二条・烏丸・河原町旅行記(ブログ) 一覧に戻る
「祇園祭」は、「山鉾巡行」ばかりが目立って、本来の「八坂神社の神事」を見ることはあまりありませんが、今年は「前祭」の後の「神幸祭」を中心に見ることにしました。<br />今回の狙いは、「日本画で見る祇園祭」と、山鉾巡行後半の「戻り辻廻し」と「山鉾解体」、そして八坂神社の「神幸祭」です。<br />残念ながら今年の「前祭」は、土砂降りで傘だけが目立つ状態だったので、早々に御池通に先回りして巡行を待つことにし、江戸時代からの町家「嶋臺」(しまだい)に入り、雨宿りがてら、日本画で山鉾を鑑賞するという、また一風変わった「祇園祭」の見方をして、ギャラリーを出ると、ちょうど巡行の先頭の「長刀鉾」が、御池通から新町通に入る「辻廻し」をやっていて、傘の間から辛うじて実物を見物、そして八坂神社に移動すると、その頃には雨も上がり、今まで見てなかった「神幸祭」の一部始終が見れて、ここで初めて「祇園祭」の本来の意義を勉強することになり、今頃になってこんな重要なイベントを見てなかったことを後悔しましたが、まだまだ見てない儀式もいろいろあり、また今回も50年ぶりに復活した「武者行列」なども出て来たりして、京都の歴史を知るのはキリがない。<br />これは平安京から遺る貴重な歴史遺産だけでなく、常に新しいものを取り入れてきた京都の新しい町にもあり、古いものを再生活用したホテルや飲食店など最近は特に増えていますが、今回も80年以上続く町の寿司屋さんでランチし、大正時代の町家をクラウドファンディングで再生した茶寮で、庭園を見ながらお茶することになり、また違う楽しみ方も出来て、毎月歩いていても、本当に飽きることがありません。

雨の「祇園祭前祭山鉾巡行」と雨上がりの「神幸祭」 2025

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2025/07/17 - 2025/07/17

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Bach

Bachさん

「祇園祭」は、「山鉾巡行」ばかりが目立って、本来の「八坂神社の神事」を見ることはあまりありませんが、今年は「前祭」の後の「神幸祭」を中心に見ることにしました。
今回の狙いは、「日本画で見る祇園祭」と、山鉾巡行後半の「戻り辻廻し」と「山鉾解体」、そして八坂神社の「神幸祭」です。
残念ながら今年の「前祭」は、土砂降りで傘だけが目立つ状態だったので、早々に御池通に先回りして巡行を待つことにし、江戸時代からの町家「嶋臺」(しまだい)に入り、雨宿りがてら、日本画で山鉾を鑑賞するという、また一風変わった「祇園祭」の見方をして、ギャラリーを出ると、ちょうど巡行の先頭の「長刀鉾」が、御池通から新町通に入る「辻廻し」をやっていて、傘の間から辛うじて実物を見物、そして八坂神社に移動すると、その頃には雨も上がり、今まで見てなかった「神幸祭」の一部始終が見れて、ここで初めて「祇園祭」の本来の意義を勉強することになり、今頃になってこんな重要なイベントを見てなかったことを後悔しましたが、まだまだ見てない儀式もいろいろあり、また今回も50年ぶりに復活した「武者行列」なども出て来たりして、京都の歴史を知るのはキリがない。
これは平安京から遺る貴重な歴史遺産だけでなく、常に新しいものを取り入れてきた京都の新しい町にもあり、古いものを再生活用したホテルや飲食店など最近は特に増えていますが、今回も80年以上続く町の寿司屋さんでランチし、大正時代の町家をクラウドファンディングで再生した茶寮で、庭園を見ながらお茶することになり、また違う楽しみ方も出来て、毎月歩いていても、本当に飽きることがありません。

  • (コース)四条烏丸駅~9:00(前祭山鉾巡行スタート)9:40~烏丸御池~10:00嶋臺ギャラリー~11:30新町御池・辻廻し~12:30(新町三条)ランチ「すし善」~山鉾解体会所巡り~16:30(西洞院六角)お茶「麓寿庵」17:30~17:50御旅所~18:10(祇園東山)八坂神社~19:00四条河原町

    (コース)四条烏丸駅~9:00(前祭山鉾巡行スタート)9:40~烏丸御池~10:00嶋臺ギャラリー~11:30新町御池・辻廻し~12:30(新町三条)ランチ「すし善」~山鉾解体会所巡り~16:30(西洞院六角)お茶「麓寿庵」17:30~17:50御旅所~18:10(祇園東山)八坂神社~19:00四条河原町

  • 「祇園祭」スケジュール<br />7/2 くじ取り式、7/9~14 「前祭」(さきまつり)山鉾建て、7/10 神輿洗、7/14~16宵山 7/17山鉾巡行、神幸祭、7/18~21「後祭」(あとまつり)山鉾建て、7/21~23宵山、7/24山鉾巡行、還幸祭。7/28 神輿洗、7/29 神事済奉告祭、7/31 疫神社夏越祭

    「祇園祭」スケジュール
    7/2 くじ取り式、7/9~14 「前祭」(さきまつり)山鉾建て、7/10 神輿洗、7/14~16宵山 7/17山鉾巡行、神幸祭、7/18~21「後祭」(あとまつり)山鉾建て、7/21~23宵山、7/24山鉾巡行、還幸祭。7/28 神輿洗、7/29 神事済奉告祭、7/31 疫神社夏越祭

  • 9:00「しめ縄切り」<br />先頭の「長刀鉾」がスタートする9:00に合わせて、四条烏丸に到着し地上に出ると、土砂降り! の上に、凄い人だかりで身動きもとれず、「長刀鉾」まで行けない状態!で、スタートの「しめ縄切り」は残念ながら見れず、お借りした写真を掲載

    9:00「しめ縄切り」
    先頭の「長刀鉾」がスタートする9:00に合わせて、四条烏丸に到着し地上に出ると、土砂降り! の上に、凄い人だかりで身動きもとれず、「長刀鉾」まで行けない状態!で、スタートの「しめ縄切り」は残念ながら見れず、お借りした写真を掲載

  • 今年の「くじ取り式」で決まった「前祭」23基の順番は、<br />1.くじ取らず「長刀鉾」、2.「占出山」、3.「霰天神山」、4.「山伏山」、5.くじ取らず「函谷鉾」、6.「油天神山」、7.「綾傘鉾」、8.「蟷螂山」、9.「菊水鉾」、10.「保昌山」、11.「伯牙山」、12.「白楽天山」、13.「月鉾」、14.「木賊山」、15.「四条傘鉾」、16.「太子山」、17.「鶏鉾」、18.「芦刈山」、19.「郭巨山」、20.「孟宗山」、21.くじ取らず「放下鉾」、22.くじ取らず「岩戸山」、23.くじ取らず「船鉾」

    今年の「くじ取り式」で決まった「前祭」23基の順番は、
    1.くじ取らず「長刀鉾」、2.「占出山」、3.「霰天神山」、4.「山伏山」、5.くじ取らず「函谷鉾」、6.「油天神山」、7.「綾傘鉾」、8.「蟷螂山」、9.「菊水鉾」、10.「保昌山」、11.「伯牙山」、12.「白楽天山」、13.「月鉾」、14.「木賊山」、15.「四条傘鉾」、16.「太子山」、17.「鶏鉾」、18.「芦刈山」、19.「郭巨山」、20.「孟宗山」、21.くじ取らず「放下鉾」、22.くじ取らず「岩戸山」、23.くじ取らず「船鉾」

  • 4番目の「山伏山」(やまぶしやま)<br />ご神体が山伏の姿をしている「山伏山」は、東山の八坂の塔が傾いた時、法力で直したという修験者「浄蔵貴所」(じょうぞうきしょ)が修行のため大峰の山に入っていく姿に因み、巡行の数日前から聖護院(しょうごいん)の山伏たちが参拝することでも知られる

    4番目の「山伏山」(やまぶしやま)
    ご神体が山伏の姿をしている「山伏山」は、東山の八坂の塔が傾いた時、法力で直したという修験者「浄蔵貴所」(じょうぞうきしょ)が修行のため大峰の山に入っていく姿に因み、巡行の数日前から聖護院(しょうごいん)の山伏たちが参拝することでも知られる

  • 四条烏丸で1回転して、四条河原町方面へ進む<br />「山伏山」は「舁き山」(かきやま)で、0.6トンの山を人が担ぐ、雨の中で見にくいが、14羽の鶴が舞っている懸装品が目を引く、山伏を扱った似たような舁き山は、修験道の開祖が葛城と大峰の間に石橋を架けたという「役行者山」(えんのぎょうじゃ・後祭)があり、両者とも応仁の乱以前から存在する古い山

    四条烏丸で1回転して、四条河原町方面へ進む
    「山伏山」は「舁き山」(かきやま)で、0.6トンの山を人が担ぐ、雨の中で見にくいが、14羽の鶴が舞っている懸装品が目を引く、山伏を扱った似たような舁き山は、修験道の開祖が葛城と大峰の間に石橋を架けたという「役行者山」(えんのぎょうじゃ・後祭)があり、両者とも応仁の乱以前から存在する古い山

  • 5番目の「函谷鉾」<br />向かいの「スタバ」で見る手もあった!<br />

    5番目の「函谷鉾」
    向かいの「スタバ」で見る手もあった!

