2025/04/26 - 2025/04/26
1212位(同エリア3571件中)
Bachさん
ゴールデンウイーク前の今月は、平安京大内裏「朱雀門」の隣「皇嘉門」に通じる大路で、秀吉の洛中改造で寺院が集められて「西の寺町通」と言われる「七本松通」を歩きます。
「聚楽第」もあった京都の中心地で、寺院もたくさん残り歴史感満載の見ごたえのある南北通りですが、今回のハイライトは、たまたま「重森美玲庭園」の特別公開(4.26~29)があったので行くと「砂紋引きの実演」があり、住職の計らいで「砂紋引き体験」までやって下さって、千載一遇のチャンスだと思って、希望者多数の中から5人を選ぶジャンケンに挑戦し、これに勝ち上がって、人生初の「砂紋引き」体験が出来たことです。
「京町散歩」をしていると、思わぬ発見があったり、美味しいグルメやイベントなどにも遭遇することがありますが、今回の体験は「重森美玲」ファンで「庭園愛好家」にとって、極上の体験で、これだけでも「京町散歩」を続けている価値があります。
今年は年初から「大豊神社」の「蛇おみくじ」で「大吉」まで頂く幸運に恵まれ、今のところ良い運勢に恵まれているようです。
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「七本松通」(しちほんまつどおり)は、平安京では大内裏の十二門のひとつ「皇嘉門」(こうかもん)に通じる「皇嘉門大路」という道幅30mの堂々とした通りだったが、鎌倉時代までに荒廃し、秀吉の洛中改造で寺町通、寺之内通と同様、寺院を集めた新たな通りとして整備され「西の寺町通」とも呼ばれ、寺之内通から始まり途中、姉小路通・三条通間、JR東海道線で中断するが、西寺跡東側を通って十条まで約 8kmの通りになっている、通りの名前は、かつてこの通りの北野神社南辺りに7本の松が生えていたことに由来する
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(地下鉄鞍馬口駅)12:00~2.2km(30分)12:30(寺之内通)下柏野公園~西陣病院~千本釈迦堂~(五辻通)~0.5km(今出川通)上七軒~清和院~西陣織国際美術館~(一条通)とようけ屋山本~0.5km七本松通名発祥の地~三西地蔵尊~立本寺~(仁和寺街道)~(下長者町通)慈眼寺~(出水通)五劫院、本昌寺、華光寺~0.6km(1.6km)13:30「光清寺」~観音寺、極楽寺、地福寺~(下立売通)~0.7km14:30ランチ「豚ゴリラ」~(丸太町通)~平安京豊楽院跡~0.2km(JR山陰本線)~0.4km(上押小路通)皇嘉門跡~0.3km(御池通)~0.2km(姉小路通)中断0.2km(三条通)~NISSHA歴史館~0.6km(4.3km)(四条通)~1.0km16:00四条大宮「フルーツパーラーヤオイソ」(合計7.5km) この後、~0.6km(松原通)~0.3km(五条通)~(七条通)~1.3km(梅小路通)JR東海道線(中断)~0.9km(八条通)~1.0km(九条通)~0.9km(十条通)まで (5.0km)
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「下柏野児童公園」(しもかしわの)
地下鉄「鞍馬口駅」から寺之内通を歩いて「下柏野公園」からスタート -
「七本松通」スタート地点
この辺りの道幅は広い -
仁丹町名ホーロー看板「五辻通七本松西入上ル老松町」
「老松町」(おいまつちょう)は上七軒にある老舗の京菓子屋「老松」と同様、北野天満宮の摂社「老松社」に由来すると推定、「老松」は末永い繁栄を願う象徴として使われる -
途中カラフルなカフェ発見、名前も「一期一会」
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「西陣病院」
病床数300の地域密着病院 -
「千本釈迦堂」入り口
嵯峨野にある「釈迦堂」(清涼寺)と区別するため、千本通りに近いことから「千本釈迦堂」と呼ばれる -
「千本釈迦堂」西門
正式名は「大報恩寺」(だいほうおんじ)で、昨年の「千本通散歩」で立ち寄ったので、「ボケ封じ観音様」にだけお参り -
「ボケ封じ三十三観音第2番札所」
