アブダビ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
「北京楼(Beijing Restaurant)」で美味しい中華中華のランチをいただいた後は今回のツアーでも楽しみにしていた「ルーブル・アブダビ(Louvre Abu Dhabi)」の観光です。パリのルーブル美術館は何度も言っていますが、うわさで聞いていたアブダビの美術館に来れるとは思いもしませんでした。2017年にフランスのマクロン大統領とアラブ首長国連邦のムハンマド・マクトゥーム副大統領とムハンマド・ナヒヤーン皇太子によって開館されました。美術館はフランス政府とアブダビ市が30年間の契約の一環として建設しています。設計者はジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)です。契約にあたり、ルーヴルの名前の使用料を30年で5億2500万米ドル支払うことになっています。ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)はパリの「アラブ世界研究所」やバルセロナの水道会社アグバールの超高層ビル、「トーレ・アグバール(Torre Agbar)」は外観だけですが見に行きました。ドーハで見てきた「カタール国立博物館(National Museum of Qatar)」のデザートローズの建築も彼の設計です。アラビア半島で最大の美術館となっており、東洋と西洋の芸術のギャップを埋める意図が表明されているように、3つの文化も歴史背景も違いながら似た美術品を陳列しているのが面白かったです。特にすごい作品が収蔵されているわけではなさそうですがその手法に魅了されます。館内では約1時間のフリータイムになりますが、アッというまにツアーの皆さんから取り残され、妻も呆れて先に行ってしまいます。時折添乗員さんが心配して見に来てくれるのがありがたかったです。ここでは2つの旅行記に分けてみます。

JTB旅物語 魅惑のアラビアクルーズ10日間(10)念願のルーブル・アブダビ美術館で文化や時代背景の違う3つの美術品を比較しながら彷徨う。

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2025/02/12 - 2025/02/12

384位(同エリア777件中)

旅行記グループ 2025アラビアクルーズ

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kojikoji

kojikojiさん

「北京楼(Beijing Restaurant)」で美味しい中華中華のランチをいただいた後は今回のツアーでも楽しみにしていた「ルーブル・アブダビ(Louvre Abu Dhabi)」の観光です。パリのルーブル美術館は何度も言っていますが、うわさで聞いていたアブダビの美術館に来れるとは思いもしませんでした。2017年にフランスのマクロン大統領とアラブ首長国連邦のムハンマド・マクトゥーム副大統領とムハンマド・ナヒヤーン皇太子によって開館されました。美術館はフランス政府とアブダビ市が30年間の契約の一環として建設しています。設計者はジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)です。契約にあたり、ルーヴルの名前の使用料を30年で5億2500万米ドル支払うことになっています。ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)はパリの「アラブ世界研究所」やバルセロナの水道会社アグバールの超高層ビル、「トーレ・アグバール(Torre Agbar)」は外観だけですが見に行きました。ドーハで見てきた「カタール国立博物館(National Museum of Qatar)」のデザートローズの建築も彼の設計です。アラビア半島で最大の美術館となっており、東洋と西洋の芸術のギャップを埋める意図が表明されているように、3つの文化も歴史背景も違いながら似た美術品を陳列しているのが面白かったです。特にすごい作品が収蔵されているわけではなさそうですがその手法に魅了されます。館内では約1時間のフリータイムになりますが、アッというまにツアーの皆さんから取り残され、妻も呆れて先に行ってしまいます。時折添乗員さんが心配して見に来てくれるのがありがたかったです。ここでは2つの旅行記に分けてみます。

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
観光バス 徒歩
航空会社
エミレーツ航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
JTB
  • 「シェイク・ザイード・モスク(Sheikh Zayed Grand Mosque)」の見学を終えたバスは「ザイード国立博物館(Zayed National Museum)」の近くを通過しました。UAEの建国の父であり初代大統領である故ザイード・ビン・スルタン・アル・ナヒヤーンの記念碑として設計されています。

    「シェイク・ザイード・モスク(Sheikh Zayed Grand Mosque)」の見学を終えたバスは「ザイード国立博物館(Zayed National Museum)」の近くを通過しました。UAEの建国の父であり初代大統領である故ザイード・ビン・スルタン・アル・ナヒヤーンの記念碑として設計されています。

  • プリツカー賞を受賞した建築家ノーマン・フォスターによって設計され、建物全体に冷気を引き込むための煙突として機能する5つの太陽熱塔があります。塔はザイードの鷹狩りへの愛情を記念して、鷹の翼のような形をしています。博物館は大英博物館と10年間の契約を結び、その宝物のうち約500点をザイード国立博物館に貸し出すようです。

    プリツカー賞を受賞した建築家ノーマン・フォスターによって設計され、建物全体に冷気を引き込むための煙突として機能する5つの太陽熱塔があります。塔はザイードの鷹狩りへの愛情を記念して、鷹の翼のような形をしています。博物館は大英博物館と10年間の契約を結び、その宝物のうち約500点をザイード国立博物館に貸し出すようです。

  • 手前のサイコロ上の白い建物は「アブラハムファミリーハウス(Abrahamic Family House)」は宗教間の対話と交換のためのコミュニティとして機能し、人間の友愛に関する文書の物理的な表現となることを目指しています。

    手前のサイコロ上の白い建物は「アブラハムファミリーハウス(Abrahamic Family House)」は宗教間の対話と交換のためのコミュニティとして機能し、人間の友愛に関する文書の物理的な表現となることを目指しています。

  • 微妙にデザインの違った3つの建物は「エミネンス・アフメド・エル・タイエブ・モスク」と「聖フランシスコ教会」と「モーゼス・ベン・マイモン・シナゴーグ」で、異なった宗教の礼拝所になっています。この建物はイスラム教の象徴的な数字である7つのアーチを持っているのでモスクだと分かります。

    微妙にデザインの違った3つの建物は「エミネンス・アフメド・エル・タイエブ・モスク」と「聖フランシスコ教会」と「モーゼス・ベン・マイモン・シナゴーグ」で、異なった宗教の礼拝所になっています。この建物はイスラム教の象徴的な数字である7つのアーチを持っているのでモスクだと分かります。

  • 「チームラボフェノメナ(teamLab Phenomena)」は名前の通りデジタルアート集団「チームラボ」の最新常設館で、この旅の2か月後にオープンしたようです。プロジェクションマッピングや光などの演出で室内空間が刻々と色相が変わることにより没入感ある鑑賞体験ができるのが特徴で、新たに開館するフェノメナは「環境現象」がコンセプトで、特異な環境下で生み出される自然現象をテーマに作品群がつくられているようです。

    「チームラボフェノメナ(teamLab Phenomena)」は名前の通りデジタルアート集団「チームラボ」の最新常設館で、この旅の2か月後にオープンしたようです。プロジェクションマッピングや光などの演出で室内空間が刻々と色相が変わることにより没入感ある鑑賞体験ができるのが特徴で、新たに開館するフェノメナは「環境現象」がコンセプトで、特異な環境下で生み出される自然現象をテーマに作品群がつくられているようです。

  • そして建設中の「グッゲンハイム・アブダビ(Guggenheim Abu Dhabi Project Site Office)」の脇も通過しました。アブダビ文化観光局が開発するサディヤット文化地区はまだまだ完成するまでに時間がかかりそうです。

    そして建設中の「グッゲンハイム・アブダビ(Guggenheim Abu Dhabi Project Site Office)」の脇も通過しました。アブダビ文化観光局が開発するサディヤット文化地区はまだまだ完成するまでに時間がかかりそうです。

  • 「ルーブル・アブダビ(Louvre Abu Dhabi)」のドーム屋根が見えてきました。

    「ルーブル・アブダビ(Louvre Abu Dhabi)」のドーム屋根が見えてきました。

  • 港に停泊しているMSCエウレリアの姿も見えます。朝食を食べているときにはこのサディヤット文化地区がきれいに見渡せたので当たり前と言えば当たり前です。

    港に停泊しているMSCエウレリアの姿も見えます。朝食を食べているときにはこのサディヤット文化地区がきれいに見渡せたので当たり前と言えば当たり前です。

  • 駐車場でバスを降りて入り口のあるフラッグポールの方へ歩きます。

    駐車場でバスを降りて入り口のあるフラッグポールの方へ歩きます。

  • 「ブラック・スターライナー(Brack Starliner)」 ザック・オヴェ(Zak Ove)<br />イギリス系トリニダード人のアーティスト、ザック・オヴェはアフリカン・ディアスポラの遺産をアフロフューチャリズムのレンズを取り入れた現代作品「ブラックライナー」を展示しています。

