2023/05/28 - 2023/05/28
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大内氏にとって応永の乱は当主の大内義弘と家臣を失い、さらに支配領域を大幅に削減されるという甚大な影響をもたらしました。
義弘の重臣で京都代官を津と務めた平井道助は応永の乱に加わっていた弟の弘茂を幕府に降参させ、幕府との交渉により弘茂が義弘の跡を継ぐように承認させました。将軍義持は大内氏の領地を防長二国に縮小しその守護に弘茂を任じて大内盛見討伐の幕府軍総大将に任命しました。
中国の諸大名は将軍義持から討伐軍に加わるようご内書が発せられ、九州からは九州探題率いる大軍が防長二州を目指して進軍しました。
これらの幕府軍に毅然と対抗したのが大内盛見公。兄義弘公より分国を守るようにとの遺言状があるからは私が正当な後期者であると対決の姿勢を見せてここに幕府討伐軍を巻き込んだ大内家兄弟の跡目争いが起きたのでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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兄大内義弘公を弔うために大内盛見公が建立した供養塔の五重塔。
一段目の須弥壇には大内義弘公の木造が収められています。なお塔の二層目から五層目の内部には仏教の経典が隙間なくギッシリと収められていましす。
毎年秋に山口市の中心部で行われる町中博物館では五重塔の内扉が開かれ内部が無料公開されています。
今年から令和7年までは檜皮葺の総葺き替え工事のため見ることができませんが、後事完了後は再び公開されると思います。
さて、幕府から防長2州の守護に任じられ併せて盛見公追討の幕府軍総大将に任じられた弟大内弘茂は中国地方の大名を糾合した幕府軍を山陰の石州口、山陽の芸州口から、九州探題渋川満頼率いる九州勢は関門海峡を渡り長門に進軍しました。
一方長門阿武郡の渡川城に布陣した盛見公は自軍の不利を察して直ちに撤退を决意し周防長門の大船を率いて豊後の大友親世を頼り身を寄せました。
大内義弘公と大友親世は義兄弟の間柄、義弘公の妹(盛見公の実姉)が大友親世の正室でした。
その後豊前の守護大名門司親常の下に身を寄せて1年間力を蓄えました。
豊前の国は大内義弘公が長年守護だった国で門司氏は伴に北朝で、九州の南朝討伐にともに尽力した間柄、一族郎党含めて尽力し盛見公の再起を支えました。
1年の潜伏期間を経て1402年12月26日豊前国から長門の国に帰還するとすぐに弘茂に攻撃を開始、長府(下関市)の毘沙門堂合戦で勝利し、29日には弘茂が籠る下山城を攻めついに弘茂を討ち果たします。
翌年1月に山口に凱旋しました。
しかし幕府軍敗戦に激怒した将軍義持は盛見公の兄て、介入道道通を還俗させて幕府軍の総大将に任命し再び幕府軍を討伐軍として差し向けました。
将軍義持が差し向けた第二次征伐軍は介入道道通を総大将に安芸、石見の国衆が与力した水軍500余艘。
厳島に終結して軍議の結果上関(熊毛郡上関町)を通過して三田尻(現在の防府市)に上陸する作戦としたのです。
上関は流れの早い狭い海峡、この海峡を囲むように三方に300艘の兵船を配置して待ち受ける盛見公。
敵船が海峡の中程に侵入すると頃合いを見計らって両側から火矢が飛ぶ。
狭い海峡の中では退却も叶わず、敵船は次々に火だるまとなり一日にして幕府軍は壊滅。
返す刀で疾風の如く安芸国と石見国に進行して国衆を制圧。豊前国も服従し盛見公は5カ国を支配下に置きました。
ここに至っては幕府も盛見公の実力を認めざるを得ず、遂に周防、長門、豊前の守護に任じたのです。国宝瑠璃光寺五重塔 寺・神社・教会
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起死回生の返り咲きを果たした盛見公とはどのような御屋形様だったのでしょうか?
その人となりに触れてみましょう。
大内氏の勢力削減を目論む幕府に対抗し、兄弟相争うという悲劇を乗り越えて当主となった盛見公は、動揺する国内に平穏を取り戻すため仏教を厚く信仰しました。
足利義満が死去して将軍の代替わりが行われると、将軍足利義持の求めに応じて京都に上ります。
禅宗を深く信仰し、豊かな教養や軍事力を持つ盛見公はやがて将軍から厚い信頼を得、京都の人々からも頼りにされる存在となります。
在京生活は15年もの長きに渡りますが、北部九州の情勢不安によって終わりを告げました。
一方朝鮮とは盛んに交流し、高麗版一切経(大蔵経)を獲得しています。
この時代、大蔵経を所有していたのは大内氏のみ、天皇も足利将軍家も持っていなかったのです。
それほど貴重な大蔵経(一切経)をあっさり三井寺にくれてやったのがバカ殿毛利輝元です。
盛見公は五山の禅僧らと盛んに交流すると同時に数多くの和歌を詠みました。「新続古今集」の作者に名を連ねているだけではなく、「盛見詠草」と呼ばれるまとまった詠歌を残しています。「文武の家」として大内氏が大きく飛躍する基礎は盛見公の代に固められました。
盛見公で特記すべきは仏教への信仰が厚かったこと。
1 寺社の建立は後に菩提寺となった国清寺建立、興隆寺本堂等修築、長門国阿武郡大井郷八幡宮建立。
2 イベント 興隆寺本堂供養会、唐本一切経(大蔵経)供養会
3 経文の輸入 大蔵経の輸入。大蔵経は仏教の聖典を網羅的に集成したもの。
中国で成立し漢訳された経、律、論に中国人僧の若干の著作を加えたもの。宋代に蜀版大蔵経が、朝鮮でも高麗版大蔵経が刊行された。日本でも後の時代に刊行される様になったが、この時代はまだ貰うしかなかった。
易く手に入る物ではなかったので、大蔵経を持っている事は寺院に取って大変名誉な事であるから、信仰している寺院には是非とも完備させたい物だった。
盛見公の実兄義弘公は朝鮮国の王に倭寇討伐と朝鮮人の捕虜救出の謝礼として大蔵経を求めていたが、生前手に入れる事は叶わなかった。
盛見公の時代になって朝鮮国から送られてきたのです。
大内家では合計八蔵の大蔵経の獲得していますが盛見公はその内四蔵を手に入れています。
4 仏典の印刷 いわゆる大内版として現在最古のものは盛見公の時代、応永17年の「蔵乗方数」で、33年には「理趣分」一千巻を印刷しています。
この経典は一巻毎に百銭を付けて諸国の貧僧に施与してました。
以上の事から歴代大内家当主のなかで最も仏教に帰依した御屋形様として知られているのです。瑠璃光寺五重塔 公園・植物園