  • 「函谷鉾」(かんこぼこ)<br />13番目の「月鉾」(つきほこ)に似て、鉾頭に三日月があるが、違いは山を表す白い三角形の上にあること、真木の中ほどには鶏と、その上に神体の中国秦の孟嘗君(もうしょうくん)がいて、函谷関(かんこくかん)で家来に鶏の鳴き声を真似させて関所を脱出できたという逸話「鶏鳴狗盗」(けいめいくとう)に因む

    「函谷鉾」(かんこぼこ)
    13番目の「月鉾」(つきほこ)に似て、鉾頭に三日月があるが、違いは山を表す白い三角形の上にあること、真木の中ほどには鶏と、その上に神体の中国秦の孟嘗君(もうしょうくん)がいて、函谷関(かんこくかん)で家来に鶏の鳴き声を真似させて関所を脱出できたという逸話「鶏鳴狗盗」(けいめいくとう)に因む

  • 函谷鉾の「稚児人形」<br />祇園祭の「お稚児さん」は、神の使いとして当初は「生稚児」(いきちご)と呼ばれる生きた子供が乗っていたが、江戸時代後期に函谷鉾が初めて「稚児人形」にしたことから他も追随し、現在では「長刀鉾」のみが生稚児を乗せている、また「懸装品」(けそうひん)も豪華で、特に「前懸」(まえかけ)は全山鉾で最大の大きさで国の重要文化財に指定されている貴重なもので、16世紀にベルギーで作られ、オランダ商館長が三代将軍・徳川家光に献上し、聖書がまだ分からない時代に旧約聖書創世紀の場面を描いたものを使ったというのが面白い

    函谷鉾の「稚児人形」
    祇園祭の「お稚児さん」は、神の使いとして当初は「生稚児」(いきちご)と呼ばれる生きた子供が乗っていたが、江戸時代後期に函谷鉾が初めて「稚児人形」にしたことから他も追随し、現在では「長刀鉾」のみが生稚児を乗せている、また「懸装品」(けそうひん)も豪華で、特に「前懸」(まえかけ)は全山鉾で最大の大きさで国の重要文化財に指定されている貴重なもので、16世紀にベルギーで作られ、オランダ商館長が三代将軍・徳川家光に献上し、聖書がまだ分からない時代に旧約聖書創世紀の場面を描いたものを使ったというのが面白い

  • 「山鉾の大きさ」<br />山鉾の中で一番大きいいのは、「月鉾」(つきほこ)で、高さ26m、重さ12トンだが、「函谷鉾」もこれに匹敵し、高さ24m、重さ12トン、因みに「長刀鉾」の高さは22m、重さ11トン、高さでは2位「菊水鉾」25m、3位「放下鉾」24.6m、4位「函谷鉾」24m、5位「鶏鉾」23m

    「山鉾の大きさ」
    山鉾の中で一番大きいいのは、「月鉾」(つきほこ)で、高さ26m、重さ12トンだが、「函谷鉾」もこれに匹敵し、高さ24m、重さ12トン、因みに「長刀鉾」の高さは22m、重さ11トン、高さでは2位「菊水鉾」25m、3位「放下鉾」24.6m、4位「函谷鉾」24m、5位「鶏鉾」23m

  • 函谷鉾の「曳き方」(ひきかた)<br />雨で大変そうな「曳き方」は約40人、殆ど弁当支給だけのボランティアらしいが、話によるとカンカン照りが一番大変で、曇りがベストだという、手前は、6番目の「油天神山」

    函谷鉾の「曳き方」(ひきかた)
    雨で大変そうな「曳き方」は約40人、殆ど弁当支給だけのボランティアらしいが、話によるとカンカン照りが一番大変で、曇りがベストだという、手前は、6番目の「油天神山」

  • 「油天神山」(あぶらてんじんやま)舁き山<br />油小路通の町内に古くから祀られていた天神(菅原道真公)を勧請して作られた山で、朱の鳥居を立て天神様を祀り、社殿の後ろに真松と紅梅を立てる

    「油天神山」(あぶらてんじんやま)舁き山
    油小路通の町内に古くから祀られていた天神(菅原道真公)を勧請して作られた山で、朱の鳥居を立て天神様を祀り、社殿の後ろに真松と紅梅を立てる

  • 7番目の「綾傘鉾」<br />雨の日の傘が重なって分かりにくいが、祇園祭で2つだけの「傘鉾」で、もう一つの「四条傘鉾」は15番目、「傘鉾」は、現在の山鉾の形となる前の古い形のもので、応仁の乱(1467)以前の歴史があり、金鶏を飾った傘と松の木の傘を持ち、棒振りは棒を早く回して厄を払い飛ばし、太鼓は厄を鎮める、また鉾の先頭には6人の稚児が巡行する

    7番目の「綾傘鉾」
    雨の日の傘が重なって分かりにくいが、祇園祭で2つだけの「傘鉾」で、もう一つの「四条傘鉾」は15番目、「傘鉾」は、現在の山鉾の形となる前の古い形のもので、応仁の乱(1467)以前の歴史があり、金鶏を飾った傘と松の木の傘を持ち、棒振りは棒を早く回して厄を払い飛ばし、太鼓は厄を鎮める、また鉾の先頭には6人の稚児が巡行する

  • 地下に潜って、通りの向かい側に渡る途中、出番前の子供たちが雨宿り中

    地下に潜って、通りの向かい側に渡る途中、出番前の子供たちが雨宿り中

  • 烏丸四条の混雑を抜けて、烏丸御池に向かう

    烏丸四条の混雑を抜けて、烏丸御池に向かう

  • 10:00「嶋臺」(しまだい)<br />先月の「東洞院通・南北散歩」では入れなかったが、祇園祭に合わせて「日本画展」が開催されると聞いたので訪問。「嶋臺」は、慶長13年(1608)、輸入生糸商糸割符商(いとわっぷ)として創業し、その後酒店で清酒「嶋臺」を販売、昭和30年(1955) に大規模な敷地の西半分が取り壊され、絲店、酒店、土蔵2棟、書院(古硯堂)の現在の姿になり、京都では珍しい、間口の広い大店の構えをしている明治前期の町家として重要文化財となり、現在「しまだいギャラリー」として利用されている

    10:00「嶋臺」(しまだい)
    先月の「東洞院通・南北散歩」では入れなかったが、祇園祭に合わせて「日本画展」が開催されると聞いたので訪問。「嶋臺」は、慶長13年(1608)、輸入生糸商糸割符商(いとわっぷ)として創業し、その後酒店で清酒「嶋臺」を販売、昭和30年(1955) に大規模な敷地の西半分が取り壊され、絲店、酒店、土蔵2棟、書院(古硯堂)の現在の姿になり、京都では珍しい、間口の広い大店の構えをしている明治前期の町家として重要文化財となり、現在「しまだいギャラリー」として利用されている

  • 「戸倉英雄」日本画展<br />祇園祭に合わせて毎年開催され、今年も7/12~7/17の前祭14:00まで開催、山鉾の絵を見た後に、御池通を巡行する「前祭山鉾巡行」を見る

    「戸倉英雄」日本画展
    祇園祭に合わせて毎年開催され、今年も7/12~7/17の前祭14:00まで開催、山鉾の絵を見た後に、御池通を巡行する「前祭山鉾巡行」を見る

  • 「戸倉英雄」<br />1977年京都市生まれの48歳、東京芸大卒後、院展にも入選し京都を中心に活動、2015年から毎年個展「黄金航路の宴」を開催している、小学3年に祇園祭の「久世駒形稚児」を務め、今年はご子息・央暉さんも務めるという関りから、祇園祭関連作品が多い

    「戸倉英雄」
    1977年京都市生まれの48歳、東京芸大卒後、院展にも入選し京都を中心に活動、2015年から毎年個展「黄金航路の宴」を開催している、小学3年に祇園祭の「久世駒形稚児」を務め、今年はご子息・央暉さんも務めるという関りから、祇園祭関連作品が多い

  • 「黄金航路の宴」<br />会場になる「嶋臺」は、明治16年(1883)に再建され、西館の絲店の並びに2棟の土蔵と、東館の酒店、その奥に中庭と書院「古硯堂」があり、絲店と酒店が別々のギャラリーになっていて、当日は東洞院通側酒店で日本画展を開催し、西館は山鉾巡行の観覧席になっている

    「黄金航路の宴」
    会場になる「嶋臺」は、明治16年(1883)に再建され、西館の絲店の並びに2棟の土蔵と、東館の酒店、その奥に中庭と書院「古硯堂」があり、絲店と酒店が別々のギャラリーになっていて、当日は東洞院通側酒店で日本画展を開催し、西館は山鉾巡行の観覧席になっている

  • 「嶋臺ギャラリー」<br />東側酒店の入り口を入ると、広い土間のスペースと、奥に蔵のスペースもある

    「嶋臺ギャラリー」
    東側酒店の入り口を入ると、広い土間のスペースと、奥に蔵のスペースもある

  • 「戸倉英雄」の代表作品らしき、「信長のラストディナー」(最後の晩餐)

    「戸倉英雄」の代表作品らしき、「信長のラストディナー」(最後の晩餐)

  • これも代表作だと思うが、「お釈迦様涅槃像」らしき作品

    これも代表作だと思うが、「お釈迦様涅槃像」らしき作品

  • 「長刀鉾」(なぎなたほこ)<br />祇園祭の全山鉾34基の内、17基を展示している

    「長刀鉾」(なぎなたほこ)
    祇園祭の全山鉾34基の内、17基を展示している

  • 「南観音山」(みなみかんのんやま)

    「南観音山」(みなみかんのんやま)

  • 「郭巨山」(かっきょやま)

    「郭巨山」(かっきょやま)

  • 「蟷螂山」(とうろうやま)

    「蟷螂山」(とうろうやま)

  • 「霰天神山」(あられてんじんやま)

    「霰天神山」(あられてんじんやま)

  • 「白楽天山」(はくらくてんやま)

    「白楽天山」(はくらくてんやま)

  • 「北観音山」(きたかんのんやま)

    「北観音山」(きたかんのんやま)

  • 「鯉山」(こいやま)