本堂左手に、ボケ封じ・息災延命の観音様がいる -
「ボケ封じ近畿十楽観音めぐり」
今熊野観音寺、報恩寺、勝龍寺(長岡京)、正法寺(大津)、玉桂寺(信楽)、総持寺(茨木)、太融寺(大阪)、大龍寺(神戸)、七寶寺(兵庫)、常瀧寺(兵庫) -
「本堂」
「大報恩寺」は、鎌倉初期1221年開創で、本堂は1227年に建立され、応仁の乱では西軍の中心になったので、山名宗全に保護され焼失を免れ、今も当時のまま残り、洛中で最古の木造建造物として国宝に指定されている -
「おかめ塚」
本堂が建築された時に、大切な柱を短く切り過ぎて憔悴しきった棟梁の妻「阿亀」(おかめ)が、その柱を継ぎ足して使うよう提案し夫の窮地を救ったが、女性の提言で成し遂げたと知られれば、夫の名誉を汚すのではと思い上棟式の前日に自害してしまったので、棟梁は妻の冥福と工事の無事を祈って、阿亀に因んだ福の面を「扇御幣」(おうぎごへい)として飾った、これは現在でも上棟式で「おかめ御幣」として柱に飾られており、「阿亀」像の正面には枝垂れの「おかめ桜」が咲いている -
「地蔵尊」
京都の町はどこを歩いてもお地蔵さまを大事にしている -
「京都市立翔鸞小学校」(しょうらん)
平安京の「応天門」の回廊の一端にそびえていた「翔鸞楼」に因むという、明治2年に番組小学校の一つとして開校した、京都ならではの歴史ある名前 *「応天門」は、大内裏の内側にあった門で、朝堂院の正門 -
(五辻通)創業大正12年の京煎餅屋さん
「五辻通」(いつつじどおり)は大宮通から御前通までの通りで、「五辻千本」交差点付近に後鳥羽上皇の院御所「五辻殿」があったことに因む -
(今出川通)「上七軒」(かみしちげん)
「上七軒」は室町時代に北野天満宮の社殿が一部焼失した際、社殿修築の残材で七軒の茶店を建てたのが由来で、その後、秀吉が天満宮で大茶会を催した際、みたらし団子を献上した褒美にお茶屋としての営業許可を得て、現在では「京都五花街」の一つになっている -
「北野虫除八幡」(きたのむしよけはちまん) 浄土宗
安土・桃山時代の創建で「宝樹寺」(ほうじゅじ)という、境内に「北野虫除八幡」が祀られており、子どもの疳の虫封じの神として信仰を集める -
「清和院」(せいわいん)浄土宗
平安朝876年、清和天皇譲位後の後院で、江戸時代初めの御所炎上迄は現在の「京都迎賓館」が建つ所にあったが、鎌倉期1306年に勅寺「清和院」として再興した -
「西陣織国際美術館」
最盛期には2千軒あった織物工房が今は100軒ほどに激減しているため、着物だけでなく仏像や日本画、浮世絵、絵巻物などを西陣で再現したものを展示して、西陣を後世に伝えることを目的として、2021年開館した -
「とようけ屋山本」
昨年歩いた「京町散歩・御前通」で、北野天満宮門前の湯豆腐御膳を食べた「とようけ茶屋」の発祥地で、明治30年(1897)創業の老舗豆腐店 -
(一条通)「七本松通名発祥の地」
この辺りに、「一夜にして七本の松が生えた」とか「1株から7本にわかれた松が群生していた」という伝承があることから、「七本松」の通り名が生まれたという -
「安嘉門」(あんかもん)旧蹟(一条通)
平安京大内裏外郭の十二門の一つで、北面三門のうち最西端にある門 -
「安嘉門」は一条大路、「皇嘉門大路」の由来となった「皇嘉門」(こうかもん)は、大内裏の南面、朱雀門の西で、二条大路に面している
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「北野とチンチン電車」
「一条通」のこの辺りは、1895年日本で初めて開通した路面電車の、京都駅から四条堀川、中立売を経由し北野天満宮へ至る「北野線」が、1978年廃止まで走っていて、ここ「北野商店街」も賑わっていた -
他にも、宮本武蔵が吉岡又七郎一門と決闘したと伝わる「宮本武蔵、吉岡一門決闘の地」や、四条河原より先に北野天満宮のこの地で「かぶき踊り」を披露したという「出雲阿国・歌舞伎発祥の地」などもある
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「仁和公園」(にんなこうえん)
