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「ポート ラシッド ・クルーズターミナル(Port Rashid Dubai Cruise Tarminal)」の駐車場からバスに乗り、「ミナ地区(Mina District)」を通過します。このエリアは2022年にカタールで開催されたワールドカップを前にリニューアルを図ったようで、カラフルな街並みが魅力的です。最初の目的地は「国立博物館(National Museum of Qatar)」で、これはエウレビアの部屋のバルコニーからもこの不思議な姿は見えていました。カタールの面積は日本の秋田県とほぼ同程度ですが世界有数の石油や天然ガス資源に恵まれて莫大な富を築いて、ここ数十年は急成長を遂げています。1975年に「旧カタール国立博物館(Qatar National Museum)」はペルシャ湾のアラブ諸国における初の博物館としてドーハに開館しています。カタールの元首長アブドゥッラー・ビン・ジャースィム・アール=サーニーの旧アミリー宮殿を囲んで建てられた博物館は、建築の老朽化などにより2015年に閉館します。2019年にはその跡地に新たな「国立博物館(National Museum of Qatar)」が誕生しました。新館の建物を設計したのはプリツカー賞受賞の建築家ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)です。カタールの砂漠で見られる薔薇のような形状をした石「デザート・ローズ」から着想を得たデザインは、無数の円盤状の「花びら」が複雑に組み込まれた屋根が特徴的で、カタールの文化や風土をオマージュしていると感じます。2024年のチュニジア旅行ではエルジェムの露店で「デザート・ローズ」を買ったばかりだったので余計に興味深く建物を見学しました。また、お金をかけた展示方法からもペルシャ湾岸のアラブの国の風土や文化を知ることが出来て学びが多かったです。

JTB旅物語 魅惑のアラビアクルーズ10日間(4)デザートローズのようなドーハ国立博物館の展示で中近東の文化を初めて知る。

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2025/02/09 - 2025/02/09

339位(同エリア835件中)

旅行記グループ 2025アラビアクルーズ

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kojikoji

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「ポート ラシッド ・クルーズターミナル(Port Rashid Dubai Cruise Tarminal)」の駐車場からバスに乗り、「ミナ地区(Mina District)」を通過します。このエリアは2022年にカタールで開催されたワールドカップを前にリニューアルを図ったようで、カラフルな街並みが魅力的です。最初の目的地は「国立博物館(National Museum of Qatar)」で、これはエウレビアの部屋のバルコニーからもこの不思議な姿は見えていました。カタールの面積は日本の秋田県とほぼ同程度ですが世界有数の石油や天然ガス資源に恵まれて莫大な富を築いて、ここ数十年は急成長を遂げています。1975年に「旧カタール国立博物館(Qatar National Museum)」はペルシャ湾のアラブ諸国における初の博物館としてドーハに開館しています。カタールの元首長アブドゥッラー・ビン・ジャースィム・アール=サーニーの旧アミリー宮殿を囲んで建てられた博物館は、建築の老朽化などにより2015年に閉館します。2019年にはその跡地に新たな「国立博物館(National Museum of Qatar)」が誕生しました。新館の建物を設計したのはプリツカー賞受賞の建築家ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)です。カタールの砂漠で見られる薔薇のような形状をした石「デザート・ローズ」から着想を得たデザインは、無数の円盤状の「花びら」が複雑に組み込まれた屋根が特徴的で、カタールの文化や風土をオマージュしていると感じます。2024年のチュニジア旅行ではエルジェムの露店で「デザート・ローズ」を買ったばかりだったので余計に興味深く建物を見学しました。また、お金をかけた展示方法からもペルシャ湾岸のアラブの国の風土や文化を知ることが出来て学びが多かったです。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
観光バス 徒歩
航空会社
エミレーツ航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
JTB
  • この日迎えてくれたのはこの真っ赤なバスでした。大型バスなので1人2席使っても有り余るほどの広さです。

    この日迎えてくれたのはこの真っ赤なバスでした。大型バスなので1人2席使っても有り余るほどの広さです。

  • MSCエウリビアの全景を近くで見たのはこれが最初でした。

    MSCエウリビアの全景を近くで見たのはこれが最初でした。

  • 2022年のFIFAワールドカップの際に作られたフレンズのモニュメントのようです。10人くらい友達がいないとカッコつかなさそうです。

    2022年のFIFAワールドカップの際に作られたフレンズのモニュメントのようです。10人くらい友達がいないとカッコつかなさそうです。

  • 観光用のダウ船が目の前を通り過ぎていきます。

    観光用のダウ船が目の前を通り過ぎていきます。

  • ドーハ湾に浮かぶ小さな小島にはやはりFIFAワールドカップを記念するモニュメントが残されています。

    ドーハ湾に浮かぶ小さな小島にはやはりFIFAワールドカップを記念するモニュメントが残されています。

  • バスに乗ってすぐに気が付いたのが歩行者の道路標識が男性なのと「トーブ(thawb)」と呼ばれる湾岸アラブ諸国で着用される民族衣装ということです。中東諸国で消費されるトーブ用高級生地のトップシェアを持つのは日本の東洋紡で、繊維業は生産に水が不可欠であるため水不足が深刻な中東諸国での生産は物理的に難しいようです。

    バスに乗ってすぐに気が付いたのが歩行者の道路標識が男性なのと「トーブ(thawb)」と呼ばれる湾岸アラブ諸国で着用される民族衣装ということです。中東諸国で消費されるトーブ用高級生地のトップシェアを持つのは日本の東洋紡で、繊維業は生産に水が不可欠であるため水不足が深刻な中東諸国での生産は物理的に難しいようです。

  • 船のバルコニーからも見えた「カタール国立博物館(National Museum of Qatar)」に到着しました。<br />

    船のバルコニーからも見えた「カタール国立博物館(National Museum of Qatar)」に到着しました。

    カタール国立博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 建物はカタールでも見られる「砂漠のバラ」の結晶に触発されたフランスの建築家ジャン・ヌーヴェルによって設計されました。博物館の敷地にはカタールの国民的アイデンティティである「シェイク・アブドラ・ビン・ジャシム・アル・タニ宮殿(Sheikh Abdulla bin Jassim Al-Thani Palace)」も含まれています。

    建物はカタールでも見られる「砂漠のバラ」の結晶に触発されたフランスの建築家ジャン・ヌーヴェルによって設計されました。博物館の敷地にはカタールの国民的アイデンティティである「シェイク・アブドラ・ビン・ジャシム・アル・タニ宮殿(Sheikh Abdulla bin Jassim Al-Thani Palace)」も含まれています。

  • 2024年にチュニジアへ行った際にエルジェムの街の露店で買った「デザート・ローズ(Desert Rose)」の中に入って行くような錯覚にとらわれます。<br />エル・ジェム:https://4travel.jp/travelogue/11932831

    2024年にチュニジアへ行った際にエルジェムの街の露店で買った「デザート・ローズ(Desert Rose)」の中に入って行くような錯覚にとらわれます。
    エル・ジェム:https://4travel.jp/travelogue/11932831

