2025/02/10 - 2025/02/10
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2025/02/10
この旅行記スケジュールを元に
古代文明ディルムンの遺跡の見学の次に行ったのは「バーレーン国立博物館(Bahrain National Museum)」でした。ここで実際に移されたディルムンの墳墓を見学します。1つの墓だけでも精巧な造りですが、これが75,000基もの古墳があったことが知られているようです。ディルムンはメソポタミアの文献資料に登場する周辺国の1つで、この王国は紀元前2000年から前1700年にかけて、南メソポタミアとオマーン、インダスなどを結ぶペルシア湾の海上交易を独占し繫栄したことが知られています。南メソポタミアにはディルムンの商人の手によって、銅や砂金、象牙、ラピスラズリ、カーネリアン、黒檀などの木材、真珠など大量の物資が運びこまれていました。物流の面からメソポタミア文明を支えたのがこのディルムンだったようです。遺跡についても興味深かったですが、博物館の多くのエリアを占める民俗博物館的な展示も素晴らしかったです。かなり良く出来た人体模型が並び文化や風習風俗などが手に触れる距離間で感じることが出来ました。ガイドさんと添乗員さんの案内では1階だけでしたが、トイレタイムの10分ほどで1人で2階に上がりましたが、そこの展示が一番素晴らしかったです。最後の観光は「アハマド アル ファテフ モスク (グランドモスク)Ahmad Al Fateh Mosque (Grand Mosque)」の参拝で、ここでは「カントーラ」と呼ばれる男性の衣装の貸し出しがありました。特に着なくてもいいのですがこれはいい記念になります。女性もスカーフで髪の毛を隠せばよいのですが、「アバヤ」と呼ばれる黒いゆったりした体を覆う女性の衣装も貸し出しがありました。モスクの中は女性のスタッフが案内してくれて、イスラム教についての簡単な説明がありました。最後に日本語のパンフレットをいただき、デーツとお菓子が振舞われましたので、喜捨したいところでしたが今回は全く現金を持ち歩かなかったのが悔やまれます。港に戻り午後は船内でゆっくりしましたが、3回目のMSCでとうとうロゴ入りの濃紺のスウェットを買ってしまいました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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「バーレーン国立博物館(Bahrain National Museum)」に到着しました。広大な敷地に椰子の木が植えられ、オアシスのような風情を感じます。バーレーンの国旗はカタールで見た国旗とよく似ていますが、縦横の比率は普通の国々の国旗と同じようです。
バーレーン国立博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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国旗の赤は伝統的にペルシャ湾各国で使用されている色で、竿側に白を使用します。赤と白は頂点が5つあるジグザグ線で分けられ、その頂点はイスラム教の五行を表しています。バーレーンの最古の国旗は単純に赤一色のものでしたが、19世紀に近隣諸国との和平を示すため白が追加され、ジグザグ線は他国との区別をするため追加されました。
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国立博物館は1988年にバーレーンの首長イサ・ビン・サルマン・アル・ハリーファによってオープンした博物館複合施設で、27,800平方メートルもの広大な敷地を持ち、国内で最も人気のある観光名所になっています。
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この近代美術館はデンマークの建築家クローン&ハートヴィグ・ラスムッセンによって設計され、1988年12月に正式にオープンしました。隣接するムハラク島を見下ろす人工半島に建設されています。
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コレクションはバーレーンの約5000年の歴史をカバーして、考古学とディルムンの古代文明を専門とする3つのホールがあり、他の2つのホールはバーレーンの最近の産業革命前の過去の文化とライフスタイルを描いています。
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隣には「バーレーン国立劇場(Bahrain National Theater)」の美しい建物が見えます。
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建物は1988年に建てられているので35年以上経過していますがそんな古さを感じさせません。ガイドさんと添乗員さんの説明を聞きながら見学を始めます。
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大きなホールには先ほど見てきたばかりのディルムン(Dilmun)の墳墓がそのままの姿で納められていました。これには驚きました。
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その墳墓は半分に切り取られ内部の様子も非常に分かりやすく展示されています。マデ・マハドで発掘された初期型墳墓はトリベリマンの墳墓の伝統を良く表しています。
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遺体は横向きに寝かされていて、数多くの副葬品も出土しているようです。遺体の周りには比較的多くな石灰岩で囲んでいますが、バスで走っていて見た限りでは山なども無いので貴重なものだったのではないでしょうか。
