2023/05/16 - 2023/05/16
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ポポポさん
この旅行記スケジュールを元に
次は毛利秀包を始祖とする吉敷毛利家の墓所を訪ねてみた。
この旅行記は大内氏の足跡を訪ねるものであり、毛利氏は大内氏を滅ぼした相手で旅行の趣旨に反するが、市内にある支藩でありせっかく訪ねたので旅行記の番外として墓所を訪ねてみた。
毛利家は支藩として吉敷毛利家の他に長府藩、清末藩、徳山藩があるが菩提寺を訪れたのは長府だけである。
萩本藩は東光寺と大照院という菩提寺があるが、吉敷毛利家の墓所は規模小なりとはいえ、手入れの行き届いた立派な墓所だった。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- その他
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玄済寺の本堂。墓所の入り口から写す。
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墓所入り口の右横にある庭。
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こちらが墓所の入り口。
階段を上がった所に代々の墓がある。 -
神仏習合の名残り。鳥居の奥は金毘羅宮だったかな?はっきり覚えていない。
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吉敷毛利家墓地の見取り図。
3代元包公から17代就直公までの墓がある。初代秀包公と2代元鎮公は供養塔。
5、6、7、10代の墓は近くにあった円満寺という寺に埋葬されたがこの寺は廃寺になり現在は老人福祉施設になっている。その時墓はどうにかされたのだろうが記憶に無い。
寺の入り口の案内にその事が書いてあり読んだはずだが、目的が大内義興公の霊牌所を訪ねるためなので覚えていない。 -
初代秀包公と2代元鎮公の供養塔は墓地の一番奥の高い場所にあった。
3代目の元包公の時に領地替えで現在の下関からここに移って来たため、秀包公の墓は下関市豊北町滝部に、元鎮公の墓は豊北町殿居にあるそうだ。 -
初代秀包公。毛利元就の第11子で9男、兄の小早川隆景の養子になった。
紀州雑賀征伐、四国征伐、九州征伐で軍功目覚ましく久留米城主となる。毛利元就の子供の中で吉川元春と共に最も元就の資質を受け継いだと言われている。久留米城主時代にキリスト教に改宗しキリシタン大名となる。
肥後国人一揆の鎮圧では立花宗茂とともに戦功を挙げたがその時立花と意気投合し義兄弟となる。
秀包が最も活躍したのが文禄・慶長の役。立花宗茂とともに碧蹄館の戦いをはじめ数々の戦で活躍している。
関ヶ原の戦いでは西軍に加わり、伊勢方面軍として立花宗茂らと大津城攻略戦に参加。大津城は落城させたが関ヶ原には間に合わなかった。
石田三成が戦に疎いと言われるのはこの伊勢方面軍の編成からも分かる。
野戦の天才、鬼神の如き働き振りと言われる立花宗茂や毛利秀包をなぜ主戦場の関ヶ原に配置しなかったのか。
三成は戦奉行として朝鮮に渡って戦況を見ていた訳だから、各諸将の戦ぶりは知っていたはずである。
もし立花宗茂が関ヶ原に布陣していれば徳川に組みした豊臣恩顧の諸将は恐れを為して戦意が失せたかもしれないし、島津義弘が参戦したはずである。
立花宗茂、島津義弘が動けば互角に戦っていた西軍が優勢になるのは必至。それ程この2人の戦振りは際立っている。そうとなれば松尾山に布陣した小早川秀秋は裏切らなかったであろう。
関ヶ原の後秀包は改易されて長門豊北町の知行地に移る事になるが秀包は大阪から帰国する途上で発病し、下関で療養中に喀血して亡くなった。 -
2代目元鎮公の供養塔。
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昼なお暗い吉敷毛利家の墓所。
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墓は当主、公室ともに五輪塔だった。
五輪塔も時々の当主により大きさに違いがある。なかには公室(正室)の墓の方が大きいのも有って興味深かった。
多分殿様よりも正室の方がやり手だったのかも。 -
墓の形式はさまざま。墓の前に居門を作り、周囲を石塀で囲んだものもある。
8代就兼公の墓。
萩本藩の墓は藩主夫妻が並んでた建てられているが、ここの墓は夫婦が別々に建てられていた。 -
この墓は萩市の東光寺と同じ傘石付角柱(位牌型)と同じ墓で11代房裕公の墓。
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手前が8代就兼公の側室の墓。
灯篭まで沢山ある立派な墓だった。8代公にはこの他に後室と正室の墓があり、特に公室の墓は左右に使えていたであろう侍女たちの墓まであった。
吉敷毛利家で最も力があったのはこの8代公のようだった。 -
8代公側室の墓。
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これは12代房謙公の墓かな。
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4代就直公の墓。
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12代房謙公の墓。
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4代就直公室の墓。
