2024/02/11 - 2024/02/11
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emi_uさん
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この旅行記スケジュールを元に
ご覧いただきまして、ありがとうございます。
今日最初に向かうのは飯盛山、皆様ご存じ白虎隊自刃の地。
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朝は青空だったのに、
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出発する時には粉雪が舞う、降ったり止んだりの中、本日も出発
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市営駐車場に車を停めて、観光へ
市内の市営駐車場については、親切にも市のHPに案内がある
会津若松市HP「市営観光客用無料駐車場をご利用ください」
https://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/docs/2007090600026/ -
やってきたのはこちら、飯盛山
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飯盛山参道入口
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状態の良いカラーマンホール
昭和63年から使われているデザイン
市の木・あかまつ、磐梯山、猪苗代湖を描いている -
(看板より)
飯盛山は、明治戊辰の戦に、わずか16、7歳の少年達が、主君のために戦い力つき、ようやくこの地にたどりつき、そして自決した「白虎隊士」の自刃の場所と墓地である。飯盛山 名所・史跡
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行きは参道向かって1本左の道から行く
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こちらが旧参道
地図はこれがわかりやすい
会津若松観光ナビ
https://www.aizukanko.com/image/resource/Document/document/18 -
左手には霊牛神堂
風土記には永徳年間(1381~1383)に厳島神社を建立する際、牛の背中に赤飯を乗せた童女が現れ、役夫達に振る舞い、その後、南に数十歩行くと姿が見えなくなった、という言い伝えがあり、この地を「牛ヶ墓」、山を「飯盛山」と呼ぶようになったという
昭和48年に山主が夢枕で「此の所を掃い清めて弁天様の案内神を祀らん」と告げられ、この「霊牛神堂」を建てた -
厳島神社の額を関する石の鳥居をくぐる
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右手に子育地蔵尊、
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左手には弁財天の碑を見ながら、朱塗りの鳥居をくぐる
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嚴島神社(厳島宗像神社)
大きな木に包まれるように建っている
(看板より)
當社は宗像三女神の一にして古くから人々の信仰が厚かつた、主神は市杵島姫命である。
会津の領主芦名直盛公の時代、石塚、石部、堂家の三家によって社殿が建てられたるものとして時は永徳年間のことである。別當は正宗寺である、降って元禄十三年には会津藩主松平正容公は御神像及び土地を寄進され、明治の初期に嚴島神社と改めたこの山を飯盛山と呼ぶ、別名の辯天山は、この神社にあやかるものである。 -
しゃもじの前にも看板がある↓
嚴島神社
昔は宗像神社と称せられ、宗像三女神の一、市杵島姫命(弁財天)を祀り、芦名、伊達、蒲生、上杉、加藤氏等、歴代領主の時代から会津鎮護の神として尊崇を受けた。
別の名を弁天堂と云い、この飯盛山を弁天山とも云った。社殿は永徳年間(590年前)に建立され、元録13年(1,700)には三代藩主松平正容公が御神殿及び社地を寄進され、明治初期に嚴島神社と改めた。 -
戸ノロ堰洞穴
戸ノロ原の戦いで敗れた白虎隊士が、鶴ヶ城の状況を確認するため必死で通ってきた水路だ
奥には戸ノロ堰水神社がある
(看板より)
猪苗代湖北西岸の戸ノ口から、会津盆地へ水を引く用水堰で全長31Kmに及ぶ。
元和9年(1623年)八田野村の肝煎八田内蔵之助が、開墾のため私財を投じ工事を行い寛永18年(1641年)八田野村まで通水した。
その後、天保3年(1832年)会津藩は藩士佐藤豊助を普請奉行に任命し、5万5千人の人夫を動員し堰の大改修を行い。この時に弁天洞穴(約150m)を掘り同6年(1835年)完成した。
慶応4年(1868年)戊辰戦争時、戸ノ口原で敗れた白虎士中二番隊20名が潜った洞穴である。戸ノ口堰洞穴 名所・史跡
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厳島神社に向かって右手の階段上にはさざえ堂
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さざえ堂の隣りには、宇賀神堂
白虎隊十九士之霊像とある
寛文年間(1661年~1672年)、松平正容が厳島神社の傍社として建立
五穀豊穣の宇賀神(白蛇)をお祀りし、戊辰戦争後に白虎隊十九士の霊像を併せて祀った
あれ?さっき白虎隊士20名が辿り着いたと…そう、1名は蘇生したのだ -
冬は9時になると扉が開く
1人の写真が置かれている
この人が唯一蘇生した飯沼貞吉 -
供養車
車を回すとキィキィ音が鳴り、これが冥土にとどいて白虎隊士の霊魂を慰めるという
石の台は獏
頭にのぼれば悪夢消滅の願いをかなえるそうだ -
さざえ堂
一般的にさざえ堂(三匝堂・さんそうどう)は秩父三十四所、東国三十三所、西国三十三所の観音札所の本尊を写して一堂に集めた巡礼観音堂であり、通常三階造りの堂内をぐるぐる回って上ってゆくところから俗にさざえ堂と称された
江戸本所の羅漢寺に1780(安永9)年に建てられたのが最初で北斎や広重の錦絵にも名所として描かれた
関東にはこれに模したものが数ヶ所見られ、当時観音信仰が盛んだったことがわかるさざえ堂 寺・神社・教会
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中でもこのさざえ堂は特殊
1796(寛政8)年、郁堂和尚が考案建造
昇降別々のらせん形スロープにより階段がなく一方通行で上下するという日本唯一、世界にも例のない名建築とされている -