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ムスリムのお墓の場合はメッカの方角に顔を向けなければなりませんが、この遺跡の埋葬方法は何か方角的なものはあったのだろうかなどと余計なことを考えてしまいます。ちなみにこの男性は40歳で亡くなり、デーツを多く含む食事のせいで歯槽膿漏に悩まされていたことまで分かるようです。
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バーレーンには本来8万基もの古墳があったことが知られていますが、その多くは潰されて住宅や道路に変わってしまっているようです。世界でもこれほど古墳が密集する場所はバーレーン以外にないと言われています。この古墳の大半が造られたのは紀元前2250年から紀元前1700年にかけてのディルムンと呼ばれていた時代でした。
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中期ディルムンは青銅器時代にあたり、後期ディルムンは鉄器時代となりますが、轆轤成形した見事な土器なども残されています。
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紀元前3500年ごろ南メソポタミア(イラク南部)に世界最古の文明メソポタミア文明が誕生します。しかし南メソポタミアはユーフラテス河とチグリス河が運んだ大量の泥が堆積してできた巨大な沖積平野であるため、金属や貴石や石材といった文明生活を営むうえで必要な資源がほとんど存在せず、こうした資源を周辺地域から獲得する必要がありました。
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ディルムンはメソポタミアの文献資料に登場する周辺国の1つで、この王国は紀元前2000年から紀元前1700年にかけて南メソポタミアとオマーン、インダスなどを結ぶペルシャ湾の海上交易を独占し繫栄したことが知られています。
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埋葬品を見ているとキプロス島を旅していた際に行った博物館に収蔵されていた陶器などとの類似点が感じられました。
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現在は素焼きのような年度の肌合いが美しいですが、制作されたことは彩色が施されていたそうです。
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この陶器の騎馬像は後期ディルムンの宮殿跡から発見されたものと似ていることからこの地で作られたと考えられています。一方でブロンズ製の剣の様式は鉄器時代のオマーン半島で一般的だった伝統の様式に似ていることから輸入されたものと考えられます。
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ディルムン時代康熙には成人はや未成年者は様々な種類と大きさの粘土製の棺に埋葬されました。
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まるで巨大なバスタブのようにも見えました。
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子供の場合は壺に埋葬されました。大人の石棺の形を模倣して作られたようです。棺は漆喰などで定年に密閉されていました。また子供の場合は副葬品の数は少なかったようです。
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世界の博物館へ行って思うのは武器はどんどん進化していますが、生活に使われる品々や装飾品などは数千年前にデザインも含めて完結しているように思えます。
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ザールとハマドタウンから出土した木製のカップとポットはタールでコーティングされ防水加工されています。その当時から石油が発見されていたのでしょうか。これは「歴青(れきせい)」と呼ばれるものです。
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ディルムンが主要な産業中心地として成長するにつれて文書や手紙、委託品の内容を証明するために証人や行政官の間で印象の需要が高まりました。
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彫刻されたモチーフはディルムン共同体の宗教的信仰や習慣を示唆しています。印象は厳格に個人的なものだったので乱用を避けるために通常は所有者と共に埋葬されました。古墳からは数弱を越える印象が発見されています。
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紀元前2000年紀初頭からはユーフラテス川上流の開発が進み、メソポタミアはキプロスの銅やアマヌス山脈の木材やヘマタイトなどの物資を入手できるようになりました。紀元前1900年から紀元前1800年頃にはインダス文明が衰退して商品が減少し、紀元前1800年頃にはメソポタミアの記録からメルッハが消滅してしまいます。
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こうしてメソポタミアとインダスとの貿易が減少するにつれてディルムンは衰退し始めます。ディルムンに関する最後の言及は新バビロニア王国のもので、紀元前567年の行政上の記録によって、当時のディルムンがバビロンの王の支配下にあったことが分かるそうです。紀元前538年に新バビロニアが倒れると、ディルムンの名は使われなくなります。
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古代の歴史の後はバーレーンの近代の風俗や習慣や宗教など民俗博物館のようなコーナーが始まります。1階の部分をガイドさんと添乗員さんの後について見学を進めます。これが非常に興味深く、展示の方法も非常に分かりやすいです。
