2024/06/08 - 2024/06/08
106位(同エリア408件中)
kojikojiさん
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ボン岬の海岸線をなぞるように走り抜けた後はようやく「チュニス(Tunis)」に戻ってきました。初日に到着した後は空港からツアーが始まったので町に入るのはこれが初めてです。バスは「カスバ広場(Kasbah Square)」で我々を降ろします。ここからチュニス市内の観光が始まります。気を付けないといけないのは広場の南側には軍の施設があり、ここは写真撮影が禁止です。(グーグルストリートビューではエアコンの室外機まで見ることが出来ますが。)広場の中央にはチュニジアの国旗を何本も立てられた「国立カスバ記念碑(National Monument of the Kasbah)」があります。記念碑は1989年にチュニジアの彫刻家アブデルファッタ・ブセッタによって設計されました。チュニジアのIDカードの背景画像としてもこの記念碑が表示されます。広場からの一番の景観は「ダール・エル・ベイ(Dar El Bey)」と呼ばれる政府宮殿の建物です。ここからチュニスの旧市街(メディナ)を通って東側の境界にある「フランス門(Bab El Bhar)」まで下っていきます。政府宮殿の2つの建物のうち大統領官邸は撮影禁止です。細い通りの中で写らないようにするのが大変です。通りを挟んだ白黒の馬蹄形アーチの建物は写しても良いということなのですが、個人で旅行していたら気が付かないと思います。政府宮殿からフランス門までは緩やかな傾斜になっていますが、これはスースで教えてもらった高いところから町を造るという理由に適っています。ごみを流すだけではないと思いますが、敷石の中央には排水溝が設けられています。またこの敷石はチュニジアで唯一の火山岩を使っているということでした。また政府宮殿には壁に15センチほどのプレートがあり、海抜が書かれてあります。100メートルほど歩いたところにも同じプレートがあり、5メートルほど低くなっているのが分かります。同じようなプレートは他にもいくつもあり、フランス門に向かってどんどん数字が小さくなっていきます。ここでもガイドさんの案内で迷路のようなカスバを歩きますが、通り抜けるだけで買い物が出来ないのが残念です。フランス門の周辺は広場とクラシックなホテルの並ぶきれいな場所ですが、そこもすぐに通り抜けてしまいます。ここから先は新市街が広がり、「Magasin Général」というスーパーマーケットに立ち寄って20分ほどフリータイムになります。ここにはお酒のコーナーがあり、今まで飲んで美味しかったワインや少し上等なワインを数本買い求めました。並木の美しいアヴェニュー・デ・フランスにはパリにあるような円筒形の広告塔ががありました。そのまま買い物を持ってホテルまで歩きますがワインが重たいです。「チュニス大聖堂(Cathedral of St. Vincent de Paul)」と「チュニス市立劇場(Municipal Theatre)」を眺めつつ、2泊する「エルムラディホテルアフリカ(El Mouradi Hotel Africa)」に到着します。荷物はすでにバスと一緒に届いていました。部屋でしばらく休んだ後はバスに乗って旧市街に戻り、「セントレ・エッサラヤ(Centre Essaraya)」という伝統的な家屋でのディナーに出掛けます。バスを降りたところに行燈を持ったマントの男性が待っていて、旧市街の店まで案内してくれます。そのシチュエーションが素晴らしかったです。店に入ったのは我々が一番だったので、ササっと写真を撮らせてもらって着席します。残念なのは伝統過ぎてアルコールを置いていなく、仕方がないのでスプライトで料理をいただきました。食事の後もバスでホテルに戻りましたが、どうしても夜のメディナを歩いてみたくなり、1人で散歩に出掛けました。大聖堂の写真を撮っていると地元の女性たちに声を掛けられました。ライトアップした教会や市民劇場が美しいというとすごく喜んでくれました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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ボン岬の観光を終えてチュニス市内まで戻ってきました。バスは「カスバ広場(Kasbah Square)」で我々を降ろし、ここからフランス門までの下り道のメディナを歩きます。
チュニス旧市街 旧市街・古い町並み
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この方向の写真撮影は問題ありませんが、このまま右側を撮影していくと軍の施設が撮影禁止なので注意が必要です。と言っても普通のビルですが、グーグルのストリートビューで確認するとエアコンの室外機までしっかり見ることが出来ます。
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チュニスは古代フェニキア人によって建設され、その後はカルタゴの衛星都市として栄えました。ポエニ戦争でカルタゴがローマに敗れると、チュニスはローマの属州となります。
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7世紀になるとイスラム教のウマイヤ朝によって占領され、アラブ化が始まります。グランドモスクが建設され、スーク(市場)が形成されていき、イスラム都市としての体裁を整えていきました。13世紀には巡礼者や商人たちで賑わいました。
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広場の中央にはチュニジアの国旗を何本も立てられた「国立カスバ記念碑(National Monument of the Kasbah)」があります。記念碑は1989年にチュニジアの彫刻家アブデルファッタ・ブセッタによって設計されました。チュニジアのIDカードの背景画像としてもこの記念碑が表示されます。
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美しい尖塔がいくつか見えます。シディ・ユセフ・ディ・モスク(Sidi Youssef Dey Mosque)のミナレットのようです。