    「鯉山」(こいやま)

  • 「木賊山」(とくさやま)

    「木賊山」(とくさやま)

  • 「芦刈山」(あしかりやま)

    「芦刈山」(あしかりやま)

  • 「函谷鉾」(かんこぼこ)

    「函谷鉾」(かんこぼこ)

  • 「鶏鉾」(にわとりほこ)

    「鶏鉾」(にわとりほこ)

  • 「伯牙山」(はくがやま)

    「伯牙山」(はくがやま)

  • 「橋弁慶山」(はしべんけいやま)

    「橋弁慶山」(はしべんけいやま)

  • 「鈴鹿山」(すずかやま)

    「鈴鹿山」(すずかやま)

  • 「油天神山」(あぶらてんじんやま)

    「油天神山」(あぶらてんじんやま)

  • 「月鉾」(つきほこ)

    「月鉾」(つきほこ)

  • 山鉾巡行「御池通」の有料観覧席<br />現在10:30 、到着は11:00頃でまだ観客はまばら *有料観覧席は京都市観光協会が5月末から販売開始、前祭では1万席ほどあり、5,000~10,000円、食事なども付くプレミア席は10万円以上もするが、雨とか天候に関係なし

    山鉾巡行「御池通」の有料観覧席
    現在10:30 、到着は11:00頃でまだ観客はまばら *有料観覧席は京都市観光協会が5月末から販売開始、前祭では1万席ほどあり、5,000~10,000円、食事なども付くプレミア席は10万円以上もするが、雨とか天候に関係なし

  • 11:30 先頭の「長刀鉾」(なぎなたほこ)がやってきた!

    11:30 先頭の「長刀鉾」(なぎなたほこ)がやってきた!

  • 新町通「辻廻し」有料観覧席<br />山鉾巡行の「辻廻し」は、「四条河原町」と「四条御池」と「新町御池」の3か所

    新町通「辻廻し」有料観覧席
    山鉾巡行の「辻廻し」は、「四条河原町」と「四条御池」と「新町御池」の3か所

  • 新町御池「長刀鉾」の「辻廻し」① 準備体制 11:50

    新町御池「長刀鉾」の「辻廻し」① 準備体制 11:50

  • 「長刀鉾」の「辻廻し」②

    「長刀鉾」の「辻廻し」②

  • 「長刀鉾」の「辻廻し」③

    「長刀鉾」の「辻廻し」③

  • 「長刀鉾」の「辻廻し」④ 12:00

    「長刀鉾」の「辻廻し」④ 12:00

  • 「新町通」は戻り道<br />「山鉾巡行」は、御池通から新町通に入り、四条通に到着後、各山鉾は元の位置へ戻るので、この「新町通」は全部の山鉾を見れる絶好の場所になる、特に町家の2階から見る「山鉾巡行」は格別で、昔から「鉾見台」という専用のベランダもあるほどで、企業が貸切って顧客の接待をしたり、食事付きで2万円以上もする商売をしているところもある<br />

    「新町通」は戻り道
    「山鉾巡行」は、御池通から新町通に入り、四条通に到着後、各山鉾は元の位置へ戻るので、この「新町通」は全部の山鉾を見れる絶好の場所になる、特に町家の2階から見る「山鉾巡行」は格別で、昔から「鉾見台」という専用のベランダもあるほどで、企業が貸切って顧客の接待をしたり、食事付きで2万円以上もする商売をしているところもある

  • 「新町通」は1車線で一方通行の狭い道<br />「山鉾巡行」は、御池通までは広い道を通るが、「新町通」は、道幅4mしかない上に、高さ10~15mの電柱が立ち並び、幅は最大4.45m、高さは最大26mある山鉾は、電柱を押しのけながらスレスレに巡行するので、近くて迫力ある山鉾巡行が見られる反面、危険な面もあり、御池通~姉小路通間は立入禁止で、新町姉小路から四条寄りで見れる *山鉾の幅は、南観音山4.45m、長刀鉾4.35m、月鉾4.1m、菊水鉾、函谷鉾、北観音山3.95m、高さは、月鉾26m、菊水鉾25m、放下鉾24.6m、函谷鉾24m、鶏鉾23m

    「新町通」は1車線で一方通行の狭い道
    「山鉾巡行」は、御池通までは広い道を通るが、「新町通」は、道幅4mしかない上に、高さ10~15mの電柱が立ち並び、幅は最大4.45m、高さは最大26mある山鉾は、電柱を押しのけながらスレスレに巡行するので、近くて迫力ある山鉾巡行が見られる反面、危険な面もあり、御池通~姉小路通間は立入禁止で、新町姉小路から四条寄りで見れる *山鉾の幅は、南観音山4.45m、長刀鉾4.35m、月鉾4.1m、菊水鉾、函谷鉾、北観音山3.95m、高さは、月鉾26m、菊水鉾25m、放下鉾24.6m、函谷鉾24m、鶏鉾23m

  • (三条通)12:30 ランチ「すし善」<br />とりあえず(三条通)まで歩いてランチ、隣は、後祭山鉾になる「鷹山」の会所<br />

    (三条通)12:30 ランチ「すし善」
    とりあえず(三条通)まで歩いてランチ、隣は、後祭山鉾になる「鷹山」の会所

  • 「すし善」<br />80年以上続く町の寿司屋さんで、かねてから行って見たいと思っていたが初めて訪問。平日のみ朝10時~オープンのお寿司屋さんで、行列が絶えず、場所柄外国人の観光客も多い<br />

    「すし善」
    80年以上続く町の寿司屋さんで、かねてから行って見たいと思っていたが初めて訪問。平日のみ朝10時~オープンのお寿司屋さんで、行列が絶えず、場所柄外国人の観光客も多い

  • 「店内も老舗の風格」<br />昭和14年、魚屋さんから寿司店を始め、現在2代目御夫婦と、3代目息子さん御夫婦で切り盛りし、家族的でアットホームな雰囲気が文句なく素晴らしい

    「店内も老舗の風格」
    昭和14年、魚屋さんから寿司店を始め、現在2代目御夫婦と、3代目息子さん御夫婦で切り盛りし、家族的でアットホームな雰囲気が文句なく素晴らしい

  • 「メニュー」<br />看板商品は「ちらし寿司」1,850円で、「にぎり寿司」も 2,400円とリーズナブル、2、3年前からするとかなり値上がりしたが、致し方ないか

    「メニュー」
    看板商品は「ちらし寿司」1,850円で、「にぎり寿司」も 2,400円とリーズナブル、2、3年前からするとかなり値上がりしたが、致し方ないか

  • 看板商品の「ちらし寿司」を注文<br />黄色の錦糸卵がたっぷりと敷き詰められて美しい、当初、魚の切れ端を使っていたので、見栄えを良くするために錦糸玉子をのせたのが始まりというが、見栄えもいいし、この錦糸卵のふわふわ感が絶妙

    看板商品の「ちらし寿司」を注文
    黄色の錦糸卵がたっぷりと敷き詰められて美しい、当初、魚の切れ端を使っていたので、見栄えを良くするために錦糸玉子をのせたのが始まりというが、見栄えもいいし、この錦糸卵のふわふわ感が絶妙

  • 錦糸卵をめくるとたっぷりの「海鮮ネタ」<br />焼き海苔を散らしたシャリの上に、漬けにしたマグロ、タイ、ハマチ、アナゴ、イカ、タコがぎっしり敷き詰められていて、食べ応えがある

    錦糸卵をめくるとたっぷりの「海鮮ネタ」
    焼き海苔を散らしたシャリの上に、漬けにしたマグロ、タイ、ハマチ、アナゴ、イカ、タコがぎっしり敷き詰められていて、食べ応えがある

  • 帰りにトイレに入ったら、あまりにも文字が美しかった、「ちらし寿司」も評判通りの美味しさで、次は「にぎり寿司」を食べてみたい

    帰りにトイレに入ったら、あまりにも文字が美しかった、「ちらし寿司」も評判通りの美味しさで、次は「にぎり寿司」を食べてみたい

  • 「八竹庵」(はちくあん)「旧川崎家住宅」<br />大正期の綿布商の邸宅を、昭和40年に白生地商が住宅兼迎賓館とし、「川崎家住宅」として公開されていたが、2022年に町家再生をしている「(株)くろちく」が所有し「八竹庵」として一般公開しており、祇園祭のための「鉾見台」がある

    「八竹庵」(はちくあん)「旧川崎家住宅」
    大正期の綿布商の邸宅を、昭和40年に白生地商が住宅兼迎賓館とし、「川崎家住宅」として公開されていたが、2022年に町家再生をしている「(株)くろちく」が所有し「八竹庵」として一般公開しており、祇園祭のための「鉾見台」がある

  • (2024/07/03撮影)「鉾見台」(ほこみだい)<br />(駒札)には「7月17日の祇園祭「前祭」には、全ての鉾が戻囃子にのって当家の前の新町通を通りました。当時は投げられる粽(ちまき)を受け取るための当家専用の観賞席でした」とあり、「前祭」では、放下鉾・月鉾・船鉾・岩戸山など殆どの山鉾がこの前を通り、7月24日の「後祭」では、烏丸御池の出発点まで、八幡山・北観音山・南観音山・大船鉾などが出発前にこの前を通っていく

    (2024/07/03撮影)「鉾見台」(ほこみだい)
    (駒札)には「7月17日の祇園祭「前祭」には、全ての鉾が戻囃子にのって当家の前の新町通を通りました。当時は投げられる粽(ちまき)を受け取るための当家専用の観賞席でした」とあり、「前祭」では、放下鉾・月鉾・船鉾・岩戸山など殆どの山鉾がこの前を通り、7月24日の「後祭」では、烏丸御池の出発点まで、八幡山・北観音山・南観音山・大船鉾などが出発前にこの前を通っていく

