々の木々がそのまま残り、自然に溢れる京都の穴場スポットとなっており、これらには全て遊具は置かず、のんびり散策したり休憩する公園になっている -
(室町通)
「衣棚通」は紫明通から鞍馬口通まで中断し、隣接の「室町通」へ迂回する、「室町通」は北山通から久世橋通までで、平安京の室町小路と、足利3代将軍義満が建てた花の御所「室町殿」に由来 -
(鞍馬口通)
「衣棚通」は「ラーメン極」の筋から再開、「鞍馬口通」は、下鴨神社西門から金閣寺門前までで、京の七口の一つ「鞍馬口」を通ることに由来 -
「玄武公園」(げんぶこうえん)
昭和12年に皇太子殿下御誕生記念公園として整備された京都でも古い児童公園 -
かつてはプールがあったが今は無くなり、遊具と京都らしい石庭と、散歩に適した園路が整備されている
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「擁翠園」(ようすいえん)
背後に見える建物は京都発祥の医療機器メーカー「アークレイ」の本社で、この裏に「擁翠園」という非公開の庭園があり、鞍馬通を通るたびに気になっていたが、やっと正体が分かった、調べると「擁翠園」は、室町幕府の管領細川満元が金閣寺造営の余材で築いた邸宅で、その後江戸時代に庭園が「小堀遠州」によって手直しされ「擁翠亭」という茶室や、書院が建造され、明治になって三井家の別邸になり、昭和28年(1953)旧郵政省の所有から京都貯金事務センターとなったが、平成19年(2007)現在の「アークレイ」の所有となり、2011年京都研究所と共に庭園も整備された、茶室「擁翠亭」は現在「小川通」にあった茶道具「宮帯」の宮下玄覇が保有し太閤山荘に移築している *「アークレイ」は、1960年創業、売上高600億円、従業員2300人、小型血糖測定器で国内シェア45% -
「西林寺」(さいりんじ)
平安時代初期開創の天台宗寺院で、愛宕山の天狗・太郎坊が、境内の松で羽根を休ませたことから正式名は「羽休山飛行院西林寺」(うきゅうさんひこういん)で、僧都が木槿(むくげ)の草むらから地蔵尊を感得されたことから通称「木槿地蔵」さんと呼ばれ、京都の名地蔵尊のひとつ、「四柱推命」は隣の建物の看板で「五行易専門学院」 -
(上御領前通)かみごりょうまえどおり
加茂街道から智恵光院通までで、応仁の乱勃発の地である「上御霊神社」の門前を通ることに由来 -
「木野織物」
江戸後期1804年創業の西陣織物の老舗で、現在8代目、暖簾の「善」は、西陣の機業(はたおり)「菱屋」から「菱屋善兵衛」と名乗り現在の地に独立したことからで、糸屋、染屋、図案家、紋屋、箔屋、織屋の伝統に培われた技を集大成した西陣の帯屋さん -
「タイヨウネクタイ」
明治40年創業の西陣織ネクタイの老舗で、糸染・製織・縫製全て京都でおこなう高級ネクタイ屋さん -
金襴法衣織元「藤木」
法衣や袈裟 打敷(仏壇飾り)などに使う「金襴」(きんらん)を製造販売 *「金襴」は、色糸に金箔・銀箔、金糸・銀糸を加え、美しい文様を織り出した高級素材 -
珈琲・紅茶専門店「ケニア」
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「宝慈院」(ほうじいん)
鎌倉時代に金沢実時の妻が無学祖元に従って出家した「無外如大」(むげにょだい)尼を開基とする臨済宗系の尼門跡、木造「無外如大座像」は鎌倉時代の尼僧の頂相(ちんぞう:肖像画)彫刻として珍しいもので、重要文化財 -
(寺之内通)てらのうちどおり
烏丸通から御前通で廬山寺通に合流する、秀吉の洛中改造により寺院が集められたことに由来し、日蓮宗系寺院が多く、聚楽第北方の防衛ラインとして設けられたとも言われる -
寺之内通と新町通は、第二次大戦中に防災道路として、寺之内通以南が拡幅されたたため、道幅が広い
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「新生さくら広場」
周辺の住民で整備され、京都市 の市民参加型事業のモデルとして選定されている -
「しぶや」
装飾やディスプレイ業を行う会社 -
「木下突抜町」(きのしたつきぬけちよう)
この辺りは狭い通りが複雑に入り込んでいて、「木下突抜」という路地があることからの町名 *京都では大路・小路の「通り」をつなぐ細い「路地」を「突抜」(つきぬけ)「辻子」「図子」(づし)と呼び、「突抜」は元々あった通りを延長し建物などを突き抜ける道、「づし」は大路・小路をつなぐ細い道、本来は「路地」は行き止まりで、「辻子」「突抜」は行き止まりでない -
「裏風呂町」(うらふろちょう)
この辺りには「風呂辻子」(ふろづし)という路地があることからの町名 *京都の辻子(図子)と呼ばれる路地は「西陣地区」に多いが、これは応仁の乱後に西陣織や材木問屋が集中し、特に西陣織物街には職人や使用人が増えて住まいも増え、露地が多く造られ、現在でも約60の辻子が残っているという -
