2026/04/03 - 2026/04/03
4294位(同エリア4398件中)
Bachさん
今月の月一京町散歩は、先月と同じく、秀吉の洛中改造で出来た「間之町通」(あいのまちどおり)と、京都御苑の桜の開花状況を確認して歩きます。
京都御苑の南側「丸太町通」から始まる南北通りの「てらごこ ふやとみ やなぎさかい たかあいひがしくるまやちょうからす」(寺町、御幸町、麩屋町、富小路、柳馬場、堺町、高倉、間之町、東洞院、車屋町、烏丸)の高倉通と東洞院通の間に造られたため「間の町」と命名された通りで、これで全部の通りを歩いたことになります。
他の通りと同様、丸太町通より北側は出水通まであったのが御所の拡張で取り込まれ、鴨川の東岸に「新間之町通」として残っていますが、異なる点は、途中の姉小路通・高辻通、松原通・万寿寺通間は、当時町が十分に発達していて通りが作れなかったのか、分断されており、丸太町通から七条通まで4kmですが、途中分断が1.5kmあるので、2.5kmの距離になり、京都御苑内の2kmと、七条通から京都駅まで0.3kmを含めて、約6km強のウォーキングです。
この通りは、東洞院と高倉の賑やかな通りに挟まれて、落ち着いた雰囲気の昔ながらの家並みが残り、比較的大きな立派な町家が点在する印象ですが、最近地価の高騰が空き家対策の障害になっていることもあり、小規模の町家よりも対処しにくいのではないかと、余計な心配までしてしまいます。
毎月歩いていると、昔の時代の流れも、最近の時代の流れも分かって、いい勉強になります。
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「間之町通」(あいのまちどおり)は、平安京には存在せず、1590年頃の秀吉の洛中改造(天正の地割)で、高倉通と東洞院通の間に造られたため「間の町」と命名された通りで、この通りも丸太町通の北、出水通まで延びていたが、御所の拡張で取り込まれ、鴨川の東岸に「新間之町通」として残っている。丸太町通から七条通までは4kmだが、途中、姉小路通から高辻通と松原通から万寿寺通間の1.5kmは分断されており、渉成園の西側は、明治34年(1901)までこの区間を京都電気鉄道の木屋町線(京都駅から岡崎)が通っていたので道幅が広く、南側は古くからの町並みや食事処が多く残り、北側は閑静な住宅街やオフィスが続く
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10:30地下鉄今出川駅~乾御門~近衛邸跡糸桜~車返しの桜~学習院発祥の地の桜松~出水の小川のしだれ桜・里桜~2.0km間之町口~山岡商店~上村松園旧邸~12:00ランチ「きん安」~(竹屋町通)竹間公園、未来みつめて像、子供みらい館~京遊学舎~ハセガワ陶器店~(夷川通)家具の川上~北村松月堂~西村衛生ボーロ本舗~(二条通)~足立病院~(押小路通)~サンドイッチ「タナカ」~(御池通)在原業平邸址~吉忠~1.0km(姉小路通)洛風中学校~<1.2km>~(高辻通)仏光寺~花咲稲荷社~0.2km(松原通)大原商店~<0.3km>~(万寿寺通)~(五条通)下京消防署~(下坂通)六条院公園~カフェ糖太郎~(六条通)~(花屋町通)~文子天満宮~(上珠数屋町通)~渉成園~(下珠数屋町通)~皆山中学校の碑、渉成小学校~1.1km(七条通)~0.3km16:00(塩小路通)京都駅7階東広場
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地下鉄今出川駅から京都御苑「乾御門」へ
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児童公園を通って「近衛邸跡」方面へ
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昨日の雨で、桜は少し散り始め
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「近衛邸跡」(駒札)
近衛家は五摂家の筆頭として摂政・関白をつとめた有力貴族です。池の西側には大きな屋敷と庭があり、御所が火事で焼けた際にはここを天皇が仮住まい(里内裏)とすることがありました。庭園の跡には近衛家の名木として知られる優美な糸桜(イトザクラ)が約60株植えられており、初春には多くの人々が訪れます。孝明天王(1831-1867)は近衛家に行幸された際、この糸桜を褒めたたえ、次の和歌を詠みました。「昔より名にはきけども今日みれば むべめかれせぬ糸さくらかな」(詠糸桜和漢巻) -
残念ながら既に「葉桜」状態