  • (六角通)「浜作」(はまさく)<br />「浜作」は日本最初の割烹料理店で、昭和2年(1927)創業以来現当主は三代目にあたり、予算80,000円~とある

    (六角通)「浜作」(はまさく)
    「浜作」は日本最初の割烹料理店で、昭和2年(1927)創業以来現当主は三代目にあたり、予算80,000円~とある

  • 「藤井絞」(ふじいしぼり)<br />大正4年(1915)創業の老舗絞り染め呉服店で、この辺りの鉾町「北観音山」にあり、隣の「吉田家住宅」と並んで「屏風飾り」を開催している

    「藤井絞」(ふじいしぼり)
    大正4年(1915)創業の老舗絞り染め呉服店で、この辺りの鉾町「北観音山」にあり、隣の「吉田家住宅」と並んで「屏風飾り」を開催している

  • 「藤井絞」屏風祭<br />「屏風祭」は、格子戸からも見えて、前祭から後祭にかけた期間中に、もっとも古い屏風は江戸初期のものなどを公開し、同時に自社の美しい雪花絞り染めの浴衣や日傘などの展示・販売もしている<br /><br />

    「藤井絞」屏風祭
    「屏風祭」は、格子戸からも見えて、前祭から後祭にかけた期間中に、もっとも古い屏風は江戸初期のものなどを公開し、同時に自社の美しい雪花絞り染めの浴衣や日傘などの展示・販売もしている

  • 「三井ガーデンホテル」京都新町別邸<br />「松坂屋」京都仕入部の跡に、2014年オープンし、かつては、屏風飾りが行われていた

    「三井ガーデンホテル」京都新町別邸
    「松坂屋」京都仕入部の跡に、2014年オープンし、かつては、屏風飾りが行われていた

  • 「僧伽小野」(さんがおの) 京都新町別邸<br />「三井ガーデンホテル」内レストラン

    「僧伽小野」(さんがおの) 京都新町別邸
    「三井ガーデンホテル」内レストラン

  • (蛸薬師通)「くろちく万蔵ビル」<br />明治時代からあった小学校の建物を改装したレトロな建物で、現在はイベント会場として利用されている *「くろちく」は、黒竹節人会長(1947年生)が昭和49年(1974)嵯峨野で京土産の和雑貨を製造販売する「クラフトくろちく」を展開したのが始まりで、「京に伝わる日本の伝統を継承する」ことを企業理念とし、1989年京町家を京のおばんざい店「百足屋」(むかでや)にしたのを皮切りに、京町家活用保存事業を展開している

    (蛸薬師通)「くろちく万蔵ビル」
    明治時代からあった小学校の建物を改装したレトロな建物で、現在はイベント会場として利用されている *「くろちく」は、黒竹節人会長(1947年生)が昭和49年(1974)嵯峨野で京土産の和雑貨を製造販売する「クラフトくろちく」を展開したのが始まりで、「京に伝わる日本の伝統を継承する」ことを企業理念とし、1989年京町家を京のおばんざい店「百足屋」(むかでや)にしたのを皮切りに、京町家活用保存事業を展開している

  • 民芸品や蔵ざらえ品などの臨時売り場もある

    民芸品や蔵ざらえ品などの臨時売り場もある

  • こちらは「セール除外品」

    こちらは「セール除外品」

  • 「百足屋」(むかでや)本店<br />この辺りは「百足屋町」と呼ばれ、江戸時代に「百足屋」という屋号の豪商があったことに由来するが、お金のことを「足」とし、ムカデは足がたくさんあることから、客足がつき、お金がたくさん集まり、商売繁盛につながるとされた

    「百足屋」(むかでや)本店
    この辺りは「百足屋町」と呼ばれ、江戸時代に「百足屋」という屋号の豪商があったことに由来するが、お金のことを「足」とし、ムカデは足がたくさんあることから、客足がつき、お金がたくさん集まり、商売繁盛につながるとされた

  • 「南観音山」保存会<br />(後祭)で待機している

    「南観音山」保存会
    (後祭)で待機している

  • (錦小路通)「山鉾巡行」終了後の山鉾は、街中の厄(やく)を集めているので、巡行が終わるとすぐに解体するが、当日中か、翌日まではかかるので、翌日から始まる「後祭」の山建も両方見れるケースもある

    (錦小路通)「山鉾巡行」終了後の山鉾は、街中の厄(やく)を集めているので、巡行が終わるとすぐに解体するが、当日中か、翌日まではかかるので、翌日から始まる「後祭」の山建も両方見れるケースもある

  • 21番目の「放下鉾」(ほうかぼこ)の解体が始まっている<br />「放下鉾」は、街角などで芸を演じて仏法を説いたという「放下僧」を祀り、昭和に入るまでは「生稚児」(いきちご)だったが、現在は「稚児人形」が人形師によって稚児舞を披露する

    21番目の「放下鉾」(ほうかぼこ)の解体が始まっている
    「放下鉾」は、街角などで芸を演じて仏法を説いたという「放下僧」を祀り、昭和に入るまでは「生稚児」(いきちご)だったが、現在は「稚児人形」が人形師によって稚児舞を披露する

  • 「山鉾の解体」<br />組立には3日くらいかかるが、解体は半日から1日程度で終わる

    「山鉾の解体」
    組立には3日くらいかかるが、解体は半日から1日程度で終わる

  • 「山鉾建」のプロ集団<br />「山鉾」を組み建てるのは基本的には町民ではなく、江戸時代から専門家が担当している「作事方」というプロ集団がいて、胴体部分を組み立てる「手伝い方」、天井や床を組み立てる「大工方」、車輪を取り付ける「車方」がいて、巡行でも「手伝い方」は鉾の前部で音頭取りを務め、「大工方」は屋根の上に乗り、「車方」は山鉾の舵取りを務める

    「山鉾建」のプロ集団
    「山鉾」を組み建てるのは基本的には町民ではなく、江戸時代から専門家が担当している「作事方」というプロ集団がいて、胴体部分を組み立てる「手伝い方」、天井や床を組み立てる「大工方」、車輪を取り付ける「車方」がいて、巡行でも「手伝い方」は鉾の前部で音頭取りを務め、「大工方」は屋根の上に乗り、「車方」は山鉾の舵取りを務める

  • 見どころは「縄がらみ」<br />「山鉾」の特徴は、釘を一切使わず、全て縄で組み立てていることで、様々な種類の結び方があって面白い、釘を使わないのは、巨大な山鉾が巡行する時の衝撃を緩和するためには、釘でガチガチに固めるよりも、縄で固める方がバネのように伸縮して柔軟性があり強度も保てるという伝統的な方式で、蝶結び、鶴結び、亀結び、海老結びなど、名前も美しいが見た目にも美しく、八坂神社前の漢字ミュージアムにある「祇園祭ぎゃらりぃ」に行けば見れる

    見どころは「縄がらみ」
    「山鉾」の特徴は、釘を一切使わず、全て縄で組み立てていることで、様々な種類の結び方があって面白い、釘を使わないのは、巨大な山鉾が巡行する時の衝撃を緩和するためには、釘でガチガチに固めるよりも、縄で固める方がバネのように伸縮して柔軟性があり強度も保てるという伝統的な方式で、蝶結び、鶴結び、亀結び、海老結びなど、名前も美しいが見た目にも美しく、八坂神社前の漢字ミュージアムにある「祇園祭ぎゃらりぃ」に行けば見れる

  • 「縄がらみ」で使われる「縄」<br />「山鉾」で使われる「縄」は、「曳き縄」で数十メートル、「縄がらみ」では総延長5~6kmにも及ぶといい、毎年34基全部の「縄」を確保するのは大変だろうと想像するが、「縄」はもち米の藁(わら)で作られていて、京都郊外福知山辺りで農家から藁を集め、縄製作所が作っているという、釘よりも縄を使うメリットは、毎年組み立てて解体するのにやりやすいこともあり、その代わり縄がらみで使った縄は全て切断されて捨てられるというから勿体ない気もする<br /><br />

    「縄がらみ」で使われる「縄」
    「山鉾」で使われる「縄」は、「曳き縄」で数十メートル、「縄がらみ」では総延長5~6kmにも及ぶといい、毎年34基全部の「縄」を確保するのは大変だろうと想像するが、「縄」はもち米の藁(わら)で作られていて、京都郊外福知山辺りで農家から藁を集め、縄製作所が作っているという、釘よりも縄を使うメリットは、毎年組み立てて解体するのにやりやすいこともあり、その代わり縄がらみで使った縄は全て切断されて捨てられるというから勿体ない気もする

  • 「鉾車」(ほこぐるま)<br />山鉾の車輪は、木製で滑り止めのために鉄製のベルトが巻かれており、1つ500kg、直径2mもあるので7~8人がかりで取り付け、取り外しを行う

    「鉾車」(ほこぐるま)
    山鉾の車輪は、木製で滑り止めのために鉄製のベルトが巻かれており、1つ500kg、直径2mもあるので7~8人がかりで取り付け、取り外しを行う

  • 「菊水鉾」も解体中<br />隣の「室町通」でも解体が始まっている

    「菊水鉾」も解体中
    隣の「室町通」でも解体が始まっている

  • 「菊水鉾」(きくすいぼこ)<br />室町時代の町内に古くからあった千利休の師・武野紹鴎(たけのしょうおう)の邸内の井戸「菊水の井」に因んで名づけられ、菊水の井戸が茶人に使われたことから会所ではお茶席が開催される *「武野紹鴎」(1502-1555)は、珠光の養子・村田宗珠から茶の湯を学び、四畳半の侘び茶をさらに簡素化した小座敷などを創作し、千利休(1522-1591)の師として橋渡し役をはたした