  • デザートローズとは鉱物の名称ではなく、砂漠から発見されるバラの形をした石のことです。地底から染み出した水が周囲のミネラル分を溶かして形成した石で、砂でできた薔薇のような形状をしています。

    デザートローズとは鉱物の名称ではなく、砂漠から発見されるバラの形をした石のことです。地底から染み出した水が周囲のミネラル分を溶かして形成した石で、砂でできた薔薇のような形状をしています。

  • デザートローズには大きく分けて2つの種類があります。1つはセレナイトローズと呼ばれて赤褐色をしており、ジプサム(セレナイト)を主成分としています。もう1つはバライトローズもしくは、カルセドニーローズと呼ばれるもので、黄褐色をしており、重晶石を主成分としています。産出される場所によって色合いが違うようです。<br />

    デザートローズには大きく分けて2つの種類があります。1つはセレナイトローズと呼ばれて赤褐色をしており、ジプサム(セレナイト)を主成分としています。もう1つはバライトローズもしくは、カルセドニーローズと呼ばれるもので、黄褐色をしており、重晶石を主成分としています。産出される場所によって色合いが違うようです。

  • 社会科見学の子供たちの姿が多く見られました。

    社会科見学の子供たちの姿が多く見られました。

  • 妻はすでにお疲れのようです。これから1時間以上博物館を見学しますよ。

    妻はすでにお疲れのようです。これから1時間以上博物館を見学しますよ。

  • 外観の「デザート・ローズ」は建物の中にまで食い込んでいるのが凄いです。どのような構造になっているのか建設途中の姿を見てみたい気になります。

    外観の「デザート・ローズ」は建物の中にまで食い込んでいるのが凄いです。どのような構造になっているのか建設途中の姿を見てみたい気になります。

  • 入口の脇にはミュージアムショップがありました。出口は別の場所になるので、買い物する場合は先にした方が良さそうです。

    入口の脇にはミュージアムショップがありました。出口は別の場所になるので、買い物する場合は先にした方が良さそうです。

  • 建物のデザインだけで1時間見ていられそうです。この建物は2019年に出来ているのでいいタイミングで今回の旅で中東を旅することが出来たと思いました。

    建物のデザインだけで1時間見ていられそうです。この建物は2019年に出来ているのでいいタイミングで今回の旅で中東を旅することが出来たと思いました。

  • 巨大な「バットゥーラ(Battoulah)」のオブジェが置かれてありました。これはペルシャ湾周辺でハリージ・アラブ人やバンダリ人のペルシャ人イスラム教徒の女性が伝統的に着用していたメタリックなファッションマスクです。

    巨大な「バットゥーラ(Battoulah)」のオブジェが置かれてありました。これはペルシャ湾周辺でハリージ・アラブ人やバンダリ人のペルシャ人イスラム教徒の女性が伝統的に着用していたメタリックなファッションマスクです。

  • 博物館の展示では訪問者は3つの主要な相互に関連するテーマに取り組むギャラリーを見ることになります。ギャラリーは砂漠とペルシャ湾の自然史に関する展示から始まり、ベドウィン文化の遺物、部族戦争に関する歴史的な展示、カタール国家の設立、そして最後に石油の発見から現在までを年代順に大まかに並べています。

    博物館の展示では訪問者は3つの主要な相互に関連するテーマに取り組むギャラリーを見ることになります。ギャラリーは砂漠とペルシャ湾の自然史に関する展示から始まり、ベドウィン文化の遺物、部族戦争に関する歴史的な展示、カタール国家の設立、そして最後に石油の発見から現在までを年代順に大まかに並べています。

  • スタートは先カンブリア紀の8億年から6億5000万年前から始まります。この期間はペルシャ湾周辺は海中にあったようです。1時間で見学が終わるのだろうかと心配になってしまいます。

    スタートは先カンブリア紀の8億年から6億5000万年前から始まります。この期間はペルシャ湾周辺は海中にあったようです。1時間で見学が終わるのだろうかと心配になってしまいます。

  • 「アラビアダチョウ」は数千年に渡りアラビアに生息していましたが、1800年代以降に肉や羽毛や皮を目的に広く狩猟されたために1900年代半ばに絶滅したようです。

    「アラビアダチョウ」は数千年に渡りアラビアに生息していましたが、1800年代以降に肉や羽毛や皮を目的に広く狩猟されたために1900年代半ばに絶滅したようです。

  • 「オオヤマネコ」は中東からアフリカや一部アジアにも生息していましたが、近年カタールからは姿を消してしまったようです。砂漠化による生息行きの喪失と家畜を襲うことで人間に狙われて殺されたことが原因のようです。

    「オオヤマネコ」は中東からアフリカや一部アジアにも生息していましたが、近年カタールからは姿を消してしまったようです。砂漠化による生息行きの喪失と家畜を襲うことで人間に狙われて殺されたことが原因のようです。

  • 頭上には巨大な「ジンベイザメ」が吊るされています。カタール沖のペルシャ湾に広がる油田・ガス田地帯にはジンベエザメの餌場があり、大群が生息しているようです。

    頭上には巨大な「ジンベイザメ」が吊るされています。カタール沖のペルシャ湾に広がる油田・ガス田地帯にはジンベエザメの餌場があり、大群が生息しているようです。

  • 砂漠に住む動物たちの標本がジオラマ風に展示してあります。「アラビアオリックス」は生息地では食用や薬用や毛皮が利用される事もあったために19世紀には激減し、アラビア半島を除いてみられなくなります。野生個体は1972年に絶滅しましたが、1962年から野生個体3頭を捕獲して世界各地で飼育されていた9頭がアリゾナ州のフェニックス動物園に集めて飼育下で繁殖され、1980年のオマーンをはじめとして飼育下繁殖個体の再導入が進められています。

    砂漠に住む動物たちの標本がジオラマ風に展示してあります。「アラビアオリックス」は生息地では食用や薬用や毛皮が利用される事もあったために19世紀には激減し、アラビア半島を除いてみられなくなります。野生個体は1972年に絶滅しましたが、1962年から野生個体3頭を捕獲して世界各地で飼育されていた9頭がアリゾナ州のフェニックス動物園に集めて飼育下で繁殖され、1980年のオマーンをはじめとして飼育下繁殖個体の再導入が進められています。

  • 「スナネコ」は砂漠地帯に生息する唯一のネコ科動物で、アラブ首長国連邦を代表するネコです。「砂漠の天使」とも呼ばれ、群れず単独行動を行い岩砂漠や礫砂漠・砂砂漠・砂丘などに生息するようです。

    「スナネコ」は砂漠地帯に生息する唯一のネコ科動物で、アラブ首長国連邦を代表するネコです。「砂漠の天使」とも呼ばれ、群れず単独行動を行い岩砂漠や礫砂漠・砂砂漠・砂丘などに生息するようです。

  • 「アカギツネ」や大きな耳の「砂漠ウサギ」の姿もあります。

    「アカギツネ」や大きな耳の「砂漠ウサギ」の姿もあります。

  • ラーテルはイタチ科に分類される哺乳類で、別名ミツアナグマと呼ばれるそうです。<br />蜂の巣を襲う数少ない哺乳類であることが知られており、好物の蜂蜜を巡って小鳥と共生関係にある。