令和4年(2022)に庭園の修復工事が実施されて奇麗になった -
周辺には「ヤブツバキ」も多い
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(2016/3/30撮影)10年昔は3月30日時点で満開だったから、やはり開花は年々早くなっている
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すぐ隣の「八重紅枝垂桜」は満開
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「白枝垂れ桜」
近衛邸周辺には、約60本の枝垂れ桜があり、白、紅などの種類で開花の時期が違うらしい -
「御苑のサクラ」
京都御苑には、1,100本の桜があり、種類が多いので、早咲きの彼岸桜や枝垂れ桜から山桜、大島桜、遅咲きの八重桜まで順に咲いていくから楽しい -
「宮内庁事務所」辺りのサクラ
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「清所門」(せいしょもん)辺りのサクラ
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先月は未だ咲いてなかった「車返しの桜」が満開
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「車返しの桜」(くるまがえしのさくら)
後水尾天皇(1596-1680)があまりの美しさに御車を返して再度眺めたと伝わり、一重と八重の花が混在して咲く、他の桜より少し遅い -
一重と八重混在が美しい
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御所東側「学習院発祥の地」手前の桜も満開
「学習院」は、徳川期の1847年公家町の一角に設立、現在の「学習院」は、明治10年(1877)東京に再興された -
先月は未だ咲いてなかった、学習院発祥の地の「桜松」(さくらまつ)も満開
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「桜松」は、クロマツの樹上十数メートルの所にヤマザクラが生育したもの
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平成8年に樹齢100年のマツが枯れ倒れ、そのマツの空洞から根を下ろしていた樹齢40年の桜が花を咲かせた
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白っぽいピンクの八重桜
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「出水の小川」辺りの桜
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「出水の小川」には、枝垂れ桜や里桜など多くの種類の桜が美しい
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外国人観光客では、よく親子の家族旅行が目立って微笑ましい
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ここでも親子家族の観光客、「間之町口」の大島桜
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「間之町口」(あいのまちぐち)
入り口からは、百日紅(サルスベリ)しかないかと思っていたが、内側から見るとサクラの存在感も際立つ -
「間之町口」(あいのまちぐち)
しばらく工事中だったが、日本庭園風に奇麗に整備されている -
丸太町通に出て、間之町通へ
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「間之町通」(あいのまちどおり)
1590年頃の秀吉の洛中改造(天正の地割)で、高倉通と東洞院通の間に造られたことから、「間の町」と命名され、丸太町通から七条通まで3km、途中、姉小路通から高辻通と松原通から万寿寺通間は分断され、南向き一方通行が多い -
南側に渡ると、ヴィンテージ感溢れる外観の建物に惹かれる
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調べると「ATTA」というヘアカットサロンらしい、が現在営業してるかどうかも不明な奇妙な建物
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神祭具、御冠、烏帽子「山岡商店」