    「菊水鉾」(きくすいぼこ)
    室町時代の町内に古くからあった千利休の師・武野紹鴎(たけのしょうおう)の邸内の井戸「菊水の井」に因んで名づけられ、菊水の井戸が茶人に使われたことから会所ではお茶席が開催される *「武野紹鴎」(1502-1555)は、珠光の養子・村田宗珠から茶の湯を学び、四畳半の侘び茶をさらに簡素化した小座敷などを創作し、千利休(1522-1591)の師として橋渡し役をはたした

  • (2023.7撮影)「菊水鉾」<br />山鉾では唯一の唐破風の豪華な屋根を持ち、鉾頭には金色の菊の花、真木の中央「天王座」には老子と並ぶ長寿者として有名な彭祖像(ほうそぞう)を祀り、稚児人形は菊の露を飲んで長寿を保ったという枕慈童(まくらじどう)で、友禅の「孔雀草花図」が目を惹く

    (2023.7撮影)「菊水鉾」
    山鉾では唯一の唐破風の豪華な屋根を持ち、鉾頭には金色の菊の花、真木の中央「天王座」には老子と並ぶ長寿者として有名な彭祖像(ほうそぞう)を祀り、稚児人形は菊の露を飲んで長寿を保ったという枕慈童(まくらじどう)で、友禅の「孔雀草花図」が目を惹く

  • 16:30 お茶休憩「麓寿庵」<br />再び(西洞院六角)に戻り、昼過ぎには行列で入れず、予約していた「麓寿庵」へ

    16:30 お茶休憩「麓寿庵」
    再び(西洞院六角)に戻り、昼過ぎには行列で入れず、予約していた「麓寿庵」へ

  • 「麓寿庵」(ろくじゅあん)<br />国の登録有形文化財の町家を使った「わらび餅専門の茶寮」で、建物は大正3年(1914)築の、明治から大正にかけて活躍した四条派の日本画家「今尾景年」(いまおけいねん)が晩年を過ごした邸宅を、久保絞(株)が所有し、その後2001年、老舗「瓢亭」から暖簾分けした「瓢樹」(ひょうき)という懐石料亭になり、2008年登録有形文化財に指定されたが、コロナ禍で2021年閉店のままになっていたのを、2023年に再生して新たに開店した

    「麓寿庵」(ろくじゅあん)
    国の登録有形文化財の町家を使った「わらび餅専門の茶寮」で、建物は大正3年(1914)築の、明治から大正にかけて活躍した四条派の日本画家「今尾景年」(いまおけいねん)が晩年を過ごした邸宅を、久保絞(株)が所有し、その後2001年、老舗「瓢亭」から暖簾分けした「瓢樹」(ひょうき)という懐石料亭になり、2008年登録有形文化財に指定されたが、コロナ禍で2021年閉店のままになっていたのを、2023年に再生して新たに開店した

  • 「クラウドファンディングで町家再生」<br />経営者を調べて分かったのは、また今までとは異質の、若手の経営者がクラウドファンディングを使っているというパターンで、注目される、そのHPには、「色彩豊かな花鳥画で名高い「今尾景年」が愛した登録有形文化財の邸宅と庭を、誰もが愛でて楽しめる場所にすることで、伝統ある姿はそのままに、安全に快適にくつろいで過ごせる空間にし、文化継承と地域活性につなげていきたい」とあり、こういう人には京都市も積極的な支援を惜しみなくして欲しいと思う

    「クラウドファンディングで町家再生」
    経営者を調べて分かったのは、また今までとは異質の、若手の経営者がクラウドファンディングを使っているというパターンで、注目される、そのHPには、「色彩豊かな花鳥画で名高い「今尾景年」が愛した登録有形文化財の邸宅と庭を、誰もが愛でて楽しめる場所にすることで、伝統ある姿はそのままに、安全に快適にくつろいで過ごせる空間にし、文化継承と地域活性につなげていきたい」とあり、こういう人には京都市も積極的な支援を惜しみなくして欲しいと思う

  • 「今尾景年」(いまおけいねん1845-1924)<br />明治~大正時代に活躍した日本画家で、幕末の京都で友禅悉皆業(ゆうぜんしっかいぎょう=京友禅制作のプロデューサー)に生まれ、家業の友禅の下絵を手がけながら、やがて四条派の画家として頭角を表すと、竹内栖鳳(たけうちせいほう)らとともに近代の日本画を牽引する一人になり、繊細優美な花鳥画を得意として、南禅寺法堂の「雲龍図」などの大作も手掛けた

    「今尾景年」(いまおけいねん1845-1924)
    明治~大正時代に活躍した日本画家で、幕末の京都で友禅悉皆業(ゆうぜんしっかいぎょう=京友禅制作のプロデューサー)に生まれ、家業の友禅の下絵を手がけながら、やがて四条派の画家として頭角を表すと、竹内栖鳳(たけうちせいほう)らとともに近代の日本画を牽引する一人になり、繊細優美な花鳥画を得意として、南禅寺法堂の「雲龍図」などの大作も手掛けた

  • 「登録有形文化財の邸宅」<br />建物は、400坪の敷地に、2階建ての主屋、門と塀、中門、土蔵と3つの庭があり、玄関から内に案内されると、渡り廊下の左右にある「池泉庭園」と「中庭」を見ながら客室へ入り、右手に6畳の茶室「捉月」(そくげつ)、左手に10畳と15畳の広間、奥に10畳の東の間と主庭の「北庭」がある

    「登録有形文化財の邸宅」
    建物は、400坪の敷地に、2階建ての主屋、門と塀、中門、土蔵と3つの庭があり、玄関から内に案内されると、渡り廊下の左右にある「池泉庭園」と「中庭」を見ながら客室へ入り、右手に6畳の茶室「捉月」(そくげつ)、左手に10畳と15畳の広間、奥に10畳の東の間と主庭の「北庭」がある

  • 「文化財の魅力を発信」<br />ここでビックリさせられたのは、部屋に案内してくれるスタッフの方が、この歴史ある建物や「今尾景年」についての説明をしてくれたこと、外国人の客も多いが、全て丁寧に英語で解説していたので、タダの飲食店ではない、経営者の熱い思いが伝わってくる

    「文化財の魅力を発信」
    ここでビックリさせられたのは、部屋に案内してくれるスタッフの方が、この歴史ある建物や「今尾景年」についての説明をしてくれたこと、外国人の客も多いが、全て丁寧に英語で解説していたので、タダの飲食店ではない、経営者の熱い思いが伝わってくる

  • 渡り廊下の左にある「池泉庭園」<br />特徴的な石臼を使った蹲踞(つくばい)と、石燈籠や池が樹木に囲まれた池泉庭園で、塀の向こうは「六角通」

    渡り廊下の左にある「池泉庭園」
    特徴的な石臼を使った蹲踞(つくばい)と、石燈籠や池が樹木に囲まれた池泉庭園で、塀の向こうは「六角通」

  • 渡り廊下の右にある「枯山水の中庭」<br />丸い石の手水鉢は、平安京の羅城門の礎石と伝わる、それらしい風格がある<br /><br />

    渡り廊下の右にある「枯山水の中庭」
    丸い石の手水鉢は、平安京の羅城門の礎石と伝わる、それらしい風格がある

  • 渡り廊下の赤い絨毯を進むと右手に茶室がある

    渡り廊下の赤い絨毯を進むと右手に茶室がある

  • 茶室「捉月」(そくげつ)<br />盆栽や茶の湯を愛する趣味人でもあった「今尾景年」が、大徳寺三玄院の老師より賜った名前で、中国の故事「猿猴捉月」(えんこうそくげつ)に由来し、猿が水に映った月を捕ろうとして木の枝にぶらさがったら枝が折れて井戸に落ちて溺死したことから、実現不可能なことを目指し失敗することのたとえとして、人を戒める言葉<br />

    茶室「捉月」(そくげつ)
    盆栽や茶の湯を愛する趣味人でもあった「今尾景年」が、大徳寺三玄院の老師より賜った名前で、中国の故事「猿猴捉月」(えんこうそくげつ)に由来し、猿が水に映った月を捕ろうとして木の枝にぶらさがったら枝が折れて井戸に落ちて溺死したことから、実現不可能なことを目指し失敗することのたとえとして、人を戒める言葉

  • 「猿猴捉月」(えんこうそくげつ)」をイメージした茶室<br />床は桐一枚板で、床の間には今尾景年の作品と思われる、猿が木の枝にぶら下がった掛け軸があり、そして注目は特徴的な床柱で、これは景年の絵がパリ万博で受賞したご褒美として、大正天皇から賜られたエゴノキで、真ん中にある自然に出来たコブと、その下の半月形にくり貫かれた壁を水に映った月に見立て、掛け軸の猿が狙っている所を表現しているという

    「猿猴捉月」(えんこうそくげつ)」をイメージした茶室
    床は桐一枚板で、床の間には今尾景年の作品と思われる、猿が木の枝にぶら下がった掛け軸があり、そして注目は特徴的な床柱で、これは景年の絵がパリ万博で受賞したご褒美として、大正天皇から賜られたエゴノキで、真ん中にある自然に出来たコブと、その下の半月形にくり貫かれた壁を水に映った月に見立て、掛け軸の猿が狙っている所を表現しているという

  • 天井は今では使うことのできない屋久杉、欄間額の文字は、「猿猴捉月」の「捉月」(そくげつ)か?

    天井は今では使うことのできない屋久杉、欄間額の文字は、「猿猴捉月」の「捉月」(そくげつ)か?

