2025/01/16 - 2025/01/16
1750位(同エリア6948件中)
Bachさん
先日のニュースで、かねてから行きたいと思っていた「對龍山荘庭園」の正式公開が1月15日から始まるということだったので早速行くことにし、ついでに今年の干支巡りの「初詣」と、お節の後の「初食い」として「マムシ」とも言われる「ウナギ」を食べに行きました。
「對龍山荘」(たいりゅうさんそう)は、南禅寺界隈で「無鄰菴」と並ぶ名庭で、「ニトリ」創始者の社会貢献を始めたいというお陰で見れるようになりましたが、期待に違わず「無鄰菴」を凌ぐスケールの大きさで、全ゆる伝統的な庭園技術が入り、「桂離宮」や「苔寺」にも負けない見事な庭園で、今年から始まった建物の公開も「ニトリ美術館」として、秘蔵の貴重で高価そうな絵画や置物などが陳列され、これだけでも見る価値のある見事な美術館で、入館料3,000円には最初ビックリしましたが、終わって見れば納得の価値観です。
「初詣」は正月元旦の「吉祥院天満宮の弁天さん」に次ぐ2回目の「狛蛇」詣でしたが、「玄武神社」「出町妙音堂」「熊野若王子神社・天龍白蛇弁財天」「大豊神社」の4か所を一気に周り、最後は「蛇おみくじ」で「大吉」まで頂く幸運に恵まれ、最高の1年のスタートになりました。
また、関西では「ヘビ」つながりになる「マムシ」とも言われる「ウナギ」を食べたいと思い、これもかねてから行きたいと思っていた「わらじや」で、名物「うぞうすい」を頂き、新年早々まことに充実した1日になりました。
巳年の「巳」は、実入りが多く「金運アップ」「幸運アップ」が期待され、「不老長寿」「家族平和」をもたらすとされますが、「大吉」には「願望は叶うものの心正しくないと敗れる」とも書いてあるので、今年も心してコツコツと一歩ずつ歩いて行くことにします。
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(行程)
10:00四条河原町バス~堀川鞍馬口(紫野)~10:30玄武神社~バス北大路堀川~葵橋西詰~出町妙音堂~電車出町柳駅~京阪七条駅~0.4km11:30わらじや~バス七条京阪前~東山二条門~1.4km對龍山荘13:30-14:30~1.2km15:00熊野若王子神社・天龍白蛇弁財天~0.5km16:00大豊神社~0.7km16:40バス東天王町~三条河原町17:00~お茶休憩 徒歩合計4.2km -
「玄武神社」(げんぶじんじゃ)
「玄武」とは、蛇と亀が一体となった伝説上の神獣で、北の方角を守る四神の一つであり、平安京の北方を守護することから名付けられた神社で、第55代文徳天皇の第一皇子として生まれながら悲運な生涯を歩まれた惟喬親王(これたかしんのう)の御霊を慰めるため、878年郷士の紀茂光が創建したのが始まりで、「惟喬社」とも呼ばれた -
「惟喬親王」(これたかしんのう)844-897
文徳天皇の第一皇子として生まれ、いずれは天皇になると期待されていたが、当時最も権威を誇っていた藤原良房の娘・藤原明子が850年第四皇子の惟仁(これひと)親王を誕生したことで状況が一変し、生後わずか9カ月の惟仁親王が皇太子になり、858年天皇崩御に伴い9歳で清和天皇(せいわてんのう858-876)として即位し、外祖父の藤原北家・良房が摂政となり政治の実権を掌握した(所謂、藤原氏の摂関政治の始まり)ため、惟喬親王は国政に関わることはなかった -
「本殿」
御祭神の「惟喬親王」の母方の末裔で、この辺りの「雲林院」に居住していた郷士の紀茂光が、親王の慰霊と王城北面の鎮護とこの地の守護神として創建し、その子孫が代々神職として明治中期まで奉仕している -
「亀宮」(かめのみや)
祭神の前には「玄武の石像」が鎮座しており、亀は長寿、蛇は商売繁盛にご利益があるとされ、昔は境内の小池にたくさんの亀が放し飼いにされていたことから、「亀宮」とも呼ばれていた *「京都の四神」は、北の「玄武」、東の「青龍」(せいりゅう)、西の「白虎」(びゃっこ)、南の「朱雀」(すざく)の神獣で、 青龍は「八坂神社」、白虎は「松尾大社」、朱雀は「城南宮」、玄武は「上賀茂神社」 -
「玄武の石像」
