2023/05/16 - 2023/05/16
153位(同エリア523件中)
ポポポさん
この旅行記のスケジュール
2023/05/16
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車での移動
自家用車で山口市八幡馬場に向う。 神福寺は今八幡宮の北、豊栄神社の側の道を進んで行くと辿り着く。
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神福寺。室町時代の前将軍が山口に下向した時に逗留した柳営御所があった場所である。
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観音堂。国の重要文化財「木造十一面観音立像」がある。
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車での移動
つぎは山口市吉敷にある玄済寺に向う。 玄済寺は吉敷毛利家の菩提寺である。
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曹洞宗玄済寺
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玄済寺境内案内図
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玄済寺山門。柱には吉敷毛利家菩提寺、大内義興霊牌所とある。
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玄済寺毘沙門堂。
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毘沙門堂内部。
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毘沙門堂にある大内義興公の位牌と念持仏であった毘沙門天像。
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毛利家永代家老第13代福原広俊の墓。 元々この寺は福原氏の菩提寺であった。
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この旅行記スケジュールを元に
大内義興公の庇護を受けたま将軍足利義稙は山口に長期で滞在。その間の仮の御所(柳営御所)が神福寺だった。
神福寺は前将軍が逗留される寺だから当時は大変大きな規模と格式のある寺だったが、度重なる兵火と台風による災害で移転を余儀なくされ規模が縮小した。
次に訪れたのが吉敷毛利家の菩提寺玄済寺である。この寺に大内義興公の位牌と仏像が大内義興公ゆかりの品として保管されているということで訪ねてみた。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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山口市には第10代将軍足利義稙前将軍が長期に逗留した柳営御所があった場所がある。
前将軍足利義稙は管領細川政元によるクーデター(明 応の政変)で将軍の座を追われ、従兄弟の足利義澄が第11代将軍となった。
細川政元に追われた前将軍義稙は諸国を流浪、1499年12月に周防にやってきた。
当時、大内氏と細川氏は大内義弘公以来の因縁の間柄、遣明船でもライバルだった。そういう背景があり前将軍は義興公を頼ってきたのである。翌1500年(明応9年)1月、義興公は前将軍義稙を山口に迎え、3月には大内館に招いてその御成りを中世最大の宴でもてなした。
そのうたげは31以上の膳。110品以上の料理で歓待した。義稙が館に入ったのは14時頃、帰ったのは翌朝の4時頃でその間に多数の料理で大歓待している。
その時の料理の献立は今に残っていて、平成12年に山口市で再現された。
食材はカラスミ、数の子、伊勢海老等の高級食材やツルの煎もの、イルカの汁物等の最高級食材まであった。また数の子や昆布など北海でないと手に入らない高級食材がズラリと並んでいたそうだ。
再現で苦心したのが調味料。当時は味噌も醬油も砂糖もない。そのため再現には醤油や砂糖に代り、当時の料理日秘伝書を参考に蜂蜜・たれ味噌・いり酒で味を整えたそうだ。
前将軍の宿舎として設けられたのが柳営御所と呼ばれる宿舎。その宿舎が設けられたのが今から訪れる神福寺である。
写真が神福寺。真言宗の寺である。第17代大内弘盛によって約750年前に建立された。
元々は神光寺といい、市内宮野の仁壁神社、祇園社(現在の八坂神社)、今八幡宮3社の別当職を務めるなど由緒ある大寺院だった。