  • 「水屋」のところには、「今尾景年」作品らしき木版画が無造作に置かれている

    「水屋」のところには、「今尾景年」作品らしき木版画が無造作に置かれている

  • 左手に、広々とした「10畳と15畳の客間」<br />椅子席になっていて、「池泉庭園」を見ながら食事が出来る

    左手に、広々とした「10畳と15畳の客間」
    椅子席になっていて、「池泉庭園」を見ながら食事が出来る

  • この部屋も、書院造の床の間があって、格式高い

    この部屋も、書院造の床の間があって、格式高い

  • お二人に断わってカシャッ

    お二人に断わってカシャッ

  • さらに奥に進むと、主庭の「北庭」<br />さほど広くはない町家らしい庭園で、苔の緑とツワブキやシダ類と青紅葉などの中に、庭園に不可欠な灯篭や蹲踞、鞍馬石などの銘石もふんだんに配されて、大正時代の歴史が十分に伺われる

    さらに奥に進むと、主庭の「北庭」
    さほど広くはない町家らしい庭園で、苔の緑とツワブキやシダ類と青紅葉などの中に、庭園に不可欠な灯篭や蹲踞、鞍馬石などの銘石もふんだんに配されて、大正時代の歴史が十分に伺われる

  • 時代ものの「石灯篭」と「土蔵」<br />3つの石灯篭があって、真ん中の大きな燈篭は、鹿の彫刻がある「春日燈篭」で、その奥には平安時代のものとされる燈篭もあり、背面には登録有形文化財になっている白い「土蔵」が見えるが、ここも同様に再生し、「乃咫(nota)」という別店舗になっているので、また機会があれば行きたい

    時代ものの「石灯篭」と「土蔵」
    3つの石灯篭があって、真ん中の大きな燈篭は、鹿の彫刻がある「春日燈篭」で、その奥には平安時代のものとされる燈篭もあり、背面には登録有形文化財になっている白い「土蔵」が見えるが、ここも同様に再生し、「乃咫(nota)」という別店舗になっているので、また機会があれば行きたい

  • 「大正ガラス」越しの風情<br />この建物のガラス窓には、「大正ガラス」が使われており、ゆるやかな歪みが入って、また一味違う表情を見せてくれる

    「大正ガラス」越しの風情
    この建物のガラス窓には、「大正ガラス」が使われており、ゆるやかな歪みが入って、また一味違う表情を見せてくれる

  • 「苔生す庭を散策」<br />こちらは、庭に降りて真近かに鑑賞することが出来るので、絶好のフォトジェニックポイントになっている

    「苔生す庭を散策」
    こちらは、庭に降りて真近かに鑑賞することが出来るので、絶好のフォトジェニックポイントになっている

  • 奥庭前の「10畳の東の間」<br />庭を鑑賞後案内されたのは、奥庭に面した座敷、入り口広間の椅子席のどちらかを選べるが、この庭には座敷の方がふさわしい<br />

    奥庭前の「10畳の東の間」
    庭を鑑賞後案内されたのは、奥庭に面した座敷、入り口広間の椅子席のどちらかを選べるが、この庭には座敷の方がふさわしい

  • 人気メニューは「華わらび」<br />庭園鑑賞が目的だったが、庭を観ながらの「わらび餅」も見た目に美しく、ツルンとした食感で美味しい、「華わらび」とは、食べられるエディブルフラワーを透明なわらび餅に入れてカラフルにしたもので、甘めの黒蜜と、甘くないきな粉でいただく

    人気メニューは「華わらび」
    庭園鑑賞が目的だったが、庭を観ながらの「わらび餅」も見た目に美しく、ツルンとした食感で美味しい、「華わらび」とは、食べられるエディブルフラワーを透明なわらび餅に入れてカラフルにしたもので、甘めの黒蜜と、甘くないきな粉でいただく

  • 「抹茶と最中」<br />相方と「華わらび」をシェアして、「抹茶と最中」を1つずつ注文、最中は月に見立てた黄色い煎餅?と猿で「猿猴捉月」を表現し、抹茶は一保堂

    「抹茶と最中」
    相方と「華わらび」をシェアして、「抹茶と最中」を1つずつ注文、最中は月に見立てた黄色い煎餅?と猿で「猿猴捉月」を表現し、抹茶は一保堂

  • 庭を見ると、早速庭に降りて写真を撮っていた

    庭を見ると、早速庭に降りて写真を撮っていた

  • 座敷には2組の外国人観光客がいて、和文化を楽しんでいるのを見ると、伝統的町家が有効活用されているのを頼もしく思える

    座敷には2組の外国人観光客がいて、和文化を楽しんでいるのを見ると、伝統的町家が有効活用されているのを頼もしく思える

  • 17:40 ふたたび四条通へ出て、18:00に始まる八坂神社の「神幸祭」へ向かう、正面は「鶏鉾」 *「四条室町」は、平安の昔から商工業の町として発展し、祇園祭を支える山鉾町が固まっており、祇園祭の山鉾巡行では、山鉾が次々と集結する場所であることから「鉾の辻」(ほこのつじ)と呼ばれた

    17:40 ふたたび四条通へ出て、18:00に始まる八坂神社の「神幸祭」へ向かう、正面は「鶏鉾」 *「四条室町」は、平安の昔から商工業の町として発展し、祇園祭を支える山鉾町が固まっており、祇園祭の山鉾巡行では、山鉾が次々と集結する場所であることから「鉾の辻」(ほこのつじ)と呼ばれた

  • 烏丸通方面へ進むと「函谷鉾」

    烏丸通方面へ進むと「函谷鉾」

  • 「函谷鉾」も解体中

    「函谷鉾」も解体中

  • さらに河原町通へ進むと、主役の「長刀鉾」

    さらに河原町通へ進むと、主役の「長刀鉾」

  • 「長刀鉾」も解体中

    「長刀鉾」も解体中

  • 「大丸」百貨店のディスプレーオブジェ「龍頭」<br />「大丸京都店」は、「大船鉾」を支援した「寄町」界隈にあり、「大船鉾」のシンボルである「龍頭」が、幕末の1864年禁門の変で焼失した際に、これが「瀧尾神社」(たきおじんじゃ)の拝殿天井にある龍の作者の作品であることがわかり、「瀧尾神社」を信奉していた大丸創業者の「下村彦右衛門」が、これを復元して大船鉾の2014年に150年ぶりの復活に寄与した、ということからこの「龍頭」が大丸京都店で飾られるようになったという

    「大丸」百貨店のディスプレーオブジェ「龍頭」
    「大丸京都店」は、「大船鉾」を支援した「寄町」界隈にあり、「大船鉾」のシンボルである「龍頭」が、幕末の1864年禁門の変で焼失した際に、これが「瀧尾神社」(たきおじんじゃ)の拝殿天井にある龍の作者の作品であることがわかり、「瀧尾神社」を信奉していた大丸創業者の「下村彦右衛門」が、これを復元して大船鉾の2014年に150年ぶりの復活に寄与した、ということからこの「龍頭」が大丸京都店で飾られるようになったという

  • (2024/01/18撮影)「瀧尾神社の天井龍」<br />2024年辰年の初詣で特別公開された際の撮影で、1939年大丸創業の下村家より奉納されたこの「龍の天井彫刻」は、2016年「大船鉾の龍頭復元」の参考になった

    (2024/01/18撮影)「瀧尾神社の天井龍」
    2024年辰年の初詣で特別公開された際の撮影で、1939年大丸創業の下村家より奉納されたこの「龍の天井彫刻」は、2016年「大船鉾の龍頭復元」の参考になった

  • (2016/07/24撮影)「大船鉾」(おおふねほこ)<br />後祭山鉾巡行の最後尾を飾り、神功皇后の三韓征伐の出陣を表現しており、前祭の「船鉾」が出陣を表し、後祭の「大船鉾」が凱旋を表す<br />

    (2016/07/24撮影)「大船鉾」(おおふねほこ)
    後祭山鉾巡行の最後尾を飾り、神功皇后の三韓征伐の出陣を表現しており、前祭の「船鉾」が出陣を表し、後祭の「大船鉾」が凱旋を表す

  • 17:50 神幸祭の神輿三基を待ち構える「御旅所」<br />いつもは「京都土産センター」に貸し出しているが、1年に1週間だけ「御旅所」となり、(烏丸側)の「西御殿」は、「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)と「櫛稲田姫命」(くしいなだひのみこと)のご夫婦と、弓を携えた随身

    17:50 神幸祭の神輿三基を待ち構える「御旅所」
    いつもは「京都土産センター」に貸し出しているが、1年に1週間だけ「御旅所」となり、(烏丸側)の「西御殿」は、「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)と「櫛稲田姫命」(くしいなだひのみこと)のご夫婦と、弓を携えた随身

  • (河原町側)の「東御殿」は、8人の子供たち「八柱御子神」(やつはしらのみこがみ)が遷座される

    (河原町側)の「東御殿」は、8人の子供たち「八柱御子神」(やつはしらのみこがみ)が遷座される

  • 「本日8:30から午前0時まで、神輿の到着と神事の為立入禁止」<br />「祇園祭」の最も重要なイベントは、神の域である八坂社から、人が暮らす洛中まで、神輿にのった神様が街中を清めながら移動される「神輿渡御」(みこしとぎょ)で、山鉾巡行が八坂神社の氏子が主体的に出しているのに対し、「神輿渡御」は八坂神社の神々を載せた神輿が御旅所に渡る本来の行事になり、7.17「前祭巡行」で街中の穢れを払い、「神幸祭」で八坂神社から神様をお神輿でお連れし、氏子地区を周った後、「御旅所」に1週間滞在し、7.24「後祭巡行」でもう一度穢れを払い、「還幸祭」で神様を神社にお戻しする