    「ブラック・スターライナー(Brack Starliner)」 ザック・オヴェ(Zak Ove)
    イギリス系トリニダード人のアーティスト、ザック・オヴェはアフリカン・ディアスポラの遺産をアフロフューチャリズムのレンズを取り入れた現代作品「ブラックライナー」を展示しています。

  • これは「アフリカの王と女王:権力の形態と人物」という展覧会のオープニングを飾っています。こちらは特別展のようで、我々が見学するのは常設展示です。

    これは「アフリカの王と女王:権力の形態と人物」という展覧会のオープニングを飾っています。こちらは特別展のようで、我々が見学するのは常設展示です。

  • 今回の旅ではこのように直射日光を遮るようなデザインによく出会いました。もっとも気温が40℃を越えるようでは表を歩きたくはなくなると思いますが。ここではエントランスを入ったところで約1時間のフリータイムになり自由に見学することが出来ました。

    今回の旅ではこのように直射日光を遮るようなデザインによく出会いました。もっとも気温が40℃を越えるようでは表を歩きたくはなくなると思いますが。ここではエントランスを入ったところで約1時間のフリータイムになり自由に見学することが出来ました。

  • 2007年3月にUAEとフランスの間で締結された協定に基づき、2047年までルーヴル美術館の名前を使用することが認められ、ルーヴル美術館は「フランス最大の海外文化プロジェクト」と評しているそうです。この作品はヤン・ペイメンの「モナ・リザの葬儀」というものです。

    2007年3月にUAEとフランスの間で締結された協定に基づき、2047年までルーヴル美術館の名前を使用することが認められ、ルーヴル美術館は「フランス最大の海外文化プロジェクト」と評しているそうです。この作品はヤン・ペイメンの「モナ・リザの葬儀」というものです。

  • 海の上に浮かぶような建物は鋼と鉄筋コンクリートの合計4536本の杭によって支えられています。初期のコンセプトデザイン段階でジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel )と彼のチームは博物館を「一見浮かぶドーム構造」として設計しました。全体的な効果は「オアシスのナツメヤシの葉を通過する太陽光線」を表すことを意図しています。今回の旅で見てきた建築の多くがジャン・ヌーヴェルだということに驚きました。

    海の上に浮かぶような建物は鋼と鉄筋コンクリートの合計4536本の杭によって支えられています。初期のコンセプトデザイン段階でジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel )と彼のチームは博物館を「一見浮かぶドーム構造」として設計しました。全体的な効果は「オアシスのナツメヤシの葉を通過する太陽光線」を表すことを意図しています。今回の旅で見てきた建築の多くがジャン・ヌーヴェルだということに驚きました。

  • 入口にはメキシコの折るメカ文明の巨大な玄武岩の頭部の彫刻が置かれてあります。

    入口にはメキシコの折るメカ文明の巨大な玄武岩の頭部の彫刻が置かれてあります。

  • 博物館では東洋と西洋の芸術のギャップを埋める意図が表明されていて、世界中から集められた芸術作品が展示されています。ここでは永遠不滅の光輝く金が古代より死を克服し、来世における永遠の存在を永続すr象徴として用いられました。それは文明を越えて世界各地で共通することです。

    博物館では東洋と西洋の芸術のギャップを埋める意図が表明されていて、世界中から集められた芸術作品が展示されています。ここでは永遠不滅の光輝く金が古代より死を克服し、来世における永遠の存在を永続すr象徴として用いられました。それは文明を越えて世界各地で共通することです。

  • 3つ並べられた葬儀用のマスクは1つが紀元前100年から700年のペルーに物で、1つが紀元900年から1200年頃のフィリピンのプトゥアンのもので、1つが紀元前600年から300年のレバノンからシリアに掛けてのものです。

    3つ並べられた葬儀用のマスクは1つが紀元前100年から700年のペルーに物で、1つが紀元900年から1200年頃のフィリピンのプトゥアンのもので、1つが紀元前600年から300年のレバノンからシリアに掛けてのものです。

  • この3つの異なった地域と文明ながら同じような思想や宗教観から作られたという共通性が非常に面白く感じられました。

    この3つの異なった地域と文明ながら同じような思想や宗教観から作られたという共通性が非常に面白く感じられました。

  • ここでは母性の姿が比較されています。3体の母親はそれぞれ子供を抱くという共通性のもとに母性の絆、無条件の愛、誕生の喜びを証しています。これらの像は文化を越えた太古から受け継がれた人類の本性を表しています。

    ここでは母性の姿が比較されています。3体の母親はそれぞれ子供を抱くという共通性のもとに母性の絆、無条件の愛、誕生の喜びを証しています。これらの像は文化を越えた太古から受け継がれた人類の本性を表しています。

  • 「スピリチュアルな妻」コートジボアールで1963年以前に作られたものです。

    「スピリチュアルな妻」コートジボアールで1963年以前に作られたものです。

  • 「息子ホルスに乳を与えるイシス」は紀元前800年から400年にエジプトで作られました。エジプトを旅した際はヒエログリフや神々についてかなり学びましたが、すでに記憶から多くが失われています。イシスは頭上に玉座を乗せていて、牛の角と太陽円盤はハトホル神のシンボルです。イシスとハトホルは同一視されますが、形状からもハトホル神と表記してもらいたいものです。

    「息子ホルスに乳を与えるイシス」は紀元前800年から400年にエジプトで作られました。エジプトを旅した際はヒエログリフや神々についてかなり学びましたが、すでに記憶から多くが失われています。イシスは頭上に玉座を乗せていて、牛の角と太陽円盤はハトホル神のシンボルです。イシスとハトホルは同一視されますが、形状からもハトホル神と表記してもらいたいものです。

  • 「聖母子像」1320年から1330年にフランスで造られた象牙製の像です。

    「聖母子像」1320年から1330年にフランスで造られた象牙製の像です。

  • ここまで来て青花の陶器を見るとなるほどなと思ってしまいます。比較するには一番分かりやすい例だと思います。モノや技法と同様に色彩や模様への関心も地域から地域へと拡大し、最終的には受容文化美的感覚に合わせて変容します。1403年から1425年の間に景徳鎮で造られた牡丹の皿はイタリアのヴェネツィアでは唐草が好まれ、トルコのイズニックでは蓮の花の皿になりました。

    ここまで来て青花の陶器を見るとなるほどなと思ってしまいます。比較するには一番分かりやすい例だと思います。モノや技法と同様に色彩や模様への関心も地域から地域へと拡大し、最終的には受容文化美的感覚に合わせて変容します。1403年から1425年の間に景徳鎮で造られた牡丹の皿はイタリアのヴェネツィアでは唐草が好まれ、トルコのイズニックでは蓮の花の皿になりました。

  • 「祈りの姿」では神の前に立つか跪き、両手を前に伸ばして祈りと捧げものを掲げる姿勢で表現されます。胸元で手を合わせる行為は謙虚さと瞑想、地上階と天上界との連続性を表します。言葉に表されない身振りは神への服従を物語ってもいます。

    「祈りの姿」では神の前に立つか跪き、両手を前に伸ばして祈りと捧げものを掲げる姿勢で表現されます。胸元で手を合わせる行為は謙虚さと瞑想、地上階と天上界との連続性を表します。言葉に表されない身振りは神への服従を物語ってもいます。

  • 「祈る女性の像」紀元前2800年から2500年にイラクで造られました。

    「祈る女性の像」紀元前2800年から2500年にイラクで造られました。

  • 「跪く像」は紀元前400年から300年のエジプトで造られました。

    「跪く像」は紀元前400年から300年のエジプトで造られました。

  • 「踊りの姿」も面白い比較です。時代や文明を問わず踊りの動きは本能的なものです。誰もが理解し、感じることが出来る超越的な言語と言えます。物語を伝える手段としても機能し、身体と精神を結びつけ、内なる思考や感情を開放してくれます。

