2023/06/10 - 2023/06/10
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ポポポさん
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大内氏の庇護を受けて芸術活動を続けていた雪舟。
絵画の他にも作庭と言う才能を発揮し山口市内に3個所の庭を造ったと伝えられている。
その内常栄寺雪舟庭は前回訪ねたので今回は残り2個所の内旧市内にある善生寺を訪問する事にした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
山口市内には雪舟が作庭したと伝わる庭園がある浄土宗の寺院善生寺を訪れた。
寺までは急な階段が続いていた。
この時は気付かなかったが、階段を登り終えた時に本堂に至るには別の道がある事に気づいた。
車は勿論だが人も緩やかな坂を上って来れる。
階段の登り降りに不安な方はこちらの道を利用されるといいと思う。 -
上がり初めてみると結構階段が急だった。
階段は大きく2段になっていることが分かる。次の階段の手前は踊り場になっていた。 -
踊り場の左斜面には無縁仏と思われる墓石が並んでいた。
-
踊り場から見える山口市古熊から大殿地区の街並み。
遠くの山は東鳳べん山。 -
東鳳べん山をアップにしてみた。
-
次の階段はかなりの急勾配。ハーハー、ゼ-ゼ-言いながら上った。この階段を登るだけで汗がにじんできた。
檀家の人達はこの急な坂を上ってお参りや墓詣りに行かないといけないのかと思ったらご苦労様ですと言わずにはおれない。 -
古い時代の石垣に樹木が根を張る景色はちょっと神秘的。
-
階段を上がりきると寺の簡素な山門があった。
山門を潜った先に本堂がある。 -
こちらが本堂で右には墓地があった。
善生寺は浄土宗の寺で、室町時代には大内氏の重臣で長門守護代だった内藤興盛の菩提寺西芳寺があった。
内藤興盛は大内義隆公にフランシスコ・ザビエルを引き合わせた人物として知られている。
善生寺の歴史は毛利氏が移封されて来たことにより他の菩提寺同様複雑な変遷をしている。
室町時代はこの地に内藤氏の菩提寺西芳寺があった。内藤興盛は雪舟と同時代に山口で伴に生活しており両者の接点は当然のようにあったと考えられる。
その時雪舟に庭園を作って欲しいと依頼したのだろう。二人の関係は雪舟が心良く了承したとしてもおかしくない間柄だったと思われる。内藤興盛が亡くなると西方寺は興盛の菩提寺となった。
慶長9年(1604年)毛利輝元の側室兒玉の方が亡くなると西芳寺に埋葬された。同じ年兒玉の方の菩提を弔うため萩に周慶寺が建てられた。その後周慶寺は萩から当地に移され周慶寺と改名された。明治時代になると周慶寺は廃寺になる。
明治時代にその跡地に市内の今町から周慶寺の建物境内など全てを譲り受けて善生寺が移ってきた。
本堂は昭和7年に南西隅の改築が行われ、平成17年に本堂が新築された。本堂の変遷と共に池泉が縮小され、大正7年に書院の増築をした時に池泉の東部分が大きく埋められて現在の不整形の池泉となった。
現在残っている本堂・庫裏の南庭は画聖雪舟作庭との伝承がある。
室町時代、裏山は元々飯ノ山とよば 京都の東山に見立と、椹野川を鴨川に見立てた東山の麓に寺(西芳寺)が配された。 -
善生寺の山号は導衆山、本尊は阿弥陀如来、浄土宗の寺院である。
-
伝雪舟作善生寺庭園の説明板。
江戸時代に毛利藩がまとめた「防長風土注進案」に雪舟が作ったと書かれていた庭園で、庭の一部が土砂に埋もれていたため平成17年から18年にかけて発掘窟調査が行われた。
調査の結果室町時代後期以前に作庭された庭園であることが判明し、作庭当時の池泉は現在の2倍の広さであることが分かった。現在の庭園の面積は約1500㎡、作庭当時は3000㎡以上もある大きな庭園だった。
山口県の指定名勝になっている。
山口県や山口市の学者や庭園学者らによって発掘された池泉の調査や庭園の調査の結果雪舟の庭園に限りなく近い庭園と評されたが、国の名勝には指定されなかった。
つまり雪舟作庭の庭園では無いと判断されたという事である。
実際に見ていただくと分かると思うがこの庭園は周慶寺山の山裾を背景に、作庭当時のなごりをみせる優美な庭園である。
私が思うに庭園の半分を寺側の事情で損壊し、支部は今も建物の下に埋もれている状況ではいくら雪舟の作風とは言え国の名勝指定出来なかったのではないかと思う。
さて、本堂と庫裏との間の通路を進んで庭に行くのだが通路は引き戸で閉じられていた。
引き戸には注意書きがある。イノシシが出没するので引き戸が締めてある。庭を観光する場合は引き戸を開けて入ること。イノシシが進入しないように引き戸は必ず閉じるようにと書かれていた。 -
善生寺庭園。この庭園は無料で入れる。
池泉式庭園だが池泉の形が歪で不自然。庭園には左右の築山がある。
写真は左側の築山。築山の頭頂部と裾野の周囲に石組みが組まれていて庭園の中心部を講成している。
背後の周慶山が借景として巧みに取り込まれている。
この庭園は善生寺によって管理されているという事だったが、訪問時は草が伸び放題で手入れが行き届いていなかった。
管理が行き届いていればさらに素敵な庭園に違いない。 -