中に入ってみよう
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六角3層、高さ約16mをぐるぐると昇っていく
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昔は三十三観音を安置したが、明治以降は皇朝二十四孝(会津藩道徳教本)の絵額を掲げている
これは「僧某」という話で、殺生が禁じられる中、最期が近付く老母のために魚を獲った僧侶が捕えられるも、事情を知った白河院に赦されるという話
主君への忠誠や、親への孝行を説くものだ -
二重らせん構造となっているので、時々中心の軸を挟んで向こう側に下りの通路が見える
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頂上到着
千社札がびっしり -
ここで反対側の下り通路に"乗り換え"
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宇賀神堂と会津若松を眺めながら下っていくと、入口の反対側に出る
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さざえ堂から参道の階段の方へ出る
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お土産店・飯盛分店があり、この時は特別展示があった
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白虎隊士・篠田儀三郎が自刃の際に使用した刀
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短い刀は先が折れている
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彼らは刀を杖代わりにして、やっとの思いで飯盛山に辿り着いた
侍の命ともいえる刀を杖にするほど過酷な状況だったことが分かる -
山を上がっていくと、すぐに白虎隊の墓所がある
まず目に入るのはこの大きなモニュメント(看板より↓)
昭和3(1928)年、白虎隊精神に感銘を受けたローマ市より贈られた記念碑
イタリア語で「文明の母たるローマは白虎隊勇士の遺烈に不朽の敬意を捧げんため、古代ローマの権威を表すファシスタ党章のまさかりを飾り、永遠偉大の証たる千年の古石柱を贈る」とある
裏面には「武士道の精華に捧ぐ ローマ市元老院及び市民より」と刻まれている
柱はローマの赤色花崗岩古代円柱で、上に大鷲の像、基石の四隅には矢束にまさかりが配されていたが、大鷲だけが昔の姿で残る -
白虎隊十九士の墓(士中二番隊)
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墓石が19基並ぶ
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さらに奥に自刃の地があるので向かってみる
足下が凍っていて滑りやすい -
飯沼貞雄翁の墓(看板より)
白虎隊自刃者中ただ一人蘇生した飯沼貞吉(後に貞雄)は、印出新蔵の妻ハツに助けられた
後に逓信省の技師となり、仙台逓信管理局工務部長に進み、我が国の通信事業に多大な貢献を果たし、昭和6(1931)年仙台市で78歳の生涯を閉じた
戊辰戦役90年祭が行われた昭和32(1957)年、多くの友が眠るこの地に遺髪などが移された飯沼貞雄の墓 名所・史跡
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自刃の地までくると、ほぼ中央に鶴ヶ城を望む
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奥の少年隊士が望む方向が鶴ヶ城
白虎隊士自刃の地 名所・史跡
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小さく水色のしるしをつけたところが鶴ヶ城
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戻る道にも飯沼貞吉の紹介があった(看板より)
飯盛山で自刃した白虎隊士の中で唯一、一命を取りとめ白虎隊の悲劇を後世に伝えた人物
貞吉は藩校日新館の秀才で15歳の時に白虎士中二番隊に入隊
慶応4(1868)年、新政府軍は会津への総攻撃を開始
その攻撃はすさまじく同年8月22日、白虎士中二番隊は藩主・松平容保を護衛し滝沢本陣へと向かった
最前線での攻防は激しく、遂に白虎隊士37名にも出陣命令が下された
隊長・日向内記の指揮のもと、戸ノ口原の戦場へと向かうが、降りしきる雨の中、食料調達に向かった隊長とはぐれてしまう
翌8月23日、大野ヶ原で戦ったものの敗れ、やむなく20名の隊士が洞門を抜けて飯盛山へと退却
疲労困憊の少年たちが飯盛山から見たものは砲煙に包まれた鶴ヶ城
少年たちは、もはや為すことなしと次々自刃
貞吉も喉に刀を突き刺すも、絶命には至らず
奇跡的に息のあった貞吉は喜多方へと運ばれた
戊辰戦争が終わり、白虎隊の悲劇は貞吉によって後世に伝えられた
戊辰戦争後、貞吉は会津を離れ、貞雄と改名し逓信省に電信技師として勤務
日露戦争などでも活躍し、仙台通信管理局工務部長で退職
仙台で77年の生涯を終えるまで二度と会津には戻らず、白虎隊の話を遠ざけていたという -
白虎隊記念館の脇には少年と犬の像がある
白虎隊の1人・酒井峰治と愛犬クマだ
彼は戸ノ口原での戦いの後、敗走中に仲間とはぐれ、知人の農民らに助けられた
会津城下へ帰還する途中に愛犬クマと再会し、籠城戦に参加
明治維新後は一箕村内(現在の会津若松市一箕町)で精米業を営み、明治38(1905)年、北海道旭川市に移り住んだ
生きている間、戊辰戦争時のことは語らなかったが、死後、仏壇から生前書き残した『戊辰戦争実歴談』が見つかり、広く知られることとなった白虎隊記念館 美術館・博物館
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帰りはこの階段を下ってきた
183段あるらしい -
9時半、お店も開き始めたので、あわまんじゅうを食べながら帰る
小池菓子舗 飯盛山店 グルメ・レストラン
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お向かいには絵付け体験もあって、どうやら大福とかも食べられるらしく興味深いが、今日は時間がないので、次は寄ってみたい
会津幸泉小法師 お土産屋・直売所・特産品
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次に向かうは猪苗代湖
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