2024/06/09 - 2024/06/09
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2024/06/09
この旅行記スケジュールを元に
「ドゥッガ遺跡(Dougga)」からチュニスに戻ると時間は素手の午後3時になっていました。この日の観光はツアーのメインでもある「バルド国立博物館(Musée national du Bardo)」の観光です。今回のツアーを申し込んだのもこの美術館が組み込まれていることでありました。2021年7月から2023年9月まで改修のために閉鎖されていたために、ようやく再開された今年にチュニジアへ行こうという気になりました。この美術館を意識したのは2002年にトルコとシリアの国境近くのアンタクヤ(ハタイ)にある「アンタクヤ考古学博物館」へ行ったときからでした。素晴らしいモザイクに魅了され、いろいろ調べるうちにチュニジアにもすごい美術館があると知ったのがこの美術館でした。長年個人旅行でチュニジアへ行くことを考えていましたが、他にも行きたい国があり、気が付くと60歳を超えてしまい妻の年齢を考えるとツアーを選ばないとならなくなっていました。それでも長年の夢がかなった瞬間ではありました。この美術館の入り口には追悼碑があり、最初にガイドさんから説明がありました。2015年の3月18日にチュニジア人によるテロがあり、外国人22人が殺害されています。その中にはクルーズ船で立ち寄った日本人観光客も3人いらしたそうです。ガイドさんもこの日の午前中はお客を案内して観光していましたが、たまたま案内する順番を変更したために難を逃れたそうです。追悼碑に手を合わせた後は博物館の見学に移ります。1991年にイタリアを1カ月ほどかけて縦断し、ローマ時代のモザイクに魅了され、その後もイベリア半島やトルコのアナトリアまで何度も旅を続けてきました。何しろ移動できないものなのでその地へ足を運ばなければなりません。今回の見学はその集大成の1つと言っても過言ではありませんでした。展示室に入って驚いたのは床に敷かれたモザイクの上を歩けるということでした。今まで見てきた美術館や博物館で上を歩けるところは皆無でした。約2時間かけてガイドさんが細かく説明してくれたので非常に充実した見学をすることが出来ました。見学を終えて頭に浮かんだのはトルコのガズィアンテプに新たにオープンした「ゼウグマ・モザイク博物館」に行きたいという新たな旅の目標です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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「ドゥッガ遺跡(Dougga Ruines)」からチュニスに戻り、近郊にある「バルド国立博物館(Musée national du Bardo)」に到着しました。
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博物館の建物は13世紀のハフス朝の宮殿として建てられ、19世紀にはベグの宮殿として使われました。博物館はその一部で、残りはチュニジアの下院である人民代表会議の儀仗や軍事施設として使われているようです。
バルドー博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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もともとアラウイ博物館(al-Mat?af al-Alawi)と呼ばれ、当時の支配者にちなんで名付けられましたが、チュニジアの独立後に現在のバルド博物館という名前に変わりました。古い時代のモザイク製のプレートも残されていました。
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この博物館には明日行く「カルタゴ(Carthago)」、先日行ったスースの「ハドルメトゥム(Hadrumetum)」、午前中に行った「ドゥッガ(Dougga)」、カルタゴの北北西にある「ウティカ(Utica)」など、国内のさまざまな遺跡での発掘された世界最大のローマのモザイクコレクションが収められています。
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床には160メートル四方のスーサ(Sousse)で出土された素晴らしいモザイクがあり、現存する最高級のモザイクの1つと言われています。これは巨大な地中海世界の地図だということがすぐに分かります。
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このモザイクは1886年にフランス軍の兵舎の建設中に発見され、フランス軍当局はスースの本部の装飾に使用することを計画しましたが、バルド博物館の初代館長であるルネ・マリー・デュ・クードレ・ド・ラ・ブランシェールは博物館のホールに展示することに成功しました。
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「RHODOS」の文字からロードス島を表していることが分かります。ロードスタウンにはクルーズ船で2回行ったことがありますが、城壁で囲われた美しい旧市街が思い出されます。聖ヨハネ騎士団の「騎士団長の宮殿」も床には素晴らしいモザイクが残されています。
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このモザイクはアルジェリアとの北の国境から数メートルのところにあるカセリーヌ県の都市であるハイドラで発掘されました。