「着物指導所」
百合姿きもの学院(本校は三条衣棚)認可 -
京都には「お地蔵さん」が多い、京都市内に5,000体とも言われる
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「帯清」(おびせい)
大正8年創業の京都西陣の老舗機屋で、オリジナル佐賀錦(肥前国の織物)を中心に 西陣織を製織している -
京呉服卸「青木」
京染呉服の製造および卸売を行っている -
(左折クランク)
「衣棚通」は道幅が狭く、筋違いになっているところが多い -
(右折)
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「キョーワファシリティーズ」
建築物内外の保守管理・警備・清掃など不動産管理会社 -
(左折クランク)
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「くやま整骨院」
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(上立売通)かみだちうりどおり
寺町通から花園近くの馬代通までで、室町時代に現在の室町通との交差点付近に、店舗を構えず商売を行う立売が多く「立売の辻」と呼ばれたことに由来 -
「大塚和洋紙店」
昔ながらの文具店だと思うが、何とか頑張って続けて欲しい -
「仁丹町名ホーロー看板」
明治43年(1910)から大阪の企業「森下仁丹」が、郵便配達人が家を探すという悩みに応え、自社広告を兼ねて設置し全国に広がったが、殆ど戦災で無くなってしまった中で、京都だけは戦災を免れ残っている、が、年々減り続け現在は約540枚とされる、東京でも9万枚設置されたが、1枚だけ発見されたという非常に貴重なもので、最近ではある種の文化財として保存しようという取り組みが「愛好家」のもとでなされていて、2010年に「京都仁丹樂會」が発足し「京都を歩けば仁丹にあたる」(青幻舎)という本も刊行されるほどの人気ぶり -
(右折クランク)
ここも室町通と新町通を抜ける「中御霊図子」という路地 -
「衣棚通」は突き当りの「東風苑」を左折する
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ホテル「東風苑」(こちえん)
古民家を利用した一軒家の一棟貸し別荘で、キッチン、調理器具、食器や和室にコタツ、坪庭を見ながらの風呂もあって5~7名で5万円~、最近はインバウンド向けのこういうスタイルのホテルも増えた、調べると2015年創業の「アコモデーションジャパン」という企業で、二条城、清水寺、大宮など5店舗を展開、これも歴史的建造物を守る一つのパターンだが、できるなら地元の企業にもっと頑張って欲しい -
かなり御立派なお屋敷のようだが、正体不明
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「河合美術織物」(ゆりの木)
明治41年(1908)創業の西陣の老舗織物メーカーで、下鴨河合神社の社家の一族らしい -
保険会社「トーア」
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隣の「室町通」側に、「足利将軍室町第跡」の石標があり、この辺りは、室町幕府三代将軍足利義満(1358-1408)の邸宅跡で幕府が置かれたエリアであることを示す
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(今出川通)いまでがわどおり
銀閣寺門前から等持院までで、平安京では東洞院通から現在の寺町通へ流れて賀茂川に注ぐ「今出川」という川があったことに由来 -
立派な洋館風お屋敷のようだが、正体不明
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(武者小路通)むしゃのこうじどおり
京都御所西側・烏丸通から小川通までで、茶道家元・武者小路千家や千家十職の塗師・中村宗哲の屋敷がある -
レモンカフェレストラン「カプリ食堂」
瀬戸田レモンを使用した京都初のレモン料理専門店で、名物のレモンモヒート(カクテル)やレモネードの他、レモンチキンコンフィ(煮込み)、レモンパスタ、レモンリゾット、レモンラーメンなど、面白そうだが次の機会に -
「衣棚通」の狭い通りが続く
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立派なお屋敷のようだが、正体不明
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突然、奇妙な物体が!