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4代就直公の墓。墓を取り巻く石組みに特徴がある墓だ。
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この墓が3代元包の墓。三代目の公主・公室の墓はいずれも宝篋印塔だった。
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三代目元包公の真向かいにあるのが2代元鎮公の公室の墓。
これも宝篋印塔。 -
三代目元包公の公室は、吉敷毛利家累代の墓所から離れた下にある毘沙門堂の側にあった。
旦那さんと離れて寂しいだろうに、どうしてこんなところに墓があるのだろうかと不思議に思う。
元包公によく思われていなかったのかな? -
再び就直公の墓。就直公の墓はこの墓地で一等地の場所かもしれない。
と言うのも他の墓から離れた割と広い区画に一つだけ墓があるのはここだけだった。
奥に見る墓は17代忠三公。 -
9代房直公の墓。写していないが右にある墓が房直公室の墓。
このお二人だけが同じ区画に並んで埋葬されていた。 -
山の木を切り開いつ作られた墓所。緩やかな斜面に墓地が広がる。
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吉敷毛利家の墓所。
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イチオシ
墓地の上り階段右手にあった引地の君(マセンシア)のエンゼル像。
引地の君とは初代毛利秀包公の正室。キリシタン大名大友宗麟の娘である。
キリシタンだった引地の君からキリスト教に入信を勧められ、秀包公はキリシタン大名となった。
久留米城から夫の領地である長門(山口県西部)の滝部に移って来た引地の君と子供たちはこの地に逼塞して信仰を守っときたが、キリスト教が大嫌いな毛利輝元は引地の君に対して激しい弾圧を行った。
引地の君はいかなる弾圧にも屈せず信仰を捨てなかったのでついに輝元はあきらめた。
山口県でも毛利藩初期にキリシタンの弾圧が行われているがあまり知られていない。
キリシタンの中には藩の重臣も含まれていた。この重臣はキリシタンに対する見せしめの意味も含まれていたのだろう、一家全員が磔にされた。
下々の者は隠れキリシタンとして潜伏したが、それ以降厳しい取り締まりはなされなかったようだ。
現在萩市の郊外にはこれらの存在を今に語る物的証拠が残されている。
引地の君は毛利輝元の叔母にあたる人だったので死罪は免じたのであろう。 -
立札の隣にあるのがそのエンゼル像。
引地の君が信仰したと伝えられる天使像のレプリカである。 -
玄済寺の前にある天神山公園。
天神山公園は玄済寺の敷地の一部で、ここに弘化2年(1845年)吉敷毛利家13代元潔公によって宣徳社が建てられた。
宣徳社は五穀豊穣と領内の安康和平を祈る保食之命と毛利歴代祖公が祭神。毛利家と領内の守護神として奉安された。
昭和62年の9月に篤志家の寄進や地元吉敷地区の奉祀によって公園化されたそうだ。
公園内には吉敷招魂社や忠魂碑、英霊の碑がある。
また14代毛利親直氏(家督返上して上野姓、墓は上野五郎名)の墓もある。屋根が見えているのが宣す徳社。 -
天神公園の説明板。
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天神公園のアジサイ。6月に再訪した時に写したもの。
この公園には沢山の花が植えられているので四季折々の花が楽しめると思う。
右に見える像は観音菩薩像。 -
公園の上にある宣徳社。小さな祠のような印象だった。
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上野五郎氏の墓があった場所。並ぶのは家臣の墓。
他に招魂社や英霊の碑などがあったがそれらの写真は写していない。 -
懐かしくて目に止まったヤマモモの実。
少中学生の頃に食べた木の実だがそれ以来何十年と食べてていない。
懐かしくてすぐ写真に写した。 -
ヤマモモの実。
赤い色はまだ酸っぱいので食べられ無い。桑の実と一緒で紫色から黒く色づくと美味しい。 -
天神山公園の入り口。宣徳社があるのでこちらが正式な入り口だろう。
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玄済寺のすぐ横に天神山古墳群があったので覗いてみた。
写真は古墳群の説明板。
これによるとここには1号墳と2号墳がある。2号墳は配置図によると墓地墓地を横切ってさらに先なので行くのは止めた。
1号墳は円墳で竪穴式石室で古墳時代中期前半の築造。この古墳から出土したのが短甲とよばれる鉄製の鎧。多数の武器、工具が副葬品として見つかったそうだ。
吉敷地区を治めた有力者の物とみられる。山口市でこのようなものが発掘されたとは知らなかった。発掘時には県外に居住していたので情報が伝わらなかったのだろう。 -
説明板の下には短甲、竪穴式石室の見取り図、1号墳と2号墳の配置図のアップ。
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天神山古墳1号墳。円墳と言う事だが蔓草が繁茂して古墳の外観は分からなかった。
ここは冬に訪れた方が良さそうだ。竪穴式の古墳だったそうだが調査の時は写真に見るように横穴を開けて中に入ったようだ。
以上で大内氏歴史探訪番外編を終わります。
次回は再び大内義興公の旅行記です。義興公は凌雲寺の他に今に残る神社を建立したり再建しています。
次はそのような神社を紹介します。
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