アブダビ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
「ルーブル・アブダビ(Louvre Abu Dhabi)」の見学が半分ほど過ぎ、フリータイムの残りが30分を切ったところで添乗員さんが心配して周ってきてくれました。周りには妻も同じツアーの方もいなくて少し焦りもありました。添乗員さんは先にある美術品の見どころを教えてくれます。見学を急がなければならないと思いつつ、気の抜けた見学もしたくありません。じっくり見る時間は無いのでインスピレーションと過去に来て来た美術品の記憶で写真を撮るものを選別し、キャプションも一緒に撮影しておきます。後半は絵画が多く、誰の作品かということも大体わかるので、好き嫌いも含めてスピードアップします。絵画を写真に撮るときは真正面から歪み内容に取らないとならないので帰って時間はかかってしまいます。何とか時間内に見学を終えることが出来ましたが、現代美術のコーナーにあったキース・へリングの作品を見落としたようです。キース・へリングには1983年に青山で偶然出会ったことがあり、しかも彼の作品の絵葉書を持っていたのでマジックでサインとイラストを何枚も描いてもらえました。それほど好きな作家だったのに…。妻には「あんな分かりやすいところに展示してあったのに。」と笑われてしまいました。美術館の見学が終わるとこの日の観光も終わりで、バスに乗って港に戻ります。喉も乾いていたのでバーに立ち寄ってフローズン系のカクテルを何杯も飲んでしまいました。最後の1杯づつは部屋に持って帰り、船からいただいたスプマンテも開けました。夕方まで部屋でくつろいで、この日は先にシアターショーを観に行きました。この日の演目はマジックショーで、目を凝らしても全く仕掛けは分かりませんでした。ショーの終わりの流れで「コロラド・リバー」で夕食をいただき、長い1日が終わりました。

JTB旅物語 魅惑のアラビアクルーズ10日間(11)ルーブル・アブダビ美術館の近世のフランス美術や日本美術に触れ、満足のうちに帰船する。

14いいね!

2025/02/12 - 2025/02/12

405位(同エリア777件中)

旅行記グループ 2025アラビアクルーズ

0

133

kojikoji

kojikojiさん

「ルーブル・アブダビ(Louvre Abu Dhabi)」の見学が半分ほど過ぎ、フリータイムの残りが30分を切ったところで添乗員さんが心配して周ってきてくれました。周りには妻も同じツアーの方もいなくて少し焦りもありました。添乗員さんは先にある美術品の見どころを教えてくれます。見学を急がなければならないと思いつつ、気の抜けた見学もしたくありません。じっくり見る時間は無いのでインスピレーションと過去に来て来た美術品の記憶で写真を撮るものを選別し、キャプションも一緒に撮影しておきます。後半は絵画が多く、誰の作品かということも大体わかるので、好き嫌いも含めてスピードアップします。絵画を写真に撮るときは真正面から歪み内容に取らないとならないので帰って時間はかかってしまいます。何とか時間内に見学を終えることが出来ましたが、現代美術のコーナーにあったキース・へリングの作品を見落としたようです。キース・へリングには1983年に青山で偶然出会ったことがあり、しかも彼の作品の絵葉書を持っていたのでマジックでサインとイラストを何枚も描いてもらえました。それほど好きな作家だったのに…。妻には「あんな分かりやすいところに展示してあったのに。」と笑われてしまいました。美術館の見学が終わるとこの日の観光も終わりで、バスに乗って港に戻ります。喉も乾いていたのでバーに立ち寄ってフローズン系のカクテルを何杯も飲んでしまいました。最後の1杯づつは部屋に持って帰り、船からいただいたスプマンテも開けました。夕方まで部屋でくつろいで、この日は先にシアターショーを観に行きました。この日の演目はマジックショーで、目を凝らしても全く仕掛けは分かりませんでした。ショーの終わりの流れで「コロラド・リバー」で夕食をいただき、長い1日が終わりました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
観光バス 徒歩
航空会社
エミレーツ航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
JTB
  • 「黄色い服を着て航路を持つ天使」「紫色の服を着て航路を持つ天使」ドイツ、シュヴァ―ヴェン 1520年<br />ベルンハルト・ストリーデル(Bernhard Strigel)はドイツ・ルネサンスの画家で、メニンゲンで活動し同市のギルドの最高職の地位にありました。神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の宮廷画家で、肖像画や祭壇画に優れました。この絵画はおそらく目民減のノートルダム教会のために描かれた祭壇画の一部ですが宗教改革の際にバラバラになり、200年以上もの間離れ離れでした。

    「黄色い服を着て航路を持つ天使」「紫色の服を着て航路を持つ天使」ドイツ、シュヴァ―ヴェン 1520年
    ベルンハルト・ストリーデル(Bernhard Strigel)はドイツ・ルネサンスの画家で、メニンゲンで活動し同市のギルドの最高職の地位にありました。神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の宮廷画家で、肖像画や祭壇画に優れました。この絵画はおそらく目民減のノートルダム教会のために描かれた祭壇画の一部ですが宗教改革の際にバラバラになり、200年以上もの間離れ離れでした。

  • 「ボニフィリウスの名が刻まれた洗礼盤」北イタリア 1300年頃<br />グリフォンやスフィンクス、精霊や妖精といった伝説上の生き物たちの図像は、当時の教養と文化を備えたエリート層によって書物や装飾芸術の中に現れ始めました。<br />

    「ボニフィリウスの名が刻まれた洗礼盤」北イタリア 1300年頃
    グリフォンやスフィンクス、精霊や妖精といった伝説上の生き物たちの図像は、当時の教養と文化を備えたエリート層によって書物や装飾芸術の中に現れ始めました。

  • 「唐時代の宮廷」<br />唐王朝(618年から907年)の時代は多種多様な人形が想像される時代でした。その多様性と自然さは時代の精神に反映し、活気に満ちた社会生活と文化的な生活を暗示しています。

    「唐時代の宮廷」
    唐王朝(618年から907年)の時代は多種多様な人形が想像される時代でした。その多様性と自然さは時代の精神に反映し、活気に満ちた社会生活と文化的な生活を暗示しています。

  • 冥龕(めいき)と呼ばれる葬祭用の人形は故人を永遠の安息の地へと導きました。廷臣や家畜などは生者の世界を模した来世を表現しています。

    冥龕(めいき)と呼ばれる葬祭用の人形は故人を永遠の安息の地へと導きました。廷臣や家畜などは生者の世界を模した来世を表現しています。

  • 「唐代の行政官」唐代中国 600年から700年

    「唐代の行政官」唐代中国 600年から700年

  • 「三彩馬俑」<br />漢時代に入ると様々な動物の像が副葬用に作られるようになります。三彩とは鉛を主成分とする複数の釉薬をかけ分けた陶器のことで、唐時代に技法が確立されました。緑、褐色、白、藍に彩られた唐三彩は器のほか人物や動物等をかたどったものがあります。

    「三彩馬俑」
    漢時代に入ると様々な動物の像が副葬用に作られるようになります。三彩とは鉛を主成分とする複数の釉薬をかけ分けた陶器のことで、唐時代に技法が確立されました。緑、褐色、白、藍に彩られた唐三彩は器のほか人物や動物等をかたどったものがあります。

  • 「太陽神スーリヤの像」アンコール以前のカンボジア 800年から900年<br />光背に囲まれて両手に蓮の蕾を持つこの像はヒンドゥー教の神スーリヤを表しています。典型的で伝統的な様式の特徴はカンボジアのプラサート・アンデッド寺院の初期のスタイルを思い起こさせます。

    「太陽神スーリヤの像」アンコール以前のカンボジア 800年から900年
    光背に囲まれて両手に蓮の蕾を持つこの像はヒンドゥー教の神スーリヤを表しています。典型的で伝統的な様式の特徴はカンボジアのプラサート・アンデッド寺院の初期のスタイルを思い起こさせます。

  • 「女性神の胸像」アンコール時代、カンボジア 西暦900年から1000年<br />10世紀にはクメール美術はインドの影響からの影響を離れた独自の芸術を発達させました。この立像は961年頃に建立されたアンコールの寺院、プレ・ループの主要なヒンドゥー教の女神の1柱を表していると考えます。妻を連れて2回目のアンコールは1週間ほどの遺跡観光をしましたが、3日目くらいからは寺院に到着してもチャーターしたタクシーから降りてこなくなりました。

    「女性神の胸像」アンコール時代、カンボジア 西暦900年から1000年
    10世紀にはクメール美術はインドの影響からの影響を離れた独自の芸術を発達させました。この立像は961年頃に建立されたアンコールの寺院、プレ・ループの主要なヒンドゥー教の女神の1柱を表していると考えます。妻を連れて2回目のアンコールは1週間ほどの遺跡観光をしましたが、3日目くらいからは寺院に到着してもチャーターしたタクシーから降りてこなくなりました。

  • 「ジナ・デハウ立像」チョーラ朝インド西暦1000年から1100年<br />ヒンドゥー教と並んでジャイナ教はインドで最も古くから継続されている宗教です。それは輪廻から解放された魂と統合された霊的指導者であるジナの崇拝に焦点を当てています。この像はヨガの姿勢を取った救世主の1人を表しています。

    「ジナ・デハウ立像」チョーラ朝インド西暦1000年から1100年
    ヒンドゥー教と並んでジャイナ教はインドで最も古くから継続されている宗教です。それは輪廻から解放された魂と統合された霊的指導者であるジナの崇拝に焦点を当てています。この像はヨガの姿勢を取った救世主の1人を表しています。