神獣の「玄武」は、亀に蛇が巻きつき、亀の尾が蛇となっていたりする姿で表現され、亀は「長寿と不死」の象徴、蛇は「生殖と繁殖」の象徴とされ、金運上昇や健康長寿のご利益がある -
「稲荷大明神」と「三輪明神」
本殿の隣には、左に「玄武稲荷大神」、右に「三輪明神」の二つの末社があり、「稲荷大明神」は五穀豊穣・商売繁盛、「三輪明神」は病気平癒・延命長寿のご利益があり、奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)を御分霊し、「やすらい祭」のルーツともいえる「花鎮祭」が行われていた -
京都三大奇祭の一つ「やすらい祭」発祥の地
毎年4月に行われる「玄武やすらい祭」は「鞍馬の火祭」と広隆寺「太秦の牛祭」と並ぶ京都三大奇祭の一つで、今宮神社が有名だが、発祥はここ「玄武神社」で、平安中期の965年、京の都で疫病が流行し奈良の 大神神社(おおみわじんじゃ・三輪大社)の「鎮花祭」を玄武神社で行うよう勅命(天皇の命令)があったことから始まり、今宮神社、上賀茂・川上大神宮でも伝承されており、「風流傘」と呼ばれる大きな花傘に入ると、1年間無病息災で過ごせるといわれる -
「雲林院跡」(うりんいん)案内板
この辺りは「紫野雲林院」という地名で、神社の背後にあるマンション建設前の2000年に、平安時代の建物跡や井戸、土師器、瓦などの遺物が発掘され、広大な「雲林院」の遺跡が初めて確認された(大徳寺は鎌倉時代に雲林院の敷地に建立された)、「雲林院」は紫式部の生誕地で晩年を過ごしたとも言われ、堀川通側には「小野篁墓所」の隣に「紫式部墓所」がある -
(2024.12撮影)手前「紫式部墓所」と右手に「小野篁墓所」
近くの堀川北大路沿いの島津製作所紫野工場の一角にあるが、何故か「紫式部」(973-1031頃)と200年近い時の隔たりがある「小野篁」(802-853)のお墓が並んでいる、理由には諸説あり、「この辺りはかつて小野氏の語り部集団が住んでいた領地で、後に藤原氏の所有となり、彼女の夫・藤原宣孝(のぶたか)の関係から、紫式部が晩年を過ごした」という説や、「源氏物語という色恋の作り話で人心を惑わし地獄に堕とされたのを小野篁が閻魔大王と紫式部の間をとりなし地獄から救った」という説から「源氏物語」の愛読者たちが二人の墓を築いたという -
バスで出町柳へ移動して「出町妙音堂」到着
賀茂川と高野川が合流する三角州にかかる出町橋の西側で、すぐ近くの「出町ふたば」にはこの日も行列ができていたが、神社名石碑には「妙音弁財天」、鳥居の扁額には弁財天ではなく「妙音天」(みょうおんてん)と掲げられている -
「弁財天・出町妙音堂」(べんざいてん・でまちみょうおんどう)
正式名称は「青龍妙音弁財天」(せいりゅうみょうおんべんざいてん)、通称「出町妙音堂」または「出町の弁天さん」などと呼ばれ、西園寺寧子(ねいし)が建立した伏見宮家の菩提寺で、相国寺の塔頭でもある「大光明寺」の飛地境内、正面には鳥居があるが、内は仏教で、仏教と神道が混合した「弁財天」が本尊になっている -
本尊は「青龍妙音弁財天画像」
鎌倉時代の1306年に左大臣・西園寺公衡(きんひら)の娘・寧子(ねいし)が後伏見天皇に嫁いだ際に持参し、南北朝時代には伏見離宮内に祀られ、その子の光厳、光明、崇光天皇らを経て代々伏見宮家に伝えられ、江戸時代に伏見邸が出町北鴨口に移った際に敷地内に祀られ、明治維新後の明治2年(1869)に東京遷都で伏見家の移転にともない移されたが、地元の信徒らの請願によって明治34年(1901)現在の場所に新たにお堂を作って祀られた、本尊は現在「相国寺承天閣美術館」に寄託され、春の大祭と巳の日法要、お火焚祭の時にのみ本尊の写しが公開される、また西園寺家の「弁才天画像」は、屋敷内に「妙音堂」を作って祀り、現在は「白雲神社」と名前を変えて京都御苑の中の西園寺家の屋敷跡に残っている -
「妙音天」(みょうおんてん)
「弁財天」は琵琶を弾く女神様で、美しい音楽を奏でることから「妙音天」とも呼ばれ、音楽の神様、芸能の神様として信仰されている、また「弁財天」は元々インドの河の神様で、日本でも水を守る神様として、琵琶湖の竹生島や、湘南の江ノ島などに祀られ、「出町の弁天さん」も賀茂川と高野川の合流点で都の水を守っている、さらに本来の「弁才天」を「財」の字にして、財宝をもたらす神様とされ、江戸時代からは七福神の1つに加えられた -