それ故に前将軍足利義稙が周防に下向した際に宿舎になったほどである。 -
写真は本堂。本堂の奥に見える建物は庫裏である。
神福寺は大内氏や毛利氏に篤く信仰されたが明治維新後それらの庇護を失って衰退した。
また大内時代の陶晴賢の乱、毛利時代初期の大内輝弘の乱で戦禍に遭い大伽藍は焼失した。
その後再建されたが江戸時代には大風でた建物が倒壊して現在地へ移転した。 -
境内にある観音堂。
国の重要文化財「木像十一面観音立像」がある。この像は秘仏であるため見ることはできない。 -
木像十一面観音立像の説明板。
寺伝によれば大内氏の祖先琳聖太子が百済国から来朝した時に請来した唐代作の仏像という事だが、琳聖太子は伝承上の人物だが唐代の物と言うのは現代の調査で明らかになっているので祖先のだれかが舶来品を持ち込んだのだろう。 -
観音像はこの中に収められているが秘仏のため平素は見ることができない。
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神福寺の観音堂横にある枯山水の庭園。
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本堂横の日本庭園。
大内氏の歴史を調べ気になっていたのが義興公の菩提寺凌雲寺のその後。
いつの頃か廃寺になったらしいがその時期がいつなのか、寺仏や寺宝などはどうなったのか全く記録が無いため分からないのだ。
そんな時図書館である記事にぶつかった。それによると義興公の位牌と仏像の一部が山口市内のある寺に保管されているという記事だった。
早速その寺を訪れる事とにした。その寺や名は玄済寺寺。山口市内にある寺である。 -
玄済寺入り口。石碑には吉敷毛利家菩提所と彫られている。
山口市吉敷には毛利家の支藩があり、玄済寺はその菩提寺である。吉敷毛利家の館は現済寺の向かい側にあったが、ご当主は明治維新後に東京に移転したため館は取り壊され、現在は他人の建物が建っている。
ここを右に曲がると現済寺入り口、広い駐車場がある。 -
玄済寺の駐車場。写真の左隅に赤い屋根の建物があるが、以前はそこに吉敷毛利藩主の館があった。
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玄済寺入り口。参道の右側に寺の駐車場がある。左の森は天神山公園。
写真は撮り忘れたため再訪した6月27日に写したもの。参道脇にはアジサイが咲いていた。 -
玄済寺の参道。寺側から写したもので右が天神山公園。
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玄済寺の山門。
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山門の左側にあった寺の境内の案内図。
玄済寺は毛利元就の9男毛利秀包が開基で下関市豊北町阿川に創建された。当初は江見寺と言う名の寺だったが秀包の孫元包の時の領地替えに際して当寺を現在地に移し現済寺と名を改めた。 -
山門前にある願掛け地蔵
この願掛け地蔵は吉敷毛利家の旧家臣の守護仏だったそうだ。 -
吉敷願掛け地蔵の説明板。
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玄済寺山門。
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山門の柱にはこの寺が吉敷毛利家の菩提寺であること、大内義興公の位牌所であることが表示されていた。
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門には毛利家の家紋が彫られていた。
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家紋のアップ。
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玄済寺の本堂。
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同じく本堂。
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毘沙門堂。
この毘沙門堂の中に大内義興公の位牌と凌雲寺で祀られていた仏像が安置されているらしい。 -
毘沙門堂の説明板。
毘沙門堂は凌雲寺に伝わった仏像や大内義興公の位牌が玄済寺に移行されたため、毘沙門天その他の像を安置するため鎌倉様式により昭和31年に建立したものである。
説明では毘沙門天像は平安時代の物が1体鎌倉時代の物が2体と書かれているが、毘沙門堂内部にある市教育委員会の調査報告(利和元年7月5日)の抜粋によれば鎌倉時代の毘沙門天像は2体で平安時代の毘沙門天像は無く、住職作の説明板と内容が異なっている。
では中に入ろう。 -
毘沙門堂の内部。
上部の祭壇の中央に大内義興公の位牌、位牌の左右に鎌倉時代作の毘沙門天像が2体、右の毘沙門天像の右横に平安時代に作成された吉祥天像がある。 -
祭壇の下にはそれぞれの説明書きがある。
一番左から大内義興・豊後の大友宗麟・吉敷毛利家の血縁系図、大内義興公位牌(戒名)の説明、凌雲時の仏像の説明となっている。 -
大内義興公の位牌。実物は上部の祭壇に祀られているが、手前にガラス戸があって戒名の文字がほとんど見えない。
写真の戒名は赤外線写真で写したものと思う。 -
凌雲寺殿(大内義興公)の位牌の説明。
三品と言うのは従三位(公卿)という官位、七州太守と言うのは七カ国(周防・長門・築前・豊前・安芸・石見・山城)の事。 -
上段の祭壇に安置されている凌雲寺由来の仏像の説明。
令和元年7月5日に行われた山口市の調査報告書より抜粋された仏像の写真と住職による説明書。
毘沙門堂の説明板の間違いと同様この説明にも明らかな間違いがあった。
凌雲時の建立が永正5年(1507年)と書かれているが建立年は分かっていない。
更に1507年は永正4年である。義興公が亡くなったのは1528年の12月でこれも違う。
また1551年に大内氏滅亡・凌雲寺焼失とあるが陶晴賢の乱で凌雲時は焼失していない。陶晴賢軍が狙っていたのは大内義隆公の首であるが、大内義隆公一行はこの寺には寄っていない。
陶晴賢の目的きは当主を据えかえる事。自分が当主になるつもりは無く大内政権は存続させるつもりだったので大内館(政庁)には火をかけていない。
ましてや凌雲寺は山口から遠く離れた場所にある寺、義隆公が居る訳でも無いのに火をかける必要もない。
発掘調査でも寺が焼けた証は発見されていない。
凌雲時は大内氏滅亡後いつの時期かに廃寺になったのではないかと推測されている。
ところで大内義興公の位牌や凌雲時から伝えられた仏像の所在が書かれていたが、これらは同じ中尾地区にある高源院等に保管されていたものが昭和19年に当寺と合併により玄済寺に移されたらしい。
このことはどの記録にも書かれていないが玄済寺の寺伝であろうから信じてもよさそうだ。 -
仏像の写真の出典が写っていなかったので、はっきり分かるように撮り直した。
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位牌の左側には毘沙門天像が2体。そのうち左端の毘沙門天像は見るからに新しい仏像だった。
従って中央の毘沙門天像像が鎌倉時代の作。
毘沙門天は大内義興公の念持仏とされており、義興公の信仰の対象になったと考えられている。 -
位牌の右の仏像は鎌倉時代作の毘沙門天像と平安時代作の白色の吉祥天像。
室町時代作の阿弥陀如来坐像はここには無かったので本堂に安置されているのだろう。 -
中央に並ぶのが大内義興公の位牌。その左右に並ぶのが鎌倉時代作の毘沙門天像。
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アップにしても位牌の戒名が読みとれない。
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近寄って斜めから写しても読みとれなかった。
そのため赤外線写真で写したのだろう。 -
中央からアップにしても文字が読めない、分からない。
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大内氏、大友氏、吉敷毛利氏の血縁系図。
大内義興公の娘(大内義隆公の姉)が豊後守護の大友義鎮の正室。その長男がキリシタン大名の大友宗麟で弟が大友晴英、後に陶晴賢から呼ばれて大内氏の当主になったが、毛利元就に滅ぼされて滅亡した。
大友宗麟の娘が毛利秀包の正室。宗麟の娘もキリシタンでキリシタン名はマセンシャ。このマセンシャの影響で秀包もキリシタンに改宗し、キリシタン名はシメオンと名乗った。 -
毛利本藩の永代家老13代福原広俊の墓。
玄済寺は元々福原家の菩提寺であったが領地替えで毛利秀包の孫元包がこの地に移って来た。福原氏は現在の宇部市に転封なった。
この墓はこの地の最後の福原氏当主の広俊の墓。この寺は福原氏の菩提寺だったので弘俊以前の墓もあるはずだが、どこにあるかは分からなかった。
本旅行記とは直接関係ないので調べることは止めた。
次は吉敷毛利家の墓所及び天神山公園をお送りしまう。
訪問いただきありがとうございます。
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