秀吉が大阪城築城を開始した1583年創業(450年)の老舗で、現在17代目、冠・烏帽子・神祭具の調進所(ちょうしんしょ)として続いている、冠・烏帽子は位階を現す伝統服飾文化で、神社・お祭り・能・狂言などで使われる -
肌着本舗「井口」
昭和29年(1954)創業の肌着店さんで、クレープ肌着や布、ニット製品など、ステテコやふんどしまで製造、卸、ネット販売で、頑張っている、創業70年だが老舗には入らない -
懐石料理店「御所岩さき」
ミシュラン1つ星の店で、12:00からやっているが、ランチ10,000~、夜20,000~ -
「上村松園旧邸」(うえむらしょうえん)
大正3年(1914)の建築で、アトリエの制作場所と生活が一体となった機能的な町家、上村松園(1875-1949)は、美人画で知られた女性初の文化勲章受章者で、息子の上村松篁(しょうこう1902-2001)、孫の上村淳之(あつし1933-2024)三代連続で、京都市芸大で文化勲章という名門、子供たちは花鳥画の大家 -
「上村松園旧宅」取り壊しの危機
最近の情報で、不動産会社が購入し、ホテルにするかもしれないという、この通り周辺は京町家が少なくなって、マンションや駐車場が目立ち、インバウンドの流れで、リノベーションで活用されるとホッとするが、取り壊されるのを見ると悲しくなる。毎年200件もの町屋が失われると言われ、一部で保存活動も行われてはいるが、こういう特に著名な町家については、行政で何とか保存して、美術館のような使い方が出来ないものか、誰か声を上げて欲しい -
「御所南はなこクリニック」
まだ新しそうな、皮膚科・美容皮膚科・小児皮膚科の医院 -
ランチ「きん安」
創業は約80年前で現在4代目、元々は魚屋で、現在は京野菜を使用した地域密着の和食居酒屋 -
カウンターや掘りごたつ席もあったが、満席で広間座敷に案内された
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メニューはどれもリーズナブル
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造り、天麩羅の「御所南定食」を注文、普通に美味しかった
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(竹屋町通)「竹間公園」(ちっかんこうえん)
「竹屋町通」と「間之町通」の交差点にあることからの命名、この辺り一帯は、竹間小学校の跡地で、東洞院通側に、「竹間小学校・竹間幼稚園の碑」がある *竹間小学校は明治2年(1869)上京第21番組小学校として創設され、平成7年(1995)に富有・梅屋・龍池・春日小学校と統合し御所南小学校になり、竹間幼稚園は明治18年(1885)に創設され、平成8年(1996)もえぎ幼稚園に統合された -
「未来みつめて像」
平成19年(2007)京都市学校医会創立100周年に建立、「谷口淳一」(1952-)制作で、お母さんが子どもを抱えて座り、その視線の向こうに「こどもみらい館」があり、子育てを応援するというテーマだという -
「こどもみらい館」(子育て支援総合センター)
竹間小学校跡地に平成11年(1999)、京都市の「子育て支援の中核施設」として、安心して子どもを産み、子育てのできる環境を整備する目的で開館し、幼児向けに特化した遊び場や図書館、相談施設、教育関係者向けの研修施設などがあり、隣接する「もえぎ幼稚園」や「自治会館」と「公園」が一体化して「3世代が楽しめる」地域の活動を目指している -
「竹間自治会館・竹間ふれあいいきいきサロン」
京都の町歩きでは、小学校跡地に公園や自治会館、消防分団などがセットで置かれているのをよく見かけるが、これは明治に設置された番組小学校区が住民自治の基本単位として機能しているので、小学校が廃止される際にここをコミュニティ拠点としているためで、さらに高齢者の健康維持や孤立防止を目的に「いきいきサロン」まで開催しているというから、よく考えている -
「団おとなこども歯科」
近くにあると便利な歯医者さん -
「京遊学舎」
見たような顔の写真入りポスターがあったので確認すると、「市田ひろみ」さんのカルチャースクールだった。着物教室だけでなく、生け花、舞踊、能楽まで様々な教室がある、テレビでよく見かけていた「市田ひろみ」(1932-2022)さんは、最近2022年のニュースで、90歳でお亡くなりになったそうだが、女優やCMから美容室や着物の着付け、服飾評論家として活躍し、晩年は京都で和の文化サロンを開いていたそうだが、誰かが受け継いでいるのだろうか -
この辺りは立派な町家が多い、規模の大きい方が扱いにくいかも知れない