    「本日8:30から午前0時まで、神輿の到着と神事の為立入禁止」
    「祇園祭」の最も重要なイベントは、神の域である八坂社から、人が暮らす洛中まで、神輿にのった神様が街中を清めながら移動される「神輿渡御」(みこしとぎょ)で、山鉾巡行が八坂神社の氏子が主体的に出しているのに対し、「神輿渡御」は八坂神社の神々を載せた神輿が御旅所に渡る本来の行事になり、7.17「前祭巡行」で街中の穢れを払い、「神幸祭」で八坂神社から神様をお神輿でお連れし、氏子地区を周った後、「御旅所」に1週間滞在し、7.24「後祭巡行」でもう一度穢れを払い、「還幸祭」で神様を神社にお戻しする

  • 18:10「八坂神社」に到着したら、既に行列が始まっていた<br />「神幸祭」のスケジュールは、16:00本殿で儀式~17:00舞殿から神輿が出発~18:00八坂神社石段下で出発式~18:50神輿渡御出発~(3基の神輿は別々のルートを通り)21:00~23:00御旅所に順次到着

    18:10「八坂神社」に到着したら、既に行列が始まっていた
    「神幸祭」のスケジュールは、16:00本殿で儀式~17:00舞殿から神輿が出発~18:00八坂神社石段下で出発式~18:50神輿渡御出発~(3基の神輿は別々のルートを通り)21:00~23:00御旅所に順次到着

  • 「青龍神社」の力水<br />「八坂神社西楼門」石段下は既に人だかりで、無理やり場所撮りしたこの一角には「青龍神社」と書かれた神輿用の「力水」が用意されている、この「青龍神社」は、八坂神社の本殿地下にあるとされ、青龍が棲む「龍穴」と呼ばれる池があり、これが祇園祭の起源である「神泉苑」の水と地下でつながっていると言われ、この龍穴から湧き出る「青龍神水」を清めの水として使う

    「青龍神社」の力水
    「八坂神社西楼門」石段下は既に人だかりで、無理やり場所撮りしたこの一角には「青龍神社」と書かれた神輿用の「力水」が用意されている、この「青龍神社」は、八坂神社の本殿地下にあるとされ、青龍が棲む「龍穴」と呼ばれる池があり、これが祇園祭の起源である「神泉苑」の水と地下でつながっていると言われ、この龍穴から湧き出る「青龍神水」を清めの水として使う

  • 先頭は「先触れ太鼓」と「清々講社」(せいせいこうしゃ)の幟<br />太鼓に続く「清々講社」は、明治になり出来た祇園祭の運営をサポートする組織で、それまで「寄町(よりちょう)制度」という八坂神社の氏子の旦那衆集団が運営していたが、明治になって新たに結成され、その筆頭格として八坂神社(宮)のお膝元(本)で八坂神社が創祀する656年から続いている氏子の「宮本組」が指名され、祇園祭全体を統括し、神輿の周辺で補助的な行動や直前の露払いなどを担っている

    先頭は「先触れ太鼓」と「清々講社」(せいせいこうしゃ)の幟
    太鼓に続く「清々講社」は、明治になり出来た祇園祭の運営をサポートする組織で、それまで「寄町(よりちょう)制度」という八坂神社の氏子の旦那衆集団が運営していたが、明治になって新たに結成され、その筆頭格として八坂神社(宮)のお膝元(本)で八坂神社が創祀する656年から続いている氏子の「宮本組」が指名され、祇園祭全体を統括し、神輿の周辺で補助的な行動や直前の露払いなどを担っている

  • 「清々講社第二号弓矢組」の幟は「護衛の武者行列」<br />「神幸祭」を先導しているのは甲冑に身を包んだ若武者「弓矢町武者行列」で、元々東山区にある弓矢町が、神輿行列の先頭で道を清める役を担っていて、昭和49年に中止になってからは宮本組が代理でおこなっていたが、「清々講社第二号弓矢組」(第一号は宮本組)として今年(2025年)から復活した

    「清々講社第二号弓矢組」の幟は「護衛の武者行列」
    「神幸祭」を先導しているのは甲冑に身を包んだ若武者「弓矢町武者行列」で、元々東山区にある弓矢町が、神輿行列の先頭で道を清める役を担っていて、昭和49年に中止になってからは宮本組が代理でおこなっていたが、「清々講社第二号弓矢組」(第一号は宮本組)として今年(2025年)から復活した

  • 「豊園泉正寺榊」(ほうえんせんしょうじさかき)と後ろに「豊国社」の提灯<br />さらに「神幸祭」を先導する「榊台」は、山鉾に見たてた御真榊(おんまさかき)で、榊は邪気を祓い、洗い清めるため、元々は、中御座の御神輿を先導して巡幸路を清めていて、三基の神輿それぞれにあったが、現在ではこの一基のみ

    「豊園泉正寺榊」(ほうえんせんしょうじさかき)と後ろに「豊国社」の提灯
    さらに「神幸祭」を先導する「榊台」は、山鉾に見たてた御真榊(おんまさかき)で、榊は邪気を祓い、洗い清めるため、元々は、中御座の御神輿を先導して巡幸路を清めていて、三基の神輿それぞれにあったが、現在ではこの一基のみ

  • 「宮本組」の赤い提灯と「神宝奉持列」(しんぽうほうじれつ)<br />神様の宝物をお運びする役割は、「宮本組」だけに託されており、唯一宮本組だけが神様のお宝に触れることができる。「御神宝」(ごしんぼう)は、神様の装束や剣、琴などで、これも神輿とともに御旅所に安置される

    「宮本組」の赤い提灯と「神宝奉持列」(しんぽうほうじれつ)
    神様の宝物をお運びする役割は、「宮本組」だけに託されており、唯一宮本組だけが神様のお宝に触れることができる。「御神宝」(ごしんぼう)は、神様の装束や剣、琴などで、これも神輿とともに御旅所に安置される

  • 「円融天皇の勅板」(ちょくばん)<br />先頭は「円融天皇の勅願」が書かれた石板で、「祇園祭は毎年八坂神社で催すように」というようなことが書かれているという。これは「祇園祭」が始まった当初は、開催場所が決まってなくて、天然痘が大流行した974年から山鉾巡行も始まったことから、円融天皇(えんゆうてんのう959-991)の命で場所も固定されたという経緯があり、この「勅板」は祇園祭が八坂神社で行われる具体的な根拠になるもので、神幸祭に先立って、毎年宮本組によって円融天皇陵から運んでくるという

    「円融天皇の勅板」(ちょくばん)
    先頭は「円融天皇の勅願」が書かれた石板で、「祇園祭は毎年八坂神社で催すように」というようなことが書かれているという。これは「祇園祭」が始まった当初は、開催場所が決まってなくて、天然痘が大流行した974年から山鉾巡行も始まったことから、円融天皇(えんゆうてんのう959-991)の命で場所も固定されたという経緯があり、この「勅板」は祇園祭が八坂神社で行われる具体的な根拠になるもので、神幸祭に先立って、毎年宮本組によって円融天皇陵から運んでくるという

  • 宮本組の「神宝奉持列」(しんぽうほうじれつ)が続く<br />「神宝」は、矛、楯、弓、矢、剣、琴など、武具や楽器が17個もあるという

    宮本組の「神宝奉持列」(しんぽうほうじれつ)が続く
    「神宝」は、矛、楯、弓、矢、剣、琴など、武具や楽器が17個もあるという

  • 「神宝」は、宮本組以外の人は触れることは出来ないので、これだけの総勢100名くらいの人を確保するのは大変だろうと思う

    「神宝」は、宮本組以外の人は触れることは出来ないので、これだけの総勢100名くらいの人を確保するのは大変だろうと思う

  • 「綾戸國中神社」(あやとくなかじんじゃ)の幟<br />久世の桂川駅の近くにあり、「綾戸社」と「國中社」が合祀された神社で「國中社」は「牛頭天皇社」とも呼ばれていて、ご祭神が「八坂神社」と同じスサノオノミコトであることから、國中社から神の化身である「久世駒形稚児」(くせこまがたちご)が到着しなければ、祇園祭は行うことは出来ないと考えられていた<br /><br /><br />

    「綾戸國中神社」(あやとくなかじんじゃ)の幟
    久世の桂川駅の近くにあり、「綾戸社」と「國中社」が合祀された神社で「國中社」は「牛頭天皇社」とも呼ばれていて、ご祭神が「八坂神社」と同じスサノオノミコトであることから、國中社から神の化身である「久世駒形稚児」(くせこまがたちご)が到着しなければ、祇園祭は行うことは出来ないと考えられていた


  • 「久世駒形稚児」(くぜこまがたちご)<br />「綾戸国中神社」の御神体・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒御魂(あらみたま)を象った駒形を胸に掛け神の化身とされ、白馬に乗り神輿を先導する *「長刀鉾の稚児」さんはよく知られているが、「久世駒形稚児」も毎年前祭と後祭の2名選ばれ、長刀鉾の稚児は南楼門で下馬して境内は徒歩で歩くが、こちらは馬に乗ったまま境内に入ることが許されており、いかに特別な存在であるかが分かる

    「久世駒形稚児」(くぜこまがたちご)
    「綾戸国中神社」の御神体・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒御魂(あらみたま)を象った駒形を胸に掛け神の化身とされ、白馬に乗り神輿を先導する *「長刀鉾の稚児」さんはよく知られているが、「久世駒形稚児」も毎年前祭と後祭の2名選ばれ、長刀鉾の稚児は南楼門で下馬して境内は徒歩で歩くが、こちらは馬に乗ったまま境内に入ることが許されており、いかに特別な存在であるかが分かる

  • 次代を担う子供たちも続いて、そろそろ神輿の登場

    次代を担う子供たちも続いて、そろそろ神輿の登場

  • ついに右手南側から「神輿」がやってきた!

    ついに右手南側から「神輿」がやってきた!

