2019/05/15 - 2019/05/22
109位(同エリア483件中)
ポポポさん
この旅行記のスケジュール
2019/05/18
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市庁舎の中庭
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市立図書館サラボルサ
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ネプチューンの噴水
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この旅行記スケジュールを元に
旅行4日目最後の観光地はボローニャだったがここも雨。
雨は昨日の夕方から降り始めて4日目は一日中雨に見舞われた。本日最後の観光地ボローニャは赤いレンガ色一色の町と言われ中世の面影を残す素敵な町だが、生憎の天候に邪魔されて美しさが半減したのは残念だった。
とはいえ町の風情はとても素敵で、エミリア・ロマーニャ州にこんなに素敵な町があるとは知らなかった。
ボローニャの観光先
市立図書館サラボルサーマッジョーレ広場ー海神ネプチューンの噴水ー市庁舎(コムナーレ宮)ーエンツォ王宮ーポデスタ館ーサン・ペトロニオ聖堂ーボローニャの斜塔ーアルキジンナージオ旧ーガルバーニ広場ーサン・フランチェスコ教会
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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5月17日、旅行4日目の最後の観光地はヨーロッパ最古の大学があるボローニャである。
一眼レフカメラとコンパクトデジカメを使用していままで旅行記を作成してきたが、前回の旅行記でお知らせしたようにカードリーダーでコンパクトフラッシュの写真をPCに取り込んでいたところ、カードリーダーの不具合で今回のイタリア旅行以降の写真が全て消滅してしまった。
そのため旅行先の様子を十分にお伝えすることができなってしまった。残された写真のみでの旅行記となり不十分な内容ですが、お許し願えれば幸いです。
ボローニャの旧市街には大型バスが入れないので、旧市街の外でバスを下車して雨の中旧市街まで歩いた。
雨が一番激しく降ったのはボローニャだったと記憶している。
写真はサン・ドメニコ教会前広場のマリア像。 -
ボローニャ旧市街の西の入り口ヌオーヴォ門。城壁の入口である。
ヌオーヴォ門 (ボローニャ) 建造物
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雨の中ガイドの後をただひたすら歩くだけで、写真の場所がどこなのか全く分からなかったが、ここは市庁舎の中庭だった。
市庁舎(コムナーレ宮) 博物館・美術館・ギャラリー
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市庁舎の中庭。
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我々は今市庁舎の裏側からマッジョーレ広場に向かっているところである。
市庁舎(コムナーレ宮) 博物館・美術館・ギャラリー
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建物を通り抜けるてマッジョーレ広場の隣にあるネットゥーノ広場。
広場にはネプチューンの噴水があった。銅像の右後ろに見える建物はエンツォ王宮殿。
ここまでガイドさんの説明は無い。最初に我々に指示されたのは「今から図書館に行きます。そこには無料トイレがありますので休憩をとってそれから市内観光します。」とのことだった。ネットゥーノ広場 広場・公園
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そしてボローニャで最初に訪れたのが市立図書館サラボルサ。市立図書館サラボルサ市庁舎の隣にある建物の中にある図書館である。
ここはトイレ休憩で観光ではないため、当然ガイドさんから観光案内はなし。
でもこの図書館はとても素敵で美しい図書館だった。
私がボローニャで一番印象に残ったのはこの図書館と旧ボローニャ大学(アルキジンナージオ宮)だった。
アックルシオ宮殿は市の庁舎となりこの建物は証券取引所として使用され、その後改装されて現在の図書館になった。 -
図書館は2階建てで1階は広いホールだった。