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近づくと病院の「清掃員控室」だった
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「愛寿会同仁病院」(どうじんびょういん)
一般病棟と介護療養病棟を有する内科を主体とした地域密着病院(ベッド数99) -
(一条通)「上京中学校グランド」
京都御所西側・烏丸通から花園付近まで、平安京の一条大路で、「衣棚通」はここで中断する -
「本田味噌」から右折して「室町通」へ迂回する
直進すると、室町時代に京都で創業し、皇室御用達になり、明治になって東京に移った「虎屋」の「京都一条店」がある -
「富岡鉄斎」旧宅
迂回の途中に、近代日本文人画の巨匠「富岡鉄斎邸跡」(1836-1924)がある *「富岡鉄斎」は、三条衣棚の法衣商の二男として生まれ、国学や絵を学び、車折神社の神職などを勤めた後、47歳でこの地に居宅を構えた -
(中立売通)「室町中立売交番」
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「室町中立売」交差点の案内板
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「御所西京都平安ホテル」(旧ホテル平安会館)
江戸時代にあった醍醐家(五摂家に次ぐ家格)の邸宅跡地に、京都府の職員共済組合施設として1980年に開業し、2011年に京都平安ホテルに改名したが、経営悪化により2022年に閉鎖された、注目はホテル内にある「池泉回遊式庭園」で、江戸時代の庭園が大正11年に小川治兵衛により改修され、アメリカの日本庭園専門誌で4位を獲得した名庭だが、未だにどうするか不明のままで、もう見ることは出来ないのは残念 -
「有斐斎弘道館」(ゆうひさいこうどうかん)
江戸中期の儒学者・皆川淇園(きえん)が創立した学問所で、現在は茶事など伝統文化を学ぶ拠点となっている、敷地内には苔の美しい庭園もあるという -
(上長者町通)かみちょうじゃまちどおり
正面に見える「京都御苑」西側の烏丸通から千本通までで、平安時代後期にはこの辺りに「里内裏」があり、ここから「京都御所」に発展した、通りには裕福な両替商人があり長者と呼ばれたことに因み、さらに南を走る、中長者町通、下長者町通も同じ頃整備された -
「KBS京都放送」
1951年にラジオ局開局で、1969年4月にテレビ局を開局 -
「清和キリスト教会」
1924年設立のプロテスタント教会 -
(下長者町通)「ばく食堂」
行列の出来る食堂と手作りパン屋さん -
「衣棚通」は「エリッツ御所ビル」(不動産屋さん)のところから再開する
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「交通安全会館」
交通安全協会や京都市交通安全対策会議などが、京都の交通安全に関する活動を行っている -
「京都法務合同庁舎」
京都地方検察庁、京都区検察庁などの合同庁舎 -
(出水通)「京都府警交通機動隊」
交通指導取締りや交通安全に関する啓発活動など行っている、「出水通」(でみずどおり)は、烏丸通から七本松通までで、水が豊富で名水の湧く井戸も多くあることに由来 -
「京都第2赤十字看護学校」
1941年日本赤十字社が設立した専修学校 -
立派なお屋敷のようだが、正体不明
この辺りは「常泉院町」じようせんいんちよう)で、宮中の修理事業を担う「修理職」(しゅりしき)が住む町だった -
(下立売通)お地蔵さん
新町通を過ぎると京都府庁、妙心寺、法金剛院などがある -
「京都府暴力追放運動推進センター」
暴力団排除運動を支援・推進し、民間の暴力追放を目的に1992年設立された -
「真如苑京都支部」
戦後、真言宗醍醐寺から独立した新興宗教で、本部は東京立川、天台宗の「真如堂」(真正極楽寺)とは関係ない -
(門跡町)もんぜきちよう
斯波氏5代当主で室町幕府管領・斯波義将(しば よしゆき)が造営した邸宅で足利義昭の旧二条城の地でもある「武衛陣」(ぶえいじん)の西門跡にあたることに由来 -