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「伊藤竹香堂」(いとうちっこうどう)
創業約90年の京表具屋さんで、現在3代目 -
カフェ「メリーゴーランド」
子供と一緒に入れそうなお洒落なカフェ -
(夷川通)「ハセガワ陶器店」
普段使いの昭和レトロな陶器屋さん -
ホテル「Guesthouse 洛(らく)」
玄関入り口のディスプレーに惹かれる -
漆器専門店「岡村漆器店」
明治27年(1894)創業の京漆器の老舗、大正時代の町家を改築した店舗で、永く使える家庭用や贈答用 -
「家具の川上」
明治16年(1883)創業で、現在も20店舗が連なる「家具の街」夷川でも代表的な老舗、江戸末期1864年の「禁門の変」で、御所周辺が焼野原になった後、この辺りに多くの木工職人が集まり京都の復興を支え、家具の街へと発展したという -
カフェ「鳥の木珈琲」(とりのき)
自家焙煎の居心地良さそうな喫茶店、2014年開業 -
イタリア料理店「ルーデンス」LUDENS
中庭もある町家で優雅に、薬膳イタリアンを頂けるが、ランチで7,600円から、ディナーで20,000円~、2017年開業 -
表具・表装店「北村松月堂」
明治4年(1871) 創業の京表具店、京都で唯一、節句屏風を制作する店で、四代目当主は、雛屏風で経済産業大臣指定伝統工芸士認定を受けた職人だという *「京表具」(きょうひょうぐ)は、書・絵画などを紙や布で補強し、装飾を施して仕立てる伝統技術 -
古美術「高瀬」
公家文化に関連する雛人形や骨董品を扱い、ひな人形に詳しい店主が集めた江戸後期からの京雛があるという -
「西村衛生ボーロ本舗」
明治26年(1893)創業で、明治時代に当時の疫病流行を受け「衛生的で栄養価が高く消化に良い」子供向けの菓子として開発され、現在でも続いているというのが凄いが、2024年、店舗付きマンションとしてリニューアルオープンし、現在では、従来の「エイセイボーロ」の他に、野菜ボウロや節分、ひな祭り、ハロウィン、トーマス、ハローキティなど、伝統の上に新しさも加えて、暖簾継承のために様々な努力をしているのが見受けられる -
「衛生ボーロ」と「蕎麦ボーロ」
「ボーロ」は、16世紀にポルトガルから伝わった南蛮菓子の総称で、江戸時代からの蕎麦屋「河道屋」が、蕎麦作りの技術と南蛮菓子を掛け合わせて作ったのが「蕎麦ボーロ」で、明治の疫病対策としてアレルギー対策として小麦粉は使わずジャガイモに卵と砂糖を使用したのが「衛生ボーロ」で、口どけの良さで離乳食から高齢者まで根強い需要がある *蕎麦ボーロの「河道屋」は2025.5閉店した -
(二条通)カフェ「京 菓る茶」
大正6年(1917)創業の西陣の味噌蔵「加藤みそ」(加藤商店)が、2023年に開業したカフェチーズスイーツ専門店 -
居酒屋レストラン「二条厨」(くりや)
築120年の京町家で、イタリアン、フレンチの創作料理を、5,000円程度でいただける、隠れ家的なレストラン -
表札に注目「纐纈」(こうけち/こうけつ)
「纐纈」という名字は、岐阜県可児市周辺を発祥とする珍しい名字で、布地の一部をつまんで糸で括(くく)る「絞り染め」のことらしい -
フランス菓子カフェ「グラン・ヴァニーユ」grains de vanille
2010年開業のフランス菓子店さん(フランス語でバニラの種) -
産婦人科「足立病院」
京都市の新生児の約5人に1人が同院で誕生するという、地域トップクラスの規模を誇る中核病院 -
(押小路通)南インド料理店「タルカ」
本格的「ミールス」の人気店 *「ミールス」は、南インドの米を主食とする菜食中心の定食スタイルで、サンバル(豆と野菜のカレー)、ラッサム(酸味のあるスープ)、ライス、パパド(薄焼き煎餅)などを混ぜて(手で)食べる -
今日一の立派な空き家の京町家
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手作りサンドイッチの店「タナカ」
1973年創業で味は間違いない、ハムサンド、カツサンドなど種類豊富だが、名物はフルーツサンド、店内ではカレーライスも食べられる -
(御池通)
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「在原業平邸址」(ありわらのなりひらていあと)
平安初期の歌人・六歌仙の一人「在原業平」(825-880)の邸宅跡 -
「吉忠」(よしちゅう)
明治8年(1875)創業の、マネキン・アパレル・テキスタイルの総合メーカーで、呉服問屋から、戦後洋装の流れで婦人服で発展し、1946年島津製作所から譲り受けたマネキンが人形だけでなく百貨店の陳列器具、ウインドウディスプレイまで拡大して成功した -
