2019/05/15 - 2019/05/22
110位(同エリア329件中)
ポポポさん
この旅行記のスケジュール
2019/05/16
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主祭壇
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バロック様式の豪華な内装
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教会のクーポラ
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クーポラの「悪魔の顔」
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小さなパイプオルガン
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聖骸布のレプリカ
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アッドラータの礼拝堂
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ピエタ像
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この旅行記スケジュールを元に
トリノの最初の観光はサン・ロレンツォ教会から。
この教会はグリーノ・グリアーニの最高傑作と呼ばれています。何の変哲もない建物から一歩中に入るとそこは絢爛豪華な世界。外からは想像もつかないほどの煌びやかな世界が広がっていました。
内と外のこの世界の変りようには思わず驚愕してしまいます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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5月16日旅行2日目トリノ観光の続きです。
今回はサン・ロレンツォ教会の観光からです。この教会はフランスとの領土戦争「サン・クインティーノの戦い」にサヴォイア家のトリノが勝利したことを記念して建てられました。
トリノが勝利した日は8月10日、この日は聖人サン・ロレンツォをお祝いする日であったため「サン・ロレンツォ教会」と命名されました。
当時この教会を建てたのがバロック建築で有名なグリーノ・グリアーニ、彼が建てた建物の中でも最高傑作と言われているのがこの教会なんです。
教会の中に入った瞬間、簡素な教会の外観と豪華絢爛な内部のギャップに驚かされました。
協会の内部が薄暗いため本来の美しさを写真では捉えきれていませんが、肉眼で見た大理石や装飾の美しさにはため息が出るほどでした。
そんなこともあってか、教会内の写真を撮りまくりましたので、今回の旅行記はこの教会だけに絞りました。
写真はサン・ロレンツォが描かれている主祭壇です。サン ロレンツォ教会 寺院・教会
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主祭壇のクーポラあたりから祭壇下部までを写した写真です。
クーポラの下にはキューピッドと聖人の絵が描かれていますが、どんな場面か誰なのか全く覚えていません。
多分写真を写すのに集中していたのでガイドさんの説明は右の耳から左の耳へと筒抜けになっていたんでしょう。サン ロレンツォ教会 寺院・教会
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主祭壇(中央祭壇)。
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主祭壇のアップ。
祭壇中央にはサン・ロレンツォの肖像画、その前には十字架が納められた小天蓋。
十字架の下の像は金色のイエスキリストかな?
小天蓋と燭台が並ぶ祭壇を支えているのは2人の男性像。豪華な色大理石や緻密な装飾はイタリアバロックの極致と言われているそうです。
建物の内装も素晴らしいのですが、クーポラや祭壇、礼拝堂も素晴らしい物でした。 -
主祭壇を別角度から写したもの。
祭壇の上部アーチの左右には色々な天使像が飾られています。 -
この教会で美しかった物の一つがこのクーポラです。
皆さんこのクーポラを見つけて下さい。どうでしょう何かの顔に見えませんか?
下から見上げると悪魔の顔に見えると言われているのがこのクーポラの窓です。
扇形の窓は目、五角形の窓は鼻、大きな窓は口にみえませんか??
これはグリーノ・グリアーニが遊び心で造ったのでしょうか?教会に悪魔の顔ってそぐわないと思いますが、このクーポラの顔はユーモアと捉えた方がいいと思います。
この角度だとまだ悪魔の顔には見えませんが、この後悪魔らしい顔に遭遇しますのでお楽しみに。 -
クーポラ下の壁画と祭壇。
クーポラの八角形の下にはこのような祭壇や礼拝堂が美しく彩られています。
この祭壇もそのような中の一つです。 -
先客のツアー客が祭壇前を離れたので再び祭壇の前へ。
祭壇の天井は小クーポラとでも言えそうな造り。天使像が描かれていますね。
天井の窓から差し込む光が主祭壇を照らします。 -
さらに近づき主祭壇をアップで。
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主祭壇を右斜め前から写してみました。