「誕生」
出産前に妊婦は自分の父親の家に行き、そこで薬草の飲み物と栄養のある食事を摂ります。出産後の女性は儀式用の水を1杯飲み、乾燥したデーツを3個授かります。赤ん坊のへその緒は男の子の場合はモスクに、女の子の場合は台所の下に埋められます。そして雄鶏か鶏が絞められました。 -
「生誕後の数日間」
出産の翌日には赤ちゃんに名前が付けられるのが一般的です。男の子には祖父の名前、女の子の場合には祖母の名前を付けることが多いそうです。出産から7日後に赤ちゃんは沐浴をします。このお祝いに屠刹されたヤギや子羊(タマミ)を調理して近所の人に振舞います。 -
母親が回復するための40日間(マファール)の後に母親は赤ちゃんを連れて夫の待つ家に帰ります。赤ちゃんの持ち物を担いだ妻の親族も同行します。夫は妻と生まれたばかりの子供に贈り物をして2人の帰りを歓迎します。
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「ナヌーン(Nanoon)の民衆的伝統」
ナヌーんはあらゆる幸せな機会に贈られます。 -
お菓子やナッツやコインが入った籠を祝福を受ける子供や祝福される人の頭上に投げます。どの後子供たちがそれを拾い上げます。
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「学校と先生」
子供たちは5歳から6歳になるとクルアン(コーラン)の学校に通います。男女共学の授業は金曜日を除く毎日ムタワ(Mutawwa)と呼ばれる教師の自宅で行われました。ここで過ごす時間は子供の才能によって異なり、教師は毎週木曜日に授業料を徴収しました。不登校は厳しく罰せられました。 -
「指導方法」
生徒たちは母音の発音を練習するためにクルアーンの短い章(スーラ)から始め、より長い章へと進んで文法を学びました。クルアーン全体を学習した時点で授業は終了しました。 -
クルアーンの書見台(REHAL)に置いて学んでいる姿が実にリアルです。男の子たちはクーフィー帽子を被り、女の子は白いヒジャブを被っています。
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前に座っている先生はちょっと怖そうな感じがします。男女共学だということも意外に思えました。
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バーレーンの昔の住宅の基本的なプランも紹介されています。中庭を中心にキッチンやリビングが配されています。形状は違いますがチュニジアのマトマタのベルベル人の洞窟住居と同じレイアウトだと感じました。
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「毎日の水の供給」
飲料水はバーレーンの各地に点在する天然の泉(アイン)運びました。ロバやラクダに革袋(ジェルバ)入れて運び、それを売って生計を立てる人もいました。後に歯船で運んで売る商売もありましたが、それらは水道が施設されるまで続きました。朝一番で行った要塞の脇にも海中から涌く泉がありました。 -
伝統的な住宅の中庭の情景が再現されていました。
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鶏が放し飼いされているのも昔の日本と同じようです。牛や豚は動物としての名前があり、屠刹されると肉としての名前になりますが、ニワトリは生きていても食肉になってもチキン(Chicken)なのは気の毒な気がします。鶏肉は牛肉や豚肉と異なり、食のタブーに触れることが少ない食肉でもあり、世界中で広く消費されています。
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台所では女性がすり鉢で何か調味料を造っているようです。
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御座の上に坐ったおばあちゃんが団扇を持って赤ん坊の世話をしています。
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「開運のパーティー」
結婚式の2日前に花嫁のために幸運を祈るジェルワ(Jelwa)と呼ばれるパーティーが開かれました。花嫁が椅子に座っている間、女性たちが宗教的な歌を詠唱しました。4人の女性が彼女の頭の上に緑色の布を被せ、上下に揺らしながら喜びの歌を唄い、花嫁の結婚生活の幸せを祈りました。 -
「美容師」
結婚式の当日には花嫁の髪を整えるためにアチャフェと呼ばれる美容師が雇われました。髪の手入れに必要なあらゆるハーブやオイルの専門家で、彼女は花嫁が幼いころから髪のケアをしていました。彼女の賃金は結婚式の翌日に夫が花嫁に贈る贈り物サバハから支払われます。 -
ここでは花嫁を絨毯に乗せる儀式を行っていましたが、トルコのサフランボルの博物館ではクナ・ゲジェシ(Kuna Gecesi)という結婚前夜の儀式を再現していました。同じムスリムの国でも儀式には少しづつ違ったものがあるのだと感心します。
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「花嫁」
結婚式の前夜に客たちが踊ったり歌ったりしている間に花嫁はつつましく部屋に留まりました。カド・ダハドと呼ばれる専門家が手足にヘナを施しました。花嫁は結婚式の前に姿を見られるとその顔の美しさを失うと信じられていました。
花嫁は結婚初日を最高の衣装を身に纏い、ヘナで手を飾った状態でウエディングルームで過ごしました。女性の招待客がドレスや髪や宝石をチェックしている間、花嫁は目を閉じて終わるのを静かに座って待ちました。 -
「ブライダル・ジュエリー」
結婚式の初日とその数日間、花嫁は祝福する人々を迎えるために全身に宝石を身につけていました。さらに美しさを際立たせるために頭から足先まで金で飾られました。宝石は結婚式の2カ月ほど前から地元の金細工師に作らせるか親せきや近所の人から借りました。 -