    ラーテルはイタチ科に分類される哺乳類で、別名ミツアナグマと呼ばれるそうです。
    蜂の巣を襲う数少ない哺乳類であることが知られており、好物の蜂蜜を巡って小鳥と共生関係にある。

  • 壁面は巨大な標本箱のような設えになっています。

    壁面は巨大な標本箱のような設えになっています。

  • ジオラマになっていた動物たちもきれいに並べられています。イルカの標本は初めて見た気がします。

    ジオラマになっていた動物たちもきれいに並べられています。イルカの標本は初めて見た気がします。

  • これらの陶器はドゥハン地域の地表近くで発見され、3世紀から6世紀のササン朝のものと考えられます。

    これらの陶器はドゥハン地域の地表近くで発見され、3世紀から6世紀のササン朝のものと考えられます。

  • ササン朝時代のドラクマ銀貨は5世紀から6世紀に鋳造されたものです。コインの表面にはペルシャ王の胸像、裏面にはゾロアスター教のザラスシュトラが点火したとされる火が描かれています。

    ササン朝時代のドラクマ銀貨は5世紀から6世紀に鋳造されたものです。コインの表面にはペルシャ王の胸像、裏面にはゾロアスター教のザラスシュトラが点火したとされる火が描かれています。

  • チルボン難破船は970年に沈没した貿易船でした。ジャワ島沖のチルボン近郊で沈没し1000年以上発見されませんでした。この船は中国の広州を出港し、アラビア湾を経由してイラクのバスラ市を目指していたようです。

    チルボン難破船は970年に沈没した貿易船でした。ジャワ島沖のチルボン近郊で沈没し1000年以上発見されませんでした。この船は中国の広州を出港し、アラビア湾を経由してイラクのバスラ市を目指していたようです。

  • 30年ほど前に行ったバリ島のウブドにあったアンティーク店ではジャワ島の沖合で沈没した船から揚がった陶器を買うことが出来ましたし、ベトナムのホイアンの近郊でも網に掛かった中国の陶器が売っていました。

    30年ほど前に行ったバリ島のウブドにあったアンティーク店ではジャワ島の沖合で沈没した船から揚がった陶器を買うことが出来ましたし、ベトナムのホイアンの近郊でも網に掛かった中国の陶器が売っていました。

  • カタールは数千年に渡り広範囲に貿易ネットワークを形成していたようです。カタール西北部のムルワブなどの考古学遺跡ではこの貿易の裏付けとなる発掘品が出土しています。

    カタールは数千年に渡り広範囲に貿易ネットワークを形成していたようです。カタール西北部のムルワブなどの考古学遺跡ではこの貿易の裏付けとなる発掘品が出土しています。

  • 博物館の内部は非常にゆったりとしたスペースに収蔵品が分かりやすく展示してあります。貿易船は広範囲の海域をエンジンも無い船で風任せに航行していたのだと思うとその技術の高さに驚きます。

    博物館の内部は非常にゆったりとしたスペースに収蔵品が分かりやすく展示してあります。貿易船は広範囲の海域をエンジンも無い船で風任せに航行していたのだと思うとその技術の高さに驚きます。

  • 風が弱いと気に使われたのがオールで、2本のオールは効率を最大限に高めるために丹念に作られています。3本目は持ち手に四角い木製の棒を付けただけのシンプルなものです。

    風が弱いと気に使われたのがオールで、2本のオールは効率を最大限に高めるために丹念に作られています。3本目は持ち手に四角い木製の棒を付けただけのシンプルなものです。

  • 20世紀のダウ船での貿易の情景が写真で感じることが出来ます。

    20世紀のダウ船での貿易の情景が写真で感じることが出来ます。

  • 人々は井戸から水を汲み、革製またはゴム製の容器ギルバを使って運搬と貯蔵をしました。一定期間定住する場合は土中に埋められた土器の甕に移すことで冷たく清潔に保つことが出来ました。

    人々は井戸から水を汲み、革製またはゴム製の容器ギルバを使って運搬と貯蔵をしました。一定期間定住する場合は土中に埋められた土器の甕に移すことで冷たく清潔に保つことが出来ました。

  • 食用植物はこのようなガラスカバーが掛けられて標本の様に展示してあります。そのセンスの良さを感じます。

    食用植物はこのようなガラスカバーが掛けられて標本の様に展示してあります。そのセンスの良さを感じます。

  • カタールでは1年を通じて様々な時期に多くの食用植物生産されました。メルボのように米と一緒に炊くもののように調理されるものもあればフメイドやフワのように生食のものはヨーグルトやデーツと共に食べられました。

    カタールでは1年を通じて様々な時期に多くの食用植物生産されました。メルボのように米と一緒に炊くもののように調理されるものもあればフメイドやフワのように生食のものはヨーグルトやデーツと共に食べられました。

  • イランやUAEやオマーンといったペルシャ湾岸の地域では、金色やカラフルな色をしたマスクを身につけている女性を見かけるようですが、その多くは年配の女性であり、伝統的なものとして若い世代にはあまり受け継がれていないようです。<br />

    イランやUAEやオマーンといったペルシャ湾岸の地域では、金色やカラフルな色をしたマスクを身につけている女性を見かけるようですが、その多くは年配の女性であり、伝統的なものとして若い世代にはあまり受け継がれていないようです。

  • イスラム教の女性が身に着けるベールのスタイルに数々の種類があることは知っていましたが、このようなフェイスマスクについてはほとんど知識がありませんでした。以前広州の空港でトランジットしていた際に「アバーヤ」をまとい、髪は専用のスカーフ「ヒジャブ」で隠し、顔には目元以外を隠す布「ニカブ」を付けた女性が前に座っていました。目元しか見えませんがすごい美人なのは感じ取れました。カッコいいなと思った瞬間にその女性が足を組み変えたら白地にピンクのハートのスエットが見えてびっくりしたことを思い出しました。

    イスラム教の女性が身に着けるベールのスタイルに数々の種類があることは知っていましたが、このようなフェイスマスクについてはほとんど知識がありませんでした。以前広州の空港でトランジットしていた際に「アバーヤ」をまとい、髪は専用のスカーフ「ヒジャブ」で隠し、顔には目元以外を隠す布「ニカブ」を付けた女性が前に座っていました。目元しか見えませんがすごい美人なのは感じ取れました。カッコいいなと思った瞬間にその女性が足を組み変えたら白地にピンクのハートのスエットが見えてびっくりしたことを思い出しました。

  • 続いてはラクダ用の鞍やその周辺の用具の展示が始まります。ラクダの脂肪を蓄える仕組みはたいへん優れていて、夏でも1週間は飲まず食わずで荷物を背負って進むことができます。キャラバンの出発時は充分に食べて、脂肪は立派に膨らんでいます。