「京の温所」
歩いていると良く見かける「京の温所」は、地場企業の「ワコール」が2018年から始めている事業で、空き家になった京町家を10~15年借りてリノベーションし宿泊施設として運営し、又そのままの状態で返すという、「ロイヤルパークホテル」と業務提携し、全て一棟貸しで、西陣、釜座二条、夷川など8か所に展開 -
(椹木町通)さわらぎちょうどおり
仁丹町名ホーロー看板「椹木町衣棚東入門跡町」、「椹木町通」は、烏丸通から千本通までで、この通りに「椹」(ヒノキ科)の木材を扱う店が多くあったことに由来 -
新町通に迂回し、ランチは人気の「カレー店」
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「京都カレー製作所カリル」
2015年3月3日オープンのカレー専門店で、スパイスから激選したこだわりのカレーが売り -
ビーフカレー1,330円とサラダを注文
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帰りには行列が出来ていたので、美味いのだろうが、好みではなかった
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(丸太町通)
哲学の道近くの鹿ヶ谷通から嵯峨釈迦堂(清凉寺)前までで、この通り沿いの西堀川に材木商が多かったことに由来 -
「国松木材」
創業1868年の老舗材木店 -
「わたなべ整形外科」の町家かと思ったら、暖簾にはフランス料理店「MOKO」
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フランス料理店「MOKO」
昨年2024年開店した、京町家のフレンチレストランで庭園もあり、ミシュランの一つ星、10,000円~ -
喫茶「孫右エ門」
長い路地奥の坪庭が入り口の町家カフェ -
(竹屋町通)「京つけものタケダ」
明治35年創業から、漬物ひと筋の老舗で現在4代目、「竹屋町通」(たけやまちどおり)は平安神宮西端の桜馬場通から千本通までで、江戸時代は職人の町で、竹商人が多かったことに由来 -
「NAZUNA」京都御所
2015年設立の会社で、旅館型と一棟貸しの宿舎を京都で16ヶ所展開している、創業者は(株)ミスミで自動車部門の営業を経験してから、インバウンド旅行事業で独立し、現在36歳で4つの旅館と12の一棟貸しの宿を展開しているという起業家、これも又、歴史を保存する新しいスタイル -
「万葉舎」宇野(株)
「万葉舎」は、昭和57年創業の宇野(株)ブランドで、京都の伝統的な染め技法で暖簾を染め、手描き、ぼかし染め、絞り染めなどの技法で現代のインテリアにあった和の暖簾を販売する -
染匠「市川」
昭和21年創業で、京友禅呉服の製造、卸 -
「東栄」(株)
2001年創業の色無地着物「みやこさかえ」をネット販売 -
「一彰」(いっしょう)
昭和33年創業の、京染呉服、織物、和装小物の卸売業 -
(夷川通)「衣棚夷川郵便局」
「夷川通」(えびすがわどおり)は、鴨川西岸から堀川通までで、寺町通から烏丸通の間は家具屋街として有名、かつては夷川があったことに由来 -
京たたみ「木村小兵衛畳店」
「京たたみ」は、手縫いによる伝統的な技術が受け継がれている京都府の伝統工芸品で、明治28年から京都畳商工協同組合が発足し、現在68店の加盟があるそうで、恐らくこの店も歴史の古い店だと想像される、京都では特に朝廷や武家などで使われる「有職畳」(ゆうそくだたみ)とか僧侶がお座りになる「拝敷」(はいしき)など伝統的なものもあるそうで、伝統を絶やさないよう続けていって欲しい -
「顔の家」Face House
1974年にグラフィックデザイン事務所オーナーが「自宅兼事務所」の設計を依頼したた建物で、口は入り口、鼻は換気口、目は丸窓、耳はベランダになっている -
「雑貨屋さん」
元々アトリエ兼住宅だったが、現在は雑貨屋さんになっており、文具、インテリア、日用品、食器、キッチン用品や、一点ものも販売している -