「双頭の白蛇像」
拝殿内に、弁財天の使いとされる「双頭の白蛇像」が安置されている -
拝殿軒下には、蛇の瓦や、さまざまな蛇の絵馬が飾られている
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「蛇の瓦」
「元気」とも見える? -
「蛇」が「弁財天」のお使いである理由
弁財天は川の神(水神)であり、蛇は水辺の生き物で、その形態が川を思わせることから神の使いとされ、弁財天にお参りすると蛇がお願いを届けてくれると信じられている -
拝殿の裏側
蛇やインドの神様のような絵馬が飾ってあり、素人っぽくて親しみが湧くが、これらは、かつてこのお堂の管理をされていた画家が描かれたものだという -
本堂南側
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本殿にあたる「六角堂」
拝殿の裏の白壁の建物は、弁才天画像が東京から現在地に戻された明治34年に建てられたもので、弘法大師筆と伝えられる御本尊の「青龍妙音弁財天画像」の掛け軸が祀られていたが、現在は「相国寺承天閣美術館」に寄託され、本尊の代わりの御前立として弁才天の木像が安置されており、この六角堂を歳の数だけ回りながらお参りすると、願いが叶うと言われる -
「心願成就のお手紙」
弁財天に手紙を書いて、「双頭の白蛇像」の前に奉納しておくと、お使いの蛇がお願いを届けてくれる -
流石に地域密着、「ふたば」の「御神灯」(ごしんとう)もある
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「社務所」
流石に「巳のカード」は売り切れ -
境内の御神木の切り口がハートに見える、のも御愛嬌
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「京洛七福神」
御本尊「青龍妙音弁財天画像」の由来と、「京洛七福神」の一つに数えられると、紹介されている *弁財天(出町・妙音弁才天)、ゑびす神(四条・恵比寿神社)、大黒天(松ヶ崎・妙円寺)、福禄寿(荒神口・護浄院)、寿老神(寺町・革堂行願寺)、布袋尊(円山・長楽寺)、毘沙門天(山科・毘沙門堂) -
「豊川稲荷大明神」
境内には「豊川稲荷」もあり狐もいる、これまで多くの神社で見かけるお稲荷さんが「豊川稲荷」か、「伏見稲荷」か、特に気にかけなかったが、ここに来て気になったので調べてみると実に奥が深い! 稲荷神社の総本社である「伏見稲荷」は711年創建で、渡来人の秦氏が祀っていた神が土着の「神道」と習合した「宇迦之御魂神」(ウカノミタマ)を祀ったもので、平安京で嵯峨天皇に東寺を任された真言宗の空海信仰と結び付いて全国に拡大した、そして室町時代になり、道元の弟子が宋からの帰国の途中で白い狐に乗った「荼枳尼天」(だきにてん)に出会い加護を受けたことから、1441年創建の曹洞宗・豊川妙厳寺(みょうごんじ)に祀り、江戸時代になって徳川家や庶民にまで広がったもので、「宇迦之御魂神」を祀る神社の「伏見稲荷」と、「荼枳尼天」を祀る寺院の「豊川稲荷」は、狐つながりから稲荷信仰と習合し稲荷神と同一視されるようになり、商売繁盛や五穀豊穣のご利益があることから、明治以降には商売繁盛に特化して祈願する企業や、会社にお宮を持つ企業も現れ、どこにでも見かけるようになった -
二つの川の合流デルタ(三角州)にかかる「出町橋」
橋梁銘板には「賀茂川」、一級河川の銘板には「鴨川」とあり、この橋を境に川の漢字名が変わる、「出町橋」につながる高野川に架かるのが「河合橋」、「出町橋」の上流が「葵橋」、下流が「賀茂大橋」 -
電車で出町柳駅から七条駅へ移動し、徒歩5分で「わらじや」到着11:30
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「わらじや」(老舗うなぎ屋専門店)
