2023/06/26 - 2023/06/26
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ポポポさん
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大内義興公の事跡を述べる上でかかせないのが寺社の建立や修復である。
有名なのは明治維新以前に唯一天皇の勅許を得て伊勢神宮の分霊を勧進して創建した山口大神宮、そして清水寺観音堂。さらに国の需要文化財に指定されている今八幡宮の社殿を再建している。
さらは市内の郊外の広大な敷地に凌雲寺を建立し、この寺は義興公の菩提寺となった。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
周防の大内義興公を頼ってきた前将軍足利義稙公であったが、すぐに将軍に復権出来た訳ではなかった。
義興公は山口に足利義稙を保護すると、義稙公は将軍復帰の協力を命じる書簡を次々と西国の諸大名や武将に送っていった。その多数派工作を支える義興公は管領細川政元の怒りを買い朝敵とされてしまった。
こうして足利義稙は山口で8年間過すことになる。
そして1507年(永正4年)6月、思いがけない事件が起きる。管領細川政元が後継者争いで家臣に暗殺されたのだ。
義興公はこれを好機と捉え、前将軍足利義稙を擁して上洛を決意した。
義興公の呼びかけに中四国・北九州のほとんどの武将が応じて大軍を率いて上洛、将軍義澄は戦わずして京都から逃走。義興軍は無血で京都に入り、1508年7月前将軍義稙の15年ぶりの将軍復帰を実現させたのである。
将軍復帰一番の功労者義興公は山城国の守護に認じられ、管領代となって幕政を支えて行った。当初将軍から管領職を受けるように強く求められたが、これを固辞して官領代ならと受けたのである。
しかし1511年8月前将軍義澄と細川澄元方が勢力を回復させて京都に侵攻して都を奪取。義興方は丹波に一旦逃れて8月23日に反撃に転じた。
翌24日船岡山に布陣した細川澄元方と激突。世に言う天下分け目の船岡山の戦いが始まったのだ。この時天下の諸将は将軍義稙方、前将軍義澄方に分かれて戦ったので天下分け目の船岡山の戦いと呼ばれている。
義興公は戦場の最前線に立ち陣頭指揮。義興公側の諸将の奮闘もあって激戦の結果義興方が勝利した。
都に再び平和をもたらした義興公は翌年軍功として従三位を授けられて公卿となったのである。
京都が平温になった時に義興公が訪れたのが伊勢の皇大神宮。義興公は皇大神宮の荘厳さに感銘を受け是非このお社を山口に迎えたいと決意し、帰国後神社の建設に着手した。
後柏原天皇の勅許を賜って山口に勧請し、山口大神宮が創建された。
写真は山口大神宮の大鳥居。山口大神宮 寺・神社・教会
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日参1万回成就記念の碑。
これらの碑は江戸時代当時民衆に流行した伊勢参りで参拝者たちが残したものである。
「西のお伊勢様」として山口大神宮は多くの参拝者で賑わったという。 -
大鳥居を潜り階段を上ると大神宮の拝殿が右にある。大神宮の神域は鴻ノ峰の山麓にあり、山の森が神社の神域を守る鎮守の森となっている。
山口大神宮 寺・神社・教会
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山口大神宮境内案内図。
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山口大神宮の説明板。
山口大神宮は永正17年(1520年)に大内義興公が朝廷に奏聞して勅許を得、伊勢の皇大神宮の分霊を勧請した神社である。
義興公は前将軍足利義稙を奉じて京都に上洛し11年間管領代として将軍に変わり政治に関与した。この間大内氏の武力と財力は京都の治安に大いに寄与し、応仁の乱以降この11年間は京都で平安が維持された。
義興公は京都に滞住中の永正11年(1514年)に伊勢の皇大神宮(伊勢神宮)に参拝した。
この参拝については有職故実家の伊勢貞陸に慣例や作法を学び指示に従って周到な用意をした。参拝した義興公は荘厳な神霊にうたれ、この大神宮を山口に勧請したいとこの時思われた。
永正15年10月京都から山口に帰ると直ちに勧請する準備にとりかかった。
義興公は自ら建設用地を視察し決定すると社殿の建設に取りかかり、後柏原天皇に大神宮勧請を奏聞し勅許を得て17年6月26日に神霊を勧し鎮座した。
当初は「高嶺神明」と称していたが後柏原天皇から「高嶺太神宮」後陽成天皇から「伊勢」の御宸筆勅額が授けられて、「高嶺太神宮」「今伊勢」と呼ばれるようになった。
昭和3年に県社となり「高嶺神社」昭和22年に山口大神宮に改称された。
明治維新以前に天皇の勅許を得て伊勢神宮の御神霊を勧請したのは当社だけであった。
式年遷宮は伊勢神社と同様20年に一度行われていたが戦乱などで延期されたり中断された時期があった。