  • 西暦230年から430年までマヤ低地における首長制から組織化された国家への移行によって特徴づけられました。王族の葬儀の供物には仮面や香炉、陶器などがありました。これはナスカ文化の葬儀用のマスクです。

    西暦230年から430年までマヤ低地における首長制から組織化された国家への移行によって特徴づけられました。王族の葬儀の供物には仮面や香炉、陶器などがありました。これはナスカ文化の葬儀用のマスクです。

  • 「ラ・トリタ文明の黄金の人間像」ラ・トリタ・トゥマコ文化 エクアドルかコロンビア 紀元前300年から西暦300年<br />

    「ラ・トリタ文明の黄金の人間像」ラ・トリタ・トゥマコ文化 エクアドルかコロンビア 紀元前300年から西暦300年

  • 「悪魔を表現した花瓶」ナスカ文化 紀元前200年から西暦600年<br />このような陶器を初めて見たのはブリュッセルの「サンカントネール博物館」出下。それ以来中南米から南米の博物館を巡ってみたいと思いながらまだ叶っていません。<br />サンカントネール博物館:https://4travel.jp/travelogue/11024445

    「悪魔を表現した花瓶」ナスカ文化 紀元前200年から西暦600年
    このような陶器を初めて見たのはブリュッセルの「サンカントネール博物館」出下。それ以来中南米から南米の博物館を巡ってみたいと思いながらまだ叶っていません。
    サンカントネール博物館:https://4travel.jp/travelogue/11024445

  • 「頭蓋骨型の花瓶」モチカ文化、ペルー 紀元前100年から西暦700年

    「頭蓋骨型の花瓶」モチカ文化、ペルー 紀元前100年から西暦700年

  • 「儀式用のゴブレット」ティアワナコ文化 ボリビア 西暦500年から1100年

    「儀式用のゴブレット」ティアワナコ文化 ボリビア 西暦500年から1100年

  • 「儀式用のマスク」マヤ文化、メキシコ 西暦200年から600年

    「儀式用のマスク」マヤ文化、メキシコ 西暦200年から600年

  • 「チェチェン・イツッアの頭」マヤ文化、メキシコ 西暦900年から1200<br />比ゆ的なこの柱はマヤ彫刻における革新の1つです。柱には両手を頭上にあげて礼拝用の建築のまぐさを運んでいる人々の像です。

    「チェチェン・イツッアの頭」マヤ文化、メキシコ 西暦900年から1200
    比ゆ的なこの柱はマヤ彫刻における革新の1つです。柱には両手を頭上にあげて礼拝用の建築のまぐさを運んでいる人々の像です。

  • 腰布を巻き付け頭飾り、イヤリング、ブレスレットを身につけています。

    腰布を巻き付け頭飾り、イヤリング、ブレスレットを身につけています。

  • 「小さな人型の石像」コスタリカ 西暦1000年から1500年

    「小さな人型の石像」コスタリカ 西暦1000年から1500年

  • 「香炉」メキシコ 西暦600年から900年

    「香炉」メキシコ 西暦600年から900年

  • 「人型の彫刻」タイノ文化、プエルトリコ 西暦1200年から1492年

    「人型の彫刻」タイノ文化、プエルトリコ 西暦1200年から1492年

  • 「動物のモチーフの小食が施された鉢」パナマ 西暦500年から900年

    「動物のモチーフの小食が施された鉢」パナマ 西暦500年から900年

  • 中世キリスト教の図像の中で最も広く描かれた「聖母子」をモチーフにした作品が並んでいます。<br />「聖母子」イタリア 1325年頃 フランチェスコ・トレイ二(Francesco Traini)は1321年から1365年頃までピサとボローニャで働いたと記録されているイタリアの画家です。

    中世キリスト教の図像の中で最も広く描かれた「聖母子」をモチーフにした作品が並んでいます。
    「聖母子」イタリア 1325年頃 フランチェスコ・トレイ二(Francesco Traini)は1321年から1365年頃までピサとボローニャで働いたと記録されているイタリアの画家です。

  • 「新約聖書の一場面 東方三博士の礼拝」フランドル、ブリュッセル 1523年頃<br />ピーテル・コッケ・ファン・アールスト(Pieter Coecke van Aelst)は1534年から神聖ローマ帝国のローマ皇帝カール5世のために働き、1550年に亡くなる直前にはカール5世の宮廷画家になりました。16世紀の伝記作家カレル・ヴァン・マンデルの著書によれば、彼は有名な画家ピーテル・ブリューゲルの師であったされ、1540年代半ばから亡くなる1550年までの間にブリューゲルを教えたとされている。彼の娘は1563年にピーテル・ブリューゲルと結婚しました。

    「新約聖書の一場面 東方三博士の礼拝」フランドル、ブリュッセル 1523年頃
    ピーテル・コッケ・ファン・アールスト(Pieter Coecke van Aelst)は1534年から神聖ローマ帝国のローマ皇帝カール5世のために働き、1550年に亡くなる直前にはカール5世の宮廷画家になりました。16世紀の伝記作家カレル・ヴァン・マンデルの著書によれば、彼は有名な画家ピーテル・ブリューゲルの師であったされ、1540年代半ばから亡くなる1550年までの間にブリューゲルを教えたとされている。彼の娘は1563年にピーテル・ブリューゲルと結婚しました。

  • 「聖母子」ヴェネツィア 1480年から1485年 ジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini)はヴェロネーゼ、ティツィアーノ、ジョルジョーネ、ティントレットらを生んだヴェネツィア派の第一世代を代表する画家であり、15世紀同派最大の巨匠です。<br />

    「聖母子」ヴェネツィア 1480年から1485年 ジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini)はヴェロネーゼ、ティツィアーノ、ジョルジョーネ、ティントレットらを生んだヴェネツィア派の第一世代を代表する画家であり、15世紀同派最大の巨匠です。

  • 美しいメルクリウスの彫刻がポツンと置かれていました。<br />「メルクリウス像」フランス 1780年 オーギュスタン・パジュー(Augustin Pajou)<br />この作品はルイ15世の下で財務総監を務めたジョセフ・マリー・デレー修道院長のために制作されました。メルクリウスは彼の職務の重要な側面である商業の寓意として描かれています。

    美しいメルクリウスの彫刻がポツンと置かれていました。
    「メルクリウス像」フランス 1780年 オーギュスタン・パジュー(Augustin Pajou)
    この作品はルイ15世の下で財務総監を務めたジョセフ・マリー・デレー修道院長のために制作されました。メルクリウスは彼の職務の重要な側面である商業の寓意として描かれています。

  • メルクリウス (Mercurius) はローマ神話の12人の最高神デイ・コンセンテスの1人であり、商人や旅人の守護神でもあります。英語読みでマーキュリー (Mercury) とも表記されます。蛇の巻き付いた有翼の杖は「カドケウス( Caducee )」と呼ばれ,<br />メルクリウスのアトリビュートの1つです。足にも有翼のサンダルをはいた姿で描かれることが多いのですが、ここでは裸足です。

    メルクリウス (Mercurius) はローマ神話の12人の最高神デイ・コンセンテスの1人であり、商人や旅人の守護神でもあります。英語読みでマーキュリー (Mercury) とも表記されます。蛇の巻き付いた有翼の杖は「カドケウス( Caducee )」と呼ばれ,
    メルクリウスのアトリビュートの1つです。足にも有翼のサンダルをはいた姿で描かれることが多いのですが、ここでは裸足です。

  • 有翼の帽子「ペタソス( Petase )」もアトリビュートの1つです。ペタソスは古代ギリシャで用いられたつば広の帽子です。主に日除けとして活用され、テッサリア地方が発祥の地とされています。翼付きのペタソスはメルクリウスの迅速さや自由な移動能力を象徴するものと考えられています。そのため旅人の守護聖人でもあります。

    有翼の帽子「ペタソス( Petase )」もアトリビュートの1つです。ペタソスは古代ギリシャで用いられたつば広の帽子です。主に日除けとして活用され、テッサリア地方が発祥の地とされています。翼付きのペタソスはメルクリウスの迅速さや自由な移動能力を象徴するものと考えられています。そのため旅人の守護聖人でもあります。

  • 「日本地図と世界地図を描いた屏風」日本 1690年<br />昨年の11月は23年振りに約1カ月かけてポルトガルを旅しました。どうしても妻を連れて行きたかったポルトガルの最終日にリスボンで行ったのが「国立古美術館」でした。個人的に一番見たかったのはボッシュの「聖アントニウスの誘惑」でしたが、妻が見たかったのは「南蛮図屏風」でした。

    「日本地図と世界地図を描いた屏風」日本 1690年
    昨年の11月は23年振りに約1カ月かけてポルトガルを旅しました。どうしても妻を連れて行きたかったポルトガルの最終日にリスボンで行ったのが「国立古美術館」でした。個人的に一番見たかったのはボッシュの「聖アントニウスの誘惑」でしたが、妻が見たかったのは「南蛮図屏風」でした。

  • 誰もいない夕方の展示室で2人でしばらく眺めていたのは貴重な思い出になりました。それから3か月後にこうやって日本の屏風をアブダビの地で見るとは思いもしませんでした。

    誰もいない夕方の展示室で2人でしばらく眺めていたのは貴重な思い出になりました。それから3か月後にこうやって日本の屏風をアブダビの地で見るとは思いもしませんでした。