江戸初期の1624年創業で、太閤秀吉が方広寺の大仏殿建立の様子を見に来るごとに、いつもこの家で草履を履き替えたことからの命名、谷崎潤一郎も訪れたという老舗中の老舗で、小説にも登場する部屋が今も現存し、京都の町家らしく玄関は狭いが奥は広く、20名入る大部屋や座敷、テーブル席などある、暖簾の「羹膾」(かんかく)は、HPによると、「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」と言うことわざの略で、「わらじやの料理が想い出に残り続けるようにしたい」という想いを込めているという -
創業400余年らしく、建物も古く、暖簾をくぐると打ち水をした石畳と、井戸が素敵な坪庭があって、さすがの深い歴史を感じる
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名物の「うぞうすい」と「まむし御膳」と「鰻の白焼き」を注文
まずは「抹茶」と「落雁」が出てくる、落雁はひょうたんの形で「わらじや」の4文字が見える -
お洒落な折り紙の「箸入れ」
「箸入れ」を広げると、名物の「鰻鍋と鰻雑炊」の解説のようなものが入っている、仲居さんに聞いたらフリガナ付を見せてくれた、が理解不能 -
「鰻の白焼き」
皮と身の表面がパリパリ、身はとろけるような食感で、山葵とワサビ、レモン、醤油でいただく、以前浜松で食べた食感とは別物 -
「まむし御膳」
関西では「鰻丼」のことを(ご飯にタレをまぶすことから)「まむし」と言う、わらじや秘伝のタレで食べる味は格別で、肝吸いも体に染みわたる -
名物「うぞうすい」(鰻雑炊)
鰻といえば、「蒲焼」か「ひつまぶし」だが、「うぞうすい」は初めて、具には牛蒡、人参、椎茸に白焼きの鰻と餅も入っている、いろんな味が混ざって微妙だが上品な味 -
最後にフルーツでお口直し
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バスで七条から東山二条門まで移動し、バス停から南禅寺方面へ1.3km歩くと、湯豆腐の「八千代」を過ぎて「菊水」の隣、南禅寺塔頭「金地院」の手前に案内板がある
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「對龍山荘」(たいりゅうさんそう)
「南禅寺」近辺にある「南禅寺界隈別荘群」の中でも「無鄰菴」と並び最高傑作と言われ、かねてより行きたいと思っていたが、最近2010年になって「ニトリホールディングス」の所有になり、昨年秋から一部公開され、今年1月15日から建物も含めた全面公開が始まった -
「南禅寺界隈別荘群」
もともとは南禅寺の境内であったが、明治23年(1890)頃から明治政府は寺領を没収し民間に払い下げ、政府要人や実業家が購入し、現在17邸の別荘が残る、琵琶湖疎水の水を引き入れた七代目小川治兵衛(植治)の名庭園が多く、「対龍山荘」は「無鄰菴」「清風荘」(京大構内)に次ぐ3番目に国指定文化財(庭園は1988年国指定名勝、建物も2024年国指定重要文化財)となっている *碧雲荘(二代目野村徳七別邸)、何有荘(かいうそう:染色事業家・稲畑勝太郎邸)、對龍山荘(軍人政治家・伊集院兼常~ニトリ似鳥)、流響院(実業家・塚本与三次邸)、清流亭(実業家・塚本与三次邸)、有芳園(15代住友友純別邸)、真々庵(実業家・染谷寛治別邸~松下幸之助)、無鄰菴(山縣有朋別邸)、居然亭(三井家別家・中井三郎兵衛別邸)、清風荘(西園寺公望邸)、智水庵(北陸の鉱山王・横山隆興別邸~ZOZO前澤)、怡園(いえん:細川家別邸)、料理旅館八千代(雨月物語著者・上田秋成邸)、洛翠庭園(藤田組・藤田小太郎邸~ユニクロ柳井)、 料理旅館菊水(呉服商・寺村助右衛門別邸) -
「ニトリ」さんは2010年に数十億円で購入
記事によると、山荘と庭園の再整備に8千万円、庭園整備に1億4千万円、年間の維持管理費は庭園だけで数千万円かかるそうで、これを取引先の接待などで使うだけでなく、「この素晴らしい庭園を公開して広く楽しんでいただきたい」という創業者の想いで踏み切ったらしい、別荘の多くは現役のため非公開か限定公開、料亭は利用者のみ鑑賞で、これまで一般公開されているのは「無鄰菴」のみだったが、今回、寛容な「ニトリ」さんのお陰で一般公開が始まったのは、まことに有難い -
