2025/09/14 - 2025/09/14
1986位(同エリア4343件中)
Bachさん
今月の平安京南北散歩は、先月の「東洞院通」などと同様、京都御所の拡張後、丸太町通まで削られた「富小路通」を歩きます。また当日は、たまたま植物園訪問の予定があり、まだ行ってなかった隣接する「陶版名画の庭」に入ったので、朝からの京都歩きになりました。
「陶版名画」は、京都でもあまり知られてない穴場スポットで、訪れる人もまばらですが、四国の「大塚美術館」と同じものを100円で見れる、お得な場所です。
「富小路通」は、御所や二条城に近いことから、御用を勤める職人が多く集まる「職人の町」として栄えましたが、その昔は二条通にある「二条富小路内裏」で、後醍醐天皇が「建武の新政」を行った中心地でもあり、亀山天皇らの里内裏でもあった「大炊御門万里小路殿」や、秀吉時代に寺院が集中して作られた「下寺町」、家康時代に東本願寺の飛び地に造られた「渉成園」など歴史的見ごたえは十分です。
また特にここでも注目されたのは、古い歴史的建物の保存・活用がいたるところに見られることで、三条の近代建築ビル群の建物が、吉田山麓の「重森美玲庭園美術館」と同じパトロンだったり、明治時代に先進的だった「番組小学校」が近代義務教育の先進的「小中一貫」教育として、デイサービスや保育園、商業施設なども一体となった施設になり、また「四富会館」という昭和レトロな屋台酒場や、築100年を超える酒蔵を使い、カルメンマキなどの有名歌手も輩出した「ライブハウス」が今だに現役で使われているかと思えば、築120年の印刷所を最先端のテクノロジーを支援する「デジタルものづくりカフェ」として使っているなど、歩いて見ないと分からない新発見ばかりで、京都にはまだまだ無限の可能性があることを実感します。
昨今はインバウンドだけが注目されて、日本人には敬遠されがちな京都ですが、多くの人が集中しないところに真の京都の魅力を感じた南北散歩でした。
-
「富小路通」(とみのこうじ)は、現在は、丸太町通から上珠数屋町通まで約4kmの通りだが、平安京では隣の「麩屋町通」(ふやちょう)が「富小路通」で、秀吉の洛中改造から、隣の「麩屋町通」と「万里小路通」(までのこうじ・現在の柳馬場通)の間に新らしい通りが出来て、この通りが「富小路通」になった。また当初は御所内の「下立売通」から「五条通」迄あったが、御所の拡大で、この並びの他の通りと同様、丸太町通までは鴨川東側の仁王門通に「新富小路」として移転させられた。江戸期には職人が多く集まり、御所や二条城の御用を勤める職人の町として栄え、二条通付近には鍛冶屋が多かったため「鍛冶屋町」の名前も残る、丸太町通には京都地方裁判所があるため、ここから二条通までは法律事務所が多く、五条通から南は、隣の柳馬場通(やなぎのばんば)と重なったようになっているが、この辺りは「六条河原院」のあった広大な跡地で、秀吉の洛中改造で、寺町通や寺之内通と同様、寺院が集中して移転されたため「下寺町」(しもでらまち)と呼ばれる。
-
2025.9.14(日)10:00地下鉄北山駅~陶版名画の庭、植物園11:00~地下鉄北山駅~11:30丸太町駅~0.5km京都御苑富小路口~京都地方裁判所~京都弁護士会~0.1km(竹屋町通)~富有小学校の碑~寿山荘(中江種造邸)~大炊御門万里小路殿跡~0.3km(夷川通)~二条富小路内裏址~御所南小学校第2運動場・京都市立商業実習学校跡~0.2km(1.1km)(二条通)12:00ランチ「サラオ」~京都教会~願照寺~(押小路通)奇竹堂黒田宗伝~御池中学校~0.3km(御池通)~調進所紀伊国屋京町家~0.1km(姉小路通)~岡墨光堂~青木家住宅~速水家住宅~0.2km(三条通)「SACRAビル」~旅館三賀~手島堵庵五楽舎址~(六角通)~京都市生涯学習部~(蛸薬師通)~(錦小路通)~0.6km(2.3km)14:00(四条通)茶寮FUKUCHA~日本救世軍教会~徳正寺~(綾小路通)~橋本人形店~0.3km(仏光寺通)クランク~「磔磔」~(高辻通)~0.3km(松原通)~(万寿寺通)有隣公園~0.3km(五条通)本覚寺~長講堂(六条通)稚松公園(花屋町通)~0.6km(4.0km)16:00(上珠数屋町通)渉成園(北側)~0.9km(5.0km)15:00京阪七条駅
-
「陶版名画の庭」(京都府立)
世界の名画を陶板画で再現し、堺屋太一氏の発案企画により建築家・安藤忠雄氏設計の屋外施設で展示する、世界で初めての絵画庭園で、1994年に開園、1990年「国際花と緑の博覧会」に出品された4点と、新たに制作された4点、全8点からなり、花博に出展したダイコク電機(パチンコメーカー)から京都府に寄贈された、「陶板画」とは、原画を撮影したフィルムを元に陶製の板に転写したもので、屋外展示でも色褪せず、水中にも展示できる、制作は、徳島「大塚美術館」の陶板画を手がけている大塚グループの「大塚オーミ陶業」で、「大塚製薬」は、鳴門の塩田から大正10年(1921)医薬品原料製造で創業し、戦後2代目がオロナミンCやボンカレー、カロリーメイト、ポカリスエットなどヒット商品を発売、昭和40年代にはタイル製造で建設業界にも進出し衣食住に事業拡大、昭和48年(1973)に信楽の近江化学の陶器製造と融合し「大塚オーミ陶業株式会社」を設立したが、同年のオイルショックで経営危機に陥り、建材タイルの代わりに写真を陶板に転写する「肖像陶板」を始めて、1990年大阪花博出展、1998年75周年記念事業として「大塚美術館」設立、2007年美術館10周年記念事業としてシスティーナ礼拝堂天井画完全再現、美術館の全展示数は1075点もあり、迫力満点 -