  • もう一幅は日本地図でした。こちらは3日ほど滞在したコインブラの大学の「ジョアニナ図書館」で開催されていた日本地図の展示を思い出させます。底には大きく日本語で「ヨーロッパの地図製作史最初100年間に発行された日本地図は全てポルトガル人によっててがけられたものである」とかかれてありました。

    もう一幅は日本地図でした。こちらは3日ほど滞在したコインブラの大学の「ジョアニナ図書館」で開催されていた日本地図の展示を思い出させます。底には大きく日本語で「ヨーロッパの地図製作史最初100年間に発行された日本地図は全てポルトガル人によっててがけられたものである」とかかれてありました。

  • 「ジョアニナ図書館」はポルトガルでも数少ない写真撮影禁止の場所でもありましたが、係員の方にお願いして日本地図の写真を撮らせていただきました。尊あことを思い出しながら地名を読み込んでいきます。<br />

    「ジョアニナ図書館」はポルトガルでも数少ない写真撮影禁止の場所でもありましたが、係員の方にお願いして日本地図の写真を撮らせていただきました。尊あことを思い出しながら地名を読み込んでいきます。

  • コロナ禍からのこの5年で日本国内のほとんどの地を訪ねまわったので、それぞれの地名に思い出があります。4トラベルのマイページの渡航履歴の日本地図の最後はこの2月に行った滋賀県を最後に全都道府県が埋まりました。

    コロナ禍からのこの5年で日本国内のほとんどの地を訪ねまわったので、それぞれの地名に思い出があります。4トラベルのマイページの渡航履歴の日本地図の最後はこの2月に行った滋賀県を最後に全都道府県が埋まりました。

  • 結婚前に妻と神田の古書店巡りのデートをしていた際に16世紀の美しい日本地図を見つけました。もう30年ほど前でしたが、手彩色されたものが30万円ほどで、印刷だけの白黒がその半額ほどでした。急に「プレゼントしてあげる。」と言われましたが、まだ結婚を決めておらず、白黒の物を誕生日プレゼントにいただきました。今までもらったものの中で一番嬉しかったものです。ただ、その後結婚してからのことを思うと手彩色の方を買ってもらえば良かったと思います。この時代まだ北海道は地図には載っていません。

    結婚前に妻と神田の古書店巡りのデートをしていた際に16世紀の美しい日本地図を見つけました。もう30年ほど前でしたが、手彩色されたものが30万円ほどで、印刷だけの白黒がその半額ほどでした。急に「プレゼントしてあげる。」と言われましたが、まだ結婚を決めておらず、白黒の物を誕生日プレゼントにいただきました。今までもらったものの中で一番嬉しかったものです。ただ、その後結婚してからのことを思うと手彩色の方を買ってもらえば良かったと思います。この時代まだ北海道は地図には載っていません。

  • 「バベルの塔」アントワープ、ベルギー 1595年 アベル・グリマー(Abel Grimmer)は主に風景画と建築画を描いたフランドルの後期ルネサンスの画家でした。アベルの作品は一般的にブリューゲルとボル、そして彼自身の父親の作品から強い影響を受けています。この作品もブリューゲルのアングルや塔の形状を真似ていますが、空気感や距離感までは描き切れていないように思えます。小学生の時の図工の教科書でブリューゲルの「雪中の狩人」を見て感銘を受けて、初めて個人で行った旅先はウィーンでした。そこで見た数々のブリューゲル作品に感動して、後に妻を連れて再訪もしました。<br />

    「バベルの塔」アントワープ、ベルギー 1595年 アベル・グリマー(Abel Grimmer)は主に風景画と建築画を描いたフランドルの後期ルネサンスの画家でした。アベルの作品は一般的にブリューゲルとボル、そして彼自身の父親の作品から強い影響を受けています。この作品もブリューゲルのアングルや塔の形状を真似ていますが、空気感や距離感までは描き切れていないように思えます。小学生の時の図工の教科書でブリューゲルの「雪中の狩人」を見て感銘を受けて、初めて個人で行った旅先はウィーンでした。そこで見た数々のブリューゲル作品に感動して、後に妻を連れて再訪もしました。

  • 「瞑想する哲学者」オランダ 1632年 レンブラント・ファン・レイン<br />オーク材のパネルに油彩で描かれた画中には木製の螺旋階段が支配する部分にわずかな遠近法で2人の人物を描いています。ベルギーとオランダの美術館巡りの旅では3週間かけても周りきれずに、後年再訪することになりました。アムステルダムで訪れたレンブラントの家のことが思い出されます。<br />レンブラントの家:https://4travel.jp/travelogue/11025535

    「瞑想する哲学者」オランダ 1632年 レンブラント・ファン・レイン
    オーク材のパネルに油彩で描かれた画中には木製の螺旋階段が支配する部分にわずかな遠近法で2人の人物を描いています。ベルギーとオランダの美術館巡りの旅では3週間かけても周りきれずに、後年再訪することになりました。アムステルダムで訪れたレンブラントの家のことが思い出されます。
    レンブラントの家:https://4travel.jp/travelogue/11025535

  • 「算数の寓話」アントワープ、ベルギー 1557年 フランス・フロリス(Frans Floris)がフランドルの銀行家ニクラエス・ヨンゲリンクの依頼を受けた作品です。右側の座っている女性像によって擬人化された算術の活動を示しています。1つは預言者アブラハムの名前を冠しており、ユダヤ起源のローマの歴史家フラウィウス・ヨセフスによって、エジプトに算術と天文学を導入した責任者と見なされています。これらの知識の枝分かれは他の書物のピタゴラスの名前で示されているようにギリシャ人に受け継がれました。

    「算数の寓話」アントワープ、ベルギー 1557年 フランス・フロリス(Frans Floris)がフランドルの銀行家ニクラエス・ヨンゲリンクの依頼を受けた作品です。右側の座っている女性像によって擬人化された算術の活動を示しています。1つは預言者アブラハムの名前を冠しており、ユダヤ起源のローマの歴史家フラウィウス・ヨセフスによって、エジプトに算術と天文学を導入した責任者と見なされています。これらの知識の枝分かれは他の書物のピタゴラスの名前で示されているようにギリシャ人に受け継がれました。

  • ローマの叙事詩「アエネイス」の一場面の「ベルガマイアの疫病」フェッラーラ、イタリア 1518年頃 ドッソ・ドッシ(Dosso Dossi)は自然主義で、デザインに細心の注意を払っていました。ドッシといえば神話的テーマを扱った絵の中に隠された寓意的な奇想で知られています。

    ローマの叙事詩「アエネイス」の一場面の「ベルガマイアの疫病」フェッラーラ、イタリア 1518年頃 ドッソ・ドッシ(Dosso Dossi)は自然主義で、デザインに細心の注意を払っていました。ドッシといえば神話的テーマを扱った絵の中に隠された寓意的な奇想で知られています。

  • ローマの叙事詩「アエネイス」の一場面の「シチリアの競技会」<br />この2枚の作品は古代ローマの詩人ウェルギリウスの叙事詩「アエネイス」を題材にしています。ウェルギリウスの最後にして最大の作品であり、ラテン文学の最高傑作とされています。トロイアの王子でウェヌスの息子であるアエネアスが、トロイア陥落後に様々な辛労辛苦とカルタゴの女王ディードとの悲恋を経てイタリアにたどり着き、現地王の娘との婚約とそれに反対する勢力との戦いを描いています。

    ローマの叙事詩「アエネイス」の一場面の「シチリアの競技会」
    この2枚の作品は古代ローマの詩人ウェルギリウスの叙事詩「アエネイス」を題材にしています。ウェルギリウスの最後にして最大の作品であり、ラテン文学の最高傑作とされています。トロイアの王子でウェヌスの息子であるアエネアスが、トロイア陥落後に様々な辛労辛苦とカルタゴの女王ディードとの悲恋を経てイタリアにたどり着き、現地王の娘との婚約とそれに反対する勢力との戦いを描いています。

  • 「8つの寓話シリーズ」アントワープ、ベルギー 1575年から1585年 ヤコブ・バッカー(Jacob de Backer)<br />「Fig.1 信仰(Faith)」<br />「信仰」と「希望」と「慈愛」の3つは神学的「徳」を寓意的に描いています。ここでは十字架と聖杯と盾が描かれています。

    「8つの寓話シリーズ」アントワープ、ベルギー 1575年から1585年 ヤコブ・バッカー(Jacob de Backer)
    「Fig.1 信仰(Faith)」
    「信仰」と「希望」と「慈愛」の3つは神学的「徳」を寓意的に描いています。ここでは十字架と聖杯と盾が描かれています。

  • 「Fig.2 希望(Hope)」<br />「希望」では手を合わせて祈る有翼の天使の姿が描かれています。

    「Fig.2 希望(Hope)」
    「希望」では手を合わせて祈る有翼の天使の姿が描かれています。

  • 「Fig.3慈愛(Charity)」<br />「慈愛」では聖母子と十字架の杖を持った洗礼者ヨハネの姿もあります。

    「Fig.3慈愛(Charity)」
    「慈愛」では聖母子と十字架の杖を持った洗礼者ヨハネの姿もあります。

  • 「Fig.4 文法(Grammar)」<br />自由額のとして「文法」と「弁証法」と「修辞法」の3つが描かれています。<br />「文法」ではギリシャ人やローマ人を足蹴に座る女神が子供たちに本を読み聞かせているようです。<br />