    「踊りの姿」も面白い比較です。時代や文明を問わず踊りの動きは本能的なものです。誰もが理解し、感じることが出来る超越的な言語と言えます。物語を伝える手段としても機能し、身体と精神を結びつけ、内なる思考や感情を開放してくれます。

  • 「踊り手」紀元前275年から225年のリビアで造られたものです。

    「踊り手」紀元前275年から225年のリビアで造られたものです。

  • 「踊り手」700年から800年の唐時代に作られたものです。女性の髪形は手の込んだものでここでは2つの団子にまとめています。そして袖の長い衣装が魅力的です。

    「踊り手」700年から800年の唐時代に作られたものです。女性の髪形は手の込んだものでここでは2つの団子にまとめています。そして袖の長い衣装が魅力的です。

  • 「踊り手」1907年頃のフランス製のテラコッタです。

    「踊り手」1907年頃のフランス製のテラコッタです。

  • トップライトから光が差し込み、細くする照明も上手に展示品に当たっています。何よりも贅沢なスペースに展示されています。

    トップライトから光が差し込み、細くする照明も上手に展示品に当たっています。何よりも贅沢なスペースに展示されています。

  • 「二つの頭を持つ像」紀元前6500年 ヨルダンのアイン・ガザル<br />この像は人類史上最古の胸像の1つです。2人の人物が先祖を表しているのか神々を表しているのかは分かりません。この像は新石器時代のアイン・カザルで信じられていた信仰を反映しています。

    「二つの頭を持つ像」紀元前6500年 ヨルダンのアイン・ガザル
    この像は人類史上最古の胸像の1つです。2人の人物が先祖を表しているのか神々を表しているのかは分かりません。この像は新石器時代のアイン・カザルで信じられていた信仰を反映しています。

  • 「幾何学模様と動物模様の装飾が施された花瓶」は紀元前4200年から3800年にイランのス―サで造られたものです。この花瓶を見たときはかなりの衝撃を受けました。

    「幾何学模様と動物模様の装飾が施された花瓶」は紀元前4200年から3800年にイランのス―サで造られたものです。この花瓶を見たときはかなりの衝撃を受けました。

  • これは60年から70年前に母方の祖母の弟が作った「浪斯文 掛花生」という作品です。「浪斯」とはペルシャを意味します。その当時はろくなカラー写真なども無かったと思うのでどうやって倣古したのか気になります。陶哉らしくない作品なので前から気にはなっていたのですが…。面白い出会いもあります。

    これは60年から70年前に母方の祖母の弟が作った「浪斯文 掛花生」という作品です。「浪斯」とはペルシャを意味します。その当時はろくなカラー写真なども無かったと思うのでどうやって倣古したのか気になります。陶哉らしくない作品なので前から気にはなっていたのですが…。面白い出会いもあります。

  • 「幾何学模様と動物模様の鉢」紀元前4200年から3800年 イラン/ス―サ<br />スーサ様式の陶器の約2000点が墓地から回収され、そのほとんどが現在ルーヴル美術館に所蔵されているようです。

    「幾何学模様と動物模様の鉢」紀元前4200年から3800年 イラン/ス―サ
    スーサ様式の陶器の約2000点が墓地から回収され、そのほとんどが現在ルーヴル美術館に所蔵されているようです。

  • 「陶器の誕生」では紀元前1万円前に火本と中国とサハラ砂漠周辺で最初の土器が登場したと紹介されています。防水性と耐火性を備え食品の保存や調理、そして食事に用いられました。輸送が困難なため、人類が定住生活へ移行した時代と関連付けられています。ここで縄文土器を見ると日本人としては誇りに思えます。

    「陶器の誕生」では紀元前1万円前に火本と中国とサハラ砂漠周辺で最初の土器が登場したと紹介されています。防水性と耐火性を備え食品の保存や調理、そして食事に用いられました。輸送が困難なため、人類が定住生活へ移行した時代と関連付けられています。ここで縄文土器を見ると日本人としては誇りに思えます。

  • 「幾何学模様の葬祭壺」仰韶文化(ぎょうしょう)は紀元前3000年から2000年に中国で起こりました。仰韶文化は彩陶で有名で、仰韶の職人は美しい白、赤、および黒の彩陶で人面、動物、および幾何学模様を作成しました。発掘調査により子供達が彩文土器の甕に埋葬されていたことが判明しています。

    「幾何学模様の葬祭壺」仰韶文化(ぎょうしょう)は紀元前3000年から2000年に中国で起こりました。仰韶文化は彩陶で有名で、仰韶の職人は美しい白、赤、および黒の彩陶で人面、動物、および幾何学模様を作成しました。発掘調査により子供達が彩文土器の甕に埋葬されていたことが判明しています。

  • 1921年にスウェーデンの地質学者ヨハン・グンナー・アンダーソンによって河南省西部の仰韶町で発見された土器は「アンダーソン土器」と呼ばれ、発見当時はものすごく高価で取引されていましたが、その後大量に発見されたことから値段が下がったと聞いたことがあります。

    1921年にスウェーデンの地質学者ヨハン・グンナー・アンダーソンによって河南省西部の仰韶町で発見された土器は「アンダーソン土器」と呼ばれ、発見当時はものすごく高価で取引されていましたが、その後大量に発見されたことから値段が下がったと聞いたことがあります。

  • 「女性像の普及」<br />定住した人類が居住した村では豊穣が日々の関心ごとでした。世界中のほとんどの地域では胸と腰を強調した小さな女性像が作られました。家屋や墓の中から発見されたこれらの像は豊作を祈願する守護神あるいは母なる女神であったろうと考えられます。こちらはシリアのテル・アラフで発掘された紀元前6000年の放生の象徴/女性の像です。

    「女性像の普及」
    定住した人類が居住した村では豊穣が日々の関心ごとでした。世界中のほとんどの地域では胸と腰を強調した小さな女性像が作られました。家屋や墓の中から発見されたこれらの像は豊作を祈願する守護神あるいは母なる女神であったろうと考えられます。こちらはシリアのテル・アラフで発掘された紀元前6000年の放生の象徴/女性の像です。

  • こちらはエクアドルで発掘されたバルディビア文化の「豊穣の象徴としての女性像」で紀元前3000ねんぁら2000年前に作られました。

    こちらはエクアドルで発掘されたバルディビア文化の「豊穣の象徴としての女性像」で紀元前3000ねんぁら2000年前に作られました。

  • 「毛糸の衣をまとった守護女性(?)」中央アジア、オクサス文明 紀元千2300年から1700年前<br />この威厳のある小像はおそらく中央アジア神話の主神と思われます。他の表現での彼女は自然と野生の力を鎮めるかのように現れます。堂々としながらも軽やかで繊細な顔は謎めいた笑みを浮かべます。

    「毛糸の衣をまとった守護女性(?)」中央アジア、オクサス文明 紀元千2300年から1700年前
    この威厳のある小像はおそらく中央アジア神話の主神と思われます。他の表現での彼女は自然と野生の力を鎮めるかのように現れます。堂々としながらも軽やかで繊細な顔は謎めいた笑みを浮かべます。

  • 「陶板の形をした双頭の像」キプロス 紀元前2300年前から1900年<br />キプロスを旅した25年ほど前に数々の博物館に通いましたが、こんな陶板は見たことありませんでした。4トラベルにキプロスの旅をアップしたころはまだ、誰も投稿していない時代でした。<br />

    「陶板の形をした双頭の像」キプロス 紀元前2300年前から1900年
    キプロスを旅した25年ほど前に数々の博物館に通いましたが、こんな陶板は見たことありませんでした。4トラベルにキプロスの旅をアップしたころはまだ、誰も投稿していない時代でした。

  • 「女性の像」ギリシャ、シロス島 紀元前2700年から2300年<br />これはキクラデス諸島で出土された女性像です。このキクラデス文明と初めて出会ったのは50年ほど前の中学生のころでした。学校で貰った割引券を持って上野の西洋美術館に行ったことを覚えています。数年前のクルーズでアテネの国立博物館で再会した時は感激しました。