このホールは図書館が主催する色々なイベント会場になるそうで、ホールの周囲にはカフェがあった。
この図書館についてはガイドの説明が無かったので後日調べたところ、この建物の下にはローマ時代の遺跡があってその上に宮殿が建てられたそうだ。
1階のガラス張りのフロアからは地下にあるローマ遺跡が覗けるらしい。
なお直接地下に降りて遺跡を見ることもできるそうで、その場合は有料で私が観光した時は2ユーロだった。
1階にあるトイレは無料で、2階にも無料トイレがあった。むろん無料だからガイドがトイレ休憩として連れて来たのだろうが、この図書館の美しさには驚かされた。 -
天井の寄木細工のような木調の装飾がとても美しかった。
まだ時間が十分あるので2回に上がってみよう。
2階にはエレベーターと階段で上がれる。 -
2階から眺めた図書館の様子。
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2階の各部屋は図書のジャンルごとに区分けされていた。
また2階の通路は自習室になっていて、日本と同じように机や椅子、蛍光灯にWIFI環境が完備されている。 -
2階の自習室の様子。図書室は左の部屋の中。
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2階から1階ホールを見下ろす。
1階ホールの床には透明な四角い区画がいくつもあるが、そこが地下の遺跡が見れる場所なのかもしれない。
私は1階ホールを隅々まで歩いていないので、地下に遺跡があることは、この時点では知らなかった。 -
再び2階通路の様子。図書室の中をのぞいてみようかと思ったが、明らかに外国人の旅行者なので敷居が高かった。
サラボルサ図書館は市庁舎の向かって右にあるアックルシオ宮殿の中にあるが、建物の入り口も全体の写真も残念ながら残っていない。
これらの写真は一眼レフカメラで写したため、写真のデータが消滅してしまったのだ。
このようなことは今後も頻繁に起こる。特にトスカーナの世界遺産オルチャ渓谷とピエンツァ、シエナはほとんど一眼レフカメラで写真を撮ったので、これらの町ではほとんど重要な写真が残っていない。 -
全員トイレ休憩が終わるといよいよボローニャの観光がスタート。
まずは町の中心マッジョーレ広場から。
広場に面して建っていたのはエンツォ王宮殿(右の建物)とポデスタ館(左の建物)。
エンツォ王宮殿は神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ2世の息子エンツォが1249年から亡くなる1272年まで幽閉されていた宮殿。
当時ボローニャは自由都市で独立と自治の為しばしば周辺国と戦いを余儀なくされていた。
1249年フォッサルタの戦いで神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世に勝利したボローニャは皇帝の息子エンツォを捕虜としてここに幽閉した。以降この宮殿はエンツィオ王宮と呼ばれるようになった。
エンツィオは夜は天井から吊り下げられた折に入れられていたが、昼間は比較的自由に宮殿内を散策できた。女性と会うこともできたそうだ。
エンツィオは詩作の能力に長けており、父フリードリッヒ2世よりも優れた才能を持っていたそうで、死ぬまで詩作を続けていたと伝えられている。ポデスタ館とエンツォ王宮殿 城・宮殿
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左の建物がポデスタ館。
12世紀半ばに建設された建物で神聖ローマ帝国が任命した行政長官の館として使われた。ボローニャが神聖ローマ帝国に敵対するロンバルディア同盟に加わって自由都市になると行政長官を追放し、市民が選出した首長の館となった。ポデスタ館とエンツォ王宮殿 城・宮殿
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ネットゥーノ広場にあるネプチューンの噴水。
1566年ジャン・ボローニャが製作した噴水で、地元の人々からはジカント(巨人)の愛称で呼ばれている。
この噴水は海神ネプチューンと海の精霊セイレーンといイルカに乗った子供たちの群像で飾られていた。
4人のセイレーンは世界の四大河(ガンジス川、ナイル川、アマゾン川、ドナウ川)を表しているそうだ。
セイレーンはそれぞれイルカの背に乗った姿だが、噴水はセイレーンの乳房からほとばしり出ていた。ボローニャは当時教皇領だったが何とさばけた彫像だろうか。ネットゥーノ広場 広場・公園