「睡蓮(水の習作)朝」(実物大)
クロード・モネ作、(仏パリ)オランジェリー美術館蔵、入り口の水中に展示され、陶板ならではの展示 -
建物は、安藤忠雄らしいコンクリート打ち放しで、回廊式のスロープで地下2階まで、エアコンの代わりに、自然光と通り抜ける風と、大小の滝や池に囲まれた水の音を聞きながら、実物大の大きな作品を鑑賞する、こういう庭園もありかと思わせる独特の雰囲気
-
「最後の審判」(実物大)<花博>
ミケランジェロ・プオナロッティ作、(ヴァチカン)システィナ礼拝堂蔵、正面壁画としてたった1人で6年がかりで描いた -
作品の下に解説があるので改めてマジマジと見ると意味が深い
400人もの人物がひしめき、壁画の上半分は、聖人たちのいる天上世界で、キリストを中心に十二使徒や聖人、殉教者がおり、キリストの下方には、天使たちが「最後の審判」の始まりを告げるラッパを吹き鳴らしている、天使の左には天国へ行く人々、右には地獄へ堕ちる人々がおり、最下層の左側には、死者の復活、その右側には、罪人を運ぶ川の渡し守が櫂を振り上げている -
「最後の晩餐」(原寸大)<花博>
レオナルド・ダ・ヴィンチ作、(伊ミラノ)サンタ・マリア・ディレ・グラツィエ修道院蔵、イエスが捕まる前の晩、12人の弟子たちと食事をとった情景を描き、ユダの裏切りを予言した絵になっている、ユダはイエスの左側3番目で右手に銀貨が入った袋を握っている -
「鳥獣人物戯画」甲巻・乙巻(縦横約2倍に拡大)<花博>
鳥羽僧正作、(京都)高山寺蔵、全4巻の内、猿・兎・蛙の戯れる甲巻と、けもの達の生態を描いた乙巻を展示 -
「清明上河図」せいめいじょうかず (縦横約2倍に拡大)<花博>
中国・北宋時代の画家・張択端(ちょうたくたん)作、(台湾)国立故宮博物院蔵、中国美術史上屈指の名画で、河の流れに沿って市民の生活が細かく描かれ、宋代の風俗を知る貴重な資料 -
コンクリート打ち放しと、水の流れと絵画の組み合わせが独特の雰囲気を醸し出す
-
「ラ・グランド・ジャット島の日曜日の午後」(原寸大)
スーラ作、(米)シカゴ美術館蔵、19世紀末フランスの新印象派の画家で、セーヌ川の中州で夏の一日を過ごす人々を描いている -
「テラスにて」(縦横約2倍に拡大)
ルノアール作、(米)シカゴ美術館蔵、フランス印象派を代表する画家で、セーヌ川のレストランのテラスで、若い女性と少女が休息している様子を描いている -
「糸杉と星の道」(縦横約2倍に拡大)
ゴッホ作、(オランダ)クレラー・ミュラー美術館蔵、オランダのポスト印象派の画家で、ゴッホは糸杉を主題にした作品が多く、糸杉は死の象徴であることから、ゴッホが自らの死期が近いと自覚していたといわれる -
「京都植物園」(京都府立)
今年3回目の訪問だが、四季折々の植物を見るのは楽しい -
「彼岸花」
彼岸は9月20日だが、暑い残暑の中で早くも咲き始めていた -
11:30「京都御苑富小路口」
「植物園」11:00~地下鉄北山駅~丸太町駅~京都御苑南側丸太町通を、東へ間之町口から堺町御門を経て0.5km -
「富小路通」(とみのこうじどおり)起点
秀吉以後に麩屋町(ふやちょう)と万里小路(までのこうじ)、現在の柳馬場通(やなぎのばんば)の間に新らしく出来て、当初は下立売通から五条通迄だったが、御所の拡大で丸太町通が起点となり、御所内の通りは鴨川東側の仁王門通に移転させられた -
「京都地方裁判所」
平安時代には、平安宮を守護する役所である「衞門府」があった場所で、鎌倉・室町時代には、公家・大臣級の高官の屋敷があり、敷地内には室町時代の造り酒屋のものとされる古井戸が残る -
カフェ[琥珀」(こはく)
京町家を改装したカフェ&バーと、アートギャラリー、ワークショップスペースもある -
フランス料理「信」(しん)
京町家の隠れ家フレンチレストランで、ランチで5,000円以上で少しお高め、裁判所狙いか -
裁判所並びで、丸太町から二条通までは法律事務所が多い
-
「京都弁護士会館」
法律相談や弁護士のご紹介だけでなく、府市民教室、各種講演や講師の派遣など行う、相談料は30分5,250円で、内容により無料もある -
(竹屋町通)
平安神宮西端の桜馬場通(さくらのばんばどおり)から、鴨川を挟み、千本通までで、竹細工を扱う竹屋が多かったことに由来 -
「富有小学校の碑」(ふゆうしょうがっこうのひ)
(碑文)富有小学校は 明治2年(1869)わが国最初の小学校のひとつである上京第二十二番組小学校として開校し、以来150年にわたり 春は若葉の色はえて 秋は黄金の実をむすぶ大いちょうのもとに 心正しくすこやかな七千余名の有為な人材を育て世に送り出した 平成5年3月 21世紀への人づくりを希求する学区民の総意に基づき 梅屋竹間 龍池 春日の四校とともに新統合校御所南小学校にその使命を引き継ぎ 輝かしい歴史の幕を閉じた -
「寿山荘・旧中江種造邸」(じゅさんそう・なかえたねぞうてい)
古河鉱業として足尾銅山など開発した「中江種造」が、古河財閥を辞して中江産業として独立をし一代で富を築き、明治29年(1896)ここに別邸を建てた、内部は見れないが、展示会などイベントに利用されているらしい、「中江種造」(1846-1931)は、江戸後期から昭和6年まで、江戸・明治・大正・昭和と4代にわたって生きた人物で、古河鉱業として足尾銅山などを開き古河財閥の発展に貢献し、後に中江産業として独立し、各地の鉱山を買収し巨万の富を成し「鉱山王」と呼ばれ、山林業にも手を染め「山林王」とも呼ばれ、郷里の豊岡では銀行・製糸工場・煉瓦工場など産業振興や育英基金の創設で人材育成にも力を入れた -