    「女性の像」ギリシャ、シロス島 紀元前2700年から2300年
    これはキクラデス諸島で出土された女性像です。このキクラデス文明と初めて出会ったのは50年ほど前の中学生のころでした。学校で貰った割引券を持って上野の西洋美術館に行ったことを覚えています。数年前のクルーズでアテネの国立博物館で再会した時は感激しました。

  • 「ラガシュの王子グデア」新シュメール王国、イラクのギルス 紀元前2120年<br />グデアの王冠を被り、両手を腰の高さに組んで祈りの姿勢で描かれています。この敬虔な統治者は南メソポタミアのラガシュ州を統治していました。オマーン半島から輸入された閃緑岩から彫られた数多くの彫像で知られています。

    「ラガシュの王子グデア」新シュメール王国、イラクのギルス 紀元前2120年
    グデアの王冠を被り、両手を腰の高さに組んで祈りの姿勢で描かれています。この敬虔な統治者は南メソポタミアのラガシュ州を統治していました。オマーン半島から輸入された閃緑岩から彫られた数多くの彫像で知られています。

  • 「祈る男性の像」イラク/シリア シュメール文明 紀元前2400年から2300年前

    「祈る男性の像」イラク/シリア シュメール文明 紀元前2400年から2300年前

  • 「バビロン王ナチ・マルタンシュの名を刻んだオベリスク」マルドゥグ・アブラ・イッディナ1世の治世、イランのス―サ、西暦1171年から1159年

    「バビロン王ナチ・マルタンシュの名を刻んだオベリスク」マルドゥグ・アブラ・イッディナ1世の治世、イランのス―サ、西暦1171年から1159年

  • 「コブラを抱く女神ネクベト」エジプト 紀元前1391年から1353年<br />コブラは下エジプトの女神を表しています。コブラは太陽円盤と牛の角を頭部につけて太陽神ラーの娘ハトホル女神と同一視される女神ネクベトのようです。

    「コブラを抱く女神ネクベト」エジプト 紀元前1391年から1353年
    コブラは下エジプトの女神を表しています。コブラは太陽円盤と牛の角を頭部につけて太陽神ラーの娘ハトホル女神と同一視される女神ネクベトのようです。

  • 「テーベの三神のための音楽儀式」エジプト 紀元前1550年から1069年<br />

    「テーベの三神のための音楽儀式」エジプト 紀元前1550年から1069年

  • 「シストラム」エジプト 紀元前664年から332年<br />シストラムは打楽器に属する楽器で、古代エジプト人が用いていたことで知られています。持ち手と真鍮あるいは青銅製の幅30センチから76センチの幅のU字型の金属の枠で出来ていて、枠は金属のリングを通したスライド式の金属の横木を支えています。シストラムを振ると動く横木に取り付けられた薄い金属製のリングや輪が小さなカチャカチャした音や大きな金属音まで様々な音を出すようです。。

    「シストラム」エジプト 紀元前664年から332年
    シストラムは打楽器に属する楽器で、古代エジプト人が用いていたことで知られています。持ち手と真鍮あるいは青銅製の幅30センチから76センチの幅のU字型の金属の枠で出来ていて、枠は金属のリングを通したスライド式の金属の横木を支えています。シストラムを振ると動く横木に取り付けられた薄い金属製のリングや輪が小さなカチャカチャした音や大きな金属音まで様々な音を出すようです。。

  • 「帝国を征服する馬と騎手」<br />他の家畜動物より遅く飼いならされた馬は瞬く間に地位を獲得しました。馬に跨り他の人間より高い地位を得た騎手は初期の首長たちの貴族的地位を体現するようになりました。紀元前1300年頃にアッシリア人は最初の騎兵隊を創設し、戦争の在り方を変革しました。歩兵と戦車と組み合わせることで、彼らの軍隊はほぼ無敵でした。

    「帝国を征服する馬と騎手」
    他の家畜動物より遅く飼いならされた馬は瞬く間に地位を獲得しました。馬に跨り他の人間より高い地位を得た騎手は初期の首長たちの貴族的地位を体現するようになりました。紀元前1300年頃にアッシリア人は最初の騎兵隊を創設し、戦争の在り方を変革しました。歩兵と戦車と組み合わせることで、彼らの軍隊はほぼ無敵でした。

  • 「ギリシャ文明の戦車を描いた花瓶」キプロス、ラルナカ紀元前1300年から1100年<br />

    「ギリシャ文明の戦車を描いた花瓶」キプロス、ラルナカ紀元前1300年から1100年

  • 「騎馬像」キプロス、カストゥラ 紀元前700年から600年

    「騎馬像」キプロス、カストゥラ 紀元前700年から600年

  • 「鹿狩りの場面を描いた浅浮彫り」新ヒッタイト トルコのマラティヤ紀元前900年から800年

    「鹿狩りの場面を描いた浅浮彫り」新ヒッタイト トルコのマラティヤ紀元前900年から800年

  • 「中国王室の儀式用青銅器」<br />青銅器は中国の王権が主催する宗教儀式の中心でした。これらの祭器は所有者の地位いと権力を象徴し、他の貴重な品々と共に墓に埋葬されました。これらは紀元前2000年から1000年に掛けて商王朝と周王朝の青銅鋳造職人たちの技術と創造性を物語っています。「鬲(れき)」は一対の把手(耳)と3本の足が付く器で、脚は袋状をしています。用途は「鼎」と同様に穀物や肉の煮炊きや湯を沸かすのに用いられたと推定されます。商王朝の降機紀元前1200年から1100年に造られました。

    「中国王室の儀式用青銅器」
    青銅器は中国の王権が主催する宗教儀式の中心でした。これらの祭器は所有者の地位いと権力を象徴し、他の貴重な品々と共に墓に埋葬されました。これらは紀元前2000年から1000年に掛けて商王朝と周王朝の青銅鋳造職人たちの技術と創造性を物語っています。「鬲(れき)」は一対の把手(耳)と3本の足が付く器で、脚は袋状をしています。用途は「鼎」と同様に穀物や肉の煮炊きや湯を沸かすのに用いられたと推定されます。商王朝の降機紀元前1200年から1100年に造られました。

  • 「鼎(てい)」中国の二里港文化 紀元前1450年から1200年<br />一対の把手と3本の足が付いた鍋で、主に動物の肉を煮てスープを作るための器で、器形は新石器時代の陶器に遡ります。商・周時代を通じて多量に制作され、宗廟に安置する大型のものもあります。祭祀の中で重要視される器ですが、西周時代には「禹の九鼎」の伝承のように所有者の権威や身分を象徴する器となり、他の礼器が衰退する中で長く後世まで残りました。ここには展示されていませんでしたが、位を意味する「爵」も古代中国の青銅器の名前です。

    「鼎(てい)」中国の二里港文化 紀元前1450年から1200年
    一対の把手と3本の足が付いた鍋で、主に動物の肉を煮てスープを作るための器で、器形は新石器時代の陶器に遡ります。商・周時代を通じて多量に制作され、宗廟に安置する大型のものもあります。祭祀の中で重要視される器ですが、西周時代には「禹の九鼎」の伝承のように所有者の権威や身分を象徴する器となり、他の礼器が衰退する中で長く後世まで残りました。ここには展示されていませんでしたが、位を意味する「爵」も古代中国の青銅器の名前です。

  • 「觚(こ)」中国の二里港文化 紀元前1450年から1200年<br />「觚(こ)」は「爵(しゃく)」とセットで用いられた祭祀用の飲酒器です。商代前期に出現しましたが、そのうちに爵と必ずセットを成すようになり、商代後期に最も盛行しました。下半分は上げ底で、外反した部分が足で、上方に向かってラッパ形の口が大きく開いています。

    「觚(こ)」中国の二里港文化 紀元前1450年から1200年
    「觚(こ)」は「爵(しゃく)」とセットで用いられた祭祀用の飲酒器です。商代前期に出現しましたが、そのうちに爵と必ずセットを成すようになり、商代後期に最も盛行しました。下半分は上げ底で、外反した部分が足で、上方に向かってラッパ形の口が大きく開いています。