    「Fig.4 文法(Grammar)」
    自由額のとして「文法」と「弁証法」と「修辞法」の3つが描かれています。
    「文法」ではギリシャ人やローマ人を足蹴に座る女神が子供たちに本を読み聞かせているようです。

  • 「Fig.5 弁証法(Dialects)」<br />「弁証法」は矛盾を解消し高い次元へと発展する哲学用語です。画中にはアリストテレスの姿もあります。紀元前4世紀のギリシャ古典期の哲学者で、プラトンの後継者、あるいは批判者としてギリシャ哲学を大成した人物です。 マケドニアではアレクサンドロスの家庭教師を務め、アテネでは学塾リュケイオンを設立して教育に当たりました。

    「Fig.5 弁証法(Dialects)」
    「弁証法」は矛盾を解消し高い次元へと発展する哲学用語です。画中にはアリストテレスの姿もあります。紀元前4世紀のギリシャ古典期の哲学者で、プラトンの後継者、あるいは批判者としてギリシャ哲学を大成した人物です。 マケドニアではアレクサンドロスの家庭教師を務め、アテネでは学塾リュケイオンを設立して教育に当たりました。

  • 「Fig.6 修辞法(Rhetoric)」<br />「修辞法」では有翼の帽子「ペタソス」を被ったメルクリウスの姿と有翼の杖「カドケウス」が描かれています。<br />

    「Fig.6 修辞法(Rhetoric)」
    「修辞法」では有翼の帽子「ペタソス」を被ったメルクリウスの姿と有翼の杖「カドケウス」が描かれています。

  • 「Fig.7 幾何学(Geometry)」<br />最後に「幾何学」と「算術」の寓意が描かれています。幾何学が一番分かりやすく、女神の持つ三角定規と錘、コンパスや物差しなどが描かれています。

    「Fig.7 幾何学(Geometry)」
    最後に「幾何学」と「算術」の寓意が描かれています。幾何学が一番分かりやすく、女神の持つ三角定規と錘、コンパスや物差しなどが描かれています。

  • 「Fig.8 算術(Arithmetic)」<br />「算術」では女神が持つ黒板に数字が描かれています。

    「Fig.8 算術(Arithmetic)」
    「算術」では女神が持つ黒板に数字が描かれています。

  • 「サー・トーマス・ワイアット・ザ・ヤンガー」ロンドン 1543年 ハンス・ホルバイン(Hans Holbain)は南ドイツのアウクスブルクに生まれ、後にイングランドで活動しました。国際的に活躍した肖像画家として著名であるとともに、木版画シリーズ「死の舞踏」の作者として、版画史上も重要な作家でもあります。ワイアットは16世紀のイングランド王国のメアリー1世の治世に女王メアリー1世とスペインの王子フェリペの結婚への抗議行動「ワイアットの乱」起こした人物です。

    「サー・トーマス・ワイアット・ザ・ヤンガー」ロンドン 1543年 ハンス・ホルバイン(Hans Holbain)は南ドイツのアウクスブルクに生まれ、後にイングランドで活動しました。国際的に活躍した肖像画家として著名であるとともに、木版画シリーズ「死の舞踏」の作者として、版画史上も重要な作家でもあります。ワイアットは16世紀のイングランド王国のメアリー1世の治世に女王メアリー1世とスペインの王子フェリペの結婚への抗議行動「ワイアットの乱」起こした人物です。

  • 「ラ・ベル・フェロニエールとして知られる女性の肖像画」イタリア 西暦1500年から1510年<br />この作品はパリのルーブル美術館で見たことがあり、ここで再会できるとは思いませんでした。同名の作品はレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた肖像画があり、こちらもルーブル美術館が収蔵しています。

    「ラ・ベル・フェロニエールとして知られる女性の肖像画」イタリア 西暦1500年から1510年
    この作品はパリのルーブル美術館で見たことがあり、ここで再会できるとは思いませんでした。同名の作品はレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた肖像画があり、こちらもルーブル美術館が収蔵しています。

  • これだけのスペースですが、パリのルーブル美術館の「ピジュの中庭」を連想させます。

    これだけのスペースですが、パリのルーブル美術館の「ピジュの中庭」を連想させます。

  • 「若い男の肖像(キリストの姿の研究)」アムステルダム 1648年から1656年<br />レンブラント・ファン・レイン<br />モデルはおそらく画家のアトリエの近くのユダヤ人コミッティ出身であり、キリストを描いたいくつかのスケッチが残されています。

    「若い男の肖像(キリストの姿の研究)」アムステルダム 1648年から1656年
    レンブラント・ファン・レイン
    モデルはおそらく画家のアトリエの近くのユダヤ人コミッティ出身であり、キリストを描いたいくつかのスケッチが残されています。

  • 「聖ヨセフ」ジュセペ・デ・リベラ(Jusepe de Ribera)<br />感情を生かすスペインの画家リベラは細部までこだわった聖ヨセフの本質を捉え、光と影の繊細な中で聖人の人間性を描いています。3週間かけてスペインを旅した際にどっぷりスペイン人画家の絵画を堪能しました。

    「聖ヨセフ」ジュセペ・デ・リベラ(Jusepe de Ribera)
    感情を生かすスペインの画家リベラは細部までこだわった聖ヨセフの本質を捉え、光と影の繊細な中で聖人の人間性を描いています。3週間かけてスペインを旅した際にどっぷりスペイン人画家の絵画を堪能しました。

  • 「ヤコブの夢」セビリア 1665年頃 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(Bartorome Esteban Murillo)<br />旧約聖書の中の「創世記」 にあるヤコブの物語を題材として、ハッラーンへの旅の途中であったヤコブが、うたた寝の夢の中で天使が行き来する梯子を見たという場面を描いています。2018年のスペインの旅ではムリーリョ生誕400年ということもあってたくさんの作品を見ることが出来ました。<br />

    「ヤコブの夢」セビリア 1665年頃 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(Bartorome Esteban Murillo)
    旧約聖書の中の「創世記」 にあるヤコブの物語を題材として、ハッラーンへの旅の途中であったヤコブが、うたた寝の夢の中で天使が行き来する梯子を見たという場面を描いています。2018年のスペインの旅ではムリーリョ生誕400年ということもあってたくさんの作品を見ることが出来ました。

  • 「騎手用の鎧と馬具」オスマン帝国 西暦1490年から1510年<br />この鎧は金属板を組み立てて造られており、重量が軽いことから船上での馬と騎手の優れた機動性が保証されたと思われます。この鎧にはイスタンブールの帝国兵器庫に納めてあった刻印が残されています。

    「騎手用の鎧と馬具」オスマン帝国 西暦1490年から1510年
    この鎧は金属板を組み立てて造られており、重量が軽いことから船上での馬と騎手の優れた機動性が保証されたと思われます。この鎧にはイスタンブールの帝国兵器庫に納めてあった刻印が残されています。

  • 甲冑を納めてある部屋は薄暗く、オープンな空間に置かれてあるので少し不気味な感じがしました。今にも動きそうな感じがします。ティム・バートンの映画「スリーピー・ホロウ(Sleepy Hollow)」を思い出しました。

    甲冑を納めてある部屋は薄暗く、オープンな空間に置かれてあるので少し不気味な感じがしました。今にも動きそうな感じがします。ティム・バートンの映画「スリーピー・ホロウ(Sleepy Hollow)」を思い出しました。

  • 「鍋島義重の紋章の入った甲冑」日本 1707年から1730年<br />オスマン帝国の甲冑に対峙するようにガラスケースの奥に日本の甲冑が納められています。もともとは日本でも有力な藩主の家族の1つが所有していたこの鎧一式は、有名な鎧鍛冶である宮田勝貞によって製造されたと思われます。

    「鍋島義重の紋章の入った甲冑」日本 1707年から1730年
    オスマン帝国の甲冑に対峙するようにガラスケースの奥に日本の甲冑が納められています。もともとは日本でも有力な藩主の家族の1つが所有していたこの鎧一式は、有名な鎧鍛冶である宮田勝貞によって製造されたと思われます。

  • 夜になると「ナイトミュージアム」のように戦いが始まるのだと思います。ガラス越しに彼らの視線が交差しているように見えます。

    夜になると「ナイトミュージアム」のように戦いが始まるのだと思います。ガラス越しに彼らの視線が交差しているように見えます。

  • 添乗員さんが何度か探しに来てくれて、「そろそろ急がないと間に合いませんよ。」と状況を教えてくれます。

    添乗員さんが何度か探しに来てくれて、「そろそろ急がないと間に合いませんよ。」と状況を教えてくれます。

  • 「王妃マリー・アントワネットの肖像」フランス 1788年<br />エリザベート・ヴィジェ・ルブラン(Elisabeth Vigee Lebrun)は18世紀で最も有名な女性画家でした。画家で画商であるジャン=バティスト=ピエール・ルブランと結婚し、彼女は当時の貴族の多くを肖像画に描き、画家としての経歴を開花させました。マリー・アントワネットの肖像画を描くためヴェルサイユ宮殿に招かれ、王妃は大変喜び数年間ヴィジェ・ルブランは王妃や子供達、王族や家族の肖像画を数多く依頼されました。王妃とルブランは画家と王妃を超えた友人関係を築いていたといわれます。