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「ERYCOS」はシチリア島のエリコス(Erycos)という町を表しているので、地中海の島だけを表しているわけではなさそうです。
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「LEMNOS」はトルコのダーダネルス海峡の沖合いにあるリムノス島のことです。
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「SCYROS」はギリシャのスキロス島のことです。昨年9月のイスタンブール発着のクルーズで近くを通過しました。
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「CYPROS」はキプロス島のことだと思います。キプロス島へはアテネからロードス島経由のフェリーでリマソルに入ろうとしたことがありますが、フットパッセンジャーは乗れないと旅行会社で言われて、泣く泣くパフォスまで飛行機で移動したことがありました。その後10日ほどキプロス共和国を旅して、その数年後にはトルコ側からファマグスタまで夜行フェリーで北キプロスに入り、ギルネからトルコへ戻るという旅のをしました。
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「パフォス(Paphos)」はキプロス島の西にある港町です。初めてのキプロスに旅はこの港町からスタートしました。パフォスの遺跡ではモザイクを剥がして博物館に移設するのではなく、そのまま遺跡の建物の跡に残されていました。
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「IDAIIUM」は調べてみましたがどこの地名なのか分かりませんでした。
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「CNOSSOS」はクレタ島のクノッソス宮殿を意味しているのだと思います。ここへも昔クルーズ船に乗って行きました。モザイクの建物はクノッソス宮殿ではなく、ローマ時代の建物のようです。
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若い頃は地中海の定期航路のフェリーで各地を旅しましたが、ここ数年は妻と一緒なのでクルーズ船での旅に変わりました。また一人旅をしたいなと、フッと思うことがあります。
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バルド博物館:博物館の新しいホールの吹き抜けに展示されている現在のスース、「ハドルメトゥム(Hadrumetum)」で発掘された2世紀後半のモザイクです。以前はグランド・サル・デ・フェット宮殿に納められていました。
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神々と女神の56のメダリオンに囲まれた戦車に乗ったネプチューン(Neptune)を表しており、それぞれが美しい花輪に納められています。ローマ神話の神ネプトゥーヌスの英語読みで、ギリシア神話のポセイドンに相当します。どちらも三叉の矛(トリアイナ)を持って、ヒッポカムポス(hippokampos)という半馬半魚の海馬の牽く戦車に乗っています。
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ネレイデス(Nereids)はエーゲ海の海底にある銀の洞窟で父ネレウスとともに暮らし、イルカや半馬半魚の海馬ヒッポカムポス(hippokampos)の背に乗って海を移動します。彼女たち姉妹の数は50人とも100人ともいわれます。
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姉妹たちはしばしば海の神ネプチューン(Neptune)に同行し、英雄イアソンがコルキスの黄金の羊の毛皮を探すアルゴ号に友好的でした。ネレイデスの名前はイリアスで見つけることができます。
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ネレイデスは海の美しさを象徴していました。彼女たちは美しい女性として表され、赤い珊瑚で飾られ、金で縁取られた白い絹のローブを着ている姿で表されることもあります。
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彼女たちは特にエーゲ海と関連しており、父のネレウスとともに黄金の宮殿の奥深くに住んでいました。その中でも最も有名なのはペレウスの妻であり、アキレウスの母であるテティス(Thetis)です。
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ネプチューン(Neptune)の妻でトリトン(Triton)の母であるアンフィトリテ(Amphitrite)もこの中にいるのだと思いますがどれなのかは分かりません。
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キュクロプス(Cyclopes)のポリュペモス(Polyphemus)の虚しい恋愛対象であるガラテア(Galatea)、そしてアイギナ(エギーナ島)のアイアコス王の妻のプサマテ(Psamathe)も姉妹の一人です。