  • 「方壺(ほうこ)」中国の西周時代 紀元前1050年から771年<br />殷後期から造られて西周後半から作例が増加し、盛酒器の主要器種となって戦国時代まで引き続き作られました。胴部が張り、口部が狭く、頸部が長く、双耳と蓋を伴うものが多いのですが、この収蔵品委は蓋はありません。これらの酒器に飾られた文様の多くが饕餮文(とうてつもん)でした。饕餮とは中国神話に登場する妖怪で、饕餮の「饕」は財産をむさぼる、「餮」は食物をむさぼるの意味があり、どちらの字もむさぼり食うという意味から、何でも食い尽くす魔獣として描かれています。古典書に描かれた悪神は四凶(しきょう)といわれ、その1匹が人を困らせ悪事を働く饕餮でした。ほかに混沌(こんとん)、窮奇(きゅうき)、梼杌(とうこつ)がおり、ともに平和を乱し人を食らう伝説上の魔獣たちでしたが、五帝の1人である舜帝に敗れてからは安泰の世を創る霊獣と変化します。

    「方壺(ほうこ)」中国の西周時代 紀元前1050年から771年
    殷後期から造られて西周後半から作例が増加し、盛酒器の主要器種となって戦国時代まで引き続き作られました。胴部が張り、口部が狭く、頸部が長く、双耳と蓋を伴うものが多いのですが、この収蔵品委は蓋はありません。これらの酒器に飾られた文様の多くが饕餮文(とうてつもん)でした。饕餮とは中国神話に登場する妖怪で、饕餮の「饕」は財産をむさぼる、「餮」は食物をむさぼるの意味があり、どちらの字もむさぼり食うという意味から、何でも食い尽くす魔獣として描かれています。古典書に描かれた悪神は四凶(しきょう)といわれ、その1匹が人を困らせ悪事を働く饕餮でした。ほかに混沌(こんとん)、窮奇(きゅうき)、梼杌(とうこつ)がおり、ともに平和を乱し人を食らう伝説上の魔獣たちでしたが、五帝の1人である舜帝に敗れてからは安泰の世を創る霊獣と変化します。

  • 「ラムセス2世座像」エジプト文明、タニス出土 紀元前1279年から1213年<br />ラムセス2世はファラオとしての役割にふさわしい伝統的な姿勢で描かれています。玉座には彼の名が刻まれた碑文で覆われています。

    「ラムセス2世座像」エジプト文明、タニス出土 紀元前1279年から1213年
    ラムセス2世はファラオとしての役割にふさわしい伝統的な姿勢で描かれています。玉座には彼の名が刻まれた碑文で覆われています。

  • 額の中央から頭にかけてウラエウス・コブラを戴いたネメス頭巾を被り、顎髭をつけ、襞の着いた王の腰布であるシェンディトを身につけています。両手はまっすぐに膝の上に置いています。

    額の中央から頭にかけてウラエウス・コブラを戴いたネメス頭巾を被り、顎髭をつけ、襞の着いた王の腰布であるシェンディトを身につけています。両手はまっすぐに膝の上に置いています。

  • 「エジプト、ナイル川の贈り物」<br />ギリシャの歴史家ヘロドトスが書き残したようにナイル川はエジプト文明にとって根源的な重要性を持っていました。川には豊富な魚が生息し、重要な食糧源になっていました。

    「エジプト、ナイル川の贈り物」
    ギリシャの歴史家ヘロドトスが書き残したようにナイル川はエジプト文明にとって根源的な重要性を持っていました。川には豊富な魚が生息し、重要な食糧源になっていました。

  • デルタ地帯には野生動物が生息し、毎年の洪水によって堆積する肥沃なと土は豊かな農作物を育みました。生者だけではなく神々や支社にとってもナイル川は重要な交通手段でもありました。

    デルタ地帯には野生動物が生息し、毎年の洪水によって堆積する肥沃なと土は豊かな農作物を育みました。生者だけではなく神々や支社にとってもナイル川は重要な交通手段でもありました。

  • 「葬送船と乗組員の模型」エジプト文明、メイアの工房 紀元前1991年から1785年<br />この模型は数多く遺されており、カイロの「カイロ考古学博物館」にもいくつも収蔵されていました。4000年前の生活がリアルに感じられて感動したのを思い出しました。<br />カイロ考古学博物館:https://4travel.jp/travelogue/11445234

    「葬送船と乗組員の模型」エジプト文明、メイアの工房 紀元前1991年から1785年
    この模型は数多く遺されており、カイロの「カイロ考古学博物館」にもいくつも収蔵されていました。4000年前の生活がリアルに感じられて感動したのを思い出しました。
    カイロ考古学博物館:https://4travel.jp/travelogue/11445234

  • 「カバ、葬祭用の置物」エジプト 紀元前1850年頃<br />背中に4本の蓮の花を描いたカバはエジプトで墓の副葬品として死者の魔よけの意味合いある置物でした。<br />

    「カバ、葬祭用の置物」エジプト 紀元前1850年頃
    背中に4本の蓮の花を描いたカバはエジプトで墓の副葬品として死者の魔よけの意味合いある置物でした。

  • 「ホイの名前が刻まれたピラミディオン」エジプト文明 紀元前1335年から1295年<br />新王国時代の特徴であるピラミッドはレンガで建てられた特定のピラミッド型の埋葬室の冠石でした。このピラミディオンはおそらく王家の谷にある王家の墓で働いた職人のデイル・エル・メディナ村から来ています。故人であるホイはここではピラミディオンの4つの面に描かれており、崇拝のために両手を上げてひざまずいています。

    「ホイの名前が刻まれたピラミディオン」エジプト文明 紀元前1335年から1295年
    新王国時代の特徴であるピラミッドはレンガで建てられた特定のピラミッド型の埋葬室の冠石でした。このピラミディオンはおそらく王家の谷にある王家の墓で働いた職人のデイル・エル・メディナ村から来ています。故人であるホイはここではピラミディオンの4つの面に描かれており、崇拝のために両手を上げてひざまずいています。

  • 「ファラオ・セティ1世の葬祭係」エジプト文明 紀元前1290年頃<br />青い象はほんの少し前に造られたかのように輝いています。<br />

    「ファラオ・セティ1世の葬祭係」エジプト文明 紀元前1290年頃
    青い象はほんの少し前に造られたかのように輝いています。

  • 「ウシャブティ:召使いの像」エジプト文明 紀元前570年から332年

    「ウシャブティ:召使いの像」エジプト文明 紀元前570年から332年

  • 「プサムティク1世将軍の内臓を納めたカノプス壺」エジプト文明 紀元前664年から525年<br />古代エジプトにおいてミイラを作る際に魂が宿るとされていた心臓を除き、特に重要と考えられていた臓器を取り出し、保存するために使われていました。蓋にはオシリス神やその子供たちなどが彫られています。ホルスの4人の息子である「イムセティ」は人間の姿をしており、肝臓を守る神とされていました。「ハピ」はヒヒの姿をしており、肺を守る神でした。「ドゥアムトエフ」は山犬の姿をしており、胃を守る神です。「ケベフセヌエフ」は隼の姿をしており、腸を守りました。

    「プサムティク1世将軍の内臓を納めたカノプス壺」エジプト文明 紀元前664年から525年
    古代エジプトにおいてミイラを作る際に魂が宿るとされていた心臓を除き、特に重要と考えられていた臓器を取り出し、保存するために使われていました。蓋にはオシリス神やその子供たちなどが彫られています。ホルスの4人の息子である「イムセティ」は人間の姿をしており、肝臓を守る神とされていました。「ハピ」はヒヒの姿をしており、肺を守る神でした。「ドゥアムトエフ」は山犬の姿をしており、胃を守る神です。「ケベフセヌエフ」は隼の姿をしており、腸を守りました。

  • 「宰相レクミールの墓の扉」エジプト文明 紀元前1479年から1425年<br />花崗岩で造られた墓の入り口の扉です。ロンドンの「大英博物館」で同じような扉を見たことがあります。<br />大英博物館:https://4travel.jp/travelogue/11049039

