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HIS「高野山と熊野三山、紀州路めぐり3日間」の旅の記録です。<br /><br />「高野山 奥の院」<br /> 奥の院は、平安時代816年に弘法大師(空海)が開山された聖地。一の橋から御廊橋まで約2kmの道のりにはおよそ20万基を超える諸大名の墓石(供養塔)や慰霊碑が樹齢数百年の杉木立の中に立ち並んでいます。<br /> どうして、戦国武将の供養塔が多いのか? 弘法大師が弥勒菩薩になって、57億7千万年後に現れ説法をすると伝わっています。そのため戦国武将たちは、この日のために参道で席取りをしているとう、ガイドさんの説明はユーモアがあって面白かった。<br /> また、徳川家康が高野山を墓堤所と定めたため、諸大名がこぞって高野山に墓石(供養塔)を建てたことが大きな要因。大名家の墓は110家にも及ぶそう。しかしながら、徳川家の霊台は奥の院参道になく、ケーブルカーの極楽橋駅の方にあります。<br /><br />2004年「紀伊山地の霊場と参詣道」として、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。<br /><br />ーーーースケジュールーーーー<br />1日目<br />高野山奥の院 → 壇上伽藍 → 金剛峯寺 → 宿坊「赤松院」

①弘法大師が開山した高野山

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2021/11/18 - 2021/11/20

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旅行記グループ 国内編

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じろうまる

じろうまるさん

HIS「高野山と熊野三山、紀州路めぐり3日間」の旅の記録です。

「高野山 奥の院」
 奥の院は、平安時代816年に弘法大師(空海)が開山された聖地。一の橋から御廊橋まで約2kmの道のりにはおよそ20万基を超える諸大名の墓石(供養塔)や慰霊碑が樹齢数百年の杉木立の中に立ち並んでいます。
 どうして、戦国武将の供養塔が多いのか? 弘法大師が弥勒菩薩になって、57億7千万年後に現れ説法をすると伝わっています。そのため戦国武将たちは、この日のために参道で席取りをしているとう、ガイドさんの説明はユーモアがあって面白かった。
 また、徳川家康が高野山を墓堤所と定めたため、諸大名がこぞって高野山に墓石(供養塔)を建てたことが大きな要因。大名家の墓は110家にも及ぶそう。しかしながら、徳川家の霊台は奥の院参道になく、ケーブルカーの極楽橋駅の方にあります。

2004年「紀伊山地の霊場と参詣道」として、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

ーーーースケジュールーーーー
1日目
高野山奥の院 → 壇上伽藍 → 金剛峯寺 → 宿坊「赤松院」

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
観光バス Peach
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
エイチ・アイ・エス

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  • 1日目<br />関西国際空港から高野山まで、観光バスで約2時間<br />一の橋から「御廊」までの1.9kmの道の両側には老杉がそびえ、20万基を超える各時代の供養塔が並んでいます。

    1日目
    関西国際空港から高野山まで、観光バスで約2時間
    一の橋から「御廊」までの1.9kmの道の両側には老杉がそびえ、20万基を超える各時代の供養塔が並んでいます。

  • 「薩摩 島津家の墓所」

    「薩摩 島津家の墓所」

  • 「上杉謙信霊屋」

    「上杉謙信霊屋」

  • 「中の橋」

    「中の橋」

  • 「奥の院参道」

    「奥の院参道」

  • 「楽書塚」<br />落語家の柳家金五楼が建立したもの、「史跡に落書きするなら、ここに落書き」をと呼びかけています。<br /><br />黒い碑は「花菱アチャコ句碑」大正から昭和時代の漫才師・俳優だそうです

    「楽書塚」
    落語家の柳家金五楼が建立したもの、「史跡に落書きするなら、ここに落書き」をと呼びかけています。

    黒い碑は「花菱アチャコ句碑」大正から昭和時代の漫才師・俳優だそうです

  • 「汗かき地蔵」<br />中にあるお地蔵さんに水滴がついてることから、汗かき地蔵と呼ばれている。理由は空気中に含まれる水分が寒暖差によって水滴になるのだそうです。