「大炊御門万里小路殿跡」(おおいのみかどまでのこうじどのあと)
平安時代から鎌倉時代にかけて使われた公卿の邸宅跡、および御所跡で、平安中期、但馬守・源高房の邸宅、平安後期、後三条天皇屋敷、公卿・源能俊の屋敷となり、白河上皇が仮の御所とし、鎌倉時代、後嵯峨上皇、亀山天皇、後宇多天皇へ継承され大覚寺統の里内裏として使われたが、1319年の焼失を最後に再建されなかった -
(夷川通)お座敷机「桜井」
家具屋街として有名な夷川(えびすがわ)通には、江戸後期1864年の禁門の変で、御所周辺が焼野原になった後、多くの木工職人が集まったことから家具の街へ発展し、現在寺町通から烏丸通の間に40店舗の家具店がある、「桜井家具店」は創業140年 -
「二条富小路内裏址」(にじょうとみのこうじだいりあと)
鎌倉中期の太政大臣・西園寺実氏(さいおんじさねうじ1194-1269)の邸宅の一つ冷泉富小路殿が、1259年焼失後に後深草天皇(1243-1304)の皇居となり、その後上皇・天皇の御所として使われたが、1336年建武新政崩壊よる戦乱で焼失した -
「御所南小学校 第二運動場」
-
「京都市立商業実修学校跡」
明治33年(1900)、京都府立簡易商業学校が京都商業学校内に開校し、明治41年(1908)にこの地に移転され、その後、昭和11年(1936)に西院に移転し、昭和23年(1948)廃止された -
「京都市立商業実修学校跡」記念の森
跡地は富小路殿公園として整備され、平成22年(2010)に公園の東半分が御所南小学校第二運動場となった -
(二条通)
平安京大内裏の南側を東西に走り、朱雀大路に次いで広かった通りで、白川通から堀川通を超え二条城正面まで続く -
12:00ランチ「サラオ」
「サラオ」とは、アマゾンの密林の中にあるいう小さな沼の名前だそうで、2009年御幸町御池で創業し、2024年この地に移転するまで、多くのメディアに紹介されている人気店 -
名物は「大人のチキンライス」
思わずネーミングに惹かれるが、写真だけ見てもケチャップのチキンライスとは全く異なる -
サラダ付きで1,500円、ドレッシングも洗練されている
-
一羽の大きなチキンが丸ごと乗っており、見ただけでは何の料理か分からない、こんなチキンライスは見たことない
-
どちらが正面か分からないが、丸鳥のローストチキンの中にピラフが入っている感じで、デミグラスソースをかけて食べる
-
側面からも眺めながら、一瞬どこから食べるか考える、デミグラスソースもマイルドかビター、他にもトマト&バジル、玉ねぎとトリュフ、カレーなど複数のソースが選べるので、どれも食べてみたくなる
-
パリパリに焼かれたチキンにナイフを入れると、中からギッシリと詰まったピラフが出てくる、ピラフはチキンから出たエキスを吸って相性抜群で、中にはうずら卵も入って食感を変えているのは細かい
-
「京都教会」
明治18年(1885) 四条富小路に創立し、明治42年(1909)現地に移転、同志社との関係が深く、創立者新島襄の遺髪も納められている -
「願照寺」(がんしょうじ)
真宗大谷派のお寺 -
「たわら庵」
明治30年築の京町家をリノベーションしたホテルで、かつて皇族の印鑑を作っていた職人の工房兼住まいだった造りを活かした和モダンな部屋と坪庭や高野槇風呂は、インバウンド狙い -
一軒家レストラン「MOTOI」(もとい)
大正時代に建てられた呉服店の屋敷をリノベーションしたフランス料理店で、ランチでも15,000円以上だが、若いインバウンド客が入って行った -
「面庄」 (めんしょう)
元禄年代の1703年創業の京人形制作会社 -
(押小路通)「奇竹堂 黒田宗伝」(きちくどうくろだそうでん)
「奇竹堂」は三千家に出入りする千家十職の一つで、竹細工・柄杓師である黒田家の分家として竹細工の製造販売に携わり、現在四代黒田宗伝の工房となっている、(押小路通)は、木屋町通から千本通まで、二条通と御池通の間を通り、平安京では大内裏に近いので多くの邸宅が立ち並ぶ中心的な通りだった -
町家旅館「市松庵」
ちょうど5~6人の外国人観光客が出入りしていたが、こういう1棟貸しのホテルが増えている、HPを見ると、広さ75 ㎡、ベッドルーム3室、リビングルーム、キッチン、バスルームの別荘タイプで、5~6万円くらいだから手頃 -
ホテル「杉長」
こちらは昭和41年創立の少し高級そうな食事も出来る3つ星ホテル -
「柳池自治会館」(りゅうちじちかいかん)
京都市内でよく目にするのは、小学校と隣接して「自治会館」と「消防分団」が並んである光景で、歴史的に学区制ごとの自治組織が確立されている -
「小中一貫教育校」御池中学校
御所東小学校、御所南小学校、高倉小学校の名前が併記されているので、ただの小学校統合ではないなと不思議に思い、調べてみると、3つの小学校の6年生だけが「御池中学校」に入り、5・4制にしている「小中一貫教育のモデル校」で、これは、京都市が義務教育9年間を見直し、中学校区ごとに応じた「小中一貫教育」を、平成23年度から全ての中学校区で展開している新しい制度で、明治2年に全国に先駆けて住民自治組織であった「番組」を単位とした「番組小学校」を創り、今度は新しい「義務教育制度」に挑戦するということで、京都には明治維新の心意気が残っているなと思った *「小中一貫教育」は、学区の事情に応じて1年生から9年生まで全部が同一敷地内にあるタイプと、小学校6年生から9年生まで同一敷地内にあるタイプがある -
「京都御池中学校」と「御池創生館」2006年4月開校