    「王妃マリー・アントワネットの肖像」フランス 1788年
    エリザベート・ヴィジェ・ルブラン(Elisabeth Vigee Lebrun)は18世紀で最も有名な女性画家でした。画家で画商であるジャン=バティスト=ピエール・ルブランと結婚し、彼女は当時の貴族の多くを肖像画に描き、画家としての経歴を開花させました。マリー・アントワネットの肖像画を描くためヴェルサイユ宮殿に招かれ、王妃は大変喜び数年間ヴィジェ・ルブランは王妃や子供達、王族や家族の肖像画を数多く依頼されました。王妃とルブランは画家と王妃を超えた友人関係を築いていたといわれます。

  • 王族が逮捕された後のフランス革命の間のルブランはフランスから逃れ、数年間をイタリア、オーストリア、ロシアで画家として暮らしました。そこでは貴族の顧客との付き合った経験がまだ役立ち、ローマでは作品が大絶賛され、ロシアでは貴族から歓迎されて女帝エカチェリーナ2世の皇族を多数描きました。妻とヴェルサイユ宮殿の奥にあるプチ・トリアノンへ行ったことが思い出されます。<br />プティ・トリアノン:https://4travel.jp/travelogue/10623779

    王族が逮捕された後のフランス革命の間のルブランはフランスから逃れ、数年間をイタリア、オーストリア、ロシアで画家として暮らしました。そこでは貴族の顧客との付き合った経験がまだ役立ち、ローマでは作品が大絶賛され、ロシアでは貴族から歓迎されて女帝エカチェリーナ2世の皇族を多数描きました。妻とヴェルサイユ宮殿の奥にあるプチ・トリアノンへ行ったことが思い出されます。
    プティ・トリアノン:https://4travel.jp/travelogue/10623779

  • 「ジャック・カルティエがセントローレンス川を発見する」パリ 1847年<br />J.Aセオドア・グディン(J.A.Theodore Gudin)はフランスの海洋画家であり、ルイ・フィリップ王とその後のフランス・ナポレオン3世の皇帝の宮廷画家でした。

    「ジャック・カルティエがセントローレンス川を発見する」パリ 1847年
    J.Aセオドア・グディン(J.A.Theodore Gudin)はフランスの海洋画家であり、ルイ・フィリップ王とその後のフランス・ナポレオン3世の皇帝の宮廷画家でした。

  • 「衛兵を連れたコンスタンティーヌのカリフ、アリ・ベン・アフメド」フランス 1845年<br />テオドール・シャセリオ―(Theodore Chasseriau)はロマン主義に属し、肖像画、歴史画、宗教画、寓意的な壁画、それにアルジェリア旅行にインスパイアされたオリエンタリズム溢れる作品が有名です。

    「衛兵を連れたコンスタンティーヌのカリフ、アリ・ベン・アフメド」フランス 1845年
    テオドール・シャセリオ―(Theodore Chasseriau)はロマン主義に属し、肖像画、歴史画、宗教画、寓意的な壁画、それにアルジェリア旅行にインスパイアされたオリエンタリズム溢れる作品が有名です。

  • フランス人画家が描く北アフリカのベルベルの人々の絵画は好きで、印象に残る作品もいくつかあります。今回は初めてペルシャ湾沿岸の国を旅した聖かこの絵はとても印象深く感じました。

    フランス人画家が描く北アフリカのベルベルの人々の絵画は好きで、印象に残る作品もいくつかあります。今回は初めてペルシャ湾沿岸の国を旅した聖かこの絵はとても印象深く感じました。

  • 窓際に置かれた彫刻は懐かしさを感じます。「武装への呼びかけ」はオーギュスト・ロダン(Auguste Rodin)の1906年の作品です。2011年にパリに2週間ほどいた旅でも美術館巡りに明け暮れ、「ロダン美術館」に行くことが出来ました。<br />ロダン美術館:https://4travel.jp/travelogue/10624624

    窓際に置かれた彫刻は懐かしさを感じます。「武装への呼びかけ」はオーギュスト・ロダン(Auguste Rodin)の1906年の作品です。2011年にパリに2週間ほどいた旅でも美術館巡りに明け暮れ、「ロダン美術館」に行くことが出来ました。
    ロダン美術館:https://4travel.jp/travelogue/10624624

  • ロダンは普仏戦争中にドイツの侵略からパリの街を守ったパリ市民の勇気を記念する記念碑の1879年のコンペティションにこの作品を提出しました。それは翼のある霊にもたれかかっている瀕死のフランス人戦士の裸体を示しています。フランスの魂はひるむことなく見えますが、人間の弱さと敗北を率直に描いた彫刻がコンテストで優勝できなかった一因となった可能性があります。第1次世界大戦でフランスがドイツに勝利した後、ロダンはデザインを復活させることに成功しました。1920年に戦争で最も長い戦いの場所であるヴェルダン市の記念碑として採用されました。

    ロダンは普仏戦争中にドイツの侵略からパリの街を守ったパリ市民の勇気を記念する記念碑の1879年のコンペティションにこの作品を提出しました。それは翼のある霊にもたれかかっている瀕死のフランス人戦士の裸体を示しています。フランスの魂はひるむことなく見えますが、人間の弱さと敗北を率直に描いた彫刻がコンテストで優勝できなかった一因となった可能性があります。第1次世界大戦でフランスがドイツに勝利した後、ロダンはデザインを復活させることに成功しました。1920年に戦争で最も長い戦いの場所であるヴェルダン市の記念碑として採用されました。

  • 「眠れる騎士とイバラ」サー・エドワード・コーリー・バーン・ジョーンズ(Sir Edward Coley Burne-Jones)はイギリスの美術家で、ラファエル前派と密接な関係を持ち、ラファエル前派をイギリス画壇の主流に押し上げました。同時に自身も数々の精巧で美しい芸術作品を作り上げました。<br />

    「眠れる騎士とイバラ」サー・エドワード・コーリー・バーン・ジョーンズ(Sir Edward Coley Burne-Jones)はイギリスの美術家で、ラファエル前派と密接な関係を持ち、ラファエル前派をイギリス画壇の主流に押し上げました。同時に自身も数々の精巧で美しい芸術作品を作り上げました。

  • 「ヘシオドスとミューズ」パリ 1891年 ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)モローも大好きな画家の1人で2011年にパリに行った際に「モロー美術館」へ行くことが出来ました。<br />モロー美術館:https://4travel.jp/travelogue/10624901

    「ヘシオドスとミューズ」パリ 1891年 ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)モローも大好きな画家の1人で2011年にパリに行った際に「モロー美術館」へ行くことが出来ました。
    モロー美術館:https://4travel.jp/travelogue/10624901

  • 印象派の画家たちとほぼ同時代に活動したモローは聖書やギリシャ神話をおもな題材とし、想像と幻想の世界をもっぱら描きました。彼の作品は19世紀末のいわゆる「世紀末」の画家や文学者に多大な影響を与え、象徴主義の先駆者とされています。

    印象派の画家たちとほぼ同時代に活動したモローは聖書やギリシャ神話をおもな題材とし、想像と幻想の世界をもっぱら描きました。彼の作品は19世紀末のいわゆる「世紀末」の画家や文学者に多大な影響を与え、象徴主義の先駆者とされています。

  • 「スフィンクスとキメラ」パリ 1906年 ルイス・ウェルデン・ホーキンス(Louis Welden Hawkins)<br />ギリシャ神話に登場する生物「キマイラ」はライオンの頭と山羊の胴体、蛇の尻尾を持ち、口からは火炎を吐くとされます。同じくギリシャ神話における「スフィンクス」はライオンの身体に美しい人間の女性の顔と乳房のある胸、鷲の翼を持つ怪物として描かれます。

    「スフィンクスとキメラ」パリ 1906年 ルイス・ウェルデン・ホーキンス(Louis Welden Hawkins)
    ギリシャ神話に登場する生物「キマイラ」はライオンの頭と山羊の胴体、蛇の尻尾を持ち、口からは火炎を吐くとされます。同じくギリシャ神話における「スフィンクス」はライオンの身体に美しい人間の女性の顔と乳房のある胸、鷲の翼を持つ怪物として描かれます。

  • 「聖ゲオルギウス」ロンドン 1901年 アルフレッド・ギルバ―ト(Alfred Gilbert )はピカデリーサーカスのシャフツベリー記念噴水を作った彫刻家として有名です。

    「聖ゲオルギウス」ロンドン 1901年 アルフレッド・ギルバ―ト(Alfred Gilbert )はピカデリーサーカスのシャフツベリー記念噴水を作った彫刻家として有名です。

  • 「ヴィクトル・ユーゴーの記念碑」パリ 1900年 オーギュスト・ロダン(Auguste Rodin)<br />この作品はフランスの詩人であり共和主義の擁護者でもあったヴィクトル・ユーゴーに捧げられています。ガーンジー島の岩山に逃亡中のユーゴ―は彼の文学作品の様々な側面を象徴する人物たちに囲まれています。

    「ヴィクトル・ユーゴーの記念碑」パリ 1900年 オーギュスト・ロダン(Auguste Rodin)
    この作品はフランスの詩人であり共和主義の擁護者でもあったヴィクトル・ユーゴーに捧げられています。ガーンジー島の岩山に逃亡中のユーゴ―は彼の文学作品の様々な側面を象徴する人物たちに囲まれています。

