2023/06/26 - 2023/06/26
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ポポポさん
この旅行記のスケジュール
2023/06/26
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車での移動
自家用車で歴史民俗資料館へ。
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大内氏の海外貿易
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日本国王之印
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朝鮮国通信符
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勘合貿易で輸入された銅銭と陶磁器
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今八幡宮の鰐口
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この旅行記スケジュールを元に
大内氏の勘合貿易は大内教弘公の時代に参入したが、大内正弘公の時代、応仁の乱の時に朝敵となったため剥奪されてしまいました。
この権利を復権させ遣明船経営に参画できるようにしたのが大内義興公だった。
義興公は勘合を取得すると将軍義稙から遣明船の 永代管掌権を認められた。その後細川氏と遣明船を巡る対立が表面化した。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日の訪問先は山口市歴史民族資料館。
資料館で保管している資料は大内氏及び明治維新関連資料が3万点程保管されています。
そのうち大内時代の遣明船貿易(勘合貿易)の資料の一部が常設展示されているので訪れました。山口市歴史民俗資料館 美術館・博物館
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室町時代の海外貿易は足利将軍と有力守護大名の間で行われていましたが、その一角が大内氏でした。
大内氏が勘合貿易に参入したのは大内教弘公の時代。将軍足利義政の時代になると財政難で公方船を仕立てられ無くなります。そこで幕府は遣明船の経営を望む大名や寺社に勘合を金銭と引きかに与えることにしました。
この時勘合の獲得に成功したのが教弘公でした。大内氏が初めて参加した時の遣明船は9隻でした。
この時の遣明船が多かったため明国側から今後遣明船は3隻、10年に1回と制限されました。
大内氏は3隻の一画に残り、3隻の内訳は公方船、細川船、大内船でした。
大内正弘公の時代も遣明船を仕立てて貿易に乗り出しました。
ところが遣明船が出発すると起こったのが応仁の乱でした。細川氏と対立する大内氏は次々と東軍を撃破して行きますが、その腹いせか朝敵にされたため遣明船から排除されました。
この状況を救ったのが大内義興公です。義興公は京都東福寺の聖一派を媒介にして勘合を取得し、復活をはたしました。
永正度の遣明船を出立させた後将軍義稙から1516年頃遣明船の永代管掌権を認められました。 -
大内氏は遣明船貿易だけではなく朝鮮貿易や琉球貿易も行っていました。
朝鮮貿易は義弘公の時代に倭寇討伐の功績として認められたものです。当時大内氏以外に室町幕府や諸勢力も朝鮮と貿易を行っていましたが、朝鮮にとって大内氏は特別な存在でした。しかし、これは大内氏を名乗る偽使者を出現させることになり、それを防ぐために朝鮮通信符が与えられましたが、これは大内氏だけの特別待遇でした。
輸出品は朱漆椀、紫硯(赤間硯)などの工芸品、武具甲冑、繊維製品、硫黄、銅、東南アジアの胡椒、犀角、蘇木など。輸入品は毛皮類、書籍、工芸品、繊維製品、薬剤、焼酒など。最も望んでいたのは大蔵経でした。
日本では室町時代に版木が無く大蔵経を所有する事は寺社にとって特権的な事でした。
大蔵経は他の大名らが望んでも得られる物ではなく、一方大内氏は16世紀半ばまでに12~15蔵も獲得し領地内外の寺社に収めました。大蔵経は大内氏が朝鮮王国との密接な関係や財力を他の大名らに誇示し、寺社への影響力も強化した重要な輸入品でした。
一方琉球は中継貿易で栄え、琉球には良質な南海の産物が集まっていました。