民間に伊勢参りが流行するようになると「西のお伊勢様」と呼ばれて中国・九州地方から多くの人々が「西の伊勢参り」として参拝したという。 -
高嶺稲荷神社入り口。
紅葉の時期になるとモミジがとても美しい。 -
高嶺稲荷神社。社殿は鳥居の奥にある。
元は現在の神楽殿がある場所にあったらしいが、高嶺稲荷様は神社の境内から鴻丿峰山頂に至る山道の参道脇の岩屋にお住まいだった稲荷様をお祭りした神社である。
岩屋の住処の後には高嶺稲荷大明神の碑があちこちに立てられている。稲荷神社と言うと商売繁盛の神様という印象が強いのだが、高嶺の稲荷様は難病などの病気治しにも絶大な力を発揮されたと言われている。これらの碑は病気治癒などの御礼として立てられたそうだ。 -
左にある建物は手水舎。ここには古いさざれ石の手水鉢がある。
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神楽殿。現在は拝殿として使用されている。
御神楽をあげる場所もここ。 -
多賀神社。
近江の多賀大社の分霊を勧請した古社。永和年間(1375~1378年)に大内弘世公によって再建された。
その後永正9年(1512年)に大内義興公によって再び再建された。永禄12年(1569年)大内輝弘の乱により焼失したが毛利輝元によって再建された。
主祭神はイザナギ、イザナミの尊。国生みの神なので長寿・安産の神として親しまれている。 -
多賀神社。
この神社は主祭神の他に七神柱とし天照大御神、国常立尊、素戔鳴尊、応神天皇、菅原道真命、大内教弘命などが合祀されている。
そのため縁結びや学業成就、病気平癒などにもご利益があるとして信仰を集めている。 -
神楽殿を通り抜けて矢印の案内の方向に進むと内宮・外宮がある。
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山口大神宮の由来書き。
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内宮・外宮はこの階段を上がった所、鴻ノ峰の山麓にある。
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山口大神宮の外宮。
主祭神は豊受大御神、天津彦彦火瓊瓊杵尊、天児屋根命、武御名方神など。
社殿の建築様式は伊勢神宮と同じ神明造り。
拝殿の右にある別宮の多賀宮の祭神は荒御魂。山口大神宮 寺・神社・教会
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外宮の右にある結界が張られた空き地は御敷地。式年遷宮で新しい社殿が建てられる空き地だ。
以前はこの場所に社殿が建っていた場所なのでとても神聖な場所。
奥に見るのは内宮である。 -
御敷地の前から外宮と内宮を見る。
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内宮と右端に別宮荒祭宮。
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大神宮の一番奥にあるのが天照大御神を祭る内宮。
内宮の左に結界が張ってある所は式年遷宮が行われる御敷地。木の影に隠れているのが内宮の摂社恵比寿社で祭神は事代主命、内宮の右に見るのが内宮の別宮荒祭社である。
摂社別宮に至るまで伊勢神宮と同じ神が祀られている。山口大神宮 寺・神社・教会
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神明造りの内宮と左端は摂社恵比寿社。
内宮の主祭神は天照大御神、そのほかに手力男命、萬幡豊秋津姫命。
荒祭宮の祭神は荒御魂と瀬織津姫命。 -
次は国の重要文化財に指定されている今八幡宮を訪れた。八幡宮の楼門・拝殿・本殿が重要文化財に指定されており、社宝の鰐口、棟札、絵馬も国の重要文化財に指定されている。
この内鰐口は山口市歴史民族資料館に展示されているのでいつても見ることができる。
写真は八幡宮の一の鳥居と二の鳥居。手前が二の鳥居て寛政年間に毛利秀就公奉納の鳥居で山口では最古の物。
一の鳥居は氏子の方々によって奉納されたものである。 -
今八幡宮の楼門。楼門は山口地方独特の建築様式である楼拝殿造りだ。
楼拝殿造りとは通常は独立している楼門と拝殿が繋がり、楼門の左右には翼廊が付き翼廊と拝殿に床が張られて楼門・拝殿・本殿が一つに繋がっている建築様式である。
山口県内の楼拝殿造りの神社で最も古いのが今八幡宮である。今八幡宮 寺・神社・教会
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今八幡宮の創建年数は分かっていないが、鎌倉時代にはすでに建てられていたと考えられている。
大内家当主の娘に「今八幡」という娘がいて、その娘の名は今八幡宮からとられたと考えられるからである。
「今八幡」は19代大内公の息女で時代は鎌倉時代の女性であることから鎌倉もしくはそれ以前に造られていたと推測されているのだ。