    続いてはラクダ用の鞍やその周辺の用具の展示が始まります。ラクダの脂肪を蓄える仕組みはたいへん優れていて、夏でも1週間は飲まず食わずで荷物を背負って進むことができます。キャラバンの出発時は充分に食べて、脂肪は立派に膨らんでいます。

  • 植物のない不毛の地を進む間にどんどん栄養分としてラクダの内部で吸収され、みるみるうちに背中のこぶはしなだれてくるので飼い主はその様子であと何日先に進めるかわかるようです。

    植物のない不毛の地を進む間にどんどん栄養分としてラクダの内部で吸収され、みるみるうちに背中のこぶはしなだれてくるので飼い主はその様子であと何日先に進めるかわかるようです。

  • 農耕による生産が望めない砂漠地帯ではメソポタミアの時代でも肥沃な三日月地帯から外れていたアラビアでは商業が生活の主軸であり、大規模な隊商を組んで砂漠を何度も往復する事にななります。砂漠という過酷な環境ではその運搬する商品が生死に直結しており、略奪者も常に隊商を狙っていたことから防衛の為に日常的に武装して駱駝に騎乗していたようです。

    農耕による生産が望めない砂漠地帯ではメソポタミアの時代でも肥沃な三日月地帯から外れていたアラビアでは商業が生活の主軸であり、大規模な隊商を組んで砂漠を何度も往復する事にななります。砂漠という過酷な環境ではその運搬する商品が生死に直結しており、略奪者も常に隊商を狙っていたことから防衛の為に日常的に武装して駱駝に騎乗していたようです。

  • 女性用のラクダの鞍はハウダシュまたはメグバトと呼ばれました。鞍の上部に布を掛けることで女性の視界を遮っていました。人々は鞍に袋やギルバと呼び水袋を掛け、食料や水を運びました。

    女性用のラクダの鞍はハウダシュまたはメグバトと呼ばれました。鞍の上部に布を掛けることで女性の視界を遮っていました。人々は鞍に袋やギルバと呼び水袋を掛け、食料や水を運びました。

  • ラクダには編み込みの房飾りや輪飾りが施され、これらの装飾はテントにも用いられました。ここに展示されているのは1800年代から1900年代にかけてカタールで使用されていたものです。

    ラクダには編み込みの房飾りや輪飾りが施され、これらの装飾はテントにも用いられました。ここに展示されているのは1800年代から1900年代にかけてカタールで使用されていたものです。

  • こちらには乗馬用具も展示してあります。アラブ種はサラブレッドより小柄で華奢な体躯で速力もサラブレッドには劣りますが耐候性や耐久性に優れています。その成立ははっきりしないようですが、アラビア半島の遊牧民のベドウィンにより、厳格な血統管理の元に改良が進められて品種として確立しました。

    こちらには乗馬用具も展示してあります。アラブ種はサラブレッドより小柄で華奢な体躯で速力もサラブレッドには劣りますが耐候性や耐久性に優れています。その成立ははっきりしないようですが、アラビア半島の遊牧民のベドウィンにより、厳格な血統管理の元に改良が進められて品種として確立しました。

  • ここに展示している乗馬用具は伝統的なカタールの鞍の現代に作られたものです。こちらもキリムと房が美しいです。

    ここに展示している乗馬用具は伝統的なカタールの鞍の現代に作られたものです。こちらもキリムと房が美しいです。

  • 次は「鷹匠(Falconry)」についての展示です。実際の鷹にはこの後に行った「スーク・ワキーフ(Souq Waqif)」の奥にある「ファルコンスーク(Falcon Souq)」で見ることが出来ました。

    次は「鷹匠(Falconry)」についての展示です。実際の鷹にはこの後に行った「スーク・ワキーフ(Souq Waqif)」の奥にある「ファルコンスーク(Falcon Souq)」で見ることが出来ました。

  • 鷹狩とは飼いならした鷹を放って獲物を捕らえさせる狩猟技法で、鉄砲が発明される以前には弓矢よりも射程距離が長く、きわめて効率的な狩猟方法でした。鷹狩の歴史は数千年前のアラブにさかのぼると言われ、それから世界各地へ広がり、やがて日本にも伝播しました。

    鷹狩とは飼いならした鷹を放って獲物を捕らえさせる狩猟技法で、鉄砲が発明される以前には弓矢よりも射程距離が長く、きわめて効率的な狩猟方法でした。鷹狩の歴史は数千年前のアラブにさかのぼると言われ、それから世界各地へ広がり、やがて日本にも伝播しました。

  • ここには左手にファルコンをとまらせるときに手を保護するグローブ、止まり木に括る紐、 ルアートレーニングに使う疑似鳥などが並んでいます。

    ここには左手にファルコンをとまらせるときに手を保護するグローブ、止まり木に括る紐、 ルアートレーニングに使う疑似鳥などが並んでいます。

  • そしてブルクと呼ばれる鷹の頭に被せるフードです。訓練中や移動中に落ち着かせるためのもので、心地よさが重要なようです。気に入らないとフードを拒絶するようです。

    そしてブルクと呼ばれる鷹の頭に被せるフードです。訓練中や移動中に落ち着かせるためのもので、心地よさが重要なようです。気に入らないとフードを拒絶するようです。

  • 焚火の周りにはフイゴが置かれ、その近くにはコーヒーを淹れる道具が並べられています。コーヒー豆はエチオピアの羊飼いが豆を食べた羊が活発になることで発見されたと言われます。柱頭では1400年代からこの地域で取引されました。当時は宗教家によって禁じられたハラーム(禁断)の品とされました。商人たちはコーヒー豆をイエメンやアラビア半島に売り、ハッジの巡礼者はコーヒーを持ち帰りました。人気が高まるにつれて値段は高騰し富裕層しか買えなくなり、客のもてなしの象徴になりました。

    焚火の周りにはフイゴが置かれ、その近くにはコーヒーを淹れる道具が並べられています。コーヒー豆はエチオピアの羊飼いが豆を食べた羊が活発になることで発見されたと言われます。柱頭では1400年代からこの地域で取引されました。当時は宗教家によって禁じられたハラーム(禁断)の品とされました。商人たちはコーヒー豆をイエメンやアラビア半島に売り、ハッジの巡礼者はコーヒーを持ち帰りました。人気が高まるにつれて値段は高騰し富裕層しか買えなくなり、客のもてなしの象徴になりました。

  • キリム(?Gelim)はかつてのイランやアゼルバイジャンおよび中央アジアの国家において伝統的な綴れ織りで製造されている絨毯を指します。キリムは純粋な装飾のためにも、またムスリムの人々による祈りのための敷物としても用いられます。

    キリム(?Gelim)はかつてのイランやアゼルバイジャンおよび中央アジアの国家において伝統的な綴れ織りで製造されている絨毯を指します。キリムは純粋な装飾のためにも、またムスリムの人々による祈りのための敷物としても用いられます。

  • 30年近く前に行ったイスタンブールでキリムにハマり、その後もトルコを旅する度にキリムの枚数は増えてしまいました。家に敷ききれないほどありながらモロッコやチュニジアを旅してもベルベル絨毯を買ってしまい自分でも呆れるばかりです。