「對龍山荘」玄関受付
明治29年(1896)薩摩出身の実業家・伊集院兼常が造営し、高瀬川二条の別荘「廣誠院」(こうせいいん:現在臨済宗寺院)から引越してきた(同時期に、山縣有朋の「無鄰菴」も現在がんこ二条店の高瀬川から現在地に移転)、その後、明治35年(1902)、彦根出身の京呉服商・市田弥一郎が所有し、七代小川治兵衛による庭園と、当代随一と評された大工棟梁・島田藤吉による数寄屋造りの建物が改造、建築され、2001年不動産投資会社に売却され放置されていたが、2010年ニトリホールディングスが保有 -
見学ルート
まず建物内「對龍台」(書院)から庭園を眺望し、「北土蔵」「茶室」「居間」「南土蔵」を周り、各部屋で違う角度からの庭園を眺めながら、立派な調度品や「ニトリ美術館」となっている2つの土蔵を鑑賞し、その後「玄関」から外に出て庭園を回遊する、庭園は大池を中心とした平地部分と、右手の一段高台になっている部分とで構成され、東山を借景とした池泉回遊式庭園で、「對龍山荘」の名前も、借景の東山山系「瑞龍山」(ずいりゅうさん)と対面し、南禅寺の山号である「瑞龍山」の対にあることからの命名だという -
「對龍台」(たいりゅうだい)
池に張り出すように作られた書院からは、広大な池泉回遊式庭園が拡がり、この後、庭に降りて、この庭園を回遊するのかと思うとワクワクする -
「田園風景を彷彿させるような眺望」
真っ先に飛び込んでくるのは「大池、中島、水車小屋、大滝、赤松」 -
「東山の借景」
背後の東山が、隙間なく一体となっており、計算しつくされている -
「数寄屋造り」
当代随一の数寄屋造り名人「島藤」による作品で、「数寄屋造り」とか「書院造」とか言われても良く分らないが、奥の深い床の間と書院のシンプルな構成は素晴らしい *調べると、「数寄屋造り」は「書院造」をベースとして、茶の数寄の心(和歌や茶など風流を好むこと)をミックスし、質素ながらも洗練された意匠で、素材の良さをそのまま生かす、無駄な装飾を削ぎ落としシンプル・簡素化、を重視する、とある -
「ニトリ美術館」
予想外であったが、2つある土蔵を利用して、ニトリのお宝を展示している美術館がある -
右手に蔵の分厚い扉
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勿論全部本物で高価そうだが、いちいちの説明は難しいので、目録を出して欲しい
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「蒔絵硯箱」(まきえすずりばこ)
後で気づいたが「にわとり」関連のグッズも多いのは、創業者の「似鳥」絡みか -
「後藤純男」(1930-2016)
「新雪塔映」は、奈良大和を描いた代表作品 素晴らしい! -
「4畳半茶室」
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茶室「聚遠亭」(じゅおんてい)
掛軸は、裏千家11世家元・玄々斎の「静坐一日好両日」?「正坐」は=座禅、象牙は「龍彫刻置物」 -
アカマツが素晴らしい「聚遠亭」からの庭園
気になったのは、小川沿いにある竹で編んだ筒で、これは「砂留」(すなどめ)とか「蛇篭」(じゃかご)と言われ、中に黒石を詰めて護岸や斜面の補強に使う実用的なものだが、なかなか風流でお洒落! -
庭に突き出した「聚遠亭」から深い軒先を辿って居間へ通じる
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中央「土佐源氏物語之」(永田春水)、両側は「龍村平蔵」の美術織物帯
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書院には、「柿右衛門の犬の置物」と、何故か「ビクターの蓄音機」
床の間中央は、「後柏原天皇著到和歌」(ごかしわばらてんのうちゃくとうわか)と、何故か「大名櫓時計」、中央の「座卓」も、村山明という木工芸の名匠の作品 *「著到和歌」とは、詠み人が100日間毎日集まり、その日の御題を1首ずつ詠むこと -
8畳2間続きの部屋はかなり広く、広縁から眺める庭は格別!