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ネプチューンの彫像は後ろから見た方が面白いとガイドさんが教えてくれたので、後ろ側から写した写真なのだが、これだと何の変哲も無い写真である。
実は私が写した場所と角度が悪かったため、この彫像に込められた作者の意図がこの写真では把握できなかったのだ。
このあと一眼レフカメラで撮り直したのだが、残念ながらそのデータが消滅してしまったため皆さんにお見せすることができなくなってしまった。
そのため文章で解説します。製作者のジャン・ボローニャは今回製作するネプチューンは男性の局部を大きく誇張して男らしさを強調したいという意図を持っていたが教会から反対されてしまった。
特にボローニャは教皇領だったので、他の町よりも教会の圧力が強かったようで、誇張した男性の局部は禁止されてしまった。
そこでジャン・ボローニャはあるトリックを思いついた。そのトリックは像の右後ろのある場所からだと見れるのだが・・・。どのように見えるかと言うと。
あら不思議、禁じられたはずの屹立した立派な男根が見えるではありませんか。
実は前に突き出した左腕が見る角度によって男根のように見えるようトリックを仕込んだのだった。 -
マッジョーレ広場には広場を囲むようにボローニャの主要な建物が建てられている。
写真はそれらの建物の一つ市庁舎(コムナーレ宮)である。
元々は裕福で高名な大学教授で法学者のアックルシオの邸宅で豪華な造りの建物だったた。教皇領時代は市庁舎の屋上に見える時計台はアックルシオ時計台と呼ばれていたそうだ。
教皇領時代には教皇代理使節の居宅として増築された。
この建物は左端が13世紀の建物で、右側の建物は15世紀に増築、中央の入り口は16世紀に建造されて、各時代の建築様式が混ざった珍しい建物となった。
内部には大礼拝堂や美術館があるそうだが、ツアーのため残念ながら内部見学の時間は無かった。この建物は外壁にも見るべき彫像がある。一つは入口2階の右上の像。
「幼子イエスを抱く聖母マリア」である。市庁舎(コムナーレ宮) 博物館・美術館・ギャラリー
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そして入口2階のバルコニーにはローマ教皇グレゴリウス13世の像がある。
グレゴリウス13世はボローニャ出身の教皇で太陽暦(グレゴリオ暦)を導入した教皇として知られている。
遣欧少年使節団が謁見した教皇でもある。市庁舎(コムナーレ宮) 博物館・美術館・ギャラリー
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ここはマッジョーレ広場の隣にあるレ・エンツォ広場。
周囲の建物は商業施設が入った商業ビルが並んでいた。
建物の1階道路側はポルティコと呼ばれるアーケードが続いている。 -
レ・エンツォ広場の周囲の風景。
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レ・エンツォ広場と奥に見えるのはサン・ペトロニオ聖堂。
サン・ペトロニオ聖堂は14世紀から17世紀にかけて建設された教会だが、今も未完成の教会である。
建物中央から下部分は大理石の外壁が出来上がっているが、途中で建設が中止されてしまい、未完のままの状態で現在に残されている。
建築が中止された理由はローマのサン・ピエトロ大聖堂の規模を越えてはいけないとヴァチカンから干渉が入ったため。
当初この大聖堂はイタリア最大規模の教会を目指して建設が進められていた。
この干渉により聖堂の正面ファザードは未完のままになっている。
この聖堂未完成でありながら世界第三位の規模というからすごい。ちなみに1位はローマのサン・ピエトロ寺院、2位がロンドンのセント・ポール大聖堂だ。
サン・ペトロニオ聖堂は近くに寄って大理石の外壁などの写真を何枚も写したのだが、これらも一眼レフカメラで写したため写真が無い。サン ペトローニオ聖堂 寺院・教会
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レ・エンツォ広場から次に向かったのはボローニャの斜塔があるポルタ・ラヴェニャーナ広場へ。
左は商業施設に設けられたポルティコ。ポルティコは屋根付きで柱廊が並ぶアーケードの事。イタリア各地で見られるがボローニャのポルティコは、その規模の大きさで有名。その距離は合計で62kmにも及ぶそうだ。写真は道路側から写したためポルティコの様子は分からないが、このポルティコ、アルキジンナジオ通りに沿って延々と続いていた。 -
ポルタ・ラヴェニャーナ広場の近くにあるボローニャの斜塔にやって来た。