  • (2022/07/15撮影)舞殿に奉安される3基の「神輿」<br />16:00から本殿で神事が行われる間に、舞殿の「神輿」が地上に降ろされ、渡御の準備をし17:00「南楼門」から出発する、「神輿」は中央に「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)の「中御座」(六角形)、右に奥さんの「櫛稲田姫命」(くしいなだひめのみこと)の「東御座」(四角形)、左に2人の間の8人の子供の「八柱御子神」(やはしらのみこがみ)の「西御座」(八角形)で、神輿の屋根に中御座と西御座は鳳凰、東御座は宝珠が載せられている

    (2022/07/15撮影)舞殿に奉安される3基の「神輿」
    16:00から本殿で神事が行われる間に、舞殿の「神輿」が地上に降ろされ、渡御の準備をし17:00「南楼門」から出発する、「神輿」は中央に「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)の「中御座」(六角形)、右に奥さんの「櫛稲田姫命」(くしいなだひめのみこと)の「東御座」(四角形)、左に2人の間の8人の子供の「八柱御子神」(やはしらのみこがみ)の「西御座」(八角形)で、神輿の屋根に中御座と西御座は鳳凰、東御座は宝珠が載せられている

  • (2022/07/15撮影)「神輿洗式」(みこしあらいしき)で清められた「中御座神輿」<br />「神輿渡御」に先立って、3基の神輿は7月10日に神輿蔵から出され、東御座と西御座は舞殿に泰安されるが、素戔嗚尊をお祀りする「中御座神」のみ三基を代表して、四条大橋まで運ばれ、鴨川の神用水で清められる「神輿洗い」(みこしあらい)が行われ、その後7月17日の「神幸祭」まで舞殿に安置される

    (2022/07/15撮影)「神輿洗式」(みこしあらいしき)で清められた「中御座神輿」
    「神輿渡御」に先立って、3基の神輿は7月10日に神輿蔵から出され、東御座と西御座は舞殿に泰安されるが、素戔嗚尊をお祀りする「中御座神」のみ三基を代表して、四条大橋まで運ばれ、鴨川の神用水で清められる「神輿洗い」(みこしあらい)が行われ、その後7月17日の「神幸祭」まで舞殿に安置される

  • トップは主祭神の「素戔嗚尊」を奉祀する「中御座」<br />「八坂神社」は、平安時代にインドの祇園精舎を守護する牛頭天皇(ごずてんのう)を勧請して「祇園社」としたことに始まり、869年疫病流行の時に牛頭天皇が「素戔嗚尊」になって現われ、祇園社に祈りが捧げられ流行が止んだことから発展し、素戔嗚尊の奥さんの「櫛稲田姫命」と、二人の間の8人の子供の「八柱神」の3座を祀り、明治になって「八坂神社」に改名された<br />

    トップは主祭神の「素戔嗚尊」を奉祀する「中御座」
    「八坂神社」は、平安時代にインドの祇園精舎を守護する牛頭天皇(ごずてんのう)を勧請して「祇園社」としたことに始まり、869年疫病流行の時に牛頭天皇が「素戔嗚尊」になって現われ、祇園社に祈りが捧げられ流行が止んだことから発展し、素戔嗚尊の奥さんの「櫛稲田姫命」と、二人の間の8人の子供の「八柱神」の3座を祀り、明治になって「八坂神社」に改名された

  • 「中御座」は「三若神輿会」(さんわかしんよかい)が奉仕<br />「三若」は、三条会商店街周辺の住民で構成されている

    「中御座」は「三若神輿会」(さんわかしんよかい)が奉仕
    「三若」は、三条会商店街周辺の住民で構成されている

  • 「中御座」は豪快な差し上げを行って出発式を待つ<br />

    「中御座」は豪快な差し上げを行って出発式を待つ

  • 次は奥さんの「櫛稲田姫命」を奉祀する「東御座」<br />「東御座」は、東山三条周辺の住民で構成される「四若神輿会」(しわかしんよかい)が奉仕し、四若会には「若東御座」と呼ばれる「子供神輿」もある

    次は奥さんの「櫛稲田姫命」を奉祀する「東御座」
    「東御座」は、東山三条周辺の住民で構成される「四若神輿会」(しわかしんよかい)が奉仕し、四若会には「若東御座」と呼ばれる「子供神輿」もある

  • 最後は子供たちの「八柱御子神」を奉祀する「西御座」<br />「西御座」は、錦市場の店主で構成される「錦神輿会」(にしきしんよかい)が奉仕する

    最後は子供たちの「八柱御子神」を奉祀する「西御座」
    「西御座」は、錦市場の店主で構成される「錦神輿会」(にしきしんよかい)が奉仕する

  • 3基が揃って「出発式」が始まる<br />3基に子供神輿の「若東御座」も加わり、八坂神社西楼門石段に勢ぞろいし、「祇園祭神幸祭結団式」が始まる

    3基が揃って「出発式」が始まる
    3基に子供神輿の「若東御座」も加わり、八坂神社西楼門石段に勢ぞろいし、「祇園祭神幸祭結団式」が始まる

  • 宮司さんの挨拶

    宮司さんの挨拶

  • 知事さんの挨拶

    知事さんの挨拶

  • 市長さんの挨拶

    市長さんの挨拶

  • そして八坂神社の神職さんのお祓いでお神輿を清めて、出発式終了

    そして八坂神社の神職さんのお祓いでお神輿を清めて、出発式終了

  • まず「中御座」が、何度も神輿の差し回しや差し上げを行って、気勢を上げながら出発

    まず「中御座」が、何度も神輿の差し回しや差し上げを行って、気勢を上げながら出発

  • 「中御座」は「三若会」に担がれ、このまま四条通を西に進み、大和大路通を北上して、三条大橋を渡り三条会商店街に向かい、二条通から市役所を周って、三条通から河原町通に入り、お旅所に到着する(21:00予定) *神輿は、かつて四条には橋がかかっていなかったため、四条大橋ではなく、三条大橋を通る

    「中御座」は「三若会」に担がれ、このまま四条通を西に進み、大和大路通を北上して、三条大橋を渡り三条会商店街に向かい、二条通から市役所を周って、三条通から河原町通に入り、お旅所に到着する(21:00予定) *神輿は、かつて四条には橋がかかっていなかったため、四条大橋ではなく、三条大橋を通る

  • 「東御座」も出発<br />「四若会」に担がれ、東大路を北上し、花街の祇園北部を周り、花見小路三条から三条大橋を渡って、河原町通から仏光寺通まで南下してからお旅所に到着する(22:00予定)また「東若御座」も、ほぼ同時に出発し、似たようなルートでお旅所に到着する

    「東御座」も出発
    「四若会」に担がれ、東大路を北上し、花街の祇園北部を周り、花見小路三条から三条大橋を渡って、河原町通から仏光寺通まで南下してからお旅所に到着する(22:00予定)また「東若御座」も、ほぼ同時に出発し、似たようなルートでお旅所に到着する

  • 「西御座」も出発<br />「錦神輿会」に担がれ、中御座とコースが重なるので、少し待ってから、四条通を西に進み、花見小路を南下し、花街の祇園甲部から団栗通を西に入り、大和大路通を北上して三条大橋を渡り、木屋町通から二条通を廻って三条通から河原町通りに入り、松原通まで南下してから御旅所に入る(22:45予定)

    「西御座」も出発
    「錦神輿会」に担がれ、中御座とコースが重なるので、少し待ってから、四条通を西に進み、花見小路を南下し、花街の祇園甲部から団栗通を西に入り、大和大路通を北上して三条大橋を渡り、木屋町通から二条通を廻って三条通から河原町通りに入り、松原通まで南下してから御旅所に入る(22:45予定)

  • 最後尾も「清々講社」の方々

    最後尾も「清々講社」の方々

  • (2022/07/21撮影)<br />「中御座神輿」は、21時頃に「御旅所」に到着し、神輿の差し回しや差し上げを行った後、御旅所に入り、他の神輿も23時頃までには、この流れで御旅所に収まる

    (2022/07/21撮影)
    「中御座神輿」は、21時頃に「御旅所」に到着し、神輿の差し回しや差し上げを行った後、御旅所に入り、他の神輿も23時頃までには、この流れで御旅所に収まる

  • 「清々講社」宮本組が運んだ「神宝」の武具や楽器も、隣に収まる

    「清々講社」宮本組が運んだ「神宝」の武具や楽器も、隣に収まる

  • (2022/07/15撮影)「疫神社」(えきじんじゃ)<br />「祇園祭」の最後の締めくくりは、7月31日、境内にある「疫神社」の、茅輪(ちのわ)をくぐって厄を払う「疫神社夏越祭」(なごしさい)で、昔、この神社に祀っている「蘇民将来」(そみんしょうらい)という男が、旅人だった「牛頭天王」を手厚くもてなしたことに対し、そのお礼にもらった「茅の輪」のお陰で、疫病にもかからず一族は繁栄したという逸話から、「牛頭天王」を丁重にもてなすことで自分たちを守ってくれると考え、この両者が合わさることで祇園祭が成り立つと信仰されており、茅の輪をくぐって、無病息災を願い「祇園祭」がすべて終了する

    (2022/07/15撮影)「疫神社」(えきじんじゃ)
    「祇園祭」の最後の締めくくりは、7月31日、境内にある「疫神社」の、茅輪(ちのわ)をくぐって厄を払う「疫神社夏越祭」(なごしさい)で、昔、この神社に祀っている「蘇民将来」(そみんしょうらい)という男が、旅人だった「牛頭天王」を手厚くもてなしたことに対し、そのお礼にもらった「茅の輪」のお陰で、疫病にもかからず一族は繁栄したという逸話から、「牛頭天王」を丁重にもてなすことで自分たちを守ってくれると考え、この両者が合わさることで祇園祭が成り立つと信仰されており、茅の輪をくぐって、無病息災を願い「祇園祭」がすべて終了する

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