    「宰相レクミールの墓の扉」エジプト文明 紀元前1479年から1425年
    花崗岩で造られた墓の入り口の扉です。ロンドンの「大英博物館」で同じような扉を見たことがあります。
    大英博物館:https://4travel.jp/travelogue/11049039

  • 「ヘヌタウィの棺」エジプト文明 紀元前950年から900年<br />ファラオであるシェションクの娘ヘヌタウィは来世でも生きることを確実にするために特別な棺に埋葬されました。<br />

    「ヘヌタウィの棺」エジプト文明 紀元前950年から900年
    ファラオであるシェションクの娘ヘヌタウィは来世でも生きることを確実にするために特別な棺に埋葬されました。

  • 碑文と黄金のマスクと豪華な絵画装飾は全て王女の来世を願う物理的および象徴的なものを感じます。木棺の足元には「生命」あるいは「生きること」を意味する言葉アンクを意味する図柄が連続して描かれています。アンクは現世(此岸)と来世(彼岸)の間にある「境界」を無事に超えるための通行証で、アンクの力を信じる者は一度だけ生き返ることができると信じられていました。

    碑文と黄金のマスクと豪華な絵画装飾は全て王女の来世を願う物理的および象徴的なものを感じます。木棺の足元には「生命」あるいは「生きること」を意味する言葉アンクを意味する図柄が連続して描かれています。アンクは現世(此岸)と来世(彼岸)の間にある「境界」を無事に超えるための通行証で、アンクの力を信じる者は一度だけ生き返ることができると信じられていました。

  • 「東と西の間に」<br />紀元前10世紀以降、ギリシャ世界と近東の人々の間には新たな活発な交流の曲面が訪れました。これらの交流は地中海沿岸における芸術形態の伝播と刷新を促しました。方法との接触後、ギリシャ美術は幾何学的な様式から離れ、具象表現を取り入れるようになりました。

    「東と西の間に」
    紀元前10世紀以降、ギリシャ世界と近東の人々の間には新たな活発な交流の曲面が訪れました。これらの交流は地中海沿岸における芸術形態の伝播と刷新を促しました。方法との接触後、ギリシャ美術は幾何学的な様式から離れ、具象表現を取り入れるようになりました。

  • 「スフィンクス」ギリシャ文明 紀元前600年から500年<br />スフィンクスはエジプト神話やギリシア神話、メソポタミア神話などに登場するライオンの身体と人間の顔を持った神聖な存在あるいは怪物を指します。動物の体と人間の頭部は紀元前6世紀のギリシャ美術における人間像の台頭を表現しているようです。<br />

    「スフィンクス」ギリシャ文明 紀元前600年から500年
    スフィンクスはエジプト神話やギリシア神話、メソポタミア神話などに登場するライオンの身体と人間の顔を持った神聖な存在あるいは怪物を指します。動物の体と人間の頭部は紀元前6世紀のギリシャ美術における人間像の台頭を表現しているようです。

  • 「戦士を描いたアンフォラ」ギリシャ、アテネ 紀元前550年から525年<br />赤像式陶器は古代ギリシア陶器の一様式で赤絵式陶器ともいいます。絵の部分を明赤褐色の素地のままに残し周囲を黒く塗りつぶして、絵の内部の線を細い筆で描いて抑揚をつけて仕上げます。この新技法は紀元前530年から520年頃に現れ、それまでの黒像式陶器に比べて非常に自由で豊かな表現力を有する描法で、黒像式に代わって隆盛しパルテノンの時代にかけて頂点に達しました。<br />

    「戦士を描いたアンフォラ」ギリシャ、アテネ 紀元前550年から525年
    赤像式陶器は古代ギリシア陶器の一様式で赤絵式陶器ともいいます。絵の部分を明赤褐色の素地のままに残し周囲を黒く塗りつぶして、絵の内部の線を細い筆で描いて抑揚をつけて仕上げます。この新技法は紀元前530年から520年頃に現れ、それまでの黒像式陶器に比べて非常に自由で豊かな表現力を有する描法で、黒像式に代わって隆盛しパルテノンの時代にかけて頂点に達しました。

  • 「軍用ヘルメット」ギリシャ文明 紀元前550年<br />このタイプのカブトを初めて見たのはクレタ島の「イラクリオン考古学博物館」でした。丸みを帯びた特徴的なプロファイルにアーモンド型のアイホール、まっすぐなノーズガードを備えたこのヘルメットは、ギリシャのアルカイック時代の軍事的美学を代表しています。それは紀元前700年から徐々に騎兵に取って代わるようになった重装歩兵の装備の一部でした。

    「軍用ヘルメット」ギリシャ文明 紀元前550年
    このタイプのカブトを初めて見たのはクレタ島の「イラクリオン考古学博物館」でした。丸みを帯びた特徴的なプロファイルにアーモンド型のアイホール、まっすぐなノーズガードを備えたこのヘルメットは、ギリシャのアルカイック時代の軍事的美学を代表しています。それは紀元前700年から徐々に騎兵に取って代わるようになった重装歩兵の装備の一部でした。

  • 「モチェ文明の囚人男の壺」モチェ文化、ペルー 紀元前100年から紀元100年<br />

    「モチェ文明の囚人男の壺」モチェ文化、ペルー 紀元前100年から紀元100年

  • 「ネメアの獅子と戦うヘラクレス」アテネ 紀元前520年<br />ヘラクレスの「十二の功業」の中の1つであるネメアの獅子と戦う姿が描かれています。ネメアの獅子は刃物を通さない強靭な皮を持っており、矢を撃っても傷一つつきませんでした。ヘラクレスは棍棒で殴って悶絶させ、洞窟へと追い込みました。そこで洞窟の入り口を大岩で塞いで逃げられないようにし、3日間の格闘の末に絞め殺しました。

    「ネメアの獅子と戦うヘラクレス」アテネ 紀元前520年
    ヘラクレスの「十二の功業」の中の1つであるネメアの獅子と戦う姿が描かれています。ネメアの獅子は刃物を通さない強靭な皮を持っており、矢を撃っても傷一つつきませんでした。ヘラクレスは棍棒で殴って悶絶させ、洞窟へと追い込みました。そこで洞窟の入り口を大岩で塞いで逃げられないようにし、3日間の格闘の末に絞め殺しました。

  • 「植物の装飾が施された花瓶」ローマ帝国のエジプト 紀元100年

    「植物の装飾が施された花瓶」ローマ帝国のエジプト 紀元100年

  • 「アテネの守護女神アテナ」イタリア 紀元前100年から紀元100年<br />ギリシャ美術の神髄である紀元前5世紀の古店長国は西洋美術史の転換点となりました。この決定的な瞬間は文学や哲学、そして芸術の発展を奨励した民主的な政治体制の恩恵を受けたアテネで起こりました。

    「アテネの守護女神アテナ」イタリア 紀元前100年から紀元100年
    ギリシャ美術の神髄である紀元前5世紀の古店長国は西洋美術史の転換点となりました。この決定的な瞬間は文学や哲学、そして芸術の発展を奨励した民主的な政治体制の恩恵を受けたアテネで起こりました。

  • 初めは人物描写があらゆる研究の中心となりました。写実性と理想的な美を探求する芸術家たちはブロンズや大理石に命を吹き込むために、ますます高度な創意工夫を凝らし、互いに競い合いました。

    初めは人物描写があらゆる研究の中心となりました。写実性と理想的な美を探求する芸術家たちはブロンズや大理石に命を吹き込むために、ますます高度な創意工夫を凝らし、互いに競い合いました。

  • 「クレタ島の王女アリアドネ」ローマ帝国 紀元100年から200年<br />クレタ王ミノスは息子アンドロゲオスがアッティカで殺されたため、アテナイを攻めました。こうしてアテナイは9年ごとに7人の少女と7人の少年をミノタウロスの生贄としてクレタに差し出すことになりました。テセウスはこの7人の1人としてクレタ島に入ります。アリアドネはギリシャ神話に登場するミノスと妃パーシパエの娘です。テセウスがクレタ島のクノッソスの迷宮より脱出する手助けをしたことで知られます。<br />