ここの塔は2本。低い塔はガリゼンダの塔で48m、高い塔はアシネッリの塔で97m。共に皇帝派の貴族が建てた塔である。
中世のイタリアは皇帝派と教皇派が争っていた。当時のボローニャで両派の争いは如何に高い塔を建てるかだったため、有力貴族が競って高層塔を建てたので塔が林立していたそうだ。
今ではほとんど残っていないが、残った塔の多くは上部を取り払って普通の住宅に改装されてしまった。
ガリゼンダの塔は傾きすぎたので塔の上部を削り、現在の高さになったそうだ。
アイネッリの塔の階段は498段、狭くてすり減った木の階段は傾斜が急で危ないのでガイドさんは登るのを勧めないと言っていた。ボローニャの斜塔 (アシネッリの塔 ガリセンダの塔) 建造物
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2つの塔の下にある彫像はボローニャの守護聖人サン・ペトロニオ。
低いガリセンダの塔は登れないが、高いアシネッリの塔は観光当時(2019年5月現在)は有料で登れたが現在は登れない。
低いガリゼンダの塔に崩落の危険性が増し、その対策として防護壁や落石豪語ネットの取り付け工事中で、今後立ち入り禁止区域も設定されるためその影響がアシネッリの塔にも影響するかもしれないのだ。
現在は工事による一時休業中とのことであった。
なおここから見上げても斜塔と言うことは分からない。そこでガイドさんが斜めに傾いて見える場所に我々を案内してくれた。 -
ここからの景色が一番傾いているそうだ。
ガリゼンダの塔に後ろに見え塔がアシネッリの塔。重ねて見るとガリゼンダの塔がずいぶん傾いている事が分かる。ボローニャの斜塔 (アシネッリの塔 ガリセンダの塔) 建造物
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ガリゼンダの塔に近づくと塔がさらに傾いて見え、自然に「うおー、すごい。」など感嘆とも驚きともとれる言葉が自然にツアーの人達から漏れてきた。
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ボローニャの斜塔。
この方向からは斜めに見えない。 -
ボローニャの斜塔と聖バルトロメオ教会
この方向からも斜めには見えない。先ほど案内された方向からしか見えないらしい。聖バルトロメオ教会 寺院・教会
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再びマッジョーレ広場に戻って来た。
正面は市庁舎、右の建物はポデスタ館。マッジョーレ広場 広場・公園
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マッジョーレ広場。
正面は市庁舎。その左の建物はノタイ館。ノタイ館は1381年公証人協会の建物として建てられ、その後20世初に2つの建物が合体して改修された建物である。
2つの建物が合わさったことが外から分かるのは1階の窓の形。左側はアーチ式だが右側は四角い窓になっている。
さて、現在17時40分、ここから1時間の自由行動だ。再集合は18時40分にこの場所で。ガイドさんの案内はここまでとのことだった。
添乗員が「パルミジャーノ・レッジャーノ(チーズ)を売っているいい店が市場にあるので興味ある人は一緒について来てください。」と言うと大半の人が添乗員に同行することに。
私は旧ボローニャ大学に行きたかったのでガイドさんに場所を聞くと「私の帰り道と大学は同じ方向なので私が案内してあげましょう。」と言うことでアルキジンナジオ通りのポルティコを南に歩いて行きました。
最初はガイドさんと2人でしたが後ろから4人が付いて来て一緒に行くことに。
一組は親子さんの2人もう一組は姉妹の2人で、私とガイドさんのやり取りを後ろで聞いていて、ガイドさんが案内してくれるなら大学の方にしようと後ろを付いて来たそうです。マッジョーレ広場 広場・公園
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アルキジンナジオ通り沿いにある旧ボローニャ大学アルキジンナージオ宮に到着した。
ここが旧ボローニャ大学の入口。写真は入口アーチ門のレリーフです。ガイドさんがレリーフの由縁を説明してくれたのですが、今となっては何も覚えていません。 -
こちらは入口左のレリーフ。
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入口門上部にあるのはフィレンツェの名門貴族メディチ家の紋章。
どうしてメディチ家の紋章がボローニャにあるんだろ?
不思議に思ってガイドさんに質問すると次のような回答が。旧ボローニャ大学 城・宮殿
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この大学はメディチ家出身の教皇が1563年に建ててくれたそうで、その功績を讃えるために入口にメディチ家の紋章が掲げられたのだそうだ。
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旧ボローニャ大学の入り口門。
ボローニャ大学はヨーロッパ最古の総合大学で欧州各国の名門貴族の子弟が集まってきた。
ボローニャ大学は1088年の創設だが当初学舎は無く、学生たちは外で教授を囲み講義を受けたそうである。いわゆる青空教室として始まったということだった。
学内で講義が始まったのはアルキジンナージオ宮が建てられてから。
学舎内の回廊や壁にはここで学んだ貴族の子弟たちの紋章がいくつも掲げられている。
入り口の天井にもたくさんの紋章のデザインが飾ってあった。旧ボローニャ大学 城・宮殿
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入り口大階段の天井に掲げられた貴族の子弟たちの紋章。入口は暗く紋章に見えたが実はこれらは紋章をモチーフとした天井画。
ボローニャ大学で学んだ有名な卒業生はダンテ(神曲で有名)、コペルニクス、グレゴリウス13世(ローマ教皇でグレゴリオ暦を採用)、エンツォ・フェラーリ(フェラーリ創設者)などなど。
ボローニャ大学の特色は各国から学びに来た学生たちは生活の安定と相互扶助の為に国ごとに団体(学生自治会)を結成し、市当局や教授たちと交渉した。
この学生自治会はギルドと同じで大学の自治権と運営権を学生が持ち、市当局と交渉したり、教授に要求を突きつけ自治を行っていた。また教師を辞めさせることもできた。
16世紀からは女性も学生として受け入れ独立心旺盛な学風を作り上げた。
ペストで一時大打撃を受けたものの、ルネッサンスで復活したそうだ。
このようにボローニャは活気のある町だったが、賭博のあるぶっそうな町でもあったという。 -
アルキジンナージオ宮入口大階段の天井画。
大学回廊内部のに掲げられた学生たちの紋章が装飾されていた。 -
学舎内の上り階段の様子。
天井や壁一面に紋章が描かれていた。 -
学者内の階段の天井画。
モチーフは大学で学んだ貴族の子弟たちの紋章 -
階段を上りつめた先の回廊には貴族の子弟たちの家の紋章が、所狭しと並べられていた。
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旧ボローニャ大学は中世の貴族の紋章コレクションでは欧州一かも。
壁一面に飾られてすごいの一言。圧巻です。 -
大学構内の回廊。
写真右に大学の中庭があり、この回廊の突き当たりが解剖学大階段教室の入り口。
ガイドさんの案内はここまで。有料の解剖学大階段教室はもう閉まっているので他は無料で見れるので時間までしっかり見学してねと告げて帰っていかれました。
ガイドの案内が終わって後までも我々を案内してくださり、ありがとうございました。
全員で謝意を告げてお別れしました。旧ボローニャ大学 城・宮殿
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解剖学大階段教室の入口。
ここは旧大学の有料施設。見学時間は18時までで料金は3ユーロ。ネット予約者が優先入場で、当日入場者は教室から退場した人数に応じて少しづつ入れるそうだ。
この写真は解剖学大階段教室入口の横に設置された学内の案内モニターの映像を映したもの。
教室入口の写真は一眼レフカメラで写したため消失してしまい、旅行記には掲載できませんでした。 -
大学構内説明のモニター映像から。
大学構内の図書館の様子。旧ボローニャ大学は現在市立図書館になっているそうで、映像はその図書館内の様子のようだ。 -
図書館の付属ホールの様子。
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モニター映像。回廊の様子。
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大学構内の様子。
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学舎ないの回廊と中庭。
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有料施設解剖学大階段教室内部の様子。
中央にある白い台が解剖台。自由都市ボローニャ大学では教会の反対をものともせず、世界最初の人体解剖が行われた。その場所がここである。
教室の天井や壁、床などは全て木で装飾され、独特の雰囲気を持つ教室だった。
映像で見難いが左教壇の両脇には「皮をはがされた人」と呼ばれる彫像がある。 -
大学の図書室。現在は市立図書館である。
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モニター映像を見た後無料で見学できる中庭の回廊を歩いてみることにした。
ここはどんな場所だったか覚えていない。 -
回廊から中庭を見る。
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中庭と回廊の様子。
この時計台のある建物が図書館の付属ホールがあった建物のように記憶している。旧ボローニャ大学 城・宮殿
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回廊の一室にあった古書の展示室。
これも市立図書館の蔵書の一部であろうが、旧ボリーニャ大学が市立図書館になっていることはガイドさんの説明にも無かったのでこの時点では知らなかった。 -
ガラスケーズに入った本にはそれぞれ説明書きがあったが、チンプンカンプンで理解できないため重厚な羊皮紙の本を眺めるばかりであった。
そして最後に訪れたのが図書館付属ホールと思われる大きな部屋。
部屋の扉が開いていて、そこから見える景色は若い女性や男性が歩く姿や談笑している姿。市立図書館とは知らなかったので彼らは大学の学生で、まだ校舎に残って談笑しているのだろうと思っていた。
部屋の中に入って室内の写真を撮ると奥から一人の男性がやってきてイタリア語でまくしたてられ、出て行けと言う身振りで我々は追い出され、扉を閉められた。
写真を写した時の一瞬の記憶では図書館付属ホールの室内の景色と私の記憶が重なった。
写した画像の記録が残っていれば一番はっきりするが、これも一眼レフカメラで写した画像で消失しまっている。
この旅行、一番肝心な写真は全て一眼レフカメラで写したため、不完全な旅行記になってしまいとても残念である。 -
回廊と入れる建物は見たので、皆とマッジョーレ広場まで一緒に帰りうことにした。
これはまだ見ていない回廊の天井画と壁に架けられた紋章。 -
天井画はデザインされた紋章の絵で埋め尽くされていた。
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カルオ・ボッロメオの大学登録を讃える銘文とフレスコ画。
元々ボローニャ大学は法学が有名な大学として位置付けられていたが、他の学部(哲学、医学、数学、物理楽、自然科学)も様々な建物に分散されていた。
それを一つの建物に統合することを目的に1563年に建てられたのがアルキジンナージオ宮である。
その大学統合計画を強力に推し進めたのが枢機卿のカルオ・ボッロメオであった。
いわば総合大学ボローニャ大学の父とも呼ばれる人であるが、これは当時教皇庁が推し進めた反宗教改革の一環でもあった。
カルオ・バッロメオは反宗教改革推進者の一人で聖人に叙せられている。 -
アルキジンナージオ宮の向かいにあるガルバーニ広場。
広場にあるのはガルバーニの像。
ルイージ・ガルバーニはボローニャ出身の医師。ボローニャの医学校で学び医者となる。その後ボローニャ大学の医学部の教授となり、さらに解剖学の教授となったそうだ。ガルバーニ広場 広場・公園
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待ち合わせ場所はレ・エンツォ広場でマッジョーレ広場の先にある場所。
サン・ペトロニオ聖堂があるマッジョーレ広場まで帰って来たので集合場所まであと少し。サン ペトローニオ聖堂 寺院・教会
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集合場所で待っているとやって来たのはトコトレイン。
赤い客車の観光用列車です。来たイタリアのドロミテにあるコルティナ・ダンベッツォでも見ましたね。 -
蒸気機関車型の車両です。
機関車部分は赤と青色。カラフルでカッコイイですね。 -
今日の観光はボローニャが最後。入場観光はほとんどありませんでしたが歴史のある素敵な町でした。
サン・ペトロニオ聖堂には入れませんでしたが、旧ボローニャ大学に入れたので良かったかな。
ところで歴史のある素敵な町で古い建物なども多く残っているのに何故ボローニャには世界遺産が一つもないのだろうか?