    30年近く前に行ったイスタンブールでキリムにハマり、その後もトルコを旅する度にキリムの枚数は増えてしまいました。家に敷ききれないほどありながらモロッコやチュニジアを旅してもベルベル絨毯を買ってしまい自分でも呆れるばかりです。

  • キリムは縦糸と横糸を交互にきつく織り込むことにより作られており、パイルのない平らな表面が出来ます。キリムの織り方はタペストリーの織り方であり、技巧の面からいうと横糸が表面に出る平織りです。平行な横糸が下側にきつく引っ張られることで、垂直な縦糸が見えなくなるような織り方です。

    キリムは縦糸と横糸を交互にきつく織り込むことにより作られており、パイルのない平らな表面が出来ます。キリムの織り方はタペストリーの織り方であり、技巧の面からいうと横糸が表面に出る平織りです。平行な横糸が下側にきつく引っ張られることで、垂直な縦糸が見えなくなるような織り方です。

  • キリムには多数のモチーフが用いられており、それぞれのモチーフには多くのバリエーションがあります。広く用いられるモチーフは女性や母性、多産を象徴する図形であるエリベリンデで、他のモチーフとしては自分たちの家畜をオオカミから守りたいという織り手の願いが込められたオオカミの口や足のモチーフ、サソリに刺されないことを願うモチーフ、織り手の家族を邪視から守るものなどがあります。コロナ前にカッパドキアのギョレメで17年振りに友人に再開した旅を思い出します。<br />ギョレメ:https://4travel.jp/travelogue/11568143

    キリムには多数のモチーフが用いられており、それぞれのモチーフには多くのバリエーションがあります。広く用いられるモチーフは女性や母性、多産を象徴する図形であるエリベリンデで、他のモチーフとしては自分たちの家畜をオオカミから守りたいという織り手の願いが込められたオオカミの口や足のモチーフ、サソリに刺されないことを願うモチーフ、織り手の家族を邪視から守るものなどがあります。コロナ前にカッパドキアのギョレメで17年振りに友人に再開した旅を思い出します。
    ギョレメ:https://4travel.jp/travelogue/11568143

  • 大きな壁面一杯にアラブの衣装が展示してあります。女性の衣装の色彩と装飾は伝統的な要素でした。

    大きな壁面一杯にアラブの衣装が展示してあります。女性の衣装の色彩と装飾は伝統的な要素でした。

  • 鮮やかな花柄と手刺繍が施されたダラ(ドレス)が紹介されています。

    鮮やかな花柄と手刺繍が施されたダラ(ドレス)が紹介されています。

  • 「バットゥーラ(Battoulah)」と呼ばれる仮面と「ヒジャブ」と服だけでトルソなどは使われていませんが、実にリアルに展示してあることにセンスの高さを感じます。

    「バットゥーラ(Battoulah)」と呼ばれる仮面と「ヒジャブ」と服だけでトルソなどは使われていませんが、実にリアルに展示してあることにセンスの高さを感じます。

  • 「ミルファ(Milfa)」と呼ばれる黒い頭巾は髪を覆うように掛けられ、前身頃では胸を覆って、背中にも垂らしています。

    「ミルファ(Milfa)」と呼ばれる黒い頭巾は髪を覆うように掛けられ、前身頃では胸を覆って、背中にも垂らしています。

  • このタイプのミルファはカタールの高齢女性に今でも愛用されています。

    このタイプのミルファはカタールの高齢女性に今でも愛用されています。

  • 精巧な刺繍などの細部へのこだわりが伝統衣装の美しさをさらに引き立てています。黒のシルクに映えるように刺繍が施されています。他の衣装では緑や赤や黄色の糸で刺繍が施されています。スルワル(Surwal)と呼ばれるパンツにの足首には牛の角や馬の歯やアーモンドのモチーフの刺繍が施されています。

    精巧な刺繍などの細部へのこだわりが伝統衣装の美しさをさらに引き立てています。黒のシルクに映えるように刺繍が施されています。他の衣装では緑や赤や黄色の糸で刺繍が施されています。スルワル(Surwal)と呼ばれるパンツにの足首には牛の角や馬の歯やアーモンドのモチーフの刺繍が施されています。

  • 女性用のマンとはダッファ(Daffah)と呼ばれ、元々は黒か茶色のウールで作られ頭から被るものでした。1960年代にあると肩から羽織る軽やかなアバヤ(Abaya)が人気になりました。

    女性用のマンとはダッファ(Daffah)と呼ばれ、元々は黒か茶色のウールで作られ頭から被るものでした。1960年代にあると肩から羽織る軽やかなアバヤ(Abaya)が人気になりました。

  • 現代の男性の服装は伝統的な衣装を基調としつつも地域や世界各地からの影響も取り入れられているようです。主なアイテムは長衣のトゥーブ(Thaub)とビシュッド(Bisht)と呼ばれる外套とグドラ(Ghutra)と呼ばれる頭巾、ヘッドバンドの上がる(Agaal)からなります。

    現代の男性の服装は伝統的な衣装を基調としつつも地域や世界各地からの影響も取り入れられているようです。主なアイテムは長衣のトゥーブ(Thaub)とビシュッド(Bisht)と呼ばれる外套とグドラ(Ghutra)と呼ばれる頭巾、ヘッドバンドの上がる(Agaal)からなります。

  • 次の壁面には一面にキャメルバッグは展示してあります。その美しさにはため息が出ます。

    次の壁面には一面にキャメルバッグは展示してあります。その美しさにはため息が出ます。

  • 複雑な幾何学模様で装飾されたラクダの背に吊り下げられるバックはタッセルで装飾されています。

    複雑な幾何学模様で装飾されたラクダの背に吊り下げられるバックはタッセルで装飾されています。

  • 大きさやデザインによって使い道が違うようで、個人的な持ち物を運ぶものや引っ越し用の荷物を入れるものなど多岐にわたり、それぞれ名前も付いています。

    大きさやデザインによって使い道が違うようで、個人的な持ち物を運ぶものや引っ越し用の荷物を入れるものなど多岐にわたり、それぞれ名前も付いています。

  • その原材料となる羊毛も展示してあります。羊だけでなく他の動物の毛も使われたのだと思います。

    その原材料となる羊毛も展示してあります。羊だけでなく他の動物の毛も使われたのだと思います。

  • 織り機の形は国や地域や文化が違っても基本的に大きな違いは無いようです。

    織り機の形は国や地域や文化が違っても基本的に大きな違いは無いようです。

  • 添乗員さんとガイドさんと他の皆さんはとっくにしたの階へ移動してしまったようです。一応イヤフォンガイドも渡されていますが、全く反応していません。

    添乗員さんとガイドさんと他の皆さんはとっくにしたの階へ移動してしまったようです。一応イヤフォンガイドも渡されていますが、全く反応していません。

  • 通常はマイクを持った人の説明を聞くためのものですが、どうしても写真を撮ることに集中してしまうので、マイクから離れてくると雑音が入り始めさらに離れると反応しなくなります。その雑音を目安に追いかけないと迷子になってしまいます。