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ハルピュイア( Harpuia)はギリシア神話に登場する女面鳥身の伝説の生物で、有翼の乙女や人間の女性の頭を持った鳥の姿で表されます。諸星大二郎好きにはたまりません。「私家版鳥類図譜」という本を思い出します。
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左上の入り口から入ったホールとその下の吹き抜けの作品を見ました。ここから細かい展示室を一つ一つ見て周ります。エントランスのホール部分は元々の宮殿を増築した部分になります。
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2フロアに渡ってたくさんのモザイクや彫刻が展示してあります。20年以上前に行ったトルコとシリアの国境近くのアンタクヤの「アンタクヤ考古学博物館」とこの博物館は世界的にも有名なモザイクを展示する博物館です。
アンタクヤ:https://4travel.jp/travelogue/10364782 -
「コンコルディア・パンテアの彫刻 2世紀(Sculpture of Concordia Pantea, CE 2nd century)」古代ローマの協調や相互理解や婚姻の調和の女神で、美術においては長い外套をまとってパテラ(献酒杯)、コルヌ・コピア(豊穣の象徴という角)、カドゥケウス(平和の象徴の杖)などを持っている姿で描かれます。
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この美術館の入り口には追悼碑があり、最初にガイドさんから説明がありました。2015年の3月18日にチュニジア人によるテロがあり、外国人22人が殺害されています。その中にはクルーズ船で立ち寄った日本人観光客も3人いらしたそうです。ガイドさんもこの日の午前中はお客を案内して観光していましたが、たまたま案内する順番を変更したために難を逃れたそうです。
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宮殿だった建物の中に入ると床が本物のモザイクであるということと、その上を靴のまま歩けるということに驚きます。今まで数々のモザイクを博物館で見てきましたが上を歩くのは初めてです。
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幾何学模様のモザイクの上を歩き進みます。これだけで観劇ものですが、ガイドさんに連れられた妻は何も感じていないようです。
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これらは午前中に見学して来たドゥッガなどの遺跡から?がして持ってこられたものです。ドゥッガでも状態のよくないものは残されていましたが、保存ということを考えたら博物館に収蔵した方が良いのだと思います。
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「トゥブルボ・マジュス(Thuburbo Majus)」の遺跡から出土したモザイクの部屋からスタートします。
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「トゥブルボ・マジュス」はもともとポエニの町でしたが、紀元前27年にアウグストゥスによってローマの植民地として再建されました。退役軍人はアウグストゥスによって他の場所の中でも特にトゥブルボに送られ、自分の土地で軍隊後の生活を始めることが出来ました。
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町は穀物やオリーブ、果物の生産で潤い繁栄したようです。現在のチュニジアも小麦とオリーブの栽培が盛んですから、基本的な農業は2000年前と変わっていないのだと感じます。
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「モザイク(Mosaic)」の語源はギリシア神話の9人の女神ムーサイ(Mousai)にあり、ラテン語では「オプス・ムシウム(opus musivum)」といいます。モザイクという手法は室内装飾のために古代から中世にかけて、おもに地中海地域を中心に発展しました。
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「モザイク」の技法を活用した具象的な絵画の出現は、紀元前300年頃のヘレニズム時代と考えられます。白や茶色などの小石を用いて狩猟や神話を主題とした場面を表現したものが造られました。
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モザイクで飾られた床は古代ローマの時代のものが有名で、グレートブリテン島からシリア地方のドゥラ・エウロポス、北アフリカ一帯に至るまで広い範囲で発掘され、豪華なモザイク床は贅沢なローマ時代のヴィラを特徴付けています。
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宮殿や広い邸宅の床面を飾るモザイクは北アフリカを含む地中海沿岸部全域で流行し、4世紀末にキリスト教徒が建築したバシリカ(教会堂)では、床や壁のモザイク装飾はそのまま流用されました。
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30室から29室28室と進んでいきます。これらの部屋にはイスラムの陶器やクルアン(コーラン)が展示してありますが、気になるのは床や壁のモザイクだけです。