昨日行った「ドーハ国立博物館」ではその宝石に特化した展示を見ることが出来ましたが、この「バーレン国立博物館」ではそれらをどのように使って身につけるかが分かりました。
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「バラハ」
バラハ(Baraha)は海岸近くの広場や広い中庭に建てられた小さな集会所です。ヤシの幹と砂で作られたものもあれば、石と石膏で作られたものまでありました。 -
バハラは常に地元の人々、特に真珠採りから帰ってきた真珠採りの漁師たちの拠点となっていました。
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「バドレーレース刺繍」
バドレ(Badleh)とはレースを編むために綿を詰めたクッションのことです。木製のボビンに巻かれた濃い色の綿糸が地となり小さなクッションに巻かれた金糸や銀糸が刺繍となります。レースは後にシルワラの足首の裾やダラーの袖口に縫い付けられました。 -
同じ博物館でも展示の手法が違うと受けるイメージも全く変わってくると思います。今回この2つの博物館の両方の見学が出来てよりペルシャ湾の生活や風習について知ることが出来ました。
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「レース帯クラ―の作り方」
繊細なレースの帯(Kurar)は女性用の衣服には金糸や銀糸が使われ、男性の衣服には絹糸が使われました。これらを作るには助手が必要で、助手が指で糸を操り、刺繡師が衣服に縫い付けることで作られます。助手の人数で帯の幅が決まりました。 -
女性の手仕事は世界中に共通することですが、本当に素晴らしいと思えます。ムスリムの男性も素晴らしい人は多いと思いますが、旅しているとカフェで時間を潰しているおじさんたちの姿が目につきます。ただ、これも立派な仕事のコミュニケーションだそうで、チュニジアのガイドさんによるとここで仕事の多くが決まったりしているそうです。
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女性たちの美しい衣装がどのような形なのか気になっていましたが、ここでその謎が解けた気がします。左側は「トゥーブ・アル・ムファハ」というもので、右側は「トゥーブ・アル・ナシェル」です。首から被る形状だったのですね。
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さらにこの写真パネルでいろいろなことが分かりました。基本的な形状はイスタンブールのトプカプ宮殿のスルタンの衣装の博物館と変わりありません。
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三つ編みの女性のマネキンを見ていたら映画「ナイト・ミュージアム」に出てくるアメリカ先住民のサカジャウィアという娘のことを思い出しました。この博物館でも夜になったら人形たちが結婚式をあげているのではないかと思えてきます。
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少しですが男性の民族衣装についての展示もありました。
「シェルハット(Shelhat)」
男性は夏にはこのシェルハットを着用します。軽くて幅広の長い袖口を持つ綿製の衣服で、襟は無くて首の開口部に房が付けられています。袖は三角形でそれ以外は縦長の長方形の布で作られています。 -
「ゼブーン(Zeboon)」
ダグラ(Daglah)と同様にゼブーンは全面が開いています上部は金糸または絹のボタンで留められ、袖口の手首部分には2つのスリットがあります。ゼブーンは最高級のウールまたは絹で作られました。 -
「海へ行く子供たち」
ズル・ヒッジャ(Dhu’l Hija)の9日目にメッカの巡礼者たちはアラファトに祈りを捧げます。バーレーンの子供たちはこの日をヒヤ・ビヤ(Hiya Biya)の儀式で祝います。子供たちは海岸まで歩きヒヤ・ビヤの歌を唄いながら緑の芽や穀物(ヒヤ)を入れた籠を海に投げ入れます。 -
この月のアラビア語名であるズル・ヒッジャは「巡礼の所有者」または「巡礼の月」を意味します。この月は世界中からイスラム教徒の巡礼者がメッカに集まり、カアバ神殿を訪れます。
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「機織り」
伝統のあるバ二・ジャムラやマカバ、ブー・サイビ、アル・カダムといった織物産業の中心地であった村は非常に有名でした。綿糸や金糸や銀糸などの原材料は輸入されていました。 -
織り機は地元の大工によって織り手自身の希望に添って制作されました。バーレーンの織り手たちは紳士服や婦人服用の生地や船舶用の帆布を地元市場に供給していました。余剰の布地は近隣の湾岸諸国に輸出されました。
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「仕事の分配」
村の男女は共に織物工程に携わっていました。男性は織物を、女性は糸の準備と染色、そして布の寸法どりを担当していました。それぞれの村は特定の種類の布を専門としていました。アル・クライヤ村の織工は帆布・ジャムラ村の織工は衣類用の布を織っていました。 -
「陶芸」
陶芸はバーレーンで最も古い伝統工芸の1つでした。何世紀にもわたり陶器産業はアアリ村を中心に発展していきました。リファの街とカラリ村は粘土製の香炉の製造で有名でした。 -
陶工たちは地元住民の生活必需品を供給し、余剰品を近隣諸国に輸出していました。陶工たちは地元で採れる粘土を使用していました。
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「陶器の種類」
