2024/06/06 - 2024/06/06
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「ケロアン/カイルアン(Kayrawan)」でのチュニジア最初の晩を過ごした朝です。宿泊した「ラ・カスバ(la kasbah)」も素晴らしいホテルでした。朝食をいただいて、プールサイドを少し歩いた後はチェックアウトしなければならないのが残念です。この日の午前中は「ケロアン(カイルアン)」の市内観光で、まずは「アグラブ朝の貯水池(Bassins Aghlabites)」に向かいます。この時期はチュニジアの観光シーズンから外れていたのか意外なほどにしないで観光客の姿は見掛けませんでした。巨大な貯水池を見た後はいきなりお土産物屋でアルガンオイルやチュニジアらしいジャスミンオイルを買ってみたり。次は「シディ・サハブ霊廟(Mosque Sidi Sahbi)」に向かいますが、小さな町なので移動時間が5分ほどなのがありがたいです。この霊廟のチュニジアンタイルの美しさには驚かされました。今年の11月には30年振りにポルトガルへ行く予定なので、チュニジアのタイルには興味を持ってこの旅に来ていました。「ウクバのモスク(Mosque of Uqba)」で知った馬蹄形のアーチがここから生まれたということも驚きでした。過去に旅したイベリア半島と北アフリカとの関係の強さを改めてなじました。それは地理的に近いモロッコを旅した時よりも強く感じました。最後に昨晩の彷徨い歩いた「メディナ(旧市街)」の中を歩きました。昼間の賑やかさも良かったですが、前のバンの人通りのない真っ暗な旧市街も魅力がありました。半日だけでしたがとても充実した観光でした。午後はさらに南に位置する「エルジェム(El Djem)」の円形闘技場に向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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手持ちのお札の中にあった5ディナールの裏面には昨日見てきた水道橋が描かれていました。中国を旅していて同じように名勝地が描かれた場所に行くことから始まり、色々な国の紙幣の裏面に興味を持つようになりました。それに比べると架空の景色が描かれたユーロ紙幣には魅力を感じません。
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朝食も夕食と同じレストランでビュッフェの料理をいただきます。
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昨晩のハマムスパではスッポンポンで垢すりもされたようで、体がヒリヒリすると弱音を吐いていました。長時間のフライト後なので気持ちよかったそうです。
ラ カシュバ ホテル ホテル
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綺麗なブーゲンビリアの前で記念写真を撮っておきます。そろそろお互いに葬儀用の写真の事を考えておかないとなりません。
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これは葬式用には使えませんが、朝のプールサイドは気持ちよかったです。
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季節外れのホテルのプールは食後の散歩にはもってこいの場所です。
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ホテルでのんびりする時間も終わり、そろそろ出発の時間になりました。
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朝のエントランスは日陰になっていました。長い時間滞在出来ませんでしたがいいホテルでした。
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夜が明けたケロアン(カイルアン)の町は思っていたよりも緑の濃いところでした。この日はケロアン市内の観光から始まります。
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メディナ以外にも町の改修を囲うように城壁がめぐらされています。
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タイルに描かれた旧市街の地図はこれから行く先がイラストで描かれているのでとても分かりやすいです。
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朝一番の観光は「アグラブ朝の貯水池(Bassins Aghlabites)」から始まりました。この建物の階段を登って屋上から見学するようです。
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これらの貯水池は9世紀に作られたもので、今から1000年以上前のアグラブ朝時代の最先端の技術が駆使されています。現在は大小4つの貯水槽しかありませんが、当時は14もの貯水池があり、市民の貴重な水を供給していたそうです。
アグラブ朝貯水池 建造物
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水はケロアン(カイルアン)の西36キロの丘から水道でここに引かれ、最初は小さな池へ溜められ、その後大きな池へと流されています。
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貯水槽の周囲の壁を補強するためのデザインですが非常に美しく感じます。ゴーグルマップで大きさを確認してみると、一番大きなものは直径120メートルほどありました。次に60メートル、30メートルと決まった大きさがあったのだと感じます。
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防水漆喰で覆われたブロックで作られた構造は11,000平米の面積をカバーし、小さな沈殿池と貯水用の大きな貯水槽、2つの引き出し貯水槽で構成されており、すべて合計68,800立米の貯蔵容量があります
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1キロほど離れた「ウクバのモスク(Mosque of Uqba)」の塔がきれいに見えました。ここも後で見学することになっています。
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建物の中にはお土産屋さんがあり、おじいさんが商売されていました。アルガンオイルはモロッコが有名ですが、種子をチュニジアに持ってきて加工されているものがお手頃な値段です。モロッコでは観光客のボッタクリ値段だったので買いませんでしたが、ここではお土産用に買い求めました。チュニジアといえば2010年代のジャスミン革命が思い出されますが、ここにはジャスミンオイルもありました。これもお土産にしました。
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買い物も終えたところで再びバスに乗って移動します。チュニジアのバス停の多くはこんなコンクリート製のものが多かったように思います。日影が一番必要な理に適ったデザインだと思います。
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次の「シディ・サハブ霊廟」へ移動しますが、町はコンパクトなのでどこへも5分から10分で移動で来てしまいます。
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「シディ・サハブ霊廟(Mosque Sidi Sahbi)」に到着しました。朝早いせいか我々以外に観光客の姿もありません。
シディ サハブ霊廟 史跡・遺跡
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チュニジアの国旗は1831年に制定され、赤地に中央の白い円に三日月と星は古くからのイスラム教の象徴であり、幸運のシンボルでもあります。赤い色はオスマン帝国時代の反抗勢力の名残ですが、チュニジアは1881年よりフランスの植民地となり、1956年のチュニジア王国を経て1957年にチュニジア共和国が成立しました。
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馬蹄形の入り口アーチの欄間にはクルアン(コーラン)の一節が書かれています。鉄製の真っ黒な扉には丸頭鋲が打たれています。
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現在位置が丸印の場所で、見学できるのは右側の赤い部分のみで中央のグリーンの部分はモスクと神学校で、黄色い部分はアルウィ・パシャのアパートメントです。
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この霊廟は預言者ムハンマドの友人だったアブ・ゾマ・アル・バラウイ又はシディ・サフビを記念して建てられました。霊廟の名前には彼の名前が含まれています。西暦655年のビザンチン軍との戦いで彼は亡くなりました。
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彼の職業は床屋でありましたが、彼はムハンマドの髭から3本の毛と埋葬されたという伝承もあり、今日では町の守護聖人としても考えられています。イスタンブールの「トプカプ宮殿」の宝物館にはムハンマドの遺品が数多く並んでいたのを思い出します。
トプカプ宮殿宝物館:https://4travel.jp/travelogue/11866103 -
15世紀にはこの霊廟は壁に囲まれた八角形のシンプルなドームの形をしていました。1663年に総督のハムーダ・パシャが「メドラサ(神学校)」を建設して拡張され、その後の1685年にムラディテ朝のベイ・モハメド・ベン・ムラドが改修を加えています。
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入口のホールでガイドさんの説明を聞いていますが、その部屋の壁を埋め尽くす「チュニジアンタイル」の美しさに目を奪われます。
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地中海沿岸という土地柄からヨーロッパとイスラム文化が融合した独自の美しさのチュニジアタイルは植物・幾何学・組み紐柄など「アラベスク」とよばれる多種多様な文様があり、黄・白・青を中心とした鮮やかな色使いが特徴的です。これらのタイルは、1枚1枚が熟練の職人によって手描きされています。
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細かく見ていくと完全な左右対称では無かったり、柄がズレていたり様々ですが、全体的な美しさには言葉もありません。
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説明が終わって誰もいなくなったところも撮っておきます。タイルで覆われているのは一番目に付く壁の中ほどだけですが、上部には美しいレリーフで埋め尽くされています。
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1月に行ったモロッコのタイルも素晴らしかったですが、チュニジアのタイルの美しさにも目を奪われます。
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階段を上がった回廊は壁には窓がありませんが、パティオになった空間から陽射しが差し込むのでとても明るく感じます。
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チュニスのベイであり、ムラディド王朝の一員であるハンムダ・パシャが1629年に霊廟の大規模な修復と拡張を開始し、霊廟が再建され、巡礼者を収容する部屋とスタッフを収容する部屋が追加され、礼拝堂(モスク)が追加されました。
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この辺りの建物はその当時に造られたものだと思います。
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スペインのグラナダの「アルハンブラ宮殿」へ行った時のことを思い出します。6年前でもすでにオーバーツーリズムに見舞われていて、旅行の2カ月前でもホームページ上から予約が取れなくて焦ったことがありました。
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アルダリバと呼ばれるパティオのような空間は前室という位置づけです。欄間には透かし彫りが施された木製のパネルが嵌め込まれています。美しいアラベスク模様は藤城清治の影絵を思い出させました。
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アルダリバの奥には鉄格子の付いた小部屋が続いています。
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イタリアから輸入されたバロックスタイルの窓枠がヨーロッパ文化とのつながりを感じさせるとともに、1600年代の建築であることを実感させます。イベリア半島のイスパノムーア人やアンダルシアの伝統、イタリアルネッサンスの伝統や特徴、カイルアンの地元の建設の伝統など、さまざまなスタイルが混在しているのも感じます。
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扉を潜って振り返るとパティオになった廊下は元の静けさに包まれています。
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正方形の小部屋の壁面は透かし彫りが施され、天井キューポラは漆喰彫刻で覆われています。その精緻なデザインに溜息が出てきます。
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四角形の部屋はアクインチと呼ばれる隅切りを設けることにより八角形に変わり、そこから上部は円形に変化していきます。
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そして壁面の下部は美しいチュニジアンタイルで覆われています。
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ここも中庭のある廊下を含めた前室だったのだと感じます。
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部屋を抜けるとさらに大きな空間が広がります。ここはザウイアと呼ばれる空間で、白いクーポラをいただいた部分が霊廟です。
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馬蹄形のアーチまでは装飾で埋め尽くされていますが、円柱だけがシンプルな柱だということに違和感を感じます。
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これらの円柱は北アフリカに残された古代ローマの遺跡から持ってこられたものなので、時代によってデザインも違い、建物によって高さも違います。
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壁の多くを飾る「カラリンタイル(Qallalin tiles)」で埋め尽くされています。チュニスの名を冠した地区で生産されたこれらのタイルは、主に青、緑、黄土色のような黄色の花瓶、植物、アーチで描かれています。
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カラリンタイルは17世紀から18世紀にかけてのチュニジア建築の特徴であった装飾タイルの一種でした。最も一般的に生産されたチュニスのカラリン地区にちなんで名付けられました。チュニジアの建物で使用されただけでなく、アルジェリア、リビア、エジプト、さらにスペインにも広く輸出されました。
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欄間には「シディ・アル・サビ・ザマ・アル・バラウィの霊廟」と書かれてあります。グーグル・レンズ先生のおかげです。イスラム教徒ではないので中に入ることは出来ません。
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緑色のランプが吊るされていますが、このランプに明かりがともった夜の光景を見てみたいと思います。
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涼しくエアコンの効いたバスに戻ると生き返ったような気分になります。
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バスの車窓からはイスラム教徒の墓地を見る機会もありました。全ての墓碑が同じ方向を向いていますが、これらはイスラム教の聖地であるメッカの方向を向いています。先ほどの霊廟はメッカに向いて建てられていませんが、棺の中の顔はメッカの方に向いているそうです。
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次の観光は「ウクバのモスク(Mosque of Uqba)」です。ミナレットの両脇に続く外壁には大きなバットレス (Buttress)が設けられ、壁が外に崩れないように支えてあります。
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10分ほどバスに乗った後は駐車場で下車して少し歩きます。ほんの数分歩くだけですが、美しい扉に目が留まってしまいます。
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シンプルな扉でさえ、丸頭鋲でデザインが施されています。
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スペインのコルドバのメスキータのような馬蹄形のアーチの中に、時代を経ながらも大事に使い続けられている木製の扉が印象に残ります。
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「ウクバのモスク(Mosque of Uqba)」もこの日はまだ誰も訪れていないようで我々だけの見学です。回廊の美しさに目が留まってしまいます。
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ユネスコ世界遺産でもあるケロアン(カイルアン)にあるこのモスクは北アフリカで最大のイスラムモニュメントの1つです。
グランド モスク 寺院・教会
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アラブの将軍ウクバ・イブン・ナフィがカイルアン市の設立の670年に設立したモスクは9,000平方メートルの広さを誇ります。イスラム世界で最も古い礼拝所の1つであり、マグレブの後のモスクのモデルとなっています。
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「マグレブ(Maghreb)」は通常サハラ砂漠の大部分を含むアフリカ北部の大部分を含むと定義されていますが、エジプトとスーダンは除外されています。これらはアラブ世界の東部である「マシュリク(Mashriq)」に対しての位置であるとされます。マグレブの伝統的な定義はその範囲をアトラス山脈とモロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビアの海岸平野に定めていましたが最近はもう少し拡大されているようです。
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その周囲は約405メートルもあり、多柱式の礼拝堂と大理石で舗装された中庭、正方形のミナレットがあります。この「ウクバのモスク」はイスラム建築の傑作の1つであり、馬蹄形アーチを最初に用いたイスラム建築とされます。
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イスラム教徒の祈りの前に清めをするための井戸もあります。西暦7世紀に向けられました。大理石を敷いた広場はわずかに勾配が設けられ、その中央に水が集められ、地下の貯水槽に流れ込むように設計されています。
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モスクなので女性はショールなどで髪の毛を隠さねければなりませんが、いつもうまい具合に首位に溶け込むような衣装になっているのには感心します。
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馬蹄形アーチの足元には先ほどの「シディ・サハブ霊廟(Mosque Sidi Sahbi)」同じように、古代ローマ時代の遺跡から持ってこられた石柱が組み込まれています。
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広場の中央に出てガイドさんの説明を聞きますが1人足りません。
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石柱の太さが分かるようにスケール代わりに一緒に撮っておきます。
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2世紀経った9世紀のアグラビッド朝での大規模な工事が、モスクに現在の様相の基本となりました。「ウクバのモスク」とカイルアンの他の聖地の名声は都市の発展と拡大を助け、モスクで教えた学者で構成されたこの神学校は、イスラム思想と世俗科学の両方の教育の中心地となりました。
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当時のその役割は中世のパリ大学の役割と比較することができます。11世紀半ばから都市が衰退し始めると知的思考の中心はチュニスのエズ・ジトゥーナ大学に移っていきました。
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ここにも雨水を集めるための排水口が設けてありました。一番下段の穴に水が流れ込むだけの構造ですが、精巧な大理石の加工に驚かされます。ほとんどの伝統的なモスクには中央にこのような大きな「サーン(sahn)」があり、四方をリワクまたはアーケードに囲まれています。モスクの礼拝の前に身体を浄めるサーンはイスラム世界全体の宗教的な建物や住居に共通の要素です。
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敷地はやや不規則な四角形で、東側は西側の125.20メートルよりも長く127.60メートルあり、北側の72.70メートルは南側78メートルよりも短くなっています。
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メインのミナレットは北面に建っています。広場の中にはイスタンブールの「トプカプ宮殿」の中庭にもあったように日時計が置かれてあります。
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水兵式の日時計には4本の針が設けてありますが、改めて当時のイスラム世界の知識のレベルの高さを感じます。インドのジャイプールにある「ジャンタルマンタル」で見た天体観測装置には驚きました。
ジャンタルマンタル:https://4travel.jp/travelogue/11888902 -
南側のクーポラの中にあるモスクの見学に移ります。もちろんチュニジアでは異教徒はモスクの中に入れないので表から眺めるだけです。馬蹄形アーチの中に組み込まれた木製の扉と枠のデザインが見事です。
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その入り口前のポルティコの天井はクーポラのドームになっています。
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床の将棋の駒のような区割りは1人の人がメッカに向かって礼拝するための枠です。一番奥にもクーポラのドームがあるのですが、ここからでは確認することは出来ません。
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スペインのコルドバのメスキータの中を思い出させるような馬蹄形アーチの連続です。建物は東西南北を意識して建てられていますが、歪んでいるのはメッカの方角が南からずれているからではなかろうかと感じます。正面にキブラ壁とミフラーブと呼ばれる壁龕があり、右側にはミンバルと呼ばれる階段状の説教壇が見えます。
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振り返ると北側のミナレットが真正面に見えました。中庭をたくさんの燕が飛んでいました。
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チュニジアの観光の中でも印象に残る風景です。
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馬蹄形アーチを支えるローマ時代の石柱にはたくさんの種類があるのが分かります。これらはカルタゴから運ばれたローマ時代や初期キリスト教、またはビザンチンのモニュメントから再利用された花崗岩または斑岩の様々な大理石の柱が使われています。
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モロッコの旅ではあまり実感しなかったヨーロッパの文明とイスラムの融合を強く意識します。柱頭のデザインはアーカンサスのものが多く見られますが、ロマネスク教会から持ってこられたのではなかろうかと思えるものも多くありました。
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分かりにくいですが、この柱には大きく十字架が彫り出されています。通常であれば削り取られることが考えられますが、この当時のキリスト教とイスラム教は現在ほど険悪ではなかったのだと感じます。
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逆に柱の中央部にアラビア文字が彫り込まれたものもありました。
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元々彫ってあったのか、ここに持ってこられる中で彫り出されたのかは定かではありませんが、異教徒の柱を再利用したり時代のおおらかさを感じます。
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下のタンクには水が入っていて自由に飲めるのかもしれません。妻が「あっ。」と声をあげたのは上に乗ったカップの色のことでした。若い頃にチュニジア陶器を手に入れる機会があり、その時買ったのがこのような黄色と緑色に釉薬が掛けられたお皿でした。妻の中で昔の記憶と今回の旅が繋がったようです。
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添乗員さんに記念写真を撮ってもらってモスクの観光を終えます。再びバスに乗って最後の観光地の「メディナ(旧市街)」に移動します。
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少し離れた場所でバスを降りて、城壁に沿って少し歩きます。サイモンとガーファンクルらしきステンシルが描かれていましたが、意味は分かりません。グーグルで検索してみると10年以上前の旅行記にも写真が載っていました。
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1881年にケルクアンはフランス軍に占領され、それ以降イスラム教徒以外でもこの街に入ることができるようになりました。入口には世界遺産のプレートと共に1952年の大衆デモの最中に亡くなった人のプレートが残されていました。
カイルアン 旧市街・古い町並み
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フランスは1881年3月に軍隊を派遣して首都チュニスを占領し、5月にバルドー条約を結びチュニジアの太守(ベイ)は外交権と財政管理をフランスに委ね保護国とされます。6月にはフランスに屈服したことに怒った民衆が反乱を起こしたが鎮圧されます。1883年にマルサの協定によって正式に保護領とし、フサイン朝のベイは名目的権威は保持しましたが、外交や軍事などの権限はフランスが握ります。チュニジアがフランスからの独立を達成したのは1956年のことです。
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2010年12月にチュニスで1人の青年が街頭で野菜を売ろうとしたところ、警官に野菜を没収されてしまいました。青年が抗議の焼身自殺を図り、その事実がインターネットやツイッターによってチュニジアのみならず世界中に知られ、それがきっかけで一挙に反ベン=アリ政権の運動が激化しました。
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これはチュニジアのもっとも一般的な花の名を取ってジャスミン革命といわれるようになりました。この革命は劇的な広がりを見せ、3月にはエジプトのムバラク政権が倒れたのを初め、シリア、イエメン、シリア、リビアといった北アフリカから西アジアにかけてのアラブ諸国の長期政権をゆさぶる大きな動きとなったことは記憶に新しく、この動きは「アラブの春」と呼ばれました。
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チュニジアはそんな国々の中では安定した国家なのだということはガイドさんからの説明やドーハの空港で添乗員さんと話していたチュニジアの若い女性たちの会話からも感じ取れました。
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旧市街のスークは昨晩店が閉まった真っ暗な中を歩いていましたが、昼の顔はまた違った楽しさがあります。閉ざされていた店の扉は開かれ、商品が並んでいるのが見えます。
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チュニジアの街角ではこんな揚げパンだけを売っている店を何度か見ました。旅の最後に行ったシディブ・サイドでは「バンベローニ(bambalouni)」という揚げドーナツをいただきました。
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ペパーミントグリーンの扉が美しいこの建物は「クルアーン全国協会地方支部」出下。最近はコーランと呼ばずクルアーンと呼ぶことがポピュラーになってきました。
イスタンブールの「ブルー・モスク」でいただいた日本語版のコーランの表紙にもカタカナで「クルアーン」と書かれてありました。 -
フランスの保護国だったころから時間が停まってしまったような店がいくつもありました。
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市場の中はシャッター商店街になっているところが多かったです。ガイドさんによると世代交代する中で、若者はこのような市場で商売することを嫌って、後を継がないのが問題になっているということでした。
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表通りにも閉まったままの扉が数多くあります。
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この町では同じような水色のペンキで塗られた扉が多く見られました。この扉だけでは元々焦点だったのかは見極められません。
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このようなタイプの間取りは間違いなく商店だと分かります。
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中にはこのように商品の並んだ市場も残っていました。残念ながら観光客が買うようなものは売っていませんでした。もっとも先を歩くガイドさんについて行くのが精いっぱいで買い物する余裕はありません。
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壁に書かれた「FREE PALASTIN」の文字が目に留まります。現在のイスラエルのアラブ諸国への攻撃は目に余るものを感じます。イギリスが結んだ「フサイン・マクマホン協定」「サイクス・ピコ協定」「バルフォア宣言」の三つの協定や映画「アラビアのロレンス」のことが頭に浮かびます。
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見せは閉まった後でしたが、前の晩に旧市街をぶらぶら散歩することが出来て良かったと思います。昼間は賑やかでも俗っぽさを感じてしまいます。
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貴金属などを扱う宝飾品店が多いのには驚きます。
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同じような店がいくつも並んでいますが、地方都市のカイルアンにそれだけの需要があるのか疑問を感じます。
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扉を施錠するためのスチールのフラットバーが気になってしまいます。この扉は横に1本渡していますが、斜めに渡したり幾つもの種類がありました。
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カイルアンの観光はこれで終わり、長年見てみたかった「エルジェム(El Djem)」の円形闘技場に向かいます。
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