都市の狭い敷地にあるビル型学校は、さほど広くない運動場を囲んで、7階建てビルに教室や体育館、プールなどあり、さらに驚くのは、同ビル内に地域包括支援センター、デイサービスセンター、保育所、ビル管理会社、イタリアンレストラン、ベーカリーショップ、ジュエリーショップなど商業施設もあり、世代間交流や賑わいを創出することも考えた、まさに地域密着型の学校づくりになっている -
(御池通)
平安京の三条坊門小路にあたり、「神泉苑」に通じることから江戸初期には「御池通」と呼ばれるようになった -
ペットホテル「るぴこむ」
わんこのお宿、しつけ、トリミングなど -
調進所「紀ノ國屋」京町家
「調進(ちょうしん)所」とは、贈答品を選定する場所で、東京青山「紀ノ国屋」が、築160年の町家をリノベーションして今年の2025年春オープン、「紀ノ国屋」は1910年創業の食品スーパーから、今ではバッグや高級食品など店舗とネットで販売 -
(姉小路通)「姉小路界隈町式目」(平成版)
平成12年に江戸時代の町衆の自治規制に倣い、「住みよい、安心して暮らせる環境づくり」を具体化するために策定したもので、「1. 姉小路界隈が大切に育んできた「居住」と「なりわい」と「文化性」のバランス、そのバランスの維持を意識しながら発展するよう、地域の人が協力してまちを支えましょう。 2. 姉小路界隈は住み続け、なりわいを表出するまちとして、その界隈性を守り育む「人」や「なりわい」を受け入れ、支えましょう。 3. 姉小路界隈は、なりわいの活気と住むことの静けさが共存する、落ち着いた風情のまちです。この環境や風情を大切に、その維持に努めましょう。 4. 生活やなりわいの身丈に合った、姉小路界隈の低中層の町並みを維持しましょう。 5. 姉小路界隈は、まちへの気遣いと配慮を共有したまちです。周囲(まち)との調和を了解しながら、それぞれの個性を表現していきましょう。 6. 姉小路界隈の通りは、地域の人に「もてなしの心」を表現する場として認識され親しまれてきました。その思いを継承し、より心楽しい美しい通りになるよう努めましょう。」住民の心意気が見える -
「ツヴィリング ジェイ エイ ヘンケルス」京都店
ドイツ生まれの老舗キッチンブランドの店が、「雅」ブランドのナイフや包丁など販売 -
「岡墨光堂」(おかぼっこうどう)
明治27年(1894)創立の美術工芸品修復・保存・表装業、現在4代目で、創業以来日本画の表装を生業とし、絵画や書跡等の文化財の修理事業に参加し、貴重な人類の宝である文化財を次世代に着実に手渡すことができるよう、安全で確実な修理をおこなうことを理念とする -
岡墨光堂主屋(おかぼっこうどうおもや)
建物は大正11年(1922)建築、登録有形文化財で、事務所棟の東に渡廊下で接続する居室棟を配し、事務所棟には残月床の座敷やマントルピースを備えた洋室などの客間がある -
「青木家住宅」(あおきけじゅうたく)
昭和5年(1930)建築、登録有形文化財で、東西に長い敷地の前に洋間、後方に玄関と和室棟を建て、洋間はステンドグラスや暖炉を備え、和室は数寄屋を基調とし、2階座敷の付書院欄間に違棚を設けた和洋折衷の町家で、庭を挟んで東側にある2階建ての土蔵は、主屋の数寄屋風の空間と調和する -
「速水家住宅」(はやみけじゅうたく)
大正2年(1913)建築、登録有形文化財で、柳行李の製作や販売が家業の専用住宅、玄関棟は1階が土間と2室、2階が2室、奥の居住棟は吹抜の通り土間で上下階とも一列3室で、その間に中庭と奥庭があり、総2階や広い開口部、1階の出格子、2階のガラス窓、大きな袖壁、虫籠窓など、近代町家の発展過程を示す重要な事例 -
「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE」京都店
2021年に立ち上げた、三宅一生(1938-2022〉が始めた、A-POC(エイポック)という技法を継承した次世代の衣服を提案するブランドの店、らしいが、さっぱり分らん? -
宝石店「NIWAKA 俄(にわか)」京都本店
昭和58年(1983)京都発祥の宝石・貴金属店で、古民家が並ぶ中にあるコンクリート打ち放しの斬新な現代的建物は、2009年安藤忠雄設計による、宝石店は銀座、青山など全国に直営店16、取扱店50を展開し、2013年にロサンゼルスにも進出して、多くのハリウッド女優が映画祭の授賞式で着用してから海外の評価も高まったという -
京都の「コインランドリー」
民泊もしている企業が新事業として展開している、完全にインバウンド向けで、忍者をテーマにした三条店と、風神・雷神をテーマにした四条店の2店舗あり、9割は外国人で、結構繁盛しているらしい -
デニム店「EDWIN KYOTO SANJO」(エドウイン)
「EDWIN」ブランドが昨年2024年、東京原宿に次いでオープンした店で、(デニムは生地でジーンズはパンツ)「EDWIN」は海外ブランドだと思っていたが、東京日暮里で米軍払い下げの衣料品販売を手がけていた商店が、日本人の体型に合った履きやすいジーンズを作り1961年に立ち上げ、「DENIM」のアルファベットを並べ替え(Mは逆にしてW、江戸に勝つとも読める)日本でジーンズを定着させた -
(三条通)
手前は「SACRAビル」、向かいは創業90年の老舗蜂蜜専門店「ミールミィ三条条本店」(蜂蜜が100種類以上並び、蜂蜜かけ放題)、(三条通)は「近代建築群」通りと言われ、江戸時代からメインストリートであった河原町から烏丸までの1kmに、明治初め近代建築が並び、昭和に入りメインストリートを四条通に譲ったことから建物は壊されず残った、日本銀行京都支店、中京郵便局、中央電話局、毎日新聞京都支局、日本生命京都支店など -