粘土で作られた実用品には様々な種類がありました。それぞれは機能や大きさによってジャフラ(Jahla)、ヒブ(Hib)、ビルマ(Burma)、ガラシュ(Gharash)、ブク(Bug)などと名づけられ、水を保管したり冷やしたりするために使われました。また、パン焼き用のオーブンや生地をこねる際に使うラヤン(Layyan)と呼ばれるボウルも作りました。バーレーンにタバコが持ち込まれるとコーヒーショップで人気のキドウ(Qidow)という泡だて器まで造りました。 -
「村の住居」
男性が畑仕事や海上労働、あるいは織物や陶芸といった伝統工芸に従事する一方で、女性の活動は主に家庭で行われました。そこでは子供や家畜の世話をし、食事の支度をしていました。 -
また、女性はイグサのゴザや籠を織ったり、糸紬ぎをしたり、糸や布を染めたりといった他にの工芸にも携わっていました。また、ナッツや乳製品の製造や販売も行いました。
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「バーレーンの村」
バーレーンには主に3つのタイプの村がありました。1つ目はザラクやブダイイのような海に面した沿岸の村です。2つ目はビラド・アル・カディールやアル・シフリのように淡水の湧き水と耕作地を中心とした村です。 -
3つ目はアル・マルキヤのように前述の2つのタイプを組み合わせた漁業と農業が同時に行われた村です。
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「ナツメヤシ」
バーレーンは「100万本のナツメヤシの木の国」として有名でした。ナツメヤシは神から他の木には無い恵みを授かっています。その全てが人間にとって有用です。ナツメヤシは人間だけではなく動物の食糧でもありました。 -
幹と枝は家や船や魚の罠、家畜の飼い葉桶の材料に用いられます。葉はマット、扇や籠を編むのに使われました。繊維はロープを作るのに使われ、太い枝の根本は燃料になりました。
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「籠作り」
バーレーンの多くの村は籠作りで世汚名でした。特にカルババードとブダイは重要な村でした。かつて地元の職人たちは、その卓越した技術で多くの籠を作っていました。 -
カタールの「スーク・ワキーフ(Souq Waqif)」で売っていたマットや籠と同じようなものが展示してありました。そうすると買っておけばよかったと思ってしまいます。
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「ゴザ織り機」
アル・ハフ(Al Haff)という織り機の長さは1.5メートルで、多数の穴があけられ、そこから通したロープの長さがマットの全長になりました。 -
織り手は張られたロープを使ってマットの強度と密度を調節しました。通常この織り機では2人の織り手が作業を行いました。
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「造船」
カラフ(Gallaf)と呼ばれる造船業者はのこぎりやハンマー、ドリルやロープといった簡素な道具を用いていました。チーク材はインドから輸入され、船の骨組みの肋骨には地元の木材が使われることもありました。アル・アマラー(Al Amarah)と呼ばれる船具商船の建造と修理に必要なあらゆる物資を調達しました。 -
「ダウ船の種類」
バーレーンは古代から造船業で非常に有名でした。もっとも復旧したダウ船(Dhows)の種類はジャリブード(Jaliboot)、サムブック(Sambook)、ビヒィール(Biteel)、バカラ(Baqarah)、ブーム(Boom)で、後にショアイ(Sho’ai)やバヌーシュ(Banoosh)などが開発されました。これらは真珠取りや沿岸漁業で使われました。大型の船は貨物や乗客の輸送に使われ、小型の船は島々の行き来や建築資材となる海砂や石材や板石の採取に使われました。 -
「漁業」
漁法は上京によって異なり、深い水域では釣り針が使われ、刈るクールと呼ばれる大きな漁籠(Qarqoor)が使われました。中深度ではやルーフ(Yaroof)という漁網またはカジル(Ghazil)が使われました。 -
浅瀬では魚を獲るための罠のハドラ(Hadhrah)という定置網が仕掛けられました。豊富に生えるヤシの枝で作られたハドラはもっとも重要かつ古代の漁法でした。
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そして先日も学んだ真珠採りのコーナーに移ります。自分で使いもしないのに昨日3本も買うことになったので忘れようにも忘れられません。
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遺された写真を見ているとさぞ盛んな産業だったのだということが分かります。御木本幸吉も自分が発明した養殖真珠がこのような産業を壊滅させるとは思ってもいなかったことでしょう。
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帰国後しばらくして銀座を歩いていたらミキモトの前に「真珠王記念碑」を見つけました。日本人としては素晴らしい偉人と思えますが、別の国から見ると全く違うのだろうなと思いました。
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「真珠採り船の乗組員」
大型の真珠採取船には60人から80人の船員が乗船していました。その役割は多岐にわたっていました。船長の下にはミジャディミと呼ばれる船員長、ナハムという歌手、ギスというダイバー、プーラーという引手、タバブという見習船員、リドヒーフというダイバーの助手、タバクという調理人がいました。 -
シーズンの終わりには役割に応じて分け前が分配されました。引上げ人を1とするとダイバーはその倍、歌手は重要な役割だったのでダイバーと同じだったようです。