    「汗かき地蔵」
    中にあるお地蔵さんに水滴がついてることから、汗かき地蔵と呼ばれている。理由は空気中に含まれる水分が寒暖差によって水滴になるのだそうです。

  • 「姿見の井戸」<br />高野七不思議の一つ、なんでもこの井戸の中を覗き込んで自分の顔(影)が水面に映らなければ、「3年以内に命を落とす」と伝えられているそうです。

    「姿見の井戸」
    高野七不思議の一つ、なんでもこの井戸の中を覗き込んで自分の顔(影)が水面に映らなければ、「3年以内に命を落とす」と伝えられているそうです。

  • 「崇源院供養塔(一番石塔)」<br />徳川2代将軍秀忠の奥さん、お江の供養塔。奥の院の墓石群の中でももっとも大きい(6m)ことで知られている。

    「崇源院供養塔(一番石塔)」
    徳川2代将軍秀忠の奥さん、お江の供養塔。奥の院の墓石群の中でももっとも大きい(6m)ことで知られている。

  • 「化粧地蔵」<br />化粧をすると願い事が叶うと言われ、参拝者の手により化粧されているお地蔵さんです。

    「化粧地蔵」
    化粧をすると願い事が叶うと言われ、参拝者の手により化粧されているお地蔵さんです。

  • 伊予松山3代城主「松平久松(定行)の墓」<br />

    伊予松山3代城主「松平久松(定行)の墓」

  • 家康の次男「結城秀康の墓」<br />

    家康の次男「結城秀康の墓」

  • 「豊臣家墓所」<br />秀吉の母、弟(秀長)、姉、長男、淀君、秀吉と合わせて6つの供養塔がある<br /><br />

    「豊臣家墓所」
    秀吉の母、弟(秀長)、姉、長男、淀君、秀吉と合わせて6つの供養塔がある

  • 「織田信長墓所」

    「織田信長墓所」

  • 「御廊橋(ごびょうばし)」この橋の先は、聖域とされ撮影禁止です。<br />木々の間から見えるのは灯籠堂の裏手に、弘法大師御廊があります。高野山最強パワースポットと言われているそう。

    「御廊橋(ごびょうばし)」この橋の先は、聖域とされ撮影禁止です。
    木々の間から見えるのは灯籠堂の裏手に、弘法大師御廊があります。高野山最強パワースポットと言われているそう。

  • 「水向地蔵」<br />御廊橋のたもとにあり、地蔵菩薩、弥勒菩薩、不動明王など全部で15体あります。<br />前に置かれた水盤の玉川の水を柄杓で仏像に手向けて供養することに由来してます。

    「水向地蔵」
    御廊橋のたもとにあり、地蔵菩薩、弥勒菩薩、不動明王など全部で15体あります。
    前に置かれた水盤の玉川の水を柄杓で仏像に手向けて供養することに由来してます。

  • 「浅野内匠頭墓所」

    「浅野内匠頭墓所」

  • 「英霊殿」<br />昭和27年(1952)に第2次世界大戦の戦没者の為に建立されました。内部は非公開。

    「英霊殿」
    昭和27年(1952)に第2次世界大戦の戦没者の為に建立されました。内部は非公開。

  • 英霊殿のまわりには紅葉の名所だそう

    英霊殿のまわりには紅葉の名所だそう

  • 「中門」<br />高さ25.1m、横幅21.4mのスケールの大きな楼門。天保14年(1843)に大火で焼失したが、平成26年(2014)に高野山開創1200年を記念して再建されました。

    「中門」
    高さ25.1m、横幅21.4mのスケールの大きな楼門。天保14年(1843)に大火で焼失したが、平成26年(2014)に高野山開創1200年を記念して再建されました。