「SACRAビル」(さくらびる)
大正5年(1916)建築の旧不動貯金銀行京都支店を、昭和63年(1988)に改装、地上3階・地下1階で、現在は、雑貨店やカフェが入ったテナントビルとして使われており、所有は「ツカキ株式会社」 -
「ツカキ株式会社」(グループ)
1867年麻織物の仲買をする近江商人から始まり、着物卸と西陣織や宝石など幅広く事業展開している会社で、社長の6代目「塚本喜左衛門」(1948~ )の強い思いで「歴史ある建物の保存・再生事業」にも力を入れて、「国登録文化財所有者の会」や「三条通まちづくり協議会」のメンバーにもなっており、吉田山麓の「重森三玲」の築300年の屋敷を全面改修したり、新町通仏光寺の京呉服の名門・旧木崎家の京町家をリノベーションしてカフェ、アート・ギャラリーにしたりしている -
(2023/06/28撮影)「重森三玲庭園美術館」
「重森三玲」(1896-1975)が、吉田神社の神官屋敷の江戸中期の建物を、昭和18年(1943)に譲り受け終のすみかとし、その後平成18年(2006)に親交があった「塚本喜左衛門」(1948~ )が引き受け全面改修を行い、晩年の1970年に作庭された庭園も三玲の孫の重森三明(みつあき)氏(現在美術館館長)と協力して忠実に復刻した、入り口正面の主屋は「招喜庵」(しょうきあん)として「ツカキグループ」が管理運営し、結婚式場として活用されている、庭園は予約制で1,000円 -
( 2024/07/03撮影)「The Terminal KYOTO」
昭和7年(1932)建築の呉服問屋「木崎呉服店」の職住一体の敷地140坪の町家を、「塚本喜左衛門」がこの建屋の主人から頼まれて改装し、平成26年(2014)オープンした、玄関土間から「見せの間」を通り、奥に進むと8畳間が2間続きの広い喫茶スペースがあり、その奥に庭園と、生け垣の向こうには茶室、2階にも広い座敷があり、イベントやギャラリーなどに活用している、入場料は要らないが「有名作家のカップとコーヒーとチーズケーキ」で2,000円 -
旅館「三賀」(さんが)
日本庭園を囲む伝統的な旅館で、3つ星ホテル -
「手島堵庵五楽舎址」(てじまとあんごらくしゃあと)
手島堵庵(1718-1786)は、江戸時代中期の心学者で、この地に講舎「五楽舎」を開設して「石門心学」(せきもんしんがく)の普及に努めた *「石門心学」は、石田梅岩(ばいがん1685-1744)が創始した庶民のための生活哲学で、儒教・仏教・神道に基づいた道徳を、庶民に分かりやすい言葉で説いた -
京ちぢみ専門店「YAMASHIRO 」
店頭の「アイスキャンディー」に惹かれたが、昭和25年(1950)創業の「楊柳」(ようりゅう)生地専門店で、生地の表面に小さなデコボコがあり、綿クレープとか「京ちぢみ」(京都縮織ちぢみおり)とも呼ばれ、昔から涼しさと肌触りの良さからステテコに使われてきたが、これを幅広くTシャツやスカート、肌着などにして提供している。「アイスキャンディー」は、昭和レトロな福岡・椛島氷菓の「カバ印アイスキャンディ」で、店内で食べれるらしいが、これだけでは入りにくい -
和装小物「きねや」
昭和20年(1945)河原町で創業し、令和元年(2019)から現在の坪庭のある町家に移転、染め、織り、組紐の技術と和の伝統を生かしながら帯締め、帯揚げ、袋物等の製造を行う -
「金翠堂」(きんすいどう)
明治23年(1890)創業の日本画画材店で、建物は大正から昭和初期の京都市歴史的意匠建造物指定 -
「宮脇賣扇庵」(みやわきばいせんあん)
江戸時代1823年創業の、京扇子の製造から販売までを行う老舗で、屋号は「富岡鉄斎」の命名、「京扇子」は、扇面・扇骨・仕上加工まで国内生産し、扇面はほぼ手描きで仕上げられている -
(六角通)「コロンビア」京都店
左手西木屋町通。寺町通から、右手佐井西通まで続くが、烏丸通手前の「頂法寺」(六角堂)前を通ることに由来 -
「コロンビア」京都店
アウトドア・スポーツウェアメーカーの「コロンビア」が、築100年の古民家を再生し、2019年に開店した、「Columbia」はアメリカオレゴン州ポートランドで1938年創業のブランド -
「京都市教育委員会 生涯学習部」
元生祥(せいしょう)小学校が、平成7年(1995)高倉小学校に統合され、跡地を「生涯学習部」と「京博連事務局」「生祥消防分団」として使用 -
「要庵西富家」(かなめあんにしとみや)
明治6年(1873)創業の老舗4つ星ホテルで、庭園付の8室だけの宿85,000円~、ミシュランガイドに16年連続で掲載され、料理だけでも日本料理店として掲載されている、朝食だけでも予約できるらしい5,000円~ -
「津田画廊」(つだがろう)
昭和56年(1981)創業の美術商 -
(蛸薬師通)「Manhattan Portage KYOTO」
東は木屋町通から西は佐井通まで続く通りで、新京極通沿いにある「永福寺」(蛸薬師堂)に由来する -
「Manhattan Portage KYOTO」(マンハッタンポーテージ 京都)
原宿に次ぎ2店舗目として2023年オープンした、バッグ、アパレル、帽子などニューヨークのブランド -
「エリシア」 L'ELISIR 京都
2022年オープンのカバン専門店、イタリア伝統技術の革で、京都の伝統美を、カタチで表現した鞄の販売店 -
「MOON and BACK Ramen Bar Kyoto」
2025年9月オープン仕立て、完全にインバウンド向けで日本人にはついていけない、カラオケ付き個室、グルテンフリー、ヴィーガン対応、揚げ物、しゃぶしゃぶ、ラーメンなど何でもあり -