  • 英雄的なポーズは理想化されておらず眼差しは思索的です。延ばされた腕は急速に変化する世界の波を静めているようです。

    英雄的なポーズは理想化されておらず眼差しは思索的です。延ばされた腕は急速に変化する世界の波を静めているようです。

  • ロダンというとどうしてもカミーユ・クローデルのことを思い出してしまいます。19歳の時に彫刻家ロダンの弟子となりますが、時にロダン42歳でした。2人は次第に愛し合うようになりますが、ロダンには内妻ローズがいたため三角関係となります。その関係はその後15年にわたって続いていき、やがて2人の関係は破綻を迎え、ロダンはローズのもとへ帰っていきます。芸術と私生活の両面でロダンを支えてきたにもかかわらず、裏切られた形となったカミーユは1905年頃を境に徐々に精神不安定となり、多くの作品を破壊してしまいます。弟ポールが結婚して外交官として任地の上海へ向かった後は自分のアトリエに引きこもるようになり唯一の理解者であった父ルイが亡くなった事で統合失調症を発症します。

    ロダンというとどうしてもカミーユ・クローデルのことを思い出してしまいます。19歳の時に彫刻家ロダンの弟子となりますが、時にロダン42歳でした。2人は次第に愛し合うようになりますが、ロダンには内妻ローズがいたため三角関係となります。その関係はその後15年にわたって続いていき、やがて2人の関係は破綻を迎え、ロダンはローズのもとへ帰っていきます。芸術と私生活の両面でロダンを支えてきたにもかかわらず、裏切られた形となったカミーユは1905年頃を境に徐々に精神不安定となり、多くの作品を破壊してしまいます。弟ポールが結婚して外交官として任地の上海へ向かった後は自分のアトリエに引きこもるようになり唯一の理解者であった父ルイが亡くなった事で統合失調症を発症します。

  • 「勉強する若い王子」イスタンブール 1878年 オスマン・ハムディ・ベイ(Osman Hamdy Bey)<br />オスマン帝国のエリートに生まれたオスマン・ハムディ・ベイは故郷のトルコとヨーロッパの地理的・文化的領域を並置することをやめず、ギュスターヴ・ブーランジェのアトリエで学び成功を収めました。

    「勉強する若い王子」イスタンブール 1878年 オスマン・ハムディ・ベイ(Osman Hamdy Bey)
    オスマン帝国のエリートに生まれたオスマン・ハムディ・ベイは故郷のトルコとヨーロッパの地理的・文化的領域を並置することをやめず、ギュスターヴ・ブーランジェのアトリエで学び成功を収めました。

  • 「モスク」アルジェリア 1841年 オーギュスト・ルノアール(Auguste Renoir)<br />ルノワールはオスマントルコの城壁の遺跡の中でアルジェの祭りを描いています。

    「モスク」アルジェリア 1841年 オーギュスト・ルノアール(Auguste Renoir)
    ルノワールはオスマントルコの城壁の遺跡の中でアルジェの祭りを描いています。

  • 地中海を見下ろすドームとミナレットを背景に、活気のある群衆がミュージシャンを取り囲んでいます。ルノワールの素早い筆遣いと厚塗りは印象派の特徴である東洋的な場面を自由に創造しているようです。

    地中海を見下ろすドームとミナレットを背景に、活気のある群衆がミュージシャンを取り囲んでいます。ルノワールの素早い筆遣いと厚塗りは印象派の特徴である東洋的な場面を自由に創造しているようです。

  • 「富士三十六景 鴻之台とね川」歌川広重 <br />下総の富士と紅葉の名所として名高い鴻ノ台からの壮大な眺めです。帆船の行く方向を追いかけ、蛇行する川下まで視線が導かれ、近くの総寧寺の僧が客人に案内をしているようです。房総からの富士は逆行になる夕暮れ時のほうが確認しやすいといわれますが、この作品でも黄昏時に西日を受けた紅葉の赤がまぶしいほどです。広重は鴻ノ台からの景観を非常に好んだようで繰り返し描いています。

    「富士三十六景 鴻之台とね川」歌川広重
    下総の富士と紅葉の名所として名高い鴻ノ台からの壮大な眺めです。帆船の行く方向を追いかけ、蛇行する川下まで視線が導かれ、近くの総寧寺の僧が客人に案内をしているようです。房総からの富士は逆行になる夕暮れ時のほうが確認しやすいといわれますが、この作品でも黄昏時に西日を受けた紅葉の赤がまぶしいほどです。広重は鴻ノ台からの景観を非常に好んだようで繰り返し描いています。

  • 「富士三十六景 東都飛鳥山」 歌川広重 <br />富士と桜の名所として知られる飛鳥山が最も華やぐ満開の頃で、芝生の丘の麓には茶屋や料理屋が立ち並んでいます。「不二三十六景」および「冨二三十六景」は歌川広重による富士山を主題とした浮世絵風景画36作品のシリーズです。それぞれ嘉永5年の1852年に佐野屋喜兵衛、広重没後の安政6年の1859年に蔦屋吉蔵により出版開始されました。構図に関しては葛飾北斎の「富嶽百景」に着想を得たと考えられます。

    「富士三十六景 東都飛鳥山」 歌川広重
    富士と桜の名所として知られる飛鳥山が最も華やぐ満開の頃で、芝生の丘の麓には茶屋や料理屋が立ち並んでいます。「不二三十六景」および「冨二三十六景」は歌川広重による富士山を主題とした浮世絵風景画36作品のシリーズです。それぞれ嘉永5年の1852年に佐野屋喜兵衛、広重没後の安政6年の1859年に蔦屋吉蔵により出版開始されました。構図に関しては葛飾北斎の「富嶽百景」に着想を得たと考えられます。

  • 「マンシー橋」マンシー 1879年頃 ポール・セザンヌ(Paul Sezanne)<br />マンシー橋は印象派時代の終わりにセザンヌが始めた新しい視覚言語を反映しています。真っすぐで角張った筆遣いは水面に映る反射によって空間のバランスを取っているようです。

    「マンシー橋」マンシー 1879年頃 ポール・セザンヌ(Paul Sezanne)
    マンシー橋は印象派時代の終わりにセザンヌが始めた新しい視覚言語を反映しています。真っすぐで角張った筆遣いは水面に映る反射によって空間のバランスを取っているようです。

  • 「フォンテーヌブローの森。岩の間の松と白樺」パリ カミーユ・コロー(Camille Corot)<br />19世紀になると風景画家たちは秩序ある構図から離れ、感覚と視覚的印象に基づく新たなアプローチを模索しました。彼らはアトリエを離れ、自然を題材として、戸外で直接描き始めました。

    「フォンテーヌブローの森。岩の間の松と白樺」パリ カミーユ・コロー(Camille Corot)
    19世紀になると風景画家たちは秩序ある構図から離れ、感覚と視覚的印象に基づく新たなアプローチを模索しました。彼らはアトリエを離れ、自然を題材として、戸外で直接描き始めました。

  • 「オルナンの春」オルナン 1873年 ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet)<br />オルセー美術館が開館してすぐに行ったことがありましたが、「オルナンの埋葬」と「画家のアトリエ」という2枚の大作は印象に残っています。

    「オルナンの春」オルナン 1873年 ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet)
    オルセー美術館が開館してすぐに行ったことがありましたが、「オルナンの埋葬」と「画家のアトリエ」という2枚の大作は印象に残っています。

  • 「干し草職人」フランス 1848年 ジャン・フランソワ・ミレー(Jean Francois Millet)<br />ミレーの作品は生前から徐々に市場での評価が高まり、1860年にミレーが1000フランで売却した「晩鐘」は死後の1889年に55万3000フランで落札されるに至っています。

    「干し草職人」フランス 1848年 ジャン・フランソワ・ミレー(Jean Francois Millet)
    ミレーの作品は生前から徐々に市場での評価が高まり、1860年にミレーが1000フランで売却した「晩鐘」は死後の1889年に55万3000フランで落札されるに至っています。

  • 「ヴェリエールへの道」フランス 1872年 アルフレッド・シスレー(Alfred Sisley)<br />シスレーの900点近い油彩作品のうち大部分はパリ周辺の風景を題材にした穏やかな風景画で、人物、室内画、静物といった他のジャンルは全て合わせても20点に満たないようです。他の印象派の画家の多くが後に印象派の技法を離れたなかで、シスレーは終始一貫して印象派画法を保ち続けました。

    「ヴェリエールへの道」フランス 1872年 アルフレッド・シスレー(Alfred Sisley)
    シスレーの900点近い油彩作品のうち大部分はパリ周辺の風景を題材にした穏やかな風景画で、人物、室内画、静物といった他のジャンルは全て合わせても20点に満たないようです。他の印象派の画家の多くが後に印象派の技法を離れたなかで、シスレーは終始一貫して印象派画法を保ち続けました。

  • 「風の跡、ポプラ並木」パリ 1891年 クロード・モネ(Claude Monet)<br />2011年委3週間もパルとその周辺を旅しながら、ジベルニーに足を延ばさなかったのは今も後悔しています。その後池袋西武の屋上の庭園を造る仕事に関わりましたが、現在は見るも無残な姿になってしまいました。<br />

    「風の跡、ポプラ並木」パリ 1891年 クロード・モネ(Claude Monet)
    2011年委3週間もパルとその周辺を旅しながら、ジベルニーに足を延ばさなかったのは今も後悔しています。その後池袋西武の屋上の庭園を造る仕事に関わりましたが、現在は見るも無残な姿になってしまいました。

  • 「チャリング・クロス橋」ロンドン 1899年 クロード・モネ(Claude Monet)<br />モネは1871年以来ロンドンを数度にわたって訪れています。その中でも1899年、1900年、1901年の3回の滞在は豊かな収穫をもたらしました。テムズ河畔の「サヴォイ・ホテル」のバルコニーに画架を据えて、モネは国会議事堂やウォータールー橋、チャーリング・クロス橋という3つのモティーフに焦点を合わせて描き続けました。