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ここからの庭園は、大池を中心とした平地部分と全く趣きが変わり、山奥から(琵琶湖疎水)の水が川になって流れる高台部分が拡がる庭園になっていて、この庭園の広大さを感じる
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南側土蔵の「ニトリ美術館」(絵画中心)
有名人の作品ばかりで圧倒される! -
伊藤小坡(いとう しょうは1877-1968)
上村松園に次ぐ女流画家として活躍 -
宮本三郎(1905-1974)洋画家
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斎藤清( 1907-1997)版画家
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竹内栖鳳(たけうちせいほう1864-1942)
戦前の京都画壇を代表する近代日本画家で「雀」が得意 -
伊藤若冲(いとうじゃくちゅう1716-1800)
京都錦小路生まれの江戸時代の画家 -
池大雅(いけのたいが1723-1776)
京都生まれの江戸時代の文人画家 -
馳川塑人(はせがわそじん1935-)九谷焼陶芸家
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円山応挙(まるやまおうきょ1733-1795)
江戸時代中期~後期の絵師 -
竹久夢二(たけひさゆめじ1884-1934)
美人画を多く残した大正ロマンを代表する画家 -
横山大観(よこやまたいかん1868-1958)
「心神居」(心に神が居る)一人一人の人間における精神の重要性を込めたように感ずる、というが? -
建物から一端外に出て、庭園の方に進む
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庭園の木戸門を入る
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腰掛待合(待月亭)
入ったところから、本格的な庭園の雰囲気が漂う -
腰掛待合からは大きな池と大滝が拡がる
庭園は、伊集院兼常が作庭したものを、七代目小川治兵衛(植治)が作り直し、池や川、露地、借景など日本庭園の殆どの技法がはいって見ごたえ充分! -
最初に上がった「對龍台」と白壁の土蔵があり、建物の足元に水が流れ落ちる様が見えて、庭と建物が一体化した感じが素晴らしい
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池には中島があり、平橋と沢飛石で結ぶ
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中島は「亀島」になっており、どこが亀頭なのか分らんが、先ほどの石橋で繋がっている部分が「鶴島」になっているらしい
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「亀島」の後方部分の先には「船遊び」用の船まである
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高台から見た「中島」
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庭全面を覆う「苔」も、手入れが行き届いて美しい、赤いのは「ハツユキカズラ」か?
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クロチク、モウソウチクの「竹林」もある
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「水車」があるのは珍しい
琵琶湖疎水の水をここまで引いて水車を回し、この奥にはかつては水田もあって、稲を育てて水車小屋で精米し、正月には鏡餅にして對龍台の書院に飾ったというが、現在は花菖蒲園になっている -
水田の棚田を取り込んだ「修学院離宮」のように、鄙びた田園風景の情緒を醸し出している
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右手奥から引き込んだ琵琶湖疎水の水が、水車小屋の方と大滝から大池に分流している
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大池への流れ口、この先から大滝に流れ込む
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ここからは一変して苔と芝生の構成が素晴らしい「芝生広場」になる
周りを枝垂れ桜、枝垂れ梅、紫陽花などが彩り、四阿(あずまや)もあることから、茶会や園遊会なども行えるようになっていて、至れり尽くせりの感! -
「四阿」(しあ=あずまや)
休憩や展望を目的とした建屋だが、「阿」は「棟」という意味で、屋根が四方にふき下ろされている、また「東屋」とも書き、都から東方に位置する地域で主に利用されていたことから呼ばれるようになったといわれる -
芝生広場から広がる南側庭園は、結構広いので真ん中を横断する苑路があり、その両側に群生する背の低い「ドウダンツツジ」は、秋になると紅葉との競演が素晴らしく、説明の方も自慢するほどの逸品!
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歴史を感じる自然のままの風景のように見えるが、ドーダンツツジは意図して低く抑え、アカマツ、クロマツ、芝、苔などの手入れは、今日見ただけでも3人の庭師さんが常駐し、隅々まで手入れが行き届いて、入場料が高いのも致し方ないか
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中央の広場は、何もない空間がまたこの庭園の魅力を出しており、秋には突然彼岸花やススキが顔を出したりする演出がニクイ!