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写真を撮っている暇もなくガイドさんは概略だけ説明するとどんどん先に進んでしまうのであっという間に取り残されてしまいます。幸いだったのは博物館がガラガラだったので、写真が撮りやすかったのと、人の気配で皆さんがどこにいるかが分かったことです。
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「ヴィクトリクスの葬祭モザイク(Funerary of Victoricus)」
咲き誇るアカンサスの渦巻き模様の縁にモノグラムの十字架に黙示録の文字と4枚の蔦のは葉、5月13日に亡くなった人は75歳と長寿だったと書かれてあります。2羽の鳥と1本のバラが添えられています。 -
「レクスター・パッシバスの葬祭モザイク(Funerary mosaic lecter Passibus)」
画面は2つに分割され、上段では碑文の冠を取り囲む鳥たちと花園で構成され、碑文にはパッシブは14年間の生涯で、10月11日に亡くなったとあります。下段ではバラに囲まれた孔雀が描かれています。 -
実際はこのように床に敷かれる形で、その下は石棺になっていました。基本的なデザインやモチーフは定形のひな型があったのかもしれません。
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「2人の大人と幼児の葬祭モザイク(Funerary mosaic of two adults and atoddlec)」アカンサスの唐草模様に四方を囲まれた中にはさらに月桂冠で囲まれた碑文があります。αとωとPXの文字の下にはにはコンスタンシアは平穏に55年過ごし、8月23日に亡くなった。ガウディオサは平穏に22年生きて5月13日に亡くなった。右下にはは一緒に埋葬された子供は洗礼を受けずに亡くなったとあります。
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気が付くと周囲には人の気配がありません。ツアーのメンバーどころか誰もいないので慌てて妻を探します。大抵は迷子にならないように見守ってくれているのですが、その姿はありません。
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「執事イスポルテラの葬祭モザイク(Funerary mosaic of deacon Isportella)」凹凸のある月桂冠の上にはαとωの文字が見えます。墓碑銘には穏やかな人物だったと描写されています。新約聖書の「ヨハネの黙示録」に、主の言葉「私はアルファであり、オメガである」とあることからもキリスト教徒だったことが分かります。ギリシャ文字のΧとΡを重ね合わせたモノグラムはローマ帝国正規軍のウェクシルム(軍旗)の一つでラバルム(Labarum)と呼ばれます。
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「カレンディオの葬祭用モザイク(Funerary mosaic of Kalendio)」月桂冠の中にはカレンディオは安らかに85歳の長寿で安らかに亡くなったとあります。その周りには果樹や鳥や孔雀が遊ぶ庭園が描かれています。
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「マチケウスの葬送モザイク(Funerary mosaic of Matziceus)」碑文には忠実なリビア出身のマチケウスは42年間平穏に過ごして5月15日に亡くなったとあります。カンタロス(cantharus)とは上方に伸びた取っ手が2個が付いている大きな杯からは蔦が2本伸びて、ここでも鳥や孔雀が遊んでいます。
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「フィオレンティーナのための葬送モザイク(Funerary mosaic of Florentia )」碑文にはαとωの文字が見え、フィオレンティーナが5月7日に亡くなったとあります。碑文を読みながら写真を撮っていると今まで無機質な美術品として見えていたモザイクが市井の人々の人生が感じられて違ったものに見えてきます。
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横向きの葬祭モザイクの写真を撮っているとグリークサンダルを履いた女性の足が写り込んでいました。こういったモザイクの上を歩けるのですからこの博物館は驚きです。
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「デムナ洗礼堂:洗礼盤(The Demna baptistry: Baptismal font)」は6世紀に作られた十字型デムナ洗礼盤で、モザイクで豊かに装飾された洗礼盤は1950年代にボン岬にあったデムナ(Demna)で発見されました。
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ケリビア( Kelibia)から7キロ離れたデムナ(Demna)の地にあるフェリックス神父の教会で発見されたこの博物館の初期キリスト教部門の主要な作品であり、キリスト教のモザイクの最も優れたものと言われます。先に見た葬送モザイクもこの教会で発見されたものが数多くあります。