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モロッコのマラケシュにある「クトゥビヤ・モスク(Kutubiyya Mosque)」の塔の頭頂部の3つの黄金の玉はエルサレムとメディナとメッカを意味していると聞きましたが、ここでも同じ意味なのだと思います。
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宮殿はムラディドベイハンムダパシャベイの治世中に17世紀に建てられました。1795年にフサイニド・ベイ・ハンムダ・イブン・アリが増改築を行い、この家は「世界で最も美しいムーア人の王家」と評されました。
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宮殿の装飾は非常に豊かで多様で、白い大理石の馬蹄形アーチを持つ16本の柱があります。
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インテリアはチュニジアやスペイン、モロッコの芸術家によって設計されました。これらの部屋は貴重な素材で高度に装飾されたアンダルシア様式が特徴です。
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壁には古いグノモン(Gnomon)がありました。グノモンという言葉は古代ギリシャ語で「指示する者」「識別する者」の意味があります。プレートは2枚ありましたがその違いや使い方までは分かりませんでした。
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日時計は紀元前3000年に古代エジプトで使われていましたが、起源はさらにその前の古代バビロニアにさかのぼると考えられます。古代ギリシャ及びローマで改良され完全なものが出来ます。中世に機械時計が発明されても日時計は使われ続けました。機械式の時計は最初は誤差が大きかったので正午などに機械式時計の時刻を補正するために必要があったからです。
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その脇には時計塔がありますが、時間は合っていないようです。エジプトのカイロの「ムハンマド・アリ・モスク」の時計塔を思い出します。
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下段の時計は月齢時計です。ヒジュラ暦( Hijri calendar)は主にイスラム圏で使われている暦法で、ヒジュラ太陰暦、イスラム暦とも呼ばれます。月の満ち欠けの周期のみに基づく純粋な太陰暦であることから季節のずれまたは太陽暦とのずれを、毎年約11日ずつ積み重ねていくことになります。
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メディナの通りの周りには海面と比較した標高を示す金属製の丸いマーカーがいくつか隠されています。これはガイドさんに教えてもらわないと見逃すところでした。チュニスはそれほど高い場所ではありませんが、一番高いところにあるプレートが28メートルで、一番低いところが7メートルだそうです。そのいくつかは現在も残されていますが、多くは壊されたり撤去されてしまっているようです。
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フランス門まで続く石畳はチュニジアの唯一の火山から運ばれた硬度のある火成岩が使われているそうです。滑り止めのために表面にノミを打った痕も見られます。
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緩い傾斜の付いた石敷きの道の中央には排水用の溝が設けられています。この道路がフランス門まで続いています。
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「ハムゥダ・パシャ・モスク」のミナレットが通りの先に見えます。西暦1655年にチュニジアのベイであるハムゥダ・パシャ・アルムラディによって建てられたモスクです。ハムダの統治は約35年間と長く続いたことから彼はモスクなど多くの宗教的および民間の建物を建設することができました。
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カバ通りの下を行き交う人が読みやすいように文字盤が迫り出した時計塔があります。
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建物の中の通路の多くはカフェとなっていました。夜遅い時間にもこの辺りを歩いてみましたが、若い人たちで賑わっていました。
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ミナレットの足元まで進んできました。坂道を歩いているせいか通りの先から見るよりも高く感じます。
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この場所で何十年タバコを売っているのか、小さな屋台がありました。チュニジアの喫煙率は高そうなのでまだ商売は成り立っているようです。
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先ほどのプレートから100メートル歩いただけですが、28メートルが23メートルになっています。つまり100メートルで5メートル下がったわけです。
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旧市街を表す言葉「メディナ」には「ムハンマドの地」という意味があります。メディナの路地は迷路のように入り組んでいますが、これは外敵の侵入を阻止する目的があります。
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居住区の他にカフェや土産物店や雑貨店が軒を連ねていて、オスマン帝国下の17世紀には品目別のスーク(市場)が生まれました。スークの大半がモスクの周辺に位置しています。もっとも有名なスークは「スーク・エル・アッタリーン」またはスパイスや香水商の「スーク・エル・コマーシーン」「スーク・サーガ」「スーク・エル・ガゼル」「スーク・エル・カシャーシーン」、雑貨商の「スーク・エル・クトゥビーン」、蝋燭商の「スーク・エル・アラーフィーン」などがメディナ中に展開しています。