ボローニャ市のアピールの仕方が悪いのか?それともイタリアには世界遺産候補がまだ山のようにあるので時間待ちなのか?(2019年5月現在です)
そのように思って帰国してコロナ禍で海外旅行に行けない2012年の事、ついにボローニャで世界遺産が誕生。
それはポルティコだった。ボローニャのポルティコは全長62kmにも及ぶ長大なもので長さでは世界一。
第二次世界大戦の被害にも合わず街並みが綺麗に残ったためアーケードとしての都市機能がそのまま残った事で選ばれたそうだ。
まずはめでたし、めでたし。 -
市庁舎を後にして今からレストランに行きますよ。
今日は朝から一日雨。雨に祟られた観光でしたが、ボローニャはポルティコがあったので少しは良かったかな。
添乗員さんはマッジョーレ広場からサンピエリ通りに入り、両側に店が並ぶ道を進んで市場を抜けてと。それからどう歩いたか分からないが食品街や市場はパルミジャーノ・レッジャーノチーズの店に添乗員さんが案内したルートと同じだったそうで・・・。 -
添乗員の後に続いてどこをどう歩いたか分からないが、とあるレストランに到着。
一眼レフカメラで写したため店名の写真が無く、どこのレストランに入ったのか場所が全く不明。
グーグル地図で該当するであろうと考えられるレストランの内部の様子を写真で確認したが、店内が同じレストランは見当たらなかった。
ともかくあるレストランとして進めたい。 -
前菜は当地のパスタ、ボロネーゼ。正式名称はタリアテッレ・アッラ・ボロネーゼ、さすがは本場のパスタ美味しかったですね。
店の名前が分からないのが残念。今宵の夕食はこのパスタがメインだわ。 -
メインはチキンと焼きポテトとサラダ。
写真を見ても美味しかったかどうか思い出せない。記憶にないって事はそれなりの味だったかな。
やはりメインはボロネーゼでしょう。 -
デザートはケーキ。このケーキ甘かったわ。
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夕食のとあるレストランからヌォーボ門までの途中にあったサン・フランチェスコ教会。
ここは教会の後ろ側。サン フランチェスコ教会 寺院・教会
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教会の後ろ側は芝生でここには気になるものがありました。それが写真のピラミッド型の屋根を持つ列柱の構造物。実はこれはお墓で列柱の中には石棺があるのです。
ここには3つの石棺を入れた列柱の墓があり、これらは箱舟と呼ばれている。
右の二重列柱の箱舟は1265年に亡くなったオドフレドと言う人の墓。 -
4頭のライオンに支えられた箱舟は室内で亡くなったロマンツィと言う人の墓。
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箱舟と呼ばれる石棺は教会の後ろ側の芝生に2つ。さらに右に1つの合計3つあった。
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そして一番左の箱舟は1265年に亡くなったアックルシオとその息子フランチェスコの墓である。
これらはボローニャ大学の大学教授の墓で現存するのは5つのみで、内3つの墓がこの地に集まっている。サン フランチェスコ教会 寺院・教会
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その後ヌォーヴォ門を潜って旧市街の外へ。待っていたツアーバスに乗って今夜のお宿NHヴィラノーヴァホテルに着きました。
ヌオーヴォ門 (ボローニャ) 建造物
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NHボローニャヴィラノヴァホテルの外観。ホテルに到着。
NH ボローニャ ヴィラノヴァ ホテル
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ホテル内のバーラウンジ。
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ホテルのカウンター。
NH ボローニャ ヴィラノヴァ ホテル
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ロビーの様子。
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室内の様子。
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客室はベッドの他に机・椅子・TV応接テーブル・椅子と一応の物は揃っていた。
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浴槽はバスタブ。
今日は朝早くから雨の中を一日中、朝から晩まで歩き回って本当に疲れた。
バスタブに浸かって疲れを癒して早く休みたい。 -
洗面台・ガラス共に広く使い勝手良し。
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最近の欧州のホテルはソープ・シャンプーはボトル式でアメニティがないのがほとんどだが、このホテルはアメニティがあった。
これでボローニャの旅行記を終わります。旅行5日目の観光はサンジャミーノとアグリツーリズモのレストランで昼食、そして最後はシエナ。3日目同様強行軍の旅でした。
それではお休みなさい。訪問下さりありがとうございました。
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3.21
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