    「クレタ島の王女アリアドネ」ローマ帝国 紀元100年から200年
    クレタ王ミノスは息子アンドロゲオスがアッティカで殺されたため、アテナイを攻めました。こうしてアテナイは9年ごとに7人の少女と7人の少年をミノタウロスの生贄としてクレタに差し出すことになりました。テセウスはこの7人の1人としてクレタ島に入ります。アリアドネはギリシャ神話に登場するミノスと妃パーシパエの娘です。テセウスがクレタ島のクノッソスの迷宮より脱出する手助けをしたことで知られます。

  • 「跪く人物の燭台」中国、戦国時代 紀元前475年から221年<br />四角い帽子に左右対称の髪形とベルトで締めた長い官服は儒教の慣習を尊重している証です。

    「跪く人物の燭台」中国、戦国時代 紀元前475年から221年
    四角い帽子に左右対称の髪形とベルトで締めた長い官服は儒教の慣習を尊重している証です。

  • 「仏頭」パキスタン、クシャーン帝国 西暦100年から300年<br />クシャーナ朝は中央アジアから北インドにかけて1世紀から3世紀頃まで栄えたイラン系の王朝です。カニシカ王の治世時に厚く仏教を保護したため、仏教芸術が発達しました。プルシャプラを中心とするガンダーラで興ったため、ガンダーラ美術と呼ばれます。

    「仏頭」パキスタン、クシャーン帝国 西暦100年から300年
    クシャーナ朝は中央アジアから北インドにかけて1世紀から3世紀頃まで栄えたイラン系の王朝です。カニシカ王の治世時に厚く仏教を保護したため、仏教芸術が発達しました。プルシャプラを中心とするガンダーラで興ったため、ガンダーラ美術と呼ばれます。

  • 「人間の顔の形をした花瓶」マヤ文明、グアテマラ 紀元前300年から紀元100年<br />「文化の形成」<br />人類史における同時期の紀元前5世紀頃に複数の文明に置いて人物表現に関する特定の芸術規範が確立されました。

    「人間の顔の形をした花瓶」マヤ文明、グアテマラ 紀元前300年から紀元100年
    「文化の形成」
    人類史における同時期の紀元前5世紀頃に複数の文明に置いて人物表現に関する特定の芸術規範が確立されました。

  • 「男の頭」ノック文明、ナイジェリア 紀元前500年から100年<br />共通の発展はサハラ以南のアフリカではノク文化、中央アメリカではオルメカ文化、地中海沿岸ではギリシャ文明によって起こりました。

    「男の頭」ノック文明、ナイジェリア 紀元前500年から100年
    共通の発展はサハラ以南のアフリカではノク文化、中央アメリカではオルメカ文化、地中海沿岸ではギリシャ文明によって起こりました。

  • 「若い男の頭」ギリシャ・ローマ文明 エトルリア、イタリア 紀元前300年から200年

    「若い男の頭」ギリシャ・ローマ文明 エトルリア、イタリア 紀元前300年から200年

  • 「フェニキアの石棺の蓋」フェニキア時代のレバノン 紀元前450年から400年<br />フェニキア人はその質の高さで知られ、紀元前525年にカンビュセス大王がエジプトを征服した際にペルシャ軍に加わりました。そこでフェニキア人はエジプトの石棺を模倣し、故郷のティロスとアルワドで大量に生産されました。時が経つにつれて石棺の装飾はギリシャ美術に影響を及ぼしました。

    「フェニキアの石棺の蓋」フェニキア時代のレバノン 紀元前450年から400年
    フェニキア人はその質の高さで知られ、紀元前525年にカンビュセス大王がエジプトを征服した際にペルシャ軍に加わりました。そこでフェニキア人はエジプトの石棺を模倣し、故郷のティロスとアルワドで大量に生産されました。時が経つにつれて石棺の装飾はギリシャ美術に影響を及ぼしました。

  • 葬祭用の像は故人を象徴するもので、墓の横に置かれました。これらの石碑では故人が右手を上げて手のひらを前に向けて祈っています。

    葬祭用の像は故人を象徴するもので、墓の横に置かれました。これらの石碑では故人が右手を上げて手のひらを前に向けて祈っています。

  • 図像はバーレーンのティロス時代の特徴であるヘレニズム(チュニック)と髪形はパルティアの影響を受けています。

    図像はバーレーンのティロス時代の特徴であるヘレニズム(チュニック)と髪形はパルティアの影響を受けています。

  • 「奉納碑」ポエニ文明、アルジェリア<br />ポエニとはラテン語でフェニキア人を意味します。これは昨年6月に行ったチュニジアのカルタゴでいろいろ学びました。

    「奉納碑」ポエニ文明、アルジェリア
    ポエニとはラテン語でフェニキア人を意味します。これは昨年6月に行ったチュニジアのカルタゴでいろいろ学びました。

  • 同じような石碑はカルタゴやチュニスの「バルドー美術館」でもたくさん見ることが出来ました。描かれた人物は女神タニト(Tanit)の姿のように思えました。<br />カルタゴ:https://4travel.jp/travelogue/11938481

    同じような石碑はカルタゴやチュニスの「バルドー美術館」でもたくさん見ることが出来ました。描かれた人物は女神タニト(Tanit)の姿のように思えました。
    カルタゴ:https://4travel.jp/travelogue/11938481

  • 「クレオパトラ7世の頭部」プトレマイオス朝、エジプト 紀元前51年から30年<br />一般的に「クレオパトラ」と言えば彼女を指すことが多く、プトレマイオス朝の最後の女王で、ガイウス・ユリウス・カエサルやマルクス・アントニウスらとのロマンスで知られます。王朝自体がアレクサンドロス3世の部下プトレマイオス1世による支配から始まったため、クレオパトラもギリシア系の人物です。

    「クレオパトラ7世の頭部」プトレマイオス朝、エジプト 紀元前51年から30年
    一般的に「クレオパトラ」と言えば彼女を指すことが多く、プトレマイオス朝の最後の女王で、ガイウス・ユリウス・カエサルやマルクス・アントニウスらとのロマンスで知られます。王朝自体がアレクサンドロス3世の部下プトレマイオス1世による支配から始まったため、クレオパトラもギリシア系の人物です。

  • 「カップを持った男性の墓碑」ローマ帝国、エジプト、アンティノポリ 西暦225年から250年

    「カップを持った男性の墓碑」ローマ帝国、エジプト、アンティノポリ 西暦225年から250年

  • 「籠を運ぶ若い女性のフレスコ」ローマ帝国、イタリア 175年から200年<br />「古代世界の絵画」<br />ローマ時代の壁画には建築要素、風景、日常生活、あるいは神話の場面などが描かれ、ローマの都市やタウンハウスの室内を飾っていました。

    「籠を運ぶ若い女性のフレスコ」ローマ帝国、イタリア 175年から200年
    「古代世界の絵画」
    ローマ時代の壁画には建築要素、風景、日常生活、あるいは神話の場面などが描かれ、ローマの都市やタウンハウスの室内を飾っていました。

  • 「ローマ世界での生活芸術」<br />ローマ皇帝アウグストゥスの治世は、ほぼ2世紀に渡る平和と繁栄の時代をもたらしました。大西洋岸からユーフラテス川の岸辺に至るまでローマは広大な領土を自ら統治しました。

    「ローマ世界での生活芸術」
    ローマ皇帝アウグストゥスの治世は、ほぼ2世紀に渡る平和と繁栄の時代をもたらしました。大西洋岸からユーフラテス川の岸辺に至るまでローマは広大な領土を自ら統治しました。

  • そこでは言語や信仰や習慣が異なる人々が住んでいましたが、言語や文化を強要しました。これらの地でローマ化された上流階級は概ね共通の生活様式を享受し、それは特に家庭生活に反映されていました。

    そこでは言語や信仰や習慣が異なる人々が住んでいましたが、言語や文化を強要しました。これらの地でローマ化された上流階級は概ね共通の生活様式を享受し、それは特に家庭生活に反映されていました。