室町時代になり、文亀3年(1503年)に大内義興公によって社殿が改築された。
その後何度か修復されているが、建築様式を含めて室町時代の貴重な建築物として国の重要文化財に指定された。
写真は楼拝殿づくりの内部構造。
手前の板張りの建物が楼門、この左右に板張りの翼廊がある。次の板張りの間が拝殿で、一番奥の建物が本殿である。
八幡宮の為主祭神は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、その他に玉依姫命、宇治皇子が祀られている。 -
中央の建物は拝殿。右端が本殿で左端は楼門の翼廊だ。
普通は楼門、拝殿、本殿はそれぞれが独立した建物であるが、山口県の神社の建物様式は楼拝殿造りといって、それらの建物が一直線に繋がって建てられている。 -
重要文化財今八幡宮本殿拝殿楼門の表示。
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楼門を左斜め前から見た様子。
楼門の左右には床が板張りの翼廊がある。 -
写真中央が拝殿。拝殿と楼門は建物が一体化できるいる訳ではなく、板張りの床で繋がっているのである。
今八幡宮 寺・神社・教会
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今八幡宮本殿・拝殿・楼門の説明板。
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楼門・拝殿・本殿が連なっている様子は横からの方が良く分かる。
この楼拝殿造りは大内氏の時代に始まったと言われている。 -
拝殿と右に本殿。
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今八幡宮は楼拝殿造りの形が良く分かる。
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次は山口市宮野下恋路にある清水寺へ。
清水寺は平城天皇の御代(平安時代)に創建されたと伝えられる山口市で最も古い寺である。
山中にある境内には大内弘世公が建立した山王社本殿と大内義興公が建立した観音堂がある。
その為この寺は弘世公の旅行記で山王社本殿を主に説明したが、今回は観音堂を主体に案内したい。 -
清水寺山門。
金剛力士立像があるが、以前説明済なので割愛する。 -
山門から境内までは長い石段が続いている。
確か250段前後だったと記憶している。 -
昼なお暗い山道を登った先に寺の境内がある。
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境内に至る手前に山口十境詩に詠われた清水の晩鐘がある。
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左側に家屋が見えて来たが、これは清水寺の庫裏。
住職は居住していないらしい。 -
清水寺境内入口。
右に見えるのは山口十境詩の碑。 -
山口十境詩碑「清水晩鐘」。
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境内の奥に見えるのが観音堂である。
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観音堂の前には多くのモミジがあった。
境内一面にモミジの木があるので、秋の紅葉の時期は綺麗だろうな。
ここは隠れた紅葉の名所のようだ。 -
観音堂の説明板。
清水寺は千手観音菩薩を本尊とする真言宗の寺院。
観音堂は明応2年(1493年)に大内義興公により建立されたが、江戸時代に度々大修理がされた。
建立時は大きな建物だったが修理の度に縮小されたそうだ。 -
観音堂の前の左右には赤く色付いたモミジがあった。
訪問した時期は秋ではないので、このモミジは紅葉している訳ではない。
このモミジは常に赤く染まっているモミジで、その様な品種のモミジなのだ。
枝垂れモミジにはこのモミジのように一年中赤く染まっているモミジがある。 -
入口の天井には清水寺の扁額と観音霊場を回った巡礼者の札が見える。
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この観音堂は西国(多分中国)観音霊場第28番札所。
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観音堂天井付近の組物の様子。
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観音堂の全景。
多数のモミジに阻まれて全体像がハッキリ分からない。 -
境内の上にある山王社本殿前から写した観音堂。ほとんど屋根しか写っていなかった。
次は大内義興公が力を入れた勘合貿易(遣明貿易)について触れたいと思います。
訪問下さりありがとうございました。
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