「三木鶏卵堂」(みきけいらんどう)
錦市場に昭和3年創業の、だし巻玉子専門店「三木鶏卵」が、2022年に始めたスイーツショップで、だし巻きを使ったサンドイッチや、プリン、カステラ、シュークリーム、フィナンシェなど販売 -
「スプリングバレーブルワリー 京都」
築100年の町屋をリノベーションし、2017年オープンした、クラフトビール醸造所を持つブルワリーレストラン、東京。横浜に次ぎ3店舗目 -
(錦小路通)
新京極通の「錦天満宮」正面から壬生川通までで、新京極通と高倉通までの「錦市場」は京の台所と呼ばれるが、相変わらずインバウンド客でごった返し、食べ歩きが多くて近寄れない -
「弥生刃物店」
つい最近2025年9月にオープンしたばっかりの包丁屋さん -
うなぎ「昊」(そら)
2021年オープン、福岡の水産会社が自ら育てたブランド鰻を提供する -
「四富会館」(よんとみかいかん)
「四条通」と「富小路通」の頭文字からの命名で、細長い一棟の建物に10数軒の店が並び、横丁や路地裏でなく、京都では「会館」と呼び、京町家の景観を残しながら独自の酒飲み文化を生み出し、昭和にタイムスリップしたかのようだが、当然建築法令上は問題だらけで、いずれは無くなるかも知れないが、いつまでも生き残って欲しい -
「京都の会館文化」(坂本りかさんnoteより)
京都の街角には、古い木造家屋を改装した独特の酒場スポット「会館」が点在しており、細い路地のような通路に小さな飲食店がひしめくその光景は、昭和にタイムスリップしたかのような雰囲気です。戦時中の強制疎開で多くの町家が失われた苦い経験から、戦後の都市復興では残った町家を安易に取り壊さず活用しようという機運が生まれ、京都では古い町家の内部を細かく区切って複数の小さな飲食店を入れるという手法が取られ、一つの屋根の下に屋台のような酒場が集まる空間が誕生し、最盛期には60箇所以上もの会館が存在したともいわれ、町のあちこちで庶民的な飲み屋文化が花開き、錦市場で働く人々や近隣の飲食業関係者も仕事終わりに集う場となって、単なる飲食店の集まりに留まらず、古都の街並みに溶け込みながら庶民の社交場としても愛されてきた会館は、古い建物を活かしつつ経済ニーズに応える京都人の気風によるものです -
(四条通)「グランドセイコーブティック」
(四条通)は京都最大の繁華街で、CHANEL(シャネル)、CARTIER(カルティエ)、LOUIS VUITTON(ルイ ヴィトン)、PRADA(プラダ)など、高級ブランドがひしめくが、つい最近2025年7月に「服部セイコー」の高級ブランド店がオープンした、最近話題の「大谷翔平モデル」は、数量限定で46万円~ -
14:00(お茶休憩)茶寮「FUKUCHA」
江戸時代創業の老舗お茶屋「福寿園」が、2021年オープンした茶寮で、寛政2年(1790)京都山城で福井伊右衛門により茶商としてはじまり現在9代目、ペットボトルの「伊右衛門」はサントリーとのコラボブランド -
「京都の老舗お茶屋」
(古い順に)1. 通圓(つうえん)1160年(平安時代末期)、2. 上林春松(かんばやししゅんしょう)1573年(安土桃山時代)、3. 一保堂茶舗(いっぽどうちゃほ)1717年(江戸時代)、4. 福寿園(ふくじゅえん)1790年(江戸時代)、5. ちきりや 1854年(江戸時代)、6. 中村藤吉(なかむらとうきち)1854年(江戸時代) -
お茶屋専門店らしく、煎茶、ほうじ茶、かりがね茶、おうす茶、水出し茶、紅茶、ほうじ茶コーヒー、宇治茶ラテなど豊富 *「お茶の種類」は大別して、不発酵の「緑茶」と、発酵させた「紅茶」と、半発酵の「ウーロン茶」で、緑茶に覆いをしない「煎茶」「番茶」、覆いをする「かぶせ茶」「玉露」、煎茶や玉露を作る際にふるい分けられた茎の部分だけを使った「かりがね茶」(茎茶)、茶葉を乾燥し石臼で挽いて粉末状にしたおうす茶(抹茶)、煎茶や茎茶などを強火で焙煎した「ほうじ茶」「玄米茶」
-
そうめんやお茶漬け、かき氷まで
-
一押しの、福寿園自慢のこだわりの宇治茶と、特製スイーツを4種類ずつペアリングした飲み比べセット「トラディショナルティーペアリング」と「ハーバルティーペアリング」(各1,925円)を注文
-
「トラディショナルティーペアリング」
左から、宇治抹茶×ショコラオランジュ(ホワイトチョコとオレンジの皮)、煎茶×柚子クリーム最中(最中と白餡、クリームに柚子)、和紅茶×ミルティーユショコラ(ブルーベリーのショコラ)、ほうじ茶×クルミとイチジクのタルト(イチジクとクルミのキャラメリゼ) -
美味しかったが、二人で一つでも良かった
-
京都らしい門構えの「ワンダス写真館」
大正2年(1913)創業の老舗写真館で、HPによると、日本人が撮影した最古の写真「島津斉彬像」が写された2年後の1859年(安政6)に、現館主の高祖父が京都鳩居堂の七代当主を撮影した肖像写真が京都市有形文化財に指定されたという、相当年季の入った写真館がこういう所にあるのも京都らしい -
「日本救世軍教会」(救世軍京都小隊)
西洋近代建築の「ヴォーリズ建築」として有名な教会なので、内部も見たかったが、残念ながら日曜日11-12のみ公開、またの機会にしたい、「日本救世軍」は、プロテスタントの教会で、軍服姿で「社会鍋」を行っているのを見たことがある -
「徳正寺」(とくしょうじ)
安土桃山時代の1593年、浅井長政の菩提所として創建され、1476年室町時代に建立された「大谷道場」を引き継ぎ真宗大谷派となり、1602年、徳川家康の二条城築造に伴い現在地に移転した、非公開なので内部は見れないが、一風変わった茶室と庭園があるというので、機会があれば見てみたい -