「くみこ美容室」「野村会計事務所」
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居酒屋「みまでり」
「みます屋」など6店舗を展開する、1974年創業のエルエーマートという企業の飲食店 -
(姉小路通)「洛風中学校」
「間之町通」はここで中断し、この延長上(高辻通)から再開する -
この辺りは平成5年(1993)閉校した初音中学校の跡地に、不登校生徒を受け入れる「洛風中学校」や、「こども相談センターパトナ」、「万華鏡ミュージアム」などとして活用されている
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ここからは、隣の(東洞院通)に迂回して(高辻通)まで歩く
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(仏光寺通)「豊園小学校の碑」(ほうえんしょうがっこう)
豊園小学校は明治2年(1869)番組小学校として開校し、平成4年(1992)統合され「洛央小学校」になった、この地は豊臣秀吉の別邸・竜臥城の跡地で、秀吉が茶の湯に使ったと伝えられる井戸・豊園水に因んだ命名 -
洛央水琴窟「天水琴」
「豊園水の天水琴」と呼ばれ、豊臣秀吉の別邸・龍臥城の水(豊園水)があった場所に、小学校の統廃合を機に設置された -
「洛央小学校」
明治の番組小学校の7校が統合して、平成4年(1992)に、豊園小学校の跡地に統合され「洛央小学校」になった -
(高辻通)「仏光寺」(ぶっこうじ)
真宗佛光寺派本山で、親鸞聖人が越後流罪から赦免された翌年の1212年に、山科に草庵を結ばれたのがはじまりで、1586年豊臣秀吉により現在地に移された -
「仏光寺」大師堂(親鸞聖人坐像)と阿弥陀堂(阿弥陀如来立像と聖徳太子像、法然上人坐像)のお堂の前に、秩父宮、高松宮、三笠宮が昭和47年(1972)にお手植された、由緒ある3本の枝垂桜があるが、この日は既に葉桜状態
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一見分かり難い狭い通りから「間之町通」は再開する
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「堤淺吉漆店」(つつみあさきちうるしてん)
明治42年(1909)創業の、漆店さんで、生漆の精製から塗漆精製、調合、調色を一貫して自社で行う -
「花咲稲荷神社」とその横に「稲荷三軒町南無地蔵尊」
マンションの入り口の狭い敷地内に、マンションと一体となった無人のお社が鎮座し、神社の前には「松永貞徳花咲亭址」の石碑が立っており、「花咲稲荷神社」はその邸宅の鎮守として創建された -
「花咲稲荷神社」(はなさきいなりじんじゃ)
「松永貞徳」(まつなが ていとく1571-1654)は、豊臣秀吉の祐筆を務め、晩年はこの地に移り住み、俳諧の指導者となり俳諧の祖とされる、弟子の弟子に松尾芭蕉が出てきて、俳諧から俳句へ、さらに川柳や狂歌など様々に派生していく、また、松永貞徳は「雪月花三名園」の作者でもある(妙満寺の「雪の庭」、清水寺成就院の「月の庭、北野天満宮成就坊の「花の庭」) -
突き当たりの(松原通)で、「間之町通」は中断し、この延長上(万寿寺通)から再開する
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(松原通)「大原商店」
昭和6年(1931)創業の、和装小物店で、帯締め・帯揚げ・半襟・草履・バッグ・髪飾りなど、着物に関わる小物商品を卸・販売している -
2024年オープンの「鰻の成瀬」京都烏丸東店
ここからは、隣の(東洞院通)に迂回して(万寿寺通)まで歩く -
(五条通)
(万寿寺通)から150mの細い通りには特に際立つものはなし -
「下京消防署」
「青雲」という男性のヌード像があるが、意味不明 -
「下京税務署」
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この立派な町家は「金澤宗維カルチャースクール」
MAPにある「金澤宗維」(かなざわ そうい)を調べてみると、裏千家今日庵の「業躰」(ぎょうてい)を務め、宗家直下の伝承者として茶会での点前やNHK文化センターでの講師、学校指導など、全国で茶道の普及・指導に尽力している、とある。「業躰」(ぎょうてい)とは、家元の直属の内弟子として修行した「茶道のプロ」で、凄い人だった -
表札を見ると「道場・瑞艸社」(瑞草社ずいそうしゃ)