    通常はマイクを持った人の説明を聞くためのものですが、どうしても写真を撮ることに集中してしまうので、マイクから離れてくると雑音が入り始めさらに離れると反応しなくなります。その雑音を目安に追いかけないと迷子になってしまいます。

  • 下の階に移ると伝統的な建築関係の展示から始まります。

    下の階に移ると伝統的な建築関係の展示から始まります。

  • これらはシャムシャ(Shamsiya)と呼ばれる石膏で出来た装飾パネルです。レンガ状に成型した石膏が完全に固まる前にナイフを入れて型抜きしています。

    これらはシャムシャ(Shamsiya)と呼ばれる石膏で出来た装飾パネルです。レンガ状に成型した石膏が完全に固まる前にナイフを入れて型抜きしています。

  • 建物自体は簡素でしたが、意匠としてこれらの石膏パネルを扉や窓の上に設けました。

    建物自体は簡素でしたが、意匠としてこれらの石膏パネルを扉や窓の上に設けました。

  • 木製の扉は通常インドから既製品が輸入されたようです。シンプルなものから豪華な彫刻が施されたものまでありました。木材が少ない中東ではインドから輸入するのが一番の方法だったようです。

    木製の扉は通常インドから既製品が輸入されたようです。シンプルなものから豪華な彫刻が施されたものまでありました。木材が少ない中東ではインドから輸入するのが一番の方法だったようです。

  • 扉にはファルカ(Farhka)と呼ばれる小さな扉も設けてあるものもあります。高さが低いことから訪問者は家に入る際にかがんで下を向く必要があり、住人のプライバシーがある程度守られました。

    扉にはファルカ(Farhka)と呼ばれる小さな扉も設けてあるものもあります。高さが低いことから訪問者は家に入る際にかがんで下を向く必要があり、住人のプライバシーがある程度守られました。

  • 窓は通常壁の高い位置に設けられました。外交と涼しい風を取り入れながらプライバシーも確保されました。窓には木製の雨戸で閉じられ、日中の暑さも遮断しました。

    窓は通常壁の高い位置に設けられました。外交と涼しい風を取り入れながらプライバシーも確保されました。窓には木製の雨戸で閉じられ、日中の暑さも遮断しました。

  • ドバイの出港時やドーハの入港時にもたくさんの木造船を見掛けました。ダウ船(Dhaws)として知られるこれら伝統的な船は中東の商業や生活には欠かせないものでした。

    ドバイの出港時やドーハの入港時にもたくさんの木造船を見掛けました。ダウ船(Dhaws)として知られるこれら伝統的な船は中東の商業や生活には欠かせないものでした。

  • クルーズ船からは離れた位置を航行する姿を見ることは出来ましたが、細かいディティールはこのような模型を見なければわからないことでした。

    クルーズ船からは離れた位置を航行する姿を見ることは出来ましたが、細かいディティールはこのような模型を見なければわからないことでした。

  • カタールの沿岸漁業や真珠採りや沿岸貿易、そして外洋貿易には様々な種類のダウ船が使用されていました。

    カタールの沿岸漁業や真珠採りや沿岸貿易、そして外洋貿易には様々な種類のダウ船が使用されていました。

  • ダウ船(Dhaws)の建造に使われた工具も展示してあります。

    ダウ船(Dhaws)の建造に使われた工具も展示してあります。

  • 現在のカタールは天然ガスや石油を主産業として成長している国ですが、それ以前<br />は漁業、遊牧、真珠産業などを主産業としていました。カタールにとって真珠は重要な輸出品でした。当時はこのような潜水服を着て海に潜って貝を探していたと知ります。ギリシャの海綿採りにも似ていると思います。

    現在のカタールは天然ガスや石油を主産業として成長している国ですが、それ以前
    は漁業、遊牧、真珠産業などを主産業としていました。カタールにとって真珠は重要な輸出品でした。当時はこのような潜水服を着て海に潜って貝を探していたと知ります。ギリシャの海綿採りにも似ていると思います。

  • カタールの真珠の歴史は古く、紀元前3000年~2000年の遺物が見つかっています。<br />カタールはペルシャ湾有数の真珠の産地で、天然の真珠を採るために数が少なく価格が高く、古代よりペルシャの王族の間で重宝されて貿易の品としても扱われてい<br />ました。真珠産業は近年まではカタールの重要な産業でした。

    カタールの真珠の歴史は古く、紀元前3000年~2000年の遺物が見つかっています。
    カタールはペルシャ湾有数の真珠の産地で、天然の真珠を採るために数が少なく価格が高く、古代よりペルシャの王族の間で重宝されて貿易の品としても扱われてい
    ました。真珠産業は近年まではカタールの重要な産業でした。

  • その当時は夏の3ヶ月くらいは海の上で真珠採りをして暮らしました。朝4時ごろから2時間置きに休みをとりながら日がくれるまで働きました。水深3メートルから20メートルの海の底から貝を採ってくるのですが、長い人は1回に5分間も潜っていました。酸素ボンベも足ヒレも水中メガネもなかったので、鼻せんと命綱、早く潜るための重りを身に付けて潜りました。船の上で貝を開くのも大変な仕事で、500個の貝を開いても真珠が1個も採れないことがあったようです。船の上が貝でいっぱいになることもあり、3カ月で3キロほどの真珠が採れました。

    その当時は夏の3ヶ月くらいは海の上で真珠採りをして暮らしました。朝4時ごろから2時間置きに休みをとりながら日がくれるまで働きました。水深3メートルから20メートルの海の底から貝を採ってくるのですが、長い人は1回に5分間も潜っていました。酸素ボンベも足ヒレも水中メガネもなかったので、鼻せんと命綱、早く潜るための重りを身に付けて潜りました。船の上で貝を開くのも大変な仕事で、500個の貝を開いても真珠が1個も採れないことがあったようです。船の上が貝でいっぱいになることもあり、3カ月で3キロほどの真珠が採れました。

  • 1905年に日本の三重県に住む御木本幸吉が真円真珠の養殖に成功し、値段の安い日本製の養殖真珠が世界に出回るようになります。そのため値段の高いカタール産の天然真珠は売れなくなり、真珠採りをする人は減ってしまいました。現在では真珠産業はなくなっています。

    1905年に日本の三重県に住む御木本幸吉が真円真珠の養殖に成功し、値段の安い日本製の養殖真珠が世界に出回るようになります。そのため値段の高いカタール産の天然真珠は売れなくなり、真珠採りをする人は減ってしまいました。現在では真珠産業はなくなっています。

  • 真珠のコーナーでの妻の妙な笑顔の意味が分かったのはこの後の「スーク・ワキーフ(Souq Waqif)」に行ってからのことでした。

    真珠のコーナーでの妻の妙な笑顔の意味が分かったのはこの後の「スーク・ワキーフ(Souq Waqif)」に行ってからのことでした。

  • 婚礼についても面白い習慣を知ることになりました。伝統的に新婚夫婦は新郎の実家へ移る前に最初の1週間を花嫁の両親と過ごしました。結婚式の祝賀行事として新郎の実家には特別な準備がされました。