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1階の見学が終わり、移動の前にトイレ休憩になりました。写真を撮り漏らしたところがあったので戻ってみると2階へ上がる階段がありました。するとバーレーンの市場についての展示があり、その再現された市場の情景がとても素晴らしいものでした。数分で1フロア分の写真を撮って戻るとまだトイレから戻られていない方がいて一安心です。
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バーレーンは古くから賑やかな市場で有名でした。これらの市場は地元産品やインドやペルシャやアラビア半島からの輸入品など様々な商品が集まる集積地でした。そして近隣諸国からの承認や職人や行商人が集まりました。
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綿打ち職人のブースではカトマンズでも見た綿打ち棒と同じものが立て掛けてありました。これらはインドを経由して近隣諸国へ広がっているのだなと感じました。
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八百屋の使っている天秤ばかりは子供の頃は日本でも見掛けたので懐かしく感じます。最後に見掛けたのは家に来た古新聞を回収する業者さんだったと記憶しています。新聞の量に応じて「落とし紙」を置いていきました。
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インドのチャクリ(Chakhri)と呼ばれる木製のサンダルが目に留まります。
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市場にはデーツを扱う市場や木材市場、真珠市場などがありました。それ以外にも特定の曜日にしか開かれない市場もありました。
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鍛冶屋さんは世界共通の職業ですが、木枠の中に入って作業している姿は珍しく感じます。
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革製のサンダルはサイズを合わせてオーダーメイドで作られたのでしょう。昔アテネのプラーカでグリークサンダルを作ってもらったことがありました。急がなかったので2日くらいで出来上がったものを履いて旅したのはいい思い出です。
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銀細工の職人の手先にある「るつぼ」などすごいリアルです。本物の火が起こされているようです。
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木工職人の工房はモロッコやトルコを旅した際にほとんど同じような店を見たことがあります。この店ではクルアーンの書見台(REHAL)やゆりかごなどが作られています。床に散らばったおがくずまでリアルです。
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乾燥した木の根のようなものが量り売りされていますが、キャプションなどは無いのでこれが何かは分かりません。下に敷かれた円形のゴザの使い方が分かりました。
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床屋は万国共通の職業ですね。ここではちゃんと店になっていますが、ベトナムでは現在も露店で、道路わきの塀に鏡を掛けただけの店を見掛けることがあります。
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足踏み式のミシンがあるだけで生活が成り立ったのだと思います。日本で不用になった足踏み式ミシンでもミャンマーの市場などで見掛けることがありました。母が亡くなった時も使わなくなったミシンは寄付しました。
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こちらは香辛料などを扱っているようです。昨日ドーハで行った「スーク・ワキーフ(Souq Waqif)」でも同じような品が並んでいました。
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中には何を商っているのか分からない店もあります。
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陶器製のシーシャは初めて見ました。火皿で燃えたタバコの煙を水にくぐらせ、濾過された煙を喫煙します。煙が水を通ることで冷やされ、やわらかい味わいになります。自分が喫煙していた頃は美味しく感じられましたが、喫煙して長い時間が過ぎるとむせてしまいました。
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窯で焼かれているのはピタパンのようです。ピタパンは世界初のパンといわれているほど歴史が古いのが特徴です。諸説ありますが約6000年から8000年前の古代エジプトで生まれたといわれています。本来「ピタ」が中東で使われているヘブライ語で「パン」という意味のため、本場では「ピタ」のみで通じるようです。
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中東の死ぬほど甘いお菓子を切り売りしている店です。後ろに積まれた少し歪んだ一斗缶が妙にリアルです。
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打ち出し板金の工程は金属の板を鉄床に置いて金属の板の裏側に当て、板を片手で押さえ、もう片方の手でハンドハンマーで叩きながら加工します。この商売もトルコやエジプトなど北アフリカの国を旅するといいものに出会えることがあります。
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隣接する「バーレーン国立劇場(Bahrain National Theater)」は人工湖と並んで、立方体のガラスの形をした建物を建て、屋根は金色でコーティングされています。アラビアンナイトを意識したデザインでもあり、観客席の数は1001席あるそうです。