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シャシーヤは男性のかぶる帽子です。エンジの色が特徴的で、頭にポンと乗った感じで被っています。この辺りのスーク・エル・べイ(Seuk el Bey)は19世紀ごろシャシーヤ産業で栄えた場所でもあります。その名残のような店舗がいくつか並んでいました。
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こちらでは日本で俗にいうトルコ帽の「フェズ(Fes)」で、頭頂部から房の垂れ下がったつばのない円筒形の帽子です。色は赤やえんじ色であることが多く、「フェズ」という名前はモロッコの都市フェズにちなんでいます。
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トルコ革命によってオスマン帝国が倒れ、近代化を推進するトルコ共和国が成立すると、フェズは旧体制のシンボル視されるようになり、1925年にムスタファ・ケマル・パシャによってフェズの着用は禁止されました。そのためトルコでこの帽子を被る人はいません。
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グランド・モスクのミナレットが近づいてきました。このモスクはチュニジアで2番目に古いモスクで、別名「オリーブの木のモスク」と呼ばれます。このモスクが建設される前にこの場所にオリーブの木が多く繁っていたためだそうです。敷地面積は5000㎡と広大で、中央のホールの柱はカルタゴ遺跡から移送してきたものです。
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17世紀のハムーダ・パシャは1655年にオスマン帝国の建築家にトルコ様式のモスクを建設させ、エレガントな八角形のミナレットを建設し、その下に家族の霊廟を建設させました。その霊廟のファサードはとても美しいです。
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染色業者はアルジェリア門内、鍛冶屋はバーブ・ジャディード周辺、馬具製造業はバーブ・マナーラ周辺、というように業種によって棲み分けされていました。フランス門周辺はキリスト教徒の商人らのホテルが多くありました。ヨーロッパ式の建築方式を踏まえ軒を連ね中庭のないスタイルで建設しました。
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ここでもガイドさんの歩くペースに合わせてレシーバーで説明を聞き来ながら歩くだけなので、買い物する時間はありません。
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エジプトツアーで行った「ハン・ハリーリ市場(Khan El Khalili)」では離団して3時間ほど自由に歩けたので買い物もできました。このような銅板を加工した彫刻の美しいトレイは今も自宅で使っています。
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建物の中でも同じ石畳の道が続いています。レンガで組まれた天井のアーチは漆喰で覆われていないのでその構造が良く分かります。
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こうやって美しく埋めてしまうと普通の建築と同じように感じてしまいます。
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グランドモスクの角ではアーモンドのヌガーを売るおじいさんの屋台のデザインが美しいです。屋台には商品が半分、秤が半分を占めています。これでどれくらいの商売が成り立つのでしょうか。
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エジプトのカイロやイスタンブールではこんなカフェでミントティーやどろどろのコーヒーを飲みながら時間を潰したことが懐かしく思い出されます。
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妻はずっとドライイチジクを探していますが見当たりませんでした。イスタンブールのエジプシャン・バザールで買った大きなイチジクのおいしさは何年経っても思い出されます。
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以前はこういった店で香辛料をいろいろ買い求めました。トルコのプルビベルという風味があって辛くない唐辛子が好きで、市場では香りのよいものをよく買いました。
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「グランドモスク」の入り口です。残念ながらムスリム以外の入場は出来ません。
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ツアーの列の最後尾を歩いているので、メンバーの人が映らないように振り返っての写真が多くなります。下り坂はまだまだ続いています。チープなストライプのビニールシートですが、とても美しく感じます。
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こんな通りをただ歩くだけなのは酷です。この後「フランス門(Bab Bahr )」の先の新市街のスーパーで買い物時間はもえらえました。ホテルにチャックインした後に戻ってみましたが、午後6時にはほぼすべての店が店じまいした後でした。
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こんなアンティーク店で店の主人といろいろ話しながら勉強させてもらっていた若い頃を思い出します。便利だけどツアーの限界を感じる時でもあります。
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歩いている石畳がほとんどフラットになってきました。それは旧市街のメディナの終わりを感じさせます。