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教会にあった小さなパイプオルガン。
このパイプオルガン本当に小さいんです。 -
アップしたらこんな感じ。
パイプの長さは短いし、太さも細いと思います。どんな音色がするのか聞いてみたいですね。 -
クーポラ下の祭壇や礼拝堂。
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クーポラを下から見上げます。
クーポラの窓から射す光が明るいためクーポラ下に描かれた絵は写真では暗く写りました。
でも肉眼でははっきり見えましたよ。 -
目つきが険しい「悪魔の顔」
礼拝堂や祭壇に近づくにつれて「悪魔の顔」の目つきが険しくなりました。
これは偶然の産物なのかそれとも最初から意識して造られていたのかは分かりませんが、これを意識して造ったのであれば大したものだと思いました。
見る角度によって窓の大きさが変化し、目つきが悪くなるんです。よく考えられていると思いますよ。 -
さらに祭壇に近づくと極悪、最悪の悪魔の顔に変身。
おお怖いとそそくさとその場から退散しました(笑)。
聖人サン・ロレンツォを祭る教会として建てられたのですから、クーポラに悪魔の仕掛けが施される訳はないはずですから普通に考えれば偶然の産物なのでしょう。
これが意図的に仕掛けられていたのであれば建築家グアリーノ・グアリーニの遊び心とでも言うものでしょうが真意の程は分かりません。 -
下から見上げたクーポラの全体像はこんな様子。
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主祭壇以外の礼拝堂や祭壇を見ていきましょう。
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クーポラの8つの窓の下に祭壇や礼拝堂が造られています。
そして祭壇の両脇にそれぞれ2つの礼拝堂が配置されていてその形が繰り返されていました。 -
教会内のバロック装飾や絵画。
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バロック様式の祭壇と礼拝堂。
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礼拝堂と天井画。
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礼拝堂の天井は典型的なバロック様式の装飾と天井画。
宮殿のような豪華さに驚かされました。 -
これでもかと思うような豪華な装飾の連続でため息が出るような空間に脱帽でした。
写真ではその美しさを表現できていません。
トリノに行かれたなら是非この教会をお尋ねください。きっと感動すること間違いないと思います。 -
パイプオルガンがある付近の祭壇や礼拝堂。
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教会内の礼拝堂と祭壇を一回りして再び主祭壇の前に来ました。
祭壇に近づきすぎたのでサン・ロレンツォの肖像画が十字架の天蓋に隠れています。
教会内部の礼拝堂や祭壇はいずれも素晴らしいのですが、主祭壇は格別素晴らしものでしたね。 -
クーポラのほぼ真下から写してみると「悪魔の顔」は目をつぶって寝ているかのように見えました。
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主祭壇の右廊に写真のような案内板がありました。
この写真は聖骸布に映し出されたイエスキリストの顔です。ガイドさんの説明ではこの聖骸布のレプリカが矢印で示された右の部屋に展示されているとの事でした。
本物の聖骸布は王宮の側にあるドゥオーモ(聖ヨハネ大聖堂)に保管されていて普通は目に触れることができないため、この教会の一室に展示されているレプリカを見ることができるそうです。 -
聖骸布を写真撮影して浮かび上がったイエスキリストの顔です。
聖骸布とはキリスト教の聖遺物の一つで、磔刑で亡くなったイエスキリストの遺体を包んだ布のことです。
レプリカの保管室では本物と全く同じように複製した聖骸布がみれるんだそうです。
レプリカとはいえ、本物そっくりだそうですから期待に胸が弾みました。
さあ、イエス様の聖骸布を見に行きましょう。 -
ここが聖骸布のレプリカを公開している部屋です。
細長い聖骸布が1枚と聖骸布に写し込まれたイエス様の体の正面側と背中側の写真が1枚ずつ展示されていました。 -
聖骸布のレプリカです。本物と同型同寸との事です。
聖骸布は縦4.41m、横1.14mの亜麻布で1枚の布に頭から半分に折りたたんだように体の表側と裏側の様子が布に転写されています。映し出された人物の身長は180㎝です。布は象牙色の亜麻布で杉綾織(ヘリーボーン)でした。
聖骸布についてガイドさんから簡単な説明があった後衝撃的な一言が・・・。
「この布は科学的検査によって13世に作られたことが分かりました。イエスキリストが生きていた時代の布ではないという事が分かりました。でもカトリック教徒は今でも本物と信じています。」
ガイドさんはイタリア人なので多分カトリック教徒でしょう。だから偽物とは口にだせなかったんでしょうね。偽物と断定するには忍びなかったのでしょう。