スペイン料理店「ベジョータ コンチャ 」
ランチ11:30~でもパエリア、アヒージョなど1,500円くらいからあるので、食べてみたい -
(綾小路通)あやのこうじどおり「あや富」
寺町通から天神川通まで、杉本家住宅をはじめ裕福な商人が多かった通りで、西へ進むと壬生寺、新選組屯所跡がある。「あや富」は隠れ家的おうち割烹 -
「KAKIMARU」(かきまる)
牡蠣好きとしては、リーズナブルに食べれるのでマークしていたが、17:00開店なのでまだ行く機会がなかった店で、昼間の時間に行列が出来ていたのでビックリ! よく見ると、暖簾と表のメニューは「和onおにぎりカフェ」となっている、今年の2025年5月から、朝8時~15時まで間借り営業していて、なかなかの好評らしい -
京都四条酒場「神聖」
1677年創業の「神聖」というブランドで有名な京都伏見の酒蔵「山本本家」と、和食居酒屋がコラボした日本酒居酒屋で、今年2025年3月に、おしゃれな京の隠れ家酒場としてオープンした -
「吉田木芸」
昭和2年(1927)創業で、木彫工芸品、京指物工芸品、木彫室内装飾、看板など製作、1957年から「木彫教室」開始 -
突き当り(仏光寺通)ぶっこうじどおり
鴨川から佐井西通まで、綾小路通と高辻通の間を走り、「仏光寺」の北側に面することに由来する -
「橋本人形店」
江戸の宝暦年間(1751年)より続く人形作りの会社で、一子相伝の技で有職雛人形司が最高級の京人形を制作する -
(右折して左折)「おいしい中華宇霖」(うりん)
-
ライブハウス「磔磔」(たくたく)
築100年を超える町家に、「磔磔」と書かれた屋根付き軒看板が目を惹く、ここは何と、200~300人も入る「ライブハウス」で、しかもライブハウスという言葉もない時代の昭和49年(1974)に、酒蔵だった建物を改装し、音楽喫茶としてオープン、1978年からライブハウスとなり、国内外の数々のミュージシャンたちが演奏を繰り広げた有名なところだったらしく、上田正樹とかカルメンマキ、スピッツなどの名前もある、恐るべし京都の懐の深さが垣間見える -
「酒蔵ライブハウスの50周年」
昨年2024年12月、BSフジテレビで、酒蔵ライブハウスの50周年にあたり「磔磔というライブハウスの話」という放送があり、その出演者が、黒猫同盟(上田ケンジ+小泉今日子)、ピーズ、泉谷しげる、浅野忠信、平成トリオ、大西ユカリ、など錚々たる面々 -
おちこちや「京木綿」
2002年開業の、普段着の着物店 -
カフェ「世界倉庫」
京都らしい奥まった露地先にあるカフェとギャラリー -
右側看板はどれも字体が面白い
「萬事機嫌よく かつら枝雀」(桂枝雀が好んで色紙に書いた言葉)と、「BOOK CASE かみはこやおおやぎ」 -
(高辻通)「松本屋」
鴨川から梅津街道までで、途中の醒ヶ井通との交差点付近が洛中で一番高い所であったことに由来する、「松本屋」は、1915年創業の仏具店 -
ホテル「KABIN Kyoto」(カビン)
洋風 3つ星ホテル -
ホテル「ザ町家エビスヤ」
和風 3つ星ホテル -
(松原通)「うるし加藤小兵衛商店」
清水寺門前の清水道から佐井西通までで、松並木の綺麗な通から「五条松原通」と言われるようになったが、秀吉が現在の「五条の橋」を架けたことから「五条通」の名前が移り、この通りは「松原通」になった -
「加藤小兵衛商店」(かとうこへいしょうてん)
江戸後期創業から150年の老舗漆問屋で、漆工材料や漆器木地を販売し、最近は一般向けの「うるし塗教室」を開催し、お椀やお箸、アクセサリー、重箱など自由に作れる、3時間15,000円~ -
銅器商「西村松寿堂」(にしむらしょうじゅどう)
明治18年(1885)創業の老舗金属工芸品販売店で、茶道で湯を沸かすための風炉(ふろ)や茶釜、鉄瓶などの茶道具類、銅製の花瓶や吊灯篭などの工芸品を販売する -
トレーニングジム「Good Start KYOTO」
昨年2024年12月にオープンしたトレーニングジム、こういう新形態の業務を新規建物で起業する事業家もいるが、閉まっているのでちょっと心配 -
(万寿寺通)「有隣公園」(ゆうりんこうえん)
寺町通と河原町通の交差点から葛野西通まで、松原通と五条通の間を走り、かつて東洞院通交差点にあった「万寿寺」に由来する(現在は東福寺塔頭として東福寺駅近くにある) -
「有隣小学校跡」
明治2年(1869)、番組小学として開校し、平成4年(1992)統廃合により廃校 -
「京都国際フランス学園」
平成29年(2017)有隣小学校跡地に開校した、フランス語によるインターナショナル・スクールで1997年の設立、フランス政府認可の幼稚園から高校まであり、30以上の国籍の267名が在籍、英語と日本語の2つの語学コースで、フランス教科の授業を行う、日本には東京、京都の2校 -
「松籟園」 (しょうらいえん)
昭和21年(1946)創業の本格抹茶屋さんで、抹茶を中心に、煎茶、玉露、焙じ茶などを扱う -
(五条通)
平安京の六条坊門小路であるが、秀吉が五条大路(現在の松原通)にあった五条大橋をこの地に移したことから「五条通」になり、第二次世界大戦中に拡張され幅の広い道路になった -
「本覚寺」(ほんかくじ)
鎌倉時代の貞応元年(1222)に、将軍源実朝の後室・坊門信子が創建し、秀吉の命によりこの地に移った、ここは嵯峨天皇の皇子「源融」(みなもとのとおる)の河原院塩竃第(しおがまだい)があったところで、この辺りは「本塩竃町」という -