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また1人取り残されてしまい、イヤフォンガイドからは雑音しか聞こえてきません。本当は追い付かなければならないのですが、あまりにもモザイクが素晴らしく足が進みません。
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「フェリシタスとビクトリアの墓を覆うモザイク(Mosaic covering the tomb of Felicitas and Victoria)」理想化された女性の肖像画が墓を飾っています。2本の火の灯ったキャンドルが立ち、型に泊まった2羽の鳥が印象的です。よく見るとネックレスにだけ青いラピスラズリのような石がちりばめられています。
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「クレセンティアの葬祭モザイク(Funerary Mosaic of Crescentia)」この若い女性のモザイクでは縦じまのダルマチックを着てベルトでウエストをとめています。2本の火の灯ったキャンドルと2羽の鳥は1つのひな形のようです。
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「コヴルデウスの葬祭モザイク(Funerary Mosaic of Covuldeus)」日の灯ったキャンドルは永遠の信仰の証を意味しています。
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「ナタリカの葬祭モザイク(Funerary Mosaic of Natalica)」一般的にキリスト教の墓石の碑文は「死者の名前」「年齢」と「彼女は平和な生活を送った」という例文に限定されていました。悲しみに暮れたナタリカの両親10年と8か月と21日生きた娘を例外とし、彼女をdulcissima(最愛の)と呼びました。碑文には別の興味深い側面があります。bixitでvの代わりにbを使用してのはギリシャ語でbがvとして聞こえるため、ビザンチンの影響が読み取れます。
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「クリスピナの葬祭モザイク(Funerary Mosaic of Crispina)」も子供の葬祭モザイクで月桂冠の中にモノグラムの十字架が見えます。碑文には「クリスピナは8年10カ月と24日と6時間生きて安らかに眠りました。」とあります。
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「少女の葬祭モザイク(Funerary Mosaic of Little girl)」少女の名前は最上部にあるので欠損していますが、4年11カ月3日と7時間生きたとあります。モノグラムの十字架とキャンドルが灯り、祈りをささげる理想化された姿で描かれています。
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「古代ナロのハマム・リフのシナゴーグの祈祷場の奉納碑文(Votive inacriptoion of the prayer hall of the Synagogue of Hammam-Lif,ancient Naro)」左右に枝分かれした燭台からもユダヤ教の碑文だと分かります。この部屋がナロのユダヤ人コミュニティの女性の奉仕によって造られたとあります。
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ビザンチン時代の6世紀から7世紀のテラコッタタイルは、チュニジアの特徴的な考古学的資料です。ビザンチン様式のレリーフには旧約聖書と新約聖書、地上の楽園でのアブラハム、アダムとイブの楽園追放、ライオンの穴のダニエル、クジラに吐き出されたヨナ、クアドリガによって天国に連れて行かれたエリヤ、聖ペテロに鍵を渡すキリストなどのプレートが並んでいます。
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イサクの燔祭(はんさい)は旧約聖書の創世記に記述されているアブラハムの逸話で、年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられる場面です。イサクの上に刃物を振り上げた瞬間に天から神の使いが現れてその行為を止めます。アブラハムが周囲を見回したところ、茂みに角を絡ませた雄羊がいたので、それをイサクの代わりに神に捧げました。
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旧約聖書の創世記によると、アダムの創造後に実のなる植物が創造されました。アダムが作られた時にはエデンの園の外には木も草も生えていませんでした。アダムはエデンの園に置かれますが、そこにはあらゆる種類の木があり、その中央には生命の木と知恵の木と呼ばれる2本の木がありました。それらの木は全て食用に適した実をならせましが、主なる神はアダムに対し善悪の知識の実だけは食べてはならないと命令します。その後に女であるハヴァ(イブ)が創造されます。
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蛇がハヴァに近付き、善悪の知識の木の実を食べるよう唆します。その実を食べた後にアダムにもそれを勧めました。実を食べた2人は目が開けて自分達が裸であることに気付き、それを恥じてイチジクの葉で腰を覆いました。