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この日のバスはスイスからの中古のメルセデスでしたがほとんど新車のようでした。ボディには前職のインターラーケンの文字やウェンゲンの文字が見えます。妻がまだ歩けるうちにスイスへ行かなければと思いながら計画半ばです。
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度派の博物館とここを見学して少しはペルシャ湾の国の文化を知ることが出来たように思えます。
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「イサ文化センター&国立図書館」の建物も広い空間にシンメトリーの白亜の建物が美しいです。
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「アハマド アル ファテフ モスク (グランドモスク)Ahmad Al Fateh Mosque (Grand Mosque)」に到着しました。
アハマド アル ファテフ モスク (グランドモスク) 寺院・教会
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ここでは女性はショールなどで髪の毛を隠す必要がありますが、アバヤの無料貸し出しもあります。これはクアラルンプールの「マスジット・ヌガラ(国立モスク)」でお借りして以来のことです。
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係りの女性が親切にショールも整えてくださいます。このまま博物館に飾りたくなるような出来栄えです。
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男性にも貸し出しの衣装があり、カントーラと呼ばれる白いローブを着てみました。残念ながら頭に被るグトゥラやアガールと呼ばれる黒い輪はありませんでした。
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このアルファテ・モスクはバーレーンで最大の礼拝所で、屋上に建てられた54トンの巨大なドームは全体がグラスファイバーで建設され、世界最大のグラスファイバードームです。
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床はイタリア産大理石でシャンデリアはオーストリア製です。ドアはインド産のチーク材で造られていました。
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さすがにイスタンブールのブルーモスクやアヤ・ソフィアとまでは行きませんが、その規模の大きさに驚かされます。
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イスラームの礼拝は基本的に道具を必要としなく、身一つで完了するものです。教会のように信者が座る椅子があるわけでもなく礼拝は床に立って行うため、床に絨毯が敷かれているぐらいです。このモスクでは無地の部分に座り、模様2マスが1人分のスペースのようです。
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モスクのガイドさんが「7つのアーヤ」についての説明をしてくださいます。この「開端章」はムスリムが日に何回も繰り返して読む章です。義務の礼拝をちゃんとこなした場合、1人のムスリムが最低でも17回は読む計算となります「開端章を読まない者に礼拝はない。」とあるように、ムスリムは礼拝時には必ずこの章を読まなくてはなりません。
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「慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において」
「万有の主,アッラーにこそ凡ての称讃あれ」
「慈悲あまねく慈愛深き御方 」
「最後の審きの日の主宰者」
「わたしたちはあなたにのみ崇め仕え,あなたにのみ御助けを請い願う 」
「わたしたちを正しい道に導きたまえ」
「あなたが御恵みを下された人々の道に、あなたの怒りを受けし者、また踏み迷える人々の道ではなく 」 -
この時計にはお祈りを捧げる6つの時間が書かれています。「夜明け」「日の出」「正午」「午後」「日没」「夕食」と書かれています。
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イスラーム教徒はメッカにあるカアバ神殿の方角を向いて礼拝を行います。そのためどこで祈るにしても必ずメッカの方角(キブラ)を知らなければなりません。今では携帯のアプリで方角がチェックできるし、ホテルの客室天井にはメッカの方角をさしたステッカーなどが貼られています。中東系の航空会社では座席のモニターのマップでは方角が表示されています。
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モスクにはミフラーブと呼ばれる壁のくぼみがあります。このミフラーブが礼拝の方角を示し、ミフラーブは基本的に建物の正面にあり、イマームと呼ばれる宗教的指導者を先頭にして、人々はミフラーブに向かって礼拝を行います。ミフラーブがある壁にはキブラ壁と呼ばれ壁全体がメッカの方角を指す役割を果たしています。
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同じツアーのご夫婦に写真を撮っていただき、いい記念になりました。なかなかこんな衣装を着て2人の写真を撮る機会はありません。
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出口では日本語のパンフレットをいただき、さらにデーツやお菓子もいただきました。甘くてとても美味しかったです。
