2023/05/27 - 2023/05/27
174位(同エリア524件中)
ポポポさん
この旅行記のスケジュール
2023/05/27
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車での移動
自家用車で禅昌寺へ
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禅昌寺山門
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回廊
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本堂
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放生池
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大慈殿(観音堂)
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聖観音像
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賽の河原
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古霊園
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阿弥陀堂
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じよう心池
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鐘楼
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禅昌寺前庭の景色
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この旅行記スケジュールを元に
大内義弘公は歴代大内氏当主の中で最強の武人として伝えられている。本国周防長門以外の他国での戦が多いため、父弘世公のように山口県内を所縁とする寺院は少ない。
武人とともに歌人としても優れ「新後拾遺和歌集」の作者に列せられるほどの文化人であった。
また南北朝合体の実質的功労者で、彼の功績により南朝が保持していた三種の神器が北朝に返還された。
大内義弘が起こした応永の乱は有力守護大名の弱体化を図る足利義満が大内義弘の勢力拡大を危惧して起こした再三にわたる挑発行動に対する反発の末に起こした反乱と言われているが、その本質は南北朝合体時に北朝と南朝が取り交わした約定を一方的に足利義満が破ったためである。
両物の仲立ちに立って合体の条件を取りまとめた大内義弘としては南朝方に対し面目丸潰れとなったのである。
大内義弘は足利義満に対し約定の履行を再三迫ったが、義満は全く無視するばかりで、ここに大内義弘の武士の面目は潰されてしまった。
当時足利義満の上洛要請に従えば殺されてしまう事は日を見るより明らかであった。わずか5000騎を率いての上洛は、はなから死を覚悟したものであった。
もしこの時義弘が精鋭1万騎を引いて堺に上陸していればあるいは勝ったかもしれないとする説もある。それほど当時の大内勢は最強兵団であった。
出兵に当たり義弘は弟盛見に分国を死守するよう遺言を残している。分国の防備には兵力はいくらでも必要なはず、しかも全国の大名が相手となると兵の数は底しれず。
すでに死を覚悟していた義弘公は分国防備の兵を除いて少数の兵を率いて上洛したと思われる。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今回は大内氏最強の武将と言われている大内義弘公の関連施設を訪ねることにしました。
大内義弘公は13歳から大内兵団を指揮して九州の南朝勢力の撃破や、京都で起こった明徳の乱など周防長門の本国を空事が多かった。特に「六文の一殿」と呼ばれた山名一族との明徳の乱(1391年)では京都堀川に本陣を敷く足利義満の前線として二条大宮に僅か200騎で布陣、山名氏清率いる主力の1700騎に対することとなった。
山名氏は主力の先陣として山名高数と小林修理亮が率いる700騎が大内勢と激突。
大内勢は僅か200騎と言えど九州の南朝勢力駆逐時には西国ではその名を知らぬ者はいないほどの無敗の兵団、しかも200騎は精鋭ぞろいであった。
大内義弘が使う剣は3尺の太刀、片や山名方の驍将小林修理亮があ使う太刀は2尺8寸、両者一騎打ちで勝負を挑むが太刀の長さの差と技量の差で僅かに大内義弘公が小林を上回り、山名最強の武将と言われた小林を打ち取った。僅か200騎が700騎を打ち破りこれを撃破。これを境に山名勢は形勢が逆転し足利将軍勢に追い落とされたのである。
この時の恩賞として旧山名領の摂津と紀伊の2カ国を足利義満から領地として与えられたので周防、長門、岩見、豊前、摂津、紀伊の6カ国の太守となる。
このあとしばらく足利義満と大内義弘公の蜜月は続くことになる。
一方この戦いで京都冷泉家の養子となった弟弘正(三男)が討ち死にしている。
明徳の乱。これは実に管領細川頼之の仕組んだ謀略であり、山名家領地没収時には前から望んでいた摂津と紀伊を自らの領地に組み入れようと虎視眈々と狙っていたのである。
その喉から欲しいほどの領地をあっさり大内義弘公に横取りされたの細川頼之の怒りは収まらない。次の将軍足利義持には大内義弘公のある事ない事の讒言を繰り返し、これが応永の乱の遠因の一つにもなったのである。
摂津・紀伊が領地として加わると義弘公は堺に滞在することが多くなった。
その他特記すべきこととしては、朝鮮国王及び明国皇帝の使者が来山し、倭寇の取り締まりを大内義弘公に要望している。
これに応えた義弘公は密偵を放って倭寇の根城を探索、根城が分るや軍船を繰りだして包囲、倭寇を討伐するとともに捕虜として連れてこられた朝鮮人を助け出し、本国に無事送り返しました。同様に明国の使者の要請にも応えて倭寇の撲滅に務めた。その結果明国からは勘合貿易に大内氏を加えることが、朝鮮は大内氏が独占的に交易できることが認められた。