瑞草社は、明治から大正にかけて京都で活動した茶道団体で、大正11年(1922)に現在地に移転し、邸内にある茶室「金沢家方圓庵」(ほうえんあん)を活動拠点としている *「瑞草」(ずいそう)は、めでたい前兆を表わす草の意 -
「そのうちcafe SNC」
路地奥の分かり難い喫茶店だが、 2018年開業で奥の公園からも入れる雰囲気のいい喫茶店で、紹介記事によると、海外映画祭で最優秀作品賞を受賞した映画のロケ地になったところで、このカフェを舞台に家族の絆や人生のやり直しを描いた「事実無根」という映画になったらしい -
「そのうちcafe SNC」公園側からの入り口
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公園は「六条院公園」
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「六条河原院」(ろくじょうかわらのいん)
これより東の付近には、嵯峨天皇の皇子・光源氏のモデル源融(みなもとのとおる)の邸宅「河原院」があった。南北は七条坊門小路(正面通)から六条坊門小路(五条通)、東西は東京極大路(鴨川)から万里小路(柳馬場通)に囲まれた広大な敷地で、「源氏物語」の「六条院」で夕顔と一夜を明かしたところとされ、江戸時代にはその一部に「塩竈」を模した「渉成園」が作られた -
カフェ「糖太朗」
嵐山の抹茶専門店「八十八良葉舎」(はとやりょうようしゃ)の新ブランドとして2023年にオープンした砂糖専門店 -
(六条通)「一心地蔵菩薩」(いっしんじぞうぼさつ)
子どもたちの安寧や無病息災を願う *お地蔵さんは、お釈迦さまの入滅から弥勒菩薩が現れるまでの「無仏」の間に人々を救う -
立派な町家の表札は「間嶋」
隣の「間嶋胃腸科内科医院」の本宅らしい -
ホテル「鈴」夷之町(2連棟の一棟貸し;4~5名20,000円程度)
京都のあちこちで見る町家ホテルのブランドで、2013年創業から、ホテル21棟、町家52棟を運営し、京都市指定有形文化財の「長江家住宅」(綾小路船鉾町)までホテルにしていて、町家の再生事業企業として頼もしい。この企業のポイントは「分散型ホテル」というビジネスモデルで、現在400室の客室が72棟の建物に分かれていて、効率は悪そうだが、実は京都では規制が厳しいため大規模なホテルは難しく、狭い土地や1軒町家でも小規模ホテルや一棟貸しの町家をつくることが可能で、これが京都市の課題となっている古い町家を守っていくことにもつながるので、今後も大いに期待できる -
(花屋町通)「鈴」 天神町 (一棟貸し)
運営企業の「株式会社レアル」は、滋賀出身の若手社長(1969-)が2013年45才の時に京都で創業し、京町家を改装した宿泊施設「鈴(Rinn)」ブランドを展開、78施設を運営するまでに事業を拡大したが、コロナの影響で債務超過に転落し、2021年北海道でセンチュリーロイヤルホテルなどを運営している企業に売却し、以降も事業は継続している。企業を継続する難しさを痛感するが、町家の保存というテーマは官民一体となって進めて欲しい -
「文子天満宮」(あやこてんまんぐう)
学問の神様である菅原道真を祀った最初の神社として「北野天満宮の前身神社」や「天神信仰発祥の神社」といわれている -
御祭神は、「菅原道真公」(845-903)と「多治比文子」(たじひのあやこ)で、現在の社殿は、大正7年(1918)に造営されたもの
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「文子像」(あやこぞう)
「文子」は、道真公の乳母(うば)「多治比文子」で、菅原道真公が没後、「われを北野の右近の馬場に祀れ」と託宣(お告げ)を受けたが、文子は貧しく社殿を建立することができなかったので、自宅に小さな祠 (ほこら)を建ててお祀りしたのが始まりで、のちの947年に北野天満宮が創建された -
「文子殿」(あやこでん)
右柱に「良縁成就」、左柱に「全国文子会」と書いてある! 毎年6月に、全国から「あやこさん」が一同に集まるという、綾子さん、亜矢子さん、文子(ふみこ)でもok -
「腰掛石」と「北野天満宮遥拝所」
道真公が大宰府へ左遷される前に立ち寄られたときに、腰掛けられたといわれる石 -
「末社」は、「白瀧稲荷社」(しらたきいなりしゃ)白瀧稲荷大明神(商売繁盛)、「老松社」(おいまつしゃ)道真の家臣(植林林業の神)、「福部社」(ふくべしゃ)道真の牛車の世話人(開福招福の神)、「火之御子社」(ひのみこしゃ)火雷神(雷除け、五穀豊穣)、「白太夫社」(しらだゆうしゃ)伊勢神宮宮司(子宝の神)