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観光客には計り知れないいろいろなルールがあってこの雑然とした通りでの商売が成り立っているのだと感じます。実際夜に再訪してみるとゴミは通りの中央にまとめられ、それを回収する人などの姿も見られました。
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「カスバ広場(Kasbah Square)」からこの先の「フランス門(Bab Bahr )」までは5回曲がるだけのシンプルな通りなので自由に歩かせてくれてもいいのにと思います。
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「フランス門(Bab Bahr )」に面した「ビクトワール広場(Place de la Victire)」に出ました。
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旧市街と新市街は「フランス門(Bab Bahr )」という門で仕切られています。アラビア語で「ベーブバハル」といい、「ベーブ=門」「バハル=海」ということで、海の門という意味もあります。ここからジャーミア・ズィトーナ通りという新市街のメインストリートが伸びています。
フランス門 (バブ バハル) 建造物
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広場には池の無い噴水があり、子供たちの格好の遊び場になっていました。
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不定期に水が噴き出し始めるので歩いている人も気を付けないとビショビショになってしまいます。
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広場に面した「ロイヤル・ビクトリア・ホテル(Royal Victoria Hotel)」が建っています。こんな立地のホテルだと夜遊びも楽しそうです。
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王冠を冠したホテルの建物はサイゴンの「レックス・ホテル・サイゴン」を思い出させました。王冠とフレンチコロニアルスタイルの建築しか共通点ありませんが。
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「フランス門(Bab Bahr )」は独立しているのでわざわざ中を通らなくてもいいのですが通らなければならない気分です。
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これで旧市街とはしばしのお別れです。
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最後のプレートも確認しておきます。ここで海抜7メートルです。
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旧市街から海側にはジャーミア・ズィトーナ通りが続いています。
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通りは美しい並木道でパリにあるような広告塔も並んでいます。残念あガラ現在は使われていないようで、チープな人工芝が撒かれてありました。「Magasin Général」というスーパーマーケットに入って30分ほどの買い物タイムが与えられました。ここには酒射塲のコーナーもあり、チュニジアのワインを6本ほど買い求めました。
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買ったばかりの重たいワインを持ちながら歩いていましたが、「チュニス大聖堂(Cathedral of St. Vincent de Paul)」の前辺りでバスが迎えに来てくれてホテルまで送ってくれました。こんな時はツアーはありがたいです。
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「チュニス大聖堂」の前は「独立広場()」には「イブン・ハルドゥーン( Ibn Khaldun)の像」が見えました。中世のイスラーム世界を代表する歴史家で思想家、政治家で、イスラーム世界最大の学者とも呼ばれる人物です。14世紀の1332年のハフス朝の時代の首都チュニスで生まれました。広場にはバリケードが置かれ装甲車が常時置かれています。
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チュニスで2泊する「エルムラディホテルアフリカ(El Mouradi Hotel Africa)」に到着しました。このホテルも今まで宿泊してきたゴールデン・ヤスミン(Golden Yasmin)というグループのホテルです。
チュニスの中心地にある便利なホテル。レストランの食事も美味しい。 by kojikojiさんエル ムラディ ホテル アフリカ チュニス ホテル
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ロビーでチェックインを待つ間にウェルカムドリンクをいただきました。このホテルのストロベリージュースは濃厚で美味しかったです。このジュースはホテルの朝食時にもいただくことが出来ました。
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通りに面した8階の部屋は眺めも良くてとても明るいです。高級ホテルなので内装もシックです。冷蔵庫に最後の檸檬堂とミネラルウォーターを入れます。
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キングサイズのベットとクイーンサイズのベットが並んでいて、妻は何も言わずに大きい方のベットに座りました。
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バスルームも広く、洗面台周りも大きいので扇面バックなどストレスなく置けました。我が家ではヘアドライヤーがある方を妻が使うように決まっています。
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最後にバスタブ付きのお風呂です。帰国前にゆっくり熱い湯に浸かることが出来ました。
