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2025年上半期のインバウンドは2000万人超え、今年は4000万人超える勢いなんだとか。<br />メジャーどころの観光地を廻るのは疲れるだけなので諦めました。<br />日本のおもてなしを求めてやって来る訪日客だそうですが、日本流の丁寧なおもてなしが4000万人相手にできるんだろうか?<br />気が付いたら荒らされてよ、古き良き日本が無くなってしまわないのか・・心配になりますよね・・<br /><br />・・インバウンドがまだ気が付かない温泉など・・探して訪れてみたいなぁ・・と思うこの頃です。<br /><br />6月中旬の大分 中津と国東の温泉ひとり旅です。<br />神楽女湖の菖蒲も雨の中、咲き始めた頃でした。<br /><br />1日目・・・別府明礬温泉<br />      中津 金色温泉泊<br />2日目・・・中津 福沢諭吉旧居 中津城 富貴寺   旅庵 蕗薹 泊<br />3日目・・・神楽女湖

福沢諭吉記念館・中津城☆中津・国東を廻るひとり旅2025.6②

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2025/06/15 - 2025/06/15

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mikan

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2025年上半期のインバウンドは2000万人超え、今年は4000万人超える勢いなんだとか。
メジャーどころの観光地を廻るのは疲れるだけなので諦めました。
日本のおもてなしを求めてやって来る訪日客だそうですが、日本流の丁寧なおもてなしが4000万人相手にできるんだろうか?
気が付いたら荒らされてよ、古き良き日本が無くなってしまわないのか・・心配になりますよね・・

・・インバウンドがまだ気が付かない温泉など・・探して訪れてみたいなぁ・・と思うこの頃です。

6月中旬の大分 中津と国東の温泉ひとり旅です。
神楽女湖の菖蒲も雨の中、咲き始めた頃でした。

1日目・・・別府明礬温泉
      中津 金色温泉泊
2日目・・・中津 福沢諭吉旧居 中津城 富貴寺   旅庵 蕗薹 泊
3日目・・・神楽女湖

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
3.5
同行者
一人旅
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配
  • 金色温泉から山を下り 中津へ<br />福沢諭吉旧居と中津城を廻りました。<br />

    金色温泉から山を下り 中津へ
    福沢諭吉旧居と中津城を廻りました。

    福澤諭吉旧居 名所・史跡

  • 福沢諭吉は中津藩蔵屋敷で13万石の下級武士の次男として生まれました。<br />一歳六か月の時に父と死別し、母は中津に帰京。この家は母の実家橋本家です。<br />福沢家の旧居は道を挟んだ場所にあり、敷地が石組みとして遺されています。

    福沢諭吉は中津藩蔵屋敷で13万石の下級武士の次男として生まれました。
    一歳六か月の時に父と死別し、母は中津に帰京。この家は母の実家橋本家です。
    福沢家の旧居は道を挟んだ場所にあり、敷地が石組みとして遺されています。

  • (・_・D フムフム

    (・_・D フムフム

  • (・_・D フムフム 諭吉の母はとても聡明で慈悲深い人だったようです。

    (・_・D フムフム 諭吉の母はとても聡明で慈悲深い人だったようです。

  • しらみ取りの石<br />人を上下なく接する精神は子供の頃から養われていたようです。<br />子育てには母親の賢明さが由来するのですね・・<br />

    しらみ取りの石
    人を上下なく接する精神は子供の頃から養われていたようです。
    子育てには母親の賢明さが由来するのですね・・

  • 母子6人で中津に帰京し貧しくとも信念を持ち、14.5歳の頃から勉学に目覚め、19歳の頃には兄の勧めで長崎に遊学、翌年には大坂の緒方洪庵の適塾で学びます。

    母子6人で中津に帰京し貧しくとも信念を持ち、14.5歳の頃から勉学に目覚め、19歳の頃には兄の勧めで長崎に遊学、翌年には大坂の緒方洪庵の適塾で学びます。

  • 安政5年1858年には藩の命令で江戸の中屋敷の蘭学塾の教師となり、これが慶應義塾の始まりです。

    安政5年1858年には藩の命令で江戸の中屋敷の蘭学塾の教師となり、これが慶應義塾の始まりです。

  • 西洋の文物に触れたい諭吉は1860年幕府使節団の護衛船に軍艦奉行の従者として渡米。1862年にはヨーロッパ諸国も歴訪して議会や郵便制度、銀行、病院、学校など見聞し、これをもとに 西洋事情 学問ノススメ 文明論之概略<br />などを発表して閉ざされていた日本人を啓蒙していきます。

    西洋の文物に触れたい諭吉は1860年幕府使節団の護衛船に軍艦奉行の従者として渡米。1862年にはヨーロッパ諸国も歴訪して議会や郵便制度、銀行、病院、学校など見聞し、これをもとに 西洋事情 学問ノススメ 文明論之概略
    などを発表して閉ざされていた日本人を啓蒙していきます。