    婚礼についても面白い習慣を知ることになりました。伝統的に新婚夫婦は新郎の実家へ移る前に最初の1週間を花嫁の両親と過ごしました。結婚式の祝賀行事として新郎の実家には特別な準備がされました。

  • 結婚を祝うために一族の最高級の家具が集められ部屋を飾りました。中でも特に重要なものは花婿から花嫁に贈られた持参金の一部である衣服や宝石が詰まった装飾された箱でした。部屋は美しい天蓋付きのベット、孔雀の鏡や香炉で飾られました。

    結婚を祝うために一族の最高級の家具が集められ部屋を飾りました。中でも特に重要なものは花婿から花嫁に贈られた持参金の一部である衣服や宝石が詰まった装飾された箱でした。部屋は美しい天蓋付きのベット、孔雀の鏡や香炉で飾られました。

  • ここに飾られた家具や宝飾品は1900年代にカタールで実際に使われたものです。カタールの女性は祝賀の際には金の装飾品を身に着けていました。1950年代以降真珠も宝飾品に取り入れられましたが、通常は金やトルコ石が使われました。

    ここに飾られた家具や宝飾品は1900年代にカタールで実際に使われたものです。カタールの女性は祝賀の際には金の装飾品を身に着けていました。1950年代以降真珠も宝飾品に取り入れられましたが、通常は金やトルコ石が使われました。

  • 1950年以降真珠が使われるようになった理由は安価な養殖真珠が出来たことにより値段が暴落し値段が下がったことと、石油の発見により富の増大によるものです。

    1950年以降真珠が使われるようになった理由は安価な養殖真珠が出来たことにより値段が暴落し値段が下がったことと、石油の発見により富の増大によるものです。

  • 日本的な9ミリほどの大玉真珠ではなく、ベビーパールを重ねたデザインが美しいです。

    日本的な9ミリほどの大玉真珠ではなく、ベビーパールを重ねたデザインが美しいです。

  • 妻の友人がMIKIMOTOに勤めていたこともあり、良いものを紹介してもらったことがありました。その話を聞いた母が乗り気になり、自分は黒真珠のネックレスを息子たちのお嫁さん3人に白真珠のネックレスを買ってくれたことがありました。母が亡くなって黒真珠は妻の手に渡り、2人で旅行する中でもミャンマーで淡水のバロック真珠のネックレスなども買っていたのでもう欲しがらないだろうと高をくくっていました。

    妻の友人がMIKIMOTOに勤めていたこともあり、良いものを紹介してもらったことがありました。その話を聞いた母が乗り気になり、自分は黒真珠のネックレスを息子たちのお嫁さん3人に白真珠のネックレスを買ってくれたことがありました。母が亡くなって黒真珠は妻の手に渡り、2人で旅行する中でもミャンマーで淡水のバロック真珠のネックレスなども買っていたのでもう欲しがらないだろうと高をくくっていました。

  • 天然真珠をあしらったこの作品は中国で作られました。ティアラには中国美術でよく見られるモチーフの龍が一対あしらわれています。

    天然真珠をあしらったこの作品は中国で作られました。ティアラには中国美術でよく見られるモチーフの龍が一対あしらわれています。

  • このモロッコのスタイルのメックレスは金とエメラルドとルビーに加え湾岸さんの真珠があしらわれています。モロッコ北部の典型的なデザインからおそらく結婚持参金の一部だったと思われます。

    このモロッコのスタイルのメックレスは金とエメラルドとルビーに加え湾岸さんの真珠があしらわれています。モロッコ北部の典型的なデザインからおそらく結婚持参金の一部だったと思われます。

  • このジュエリーセットはインドで作られたもので、湾岸さんの真珠の主要市場でもあり、国内消費と再輸出用と両方で利用されていました。ダイヤモンドとエメラルドとと真珠がちりばめられたハル・ムラッサのネックレスは19世紀のものです。よく似たネックレスがハイデラバードの第7代二ザームが1906年の結婚式で着用していました。

    このジュエリーセットはインドで作られたもので、湾岸さんの真珠の主要市場でもあり、国内消費と再輸出用と両方で利用されていました。ダイヤモンドとエメラルドとと真珠がちりばめられたハル・ムラッサのネックレスは19世紀のものです。よく似たネックレスがハイデラバードの第7代二ザームが1906年の結婚式で着用していました。

  • バローダ(Baroda)の真珠の絨毯は希少な宝物です。バスラ真珠(Basra Pearls)と呼ばれる真珠が150万個刺繍されています。バスラは主要な真珠貿易拠点であったイラクの真珠の産地で、この絨毯は湾岸真珠産業の規模の大きさと成功を表しています。

    バローダ(Baroda)の真珠の絨毯は希少な宝物です。バスラ真珠(Basra Pearls)と呼ばれる真珠が150万個刺繍されています。バスラは主要な真珠貿易拠点であったイラクの真珠の産地で、この絨毯は湾岸真珠産業の規模の大きさと成功を表しています。

  • この絨毯は1965年頃にインドのバローダのマハラジャによって注文され、元々はメディナにある預言者ムハンマドの墓を覆うチャデル(Chader)と呼ばれる布として作られました。

    この絨毯は1965年頃にインドのバローダのマハラジャによって注文され、元々はメディナにある預言者ムハンマドの墓を覆うチャデル(Chader)と呼ばれる布として作られました。

  • 古来より剣は名誉ある武器で勇気と正義の象徴とされました。アラブ世界では個人の英雄的行為と深く結びつけられています。剣は持ち主の大きな誇りの源で世代から世代へと受け継がれる貴重な所有物でもありました。ここに展示した厳選された剣は波模様のウーツ鋼の刃と金または銀の柄を備えており、アラビア半島でももっとも著名な刀鍛冶によって製作されました。

    古来より剣は名誉ある武器で勇気と正義の象徴とされました。アラブ世界では個人の英雄的行為と深く結びつけられています。剣は持ち主の大きな誇りの源で世代から世代へと受け継がれる貴重な所有物でもありました。ここに展示した厳選された剣は波模様のウーツ鋼の刃と金または銀の柄を備えており、アラビア半島でももっとも著名な刀鍛冶によって製作されました。

  • 湾岸地域における近代的な銃器の到来は1800年代半ばにヨーロッパ諸国とオスマン帝国の勢力がこの地域の存在感を高め、武器貿易が増加したことによります。地域紛争により銃器と弾薬の需要が高まり、イギリスとフランスとドイツの武器製造業者は繁栄しました。このインスタレーションでは1800年代から1900年代のライフルが展示されています。

    湾岸地域における近代的な銃器の到来は1800年代半ばにヨーロッパ諸国とオスマン帝国の勢力がこの地域の存在感を高め、武器貿易が増加したことによります。地域紛争により銃器と弾薬の需要が高まり、イギリスとフランスとドイツの武器製造業者は繁栄しました。このインスタレーションでは1800年代から1900年代のライフルが展示されています。