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妻が近所にあるスーパーマーケットに行きたいというので一緒に行くことにしましたが特に買うものもなく、結果的にはもう一度歩いてメディナに戻ればお店が開いているうちに買い物が出来たと思います。
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夕方になって再びロビーに再集合してバスに乗り込みます。この日はメディナの中の邸宅レストランでのディナーということで期待していました。
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チュニスの新市街ですが、町外れは少しさびれた雰囲気です。通りがかった港近くの青果市場の建物がいい雰囲気を醸し出しています。
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「ボルジュ・アリ・ライス(Borj Ali Rais)」というオスマン帝国時代の要塞は町の中からよく見えるようです。その麓には「ジェラーズ墓地」という13世紀に出来たイスラム教徒のための墓地が広がっています。
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バスはアルジェリ通りを通って旧市街の外側を大きく周って「カスバ広場(Kasbah Square)」の向かっているのがグーグルマップで確認できました。
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この日は休日の土曜日なので市が立って、新市街の下町は穂とがたくさん出てとても賑やかでした。チュニジアでは金曜日が休みで日曜日は平日の扱いになるとガイドさんが教えてくれました。
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「バブ・メナラ通り(Bab Mnara)」はメディナの門の名前ですが、この通りでバスを降りるとランプを持ったおじいさんが民族衣装の黒いジェッバ(Jebba)を着て待っていました。
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これはチュニジアのメディナの伝統的なもてなしの方法なのだとガイドさんが教えてくれました。
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この辺りは無名戦士の霊廟を始め幾つもの墓があるようです。通りの真ん中にもこのような囲いの中に石棺が置かれてありました。
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おじいさんはマイペースで通りを進んでいきます。
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この路地をさらに進んでいきます。
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「セントレ・エッサラヤ(Centre Essaraya)」という邸宅のレストランに到着しました。
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黄色い扉には黒い丸頭の鋲で花や月や星のデザインが表されています。ドアノッカーが3つありますが、その音で中にいる人は誰が来たのかが分かったそうです。知多にある小さいノッカーは女性用に物だそうです。女性の家人が訪問する男性に会わなくて済むような配慮だそうです。逆に女性が来ると女性が出迎えたのでしょう。
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中に入ると細い廊下を抜けて、その奥にはこのようなホールがありました。その豪華さに目を奪われます。
Centre Essaraya 地元の料理
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真ん中のテーブルには10人分の席が用意されています。我々9人と添乗員さんの席です。
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伝統的な500年前のチュニジアの家は本格的なオスマン建築の豪華な内装です。
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吹き抜けのホールの周りには奥にも細長い部屋が1つとニッチ状になったコーナーがいくつかありました。
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奥の細長い部屋は美しいチュニジアンタイルで覆われた壁と上部はレリーフという組み合わせです。ケロアンで見学した「シディ・サハブ霊廟(Mosque Sidi Sahbi)」を思い出させます。
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サロンのような部屋はカーテンで覆えるようになっているので、秘密の話し合いでもしたのでしょうか。この邸宅でくり広げられた物語を知りたくなります。
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モロッコのフェズの「パレス・マネビ(Palais Mnebhi)」という邸宅レストランも素晴らしかったですが、このレストランも引けを取りません。
パレス・マネビ:https://4travel.jp/travelogue/11898984 -
2階へ上がる階段もありましたが、現在は使われていないようでした。
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階段を少し上がったところからホールを俯瞰してみます。他のお客さんが来る前の写真を撮り終えてしまいます。
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マルーフ(ウード)と呼ばれる弦楽器の演奏が始まりました。物悲しい音色が沁みます。
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食事が始まるタイミングでホールの照明が薄紫色に変わりました。なんだか食べるものの色が分からなくなりそうです。