「上徳寺」(じょうとくじ)
江戸時代の慶長8年(1603)に、徳川家康の帰依を得て側室阿茶の局(あちゃのつぼね)が開基した、通称「世継地蔵」「京のよつぎさん」とも呼ばれ、境内にある世継地蔵に祈願すると良い世継ぎが授かるとして信仰を集めている -
「FabCafe Kyoto」(ファブカフェ)
ただのカフェではないようなので、調べると、建物は2015年、印刷所や家具屋として使用されていた築120年の木造3階建てをリノベーションしたもので、1階、2階がカフェとコワーキングスペース、3階がオフィス、経営は「ロフトワーク」というWeb、コンテンツの会社で、デジタルものづくりカフェ「FabCafe」、素材メーカーとクリエイターの共創を支援する「MTRL」(マテリアル)、クリエイター支援の「AWRD」(アワード)を運営し、東京、京都、香港、台湾に拠点を持つ、京都には古いものも新しいものもいろいろあるから面白い -
「新善光寺」(しんぜんこうじ)
鎌倉時代の寛元元年(1243)、後嵯峨天皇の勅願により創立され、本尊の阿弥陀如来像が、善光寺の阿弥陀如来像の分身像として造られことから「新善光寺」と呼ばれる、現在は泉涌寺塔頭 -
正面に「京都タワー」
-
「極楽寺」(ごくらくじ)
安土桃山時代の1560年頃、一蓮社上人(いちれんじゃしょうにん)により創立され、秀吉の命によりこの徒に移された、知恩院を総本山とする浄土宗の寺院 -
「太子堂 白毫寺」(たいしどう びゃくごうじ)
推古天皇の時代、渡来僧曇徴(どんちょう)が、聖徳太子自らが彫刻した太子二歳の像を安置して創建、聖武天皇の時代、太子像の白毫(眉間にある白い毛)から光を放つという出来事があったことから「太子堂白毫寺」と命名された -
「ドッグカフェ」も
-
「蓮光寺」/長曽我部盛親公埋首地(まいしゅち)
「蓮光寺」(れんこうじ)は、室町時代の1492年、天台宗の僧・真盛(しんせい)上人が高野山の苅萱堂(かるかやどう)に模して創建し、その後が浄土宗に改めた、地蔵堂には弘法大師作と伝えられる「駒止地蔵」を祀り、境内には土佐の「長曾我部盛親」(ちょうそかべもりちか)の墳墓がある *「長曽我部盛親」(1575-1615)は、土佐の戦国大名で、大坂の陣で西軍・豊臣方につき敗走し、二条城で晒し首にされ、三条河原で首を晒された後、蓮光寺に埋葬された -
「長講堂」(ちょうこうどう)
平安末期の1183年、後白河法皇が六条御所内に持仏堂を建立したのが起源で、「法華経」を長期間講習する堂として命名され、以後転々としたが、1588年秀吉の命でこの地に移転した、現在は、長岡京の粟生光明寺(あおうこうみょうじ)が所轄する西山浄土宗(せいざんじょうどしゅう)に属し、後白河法皇の臨終仏(りんじゅうぶつ)である本尊阿弥陀如来及両脇侍(りょうわきじ)像と御影堂(みえいどう)に安置する後白河法皇木像、ともに重要文化財を保有している -
「萬年寺」(まんねんじ)
室町時代の1555年、西山浄土宗の僧・頂空により創建され、1591年秀吉の命により現在地に移転した *五条通から六条通辺りまでは寺院が多いが、この辺りは秀吉の洛中改造により多くの寺院が移転させられ、「寺町通」や「寺之内通」と同様、「下寺町」(しもでらまち)と呼ばれ、約20の寺院が集まっている -
「稚松公園」(わかまつこうえん)
明治2年(1869)開校の「稚松小学校」が、平成4年(1992)統廃合で廃止され、跡地に「稚松保育園」と隣接して公園が整備された -
(花屋町通)カフェ「Walden Woods Kyoto」
この地・富小路通から東西本願寺の北側を通り、天神川通・阪急西京極駅前までで、東西本願寺に手向ける生花商の店が多かったことに由来する -
正面突き当りが「渉成園」で、この「上数珠屋町通」で「富小路通」は終了
-
「渉成園」の北側土塀
この辺りは、光源氏のモデルといわれている嵯峨天皇の第12皇子で左大臣にまで昇った「源融」(みなもとのとおる 822-895)が、藤原家の台頭により隠棲した邸宅「六条河原院」があった、(東京ドームよりも)広大な敷地で、ここで光源氏が夕顔と一夜を明かしたという -
(2024/09/12撮影)「渉成園」(しょうせいえん)
「六条河原院」の跡地は、1641年三代将軍徳川家光から東本願寺に寄進され、1653年法主の隠居所から始まり、同年には源融の趣向を取り入れた「印月池」を中心とした池泉回遊式庭園が、詩仙堂の造営で有名な「石川丈山」により造られ、長らく歴代門首の隠居所と迎賓施設として東本願寺の重要な機能を果たしてきた *「印月池」は、当初は高瀬川からの水を引いていたが、明治に入り琵琶湖疏水の水が東本願寺の防火用に引かれてから、渉成園にも引き込まれたから、この水は琵琶湖の水 -
(2024/09/12撮影)「源融の供養塔と塩釜(しおがま)」
庭園は、源融の赴任先であった奥州塩釜の風景を模した趣向を取り入れており、造園前の鎌倉時代からあったとされる九重の石塔「源融の供養塔」と、貴族の風流な野遊びであった「塩焼き」(塩作り)の煙で心を癒していた「塩釜」が置かれている、平安時代に難波(尼崎)から海水を運んで、在原業平など多くの歌人や文人たちを河原院に招き、風雅な暮らしをして余生を過ごしたという、周辺には「塩竃町」とか「塩小路」という地名が残ります
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
二条・烏丸・河原町(京都) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
144