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「十三重石塔」
詳細は分からないが、庭園によく似合う -
最南端一隅の風景
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琵琶湖疎水からの引き込み口は、東側と南側の2ヵ所ある
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南側からの水は、小川(遣り水)となって居室、茶室の前を流れ、「對龍台」の縁下から池に落ちる
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南側はモミジの木が多い
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小川は北側の池の方に向かってへ流れる
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中央を横切る苑路の下を通過、背の低いドーダンツツジが際立つ
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部屋からの眺めよりも、近くで見た景色の方が迫力がある
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今日は寒くて少ないが、たくさんの鯉の待避所
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年季の入っていそうな「錦鯉」
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こういうアカマツが何本もある
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南から北への傾斜と、東から西への傾斜を使って小川(遣り水)が流れ、大池に集まるので、絶えず澱みない清流が流れ、途中には小滝と大滝もあったりして、水のせせらぎの音も聞こえ、全てが計算し尽されている
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「流れ蹲踞」(つくばい)
小川(遣り水)の中につくられた蹲踞で、しかも蹲踞の中から泉の如く水が出るようになっていて非常に珍しい *「手水鉢」(ちょうずばち)は、手を洗う水を貯める器であるが、その周りに足置きや桶置きなどいろんな石を配した一揃いが「蹲踞」 -
小川(遣り水)は建物に沿って大池の方に流れ、殆どの部屋から見えるようになっている
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「遣り水」沿いに、飛石や蛇篭(じゃかご)、灯篭に苔やトクサ(砥草)などを配し、どこを切り取っても絵になる
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小川(遣り水)は「對龍台」の真下を流れて行く
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さらに進むと「對龍台」の足元で水が流れ落ちる「小滝」があり、「對龍台」から雄大な池を見ていると、この小滝の音が聞こえるが、聞く方は正面の大滝の音が聞こえるかのように思う、ここまでこだわった造りをしているのには驚くばかりで、感心するしかない
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池泉に沿って迫り出した「對龍台」の下には「沢渡り」もあって、楽しい!
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建物に沿って流れる小川(遣り水)沿いに、広大な芝生広場から、「流れ蹲踞」もある茶室の露地を抜けたら、「小滝」と「沢渡り」があって、広大な池に辿り着く、というストーリー性のある「回遊式庭園」である、またこの写真の右手に、對龍台の縁側までそびえ建つ立石があり、これは「橋杭型手水鉢」という稀有なものだという
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「沢渡り」を渡って、改めて大池の全景を見る
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やはり「水車小屋」と「大滝」と「船着き場」が真っ先に目を惹くが、特に水が布のように広く綺麗に落ちる(布落ち?)大滝は素晴らしい、庭園愛好家としては、水が落ちる部分の「水落石」と両側の「滝添石」の丸みを帯びた巨石による構成が芸術的で、明治時代の金持ちの凄さと、これを受ける庭師の技術に圧倒されるばかり
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「錦鯉」も大豪邸に生まれて幸せだと思っているのだろうか
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改めて「腰掛待合」から入ったところを見ると「クロマツ」の形が素晴らしい
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最初に「對龍台」から鑑賞し、庭園を回遊して真近かに見る、さらに舟を浮かべて楽しめるという、超贅沢な庭園でした
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次は秋に訪問したいと思いながら、「哲学の道」方面に向かいます
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「南禅寺」から「永観堂」前を通り過ぎ
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「哲学の道」へ向かう
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「若王子橋」(にゃくおうじばし)
琵琶湖疎水は蹴上から分かれて「琵琶湖疏水分線」として、南禅寺水路閣からトンネルを抜けて松ヶ崎浄水場の若王子取水池から「若王子橋」で姿を現し、哲学の道沿いに「銀閣寺」方面へ北上する -
「熊野若王子神社」(にゃくおうじ)