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テーブルにはハリッサ(harissa)という唐辛子の調味料が置かれてあります。それ以外に胡椒や塩は置かれてないのが面白いです。
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このレストランではアルコールのサービスが無いのでライム味のスプライトのような飲み物をいただきます。何年か前まではアルコールを出していたのようなので須賀、本来この地域ではお酒は飲まないそうなので、過去にさかのぼっているのかもしれません。モスクに異教徒が入れなくなったのと関連があるのかもしれません。イスタンブールの博物館だったアヤ・ソフィアもモスクになってしまい、2階には上がれなくなりました。
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最初のプレートはサラダとチキンフライ、春巻きのような料理も乗っています。
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音楽を聴きながら同じツアーのご夫婦と楽しい会話を楽しみながらの時間を過ごします。
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メインは牛肉の赤身の煮込み料理でした。アルコールを置いていないだけあって赤ワインなどは使われていないようです。柔らかくて美味しかったです。
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デザートはライスプディングでした。トルコやチュニジアやエジプトなどで食べたことを思い出します。
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この日の夕食が邸宅レストランでなければ別のレストラン「Dar El Jeld Restaurant」というトリップアドバイザーでチュニス2位の店に行こうと思っていました。この店は37位でしたが、満足できたので翌日は予定通りホテルのレストランで食事することにしました。
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グーグルマップで位置を確認すると歩いて帰れそうだったのですが、バスに乗って皆さんと帰ることにします。
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夜のメディナを歩くのは初日の晩に続いて2回目ですが、昼間とは違った顔を見せてくれるので楽しいものです。
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もうこの時点でホテルに戻った後に夜歩きすることを決めていました。
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調べてみるとこれは「スーク・サカジン」というこのメディナにある無名戦士の墓だということが分かりました。これが最も有名なようですが、このエリアには他にも独立戦争で命を落とした多くの兵士が埋葬されています。
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この墓に関する伝説は数多くあり、首都のかつての墓地に維持されている数少ない墓の1つだそうです。彼の子孫が保管していたアーカイブによると、ここはチュニスのシーア派とスンニ派の内部抗争中に死亡したシディ・マアウイアの遺体が埋葬されていて、彼の頭はエル・モナスティリ通りとシディ・マアウィア通りの交差点にある無名戦士の霊廟に安置されているそうです。
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見送ってくれたおじいさんの写真を撮らせていただきました。彼は店に戻ることはなくここに座っていたので、まだ他のお客さんが来るのだと思います。
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帰りのバスはハビブ・ブルギバ通り(Avenue Habib Bourguiba)を通りました。昼間は武骨な寂びた鉄塔のような姿ですが、夜はこのようなライトアップがされていました。
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通りの名前はチュニジアの初代大統領であり独立運動の全国指導者であるハビブ・ブルギバにちなんで名付けられました。「1月14日広場」の噴水と「時計塔」はチュニスのシンボルのようです。
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一度ホテルの部屋に戻りましたが、1人で散歩に出ることにしました。まだ午後8時過ぎです。ハビブ・ブルギバ通り(Avenue Habib Bourguiba)を歩きだすと「チュニス市立劇場(Municipal Theatre)」が見えてきます。1902年にオープンした市立劇場は世界でも数少ないアールヌーボー様式の劇場の1つです。
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1870年以降かなりの数のシチリア島からの移民がチュニジアに到着すると民俗劇場の公演や人形劇が催されるようになります。1880年にチュニスの人口は40,000人ででしたがそのうち4,000人がイタリア人で、フランス人は数百人しかいませんでした。市内の劇場の拡大はフランスの保護領の設立後も主にイタリア人コミュニティに関連していました。
市民劇場 劇場・ホール・ショー
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最初のイタリア風劇場は1875年にイタリアの建築家ジャコモ・ディ・カステルヌオーヴォによって設計されました。現在の建物はチュニス市の資金提供を受け、フランスの建築家ジャン・エミール・レスプランディによって建てられました。
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通りの反対側には「チュニス大聖堂(Cathedral of St. Vincent de Paul)」が見えてきました。目の前をトラムが通り過ぎていきます。