門構えの立派な公園(仁和小学校に隣接)があったので、気になって調べてみると、いろいろ曰く付きの公園で、ここ一帯は隣の「立本寺」の境内で、かってはお寺の正面の広い敷地を京都市が借りて通称「立本寺公園」として公開していたが、途中で寺側が財政難で賃料の値上げを要求したものの市側から了承が得られず、民間業者へ貸し出し有料老人ホームが建てられたため、その代用として裏の狭い土地が今の仁和公園になったという、寺院の空き地活用にはいろいろ問題が多い! -
その曰く付きの「立本寺の有料老人ホーム」
2017年開設、全75室 -
「立本寺」(りゅうほんじ)山門
鎌倉時代の1321年、日蓮聖人の孫弟子にあたる日像(にちぞう)が京都最初の道場として四条大宮に開いた妙顕寺の塔頭・龍華院に始まり、1413年に「立本寺」として再興、1708年宝永の大火後、現在地に移った、広大な境内を有し、明治以前は20に及ぶ塔頭、現在でも4つの塔頭が残る -
「本堂」
寺之内通付近にある妙顕寺、妙覺寺、立本寺の三寺を、京都に日蓮宗を広めた日像上人によって開山された「龍華の三具足」(りゅうげのみつぐそく)と呼ばれる(龍華は日像上人の呼称、具足は山号) -
「刹堂」(せつどう)鬼子母神堂
安産・子育て守護で有名な子安鬼子母神が祀られ「北野の鬼子母神さん」と親しまれている、「幽霊子育て飴の伝説」があり、身ごもった母が病で急逝し墓地に葬られたが、墓地から赤子の泣き声が聞こえるので塚を掘り返すと、後の日審上人だった、母親の幽霊が飴で子を育てたとされる *確か「六道の辻」にもあったが、これは全国各地にもあるらしい -
祖師堂(そしどう)「四神閣」(ししんかく)
1688年建立の建物だが、大分傷んでいたので、現在は宿泊施設として使っているらしい、ホテルらしくないので調べると、玄武、青龍、朱雀、白虎という四神の名前の部屋があり、瞑想室や庭園もある2つ星ホテルで、仕掛けたのは2019年からインバウンド専門の旅行事業を展開している「ティ・エ・エス」と、大正5年創業で船舶内装に始まり家具、建築デザイン業から最近は町屋や古民家などを再生する事業を始めている「アーリーアート」という地元企業で、これからも町家に限らず寺院の再生事業は増えていきそう -
客殿「園林堂」(おんりんどう)
江戸時代、後水尾天皇より賜ったもので、「園林堂」は桂離宮や修学院離宮などにもあり、皇室関連の施設で位牌等を安置するための持仏堂として建てられている -
「七本町出水」(しちほんまちでみず)
この辺りは特に寺院が密集している、「出水通」は、烏丸通から七本松通まで、水が豊富で水質も良いことから名水の湧く井戸が多くあり、秀吉や千利休が茶の湯に使ったとも伝えられている -
「慈眼寺」(じげんじ)曹洞宗
江戸時代の1588年、関白二条晴良の子・鷹司信房(たかつかさのぶふさ)の妻が父の菩提を弔うために建立した、鷹司家は五摂家の一つで、「塀の五本線」は門跡寺院の証として格式が高い -
妻の嶽星院(がくせいいん)や鷹司信房・信尚ら鷹司家の位牌が祀られている
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「五劫院」(ごこういん)浄土宗
山門の上の木目がお釈迦様が横たわる姿に見えることから「出水の七不思議」と言われるらしい *「出水の七不思議」は、「華光寺」時雨松、五色椿、「光清寺」浮かれ猫、「五却院」寝釈迦、「観音寺」泣く山門、「極楽寺」二つ潜り戸、「地福寺」日限薬師 -
「本昌寺」(ほんしょうじ)日蓮宗
1663年(寛文3年)に本山妙覚寺派の寺院として創建 -
「華光寺」(けこうじ)日蓮宗
「出水の七不思議」の、「時雨松」と「五色椿」が近年まであったが枯死し、境内の庭園に子孫の松や七種の椿がある -
「宴の松原」(えんのまつばら)
1本東側の通りになるが、この辺りは平安京・大内裏内の「内裏」と対称位置にあることから「内裏」の建替用地とか、豊楽院の北側にあることから饗宴が催された場所とか言われており、藤原道長の兄・道隆が肝試しの途中で得体の知れない声を聞き逃げ帰ったという話など、魔物が出没する寂しい場所で平安時代の怪奇スポットとして紹介されている場所でもある -
「光清寺」(こうせいじ)臨済宗
江戸時代1669年創建の禅寺で、見どころは昭和の作庭家「重森三玲」が晩年に作庭した「心和の庭」で、これまで非公開で見れなかったが、2023年から特別公開が始まり、今年も4月26日(土)~29日(火)の4日間だけ公開されているというので、今回はこれを目当てに訪問した -