    「チャリング・クロス橋」ロンドン 1899年 クロード・モネ(Claude Monet)
    モネは1871年以来ロンドンを数度にわたって訪れています。その中でも1899年、1900年、1901年の3回の滞在は豊かな収穫をもたらしました。テムズ河畔の「サヴォイ・ホテル」のバルコニーに画架を据えて、モネは国会議事堂やウォータールー橋、チャーリング・クロス橋という3つのモティーフに焦点を合わせて描き続けました。

  • 「サヴォイ・ホテル」近くのホテルに泊まり、バーには行きましたが凡人にはこんな風景は見つけられませんでした。また、パリの「マルモッタン美術館」で観た「印象・日の出」や「プティ・パレ」で観た「ラヴァクールの日没」を思い出しました。

    「サヴォイ・ホテル」近くのホテルに泊まり、バーには行きましたが凡人にはこんな風景は見つけられませんでした。また、パリの「マルモッタン美術館」で観た「印象・日の出」や「プティ・パレ」で観た「ラヴァクールの日没」を思い出しました。

  • 「ブルターニュの風景。デイヴィッドの製粉所」パリ 1848年 ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin)<br />この作品はタヒチの風景がゴーギャンに与えた影響を反映しています。彼は家や木々の垂直の線との腹や小川の曲がりくねった曲線を融合させ、神秘的なブルターニュの風景を描いています。

    「ブルターニュの風景。デイヴィッドの製粉所」パリ 1848年 ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin)
    この作品はタヒチの風景がゴーギャンに与えた影響を反映しています。彼は家や木々の垂直の線との腹や小川の曲がりくねった曲線を融合させ、神秘的なブルターニュの風景を描いています。

  • 「黄金色の小麦とそば畑」パリ 1900年頃 ポール・セルシェ(Paul Serusier)<br />作者は今回初めて知りましたが、クリムトやシーレを思いつくような風景画を描いています。パリ出身のポスト印象派の画家で、ナビ派の一員として知られているそうです。<br />

    「黄金色の小麦とそば畑」パリ 1900年頃 ポール・セルシェ(Paul Serusier)
    作者は今回初めて知りましたが、クリムトやシーレを思いつくような風景画を描いています。パリ出身のポスト印象派の画家で、ナビ派の一員として知られているそうです。

  • 「ボヘミアン」パリ 1861年 エドゥアール・マネ(Edouard Monet)<br />「ボヘミアン」とは伝統的な価値観や社会的な規範にとらわれず、自由で個性的な生き方をする人々を指す言葉です。自由な精神や独創性を重視し、既存の枠組みにとらわれない生活を送ることを特徴としています。

    「ボヘミアン」パリ 1861年 エドゥアール・マネ(Edouard Monet)
    「ボヘミアン」とは伝統的な価値観や社会的な規範にとらわれず、自由で個性的な生き方をする人々を指す言葉です。自由な精神や独創性を重視し、既存の枠組みにとらわれない生活を送ることを特徴としています。

  • 「チョコレートを持つ女」パリ 1877年 ピエール・オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)<br />この絵画は熱いチョコレートを味わっている最中の女性を描いています。女性は椅子に座り、やや左を向いています。暗い色のガウンを身にまとい、それが背景の鮮やかな花柄の壁紙と美しい対照を見せています。

    「チョコレートを持つ女」パリ 1877年 ピエール・オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)
    この絵画は熱いチョコレートを味わっている最中の女性を描いています。女性は椅子に座り、やや左を向いています。暗い色のガウンを身にまとい、それが背景の鮮やかな花柄の壁紙と美しい対照を見せています。

  • 左側のテーブルの上にはおそらくバラとライラックであろう花束が置かれ、この情景に新鮮さを添えています。女性は右手にカップを繊細に持ち、左手は膝の上にかけられた模様のある布の上に優雅に置かれています。彼女の視線は穏やかで物思いにふけっているようで、静かなひとときを楽しんでいる様子がうかがえます。

    左側のテーブルの上にはおそらくバラとライラックであろう花束が置かれ、この情景に新鮮さを添えています。女性は右手にカップを繊細に持ち、左手は膝の上にかけられた模様のある布の上に優雅に置かれています。彼女の視線は穏やかで物思いにふけっているようで、静かなひとときを楽しんでいる様子がうかがえます。

  • 「チェリストのピレ」フランス 1868年 エドガー・ドガ(Edgar Dogas)<br />オペラ座のオーケストラのチェロ奏者のルイ=マリー・ピレの肖像画です。

    「チェリストのピレ」フランス 1868年 エドガー・ドガ(Edgar Dogas)
    オペラ座のオーケストラのチェロ奏者のルイ=マリー・ピレの肖像画です。

  • 「青、赤、黄、黒のコンポジション」パリ 1922年 ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian)<br />普遍的な視覚的ピッチを追求する中でモンドリアンは比喩的な形式を放棄し、絵画を基本的に水兵と垂直のオーバーポジションにまで縮小しました。

    「青、赤、黄、黒のコンポジション」パリ 1922年 ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian)
    普遍的な視覚的ピッチを追求する中でモンドリアンは比喩的な形式を放棄し、絵画を基本的に水兵と垂直のオーバーポジションにまで縮小しました。

  • 「座る女性の肖像(オルガ)」パリ 1923年 パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)<br />1917年にピカソはキュビズムの追求から離れ、イタリアへ旅して古代芸術にインスピレーションを得た新しい作品を制作しました。そこでオルガ・ホフロワと出会い、1918年に結婚しました。新古典主義時代を体現するオルガは有綱ギリシャ・ローマ風の彫像として描かれています。

    「座る女性の肖像(オルガ)」パリ 1923年 パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
    1917年にピカソはキュビズムの追求から離れ、イタリアへ旅して古代芸術にインスピレーションを得た新しい作品を制作しました。そこでオルガ・ホフロワと出会い、1918年に結婚しました。新古典主義時代を体現するオルガは有綱ギリシャ・ローマ風の彫像として描かれています。

  • 「闇と光の間」パリ 1938年 マルク・シャガール(Marc Chagall)<br />シャガールというと巨大な作品、パリの「オペラ・ガルニエ」の天井画と昨年の青森の旅で観た「アレコ」の舞台背景画を思い出します。<br />オペラ・ガルニエ:https://4travel.jp/travelogue/10623920<br />青森県立美術館:https://4travel.jp/travelogue/11946415

    「闇と光の間」パリ 1938年 マルク・シャガール(Marc Chagall)
    シャガールというと巨大な作品、パリの「オペラ・ガルニエ」の天井画と昨年の青森の旅で観た「アレコ」の舞台背景画を思い出します。
    オペラ・ガルニエ:https://4travel.jp/travelogue/10623920
    青森県立美術館:https://4travel.jp/travelogue/11946415

  • 「オレンジプレスa+b」フランス 1960年 ジャン・ティンゲリー(Jean Tinguely)<br />廃物を利用して機械のように動く彫刻を制作することで知られており、キネティック・アート(動く美術作品)の代表的な作家です。1980年代のセゾン美術館の関係から筑波西武のオープン時には吹き抜けにティンゲリーの巨大な作品がありました。あの作品はどうなったのかずっと気になっています。また京都の烏丸にもティンゲリーのカフェがありました。

    「オレンジプレスa+b」フランス 1960年 ジャン・ティンゲリー(Jean Tinguely)
    廃物を利用して機械のように動く彫刻を制作することで知られており、キネティック・アート(動く美術作品)の代表的な作家です。1980年代のセゾン美術館の関係から筑波西武のオープン時には吹き抜けにティンゲリーの巨大な作品がありました。あの作品はどうなったのかずっと気になっています。また京都の烏丸にもティンゲリーのカフェがありました。

  • 「人体測定学(ANT 110)」パリ 1960年 イヴ・クライン(Yves Klein)<br />特に「青」を宇宙の神秘的なエネルギーに通じる最も非物質的で抽象的な色だとして重用し、自ら理想的な顔料を開発しました。1957年には黄金よりも高貴な青「インターナショナル・クライン・ブルー」と呼ばれる深い青色の特許を取得しています。イヴ・クラインもセゾン美術館で初めて知った作家です。<br />

    「人体測定学(ANT 110)」パリ 1960年 イヴ・クライン(Yves Klein)
    特に「青」を宇宙の神秘的なエネルギーに通じる最も非物質的で抽象的な色だとして重用し、自ら理想的な顔料を開発しました。1957年には黄金よりも高貴な青「インターナショナル・クライン・ブルー」と呼ばれる深い青色の特許を取得しています。イヴ・クラインもセゾン美術館で初めて知った作家です。

  • 「ゲルブ・ロート・ブルー」ワイマール、ドイツ 1925年 ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)<br />

    「ゲルブ・ロート・ブルー」ワイマール、ドイツ 1925年 ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)

  • 展示室を出るとジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel )と彼のチームのコンセプトである「オアシスのナツメヤシの葉を通過する太陽光線」を感じることが出来ました。

    展示室を出るとジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel )と彼のチームのコンセプトである「オアシスのナツメヤシの葉を通過する太陽光線」を感じることが出来ました。