ガイドさんが説明した科学的検査とは1988年に行われた放射性炭素年代測定。この結果布が織られた時期は1260年から1390年であるとの結果が出ました。 -
聖骸布に転写された体の表部分。顔やお腹の上で組まれた両腕、腰から足にかけての体の輪郭が布に映し出されています。さらに頭部、手首、足、脇腹に血痕が残っています。(写真画像の方がよく分かります。)
左右の肩の下及び両ひざの左右のあたりに三角形の形が見えますが、これは聖骸布がフランスのしゃべリンの教会で保管されていた時、火災にあって焼失した部分なのです。
焼失した箇所は4人の修道女によって継ぎ当てがされました。 -
こちらは体の裏側、背中側です。
表側と同じく体の部分が転写されていますが表側の様にはっきりとは判別できません。
さて、ガイドさんからこの亜麻布(トォーモで保管されている本物と言われている聖骸布)は13世の布と説明がありましたが、以前から偽物ではないのかと疑われていました。
偽物と言われている理由は
1 遺骸をくるんだ布に像が映り込むという現象が聖所に書かれていない
2 以外のくるみ方が当時のユダヤの埋葬慣習と違う
3 キリストと同時代の遺跡から発見された単純な織り方と違って複雑な織り方をしている
4 像の写真は白人の特徴が色濃く、パレスチナ人の顔立ちとは違う
5 法医学的検査の結果では遺体をそのまま包んだにしては血液の流れ方と流れる方向が布に付着した血痕と違っていた。
6 聖骸布はフランスのシャルニー家が所有していた。シャルニー家が所有する以前の来歴は不明だが、シャルニー家はテンプル騎士団の副団長を務めていた家系でその時の総長はジャック・ド・モレーであり、彼こそが聖骸布の人物だという説がある。
身長が180㎝で顔立ちが聖骸布の人物に似ている。聖骸布が発見されたのがモレーを支えた副団長の家からだった。モレーは無実の罪を着せられ宗教裁判で有罪になり処刑されている。処刑前は拷問を受けていたであろうことから遺体には血痕が付いていたと推測されている。
一方本物と主張する人々は
1 1988年に行われた放射性炭素年代測定が正しい値を示していない。聖骸布は火事にあっているため炭素の量が変化しているはず。そのため炭素年代測定法は相応しくない。
2 測定した布の部分が補修された場所の布だった。さらに聖骸布の糸に着くバクテリアがプラスチック素材の幕を生成していたことがわかった。この状態では正しい時代測定ができない。
これらより炭素年代測定法は正確性を欠くと指摘された。
3 1988年に検査された布からはバニリンという物質が含まれており、その物質は火災によって補修補修された箇所であることが分かった。
それ以外の箇所の布の調査では1300年から3000年前の布ではないかという事が分かってきた。
今も本物か偽物かの結論は出ておらず研究が進められていますが、亜麻布に人物像がどのようにして転写されたのかさえもまだ判明していません。依然謎に包まれたままの聖骸布はいまだ神秘のままなのです。
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これが1898年にイタリアの弁護士セコンド・ベアが写した聖骸布の写真。
布に転写したイエスの姿が浮かび上がったのです。
体の表面の写真からはイバラの冠によって流れた頭部の流血や釘を打たれた手足の流血が見てとれます(写真では流血部分は白く浮かび上がっています)。
特にはっきり見えるのが頭の額部分と左手首、右足首です。 -
こちらは布に転写した背中側の写真。
右足首の流血の跡ははっきり見えますね。背中には鞭うたれた跡が多数あると言われていますがはっきりとは分かりません。 -
頭部の拡大写真。額に白く流れている跡がイバラの冠によるイエスの流血です。
さて、聖骸布の公開は一定の期間ごとではなく最近では2000年のカトリック教会大聖年、聖骸布の修復後に公開された2010年、そして2015年です。
2010年の公開時には全世界から250万人の信者が巡礼に訪れました。次の公開日は未定ですが2025年ではないかと言われています。 -
教会のエントラス部分にある「アッドラータの礼拝堂」。
この礼拝堂は写真には写っていませんが12段の階段を上った先にあります。
12と言う数字はもちろん12使徒を象徴したもの。この礼拝堂を手掛けたのはトリノ出身の建築家ベルナルド・ヴィットーネです。
この礼拝堂にはとても魅力的な彫像がありました。その彫像をアップで見てみましょう。 -
ジョバンニ・タモネが手掛けたピエタ像です。
ピエタ像と言えば最も有名なのがローマのサンピエトロ寺院にあるミケランジェロのピエタ像。ピエタとはキリストがなくなるシーンを表現した作品ですが、ミケランジェロは母マリアが亡くなったキリストを抱くシーンとしてピエタ像を製作しました。
この作品はとても有名で素晴らしいので誰もがピエタと言うとこの作品を思う浮べると思いますが、ジョバンニ・タモネのピエタはこれと違った深い慟哭の作品でした。
十字架から降ろされたキリストを見つめるマリア。そして瞳からは大粒の涙がイエスの体に一滴一滴と落ちるかのように見えるのでした。
もちろんそんなことは無く私の単なる妄想ですが、でも像を見つめているとそのように見えるのです。
とても不思議な像でした。とても感動しました。この像を見ただけでもトリノに来た甲斐がありました。
次は王宮と聖骸布が管理されているドォーモ(聖ヨハネ大聖堂)の観光です。
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