  • 「蓮池」<br />高野山の壇上伽藍のエリアにある、蓮池にかかる太鼓橋を渡った池中の小島には、善女竜王社があり善女竜王像が祀られている。

    「蓮池」
    高野山の壇上伽藍のエリアにある、蓮池にかかる太鼓橋を渡った池中の小島には、善女竜王社があり善女竜王像が祀られている。

  • 「壇上伽藍」<br />弘法大師(空海)が高野山を開山した際、真っ先に造営に取り組んだ場所で、奥の院とともに高野山の二大聖地の一つです。密教思想に基ずく曼荼羅の世界観を極彩色に具現化したものが素晴らしい。残念ながら内部は撮影禁止。

    「壇上伽藍」
    弘法大師(空海)が高野山を開山した際、真っ先に造営に取り組んだ場所で、奥の院とともに高野山の二大聖地の一つです。密教思想に基ずく曼荼羅の世界観を極彩色に具現化したものが素晴らしい。残念ながら内部は撮影禁止。

  • 「六角経蔵(ろっかくきょうぞう)」<br />壇上伽藍のにある六角経蔵は、鳥羽法王の菩提を弔うために皇后の美福門院が平治元年(1159)に建立した。基壇のあたりに把手がついていて、回すことができます。一回まわすと一切の経を一通り読んだ同じ徳を得られる。<br /><br />

    「六角経蔵(ろっかくきょうぞう)」
    壇上伽藍のにある六角経蔵は、鳥羽法王の菩提を弔うために皇后の美福門院が平治元年(1159)に建立した。基壇のあたりに把手がついていて、回すことができます。一回まわすと一切の経を一通り読んだ同じ徳を得られる。

  • 「蛇腹路(じゃばらみち)」<br />壇上伽藍の入口から東塔の東側付近まで伸びる小道のこと。<br />

    「蛇腹路(じゃばらみち)」
    壇上伽藍の入口から東塔の東側付近まで伸びる小道のこと。

  • 「鐘楼」

    「鐘楼」

  • 「金剛峯寺」<br />豊臣秀吉が文禄2年(1593)に亡母追善菩提のため応其上人に命じて建立した。

    「金剛峯寺」
    豊臣秀吉が文禄2年(1593)に亡母追善菩提のため応其上人に命じて建立した。

  • 本坊は東西約60m、南北70mあり、秀次が切腹した柳の間などがある。

    本坊は東西約60m、南北70mあり、秀次が切腹した柳の間などがある。

  • 金剛峯寺の主殿の屋根は檜皮葺きなので、いざ火災が起きた際には雨水をためた桶から水をまく、そのための桶と梯子が設置されている

    金剛峯寺の主殿の屋根は檜皮葺きなので、いざ火災が起きた際には雨水をためた桶から水をまく、そのための桶と梯子が設置されている

  • 「蟠龍庭」<br />石庭としては我が国最大の庭(2340平方メートル)。雲海の中で雌雄一対の龍が、奥殿を守っているように表現されている。龍は四国産の青い花崗岩140個、雲海には京都の白い砂が使われている。

    「蟠龍庭」
    石庭としては我が国最大の庭(2340平方メートル)。雲海の中で雌雄一対の龍が、奥殿を守っているように表現されている。龍は四国産の青い花崗岩140個、雲海には京都の白い砂が使われている。

  • 千住博氏によって書かれた茶の間の襖絵「断崖図」

    千住博氏によって書かれた茶の間の襖絵「断崖図」

  • 千住博氏によって書かれた囲炉裏の間の襖絵「瀧図」どちらも素晴らしかったです。

    千住博氏によって書かれた囲炉裏の間の襖絵「瀧図」どちらも素晴らしかったです。

  • 千住博氏は、作曲家で著名な千住明さんのお兄さんで日本画家

    千住博氏は、作曲家で著名な千住明さんのお兄さんで日本画家

  • 宿坊「赤松院」に一泊、奥の院へ行く一の橋のすぐ手前にあります。<br />

    宿坊「赤松院」に一泊、奥の院へ行く一の橋のすぐ手前にあります。

  • 1100年の歴史がある仏教寺院内にある宿坊。和室、一応お風呂付でした。

    1100年の歴史がある仏教寺院内にある宿坊。和室、一応お風呂付でした。

  • 精進料理の上「朝食」、下「夕食」

    精進料理の上「朝食」、下「夕食」

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