  • 35年ほど前から長期の旅をする度にその国の地図を持って移動していました。旅を重ねる度に増える16世紀から17世紀の古地図はかなりの枚数になりました。ヨーロッパから始まった地図はトルコまで進みましたが、今回は持っていないアラブ世界なので1枚欲しいところでした。この地図は1561年に制作されたヴェネツィアの地図製作者ジャコモ・ガスタルディ(Giacomo Gasteldi)地図です。よく見るとCATARAと書かれたのが現在のカタールです。

    35年ほど前から長期の旅をする度にその国の地図を持って移動していました。旅を重ねる度に増える16世紀から17世紀の古地図はかなりの枚数になりました。ヨーロッパから始まった地図はトルコまで進みましたが、今回は持っていないアラブ世界なので1枚欲しいところでした。この地図は1561年に制作されたヴェネツィアの地図製作者ジャコモ・ガスタルディ(Giacomo Gasteldi)地図です。よく見るとCATARAと書かれたのが現在のカタールです。

  • この地図は製作者は分かっていませんが、ギリシャ・ローマの地図学者クラウディウス・プトレマイオスの著作に基づいて1578年に作られました。1500年代に西洋列強が初めてペルシャ湾に進出した当時、これらの古代の著作は数少ない情報源でした。

    この地図は製作者は分かっていませんが、ギリシャ・ローマの地図学者クラウディウス・プトレマイオスの著作に基づいて1578年に作られました。1500年代に西洋列強が初めてペルシャ湾に進出した当時、これらの古代の著作は数少ない情報源でした。

  • この1596年に制作された地図はオランダの証人と地図製作者によるもので彼らの地図はオランダとポルトガルの知識を融合させたものです。ポルトガルの海図制作者にとっては新しい情報源となりました。バーレーン海岸やアハサー湾など新しい地域が地図に収録されています。

    この1596年に制作された地図はオランダの証人と地図製作者によるもので彼らの地図はオランダとポルトガルの知識を融合させたものです。ポルトガルの海図制作者にとっては新しい情報源となりました。バーレーン海岸やアハサー湾など新しい地域が地図に収録されています。

  • ジョン・ウイリアム・ノリ―(John William Norrie)による1854年のこの地図はアラビア湾の主要な高炉と沿岸都市が示されています。

    ジョン・ウイリアム・ノリ―(John William Norrie)による1854年のこの地図はアラビア湾の主要な高炉と沿岸都市が示されています。

  • 1709年にイギリスのジョン・フレンド(John Friend)による地図が湾岸の都市や港と海路が描かれています。この地図は革に描かれています。

    1709年にイギリスのジョン・フレンド(John Friend)による地図が湾岸の都市や港と海路が描かれています。この地図は革に描かれています。

  • 博物館の最後は近代の歴史についての展示になります。特に石油産業の発展に伴う展示が多く見られました。

    博物館の最後は近代の歴史についての展示になります。特に石油産業の発展に伴う展示が多く見られました。

  • 石油産業の発展に伴いカタール全土にパイプラインが施設されました。パイプラインは半島を横断し、生産拠点から姪サードなどの輸出ターミナルへ石油を運び、世界中に輸出されました。ここに展示されている石油パイプは1940年代に完成したカタール初の油井があるドゥハーンのものです。

    石油産業の発展に伴いカタール全土にパイプラインが施設されました。パイプラインは半島を横断し、生産拠点から姪サードなどの輸出ターミナルへ石油を運び、世界中に輸出されました。ここに展示されている石油パイプは1940年代に完成したカタール初の油井があるドゥハーンのものです。

  • オイルマネーによる富はアメリカから高級車を輸入するほどになります。木製のダウ船に積み込まれたクライスラーはどこへ運ばれたのでしょう。

    オイルマネーによる富はアメリカから高級車を輸入するほどになります。木製のダウ船に積み込まれたクライスラーはどこへ運ばれたのでしょう。

  • 砂漠の中のクライスラー・インペリアル。舗装道路も無いような砂漠を走ることが出来たのでしょうか。

    砂漠の中のクライスラー・インペリアル。舗装道路も無いような砂漠を走ることが出来たのでしょうか。

  • 1868年にムハンマド・ビン・サーニーがイギリスと条約を結び、独立国としての地位を認められて以降はカタールのサーニー家による世襲君主制国家として統治されてきました。オスマン帝国の支配を経て20世紀初頭にはイギリスの保護領となり、1971年に独立を果たします。

    1868年にムハンマド・ビン・サーニーがイギリスと条約を結び、独立国としての地位を認められて以降はカタールのサーニー家による世襲君主制国家として統治されてきました。オスマン帝国の支配を経て20世紀初頭にはイギリスの保護領となり、1971年に独立を果たします。

  • 博物館の建物はカタールの元首長アブドラ・ビン・ジャシム・アル・タニが以前住んでいた20世紀初頭の老朽化した宮殿である「オールド・アミリ宮殿(Sheikh Abdulla bin Jassim Al-Thani Palace)」に隣接しています。

    博物館の建物はカタールの元首長アブドラ・ビン・ジャシム・アル・タニが以前住んでいた20世紀初頭の老朽化した宮殿である「オールド・アミリ宮殿(Sheikh Abdulla bin Jassim Al-Thani Palace)」に隣接しています。

  • 博物館の中だけで1.5キロ歩いてきたのですでにお疲れのようです。真珠を見て喜んだ元気ももう残っていません。

    博物館の中だけで1.5キロ歩いてきたのですでにお疲れのようです。真珠を見て喜んだ元気ももう残っていません。

  • 「フラッグポール(Qatar Flagpole)」のこの彫刻は12月18日のカタール建国記念日の毎年恒例の祝典の背後にある物語を、カタール国旗を掲揚するために団結する堅固な手集団の形で具体化しています。

    「フラッグポール(Qatar Flagpole)」のこの彫刻は12月18日のカタール建国記念日の毎年恒例の祝典の背後にある物語を、カタール国旗を掲揚するために団結する堅固な手集団の形で具体化しています。

  • 国旗は白と赤茶色(マルーン)からなり、9つの頂点を持つ縦のジグザグ線で区切られています。現在の独立国の中では唯一長辺の長さが短辺の2倍を超えており、結果的に世界的にも最も横長の国旗となっています。

    国旗は白と赤茶色(マルーン)からなり、9つの頂点を持つ縦のジグザグ線で区切られています。現在の独立国の中では唯一長辺の長さが短辺の2倍を超えており、結果的に世界的にも最も横長の国旗となっています。

  • 見晴らしの良い広場からは港に停泊するMSCエウリビアの姿が見えました。

    見晴らしの良い広場からは港に停泊するMSCエウリビアの姿が見えました。

  • 博物館の見学を終えて「ドーハ・メトロ(Doha Metro)」に乗って「スーク・ワキーフ(Souq Waqif)」に向かいます。

    博物館の見学を終えて「ドーハ・メトロ(Doha Metro)」に乗って「スーク・ワキーフ(Souq Waqif)」に向かいます。

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