今までは九州探題の今川氏が旨味を独占していたが、この権益が大内氏に移ったのである。
大内氏が外国貿易で経済的に発展していくのは大内義弘公からである。大内義隆公の時代には細川氏を蹴落として明との勘合貿易を独占。幕府船でさえ大内氏の承諾が無ければ勘合船を出せなかった。それほど経済的にも山口は潤っていたのである。
応永3年(1396年)大内義弘公が建立した寺が鯖山禅昌寺である。開山は慶屋定紹
禅師。それまで大内氏の禅寺は臨済宗であったが義弘公の時代に初めて曹洞宗のtらが建てられました。
こののちは分国内に曹洞宗の寺が次々に建てられるようになり、曹洞宗寺院を菩提寺とする当主も現れました。当寺院は市内でも大きな伽藍を持つ寺院、庶民信仰も厚く境内の中には大きな駐車場がありました。 -
禅昌寺の境内案内図。
本堂奥の奥の院には賽の河原もありますね。
慶屋定紹禅師は能登国出身で67歳の時に教化のため山口にやって来ました。山口市大内長野の漢乾守庵を住まいしていたので、大内義弘公は禅師の教えに帰依し度々この庵を訪れていました。
その後禅師のためにこの寺院を創建しました。
この時義弘公は三千石の知行を寄進しようとしましたが、慶屋定紹は「安定は堕落のもと」としてこの申し出を断り代わりに周防長門の国内で托鉢を行う許可を求めました。
この申し出に感じ入った義弘公は琳聖太子によってもたらされたという重代の尊像、迦葉と阿難の2体の像を贈ったと語り告げられています。
創建当時は訳八十の末寺小庵が取り巻き千人近い修行僧が居て、西の本山西高野と呼ばれるほど栄えていたそうです。
禅昌寺の托鉢は幕末に至るまで五百年間も続きました。防長の人々との繋がりによって支えられ、維持されてきた寺院です。 -
下馬の碑。神社ではよく目にするが寺院でお目にかかるのは珍しい。
山門の手前にあり、参拝者はここで馬を降りなければなりませんでした。
馬を常用する武士階級に対してのものです。 -
禅昌寺の山門(遠景)。
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禅昌寺説明板。
説明板の中ほどと上部に心無い者によって茶色の塗料が撒かれ、判別不能になっていました。 -
手水舎。コロナ対策のためなのか龍の口から水は流れていません。
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山門です。
禅昌寺シンボルとして有名で寺の紹介写真には必ず山門の写真が載せられています。 -
山門の説明板。
応永三年創建当時のものを、江戸時代に修繕したものです。
山門上の扁額には「亀岳林」と書かれています。
この扁額については説明板に詳しく書かれていますので、興味のある人は説明板をお読み下さい。 -
前庭から見た山門の風景。
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山門を潜ると直ぐ中庭がありますが、写真は回廊から山門と中庭を写したものです。
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山門から左右に伸びる回廊。
禅宗様式の建物です。 -
山門から入口付近を見下ろした風景。
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山門から入ると左右に中庭があり、正面に見えるのが本堂です。
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本堂の前に見えてきたのが石造りの丸い石橋。
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横から見た丸い石橋。太鼓橋の様にも見えますが橋の傾斜が緩やかです。
橋が架けられている放生池は澱んでいました。 -
澱んだ池の主は鯉でした。
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中庭の石橋。橋の奥に見える建物は観音堂です。
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大慈殿の案内板。
中に収められている聖観音像は彫刻家北村西望氏の作です。 -
観音堂大慈殿です。
観音堂に収められているのは聖観音像です。 -
聖観音の説明板。
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観音堂の天井画。
天井を飾るのは花の絵。綺麗でしたね。 -
北村西望氏作の聖観音像。
遠くから見ても神々しいお姿。
北村西望氏は長崎県島原市の出身。長崎にある平和公園の原爆記念像を造られた方と言えば「ああ、あの人かと」たれもが思い出すでしよう。
103歳になっても元気に活躍されていたんですね。 -
聖観音像をアップにします。
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更にアップにしました。
お顔は穏やかで、お姿は神々しい。 -
本堂の説明板。
本堂が大き過ぎて写真に収まら無いため、ここでは本堂の写真はカット。
本堂は江戸時代天保年間の再建。本尊は釈迦牟尼如来、扁額は金沢の大乗寺無学禅師によって書かれた本寺院の山号です。
その他本堂内の漢文の書についても丁寧に意味が解説されていました。 -
禅昌寺の歌碑。
次の解説文をお読み下さい。 -
禅昌寺歌碑。
歌人赤松老翁が直感で詠んだ歌だそうです。 -
境内の中に祀られていた地蔵菩薩。
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右が本堂、左の建物は開山堂。
二つの建物を結ぶ回廊の下を潜って奥に進むとそこが奥の院の入口です。 -
入口から入ってすぐの所から続くのが賽の河原。
沢山の地蔵菩薩が祀られています。 -
子安地蔵尊、子育地蔵尊です。