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一方足利将軍家との関係は前将軍義満が亡くなり名実ともに義持になると著しく改善しました。
将軍義持は2度も防長征伐を命じた将軍ですが、多分に前将軍義満と管領の思惑のまま動いたようです。
盛見公は2度の幕府討伐軍を撃破したのみならず、返す刀で安芸と石見の国衆を平定し豊前まで傘下に収めて西国一の領主となりました。
この見事な働き振りが将軍の心を揺さぶったのです。盛見公が在京すると何度も盛見公の京屋敷を訪れています。
幕府にとっては南朝の残存勢力が残る九州の抑えには是非とも大内氏の軍事力が必要だったのです。
盛見公は九州で反幕勢力の反乱が起きるたびに討伐に向かいましたが、残念ながら1431年(永享3年)6月少弐氏との合戦中に戦死しました。享年56歳。
盛見公は兄・義弘公の遺志を継いで家督を継承し、幕府との関係を修復し、仏教を重んじて分国内の家臣や、領民の心を一つにまとめ国内・国外伴に家運を安定させました。
あれやこれや、色々と大変な人生でしたが、尚も続いて行くはずの治世は戦死という形であっけなく幕切れしました。
写真は義弘公の供養塔国宝五重塔の説明板。
ちなみに義弘公の墓は堺市本行寺の楠木の側にあります。
この楠木は堺の民達が義弘公の亡骸を探し出して埋め、その土饅頭の側に植えたもの。現在は楠木の側に墓石が建てられています。
また南朝の兵部卿師成親王は堺で大内義弘公と伴に幕府軍と戦った後に義弘公の根拠地周防国に逃げ延びました。
山口の法泉寺に逗留して落飾、恵梵と号して山口で余生を送りました。墓は法泉寺の近くにあります。 -
洞春寺山門です。ここが盛見公の菩提寺国清寺です。
この菩提寺は毛利氏が移封されて後に毛利隆元の菩提寺常栄寺に、更にその後毛利元就の菩提寺洞春寺と名前が変わりましたが、ここが盛見公の菩提寺国清寺だったのです。
写真は国の重要文化財洞春寺の山門。
この山門は国清寺創建当時の山門で全国的にも数少ない大変貴重で最も格式の高い四脚門です。洞春寺山門 名所・史跡
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洞春寺山門の説明板。
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洞春寺の石碑。
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重要文化財洞春寺山門の案内板。
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毛利元就の菩提寺洞春寺。
洞春寺 寺・神社・教会
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洞春寺の説明板。
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洞春寺本堂。
洞春寺 寺・神社・教会
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国の重要文化財「洞春寺観音堂」。
この観音堂は義弘の二男持盛公を開基とする滝の観音寺の仏殿として創建されたのですが、大正4年にこちらに移されました。洞春寺 寺・神社・教会
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観音堂の説明板。
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重要文化財の標示板。
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境内にある墓地への入口。
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墓地の一画に大内盛見公の墓がありました。
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大内盛見公の墓。
この墓は無縫塔という形式の墓で、室町時代中期の特色をよく残していて貴重だそうです。 -
大内盛見公の墓の右隣は国清寺開山透関慶頴(とうかんけいひん)の墓です。
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開山透関慶頴の墓です。
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大内盛見公の墓の説明板。
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国清寺一切経蔵の礎石。
この礎石は国清寺の経蔵の内部にあった八角輪蔵の中心柱の礎石です。
洞春寺の境内には元々大内盛見公の菩提寺である国清寺が建立されていました。
この礎石があった場所には国清寺の経蔵が建てられ、大内氏によって高麗版一切経(大蔵経)が保管されていましたが、1602年に毛利輝元によって三井寺に寄進され、建物ごと移築されました。建築専門家によると、この一切経蔵には中世山口の建築手法が至るところに見受けられるそうです。
ちなみに三井寺の一切経蔵は国の重要文化財に指定されています。 -
一切経蔵の礎石のアップ。
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国清寺一切経蔵の礎石の説明板。
説明板の右皮の写真は三井寺(園城寺)の経蔵と
その中に収められている八角輪蔵。 -
三井寺の経蔵と八角輪蔵の写真のアップ。
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一切経蔵の説明文。
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鐘楼門。
門の上部に鐘が設置されています。
この鐘楼門は江戸時代中期に建てられたそうです。
これにて大内盛見公の菩提寺国清寺(現在は毛利元就の菩提寺洞春寺)の旅行記を終わります。
次回は28代大内教弘公をお送りします。洞春寺 寺・神社・教会
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