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真宗大谷派「西宗寺」(さいしゅうじ)
1630年創建で、本願寺13世・宣如上人より寺号を拝受 -
真宗大谷派「光久寺」(こうきゅうじ)
ヨガやワークショップ、プライベートレッスンなどで開放 「明日やろうと 30回言ってごらん 今月が終わるから」 -
(上珠数屋町通)右手は「渉成園」の土塀
明治28年(1895)から明治34年(1901)までこの区間を京都電気鉄道の木屋町線が走っていたから、通りが広い -
真宗大谷派「佛願寺」(ぶつがんじ)
門前の「六條道場」石標は、かつてこの辺りの「河原院」跡地に、「六条道場」と呼ばれていた時宗の「善導寺」があったことを示し、その後「善導寺」は、菅原是善(道真父)の旧邸「菅原院」跡地からこの地に移転していた「歓喜寺」を合併し、鎮守社の天満宮もそのまま鎮守社とし「歓喜光寺」に改め六条派の拠点になるが、秀吉に四条京極へ移転させられて、鎮守社の天満宮は「錦天満宮」と名を改めた。その後、明治になって東山の「法国寺」と合併し移転したが、「錦天満宮」はそのまま残され、「法国寺」は山科に移転しているが、現在の「佛願寺」がここにある経緯は不明 -
「渉成園」(しょうせいえん)
1602年家康に寄進され東本願寺が創建された後、1641年家光により飛地境内地に1万坪の土地が寄進され、1653年本願寺第13代宣如上人の願いにより、石川丈山作庭の庭園が造られ、生垣に枳殻(からたち)が植えてあったことから「枳殻邸」とも呼ばれる、建物はすべて類焼したが、明治初期に復興された -
(2009/4/9撮影)枳殻(からたち)は一部しかないようだが、春の桜、夏の菖蒲、秋の紅葉など四季折々の景色は素晴らしいので、何回か訪問している
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(正面通)正面は「東本願寺」だが、(正面通)の正面は「豊国神社」の「方広寺」(大仏殿)の正面
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(下珠数屋町通)「下京年金事務所」
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「皆山中学校の碑」
明治2年(1869) 下京第20番組小学校として開校し、昭和22年(1947) 学制改革により「皆山中学校」として開校、平成19年(2007)5つの中学校統廃合で「下京中学校」になり閉校した -
「下京渉成小学校」
平成22年(2010) 「皆山中学校」跡地に5つの小学校が統廃合されて開校した -
(七条通)京都タワーが見えてきたところで、「間之町通」は終了
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そのまま「京都駅ビル」の「東広場」(7階)へ
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アートテラスラウンジ「NIWA(にわ)」
京都駅ビルは、地上16階、地下3階建てで、7階にある東広場はあまり来ることのない場所だが、現在2026年4月3日から5月6日までの期間限定で、「NIWA(にわ)」というテラスラウンジがオープンしているというので行って見た -
これは、東広場のリニューアルプロジェクトとして昨年から始まり、京都の伝統、食、アートなどを体験できる場所として作ったもので、二条城のプロジェクションマッピングも手掛けた「ネイキッド」という会社が運営し、いけばな草月流や茶道裏千家、日本庭園の植治まで総動員して、京都の伝統を楽しみながらイートインも出来るというスペースになっており、さぞ賑わっているかなと思ったが、閑静な雰囲気の中でゆったりとした時間が流れている感じ
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本格的なお茶室もあるが、イートインスペースでは京都ブランドの抹茶、コーヒー、日本茶、日本酒、クラフトビールや軽食など、京都の雰囲気の中で楽しめる
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「おはぎと日本茶」のセットを注文
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ついでに、171段の「大階段」から西側に廻って、「大空広場」に立ち寄ってから帰宅
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