1160年後白河上皇が、禅林寺(永観堂)の鎮守として熊野権現を勧請して創祀された、正面に見えるのは末社の「恵比須社」で、かつて夷川通にあり、通り名の由来になった「夷川恵比須社」が遷されたもの -
京都三熊野のひとつで、熊野詣を行う際はまずここで身を浄めてから出発したという *「京都三熊野」は、「新熊野神社」(東山今熊野)、「熊野神社」(聖護院山王)、「熊野若王子神社」で、それぞれ「熊野本宮」「熊野速玉」「熊野那智」の熊野三山に対応している
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「本殿」は本宮、新宮、那智、若宮の4社で構成されていたが、1979年(昭和54年)に一社相殿の本殿にまとめられた、社名は天照皇大神の別名・若一王子に由来
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裏山に進み、右へ行くと「同志社創立者・新島襄」の墓があり、左に進むと滝がある
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「天龍白蛇弁財天」(てんりゅうしろへびべんざいてん)
熊野神社の「那智の滝」に見立てた「洛中の滝」があり、その前に「天龍白蛇弁財天」が祀られている、上皇をはじめ修験者は、この滝で身を清めてから熊野へ出発し、「新熊野神社」で最初の休憩をとり、伏見から淀川を船で下りて、大阪から陸路で紀伊路に向かったという -
「天龍白蛇弁財天」のお使いは「白蛇」
「白蛇」は白龍とも言われるほどにありがたいお使いとされていることから、いつしか背後の滝を「白蛇」に見立て始めたらしく、少々無理やり感もあるが、良く見るとそう見えなくもない -
「哲学の道」入り口
「若王子橋」に戻り、ここから「琵琶湖疏水分線」沿いに「銀閣寺橋」までの約2kmの散歩道は、哲学者の西田幾多郎や田辺元が思索しながら散策したという人気の「哲学の道」 -
500mほど歩くと「大豊神社」参道になる「大豊橋」に到着
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「大豊神社」(おおとよじんじゃ)は、「椿と狛ねずみ」「枝垂れ紅梅」の名所と、入り口の案内板にある、正面に見えるのは「二の鳥居」、「一の鳥居」は哲学の道の西側にある
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「大豊神社」二の鳥居
創建された頃は背後の「椿ヶ峰」という山の中にあったが、寛仁年間(1017~1021)に今の所へ移された、椿ヶ峯といわれるだけあって椿が美しい -
「大豊神社」拝殿
平安時代初期の887年に宇多天皇の病気平癒祈願のために、藤原淑子(しゅくし)の勅命で創建され、その後、平安時代中期この地に移された、藤原淑子(838-906)は、宇多天皇(867-931)の養母となり、宇多天皇の即位に大きく関わったとされる -
「大豊神社」本殿
祭神は、少彦名命(すくなひこなのみこと:医薬祖神)で、後に応神天皇(おうじんてんのう:勝運の神)と菅原道真(学問の神)が祀られた、本殿を飾る「枝垂桜」(左)は円山桜の子孫といわれ樹齢数十年、「枝垂れ梅」(右)は樹齢約250年で、3月には同時に見れる時期があるというので、その頃に是非また来たい -
「狛巳」(こまみ)白蛇
全国でも珍しい「狛ねずみ」や「狛猿」「狛鳶」(とび)「狛狐」が揃っていることで有名だが、今年の干支の「狛蛇」もいるので、今年の正月は哲学の道辺りまで並んだらしい、が16日の今は閑散としてラッキー -
「狛巳」(こまみ)黒蛇
医薬の神様の少彦名命(すくなひこなのみこと)らを祀る本殿前に、左右一対の白蛇、黒蛇の「狛蛇」(狛巳)が並んでおり、治病健康長寿・金運恵授・若返りのご利益があると書いてある -
「狛巳」(こまみ)
平成24年(2012)奉納とあり、前回の干支の年に設置したらしいから、比較的まだ新しい、白蛇と黒蛇に出会うと幸せになるそうで、今年は健康長寿で幸せな年になること間違いなし -
この神社では境内にある末社ごとに「狛犬・・」がいるので知られる
一つだけ南に向いて建てられているのは「日吉社」(ひよししゃ)と「愛宕社(あたごしゃ)で、「日吉社」は、延暦寺の守護神で山を守る猿に因んで、災難除けの「狛猿」、「愛宕社」は、愛宕山を空から守る鳶(とび)に因んで、火難除けの「狛鳶」がいる -
「稲荷社」は、収穫の神様である稲荷神のお使いが狐であることに因んで、五穀豊穣や商売繁盛の「狛狐」がいる
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「大黒社」は、祭神の少彦名命(すくなひこなのみこと)と協力して国作りをしたとされる「大国主命」(おおくにぬしのみこと)が火攻めに遭遇した際にねずみが現れて助かったいう「古事記」の神話に因んで、長寿と学問の「狛鼠」がいる、左側の鼠は水玉を抱え長寿を表し、右側の鼠は巻物を持ち学問を表している
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今年の初詣の締めくくりに「動物おみくじ」があったので、挑戦した
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結果は何と「大吉」! これ以上の喜びはない
「さくらばな のどかに におう 春の野に 蝶もきて まうそでの うえかな」
身も進み財宝(たから)も出来て/立身出世(りっしんしゅっせ)する事は/春の暖かい日に美しい花の野を心楽しく/遊び行く心地にてよき人の引立てにあずかります/けれど心正しくないと災いがあります -
気分を良くしながら、近くのバス停・東天王町から三条河原町まで行くと、既に17時、「喫茶葦島」でお茶休憩、結局終わって見れば10kmのウォーキング
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「喫茶葦島」(あしじま)
平成21年創業で所謂老舗ではないが、コーヒーにこだわる人気の珈琲店、ビル5階にも拘わらず満員状態、特に若いカップルが目立ったが、間接照明で落ち着いた静かな店内は心が休まる感じ -
自家焙煎で一杯ずつドリップで煎れるコーヒーは格別で、これで気持ち良く終了!
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