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アラビア語のザカーは直訳すれば“浄化”といった意味です。これはザカーが人々の心を貪欲さから浄化すると見なされているからです。富への愛は自然なものであり、人が自分の富を他人に分け与えることには確かなる神への信仰が必要とされます。
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「バーレーン・ワールド・トレード・センター(Bahrain World Trade Center、BWTC)」の尖ったビルが見えてくると港に着くのも間もなくです。スカイブリッジとそこに設置された風力発電のタービンもよく見えます。
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MSCエウレリアが見えてきました。
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バーレーンの港にはしっかりとした免税店がありました。ここにはサントリーの「山崎」が何本か置いてありました。ドバイの空港では4万円、ロンドンの空港では8万円、重慶の空港では4万円という値段でしたが、ここでは1万4千円という値段でした。
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特にウイスキーが好きではありませんが2本買い求めました。ただ、乗船時にはアルコールの持ち込みということでセキュリティーで預かられてしまいました。これは下船の前日に自分でトランクを持ってクルーズターミナルの中にあるエミレーツ航空のカウンターでチェックインと荷物の預け入れがあったので、いつ返却されるかが気になりました。手持ちの荷物ではウイスキーを持ち込めませんから。
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我々が船に戻るころには他のエクスカーションや自力で観光した乗客もほとんどが戻っていたようです。
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まずは「マーケットプレイス」に上がってランチをいただきます。この日もハンバーガーとピザといったメニューを選びました。冷たい生ビールが美味しいです。
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部屋のモニターで船首カメラを見るとアイーダ・プリマ(AIDA prima)が出港していきました。
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午後は時間があるのでプロムナードに降りてみるとMSCショップが開いていました。前からずっと気になっていたジャンバーが2着で49.6ユーロまで値下がりしていたのでお揃いで買ってみました。この旅の次のクルーズは中国の三峡下りなので持って行こうと思います。
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昼寝をした後に「コロラド・リバー」で夕食をいただきます。この日は2人掛けのテーブルに横並びで同じツアーのご夫婦2組と6人で食事が出来ました。
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アスパラガスのスープはベルギーとオランダを旅したことを思い出します。ちょうど6月だったので白アスパラが美味しい季節でした。ここではナツメッグが無いのが残念です。
デルフトのレストラン:https://4travel.jp/travelogue/11025501 -
貝柱のマリネは船内でよく使う食材をアレンジしたものでした。
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スパゲッティ・アッラネラーノはソレント風のブロボロネーズチーズのパスタです。妻とは2回ほどソレント半島を旅していますが、久し振りにまた行ってみたくなります。この日はお昼を食べて間もないので2人とも軽くパスタをメインにしました。
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妻はソレントのパスタをいただいたのでレモンチェッロケーキです。
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ワイルドベリーのパイは砕いたクッキーがたくさん乗っています。
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食後はいつものようにシアターの最前列に座ります。この日の演目は「JRNERATION ROCK」です。
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ジェネレーション・ロックというだけあって70年代から80年代の懐かしいロックの名曲のオン・パレードです。
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レッド・ツェッペリンの「天国への階段」やエルトン・ジョンの「ピンボールの魔術師」などが懐かしいです。中学生の時に友人の家で初めて聴いたツェッペリンは衝撃的でした。
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ハイテンションでシアターを後にしてプロムナードに出るとこの日も縦ノリで盛り上がっていました。
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MSCの夜は更けていきます。明日は終日航海日なので夜は長くなりそうです。
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