(二条通)「亀屋伊織」(かめやいおり)
江戸時代創業以来約400年の老舗の和菓子屋さんで「干菓子」だけをつくってきて現在十七代目、「干菓子」は茶の湯で濃い茶のあとの薄茶に供される菓子で、御主人が一人で菓子をつくっているので茶会などの受注で手一杯のため予約なしでは買えないという、「二条通」は白川通から二条城正面までで、平安京大内裏の南を走る「二条大路」にあたり朱雀大路に次ぐ広い通り -
「みす武」(みすぶ)有職翠簾師・大久保武右衛門
京都御所のおかかえ職人として1741年創業した翠簾(すいれん)の老舗で、伊勢神宮や西本願寺・知恩院など神社寺仏閣にも納め続けてきて現在10代目、最高級品の神徒壇(しんとだん)や仏壇に掛けられる「御翠簾」(みす)の他、普通の仏間用すだれ、みす、お座敷すだれ、日除けすだれ、几帳や衝立、夏障子なども扱っている -
チーズ専門店「フロマージュ・ドゥ・ミテス」
フロマージュとは仏語でチーズ、ミテスはオーナーさんがお世話になった恩師の仏人だそうで、フランスをメインにヨーロッパのチーズを直輸入して販売する専門店、これだけのチーズを取り扱っている店は少ないらしく、チーズ界では有名らしい -
「小西美術工藝社」
立派な町家があったので、表札を見ると「小西美術工藝社」とある、もしかして「デービッド・アトキンソン」の京都邸宅ではないかと、調べてみたら大正解! 東京・南青山に推定3億円のイギリス風邸宅と、京都にも推定2億円の町家を改修した邸宅があり、2~3カ月に一度来るらしく、そのご縁で京都国際観光大使にもなっている -
「デービッド・アトキンソン」1965年生現在60歳
菅首相のブレーンとして抜擢され、「世界レベルのホテルを全国50カ所新設」とか「中小企業を合併し大きくする」とかの政策を提言して脚光を浴びたが、注目されたのは、1990年に来日してソロモンブラザーズからゴールドマンサックスで勤務し、日本のバブル不良債権の実態を暴くレポートを発表してからで、その後お茶の世界に引き込まれて「小西美術工藝社」の先代社長・小西美奈さんと知り合ったことから、2009年に入社し、2011年には社長となり、社員の7割を占める職人本位の会社立直しで評価された、日光東照宮など手掛けた創業300年余の「小西美術工藝社」の後継社長になったのにはビックリさせられたが、あらためて日本の文化財保護に外国人の存在もあるというスタイルを認識 -
(押小路通)おしこうじどおり
木屋町通から千本通までで、平安京の「押小路」にあたることに由来 -
「協栄水産なかなか」
昭和58年創業で、「いわしの昔煮」の製造販売から始まり、野菜やパン、各種惣菜など、全国各地の「おいしいもの」を全国のホテルなどに提供 -
「草木兵助法衣店」
江戸時代1833年頃創業で、臨済宗各本山指定の、袈裟・法衣など販売 -
「パークホテル京都御池」
シンガポールのパークホテルグループが日本で小樽に次いで2軒目のホテルとして、2021年開業 *パークホテルグループは、シンガポール、香港、マレーシア、オーストラリアなど11 の国や地域において30 近くのホテルやリゾートを運営 -
(御池通)おいけどおり
川端通から太秦あたりまでで、二条城南側の「神泉苑」の池に通じていることに由来 -
中国料理「鳳城」(ほうじょう)
この辺りを通るたびに気になっている中華料理店、昭和63年(1988)創業でランチは1,000円前後とリーズナブル -
「御池通」を渡り、「前田珈琲」の角から「衣棚通」は続く
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画房「草々庵」(そうそうあん)
玄関にユーモラスな鬼のオブジェがある町家は、明治元年の建物で、絵描きの殿村栄一さんが、作品とそれをモチーフにした絵はがきや缶バッチ、Tシャツなどを扱うショップとしてオープンした画房 -
「MIMARU SUITES」 Kyoto Central
ダイワハウスが2017年設立した「コスモスホテルマネジメント」が運営する、キッチン、リビング・ダイニングスペースを備えたアパートメント型ホテルで、東京、京都、大阪に27施設を展開し、ここは2023年オープン、京都には御池、四条、五条、京都駅、三条、高辻、二条城がある、こういう大企業の展開はインバウンド目当てで京都市街の空き地対策にはなるが、出来れば古い建物の活用も進めて欲しい -
(姉小路通)ゲストハウス「道」
町家を使った一棟貸切のゲストハウスで、最大5名で4万円くらいだからリーズナブル、「姉小路通」(あねこうじどおり)は、木屋町通から御前通までで、平安京の姉小路に由来し歴史的な町家が多い -
「チンクエ イカリヤ」CINQUE IKARIYA
京町屋を利用したイタリア料理店、イタリア世界遺産の「チンクエテッレ」(5つの村)を思い出す -
「ホテル四季彩京都」
敷島住宅が2019年オープンしたデザインホテルで、京町家をリノベーションしたホテル事業にも進出し、現在伏見にも一棟貸しの「稲荷凰庵」を運営している -
串カツ「ぼて」
串コース2時間3,000円に惹かれたのでチェック、また次の機会に(18:00~) -
「千切屋」(ちきりや)
室町時代に法衣店「千切屋」を開いたのが始まりで、最盛期には分家・別家を含め100軒を超えるほど繁栄し、法衣を棚売りしていたので「衣棚町」が生まれた程で、京都最古の商家の家柄とされる、本家は明治期に途絶えたが、分家は現在も「千治」(ちじ)、「千総」(ちそう)などとして営業している *「ちきり」は、初代が奈良時代に春日神社に千切花の台を奉納し、平安遷都で京都に来て屋号を「千切屋」としたことから -
「ちおん舎」
1665年から分家の「千吉(ちきち)」として法衣商を営み、近年まで続いていたが、2003年に停止し、残された京町家を生かして茶道、香道、講演会など各種催事向けの貸しスペース業を営んでおり、敷地内には玄関路地庭、座敷庭、茶室庭、蔵前庭、奥庭など歴史ある庭園もある *「ちおん」は「温故知新」の「知」と「温」から -
「五色の辻」(三条室町)
千切屋の繁栄ぶりを表すもので、江戸時代にこの辺りは「千切屋百軒」といって、千切屋一門の家々が並び、辻の周りは「赤壁」「黄壁」「青壁」「黒白壁」の五色だったことからこう呼ばれ、吉井勇の歌「洛中の 五色の辻に 家居して み祖の業を いまにつたふる」を刻んだ歌碑が設置されている -
「小袖屋」と「織司」
「小袖屋」は昭和10年創業の絞り、ローケツ、刺繍をメインとした着物、帯など販売、「織司」は詩吟、書道、着物着付けなどの町家教室 -
「大與酒店」(だいよさけてん)
この時期ならではの、今朝搾りたて「酒粕」が出ている -
(三条通)「三条衣棚の歴史」案内板
室町時代以降、此地に法衣業者が集って棚売りを始めてやがて町名となって現在に及んだ。殊に弘治年間(室町時代)千切屋の祖が此所に店舗を開きしより其の分家別家一門次第に繫栄し此町を中心として近辺に同業を営んだ者百余軒の多きに上ったといふ。三条、四条の地は平安中期以降常に商業経済の中心地であり所謂下右京の中枢に位し加ふるに室町末期にはこの周辺に巨刹の碁布せし事が衣棚を此地に発生せしめた要因と考えられる。天正年間秀吉の市街整備にあたり大寺院の殆どが遠所に移転されたるにもかかはず業者よく結束してその伝統的営業を続け全国的に斯界の独占的地位を保った。中世に発生したる座が権門社寺の保護下に利権を拡大したるに対し衣座は利権擁護の特権の見るべきものなきにかかわらずよく明治初年に及んだことは経済史上産業史蹟として重孝すべきである。 京都史蹟會 -
「京都三条ちきりや」(茶器製造・販売)
「千吉」から分家して1854年に山城宇治銘茶の販売を手掛け、1871年京都博覧会に出品しお茶の輸出にも乗り出し、昭和26年(1951)会社化した、また異色なものとして、14代目の子が1921年創業の「サクラクレパス」の経営を受け継ぎ、1937年から同族経営企業となっている -
「衣棚通」は「三条通」から急に狭くなる
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この辺りは「了頓図子町」(りょうとんずしちょう)と呼ばれ、三条通から六角通へ抜ける140mの通りは「了頓図子」と呼ばれる