このようななか琉球王国と直接通交を始めたのが大内教弘公でした。遣明船貿易に初めて参入したのも教弘公でした。教弘公は明への貿易品として充実した南海産物を入手するため琉球貿易に着手したのでした。
遣明船経営に参入したのも教弘公でありとても先見性のある当主だったと思われます。
大内義興公の時代には寧波の乱で日本と明の国交が断絶した。その際には大内氏と琉球王国との関係が明との国交回復に繋がり、やがて大内義隆公の時に遣明船貿易を独占することになる。 -
大内氏の対外貿易の要約。
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日本国王の印。
明から室町幕府に送られた金印の模造品。大内氏はこの木印を使用していた。
3代将軍足利義満は明との国交を望み明に使節を送った。やがて義満は明から「日本国王」として認められ金印と勘合が与えられた。
この他に大内氏が使用した勘合の割印(国の重要文化財)が残されており、現在は防府市の毛利博物館に保管されている。山口市歴史民俗資料館 美術館・博物館
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大内義長証状。
明から送られた印の由来を証明する文書。 -
朝鮮國通信符。朝鮮から大内氏に送られた通商の割り印。
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主な輸出品。
鎧兜、日本刀などが武家儀礼として明皇帝や朝鮮国王などに贈られました。
漆塗足付盤や漆椀・扇子・屏風などの工芸品。
明皇帝に献上した朝貢品は1539年と1547年の遣明船の記録によると馬、硫黄、瑪瑙、工芸品(屏風、扇、硯箱、文台)武具(太刀、長太刀、槍)などでした。
この内馬は明が朝貢する国に求めた物で1593年の時には4頭献上しています。
1547年の遣明船では狩野元信に製作を依頼し三双の屏風を用意しています。また元信には百本の扇の製作も依頼し献上しました。
武具では皇帝用に龍太刀二振り、太刀百振り、長太刀百枝、槍百百本を調達しています。 -
黒胡椒、白胡椒。琉球から輸入して明や朝鮮へ輸出されました。
夜光貝。螺鈿細工の材料で琉球から輸入して明・朝鮮へ輸出されました。 -
主な輸入品。
銅銭。青磁大内筒。青磁や白磁の磁器は唐物として珍重されました。
青磁大内筒は唐物の陶磁器の名品で現在根津博物館に所蔵されている。大内氏が所蔵していたことを称するため大内と言う銘が付けられている名品である。
他にも茶入の名品「上杉瓢箪」は大内義隆公が所持していましたが義隆公のあと大内義長、大友宗麟、豊臣秀吉、上杉景勝、徳川将軍家と移って行きました。 -
大蔵経。写真の大般若波羅蜜多教など仏教経典の総集。
朝鮮王国から輸入した大蔵経は12から15で領地内外の寺社に寄進され、財力を他の大名に見せつけた輸入品。
唐物漆器。将軍や公家への進物として使われた。いわゆる唐物の一つ。 -
舶来品。銅銭と輸入品の陶磁器。大内館から発掘された陶磁器です。
大内義興公時代の遣明船で触れておかないといけないのが遣明船を巡る大内氏と細川氏の対立でしょう。その対立が明の国際貿易港で起きた寧波の乱です。
1523年大内義興公と細川高国の遣明使節が明の寧波で起こした事件です。
その15年前、義興公は前将軍義稙を擁して上洛し将軍に復帰させました。以来その政権を共に支えたのが細川高国でした。
義興公が将軍から遣明船派遣の永代管掌権を認められた事によって細川氏は明との交易権を大内氏に奪われることになりました。
義興公が山口に帰国すると将軍義稙は細川高国と不仲になり細川高国に追い立てられるように出奔。高国が擁立した足利義晴が将軍になると大内氏と細川氏の協調関係は完全に終わることに。細川高国は大内氏に対立姿勢を強めて行きます。
1523年4月、博多商人と正副史を乗せた大内氏の遣明船は寧波に向けて出航しましたが、高国もまた遣明船を派遣しました。
大内船は新しい勘合符を持参していましたが、細川船はすてに期限が到来して通用しない古い勘合符を所持していました。つまり細川氏は正当な勘合符を持たずに勝手に勘合船を派遣したのです。
寧波に先に入港したのは大内船で正式な勘合符を所持しているにも関わらず大内船は上陸が許されず、寧波当局は後から来た細川船を優遇して先に上陸させ交易を許可しました。
事の成り行きが腑に落ちない大内船の正副使が部下に探りを入れさせると当局の役人に細川氏が多くの賄賂を送って優遇されていたことが分かりました。