  • 何とか皆さんにご迷惑をおかけすることも無く時間ぴったりに集合場所に戻れました。どんなデザインか見てみたいのでトイレにも寄っておきます。

    何とか皆さんにご迷惑をおかけすることも無く時間ぴったりに集合場所に戻れました。どんなデザインか見てみたいのでトイレにも寄っておきます。

  • 妻は早くに集合場所に戻り、ツアーの皆さんとおしゃべりしていたようです。「キース・へリング観た?」と言われてびっくり。全く気が付いていませんでした。もう戻ることは出来ません。

    妻は早くに集合場所に戻り、ツアーの皆さんとおしゃべりしていたようです。「キース・へリング観た?」と言われてびっくり。全く気が付いていませんでした。もう戻ることは出来ません。

  • 1983年に青山の「オン・サンデーズ」に行った際に雑誌で紹介されていたキース・へリングの絵葉書を5枚買い求めました。店の前の横断歩道で信号待ちしていると目の前にキース・へリングがいました。声を掛けると天使が描かれた黄色いバッチをくれました。

    1983年に青山の「オン・サンデーズ」に行った際に雑誌で紹介されていたキース・へリングの絵葉書を5枚買い求めました。店の前の横断歩道で信号待ちしていると目の前にキース・へリングがいました。声を掛けると天使が描かれた黄色いバッチをくれました。

  • 絵葉書を見せると喜んでくれて、持っていたマジックを取り出して同じ絵を描いてくれました。サインもあるこの絵ハガキたちは大切な宝物です。渋谷のパルコ・パートⅢが出来た際に3500円で買ったトニー・シャフラジ画廊での2度目の個展の際に発行されたオリジナル・デザインの告知用ポスターは小淵沢の「中村キース・へリング美術館」に展示してありました。

    絵葉書を見せると喜んでくれて、持っていたマジックを取り出して同じ絵を描いてくれました。サインもあるこの絵ハガキたちは大切な宝物です。渋谷のパルコ・パートⅢが出来た際に3500円で買ったトニー・シャフラジ画廊での2度目の個展の際に発行されたオリジナル・デザインの告知用ポスターは小淵沢の「中村キース・へリング美術館」に展示してありました。

  • バスに戻る途中には海に浮かぶ美術館の建物を美しく眺めることが出来ました。

    バスに戻る途中には海に浮かぶ美術館の建物を美しく眺めることが出来ました。

  • 出来る事ならもう1時間は見学して、ミュージアムショップも見たかったです。それにもましてキース・へリングの壺は観たかったです。

    出来る事ならもう1時間は見学して、ミュージアムショップも見たかったです。それにもましてキース・へリングの壺は観たかったです。

  • ザイード国立博物館(Zayed National Museum)」の鷹の翼のような形もきれいに見えます。完成したら大英博物館からどのような美術品が貸し出されるのか、観に来てみたい気がします。

    ザイード国立博物館(Zayed National Museum)」の鷹の翼のような形もきれいに見えます。完成したら大英博物館からどのような美術品が貸し出されるのか、観に来てみたい気がします。

  • 「チームラボフェノメナ(teamLab Phenomena)」の建物も2月の時点でほぼ完成しているようです。

    「チームラボフェノメナ(teamLab Phenomena)」の建物も2月の時点でほぼ完成しているようです。

  • 海側から眺めると真っ白い建物が青い海と空に映えます。

    海側から眺めると真っ白い建物が青い海と空に映えます。

  • 海上の橋を通過する際に「ルーブル・アブダビ(Louvre Abu Dhabi)」の建物もきれいに見渡せました。

    海上の橋を通過する際に「ルーブル・アブダビ(Louvre Abu Dhabi)」の建物もきれいに見渡せました。

  • バスはクルーズターミナルまで戻ってきました。ここでガイドさんともお別れです。

    バスはクルーズターミナルまで戻ってきました。ここでガイドさんともお別れです。

  • 既にターミナル内は閑散としています。

    既にターミナル内は閑散としています。

  • エジプトのギザとモロッコのメルズーガ大砂丘で乗ったラクダを思い出します。

    エジプトのギザとモロッコのメルズーガ大砂丘で乗ったラクダを思い出します。

  • ちょうど添乗員さんが通りがかったのでシャッターを押していただきました。数日前のバーレーンの「アルファテフグランドモスク」と同じような姿になりました。

    ちょうど添乗員さんが通りがかったのでシャッターを押していただきました。数日前のバーレーンの「アルファテフグランドモスク」と同じような姿になりました。

  • 買い物するものも無いので船に戻ります。

    買い物するものも無いので船に戻ります。

  • 乗船口からバーに直行してフローズンのカクテルをいただきます。

    乗船口からバーに直行してフローズンのカクテルをいただきます。

  • ドリンクパッケージ付きを知ってしまうと止められないですね。4カ月前のニュージーランドクルーズではお知り合いになったご夫婦にご馳走になってばかりでしたが、我が家もリッチになったものです。

    ドリンクパッケージ付きを知ってしまうと止められないですね。4カ月前のニュージーランドクルーズではお知り合いになったご夫婦にご馳走になってばかりでしたが、我が家もリッチになったものです。

  • ストロベリーマルガリータとピニャコラーダをおかわりします。

    ストロベリーマルガリータとピニャコラーダをおかわりします。

  • さらに同じものを注文して部屋に持ち帰りました。そしてバルコニーでくつろぎます。船からのプレゼントのスプマンテも開けます。

    さらに同じものを注文して部屋に持ち帰りました。そしてバルコニーでくつろぎます。船からのプレゼントのスプマンテも開けます。

  • いい気分で酔っ払いました。これだからクルーズは止められません。

    いい気分で酔っ払いました。これだからクルーズは止められません。

  • この日はバレンタインデーだったのでプロムナードの設えもピンクのハートでした。船内のショップで妻にチョコレートをプレゼントしましたが、「いらない。」と言われる始末。

    この日はバレンタインデーだったのでプロムナードの設えもピンクのハートでした。船内のショップで妻にチョコレートをプレゼントしましたが、「いらない。」と言われる始末。

  • この日は夕食前にシアターに行きました。この日はマジックショーなのでこの後は家族連れで満席になりました。

    この日は夕食前にシアターに行きました。この日はマジックショーなのでこの後は家族連れで満席になりました。

  • 演目は「CJイリュージョン」です。イリュージョンはおろかマジックさえも目の前で見たことはありませんでした。

    演目は「CJイリュージョン」です。イリュージョンはおろかマジックさえも目の前で見たことはありませんでした。

  • イリュージョンという言葉はもともと「幻想」や「錯覚」という意味がありますが、まるで幻想を見せるようなエンターテインメント性の高いマジックをイリュージョンと呼ぶようになりました。最前列でスマホも置いて凝視しましたが全く分かりませんでした。

    イリュージョンという言葉はもともと「幻想」や「錯覚」という意味がありますが、まるで幻想を見せるようなエンターテインメント性の高いマジックをイリュージョンと呼ぶようになりました。最前列でスマホも置いて凝視しましたが全く分かりませんでした。

  • プロムナードの天井でさえイリュージョンのように思えてしまいます。

    プロムナードの天井でさえイリュージョンのように思えてしまいます。

  • この日はタイミングが一緒だったので同じツアーのご夫婦と4人でテーブルを囲みました。生ビールと白ワインで乾杯です。

    この日はタイミングが一緒だったので同じツアーのご夫婦と4人でテーブルを囲みました。生ビールと白ワインで乾杯です。

  • 白身魚のクリスピーフライからスタートします。ザクザクで美味しかったです。

    白身魚のクリスピーフライからスタートします。ザクザクで美味しかったです。

  • さらにクラムチャウダーもいただきます。

    さらにクラムチャウダーもいただきます。

  • 妻はクラムチャウダーと生ハムメロン。

    妻はクラムチャウダーと生ハムメロン。

  • 捻じれたパスタのフシッリはシチリア風茄子のトマトソースです。メインですが軽めの1皿です。

    捻じれたパスタのフシッリはシチリア風茄子のトマトソースです。メインですが軽めの1皿です。

  • プライムリブのオーブンロースト。これでお腹いっぱいになりました。

    プライムリブのオーブンロースト。これでお腹いっぱいになりました。

  • 妻はアスパラとイカのリゾットと軽めです。

    妻はアスパラとイカのリゾットと軽めです。

  • 料理をたくさん摂り過ぎたので軽くアイスクリームとシャーベット。

    料理をたくさん摂り過ぎたので軽くアイスクリームとシャーベット。

  • 妻はラズベリームースケーキ。ご一緒したご夫婦は初めてのクルーズということでしたが、ペルシャ湾からスタートするのが不思議でした。普通は地中海か日本発着のクルーズだと思うのですが。同じことは旅行会社からも尋ねられたそうです。ただ、このクルーズは季節的にも一番良かったので寒い日本や地中海より選択は間違いでないと思いました。

    妻はラズベリームースケーキ。ご一緒したご夫婦は初めてのクルーズということでしたが、ペルシャ湾からスタートするのが不思議でした。普通は地中海か日本発着のクルーズだと思うのですが。同じことは旅行会社からも尋ねられたそうです。ただ、このクルーズは季節的にも一番良かったので寒い日本や地中海より選択は間違いでないと思いました。

  • 翌日の海水浴の準備をして長い1日が終わりました。

    翌日の海水浴の準備をして長い1日が終わりました。

14いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

2025アラビアクルーズ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

アラブ首長国連邦で使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
アラブ首長国連邦最安 443円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

アラブ首長国連邦の料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP