2023/07/13 - 2023/07/13
174位(同エリア526件中)
ポポポさん
この旅行記のスケジュール
2023/07/13
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仁壁神社拝殿
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仁壁神社幣殿と本殿
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旧仁平寺跡
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旧仁平寺趾説明板
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日吉神社
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日吉神社拝殿
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現在の仁平寺
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仁平寺の庭園
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御堀神社
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氷上山山王社の手水鉢
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もう一つの氷上山山王社の手水鉢、
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御堀神社拝殿
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この旅行記スケジュールを元に
大内氏所縁の神社を訪ねてみた。
周防の国には奈良時代に創建された周防一之宮玉祖神社(防府市)、周防二之宮出雲神社(山口市徳地)、周防三之宮仁壁神社(山口市宮野)や弥生時代成務天皇9年に創建されたとても古い周防四ノ宮赤田神社(山口市吉敷)、周防五之宮朝田神社(山口市矢原)がある。
これらは大内氏が代々崇拝していた神社で大内義興公が戦勝報告に詣でたことにより五社詣の神社と呼ばれるようになった。
また氷上山山王社の手水鉢2つが残る御堀神社や大内氏全盛時に氷上興隆寺、乗福寺と並び大内時代3大寺院に名を連ねていた仁平寺跡や仁平寺の鎮守社である日吉神社がある。
これら大内氏所縁の寺社のいくつかを訪ねてみた。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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まずは周防五社のうち周防三之宮仁壁神社を訪れた。
仁壁神社は社伝によれば大和時代の崇神天皇7年(91年)にまで遡ることができる地域で最も古い神社である。
残されている文献「文徳実録」では社格が平安時代の嘉祥3年(850年)従五位に叙せられたことが記されているため、創建はそれ以前であることは確かである。
鳥居を潜ると正面に見えるのが拝殿、右に見えるのが手水舎で左の祠は摂社。仁壁神社 寺・神社・教会
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拝殿の手前にあるのが摂社。
遠くから写したので祀られている神は判別不明 -
階段を上がると拝殿、その奥に本殿がある。
仁壁神社 寺・神社・教会
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拝殿の左にある建物は神楽殿。右には宝物殿がある。
仁壁神社 寺・神社・教会
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仁壁神社の由来書。主祭神は織物・衣類の神、国家安泰・家内安全・海上交通安全の神、五穀豊穣の神だが神の名前は今まで聞いたことのない神々だった。
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拝殿。奥に本殿があり、拝殿・幣殿・本殿まで一直線に並ぶ山口県独自の様式で建てられている。
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神楽殿。
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拝殿・幣殿・本殿が一直線に並ぶ建築様式。
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宝物殿。市指定文化財獅子頭や子文書などが保管されているが、このうち獅子頭は現在山口歴史民俗博物館で保管展示されている。
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木造獅子頭の説明文。
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拝殿と幣殿、その奥に本殿。
この建築様式は拝殿から本殿手前まで一直線に歩いて進むことができるのである。仁壁神社 寺・神社・教会
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本殿に上るには階段を進む事になるが本殿に至る渡り廊下の側壁は板壁で囲まれている。
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本殿
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幣殿と本殿
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拝殿と幣殿の間には渡り廊下が架けられていた。
仁壁神社 寺・神社・教会
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拝殿と幣殿
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本殿右奥には健康の神様をお祀りする具明社がある。
どういう訳か具明社の建物の写真が撮れていない。撮り忘れたのかカメラの不具合か? -
具明社の社殿の前には神玉があり、それに触れて体の不具合の個所の改善を願い御神威を拝受するそうである。
古来より病気平癒の神様として崇められてきた。 -
毛利輝元が幼少のみぎり疱瘡にかかった時に広島から名代が派遣され、祈禱が行われた。
以後病気平癒の祈禱所となったことなどが古文書に残されている。 -
次は大内時代に3大寺院の一つと言われていた仁平寺跡へ。
スマホのナビに導かれてやってきましたここは山口市御堀管内4176番地。
山口市の端にある田園地帯。地形が台上になっているため市内の住宅地が遥か下の方に見える。
写真Pの看板があるところが以前に仁平寺があった場所とのこと。
すでに荒廃して寺院の面影も遺物も何もないところだが地元の人々が仁平寺の跡地だけは後世に残したいと表示板を設置していた。 -
仁平寺跡。
仁平寺は仁平元年(1159年)に創建され年号から仁平寺とされたらしい。
すでに廃寺となり創建当時の記録は開山しか残されていない。以降残された資料によると正平7年(1352年)3月3日に大内弘幸(山口を開府した大内弘世の父)が本堂を修造したことが記録として残されている。
仁平寺は多くの堂宇と五重塔が建立されていた。五重塔を建立したのは大内弘世、山麓には仁王門、弁財天堂、丈六の地蔵が合わせて建立された。さらに多くの僧坊があったことが残された地名から推測される。
大内氏が滅亡すると庇護を失った仁平寺は一挙に衰退する。
毛利元就の長男、隆元の時代には大内所縁の古刹は修復などの庇護を受けていたが、孫の毛利輝元の代になると大内時代の古刹は支援を打ち切られ、あまつさえ大内三大寺の一つ乗福寺は筑前の黒田家に本堂・堂宇ともども無償で下げ渡されている。
また現在広島市にある国宝不動院金堂は配下の安国寺恵瓊の願いによって山口にあった大内盛見の菩提寺国清寺から無償で広島に下げ渡されている。
大内時代の多くの国宝・重文の宝物等は毛利輝元によって各地に下げ渡され散逸してしまった。
これらから輝元は意図的に大内文化の破壊・散逸を目論んでいたのではないかと歴史学者からは指摘されている。
ついでに言うならば防府市にある毛利博物館で所蔵していつ国宝・重文の多くは大内字時代の宝物である。
大内氏は毛利氏によって滅ぼされたので勝者が弱者の宝物を略奪するのはこの時代当たり前の事ではあるが、明らかに大内時代の宝物であるのにあたかも毛利氏が所持していたかのように説明されているは、見ていて気分が悪い。
せめて「元々大内氏が所蔵していた宝物で、大内氏滅亡後は毛利氏の手に渡り・・」などど説明されているのなら理解できるが・・・。
話が横にそれたので元に戻そう。仁平寺の境内には五重塔があり朽ちかけた状態で斜めに倒れるような状態で建っていたが、やがて寺の前の池に倒れてしまった。
多くの人が池から五重塔の朽木を拾い出して器材として使ったため、明治時代には境内には五重塔の礎石しか残っていなかった。
その礎石も溜池を作る際に取り除かれ、16ばかりが一か所に置かれていた。
写真に写っている石が五重塔の礎石である。
寺跡の周辺をくまなく回り、ため池の趾を探してみたがため池はすでに干上がっていてどこがかつてのため池か全く分からなかった。
その場所を知るためには郷土史家か詳しいことを知る村民の案内が不可欠だと思った。 -
跡地に建てられていた仁平寺跡の説明文
仁平寺は僅かに五重塔の礎石が残る程度だったが、明治時代まで存続していた。観音堂が残っていたというから驚く。
この観音堂は明治3年に小鯖の禅昌寺に引きとられ完全に灯が消えた。
しかし、地元住民から仁平寺復興の気運が起こり人々の努力のおかげで明治17年に復興した。
ところが明治28年の台風で倒壊したため、翌年個人の旧宅を寺として復興させ、今に残るのが現在の仁平寺である・
現在の仁平寺は現地とはなれているため、帰りに寄ることにした。
なお、仁平寺の建物は残っていないがその規模等は残された「仁平寺本堂供養日記」で推測できる。
本堂供養会とは大内弘幸が行った本堂再建の落慶セレモニーである。
この供養日記によると舞楽は全部で十四番、中国から伝来した唐楽を最初に供養会は始まった。
唐楽だけで演目は10以上、続いて走物、童舞(舞は4つ)以上でその日は終わり翌日の舞は4番から始まり、童、稚児、僧侶の舞や狂言があり最後は大人数の花鳥・仙人・天女の舞で締めくくられている。
京・奈良を遠く離れたこんな田舎で鎌倉時代の初期に絢爛豪華な供養絵が催されていたのだ。当時の大内氏の文化水準の高さを今に知る貴重な資料となっている。 -
次は仁平寺の鎮守社山王社。現在の名称日吉神社は明治時代に改称されたものである。
創建は仁平寺と同じで仁平年間。社殿は今八幡宮や古熊神社と並び「山口三社」と呼ばれるほど歴史がある。
仁平寺の鎮守社として創建されたため仁平寺跡の近くにある。
仁平寺は消滅してしまったが、江戸時代にこの地を領有した毛利の重臣益田氏が何度か再建事業を行い、現在も地元の人々の手によって修復が行われ大切に守られてきた神社である。
神社はこのように守られてきたが、仁平寺は打ち捨てられて荒れるままに放置され、五重塔まで失ったのは残念でならない。
仁平寺の五重塔は今では幻の五重塔と言われている。
山口町の五重塔は毛利輝元によって解体される危機にあたり、山口の町民が命を張って守り抜いたという事実がある。
当然この話は山口の住民が知っていたはずである。ではなぜ大内村の菅内地区の村人は守ろうとしなかったのだろうか?それとも、それさえ口にできないような特殊な事情があったのだろうか?