これに激怒した大内方は細川方を襲撃し遣明船を焼き払いましたが、明当局の官憲が細川方を蓁したため、明国の官憲とも刃を交じえることとなったため外交問題となり、国交は一時的に断絶しました。
事後明皇帝は事件の真相究明を調査させたところ、当局の官吏が賄賂を細川方から貰って便宜を図った事が現因で大内氏に罪はないことが判明したが国交回復には至りませんでした。 -
大内館跡では大量の陶磁器やかわらけが発掘されていますが陶磁器は明や朝鮮からの輸入品です。
写真中央が磁器で右が陶器。磁器は将軍家の使者や公卿らを饗す時に使用されたと考えられています。
一方かわらけは大量に見つかっていますがこれは武士階級の宴席で盛んにに使用された物です。 -
大内館跡から発掘さrた陶磁器。
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大内館から発掘された陶磁器。
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発掘調査で見つかった陶磁器。
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磁器は破片で見つかった物もあるが当時としては大変貴重な青磁や白磁の破片がいくつも発見されたそうだ。
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左端は奥が元時代の陶器の破片。
手前が李氏朝鮮時代の青磁の破片。 -
今八幡宮の鰐口。国の重要文化財です。
鰐口とは寺社の正面の軒先に架けられた鉦と呼ばれる銅で造られた打金です。
この鰐口は筑前蘆屋の鋳物師大江宣秀によって作られた打金で大内氏と深い繋がりがあったことが伺えます。
大内義隆公が氏寺興隆寺に寄進した梵鐘も大江宣秀の作でともに国の重要文化財に指定されています。
蘆屋の鋳物で有名なのは蘆屋釜。この釜は炊事用として使用するのではなく、将軍たちが歌会や会合で使用した会所の飾り付けに使用しました。
大内正弘公や国家老陶弘護が大量に将軍家周辺に進上 しています。写真では鰐口の大きさが分りませんが、とても大きな物でした。
山口市歴史民俗資料館 美術館・博物館
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今八幡宮の鰐口の説明だと思い込んで写真を写しましたが大内文化の説明文でした。
当時応仁の乱で廃墟のようになった京都。しかし西国の山口は戦乱が無く貿易による富が集まったこともあって京都をしのぐ雅な町でした。
そのような時に京都から文化人や公卿が大挙して訪れたため文化の花が開きました。
こうして世の人々は山口を西の京都と呼ぶようになったそうです。
国宝・重要文化財が多い都市は京都と奈良ですが、地方都市で山口のうように多くの国宝や重要文化財があるのは(国宝は1つだけでが重要文化財が多い)山口だけだそうです。防府市の毛利博物館で所蔵している国宝・重要文化財も元々は大内氏のお宝だった物が多いです。 -
大内氏時代の山口の街並み。山口古地図に基づき描かれています。
さて大内義興公の旅行記は今回で終わりますの大内義隆公はどのような人物であったか簡単に総括して見ましょう。
歴史学者の共通した認識は西国の覇者です。義興公は大内氏30代の当主で版図が最大になり最強、最大、最高の覇者と称されています。
その強大な軍事力をもって、明応の政変で追放された流れ公方足利義稙の復職を助けた事で知られています。
大内氏の軍事力が無ければ幕府のある京都は守れない。義興公無くしては国の平穏が保てない。つまりは彼こそが将軍をも凌ぐ最高の実力者でした。
最高の当主は最強の武将でもあった。天下分け目の船岡山の戦いでは自ら先頭に立ち敵陣に乗り込み獅子奮迅の活躍をしました。
戦国時代でこの様な戦いができる武将は立花宗茂くらいしかいないでしょう。朝鮮の役、碧蹄館の戦いぶりはつとに有名です。
戦国武将が生涯夢に見ながら信長以外できなかった上洛を義興公はいとも簡単になしとげました。
戦国武将は上洛が天下統一の手段であったでしようが、義興公は最後まで将軍の忠実な家臣でありつづけました。自らが将軍に取って代わり、天下を取ろうなどと言う野心は一欠片もなかったのです。
故に義興公は覇者と呼ばれるのでしょう。 -
大内時代山口市街図のアップ。
大内義興公の旅行記はこれで終了です。次は大内氏最後の当主大内義隆公です。
訪問下りありがとうございました。
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