「心月庭」(しんげつてい)
山門を入っていきなり、「重森三玲」作庭と分かる庭園がある -
前庭「心月庭」
もともとあったクロマツが枯れた後、方丈前「心和の庭」7年後の昭和49年(1974)「重森三玲」(1896-1975)最晩年の作で、あまり見たことのない盛り土を高く固めて作った白砂台の周りを金閣寺垣で囲う作風は、やはり「重森三玲」の雰囲気を醸し出す -
「浮かれ猫」
庭園の向かいにある弁天堂に「出水の七不思議」にあった「牡丹の花のもとにやすむ猫と花に舞う蝶」が描かれた不思議な絵馬がある -
「不思議伝説と禅の境地」
「不思議伝説」とは、江戸時代のある夜、近くの遊里から三味線の音が聴こえてくると、絵馬から猫が浮かび上がり、女性の姿に化けて踊り始めた。それを不快に思った住職は、法力で猫を絵馬に閉じ込めて出られないようにしたら、その夜、絵馬の中の猫が住職の夢に現れ、出してもらうよう懇願したので哀れに思い封を解いた。この話は世に広まり、人気商売に利益ありとされる諸芸上達を祈願する祇園島原の名妓たちが参詣したという。「禅の境地」とは、のんきに眠っているようで、内心は花に舞う蝶を鋭く狙っている様子を、穏やかでありつつ真理をあつく求めようとする禅の境地にたとえて、この絵馬を仏教の教えの守護ならびに禅の境地の絵解きとしてお祀りする。 -
境内中門の「菊華紋」からの、本堂前庭園「心和の庭」をのぞき見
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「本堂」にはこの寺のアイドル「浮かれ猫」
「光清寺」は、江戸時代の1669年に伏見宮貞致親王(ふしみのみやさだゆきしんのう)が生母・慈眼院殿心和光清尼公(じげんいんでんしんわこうせいだ)の菩提の為に宮家御領地に建立されたのが始まりで、1706年に貞致親王の子・邦永親王(くにながしんのう)により再興され現在の「心和山光清寺」(しんわざんこうせいじ)に改称した、創建以来、宮家との縁故により無本寺格として宮準門跡に列せられたが、明治初年に臨済宗建仁寺派寺院に属した -
山号「心和山」
慈眼院殿(じげんいんでん)の法名・心和光清尼公(しんわこうせいだ)より「心和山」と号す -
正面掛け軸「帰家」(きか)
建仁寺管長・湊素堂老大師(みなとそどうろうだいし)が、御病身にもかかわらず渾身の力をこめて左手で書かれたもので、正面からは上のように見えるが、裏から見ると下のようにはっきりと「帰家」と読める、「帰家」とは、禅の言葉で、苦難の旅を続けた人が、やっとわが家に帰り心底くつろいだことにたとえて、修行の末に到達した深い安らぎの境地のことで、人生の旅を終え葬儀で冥福の祈りが捧げられることも「帰家」いう奥の深いお言葉 -
明治維新の元勲岩倉具視(いわくらともみ)の岩倉家が、かつて檀家だったというので、「岩倉具視」の写真もある、現在は移転
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重森三玲作庭の「心和の庭」
本堂前に広がる「心和の庭」は、光清寺の山号にちなんで命名され、「心字」を主題とした「心字型の庭園」になっており、枯山水庭園では珍しい「重森三玲」晩年の昭和42年(1967)71歳の作品で、前庭の「心月庭」はこの7年後の1974年最晩年の作 *「重森三玲」(1896-1975)は、1939年(43歳)で東福寺方丈庭園を皮切りに、1939 光明院、1953 岸和田城、1961 瑞峯院、1964 龍吟庵、1969 重森三玲邸、1970 霊雲院、1975 松尾大社(但し三玲が構想したものを長男完途が完成させた) -
「心字」をテーマとした枯山水庭園
東正面は白壁で、南側は竹垣で囲まれ、海を表現した白砂に4つの苔の島が「心字」になっており、左一画目が「方丈島」、2画目が最も大きい「蓬莱島」、その奥の3画目、4画目が「えいしゅう島」「こりょう島」と仙人が住む不老不死の四神仙島を配し、それぞれに1石、7石、2石、2石合計12石の徳島産青石が置かれ、「蓬莱島」の一番大きい立石が本尊石で、他の石と組み合わせて「七五三」を表現しているが、その組合せは見る人に委ねているというから、自分自身の心と対話し発見しなさいという禅の精神にもとづく -
「三尊石」
この角度から見ると「三尊石」が見える -
横から見た「三尊石」
後で庭に降りて見れた角度で、中門前からの「三尊石」 -
建仁寺垣の竹垣も「心」のデザイン
奇妙なデザインの竹垣も、「心」の字を表現しているというが、言われればそう見える *「建仁寺垣」(けんにんじがき)は、四ツ割竹を縦に隙間なく張り並べ、竹で挟み付けシュロ縄で結んだ竹垣 -
「枯山水」に違和感のある一木一草
一木一草を用いない「枯山水」の中に、ポツンとあるので気になるが、これはこの庭を作庭する時に、以前あった庭園の草木が残っているものだという説明があった、美玲さんが知っているかかどうかは分からないが、 -
「砂紋」(さもん)解説
いよいよ 14:00から「砂紋」の解説と実演が始まった、「砂紋」は「枯山水」の庭で、水の流れや波などを表現し、穏やかな流れや大波、うねり、市松模様、渦巻きなど様々なパターンがあるが、水の流れだけでなく、悟りや世界観、宇宙観なども表し、毎日「砂紋」を引きながら清掃、草取り、苔の手入れなどで庭を整え、心も整えるという -
「砂紋」実演
方丈手前は一直線が描かれているが、複雑な縞模様などよりも、まっすぐ引く方が難しく、邪念が入ると曲がってしまうというから、雑念を捨てて心を清めないと出来きない、また「砂紋」は作庭当時のものとは変化しており、原型に復元するというイベントも考えているという -
まっすぐな線の「砂紋」
「竹垣」側は隙間がないので、必ず「竹垣」側からスタートして白壁側で終わり、また元に戻って繰り返す -
曲線の「砂紋」
最後に島の周りの曲線を仕上げる、「砂紋」の種類には、(海を表現する)さざなみ紋、大波紋、山波紋、汀線紋、うねり紋、青海波など、(川を表現する)流水紋、やり水紋、渦巻紋など、(水面を表す)観世水、水紋など、(その他)菊水紋、網代紋、市松紋、獅子紋などある -
「砂紋引き」体験
住職からのサプライズ提案で、5人程度の人に体験してもらうというので、真っ先に手を挙げ、10数人の希望者でジャンケンして、何と勝ち残り! 人生初の「砂紋引き」体験! -
「砂紋引き」体験
勝ち残った人は皆緊張して挑む! -
「砂紋引き」体験
外国人の方も -
「砂紋引き」体験
「竹垣」側から白壁側まで引き終わると、観客全員からの拍手で大盛り上がり! -
反対側からの「心和の庭」
「砂紋引き」体験の特権で、庭園に降りて撮影することが出来、回遊式庭園のように、枯山水庭園を裏側から見る機会は、滅多にない! -
手前「中門」側からの「心和の庭」
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南側の「南の庭」
南側の庭は、以前の庭に使われていた5石を使って作った庭園で、庭園に降りないと見れないので大変貴重! -
「浮かれ猫」と「心和の庭」
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「観音寺」(かんのんじ)浄土宗
江戸時代1607年一条室町に創建し、山門は旧桃山城の牢獄の門を移建したもので、楠の一枚板でできており、罪人を釈放するに当たってこの門前で百回たたいたとする「百たたきの門」と呼ばれ、夜な夜な寺の前を通ると人の泣くような声がするので「泣く山門」として「出水の七不思議」の一つに数えられている -
「極楽寺」(ごくらくじ)浄土宗
室町時代1560年頃の創建で、山門に小袖門(こそでもん:潜り戸)が両脇に2つあることから「二つ潜り戸」として「出水の七不思議」の一つに数えられている -
「大雄寺」(だいおうじ)曹洞宗
江戸時代1602年創建、日本映画監督「山中貞雄の碑」(やまなかさだお 1909-1938)と、江戸時代の儒医者「松下見林」(まつしたけんりん 1637-1703)の墓がある -
「地福寺」(じふくじ)真言宗
平安時代820年頃の創建で、小さな穴のあいた石を奉納し、日を決めて祈願すると耳の病気を治してくれるお薬師さんを祀ることから「日限薬師」(ひぎりやくし)として「出水七不思議」の1つに数えられている -
14:30ランチ「豚ゴリラ」
七本松通にあったので、たまたま入ったが、2008年創業の人気店らしい -
サービスランチ「麦とろとんかつ膳」を注文
サクサクのとんかつは家庭ではなかなか食べられないから、たまには食べたくなるメニューで、軽めの麦とろ御膳にしたが、ご飯、みそ汁、キャベツはおかわり自由で、今は原価が上がって貴重なキャベツのおかわりまでして、満腹!満足! -
(丸太町通)「丸太町病院」
病床数150床の地域密着病院 -
「豊楽院」(ぶらくいん)跡
平安京大内裏にあった「豊楽院」の建物で、元日節会、新嘗祭・大嘗祭や外国使節の国家的饗宴が行われた、800年頃完成し、1063年焼失し以後再建されることはなかった -
「聚楽廻西町」(じゅらくまわり)
このあたりは秀吉の「聚楽第」があった所で、江戸時代から「聚楽廻」と呼ばれ、京都所司代与力や同心の屋敷があった -
(JR山陰本線)
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(上押小路通)
平安京の「二条大路」にあたり、平安京大内裏の南端になり、この辺りに「皇嘉門」跡があるはずだが、見つからず -
(御池通)
左手は二条城、右手は太秦方面、角地に工事中の広い敷地があったので、表示板を見ると、「佛教大学二条キャンパス2号館」とあった、2026年2月完成、京都の大学も競争が激しい -
(姉小路通)
道幅が狭くなり、姉小路通の突き当りで「七本松通」は中断する -
(三条通)
右手が三条商店街方面、左手が嵐山方面 -
三条通まで迂回して再び「七本町通」再開
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「神明公園」(しんめいこうえん)
この辺りは「壬生神明町」、千本通側に「壬生寺」がある -
左側の広い敷地は「NISSHA株式会社本社」(日写)
この広い敷地は、平安京の中心にあたり、宇多天皇や村上天皇など歴代の天皇の退位後の住まいとされた「朱雀院」の跡地 -
(四条通)
四条通から松原通までの区間は、「中新道」とも呼ばれる -
「NISSHA株式会社本社」(旧日本写真印刷株式会社)
明治28年(1895)京都綿ネル株式会社設立、明治39年(1906)本社事務所建設、昭和4年(1929)印刷業を創業、昭和21年(1946)日本写真印刷株式会社設立、平成29年(2017)NISSHA株式会社に社名変更、年商1,800億円、従業員数5,000人、高品質な美術印刷を得意とし、高度な印刷技術を使った加飾フィルムやタッチセンサーでは世界トップレベルのシェアを持ち、最近ではメディカル分野にも進出している -
「NISSHA印刷歴史館」(予約が必要で当日は入れず)
この建物は、「朱雀院」の跡地に明治39年(1906)紡績会社・京都綿ネルの本社として建てられた明治時代の建物で、昭和23年(1948)に日本写真印刷が引き継いでからも、昭和55年(1980)まで本社棟として使われ、その後、平成20年(2008)保存修理工事が完成し、翌年の会社創業80周年に合わせ印刷歴史館が開設された。建物はフランス風スタッコ塗り(化粧漆喰)で水平目地がデザインされ、緑青色の銅板葺の屋根や屋上のフランス風手すり壁が美しく、正面はギリシア・ローマで流行したアカンサス装飾の柱が配された車寄せと、その上のバルコニー、アーチ窓が美しい、内部もイギリスから直接輸入したステンドグラスやーチ型の装飾、天井のレリーフなど豪奢なものになっているというので、また機会があったら訪問したい -
(2023.12.2 撮影)
今回の南北散歩は、地下鉄鞍馬口駅から寺之内通「下柏野公園」をスタートして、出水通「光清寺」の重森美玲庭園に立ち寄り、四条通の「NISSHA歴史館」まで合計 6.5kmで打ち切りだったが、「七本松通」はこの後、「御前通」「千本通」の間を並行して南下し、松原通~五条通~七条通~(JR東海道線で中断)~八条通を進み、「西寺跡」東側を通過して九条通~十条通まで約 5.0km 続く -
16:00 四条大宮「フルーツパーラーヤオイソ」
四条通から四条大宮まで約 1.9km 歩いて、嵐電駅前の「フルーツパーラーヤオイソ」で休憩し終了、ミックスジュースは大阪の方が美味しい
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