  • この建物は享和3年1803年のもので、昭和61年から三年かけ保存解体修理が行われました。

    この建物は享和3年1803年のもので、昭和61年から三年かけ保存解体修理が行われました。

  • 土間から今を臨めます

    土間から今を臨めます

  • 福沢諭吉は器用な人だったようです。<br />貧しい生活がそうさせたというのもあるのかも

    福沢諭吉は器用な人だったようです。
    貧しい生活がそうさせたというのもあるのかも

  • 畳や襖も自分でかえるとは

    畳や襖も自分でかえるとは

  • 天井から吊り下げられた棚の説明。<br />昔の家には見られますね、ネズミを避けたりする目的だったりする棚

    天井から吊り下げられた棚の説明。
    昔の家には見られますね、ネズミを避けたりする目的だったりする棚

  • 中津留別の書は ここで書かれ、のちの 学問ノススメ の原型となります。

    中津留別の書は ここで書かれ、のちの 学問ノススメ の原型となります。

  • 炊事場

    炊事場

  • 敷地内の土蔵は諭吉が手直しして米をついたり 二階で学問を続けました。

    敷地内の土蔵は諭吉が手直しして米をついたり 二階で学問を続けました。

  • 旧居のお隣の記念館へ

    旧居のお隣の記念館へ

  • 福沢諭吉ブロンズ像<br />記念館では貴重な資料を見ることができます。<br />学問ノススメ 文明論之概略 帳合之法 中津留別の書 終身要領 西洋事情<br />

    福沢諭吉ブロンズ像
    記念館では貴重な資料を見ることができます。
    学問ノススメ 文明論之概略 帳合之法 中津留別の書 終身要領 西洋事情

    福沢諭吉像 名所・史跡

  • 福沢諭吉旧居からほど近い、中津城へ

    福沢諭吉旧居からほど近い、中津城へ

    中津城公園 公園・植物園

  • 中津城は黒田官兵衛 孝高 如水 の九州初の城<br />豊臣秀吉の九州平定後、豊前六郡を拝領した官兵衛が高瀬川、現中津川の河口に1588年に築いた城。

    中津城は黒田官兵衛 孝高 如水 の九州初の城
    豊臣秀吉の九州平定後、豊前六郡を拝領した官兵衛が高瀬川、現中津川の河口に1588年に築いた城。

  • 戦続きで、福岡に黒田氏が移封後は細川氏により築城されました。<br />現在の天守閣は1964年の再建ですが、石垣は官兵衛時代の名残があり、近世城郭では最古。