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少し進むと「あんじゅ京都カイロプラクティック研究所」の前に、「広野了頓邸跡」の駒札と石標があり、この小路は所謂「天正の地割」による図子ではなく、豪邸の敷地内通路であることが分かる
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「廣野了頓邸跡」(ひろのりょうとんていあと)
かつてこの界隈は桃山期の著名な茶人「廣野了頓」の広大な屋敷があった場所で、当時から町民に邸内の通り抜けを許可して「図子」の役割を果たしていた、「廣野了頓」はここに茶亭を構え茶道を広めていたが、一筋西の新町通に豪商・茶屋四郎次郎や伊藤道光が住み、家康は上洛のたびに四郎次郎宅を、秀吉は道光宅を宿所としており、ある時秀吉が了頓宅に訪ねたことがあり、施茶をおもてなししたら知行(領地)を与えられ代々厚遇され、明治まで了頓家は繁栄したという、かつてはこの付近には清水が湧き井戸も多く、数年前までは料理旅館があったが今は更地になり案内板だけがある -
(2024/07/03撮影)新町通「羽柴秀吉旅宿跡」石碑
室町時代、三条町は祇園社領となり、同社を本所とする綿座(真綿を商う者の同業者組)などに所属する商人はこの付近に集まり商業の中心地として発展した。織田信長の時代には、京都の政務に関わった羽柴秀吉が、伊藤道光方を旅宿にし、本能寺の変後に妙顕寺跡の二条城から聚楽城に居所を移した -
この狭い路地(辻子、図子)には、隠れ家的な店が多く軒を並べる
「もり一」は、昭和49年創業の老舗とんかつ店で、つい最近まで人気店だったらしいが、残念ながら閉店している -
イタリア料理店「ORTO」(オルト)
ここも隠れ家的な、イタリアンコース料理10.000円~ -
炭火楽家「ここみ」と居酒屋「パリホンポ」
ここも隠れ家的な、夜にお勧めの料理の旨い居酒屋が並ぶ -
インテリア用品店「京都洛柿庵」
暖簾やブローチなど和モダンなお洒落なインテリア用品の店 -
ネイルサロン「raffina」と中華「円屋」
これも隠れ家的な、ネイルサロンと台湾風なシューマイ・ラーメン店 -
「衣棚通」の終点、(六角通)に到着
左折直進して「烏丸通」を渡ると「六角堂」(頂法寺)があり、(六角通)はこの前を通ることに由来 -
「美濃利」(株)
江戸時代1867年創立の、婦人服、不動産の会社だが、美術館のような建物が目につく、これは仏教思想を背景にした「空(くう)にかける階段」という一貫したテーマの彫刻家・富樫実(1931-2020)の作品を新社屋の前に設置したもので、黒大理石の階段や玄関内には大理石の壁や床がある -
衣棚通から四条への帰り道、以前から気になっていたラーメン店に立ち寄る、「麺処むらじ」は、祇園の巽橋近くにあった2015年創業の人気のラーメン店が、2023年に柳馬場六角に移転した店で、リノベーションした築100年の京町家で坪庭を見ながらラーメンを食べれるのが魅力
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「坪庭」は、カタチのいい自然石の蹲踞(つくばい)と石灯籠が素敵で、奥には離れを利用した個室席もあり料亭みたいなラーメン店
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「檸檬ラーメン」(れもんらーめん)
名物は女性店主が考案したという「檸檬ラーメン」とコラーゲンたっぷりの「鶏白湯(とりぱいたん)ラーメン」で、奇抜そうだが輪切りのレモンの下には鶏肉チャーシューもあり、スープの味はしっかりしている、が、二度目はないかな、という感じ -
鶏肉ベースで女性に人気のようだったが、店内はインバウンド客で満員状態、日本のラーメンはこんなもんだと思うのだろうか、と思いながら店を後にした
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