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L.ボネ・ラブランチによって設計された教会はムーア様式リバイバル、ゴシックリバイバル、ネオビザンチン建築などさまざまなスタイルを組み合わせて建てられました。礎石は1890年に敷設され1893年に建設が始まり、1897年のクリスマスにオープンしましたが資金不足のために鐘楼はありませんでした。
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教会の前で写真を撮っていると地元の女性たちに「あなたはこの建物が好きなの?」と声を掛けられました。「通りの向こうにある市民劇場もこの教会の建築も素晴らしいです。」と答えるとにっこり笑って「ようこそチュニジアへ。」と嬉しい言葉をかけてもらいました。
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並木の美しいフランス通りに入ると人通りは極端に減ってきます。夕方に行ったスーパーのあるポルティコには誰も歩いていません。
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「フランス門(Bab Bahr )」までやってきました。日中に賑わいも全く感じられない夜の顔です。もちろん噴水も止まっています。
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ゲートの向こうで1人自転車に乗る子供がいました。ダリかキリコの描いたシュールレアリズム絵画のような写真になった気がします。
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「ロイヤル・ビクトリア・ホテル(Royal Victoria Hotel)」の俗っぽいライトアップはやはりサイゴンの「レックス・ホテル」を思い出させます。
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想像した通りお土産を売る店などは100%閉まっていました。唯一建物の中にある降Caféがいくつか店を開いているだけでした。夜は昼間よりも周囲の建築の美しさや石畳の輝きを感じることが出来ます。
チュニス旧市街 旧市街・古い町並み
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賑わっていた「グランド・モスク」も静けさに包まれています。
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先ほど食事をしたレストランの扉によく似ていますが、鋲で造られたデザインは違っていて面白いです。
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昼間とは全く違った雰囲気のメディナですが、危険な感じは全く感じられませんでした。空港で両替した現金もガイドさんに両替してもらった現金も底をついているのを思い出し、近くにあったATMで150TNDキャッシングしました。2日分の飲み物などとガイドさんへのチップと絵葉書用に切手代が必要です。
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通りに出されていたゴミや段ボール箱は専門の業者が改修していました。分別迄されてはいないようでしたが、混沌の中にもシステムが確立してるのだと感じました。掃き掃除をしているのでゴミもほとんど落ちていません。
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「カスバ広場(Kasbah Square)」にはあまり魅力を感じていなかったので、メディナの中を歩いてホテルに戻ることにします。
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昼間見るよりも夜のライトアップされた建築は雄弁です。建築家の考えていたことがより感じやすくなります。
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どこかのカフェからか女性がたくさん出てきました。旧市街に向かって家路についているようです。こんなとこからも危険は感じません。
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大聖堂の前を通り抜けていると美しい建物を見つけました。ハビブ・ブルギバ通り(Avenue Habib Bourguiba)は大きな並木が植えてあるので建物を俯瞰で見ることが難しいです。
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HOTELと書かれてあった入り口ですが、とてもホテルとは思えませんので中には入りませんでした。入り口に守衛さんもいましたが、写真を撮っていても何も言われませんでした。
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入口の軒を支えているのはギリシャ神話に出てくるタイタン族の像のようです。ギリシア神話でゼウスを中心とするオリンポス神族に先だって世界を支配していました。ガイア(大地)とウラノス(天空)を両親とし、男神6人と女神6人の12神を指します。
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タイタン神族がゼウス達との戦い(ティーターノマキア)に敗れると、アトラスはゼウスによって、世界の西の果てで天空を背負うという役目を負わされます。アトラスが地球を背負う彫刻やこうやって建物を背負う姿で表されることが多いです。
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ホテルに戻る途中には往時は美しかったであろうアールデコの建築もたくさんありました。個人旅行であればじっくりそんな建物を探すのも楽しいのですが、ツアーの限界も感じます。翌日はチュニス郊外の「ドゥッガ遺跡(Dougga)」で今度はローマ時代の建築を学びます。
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