  • 豪華な装飾と家具で飾られた私邸の建設では銀食器やガラス食器への嗜好の発達もそれを引き立てました。ここに展示されているのは「四季のモザイク」というものでローマ帝国下のフランスのサン・ロマン・アル・ガルで発掘されました。

    豪華な装飾と家具で飾られた私邸の建設では銀食器やガラス食器への嗜好の発達もそれを引き立てました。ここに展示されているのは「四季のモザイク」というものでローマ帝国下のフランスのサン・ロマン・アル・ガルで発掘されました。

  • 質の良いローマンガラスも展示してあります。紀元前4世紀より着実に領土を拡大してきたローマは、三頭政治を経てついに紀元前27年に帝政の時代に入りました。ヘレニズム時代の主要なガラス産地であるシリアやエジプトは、紀元前1世紀にローマ帝国の支配下に相次いで入ったことからローマガラスはローマ帝国という基盤の上に発展したと言えます。

    質の良いローマンガラスも展示してあります。紀元前4世紀より着実に領土を拡大してきたローマは、三頭政治を経てついに紀元前27年に帝政の時代に入りました。ヘレニズム時代の主要なガラス産地であるシリアやエジプトは、紀元前1世紀にローマ帝国の支配下に相次いで入ったことからローマガラスはローマ帝国という基盤の上に発展したと言えます。

  • 「世界帝国となった漢王朝」<br />西暦206年から220年の漢王朝は中国史における重要な転換期であり、国家の政治や経済、社会や文化の基盤が築かれました。優れた知識を持つ官僚機構を持った漢帝国は広大な地域を支配下に置きました。

    「世界帝国となった漢王朝」
    西暦206年から220年の漢王朝は中国史における重要な転換期であり、国家の政治や経済、社会や文化の基盤が築かれました。優れた知識を持つ官僚機構を持った漢帝国は広大な地域を支配下に置きました。

  • 「望楼の模型」漢時代 西暦25年から220年<br />当時の豪族の館の角にあった望楼を兼ねた塔を形づくったもので、副葬品としてはかなりの大きさで迫力があります。

    「望楼の模型」漢時代 西暦25年から220年
    当時の豪族の館の角にあった望楼を兼ねた塔を形づくったもので、副葬品としてはかなりの大きさで迫力があります。

  • 「前漢時代の侍従の像」紀元前200年から100年<br />当時の風俗や衣装が手に取るように分かります。<br />

    「前漢時代の侍従の像」紀元前200年から100年
    当時の風俗や衣装が手に取るように分かります。

  • 「ティオティワカンの文化」<br />黄土に組織化された階層社会であったティオティワカン文化はメゾアメリカにおける最初の、そして最大の勢力としての地位を確立しました。

    「ティオティワカンの文化」
    黄土に組織化された階層社会であったティオティワカン文化はメゾアメリカにおける最初の、そして最大の勢力としての地位を確立しました。

  • 「劇場型香炉」ティオティワカン文化、メキシコ 西暦0年から650年<br />

    「劇場型香炉」ティオティワカン文化、メキシコ 西暦0年から650年

  • 「マスク」ティオティワカン文化、メキシコ 西暦200年から900年

    「マスク」ティオティワカン文化、メキシコ 西暦200年から900年

  • 「中央アジアの文化」<br />ローマ帝国の国境を越えて、ガンダーラ地方は重要な仏教の中心地となりました。地元の日後によって強化された仏教は、社会の文化、芸術そして宗教の領域を支配しました。主要都市には仏塔や僧院が建立され、巡礼や礼拝の聖地となりました。

    「中央アジアの文化」
    ローマ帝国の国境を越えて、ガンダーラ地方は重要な仏教の中心地となりました。地元の日後によって強化された仏教は、社会の文化、芸術そして宗教の領域を支配しました。主要都市には仏塔や僧院が建立され、巡礼や礼拝の聖地となりました。

  • 「仏塔の形をした仏舎利箱」クシャーン帝国、パキスタン、ガンダーラ 西暦20年から30年<br />

    「仏塔の形をした仏舎利箱」クシャーン帝国、パキスタン、ガンダーラ 西暦20年から30年

  • 「ミトラス神が雄牛を生贄にするレリーフ」 イタリア 西暦100年から200年<br />ミトラス教は古代のインド・イランに共通するミスラ神(ミトラ)の信仰であったものが、ヘレニズムの文化交流によって地中海世界に入った後に形を変えたものと考えられます。 紀元前1世紀には牡牛を屠るミトラス神が地中海世界に現れ、紀元後2世紀までにはミトラ教としてよく知られる密儀宗教となりました。

    「ミトラス神が雄牛を生贄にするレリーフ」 イタリア 西暦100年から200年
    ミトラス教は古代のインド・イランに共通するミスラ神(ミトラ)の信仰であったものが、ヘレニズムの文化交流によって地中海世界に入った後に形を変えたものと考えられます。 紀元前1世紀には牡牛を屠るミトラス神が地中海世界に現れ、紀元後2世紀までにはミトラ教としてよく知られる密儀宗教となりました。

  • 「ユダヤ教のシンボルのレリーフ」ウム・ケイス、ヨルダン 西暦300年から600年<br />メノーラーは燭台と訳され、7枝ですが、厳密には中央の1本は枝ではないので6枝のものをいいます。<br />

    「ユダヤ教のシンボルのレリーフ」ウム・ケイス、ヨルダン 西暦300年から600年
    メノーラーは燭台と訳され、7枝ですが、厳密には中央の1本は枝ではないので6枝のものをいいます。

  • 「弥勒菩薩」マッラ王朝、ネパール 西暦1100年から1200年<br />腰を揺らす姿勢をとるこの伝統的なネパールの立像は、未来の仏陀である弥勒菩薩です。昨年9月に行ったカトマンズで勉強したことが役に立ちます。<br />カトマンズ・バタン王宮博物館:https://4travel.jp/travelogue/11946984

    「弥勒菩薩」マッラ王朝、ネパール 西暦1100年から1200年
    腰を揺らす姿勢をとるこの伝統的なネパールの立像は、未来の仏陀である弥勒菩薩です。昨年9月に行ったカトマンズで勉強したことが役に立ちます。
    カトマンズ・バタン王宮博物館:https://4travel.jp/travelogue/11946984

  • 「ダンシング・シヴァ」チョーラ王国、インド 西暦950年から1000年<br />三大神の1人で破壊を司るシヴァ神がこのように踊るときナタラージャと呼ばれ、<br />踊りの神様になります。ナタラージャは宗教と芸術の結びつきを象徴しています。<br />シヴァの踊りの目的はすべての人の魂を幻想の罠から解放することで、宇宙の中心とされる踊りの場所のチダンバラムは心の中にあると言われています。

    「ダンシング・シヴァ」チョーラ王国、インド 西暦950年から1000年
    三大神の1人で破壊を司るシヴァ神がこのように踊るときナタラージャと呼ばれ、
    踊りの神様になります。ナタラージャは宗教と芸術の結びつきを象徴しています。
    シヴァの踊りの目的はすべての人の魂を幻想の罠から解放することで、宇宙の中心とされる踊りの場所のチダンバラムは心の中にあると言われています。

  • 「腕型の聖遺物箱」と「聖骨箱の十字架」は教会の宝物館に並んでいるのを見ることが多いですが、なかなかじっくり見ること地はありませんでした。

    「腕型の聖遺物箱」と「聖骨箱の十字架」は教会の宝物館に並んでいるのを見ることが多いですが、なかなかじっくり見ること地はありませんでした。

  • 「ロマネスク様式の柱と柱頭」フランス・ボービル 1100年から1150年<br />周囲には同じツアーの方の姿も、妻の姿もありません。残り時間が30分を切ったところで添乗員さんが心配して探しに来てくれました。見学はまだまだ終わりそうもありません。<br />

    「ロマネスク様式の柱と柱頭」フランス・ボービル 1100年から1150年
    周囲には同じツアーの方の姿も、妻の姿もありません。残り時間が30分を切ったところで添乗員さんが心配して探しに来てくれました。見学はまだまだ終わりそうもありません。

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