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「エレクシア・マテル(Ecclesia mater)」
タルバカ・タパルカ郊外の教会で発見されたヴァレンティアのキリスト教共同体の象徴である教会堂の透視図で、5世紀に造られたものです。 -
「レンガ職人の作業風景を描いたローマ時代のキリスト教モザイク画。紀元4世紀(Roman Christian mosaic of bricklayers at work. CE 4th century)」
ワディ・アレマル(Wadi Arremal)で発掘されました。 -
教会中央身廊の床モザイクで、アデオダダとカンディドゥスの2人によって寄進と奉納がされました。
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「2人の葬祭モザイク(Funerary Mosaic of two persons)」は椅子に座った銀行家の父親と亡くなった娘が描かれています。
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「良き羊飼い」のレリーフは石棺の一部で、題材はイエス・キリストのことです。「善き牧者」ともいい、英語でGood Shepherdといいます。新約聖書の迷える羊と牧者の比喩は初期キリスト教美術に多く現れ、羊の群を配した小羊を背負う若者の像造られました。。
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船主フェリックスと彼の2本マストの船が描かれた葬祭モザイクです。月桂冠の中にはαとωとPXの文字が読み取れます。カンタロス(kantharos ) はローマで用いた高脚杯で、そこからブドウの蔦が2本伸びています。
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ヴィタリスという人物の葬祭モザイクにはキリスト教徒の信仰の象徴としての生命の泉が描かれています。こちらは孔雀ではなくて雉が描かれています。
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「ディオニュソスの勝利のモザイク(Mosaic of the Dionysos triumph)」はブドウとワイン、植生と生成の神であるディオニソスのトレリスの勝利を描いています。
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エル・ジェムの近くにあるカルタゴの町であり、ローマの植民地ティスドルス(Thysdrus)で発掘されたものです。3世紀に作られたものがほぼ完ぺきな姿で21世紀にみられることが不思議でもあります。
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ヘラは夫ゼウスの浮気相手であるセメレーを大変に憎んでいて、彼女に「あなたの愛人は本当にゼウスなのかしら?」という疑惑を吹き込みます。セメレーは膨らむ疑惑に耐えきれず、ゼウスに必ず願いを叶えさせると誓わせた上で「ヘラに会う時と同し姿でいらしてください。」と願いました。ゼウスは仕方無く雷を持つ本来の姿でセメレーと会いますが、人間であるセメレーはその光輝に焼かれて死んでしまいます。ゼウスはヘルメスにセメレーの焼死体からディオニュソスを取り上げさせました。
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生まれたてのディオニュソスはセメレーの姉妹であるイノーに渡されます。ディオニュソスは娘として育てられ、夫のアタマスはこれを黙認していました。しかしヘラはこのことを憎んでアタマスに狂気を吹き込みます。アタマスが白い鹿を見つけて矢を射たところ殺したのはイノーとの息子レアルコスでした。またイノーも狂気に駆られ、沸騰したお湯の入った鍋にもう1人の息子メリケルテスを入れて殺し、その遺体を抱いて海に飛び込んだといわれます。
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ディオニュソスはブドウ栽培などを身につけて、ギリシャやアイギュプトス(エジプト)、シュリア(シリア)などを放浪しながら自らの神性を認めさせるために、信者の獲得に勤しむことになります。彼には踊り狂う信者やサテュロスたちが付き従い、その宗教的権威と魔術や呪術により、インドに至るまでを征服しました。
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ディオニソスの聖獣は豹、虎、牡山羊、牡牛、牡鹿、蛇、イルカ、狐、ロバで、聖樹は葡萄、蔦です。先端に松笠が付き葡萄の蔓や蔦が巻かれたテュルソスの杖、酒杯、豊穣の角もその象徴にもなります。そんなギリシャ神話の話しを知っているとモザイクの場面を読み解くのも楽しいです。
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「デルフォイの三脚に寄りかかっているアポロンのローマ彫刻(Roman sculpture of Apollo leaning on the Delphic tripod.)」は展示室脇の壁龕に納められていました。デルフォイ(デルフィ)でのアポロン神の神託は紀元前590年から始まり、特にギリシャ人の植民活動が始まると植民の前にデルフォイの神託をうかがうことが慣行となり、そのため植民に関する情報センターなような役割を持つようになりました。この神域の運営は周辺の部族があたっていました。現在もアポロン神殿をはじめとする遺跡が多数残され、隣には博物館が建設されています。