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子安地蔵尊、子育地蔵尊の説明書。
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賽の河原の延命地蔵と右にわらべ地蔵。
賽の河原は子供を亡くした親が我が子を慕い、河原の石を積んで冥福を祈る所。 -
地蔵菩薩像が並び立つ所を過ぎると左や前方に開けてきたのが古霊園。
古い時代の墓が並んで立っていて、静けさの中に凛とした気配が漂っていました。 -
禅宗は武家が信仰した宗派ですから、この中には大内時代の武家の墓がかなりの数あるのではないでしょうか?
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墓石は横一列に整然と立てられています。
これらの墓はどの時代の墓なんでしようか。 -
中には崩れかけた古い墓もありました。
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一番印象的だったのがこれらの屹立したように立てられている墓石でした。
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五輪塔があるのでここの墓も古いのかな。
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古霊園の墓石。
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三体の仏像はいずれも木造で
平安時代後期の作だそうです。 -
中の院(阿弥陀堂)です。
中には阿弥陀如来坐像、聖観世音菩薩立像、地蔵菩薩立像の三体の仏像が収められています。
残念ながら三体の仏像は外からは見れません。 -
阿弥陀堂の屋根の上には大内菱がありました。
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阿弥陀堂の更に奥にあるのが奥の院(開山堂)ですが、今回はそこまでは行きませんでした。
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再び古霊園の中を歩きながら下ります。
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古くて立派な墓があちこちあります。
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賽の河原の地蔵菩薩のを通っ左に進むと澄心池があります。
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池に流れ込む滝の水を受け止める水車。
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観光地の池の様には整備されていませんでしたが、それなりに綺麗でした。
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池には沢山の睡蓮がありました。
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僅かな個数でしたが、湖面に咲いた睡蓮の花。
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寺の庫裏です。
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庫裏の入口には山号の扁額が架けられています。
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庫裏と食堂を結ぶ回廊。
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炊事場と鐘楼の説明板。
長年に渡る風雨で文字の判別が出来ません。 -
大内菱の屋根瓦。
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禅昌寺の鐘楼。
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鬼瓦。
天保年間に本堂が再建されており、その当時に作られたと思われています。
江戸時代なので家紋は毛利家の紋所。
昭和45年の本堂の屋根の吹替時に取り替えられました。 -
鬼瓦の説明板。
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山門と放生池。
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鐘楼と庫裏、本堂の風景。
次の寺に向かうため禅昌寺を後にしましよう。 -
禅昌寺の参道に設けられた禅昌寺の石碑。
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禅昌寺の石碑の前に立てられているのが萩往還の石碑。
萩往還とは萩城と防府市の港を結ぶ為に江戸時代毛利氏によって整備された参勤交代の道路。大内時代とは関係がないように思われますが、この道の旧道は大内時代に整備された道でした。
当時は山口と防府市の周防国衙を結ぶ為の道でした。 -
萩往還の案内板。
萩往還(山口) 名所・史跡
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萩往還、防府市方面に向かう道。
萩往還(山口) 名所・史跡
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萩往還、旧山口市方面に向かう道。
大内義弘公ゆかりの寺禅昌寺の旅行記を終わります。
つぎは義弘公の供養塔、国宝五重塔他をお送りします。萩往還(山口) 名所・史跡
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