写真の建物は大正時代に建てられた書院。
庭園の東部分に突き出しており、庭の北西から北東に広がる池泉がここで分断されている。
池の幅は急に狭められ、半円状に曲げられている。池泉の東部分は埋められて今も書院の敷地になっているのだ。 -
写真は池泉があっただろうと思われる箇所。
今では西から広がる池泉が作庭時には半円の芝生部分まで大きく広がっていたと想像しながら見てみると、スケールの大きな池泉が前方の借景や築山の景色と相まってとても素晴らしい景色として感じられる。
庭園の発掘調査後に復元された庭園の写真を見たが大変美しかった。
庭の手入れが行き届かないのは人手が無いからかもしれないが、いくらかでも往年の美しさを維持して頂きたい。 -
池泉を覆っているのは睡蓮である。
幾つかの睡蓮は花を咲かせていた。 -
左側築山の更に左はなだらかな土手のような印象。
中央やや右に立札が見えるが、その左に山の登り口がある。 -
池泉の様子。ここから眺めると書院の方に向かっている池泉が半円に沿うように2方向に細長く分かれて流れていることが分かると思う。
普通に考えれば前方の芝生から書院の方向に池泉があったと想像できる。 -
僅かながら白い睡蓮が咲いていた。
-
ピンクの睡蓮もあった。
-
室町時代にこの地にあった西芳寺は大内氏の重臣長門守護代の内藤興盛の菩提寺だった。
墓の入り口(山の登り口)は立札の左にあった。興盛の墓は背後の周慶寺山の山中にあるらしい。
山に入ってすぐくらいの所にあるだろうと勝手に想像していたので、甘く考えて山登りの服装をして来なかったことがこの後災いした。 -
参道を入ってすぐに現れたのが僧侶の姿が彫られた墓?それとも石仏?
どちらとも分からぬ墓らしきものが次々現れるが放置されたままの状態で全く管理も祀りもされていない。 -
参道脇にこのような石仏がいくつも放置されていた。
もし僧侶の墓であれば西芳寺時代もしくは周慶寺時代の僧侶の無縁仏だろうか? -
ここにあるのは完全に僧侶の姿の墓である。
無縁仏のように放逐されたままだった。墓には付きものの花立ても無い。 -
参道は荒放題。人が通った気配は無い。参道の山道には朽ち果てて倒れたのか何本もの倒木が道を塞いでいた。
-
山道の行く手には鉄柵があった。
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鉄柵の周囲にも写真のような柵が設けてあった。
多分イノシシ用の防護柵だと思われる。 -
柵の奥に山道が続いていた。
今迄歩いて来た道沿いには内藤興盛の墓は無かった。墓の案内表示さえ無かった。
柵は閂式だが鍵は架けられていない。興盛公の墓はこの奥、さらに山道を上った所にあるのだろうが、今日の服装は山登りの服装ではなかった。
日を新ためて準備万端の服装で再度挑戦しようと思い、この日は引き返すことにした。 -
山道を下って再び庭園に戻ってきた。
ここは庭園の西の端、本堂裏の築山である。庭園には左右にか所の築山があり、こちらは本堂裏には右の築山。
左の築山よりは低いが同じ様に築山の上部と裾には石組みがあった。 -
右の築山に近寄ってみよう。
-
更に近寄って鑑賞しよう。
池泉の西の端は右の築山の下。池泉の端はここから始まる。
但し、池の水は東側の山裾にある井泉の石組みから湧き水が池に注いでいる。 -
右側の築山のアップ。
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本堂裏側の池泉庭園を西側から見た景色。
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再び左側の(東側の)築山。
手前の地泉があった部分(芝生で覆われた部分)がこの方向からだとハッキリ分かる。 -
左側の築山。
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左側の築山に至る為に置かれた飛び石の道。
-
左側にある築山の更に左は紅葉の借景。
大きな紅葉が2本見える。紅葉の時期は綺麗だろうな。 -
歪な形の池泉。
しかし、庭全体を見回せばこの形も趣があって良い。 -
美しい築山や石組がある庭園だが、借景の取り込みが素晴らしい。
緑が美しいのは5月から6月に掛けてだと思うが、四季折々の美しさが楽しめる庭ではないかと思う。 -
築山と裾の石組、借景の紅葉、歪な池泉、緑の芝生。
この庭園が雪舟が手掛けた庭だったら、今の形は雪舟の思い描いた庭では無いかもしれないが、でもでもとても綺麗な庭園だった。 -
雪舟が手掛けた2つ目めの庭園を見た。私個人としては雪舟作庭の庭と信じたいが、国から指定が得られなければ伝雪舟作と表現するしか無いだろう。しかし室町時代の庭園としては山口県では珍しい庭園である。
善生寺さんには庭園の保全に努めていただき、貴重な室町時代の庭園を多くの方に見ていただきたいと思う。
次は山口市にある3つ目の雪舟庭。近年国から指定名勝を受けた庭園があるので訪れてみた。
次回はその庭園の旅行記を掲載します。
訪問下さりありがとうございました。
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