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アポロン(Apollon ) はギリシア神話のオリンポス十二神の1柱で、ゼウスとレトーとの子で、アルテミスの双生の兄に当たります。美しく男性的な青年の神で詩歌や音楽、予言や弓術や医術を司り、のちに太陽神と同一視されました。
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「アカンサス模様と大きな孔雀(Plant decoration and a big peacock)」は4世紀後半のモザイクで、トゥブルボ・マイナス遺跡(Thuburbo Maius)で発掘されました。
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遺跡はカルタゴの南西約60キロの位置にあり、アフリカの主要な街道に沿った位置にありました。この街道はカルタゴとサハラ砂漠を結んでいました。もともとフェニキアの町でしたが紀元前27年にアウグストゥスによってローマの植民地として設立されました。
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アウグストゥスはローマの退役軍人をトゥブルボに送り込み、彼らが自分の土地で軍隊後の生活を始めることを可能にしました。町の大部分は150年から200年頃に建てられ、その戦略的な位置と貿易ルートの重要性からも3世紀の危機後の4世紀に再建されました。町は小麦などの穀物やオリーブ、果物の生産で栄えたことからもこのようなモザイクが残されたのだと思います。
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床には海中の場面がモザイクで表されています。これは海に近いカルタゴで発掘された4世紀のモザイクです。何頭かのイルカの姿も見えますが、たくさんの種類の地中海に住む魚たちが描かれています。イカやタコ、エイなどはその姿からも分かりやすいです。
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20年以上前にTBSで日曜日に放送していたSONYの世界遺産で知ったヴェネツィアの北にあるアクイレイアに行ったことがありました。その小さな集落にあるサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂の床下に埋まっていたモザイクを思い出しました。40歳になった時の旅はヴェネツィアをスタートしてキプロスまで2カ月かけての旅でした。振り返ると2カ月にわたる旅はこれが最後になりました。
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「ディオニソスとアリアドネの婚礼の祝い(Celebration of God Dionysusu and Ariadne Wedding.)」3世紀後半に造られトゥブルボ・マイナス遺跡(Thuburbo Maius)で発掘されました。
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クレタの王女のアリアドネ(Ariadne)はミノタウロスへの生贄としてクレタ島に連れて来られたアテナイの王子テセウス(Theseus)に恋をします。アリアドネはテセウスのミノタウロス退治を助けて共にクレタ島を脱出しますが、テセウスはアリアドネをナクソス島に置き去りにしてしまいます。アリアドネは嘆き悲しみますがそこに2頭のヒョウが牽く戦車に乗ったディオニソスが現れてアリアドネを妻とします。
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「四季の属性を持った女神の胸像(Busts of the Four Seasons provided with their attributes)」3世紀のローマの植民地ティスドルス(Thysdrus)のローマ人の邸宅から発掘されました。
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美しいロープ状の幾何学模様が見事です。通常は四季の女神は春夏秋冬のそれぞれの季節を司っているのですが。
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ここに描かれているのは全て春の女神のように思えます。
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ハイドラ・アマエンドラ遺跡 (Site archéologique de Haïdra)は紀元前1世紀に設立されたアフリカで最も古いローマの都市の1つです。ハイドラはかつてのベルベル人の集落でしたが、ローマ人は近くにアンマエダラの街を建設しました。
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「2人の愛の天使(Two winged Loves)」翼のある愛に女神が2人描かれています。1人は豹の背に跨り、1人はライオンに乗っています。周りにはディオニソス風の仮面が4つと2匹の魚が描かれています。さすがに「バルド国立博物館(Musée national du Bardo)」のモザイクは質も量も素晴らしいと思います。まだまだ展示室の一部しか見学していません。
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