    戦続きで、福岡に黒田氏が移封後は細川氏により築城されました。
    現在の天守閣は1964年の再建ですが、石垣は官兵衛時代の名残があり、近世城郭では最古。

  • 城内には後の藩主奥平家の遺物や資料が展示されています。

    城内には後の藩主奥平家の遺物や資料が展示されています。

  • 祇園社がお堀の泥の中で保存されているとは・・

    祇園社がお堀の泥の中で保存されているとは・・

  • 中津川と通じているお堀<br />中津城は 高松城、今治城とともに日本三水城の一つと数えられています。

    中津川と通じているお堀
    中津城は 高松城、今治城とともに日本三水城の一つと数えられています。

  • 中津城を世界一の花城へと新プロジェクトが発足したようです。

    中津城を世界一の花城へと新プロジェクトが発足したようです。

  • 黒田官兵衛資料館が天守閣の南側にあり、入ってみました。<br />大河ドラマを記念して建てられたようです。入館無料がうれしい。

    黒田官兵衛資料館が天守閣の南側にあり、入ってみました。
    大河ドラマを記念して建てられたようです。入館無料がうれしい。

    黒田官兵衛資料館 名所・史跡

  • パネルで生涯、秀吉の九州征伐に貢献、豊前に拠点を置き、天下人になることも夢見た生涯が分かり易く展示されていました。<br /><br />

    パネルで生涯、秀吉の九州征伐に貢献、豊前に拠点を置き、天下人になることも夢見た生涯が分かり易く展示されていました。

  • 生涯妻一というのもキリシタンだったからか妻家だったようです。<br />

    生涯妻一というのもキリシタンだったからか妻家だったようです。

  • のちには如水 を名乗ります。

    のちには如水 を名乗ります。

  • 秀吉の命で九州平定に尽力し、豊前領主となります

    秀吉の命で九州平定に尽力し、豊前領主となります

  • 秀吉没後、家康が会津を攻め、官兵衛の嫡男長政も従軍します。<br />その後東西の戦いとなり、九州にも飛び火し、黒田氏は豊後の国に侵攻しました。

    秀吉没後、家康が会津を攻め、官兵衛の嫡男長政も従軍します。
    その後東西の戦いとなり、九州にも飛び火し、黒田氏は豊後の国に侵攻しました。

  • 石垣原の戦いの様子

    石垣原の戦いの様子

  • 如水は領土拡大のみならず、九州全土を平定して、天下を家康と競う野心があったとされています。<br />

    如水は領土拡大のみならず、九州全土を平定して、天下を家康と競う野心があったとされています。

  • 関が原で嫡男長政が活躍した功績から福岡に52万石を与えられますが、長政の働きを如水は不甲斐ない事だとしています。

    関が原で嫡男長政が活躍した功績から福岡に52万石を与えられますが、長政の働きを如水は不甲斐ない事だとしています。

  • 如水の遺事

    如水の遺事

  • 城郭の形が扇の形をしていることから 扇城 と呼ばれていました。<br />本丸を中心に北に二の丸、南に三の丸を配して、扇形を形成していました。<br />

    城郭の形が扇の形をしていることから 扇城 と呼ばれていました。
    本丸を中心に北に二の丸、南に三の丸を配して、扇形を形成していました。

  • 廃藩置県の際城内の建物はほとんどが破却され、旧藩主を中心に再建された天守閣<br />

    廃藩置県の際城内の建物はほとんどが破却され、旧藩主を中心に再建された天守閣

  • 奥平神社

    奥平神社

  • 再建された天守閣は 地下一階、五層五階 高さ23m

    再建された天守閣は 地下一階、五層五階 高さ23m

  • 天守閣の前面の花の見頃は終わっていた頃かな・・

    天守閣の前面の花の見頃は終わっていた頃かな・・

  • 天守閣への石段

    天守閣への石段

  • 中は歴代藩主の鎧、合戦図などが展示されています。<br />

    中は歴代藩主の鎧、合戦図などが展示されています。

  • 花城プロジェクトの事を知らず来たものだから、中へ入って驚く。<br />

    花城プロジェクトの事を知らず来たものだから、中へ入って驚く。

  • 歴史ある展示物が

    歴史ある展示物が

  • 花で覆われていました。

    花で覆われていました。

  • 鎧など

    鎧など

  • 展示宝物

    展示宝物

  • 長篠の戦図 は掛け軸になっていました。

    長篠の戦図 は掛け軸になっていました。

  • 戦いで使用された火縄銃、陣笠

    戦いで使用された火縄銃、陣笠

  • 合戦で使用されたほら貝

    合戦で使用されたほら貝

  • 階上へ

    階上へ

  • 宝物などが展示され、花々で飾られていますが・・生花でない人工的な雰囲気が個人的には残念な気が・・<br />少しだけでも生花があればその方が印象良いな・・と個人的感想ですが・・

    宝物などが展示され、花々で飾られていますが・・生花でない人工的な雰囲気が個人的には残念な気が・・
    少しだけでも生花があればその方が印象良いな・・と個人的感想ですが・・

  • 何だろ? ・・近づいても?

    何だろ? ・・近づいても?

  • 菊花石だそうです。

    菊花石だそうです。

  • 最上階へ

    最上階へ

  • 眺望図

    眺望図

  • 南側 耶馬渓の方面

    南側 耶馬渓の方面

  • 中津川

    中津川

  • 北には瀬戸内海 周防灘 が広がります

    北には瀬戸内海 周防灘 が広がります

  • お城のすぐ西側は中津川 で潮が出入りする水城

    お城のすぐ西側は中津川 で潮が出入りする水城

  • 東方面 平野が広がります。

    東方面 平野が広がります。

  • 南下部

    南下部

  • 黒田氏時代の石垣は戦いの時代の石垣とあって、頑丈に積まれています。<br />当時、川上にあった古城の石垣を船で運んで積んだものとされます。

    黒田氏時代の石垣は戦いの時代の石垣とあって、頑丈に積まれています。
    当時、川上にあった古城の石垣を船で運んで積んだものとされます。

  • こちらの石垣は、後、平和な時代となった細川氏時代の石垣<br />

    こちらの石垣は、後、平和な時代となった細川氏時代の石垣

  • 川岸へ行ってみます

    川岸へ行ってみます

  • この上の川岸がお城のビューポイント

    この上の川岸がお城のビューポイント

  • (・_・D フムフム<br />河口は瀬戸内海に通じ海路での移動には絶好の土地

    (・_・D フムフム
    河口は瀬戸内海に通じ海路での移動には絶好の土地

  • 東側からの方がお城は映えて見えるような気もしないでもありません・・

    東側からの方がお城は映えて見えるような気もしないでもありません・・

  • 河口方面<br />当時はもっと水深が深かったようで、土砂が堆積して現代の水深となっています。

    河口方面
    当時はもっと水深が深かったようで、土砂が堆積して現代の水深となっています。

  • 石垣 <br />

    石垣 

  • 官兵衛は天下取りの野望をこの景色を見ながら抱いていたのかも・・と思うとロマンを感じさせる青空と川に見えました。

    官兵衛は天下取りの野望をこの景色を見ながら抱いていたのかも・・と思うとロマンを感じさせる青空と川に見えました。

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