写真は田畑の中に参道と大鳥居。 -
日吉神社の拝殿
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日吉神社の説明板
社伝では仁平元年(1151年)に大内氏家臣河野某により比叡山から勧進建立された。
建立時の社名は山王社、明治になって現在の日吉神社と改名された。
祭神は大国主命で仁平寺の鎮守社であった。 -
拝殿に向かって右側の狛犬
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こちらは左側の狛犬。普通の狛犬よりブサイクな顔立ち。
この顔がユーモラスで面白かった。 -
それでアップにしてみた。
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こちらもアップの狛犬。とぼけた顔の狛犬だった。
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大内菱の家紋入り賽銭箱。
大内氏所縁の神社なので家紋は当然大内菱ですね。 -
日吉神社の拝殿。
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境内にある愛宕社の説明版
創建年代は不明だが大内弘世公の時代に市内屈指の旧家安部氏が京都愛宕神社のご分霊を管内(すげうち)清滝山頂に勧進したと伝えられ、依頼600年火除けの神として崇拝されてきた。
ところが平成11年秋の台風で社が壊滅的な被害を受けたため、日吉神社の境内に移築勧進された。 -
愛宕社の社殿。
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旧仁平寺跡の周辺はのどかな田園地帯
この一帯のどこかに溜池があり、かつてはその側に五重塔が建っていたそうだが、長年の間に地形が変化して溜池そのものが見つからなかった。
郷土史家の方か地元の詳しい人に同道してもらわないと分からないと思うので、ため池の捜索は切り上げて現在の仁平寺を尋ねることにした。 -
明治時代の再興された仁平寺。
旧仁平寺跡から歩いて10分程度の所に現在の仁平寺はあった。駐車場が完備されていてナビで調べればすぐに場所は分かった。
写真が現在の仁平寺の本堂。 -
境内には旧仁平寺の由来の詳しい説明書きがあった。
所々木の枝で隠れた部分があるが、概ね読み取る事ができる。
仁平元年の創建と言われているが、大内氏の先祖がまだ多々良氏を名乗っていた時代に建てられた古刹で、大内氏所縁の寺でも古い時代の寺であった。 -
仁平寺の庭。
往時の旧仁平寺と比べると庭も小さなものになり果てた。 -
本堂入口天井に仁平寺の扁額があった。
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仁平寺の庭園
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同じく庭園。
規模は小さいが寺院の庭園らしく石庭が築かれていた。 -
これは達磨大師像だろうか?
仁平寺は創建時天台宗だったが現在は曹洞宗。達磨大師は中国禅宗の開祖なのでこの像は多分達磨大師だろう。 -
次に訪れたのは大内氏の旧領大内御堀にある御堀神社。
大内御堀には八幡宮、氷上神社、鏡山神社、八幡宮摂社厳島神社があったが明治42年に合併され現在の御堀神社となった。
合併の際にはそれぞれの神社の建築物を用い、神様もそれぞれの神社から勧進されて合祀された。
このうち大内氏と所縁が深いのが氷上神社である。この神社は元々氏寺興隆寺にあった氷上山山王社である。
氷上山山王社にあった手水鉢が2基この神社に移設されて残っている。
神殿(本殿)と幣殿は八幡宮、拝殿は氷上神社、倉庫は鏡山神社、鳥居は厳島神社の宝暦七年の物、手水鉢は氷上山山王社の物でこれらを使用して御堀神社は造営された。 -
神社は御堀神社だが鳥居の扁額には「三保里神社」と書かれている。
御堀神社がなぜ「三保里神社」と書かれているのかは謎である。
大内村史にも山口県神社誌にも記述がなく分からない。 -
宝暦七年の厳島神社の鳥居
扁額は「八幡宮」になっていた。鳥居の左下に写っているのが氷上山山王社の手水鉢。 -
御堀神社の縁起の説明
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氷上山山王社の手水鉢。
手水鉢の側面に「山王社御〇前手水鉢」と彫られている字を読み取ることができる。 -
上記の手水鉢の全形
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そしてもう一つの山王社の手水鉢。
手水鉢に「奉寄進石手水鉢 氷上山山王御神前」と書かれており、氷上山王社縁起に書かれていたとおり貴重な氷上山山王社の手水鉢が現存している事が分かった。 -
手水鉢の蛇口。
二つの蛇口を接合したもので十字に水が出るようになっていた。 -
元厳島神社の鳥居を潜って拝殿へ。
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拝殿の手前にあった2匹の狛犬。
旧仁平寺鎮守社の日吉神社の狛犬に比べると、狛犬らしい狛犬だった。 -
「ん」形の狛犬はこちらの方が犬らしくて立派。
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御堀神社の拝殿。この建物は旧氷上神社の拝殿。
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御堀神社の拝殿
それに連なる幣殿と神殿(本殿)は八幡宮の建物。 -
拝殿と拝殿、神殿(本殿)。
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御堀神社は幣殿や神殿(本殿)よりも拝殿の方が立派だった。
大内氏滅亡後氷上山山王社は毛利氏によって手厚い保護を受けていた。社殿も再建されていたので他の神社よりも立派だったのだろう。 -
幣殿と神殿(本殿)。
拝殿と比べると神殿が小さく見劣りがした。 -
こちら拝殿のアップ。
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御堀神社の境内。
大内氏所縁の寺社巡りはここまで。次は大内氏重臣の居宅跡を訪ねてみましたので、その報告をいたします。
寺と神社ばかりの旅行記でしたが訪問下さりありがとうございました。
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